東京オリンピック物語(12)──世界に広がる日本初のレガシー「ピクトグラム」

東京オリンピック物語(12)──世界に広がる日本初のレガシー「ピクトグラム」

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Pictogram

ピクトグラム秘話

Olympics/YouTube

トイレマークや非常口マークなど、シンプルなデザインの絵文字で記号化されたサインを「ピクトグラム」と呼ぶ。駅や空港などの公共空間で、文字を使わずに道案内や注意表示を表しているピクトグラムは、私たちの生活にも馴染み深い存在だ。しかし、これらのマークが誕生したきっかけが、1964年の東京オリンピックであることはご存知だろうか。

1964年 東京五輪を支えたデザイナーたちの“おもてなし”:「ピクトグラム」は世界を繋ぐ/U-NOTE.2016

多くの外国人が詰めかけることが想定されたオリンピックでは、「言葉の問題」が心配されていました。公共交通機関などに英語や中国語、韓国語の表示やアナウンスが当たり前になった現在とは違い、外国人を想定した用意はほとんどなく、オリンピックの応援にやって来た外国人にどう対応するかが問われたのです。

オリンピックは日本を変えるの? 1964年東京オリンピックが遺した“レガシー”/dメニュースポーツ

東京五輪では通訳をどうするかも難題だった。教育ジャーナリスト、小林哲夫さんの「大学とオリンピック 1912―2020」(中公新書ラクレ)によると、組織委は、競技運営のための通訳は長期的な訓練を必要とすることから比較的時間にゆとりがある大学生に、それ以外は一般公募することにした。

【ボクらの祝祭】「おもてなし」できず残念 鹿間孝一/産経新聞.2021

学生通訳は英語とフランス語が対象で、競技別に18の大学に割り振られて、約300人が選ばれた。プレオリンピックや研修合宿で競技の知識も身に付けた。

【ボクらの祝祭】「おもてなし」できず残念 鹿間孝一/産経新聞.2021

学生にとって外国人と接して生きた外国語を話せるのは貴重な機会だった。卒業後に国際会議などの同時通訳として活躍した人もいる。こうした人材も大会のレガシーといっていい。

【ボクらの祝祭】「おもてなし」できず残念 鹿間孝一/産経新聞.2021

さかのぼること4年前……。デザインの国際会議が開催

東京大会はアジアで開催された初めてのオリンピックである。この開催4年前国内外におけるデザインの転換期となる重要な会議が開催された。

知的障がい児者の理解度を包括したピクトグラムのユニバーサルデザインに関する研究(p.21)/工藤 真生.12102甲第7001号.筑波大学.2014

1960年5月7日から16日まで、27カ国、二百数十名のデザイナー、建築家を集めて東京・産経ホールなどで開催された。勝見勝、坂倉準三、柳宗理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となり、デザインの分野の違いを超えて討論を行ない、世界のデザイン界との国際交流の場を生み出そうという意図から開催された大規模な会議。グラフィック、インダストリアル、環境の三分野に分かれて討議が進められた。建築、グラフィック、インダストリアル、クラフト、インテリアの各分野のデザイナーたちが分野を超えた横の繋がりと国際的な繋がりをもつ初めての機会であり、日本のデザインを海外に知らしめる威信をかけたイヴェントでもあった。

世界デザイン会議(1960)/現代美術用語辞典 – アートスケープ

ここでは早急に進めるべき課題として国際共通認識としてのデザインが課題に挙げられた。当時はまだ道路標識や空港内のピクトグラムが国や文化圏で異なり、統一されていなかった。一方で、国際交流が増え言語や文化に依存しない「共通認識」のデザインをシステムとして構築することが希求された。

知的障がい児者の理解度を包括したピクトグラムのユニバーサルデザインに関する研究(p.21)/工藤 真生.12102甲第7001号.筑波大学.2014

この会議で初めて日本において「デザイン」の語が社会的認知を得、その後のデザイナーの活躍の場を広げていく契機となる。各分野の相互協調の実績は、64年の東京オリンピックで生かされることになる。

世界デザイン会議(1960)/現代美術用語辞典 – アートスケープ

グラフィックデザイナー「亀倉雄策」の発案

インターネットミュージアム/YouTube

(前略)東京オリンピックでピクトグラムを「使えばいい」と組織委員会に示唆したのはグラフィックデザイナーの亀倉雄策だった。東京大会の大会マーク、さらに公式ポスターの作者で、日本デザイン界を代表する人物である。

フォトニクスの粋を集めて支える《NTT〜光の最新実用技術:前編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(1)/みんなの試作広場 | みんさく.2020

グッドデザイン選定マーク(Gマーク)や「NTT」のロゴなど一般に広く浸透したデザインも亀倉の作品だ。その作風は「シンプルで明瞭、力強い」。追求したのは、国境を越え訴えかけるデザインだった。

亀倉雄策/NHK人物録
東京オリンピック誘致でも活躍

1959年5月26日――1964年の第18回夏季オリンピック開催地を決める第55次IOC総会が、ミュンヘン体育館で執り行われた。

亀倉雄策が東京五輪で示した、デザインの力。/宣伝会議

ウィーン、ブリュッセル、デトロイトとともに立候補していた東京のプレゼンテーション資料の表紙を制作していたのが、日本を代表するグラフィックデザイナーの亀倉雄策だ。

亀倉雄策が東京五輪で示した、デザインの力。/宣伝会議
後世に残したレガシー

「東京オリンピックで後世に残ったデザインがふたつある。僕がやったポスターとそれからピクトグラムだ。だって、それまでは日本国中、どこへ行っても便所、手洗い、厠と書いてあったんだよ。それがあの絵文字のマークにがらっと変わったんだから、それは大した仕事だ」

フォトニクスの粋を集めて支える《NTT〜光の最新実用技術:前編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(1)/みんなの試作広場 | みんさく.2020
ピクトグラム制作に勝見勝を登用する!

 慧眼だった亀倉はピクトグラムの価値をいち早く認め、統括者としてデザイン評論家の勝見勝を登用した。勝見は田中一光、杉浦康平、福田繁雄といった俊英を集め、ドリームチームを結成。ピクトグラムをデザインさせたのである。

フォトニクスの粋を集めて支える《NTT〜光の最新実用技術:前編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(1)/みんなの試作広場 | みんさく.2020

勝見勝の指揮の下プロジェクトは始まった!

東京五輪ではデザインエディターであった勝見勝(かつみ まさる)がプロデューサー的な立場になり、指揮をとりました。

第9回 デザインで見るオリンピック 前編/OPENERS.2015

「日本人にフランス語は絶望的に通じない。英語もかなり危ない。そして外国人には日本語がほぼ通じない。それでも競技と必要最小限の施設は分かるように表示しないといけなかった」と東京五輪アート・ディレクターを務めた美術評論家の勝見勝さん。

始まりは64年TOKYO 言語を超えたピクトグラム/Nikkei Style.2016
家紋からインスピレーション

この時に意識したのが日本で古くから用いられてきた家紋である。シンプルなかたちを通して明確なメッセージを伝達できる家紋を参照することで、シンボルマークを「日本人の最も得意とする分野」として位置づけようとしたのである。勝見にとって最優先すべきだったのは、デザイナーという特殊な専門家だけに理解できるような、いわゆるクオリティの問題ではない。多数の人間が共有できるデザインを確立することこそが重要だったのだ。その意味でも、既に社会の中に定着している家紋に再び光を当てることには大きな意味があった。

展覧会報告:勝見勝 桑澤洋子 佐藤忠良 (p.106)/東京造形大学

“競技シンボル”を一人で作り上げた「山下芳郎」

紋章の美しさと訴求力は絵画のような作者の自己表現によるものではない。1200年余の歴史の中で全ての日本人は一生で最大の慶びと悲しみに際して紋付を身にまとって正装する。そして父母や先祖に対する感謝と誇りの気持ちを新たにする。作者不明の審美性はすべてそのモチーフ(題材)のもつ造形美を最大限表現した結果によるものだ。形の無駄をすべて排して単純化しテーマの本質を浮き彫りにする「無私」は容易でない。一職人である上絵師が精魂傾けなければ出来ることではない。東京五輪で競技種目を一人でデザインした山下芳郎はそれを遣り遂げた。

U&C ユニバーサル・コミュニケーションデザインの認識と実践/フォーラムエイトホームページ

ひとつの植物などを簡素なマークにして家柄を表現する。海外の家紋は逆に過剰な装飾が施され、ぱっと見では分からないですから。東京五輪のピクトグラムは、国際的なデザインのはじまりといえます。

第9回 デザインで見るオリンピック 前編/OPENERS.2015
……残すは施設シンボル

競技種目については早くに作られましたが、忘れられていたのが施設に関する表示でした。

2019年11月30日「東京五輪とピクトグラム」/FM FUKUOKA.2019

「“施設のシンボル”を作るために!」ドリームチーム結成!!

真夏の熱帯夜、元赤坂の木々からセミの鳴き声が聞こえる。64年東京五輪組織委員会があった旧赤坂離宮の地下会議室に下りると、有名デザイナーの先輩たちが、王宮のような豪華なイスに座り、円卓を囲んでいた。

ピクトグラムは64年東京五輪で生まれた共通言語/日刊スポーツ.2017

総勢11名。当時集まっていたメンバーが後に手がける作品は、誰もが知るロゴデザインや芸術作品ばかり。今やデザイン・アート界の巨匠として知られる面々だが、多くは当時、20~30代だ。

日本発「ピクトグラム」が世界に通用した理由を、初代デザイナーに聞く ── 「信念を持たないことが信念」/Business Insider Japan.2021

後に無印良品のトータルデザインなどを手がけたグラフィックデザイナー田中一光(02年に71歳で死去)、後の世界的美術家・横尾忠則(80)らそうそうたメンバー。デザイン評論家・勝見勝(83年に74歳で死去)が自ら電話で声を掛けた、若手クリエーター11人だった。

ピクトグラムは64年東京五輪で生まれた共通言語/日刊スポーツ.2017

最年少の二十五歳だった版画家の原田維夫(つなお)さん(80)は「憧れの大先輩ばかり。そこに呼ばれて誇らしかった」と振り返る。

競技ひと目で 1964の心 東京五輪ピクトグラム/中日新聞.2019

「勝見さんだから、これだけのメンバーを集められた。みんな忙しいから集まるだけで大変だった」と、デザイン室コーディネーターを務めた道吉剛さんは話す。道吉さんは70年大阪万博にも関わることになる。

始まりは64年TOKYO 言語を超えたピクトグラム/Nikkei Style.2016
「見てすぐにわかるデザイン」

 最初の会議では、勝見先生からまず次のような挨拶がありました。

64年東京五輪・ピクトグラム作成メンバーが明かす誕生秘話 「著作権放棄」の英断で世界中に浸透/デイリー新調.2021

「皆さんに集まっていただいたのは、会場でのシンボルを考えてもらうためです。オリンピックには日本語だけではなく、英語が分からない外国人もたくさん来る。だから、ひと目見てその場所が何か分かるようなアイデアを出してほしい」

64年東京五輪・ピクトグラム作成メンバーが明かす誕生秘話 「著作権放棄」の英断で世界中に浸透/デイリー新調.2021

制作秘話

会議室のテーブルには、山積みのわら半紙と、2Bの削られた大量の鉛筆。当時はパソコンはなかったため、すべて手作業だった。

日本発「ピクトグラム」が世界に通用した理由を、初代デザイナーに聞く ── 「信念を持たないことが信念」/Business Insider Japan.2021

(前略)「施設のピクトグラム開発」の仕事は、完全なボランティアで行われた。無償で毎週1回集まり、デザインの素案を考えていく。

日本発「ピクトグラム」が世界に通用した理由を、初代デザイナーに聞く ── 「信念を持たないことが信念」/Business Insider Japan.2021

週に数回、普段の仕事を終えた後の午後7時ごろに集まった。弁当が出るだけの無給奉仕で、39種類を編み出した。

東京五輪のピクトグラム、64年大会が先駆け 若手美術家ら作成/日本経済新聞.2019

勝見氏が1日2つずつ、「トイレと電話」といったテーマを用意し、みんなが一斉に同じピクトグラムのデザイン素案を描いていく。1つのテーマが終わると、担当者がサッとわら半紙を回収し、お弁当タイムをはさんで、もう1テーマが始まった。

日本発「ピクトグラム」が世界に通用した理由を、初代デザイナーに聞く ── 「信念を持たないことが信念」/Business Insider Japan.2021

原田さんによると「サウナ」のデザインが特に難しかった。「あぐらをかいた人の後ろで湯気が立ち上る絵を描くと『不動明王みたい』とみんなに笑われてね」。ライバル同士が和気あいあいとアイデアを出し合った。「日の丸を背負う気持ちで団結していた」

東京五輪のピクトグラム、64年大会が先駆け 若手美術家ら作成/日本経済新聞.2019
何度も試行錯誤

 見ただけでわかるのか。大学生を使って市場調査し試行錯誤が続いた。

【オリンピズム】64年東京のいまを歩く(23)競技、施設…わかりやすく絵文字にした/産経新聞.2015

 トイレは男女を表す人型を、さらに青とピンクで色分けした。困ったのはシャワー。当時は存在も知らない人間ばかり、結局、ジョウロから落ちる水の下に人の横側で表した。迷子センターは泣いている女の子。「何で男ではなく女の子なのかと文句もあった」

【オリンピズム】64年東京のいまを歩く(23)競技、施設…わかりやすく絵文字にした/産経新聞.2015

著作権は放棄?全世界へ広がったピクトグラム

それまで必死にピクトグラム創りに取り組んだにも関わらず、なんと若手デザイナー達は反対することなく、進んで著作権放棄の署名を行ったという。

1964年 東京五輪を支えたデザイナーたちの“おもてなし”:「ピクトグラム」は世界を繋ぐ/U-NOTE.2016
勝見勝の決断

 当時作られたピクトグラムは、その後、世界中に広まった。その裏には、チームを率いた勝見氏の英断があったと原田氏は言う。

新幹線、トイレのサイン、ホテル… 1964年に生まれたすごいもの/マネーポストWEB.2020

「メンバーが集まる最後の日、勝見先生が『著作権を放棄しよう』と。当時はあまり理解していませんでしたが、後で振り返ると、私たちが考えた施設シンボルが世界中で現在も根付いているのは、勝見先生が著作権を放棄したからこそ。そこまで考えておられた勝見先生は凄いと思います」

新幹線、トイレのサイン、ホテル… 1964年に生まれたすごいもの/マネーポストWEB.2020

これによって今日ピクトグラムは日本だけでなく、全世界で案内表示として広く使われるようになったのだ。また競技種目のピクトグラムは、その4年後に開催されたメキシコオリンピックでも作成され、現在でも各大会に合わせて作成され続けている。

1964年 東京五輪を支えたデザイナーたちの“おもてなし”:「ピクトグラム」は世界を繋ぐ/U-NOTE.2016

ちなみに、このときにデザインされた中で、世界中でもっとも採用されたピクトグラムは「トイレ」のサイン。

おもてなしの結晶ピクトグラム/株式会社FRS.2021
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世界26 か国80 都市のピクトグラム約1000点の写真を収録した図鑑。駅や空港のサインデザイナーである著者が世界で撮影したピクトグラムの写真を項目別、国別に分類し、わかりやすく解説しています。 項目別のページでは、非常口やトイレなどのアイテム別にピクトグラムを分類し、国ごとの表現の違いを一覧できます。また、国別のページでは、イタリアのスリ注意やタイの僧侶用優先席の表示など、その国らしいピクトグラムも登場。ピクトグラムを通して、世界の文化や風習の違いを垣間見ることができます。 ピクトグラムの選定にかかわる専門家がユニークで鋭い視点からピクトグラムを紹介した今までにない一冊です。

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