東京オリンピック物語(18)──奇跡!ブルーインパルスが空に描いた幻の五輪

東京オリンピック物語(18)──奇跡!?ブルーインパルスが空に描いた描いた五輪

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1964 Blue Impulse

ブルーインパルス

GE Japan/YouTube

その日、人類は初めて空に五輪を描いた

 昭和39年10月10日に行われた1964年東京五輪の開会式で、航空自衛隊のブルーインパルスが披露したアクロバット飛行(展示飛行)は、その飛行技術の高さを世界に示す絶好の機会となった。

世界に誇るブルーインパルス 64年東京五輪、大きな感動 (1/2ページ)/SankeiBiz.2015

午後3時すぎ、5機の編隊は機体の後尾から青、黄、黒、緑、赤色のスモークをはき出し、快晴の大空に鮮やかな五輪のマークを描いた。

世界に誇るブルーインパルス 64年東京五輪、大きな感動 (1/2ページ)/SankeiBiz.2015

5つの輪を飛行機で描くというのは前例がないアトラクションで、開会式が全世界で衛星生中継されていたこともあり、ブルーインパルスは日本のみならず、世界にも知られることになりました。

大空を「希望」で彩るブルーインパルス 長野1998大会の記憶、2020年へ紡ぐ思い/Olympics.2019

その時の機体はF86戦闘機

North American F-86F Sabre ’02-7966 / 966’

 64年東京五輪の開会式で飛んだブルーインパルスの使用機は「F-86F」と呼ばれる機体だった。

2つの東京五輪支えた77歳男性のボランティア物語「人のお世話にならず人のお世話したい」/THE ANSWER.2021

伝説を5人のパイロット

 当時の1番機は松下治英さん(82)、2番機淡野徹さん(76)、3番機西村克重さん(77)、4番機船橋契夫さん(故人)、5番機藤縄忠さん(76)。それぞれ青、黄、黒、緑、赤の輪を担当した。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM

プロジェクトはオリンピックの一年前に開始

 世界最高峰の操縦技術を誇り、航空自衛隊の中でも花形とされるブルーインパルス(第11飛行隊)。戦後日本で国民行事に花を添えてきた彼らのもとに、開会式での祝賀飛行が命じられたのはオリンピック前年 1963年のことだった。

サタデープラス 1964東京五輪 ブルーインパルスの名飛行は“土砂降り”のおかげ!?/毎日新聞.2018
国会議員「源田実 」の悲願!

オリンピックの開会式にブルーインパルスを飛ばせることは、自らも昭和のはじめ、日本初の編隊アクロバット飛行チーム「源田サーカス」のリーダーをつとめた源田議員の悲願だった。

1964年東京五輪の開会式で「ブルーインパルス」を指揮した元「紫電改」の戦闘機乗り/現代ビジネス | 講談社.2021

 死線をくぐり、死を目の当たりにしてきたパイロットたちが、戦後になってなお命知らずの曲技飛行に挑んだことには、きっと深い意味がある。そう思わせたのは「ブルーインパルス」命名の経緯だ。

東京五輪と自衛隊単なる曲技飛行チームではない「どんな困難も乗り越えられる」ブルーインパルスのメッセージ/iza.2021

 この名は、広島・呉で原爆を体験した隊員が山越に見た「青い閃光(せんこう)」の強烈な印象から名付けられたのだという。

東京五輪と自衛隊単なる曲技飛行チームではない「どんな困難も乗り越えられる」ブルーインパルスのメッセージ/iza.2021

戦争激化により行われなくなっていったアクロバット飛行だったが、それがもたらす国民への好影響・隊員の指揮高揚効果は、戦前 実際にアクロバット飛行を披露していた源田が一番知るところだった。

第三四三空海軍航空隊 / 愛媛県松山市/コトバスエクスプレス
地上指揮官「山田良市 二佐」

源田は、これをオリンピック実行委員会に提案、実施することが決まると、じっさいの飛行にあたっての地上指揮官には山田二佐があたることになった。

1964年東京五輪の開会式で「ブルーインパルス」を指揮した元「紫電改」の戦闘機乗り/現代ビジネス | 講談社.2021

ここでの「地上指揮官」は、開会式が行われる国立競技場の、天皇陛下の天覧席の斜め後ろ、40メートルほど上に設置された箱型の通信室に1人で入り、天候や会場の進行状況もにらみながら、天覧席からベストの形に見えるよう、無線で飛行機に指示を飛ばす役目である。

東京オリンピック開会式の空に五輪を描いた「元戦闘機乗り」たちの夢/現代ビジネス | 講談社.2019

「ブルーインパルスは当時、浜松基地にいて、浜松に関係があるのは教育課、しかもぼくは、その前に浜松でブルーインパルスの飛行隊長をやっていましたから。源田さんも、ブルーインパルスとなるとぼくが出てくることは承知の上で提案されたんでしょう」

1964年東京五輪の開会式で「ブルーインパルス」を指揮した元「紫電改」の戦闘機乗り/現代ビジネス | 講談社.2021

「苦労したのは、五輪のスモークの色をきれいに出すことでした。スモークは、エンジンの排気口にオイルの噴出ノズルをつけて、排気温度で気化した油がふたたび凝固することで煙のように見えるんですが、これに濁りのない色をつけるのは大変だったようです。浜松の整備小隊長が、業者と試行錯誤しながら、やっと開会式に間に合わせてくれました。開会式のタイムスケジュールが大幅に変わることはあり得ないから、ぼくがやることといえば、無線機が一つあるだけの通信室から、タイミングを見て最小限の指示を飛ばすだけです。パイロットのことは全員よく知っていて、技倆を信頼してますから、心配するのは天候ぐらい。それで、本番のときにいちばんきれいな輪が描けた。ぼくもやれやれ、と安心しました。あとで源田さんから褒められた憶えがありますが、飛んだのはパイロットですから、彼らの腕がよかったんです」

東京オリンピック開会式の空に五輪を描いた「元戦闘機乗り」たちの夢/現代ビジネス | 講談社.2019

当初の計画ではまっすぐ飛ぶだけだった

組織委員会はブルーインパルスに開会式の演出を依頼しましたが、「五輪を描く」ことになったのはパイロットの松下治英さんの提案によるものでした。

雨を吹き飛ばした晴天の開会式、ブルーインパルスの五輪は?「いだてん」第46話振り返りと最終回予習/Japaaan.2019

「皆さんもご存じのように、ブルーインパルスは大会の時間に合わせて、球場やグラウンドの横をまっすぐ飛ぶ。最初は、57年前の五輪もそういう依頼だったと思う。まっすぐ飛ぶことは大きな負担でもないものですから『これじゃあなぁ(物足りない)』という話がどことなく湧いてきて、(1番機の)松下さんが言い出したのかな。『空に五輪でも描こうか』と」(西村さん)

“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏/ABEMA TIMES.2021

「机上案を何度か飛んで試した結果、速度二百五十ノット(時速約四百六十キロ)、二Gの荷重倍数で旋回して出来る、直径六千フィート(約千八百メートル)の輪が最適でした。高度は季節風を考慮しつつ一万フィート(約三千メートル)とし、東京都内の各所から見えるようにしました」(松下治英)

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012

前代未聞のチャンレンジに訓練と失敗を繰り返す

 アクロバット飛行を得意とする精鋭たちにとっても前代未聞の挑戦。機体にレーダーがなかった当時、パイロットたちは己の勘だけを頼りに正確な位置とタイミングを守ることが求められた。

サタデープラス 1964東京五輪 ブルーインパルスの名飛行は“土砂降り”のおかげ!?/毎日新聞.2018

(前略)東京五輪スモーク作戦の技術的なハードルは、やはりどう考えても五輪を描くことそのものだったが、編隊長の松下は 悠長にかまえていた。一向に進まない訓練に淡野は焦れていた。

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

「こりゃ大変だよ、なんてみんな言ってるのに、松下さんは計画を作ると、『骨子が決まれば完成したようなもんだ』なんて平然としてるんですよ。『冗談でしょう』って言ったんです。案の定、実際に飛んでみたらぜんぜんうまくいかないの」

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

「五輪の訓練は当初は伊良湖岬沖でしかやりませんでした。基地上空でやろうにも、とても浜松市民にお見せできるような代物 じゃなかったからなんですが、もうそろそろ良かろうと思ってやってみたら、これがひどい出来だった」(淡野徹)

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

 「輪を描くなんて大したことはないと思っていたが、実際に飛んでみると、予想以上に難しかった」と藤縄さん。苦労したのが5機の間隔を一定に保つことだった。間隔がばらばらだと輪が離れ過ぎたり、重なり過ぎたりする。西村さんは「定点で同じ距離を保って、旋回するのがことのほか難しかった」と話す。2人は「前方機との距離は約2キロで点のような存在。レーダーはないので、目測と勘だけが頼り」と口をそろえる。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM
高額のカラースモークの顔料

東京下町の化学メーカーに依頼して開発したカラースモークの顔料も、頻繁に使うわけにはいかなかったと淡野は言う。

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

「もったいなくて色つきのスモークは練習に使わせてもらえなかったんですよ。スピンドル油と混ぜて使うカラー顔料が、なに せウィスキーの『ジョニ黒』と同じ値段だと聞かされて、そんなに高いのかとびっくりした。練習でうまくいかなかったのは、それが原因かもしれない」

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

ブルーインパルス機が煙を出す、スモーク油を十秒間で四リットルほど消費する。その半分が顔料だ。当時、彼らの月給が 約三万三千円のところ、「ジョニーウォーカー黒ラベル」は一本一万円の超高級舶来酒だ。「飛んでは飲み、飲んでは飛ぶ」、 そんな豪快な時代の彼らが値段を聞いて震えあがるのも無理はない。

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

開会式を約二ヶ月後に控えた七月三十一日には航空幕僚監部主催でOOCの幹部らを招き、入間基地の上空で”完成披露”を かねた予行演習を行なった。それまで長期間にわたって発煙油の配合や混合方法、あるいは吐出パイプの太さなどを研究してきた防衛庁技術研究本部第一研究所がその成果を見せる意味もあった。煙の色は、まだできていない黒色以外まずまずだった。ところが関係者はいびつな五輪を見あげ、一様にため息まじりで黙りこんでしまった。

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち/武田頼政.文藝春秋

一度も成功しないまま本番を迎える

 大会組織委員会からアクロバット飛行の打診があったのは開会式の1年半前。メンバーの発案で五輪マークを描くことが決まったが、藤縄さんは「やってみたらとてもじゃないが難しい仕事だった」と苦笑する。目視だけで約2000メートル先の前方機を確認し、一定の間隔を保ちながら同時に旋回するのは、輪を一つだけ描くのとは比較にならないほど難しかった。結局、練習では1回も成功しないまま本番を迎えた。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021
なのに二日酔いで挑んでしまった

ファンにはすっかり有名な話ではあるが、前回のオリンピック開会式での飛行の際、パイロット達は『二日酔いだった』という話がある。

東京オリンピックとブルーインパルス/ヒューマンブリッジ 公式WEBブログ(マガジン)
開会式前日はまさかの大雨……中止だ

ブルーインパルスが埼玉県の入間基地に移動したのは、開会式前日の午後。その後、新橋の第一ホテルに投宿した彼らは、かねてから会合の約束をしていた映像製作会社のスタッフと食事に出かけた。そのとき都心には大粒の雨が降っていた。

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012
ということで皆で飲酒(笑)

「普段でもショーの前日はビールをコップに何杯か“おしめり”程度です。ところがあの日は食事を始める頃にはもうじゃんじゃん降っていて、誰かが『明日は雨だから開会式はノーフライ』と言ってた。じゃあ飛ぶのは閉会式だなと」(淡野徹)

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012

店をハシゴした一行約十人が、日付もかわった午前一時をとうに過ぎておでん屋を出たとき、まだ雨脚は激しかった。

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012

本番当日は絶好の開会式日和!!!

 64年10月10日。目が覚めると窓の外には、前日の大雨がうそのように青空が広がっていた。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

「おい大変だ、晴れてるぞ!」

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012
急いで飛行場へ!

 前日は大雨。式は中止になると思い込み深酒をしたが、目が覚めると雲一つない青空だった。松下さんが慌てて仲間を起こし、駐機先に向かった。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM

「これは成功させなければ」。全員に緊張感が走った。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

 本番は「午後3時10分20秒」とタイミングを細かく指定され、世界中にテレビ中継されるという重圧ものしかかった。

大空に描いた五輪に思い馳せブルーインパルス元操縦士・藤縄さん/タウンニュース.2020

西村さんは「搭乗前に機体を点検しながら、失敗は許されない、世界に見せないといけないという気持ちでいっぱいだった」と振り返る。藤縄さんも「前方機と2キロの距離を保ち、どうやって失敗しないで輪を描くか頭の中でイメージし、飛行場に着く前に覚悟を決めた」と話す。

色あせぬ五輪飛行の記憶=64年開会式から55年-ブルーインパルス/nippon.com.2019

車で基地に移動した彼らは、戦闘機の操縦席に収まりエンジンを始動し、酔いを醒まそうと、冷たい酸素を思いきり吸いこんだ。大らかな時代の話である。

東京五輪開会式で空に描かれた五輪マーク 本番で初めて成功/NEWSポストセブン.2012

上空で待機するも予定時刻が遅れていく

 5色の煙を吐き出す時刻は、会場の国立競技場に聖火が点火されハトが飛び立った後の午後3時10分20秒。神奈川・江の島上空で旋回して待機したが、予定はずれ込んだ。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM

 当日は進行が遅れ、神奈川・江の島上空で待機が続いた。リーダーの松下さんは、ラジオの実況を聞きながら出発のタイミングを図る。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

待機していた江ノ島上空から目的地上空に到達するまでは5分ほど。

大空に描いた五輪に思い馳せブルーインパルス元操縦士・藤縄さん/タウンニュース.2020

前日の雨で空気中のちりは洗い流され、遠く競技場のグラウンドが見えていた。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM
神業!完璧なタイミングで到着

松下は機内でラジオ放送を聞いていて、アナウンサーが「最終ランナー坂井選手が今、ゲートから入場してきました」というタイミングで、の島上空から国立競技場近くの赤坂見附の上空へ向かっていった。

オリンピック パラリンピックのスゴイ話 はじめて物語編(p.132)/大野 益弘.ポプラ社.2020

「レッツゴー」。ちょうど会場でハトが放たれ、観客の視線が向かったその先に、5機の編隊が姿を現した。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

1964では、ブルーインパルスの五輪描画開始は15時10分20秒に設定されていた。定時定点到達は航空自衛隊のお家芸ともいえる飛行技術であるが、そのTOT(Time Over Target=目標到着時刻)が式典の進行によって遅れることは当然想定されることだ。地上からその遅れを無線連絡して時間調整が行われるが、松下治英編隊長がNHKラジオの実況中継を機上で聞いて進入のタイミングを計った時間調整は草創期のブルーインパルスによる職人芸であり神技だったと言える。


ブルーインパルス「六人で描く五輪」/防衛日報デジタル.2021

奇跡!!本番で初めて成功した!!

開会式の入場行進が予定より遅れるといったアクシデントもあったが、5機が描いた五輪は、これまでになく美しく、タイミングも申し分なかった。

大空に描いた五輪に思い馳せブルーインパルス元操縦士・藤縄さん/タウンニュース.2020

「イチかバチか。うまくいくか分からなかった」。目と勘だけを頼りに隊形を整える。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM

 「スモーク・ナウ」の合図と共にそれぞれが五色の煙を出し、一気に旋回。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

輪を描いている最中、メンバーは自分で輪を見ることができない。そのため、成功したかどうかはわからない。

オリンピック パラリンピックのスゴイ話 はじめて物語編(p.132)/大野 益弘.ポプラ社.2020
「パーフェクトだ」

スタッフから無線が入る。「パーフェクトだ」。

秋空に描いた五輪 【リメンバー1964】/JIJI.COM

描き終わった後、5機はいっせいに上昇した。そのとき 5人はやっと上空から自分たちが描いた五輪のマークを見ることができた。

オリンピック パラリンピックのスゴイ話 はじめて物語編(p.132)/大野 益弘.ポプラ社.2020
ブルーインパルスのパイロットはこの時のことを

松下はその瞬間、恥をかかなくて本当によかったと肌をなでおろしたという。

オリンピック パラリンピックのスゴイ話 はじめて物語編(p.132)/大野 益弘.ポプラ社.2020

描き終わって下を見ると、見事な五つの輪が目に入った。「やったー」。酸素マスクの中で何度も快哉(かいさい)を叫んだ。「お客さんがみんなこっちを見ていた。パーフェクトだったのでは」。西村さんは照れながら振り返る。

五色の大輪、再び成功を 64年大会パイロット―東京五輪/JIJI.COM.2021

「1機で空に円を描くことは難しくないが、5機で一緒になって、一点も狂わず重ねて正確に描くことが難しい。当時、入間(基地)に帰って、飛行機の整備士たちに祝福されてほっとした。みんなに『恥をかかせずに済んだ』と思った」(西村さん)

“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏/ABEMA TIMES.2021

「地上で指揮を取っていたパイロットから『うまくいった』という報告が無線で入りました。そこで本番でちゃんと綺麗にできたんだと知って、本当にうれしかったですね。マスクの中で大声を上げて『うまくいったぞ、成功した』と叫びました」(藤縄さん)

“五輪飛行”1964年以来57年ぶり 元パイロットが明かす当時の舞台裏/ABEMA TIMES.2021
日本の戦後復興の証として語り継がれる

大役を果たした5機は基地に戻る途中、渋谷など山手線をなぞるように飛行。アピールするかのように時折スモークを引いた。

色あせぬ五輪飛行の記憶=64年開会式から55年-ブルーインパルス/nippon.com.2019

成功は日本の戦後復興も印象づけた。戦時中、藤縄さんは栃木県に疎開。西村さんは父親の仕事の関係で旧満州で暮らし、終戦後、苦労して引き揚げた。西村さんは「五輪飛行の成功を通じて復興を果たした日本を見てくださいという気持ちにもなった」と話す。

色あせぬ五輪飛行の記憶=64年開会式から55年-ブルーインパルス/nippon.com.2019

 抜けるような青空に描かれた五輪マークは競技場だけでなく新宿、渋谷さらに銀座あたりからもはっきり見え、道行く人はみな仰ぎ見て「おおっ!」と声をあげた。拍手する人も。1964年10月10日、第18回東京オリンピックの開幕に日本中が湧き立った。

【Tokyo1964秘録】各国入り乱れた閉会式は東京から恒例に 日本選手の行進に「戦後復興」の足取りを感じた /zakzak.2020
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昭和39年、東京オリンピックで大空に五輪マークを描いてデビューしたブルーインパルス。26年ごしの取材でアクロバット飛行チームの栄光と苦悩の歴史を余さず描く。7万人が目撃した浜松基地航空祭の墜落事故の秘められた核心、そして命名にまつわる原爆との因縁とは?限界を超えるアクロバットに命をかけた男たちの全軌跡。(「BOOK」データベースより)

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