
東京オリンピック物語(13)──「世界に映像を届けるため……」人類史上初!宇宙を舞台にした国家プロジェクトが始動!!
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全世界に衛生中継
1964年(昭和39年)10月の東京オリンピックに間に合わせるため、4月より急いで準備を開始して、電波研究所は代々木より鹿島に至るマイクロ中継および鹿島支所の宇宙通信施設を中心とした送受信を担当し、放送協会技術研究所は映像端局装置として正極同期ノンリニヤエンファシス方式によるSN比改善、フィールド内挿方式による帯域圧縮などの新しい技術を開発した。また日本電気株式会社は鹿島支所の10mパラボラをはじめ送受信設備などの製作ならびに実験を担当した。
シンコム衛星によるオリンピック・テレビ中継の成功/発見と発明のデジタル博物館
KDD茨城宇宙通信実験所
アメリカでは1962年、通信衛星の「テルスター衛星」と「リレー衛星」が相次いで打ち上げられましたが、その打ち上げ計画に合わせて国際電信電話㈱研究所は宇宙通信設備を茨城県十王町に建設しました。直径20mの「おわん」形パラボラアンテナをはじめ、人工衛星を追いかける追尾装置、6ギガヘルツの大出力広帯域送信装置、4ギガヘルツの低雑音高感度受信装置といった宇宙通信実験設備を純国産技術で完成させました。
宇宙通信設備の建設と受信/送信実験の成功/発見と発明のデジタル博物館
当初の地球局建設予定地は,国有地の払い下げを受けていた茨城県神栖村(現在の鹿島郡神栖町)であったが,NTTの地上マイクロ波回線との干渉の懸念が生じたために,全国数箇所での干渉計算ならびに実地測定を含む綿密な検討を行い,最終的には,茨城県高萩市に接する十王町の国有地が選ばれた.
日米初のテレビ衛星中継 236(46)/村谷拓郎.J-Stage.2015
今のさくら宇宙公園!!
KDDIの衛星受信施設はKDDI山口衛星通信センターに集約されたことから2007年にKDDI茨城衛星通信センターの役目は終了しました。
「さくら宇宙公園」観桜の名所。巨大パラボラアンテナと天の川のコラボレーションでも人気/pixpot
その後、この土地は高萩市と日立市に無償譲渡され、高萩市側の土地は高萩市衛星通信記念公園(愛称:さくら宇宙公園)として整備され、観桜の名所となって生まれ変わりました。
「さくら宇宙公園」観桜の名所。巨大パラボラアンテナと天の川のコラボレーションでも人気/pixpot
通信衛星「テルスター2号」の追尾実験に成功
1963年7月7日午後、追尾用パラボラアンテナで、アメリカの通信衛星「テルスター2号」の追尾実験が行われました。
五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ/テレ朝news.2021
安定した追尾が行われ、軌道についての完全な記録もとれました。
五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ/テレ朝news.2021
実験は成功しました。
人類最初の静止衛星「シンコム2号」の打ち上げ
米国の最初の静止衛星「シンコム1号(Syncom 1)」を目的に、1963年02月14日に打ち上げたが、無線機の故障で1日で連絡を絶ってしまった。
世界で最初の静止衛星「シンコム2号」を打ち上げた。/毎日が記念日 | Time-AZ
そこで、約5ヶ月後の1963年07月23日にケープカナベラル空軍基地(Cape Canaveral Air Force Station)から、米国の最初の静止衛星「シンコム2号(Syncom 2)」を打ち上げた。
世界で最初の静止衛星「シンコム2号」を打ち上げた。/毎日が記念日 | Time-AZ
シンコム2号は、電話やテレビ放送の中継を行う通信用の試験衛星で、300回線の通話を処理できる能力があったそうです。
7月26日 世界初の静止衛星「シンコム2号」の打ち上げ(1963年)/現代ビジネス | 講談社.2019
完全に静止することに失敗……。
静止衛星とは、地上から見ると衛星がいつも同じ位置に止まって見える人工衛星のことをいいます。
衛星移動通信/総務省 電波利用ホームページ
打ち上げ時の軌道の傾きを修正することができず、南大西洋上空で8の字形を描くような軌道をとることになりましたが、電話回線の中継実験に成功し、その後の通信衛星の技術的な基礎が確立されることとなりました。
7月26日 世界初の静止衛星「シンコム2号」の打ち上げ(1963年)/現代ビジネス | 講談社.2019
衛星中継の条件は「シンコム1号」「シンコム2号」の成功だった
(前略)シンコム1号は電気系統の故障で連絡がとだえ、2号は静止に失敗していました。実は、1号から3号がすべて地球の周りに静止すれば、地上波からの衛星中継が実現するはずでした。
〝世界初〟オリンピックの衛星生中継に成功!/福島県
間に合わない!!早急に「シンコム3号」打ち上げを!
世界放送には人工衛星による中継が必要ですが、当時のテルスター衛星やリレー衛星は短時間しか使えないし、静止衛星シンコム2号は大西洋上にあったため日本からは利用できません。
シンコム衛星による東京オリンピックのテレビ中継/発見と発明のデジタル博物館
開会式が7カ月後に迫った1964年3月に郵政省はNASA(米国航空宇宙局)に対して、これから太平洋上に打ち上げられる静止通信衛星シンコム3号を使って衛星伝送を行いたい旨申し入れた。
テレビ放送技術の進歩とオリンピック【オリンピック・パラリンピックのレガシー】/笹川スポーツ財団.2021
オリンピックの中継に使われる通信衛星「シンコム3号」が1964年8月19日にアメリカ・フロリダ州のケネディの宇宙基地から打ち上げられ、世界初の静止衛星として赤道上空の最終静止点に到着すると、9月12日夜11時から翌朝にかけて、「ループテスト」が実施されました。
五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ/テレ朝news.2021
郵政省電波研究所でテスト
ほぼ完成していた茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)にある郵便省の電波研究所鹿島地上局から試験信号を送り、衛星を中継して戻ってくるかを確認するのです。
五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ/テレ朝news.2021
テストの成功で、「東京オリンピックの宇宙テレビ中継ができることが確実になった」と、当時のニュースは伝えています。
五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ/テレ朝news.2021
<問題発生>なんと「シンコム3号」は電話通信専用だった!?
この衛星は元々電話回線用に開発されたもので、帯域幅が狭く、送信パワーも小さく、広帯域のテレビ信号の伝送には向いていなかった。その対策として、正極同期ノンリニアエンファシス法が開発され使われた。
先端技術アラカルト今昔・うらおもて ~第4話オリンピックと共に進歩・成長したテレビ(その1)~/日黒会ウェブマガジン
シンコム3号を使っての伝送テストはオリンピック開会式の2週間前にようやく始まり、使用に耐えうるとの結論が出たのは10月2日、開会式のわずか8日前というぎりぎりのタイミングであった。
テレビ放送技術の進歩とオリンピック【オリンピック・パラリンピックのレガシー】/笹川スポーツ財団.2021
日米間で静止衛星を用いた五輪テレビ中継の公開放送テストが7日行われ、成功した。リハーサルの聖火や、五輪会場での米水泳チームの練習風景が、全米のテレビで鮮明に映し出された。米国側から「受けた映像は優秀だった」との報告があった。東京が「テレビ五輪」の幕を開いた。
聖火が東京到着 1964年10月7日 「再現日録 東京五輪の10月」(7)/47NEWS.2020
東京オリンピック衛星中継は大成功!!
衛星中継本番では、放送センターから小金井の電波研究所に送られ、筑波山中継所を経て鹿島地上局から太平洋上衛星に送られた。アメリカ側ではロサンジェルス近郊の地上局で受信し、ATTの国内回線でニューヨーク州バッファローに送られ、米国内はNBC、カナダはCBCから放送された。ここで収録されたVTRテープはロンドン、パリに空輸され、EBUのネットワークで欧州各国でも放送された。このようにして行われた衛星中継は、期間中を通し安定し、画質も良く、史上初のオリンピック衛星中継は大成功に終わり、今日につながるテレビのグローバル化の幕開けとなったのである。
先端技術アラカルト今昔・うらおもて ~第4話オリンピックと共に進歩・成長したテレビ(その1)~/日黒会ウェブマガジン
この大成功のかげにはオリンピックを前にして中継の可能性の検討、シンコム3号の打上げをめぐって米国との幾度かの困難な折衝およびその基になる帯域圧縮技術などの裏付けに大いに預っている。また短時間にパラボラアンテナをはじめ送受信設備その他を製作した熱意はなみなみならぬものがあった。さらにオリンピックTV中継をめぐって寄せられた電波監理局、電電公社、日本放送協会、国際電電をはじめとする国内の諸機関、とくに衛星通信実験実施期間連絡協議会、および米国関係諸機関の活動も特筆すべきものであった。
シンコム衛星によるオリンピック・テレビ中継の成功/発見と発明のデジタル博物館
ケネディ大統領との深すぎる関係

1964年の東京オリンピックでは、米国のNASAが打ち上げた「シンコム3号」がテレビ中継に使われていたが、衛星を使ったテレビ中継を世界的に推し進めたのは米国のケネディ大統領によるところが大きい。
衛星中継 歴史|次の60年へ 躍動するテレビの変遷史 第4回/HH News & reports – ハミングヘッズ.2014
ケネディ大統領の主導で、米国は衛星における国際会議を何度も開催した。
衛星中継 歴史|次の60年へ 躍動するテレビの変遷史 第4回/HH News & reports – ハミングヘッズ.2014
「宇宙通信に関する大統領声明」
彼は、1961年7月 「宇宙通信に関する大統領声明」 において、 「すべての国が参加できる単一のグローバル通信衛星システムを実現させよう」と演説し、 全世界で無差別かつ平等に使用できる通信衛星システムを作ろうと提案した。
インテルサットとケネディ大統領/infonet
ケネディの構想は、後の 1964 年に発足した国際電気通信衛星機構 (インテルサット) として結実することとなります。
JFK 夢と悲劇の衛星通信/探検発見 : KDDI 茨城衛星通信センター
テルスター1号「世界初のテレビ・電話の衛生中継が成功」
1962年には,衛星上の中継器で受信電波を増幅して再送信する本格的実験用通信衛星テルスター1号が米国によって打ち上げられ,世界最初のテレビジョン及び電話の衛星中継に成功した。更に,宇宙通信に関する研究,開発が進展し,特に静止軌道への投入技術の確立に伴い実利用への可能性が高まった。
昭和52年版 通信白書/総務省
リレー1号「衛生受信実験がスタート」
日米間においても1963年に通信衛星「リレー1号」を使った初の衛星受信実験が行われるなど大きく進展する。
衛星中継 歴史|次の60年へ 躍動するテレビの変遷史 第4回/HH News & reports – ハミングヘッズ.2014
「日米合同」人工衛星からテレビに信号を送る実証実験
こうして、人工衛星を用いた大陸間通信の実験が始まることになった。 1962年、アメリカは、大西洋上にテルスター1号を、太平洋上にリレー1号を打ち上げる。 これらは地球の回りを約3時間で回る低軌道の周回衛星で、静止衛星ではない。 そして、1963年11月には、このリレー1号を用いて、日米間で第1回の衛星テレビ伝送実験がおこなわれた。
インテルサットとケネディ大統領/infonet
その日は1963年11月23日だった……。
日本時間で11月23日午前5時27分から全国放送された1回目の中継実験では、「NASA」と書かれたテストパターンに続き、カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠の風景が映し出されたという。当初はケネディから日本国民に向けてのメッセージ(録画)が放送される予定であったが、急遽差し替えになったのだ。
あの事件から50年。ケネディ暗殺と東京オリンピックとの意外な関係/Excite エキサイト.2013
日本へ初のテレビ中継は「ケネディ暗殺事件」

2回目の実験中継は午前8時58分に行なわれ、ここで「アメリカ合衆国からの特別プログラムを送ります」との手書きの文字が出されたのち、ケネディ暗殺が報じられた。NHKの放送でありながら、出演したのは大阪・毎日放送のニューヨーク特派員の前田治郎で、その第一声は「日本のみなさま、この歴史的電波に乗せて、誠に悲しむべきニュースをお伝えしなければなりません」というものであった。
あの事件から50年。ケネディ暗殺と東京オリンピックとの意外な関係/Excite エキサイト.2013
ケネディ暗殺のニュースは衛星を経由し米国とほぼ同時に日本に伝えられ、奇しくも衛星を使った日本への初のテレビ中継となった。
衛星中継 歴史|次の60年へ 躍動するテレビの変遷史 第4回/HH News & reports – ハミングヘッズ.2014
逆に日本からアメリカ向けの伝送実験はオリンピックの開催年にまでずれ込んだ。
テレビ放送技術の進歩とオリンピック【オリンピック・パラリンピックのレガシー】/笹川スポーツ財団.2021
KDD茨城宇宙通信実験所が受信……たった3日前にスタートしたばかりだった
この中継を日本側で受信したのは、茨城県十王町(現・日立市)に開所したばかりのKDD茨城宇宙通信実験所(後のKDDI茨城衛星通信センター)だった。
日本の衛星通信の要 山口衛星通信所/Time&Space – KDDI
同実験所はその3日前に開所したばかりだったというから驚く。
あの事件から50年。ケネディ暗殺と東京オリンピックとの意外な関係/Excite エキサイト.2013
この衝撃的なニュースは,直径20メートルの第1アンテナが受信した。主反射鏡と副反射鏡からなる「カセグレン型アンテナ」として世界で初めて作られたものだった。当時,通信衛星はまだ静止衛星ではなかったので,技術者が常に軌道計算や電波を探知して衛星を追跡し,パラボラ・アンテナを動かしながら電波をやりとりしたという。
[通信のある風景]桜並木の奥にそびえる巨大なパラボラ・アンテナ/日経クロステック.2006
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