東京オリンピック物語(22)── ピストル射撃で銅メダルを獲得!!世界有数の厳しい銃規制の国「日本」のライフルシーン
Shooting
射撃
射撃は世界でもメジャーなスポーツで、競技人口は500万人を超えるともいわれています。
オリンピックの射撃競技の基礎知識を解説!種目ごとの違いや豆知識まとめ/スポネタ.2021
オリンピックでは第1回アテネ1896大会からの正式競技(セントルイス1904大会、アムステルダム1928大会を除く)。動きの少ない静的な競技で、体力より重要となるのがメンタルの強さ。集中力をどれだけ高め維持できるかが勝敗を決めるカギとなる。ライバルと戦うというより、各選手が自分自身と戦うスポーツともいえる。
東京オリンピック2020/朝日新聞デジタル
アテネ大会の射撃競技の種目数は17種目(クレー射撃の種目を含む)であり、陸上46、水泳42、体操18、自転車18、レスリング18に次いで6番目に種目数が多い。
オリンピック参加史/日本ライフル射撃協会
近代オリンピックの父「クーベルタン男爵」の肝煎り
射撃は 1896 年第 1 回オリンピックアテネ大会から正式競技に採用 されていることは周知のことであるが、当該アテネ大会実施8 競技(水 泳、陸上、体操、レスリング、射撃、フェンシング、自転車、テニス、 14 カ国男子のみ 280 名参加)のなかに射撃が含まれたのはオリンピ ック提唱者のクーベルタン男爵(Pierre de Frédy, baron de Coubertin、 左写真)がフランスのピストルチャンピオンであったことに由来するとされている。
ライフル射撃競技の基本知識(p.5)/日本ライフル射撃協会
「ライフル射撃」と「クレー射撃」
使用する銃や標的の種類などによってさまざまな種目に分かれていますが、大きく分けると固定された標的を撃つ「ライフル射撃」と、散弾銃で空中を飛ぶ標的を撃つ「クレー射撃」の2種類があります。
射撃/埼玉で開催!Tokyo2020
ライフル射撃の中に「ピストル射撃」
ライフルはスナイパーで、クレーはハンターという言い方もできるかもしれない。ライフル射撃は、銃の種類や撃つ姿勢、的までの距離などで種目が分かれる。
射撃…ベテラン活躍、最年長金メダリストも/読売新聞オンライン.2016
ライフル射撃は標的の中心に近い部分を撃ち抜くほど高い得点になる。銃の種類や標的までの距離などによって種目が分かれており、50メートルライフル、10メートルエアライフル、25メートルラピッドファイアピストル、25メートルピストル、10メートルエアピストルがある。
標的の中心狙い撃つライフル クレーは空飛ぶ標的を散弾銃で 射撃/朝日新聞デジタル.2021
クレー競技二つの種目「トラップ」「スキート」
クレー射撃競技には「トラップ」種目と「スキート」種目があります。
クレー/射撃/マイナビニュース
ランダムに飛んでくる1枚のクレーを撃つ「トラップ」
その昔、欧州の貴族は青鳩を罠籠に入れ、扉を開けることで飛び立つ鳩を撃つ射撃を楽しんでいた。それがトラップ(罠)射撃であり、紐を引いて罠籠の扉を開ける人がプーラーと呼ばれていた。そのため現在のクレー射撃でもそれらの呼称が使われているのだ。
ファクトリー訪問 – 梅津クレー製作所/SPORTS GUN
トラップは射台の15メートル先からランダムに飛び出すクレー(皿)を撃つ種目。射撃を撃つ射手は銃を構えた状態でコールし、その声に機械が反応して、クレーが飛び出す。クレーは左右、高さがランダムに飛び出し、1ラウンド25枚の射撃。1枚のクレーに対し2発以内で撃破することができれば、得点となる
クレー射撃のルールや過去の五輪日本人メダリストは?/SPAIA.2019
決まった場所から飛んでくるクレーを撃つ「スキート」
スキートとは古いスカンジナビア語で「撃つ」という意味。 狩猟用の猟銃を使って、猟の練習用にアメリカで考案されたのがスキート射撃です。 標的放出機を半円の直径部分の直線上に2機設置し、1個あるいは2個のクレー標的を射撃するスタイルが1920年頃確立しました。
銃の楽しみ方/熊本のトモエ銃砲火薬店
8箇所の射台を移動しながら合計で1ラウンド25回射撃し、トラップとは異なり、1枚のクレーに対し1発しか撃てません。クレーは射手のコール後、3秒の間いつ飛び出すかわかりません。クレーの飛び方は3種類あります(左、右、左右同時)。
知ってる?色々なスポーツのルール・トリビア ~クレー射撃編~/ミズノ発見隊.2018
集中力が必要な精神のスポーツ!!でも競技中は……。
精密さ、集中力が要求され「精神のスポーツ」とも呼ばれる。
世界で人気の射撃、日本は規制の壁 まずビームで体験/NIKKEI STYLE.2019
集中力が重要なライフル射撃。しんと静まりかえる中で行われていた大会の様子は、最近ではすっかり様変わりした。会場で大音量の音楽を流したり、実況や拍手で盛り上げたりと、エンターテインメント性が増している。
射撃、競技の普及に「ビームライフル」…経験者が五輪に出場/読売新聞オンライン.2021
音楽などを使った演出については、国際射撃連盟の規則に「決勝での実施を義務付ける」「予選でも可能であれば実施すべきだ」と明記されている。観客やテレビ中継の視聴者に楽しんでもらうのが狙いだ。
射撃、競技の普及に「ビームライフル」…経験者が五輪に出場/読売新聞オンライン.2021
二大会連続!!フリーピストルで銅メダルを獲得「吉川 貴久」
射撃の日本勢初メダルは60年ローマ五輪になる。フリーピストル60発で吉川貴久が銅メダルを獲得した。吉川は福岡県警時代に23歳で出場。58年世界王者のウマロフ(ソ連)と552点で並び、シュートオフの末に惜敗したが、初メダルの快挙となった。
射撃吉川貴久が2大会連続銅メダル/日本の初メダル/日刊スポーツ.2020
続く東京大会でも、吉川は自国開催の重圧と期待を背負いながら、再び表彰台に立った。序盤は苦しんだが、終盤に復調し554点。ガレー(ドイツ)と並んだが10点圏の命中数差で2大会連続3位に入った。現在まで射撃で複数メダル獲得は吉川だけだ。
射撃吉川貴久が2大会連続銅メダル/日本の初メダル/日刊スポーツ.2020
68年メキシコ、72年ミュンヘンの両五輪にも出場し、76年モントリオール大会では日本代表監督を務めた。
東京五輪で銅、吉川貴久氏が死去/REUTERS.2019
56年前の今日、#Tokyo1964 射撃男子フリーピストルで吉川貴久さんが2大会連続の銅メダルを獲得🥉#Olympics
— オリンピック (@gorin) October 18, 2020
写真: IOC pic.twitter.com/jQl42V3D1u
職業は福岡県の警察官!!
警察官で、のちに福岡県警西八幡署長を務めた。
見てほしかった2020 【リメンバー1964】/JIJI.COM.2020
日本の射撃競技は銃を扱うことができる警察官・自衛官がメイン
ローマオリンピックで、吉川貴久君が入賞して以来、フリーピストルが有名になったが、現在のわが国情では、一般人のピストル所持が禁止されているので、警察官、自衛官等少数の人々が競技に参加しているにすぎない。
あきた(通巻30号) 1964年(昭和39年)11月1日発行 -全64ページ-/秋田県広報ライブラリー(広報誌・紙)
後の日本人メダリストもみんな警察官や自衛官
金メダルを初めて獲得したのは1984年ロサンゼルス五輪。蒲池猛夫が25mラピッドファイアピストルで金メダルを首にかけた。蒲池は自衛隊入隊後に射撃の才能を開花させた。1988年ソウル五輪では、長谷川智子が、25mスポーツピストルで銀メダルを獲得。当時、彼女は大阪府警に所属していた。このようにピストル射撃の選手は、日頃から訓練が課される警官や自衛隊員が多いのが特徴のひとつだろう。
射撃ピストル:東京五輪に照準を合わせ、32年ぶりのメダル獲得なるか/Olympics
しかし日本のピストル射撃技術は、ソ連、西独とならんで世界の一流にランクされているので、将来はフリーピストル競技が盛んになるものと信じている。日本人は、体質的にライフル射撃、とくにピストルに適しているといわれている。エアライフルも、技術的には日本が世界の上位にあり、とくに国産銃の性能のすばらしさは絶賛されている。
あきた(通巻30号) 1964年(昭和39年)11月1日発行 -全64ページ-/秋田県広報ライブラリー(広報誌・紙)
日本で“銃”は法律で厳しく制限されている
現在、日本の銃刀法は世界最高レベルで厳しく、人口1億2500万人の国で、銃による死者の数は平均で年間一桁にとどまっている。
日本の厳しい銃刀法、五輪射撃のネックに/AFPBBNews.2021
海外では10代から活躍する選手も珍しくない射撃だが、日本の環境は異なる。銃刀法などの規定により、銃を持てるのは原則20歳(空気銃は18歳)以上。日本ライフル射撃協会の田村恒彦・副会長兼専務理事は厳格な規制に理解を示しつつも「世界一厳しい規制のもとで射撃選手を育成するのは容易ではない」と話す。
世界で人気の射撃、日本は規制の壁 まずビームで体験/NIKKEI STYLE.2019
日本は、原則として銃を簡単に所持することができないルールだ。ピストル所持に関する規制は厳しく、エアライフルやハンドライフルで一定以上の成績を収め、日本ライフル射撃協会を通じて、日本体育協会の推薦状を受けなければならない。エアピストルに関しては500名、装薬銃にいたっては50名しか、所持が許可される枠がないという。つまり、ピストル射撃は、非常に限られた中から選ばれた代表が、競技場で引き金をじっと握り、集中力を高めて標的を射抜くスポーツということだ。
射撃ピストル:東京五輪に照準を合わせ、32年ぶりのメダル獲得なるか/Olympics
日本ライフル協会は競技普及のために尽力
ライフル射撃競技はライフル競技とピストル競技があり、陸上、水泳に次いで参加国・地域の多い競技だが、国内では規制が厳しい。競技に使うライフルを所持できるのは上級者に限られており、競技用ピストルはさらに厳しく「18歳以上の500人」に限定されている。練習も難しく、競技人口もなかなか増えないのが悩みだ。
レーザーで的を狙え! ライフル射撃もデジタル化/ITmedia NEWS.2007
そこで、日本ライフル協会は大学の射撃部などで競技する学生選手の支援に乗り出している。2017年度で7327人の全会員のうち学生は約4千人。その7割超が進学や就職時に住まいなどが変わることで銃を所持できなくなり、競技をやめてしまうという。
世界で人気の射撃、日本は規制の壁 まずビームで体験/NIKKEI STYLE.2019
安全なレーザーピストルを開発
そこで同協会は、NECパーソナルプロダクツと協力して2002年にデジタルライフルとデジタルピストル、専用の的を開発した。ピストルは単三形電池1本で動き、弾丸の代わりに赤外線レーザーを撃つ。得点や着弾点は、的とLANケーブルで接続されたPCに表示。銃口の動きの軌跡も確認できる。安全上、レーザーは的に向けた時にしか発射しない仕組みになっている。
レーザーで的を狙え! ライフル射撃もデジタル化/ITmedia NEWS.2007
2002年にNECカスタムテクニカ(当時)がクラス1レーザーを用いたデジタルスポーツシューティングシステムを開発して普及を図ったが、こちらは2007年に生産中止となり、興東電子製ビームライフルが現在も主流で製造が続けられている。
エアライフル競技の登竜門「ビームライフル競技」を解説!/HobbyJAPAN Co., Ltd. 2020
射撃の歴史
射撃の起源として、遠くの目標物に投射物を当てる競技は、投石や弓矢などを用いて古代からおこなわれてきました。
射撃/埼玉で開催!Tokyo2020
オリンピックなどで行われる射撃競技は、いずれも銃を用いた種目となっている。銃に必要な火薬の発明には諸説あるが、銃の原型は中国で発明され、ヨーロッパで発達したとされている。実際、日本に伝わった最初の銃は1543年、ポルトガル人によって伝えられた。記録に残されている最も古い射撃大会は1477年、アイヒシュテット(現ドイツ連邦共和国バイエルン州)で開催。その内容は、200メートル先の標的を狙うものだった。
射撃競技の起源| 最古の大会は500年以上前/Olympics
15世紀、1463年のドイツ、ケルンのセント・セバスティアヌス射撃クラブで競技が始まったという説もあります。
競技紹介:ライフル射撃/JOC
スポーツとしての射撃も19世紀に発展する。1824年にスイスで射撃協会が設立されたのを皮切りに、1859年には英国ライフル協会が設立。1871年には軍主導で、全米ライフル協会(アメリカ合衆国)が設立された。そして1896年の第1回近代オリンピック・アテネ大会では、男子25mラピッドファイアーピストル、男子50mピストルのほか、現在は採用されていない数種目が行われた。またクレー射撃の男子トラップは、1900年の第2回パリ大会で行われている。そして1907年に、国際射撃連盟(ISSF)が設立。女子種目は、1968年のメキシコシティ大会から採用となる。
射撃競技の起源| 最古の大会は500年以上前/Olympics
日本の射撃の歴史は種子島!
「鉄炮記」(てっぽうき:江戸時代に編纂された鉄砲伝来にかかわる歴史書)によると、日本に火縄銃が伝来したのは、1543年(天文12年)にインドを出て中国へ向かっていた南蛮船が、台風で種子島最南端の門倉岬(かどくらみさき)に漂着したときのことです。
火縄銃の歴史/名古屋刀剣ワールド
南蛮人達は火縄銃の射撃の実演を行ない、初めて火縄銃を目の当たりにした種子島の人々は、雷のように轟く発射音に驚き、皆、耳を覆っていたと言います。
火縄銃の歴史/名古屋刀剣ワールド
「火縄銃 a.k.a 種子島」
銃口から弾丸と火薬を詰める前装式で、火縄に点火する形式だったため、この鉄砲には「火縄銃」と言う名称が付きました。また火縄銃は、種子島に伝来したことから、別名種子島とも呼ばれています。
火縄銃とは/【刀剣ワールド】刀剣・日本刀の専門サイト
日本における合戦で最初に鉄砲が用いられたと言われているのが、1549年(天文18年)の「黒川崎の戦い」。これを皮切りに、合戦における鉄砲の存在感は大きくなっていきます。
合戦の準備「合戦の兵器 ~鉄砲・大砲・行天橋~」/【刀剣ワールド】刀剣・日本刀の専門サイト
日本初の銃を使った戦い
1549年(天文18年)、薩摩(現在の鹿児島県)で起こった「黒川崎の戦い」だとされています。
火縄銃とは/【刀剣ワールド】刀剣・日本刀の専門サイト
前装銃の使用は、欧米では南北戦争頃まで。我が国でも幕末までですが、維新以降は専ら猟銃として使用されました。
理解に先立ち/日本前装銃射撃連盟
なお、欧米諸国以外で、16世紀より銃器を大規模に生産し、運用し、かつ輸出するまでに至った、際立った歴史をもつ国は世界で日本だけです。
理解に先立ち/日本前装銃射撃連盟
日本でのスポーツ射撃競技のはじまり
スポーツとして親しまれ始めたのは、明治時代に近代的な銃が紹介されてからのことですが、真に射撃競技がスポーツとして盛んに行われる基盤となったのは、大正13年第1回関東学生射撃大会を東京赤羽射撃場で開催したことに始まります。日本では現在約1万人が射撃スポーツを楽しんでいます。特にビームおよびデジタルライフル銃を用いた競技は年令制限がなく、だれでも参加することができます。
競技紹介:ライフル射撃/JOC
1952年ヘルシンキ・オリンピックから射撃に参加
日本がオリンピックに参加したのは戦後の1952年第15回大会(ヘルシンキ)で、コーチは前日本ライフル射撃協会会長安齋實、選手は猪熊幸夫唯一であったが、ライフル伏射種目で参加人員139名中31位であった。以来1980年のモスクワ大会を除き毎回連続参加している。
オリンピック参加史/日本ライフル射撃協会
それはちょっと……クレー射撃の起源
なお、クレー射撃で使用する「散弾銃(ショットガン)」の起源は1600年代とされ、その後、鳥などの狩猟用に発達する。
射撃競技の起源| 最古の大会は500年以上前/Olympics
最初は生きたハトを撃ち落としていた……。
クレー射撃の起源は、18世紀後半ヨーロッパの貴族が、当時王族しか楽しめなかった狩猟を模して、標的として鳩を放し、撃ち落としたものが始まりといわれています。
知ってる?色々なスポーツのルール・トリビア ~クレー射撃編/ミズノ発見隊.2018
ライブ・ピジョン・シューティング(Live Pigeon Shooting)
1900年に開催されたパリ五輪では、ピジョン・シューティング(ハト撃ち競技)が行われており、金メダルに輝いたのはベルギーの選手で、21羽を撃ち落としている。
【動物の不思議】平和の象徴21羽を撃ち殺して金メダル/週刊実話web.エキサイトニュース.2018
全体では約300羽のハトが犠牲となり、あとには血と羽が散乱する現場が残ったという。
五輪の歴史を彩った10の「変わった」競技とは/CNN.co.jp.2012
平和の象徴をどれだけ撃ち殺せたのかを競うのは、さすがに非難が殺到した模様。五輪で生きたハトが的にされたのは、後にも先にもこの大会だけである。
【動物の不思議】平和の象徴21羽を撃ち殺して金メダル/週刊実話web.エキサイトニュース.2018
ハトの代わりに皿(クレー)を使いはじめた
さてその鳩撃ちは貴族間で広く流行ったことで、深刻な鳩不足になったという。さらに米国の動物愛護団体からの圧力もあり、鳩の代替えを見つけなくてはならなくなった。そこで生まれたのがガラス玉で、時期はバファロー・ビルのウエスタン・ショーにも使われていたので、おそらく1860年以降ではないかと思われる。
ファクトリー訪問 – 梅津クレー製作所/SPORTS GUN
1870年頃には射撃をより難度の高いものにするため、薄い皿状の標的が考え出された。この粘土質の焼き物の標的は、よく焼けていないと脆く、焼けすぎると固くて弾が当たっても割れないものだった。
第5回 クレー射撃 井上恵選手 (1/2) – アスリートメッセージ/JOC
1880年代になって、イギリスのマッカスキーがほぼ現在使われているのと同様の材質の標的(クレー)を考案し、1885年ニューオリンズでこの標的を使った最初のトラップ競技会が行われた。
第5回 クレー射撃 井上恵選手 (1/2) – アスリートメッセージ/JOC