東京オリンピック物語(8)── 「東京オリンピックのため」首都の交通インフラに起きたレガシー

東京オリンピック物語(8)── 「東京オリンピックのため」首都の交通インフラに起きたレガシー

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東京オリンピック物語(7)── 選手村の場所は今の代々木公園!激変する渋谷
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Transportation infrastructure

交通基盤の大変革

ANNnewsCH/YouTube

64年東京五輪の際は、「東京改造」というべき大規模な都市開発が巨額の経費をつぎ込んで急速に進められた。

64年、五輪の時代 急速なインフラ整備、五輪が契機 交通技術ライター・川辺謙一さん /東京/毎日新聞.2020
「有形レガシー」

東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設など、東京五輪に向けて充実した都市インフラは、1964年大会の「有形のレガシー」として知られている。

10月10日は1964年東京五輪、開幕の日:1964年のレガシーとは/Olympics

5つの交通基盤

 1964年の東京オリンピックで整備された交通基盤を振り返る。「東京オリンピックのため」として整備が急がれた交通基盤は5つ。鉄道は東京モノレール羽田線、東海道新幹線、道路は首都高速1号線など一部区間、環状7号線西側区間、六本木通りだった。

オリンピックが開催されても、鉄道網が整備されない理由/ITmedia.2013

だが、実際にはたった数週間しかない東京オリンピックのためだけに交通インフラを計画・立案することは難しく、その多くが東京オリンピック開催決定前から「都市計画」として構想やプランが考えられていたものだ。

いまこそ振り返る。東京オリンピックへのアンチテーゼ(3)~オリンピック開催が都市や国にもたらすレガシー~/Publingual.2021

しかし、1964東京五輪はこれらの計画を実現に移し、工事を加速させるなどの効果を確かにもたらした。このことをもって「交通インフラは東京オリンピックのレガシー」と語ることが出来るわけである。

いまこそ振り返る。東京オリンピックへのアンチテーゼ(3)~オリンピック開催が都市や国にもたらすレガシー~/Publingual.2021

海外のお客さんを運ぶため!「東京モノレール」が完成

東京モノレール【公式】/YouTube

東京モノレールは、オリンピックで海外から訪れる選手や観客を輸送するために、1964年9月17日、オリンピックの開幕直前に開業しました。

東京モノレールが運ぶもの  東京 大田区(東京モノレール昭和島駅)/NHK 東京2020オリンピックサイト.2020

東京オリンピックが開催されたこの年は、競技場や宿泊施設、競技場までの輸送施設、東海道新幹線や首都高速道路網、地下鉄などが整備されました。そして、都市上空の高架軌道上を走る交通機関として導入されたのが、東京モノレールです。

9月17日はモノレール開業記念日です/大林組.2020
羽田空港を繋ぐ!!
東京モノレール【公式】/YouTube

海外からのゲストをお迎えするのに、当時の空の玄関口、羽田空港の整備拡張も行われました。同時に整備されたのが、羽田から都心へのアクセスを大幅に改善する「東京モノレール」でした。

オリンピックは日本を変えるの? 1964年東京オリンピックが遺した“レガシー”/提供Victory.dメニュースポーツ

当時、羽田空港と都心を行き来するためには道路もありましたが、渋滞が激しく2時間以上かかることもあり、このモノレールの開業は世界と東京を短時間で結ぶ革新的な乗り物として注目を集めました。

東京モノレールが運ぶもの  東京 大田区(東京モノレール昭和島駅)/NHK 東京2020オリンピックサイト.2020

当時、日本の空港はまだ整備が始まったところで、空港アクセス鉄道はこの東京モノレールが日本初のものでした。

空港連絡鉄道の先駆け、東京モノレール開業から50年/日本旅行の国内旅行・海外旅行

この時の羽田駅ですが、現在は存在しません。

現在、東京モノレールには『羽田空港国際線ビル駅』、『羽田空港第1ビル駅』、『羽田空港第2ビル駅』と“羽田”と付く駅が3つありますが、いずれも開業当時の『羽田駅』とは全く関係がないそうです。

54年前の9月17日、『東京モノレール』が開通/ニッポン放送 NEWS ONLINE
約1年半で完成!
東京モノレール【公式】/YouTube

まず8月、モノレール運営会社の大和観光が発足。同社は新橋~羽田空港間を結ぶモノレールの計画を立てて、10月に国に申請しました。最初の計画では新橋に乗り入れるはずだったのです。

東京モノレール、なぜ浜松町発着? 北への延伸は「幻」に終わるか/乗りものニュース.2018

当初は新橋―羽田間での開業を目指したものの、騒音問題などで地域の理解を得られず、土地の買収が難航。五輪に間に合わせるため浜松町―羽田間に計画を変更した。工事着工は開業前年の63年5月。突貫工事の末、五輪開幕前に開業にこぎ着けた。

東京モノレール50年 車窓から見た湾岸開発史/NIKKEI STYLE.2014
「日本の交通革命」

モノレール開業は「日本の交通革命」とも称され、五輪効果と都心に初めて出現した本格的モノレールという物珍しさも手伝い、休日には浜松町駅に長蛇の列ができるほどの人気ぶりだった。

東京モノレール50年 車窓から見た湾岸開発史/NIKKEI STYLE.2014
1940年「幻の東京オリンピック」で作られた五色橋を越えていく!
Labrador/YouTube

1940年の「幻の東京オリンピック」に向けて架けられ、五輪の五つの色にちなんで命名された。東京オリンピックの2年前、1962年2月に架け替えで誕生したのが現在の橋だ。浜松町を出発して羽田空港に向かうモノレールは、JR田町駅手前で、それまで並走してきた線路と離れ、運河沿いにゆっくりとカーブを描いた後に、五色橋を越えていく。

オリンピックが変えた東京の街・モノレールと湾岸風景~「レガシー」からたどる1964/東京オリンピック2020速報 : 読売新聞オンライン.2020

世界初の高速鉄道「東海道新幹線」が開通!

ANNnewsCH/YouTube

オリンピック開幕に合わせて、1964年10月1日に開通したのが、日本が世界に誇る高速鉄道、新幹線です。

オリンピックは日本を変えるの? 1964年東京オリンピックが遺した“レガシー”/提供Victory.dメニュースポーツ

 1964(昭和39)年の7月25日。東京~新大阪間、すなわち東海道新幹線全線を通しての試運転を国鉄が初めて実施。10時間をかけ無事、走破に成功しました。

【今日は何の日?】新幹線、東京~新大阪間の全線で試運転開始/乗りものニュース.2021

 東海道新幹線では同年7月1日、神奈川県川崎市内で最後のレール締結が実施され。東京~新大阪間515kmの軌道が全通。それから3ヶ月後の10月1日、営業運転を開始します。当初の所要時間は「ひかり」4時間、「こだま」5時間でした。

【今日は何の日?】新幹線、東京~新大阪間の全線で試運転開始/乗りものニュース.2021
たった5年で完成!!
アイエム[インターネットミュージアム]Internet Museum/YouTube

東海道新幹線の工事は、昭和34年(1959)4月から始められ、東京オリンピックに間に合わせるべく工期はわずか5年と設定されました。

東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法 /高度成長の時代へ-「独立」以後のにお本ー国際社会への復帰ー:国立公文書館
戦前から着工していた

実は新幹線は戦前から一部の工事が始まっていたため、中断を挟み1960年に工事を再開。以来、わずか約5年で、完成にこぎつけたのである。在来線と切り離した専用軌道、ATC(自動列車制御装置)の導入など、当時の設計思想は、今もしっかり受け継がれている。その9日後には東京オリンピックが開催。日本は高度成長期の真っただ中にあった。

2027年「リニア」、いよいよ今秋着工へついに総額9兆円の巨大プロジェクトが始動/東洋経済ONLINE.2014

東海道新幹線は、同時期に開催された東京オリンピックとともに、高度経済成長の起爆剤となったのです。

10月1日 東海道新幹線開業(1964年)/現代ビジネス | 講談社.2020

東京の大動脈「首都高速道路」が開通!

ANNnewsCH/YouTube

1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に向けて、東京には新しいインフラが次々と出現した。首都高もその一つだ。

【首都高今むかし】東京オリンピック開催の1964年当時と現在を比べてみた 「速度制限は?料金は?風景は?」/モーサイ.2020

正式名は首都高速道路。オリンピック会場や宿泊施設がある都心と、海外から選手や観客を迎える羽田空港の間のアクセス向上を目指し、建設は都心環状線と高速1号羽田・上野線から進められた。

【首都高今むかし】東京オリンピック開催の1964年当時と現在を比べてみた 「速度制限は?料金は?風景は?」/モーサイ.2020

オリンピック関連施設と羽田空港を結ぶ道路が優先的に整備され、京橋~芝浦間(4.5㎞)が日本で初の都市高速道路として開通。オリンピック開催時には1日平均7万5千台の車両が首都高速道路を利用したといいます。

写真で振り返る1964東京オリンピック 半世紀で日本はこんなに変わった!?/NHK.2020

初めて開通したのは、1962(昭和37)12月の京橋-芝浦間(4.5km)。1年後の1963年12月には、本町-京橋(2.2km)、呉服橋-江戸橋JCT(0.6km)、芝浦-鈴ヶ森(6.1km)の各区間が開通している。

【首都高今むかし】東京オリンピック開催の1964年当時と現在を比べてみた 「速度制限は?料金は?風景は?」/モーサイ.2020
オリンピック以前より検討していた

オリンピック関連道路には、2 種類の道路があった。 1 つは、通常の幹線道路であり、都市計画道路事業とし て、国庫補助を受けて、東京都建設局が事業を実施した。 もう 1 つは、首都高速道路であり、1950 年代から首都圏整備委員会と東京都が検討開始していた高速道路網を オリンピック開催を契機として、着工に至った。

1964 年東京オリンピックと都市計画(p.25)/越澤 明.北海道大学名誉教授.特集「オリンピックまでの、そしてその後の東京」

 首都高というと、ずばり「オリンピックのために建設された」と言われるが、正確には「もともとあった建設計画が、オリンピック開催決定でフル加速された」という形だった。64年10月のオリンピックまでに、羽田空港と都心部、そして選手村が置かれた代々木(正確には代々木出口を含む初台)までの31.3kmが開通し、オリンピックを成功に導いたのである。

首都高今昔物語──1964年、東京オリンピックで日本の道路事情はどう変わったか/くるくら.2021

オリンピック関連施設を繋ぐために道路が整備「国道246号線」

ANNnewsCH/YouTube

 1964年、東京オリンピックに向けてインフラ整備が急ピッチで行われていた。道路整備もその1つで、特に急務とされていたのがメイン会場である国立競技場のある神宮外苑と、開会式を行う駒沢公園(世田谷区)を結ぶ国道246号の整備である。現在、青山通り、玉川通りと呼ばれる区間だ。また246号には、拡幅の余地が少ない国道1号のバイパス路線としての期待もあった。

1964年のオリンピックを前に、東京の道路整備は246と環七から始まった。/くるくら.2021

オリンピック関連の道路整備で放射4号線(国道246号)は、国立競技場、代々木の選手村と駒沢競技場を結ぶ「主要連絡路」と位置づけられました。

放射4号線(国道246号)拡幅 渋谷も五輪へ激変/テレ朝news
オリンピック道路

1964年の東京五輪・パラリンピックは都心部の道路整備を促した。首都高速道路は良く知られるが、都内のいくつかの通りは今も「オリンピック道路」と呼ばれている。

過去・現在・未来をつなぐ、1964年東京五輪を知る遺構たち/ニューススイッチ.2020

 この時の「オリンピック道路」とは、青山通り・玉川通り、環七通り、目白通り・笹目通りが一般に挙げられています。

東京オリンピック道路「環七」、オリンピックであまり役に立たなかったナゾ/乗りものニュース.2019
オリンピックのためにつけられた名前

 ちなみに、「青山通り」「外堀通り」「明治通り」などの名称は、都民や観光客の利便をはかろうとオリンピックに向けて付けられた通称道路名だ。

オリンピックが変えた東京の街・「青山表参道」~「レガシー」からたどる1964/読売新聞オンライン.2020

環状7号線!通称“環七”の整備

東京都 Tokyo Metropolitan Government/YouTube

その環状線のなかでも大掛かりな整備となったのは都道318号(環状7号線)、通称「環七(かんなな)」だ。

1964年のオリンピックを前に、東京の道路整備は246と環七から始まった。/くるくら.2021

オリンピックの東京開催決定を受けて、1960(昭和35)年に首都圏整備委員会で、首都高速道路だけでなく、環状7号線、放射4号線、昭和通りなどの54.6kmがオリンピックのために整備が必要な道路である「オリンピック関連街路」として位置づけられた。

東京オリンピック1964に向けた 首都高速道路の整備(p.22)/建設コンサルタンツ協会
環七整備のために住民は立ち退き

競技場からの距離は約20キロ。これは高速道路建設で賄える。そう考えた東京都知事(当時)の東龍太郎は、着々と道路整備に乗り出した。環状七号線はこの時に計画され、住民は立ち退きを余儀なくされていた。

選手村になったワシントンハイツ──1964東京五輪前夜/GQ JAPAN.2019
結果的に環七はオリンピックとは無関係な道路に

 選手村が都心の代々木へと変更になった時点で、南北の移動がなくなり環七のオリンピックでの重要性は低くなりましたが、工事は計画どおり進められ、羽田空港から北区北部まで、環七の西半分の区間はオリンピックまでに開通します。「オリンピックを成功させよう」という合い言葉のもと、困難な用地買収を進展させ、機に乗じて完成させてしまった形です。

東京オリンピック道路「環七」、オリンピックであまり役に立たなかったナゾ/乗りものニュース.2019

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東東京オリンピック物語(9)── 武道の殿堂!「武道館」の誕生
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964年東京、1972年札幌、1998年長野と、国内で開催された過去3回のオリンピックを機に、鉄道を中心とした交通インフラがどのように整備され、大会期間中にどのような輸送が行なわれたのか。交通などの都市基盤が発展途上にあった当時、現在とは大きく異なるできごとが次々と起きていたのだった。昭和の東京大会から平成、令和と時代を重ねた今、「あのオリンピックのときにはこんなことがあったんだ」というエピソードの数々を、当時の貴重な記録から探る。(「BOOK」データベースより)