ラグビー界において伝説的な存在であるリッチー・マコウ。
彼のキャリアは数々の栄光と勝利に満ちており、その名前は世界中のラグビーファンにとっては永遠のアイコンとなっています。
しかし、今回の物語は特別です。これは、リッチー・マコウの輝かしいキャリアのクライマックスへ繋がる挑戦の物語です。
【史上最高のラグビー選手】2011年ラグビーワールドカップ決勝の記憶《リッチー・マコウ②》
Richie McCaw’s New Challenge
リッチー・マコウの新たな挑戦の始まり
リッチー・マコウは、2011年9月24日にイーデン・パークでフランスとの対戦中、ニュージーランド人として初めて国際試合において100キャップを達成しました。
この記念すべき瞬間を迎えた後も、マコウの情熱と野心は衰えることはありませんでした。
マコウはニュージーランド代表チーム、オールブラックスのキャプテンとして、2015年開催のワールドカップでのタイトル防衛を目指す決意を固めました。
そしてそれから4年間、マコウはオールブラックスとしての役割を果たし続け、2015年のワールドカップでのタイトル防衛を目指し、その準備を始めました。
<2012年>マコウの偉業と苦悩
2012年、ニュージーランドのオールブラックスはその伝説的なキャプテン、リッチー・マコウを中心に、圧倒的な強さを示し続け、数々の個人記録とチームの勝利に貢献しました。
- 勝利数の新記録:6月、ニュージーランドはアイルランドを60対0で圧倒。この試合後、マコウはテスト勝利数でオーストラリアのジョージ・グレーガンの記録を上回る94勝を達成しました。さらに、ダニーデンでの南アフリカ戦でテスト100勝目をマーク。これを12の敗北のみで達成するというのは、驚異的な記録であります。
- オールブラックスとしての成功:新コーチ、スティーブ・ハンセンの下で、オールブラックスは2012年に12の勝利、1つの引き分け、わずか1敗のみという素晴らしい結果を残しました。この成果は新しいラグビーチャンピオンシップでも証明され、オールブラックスは100%の勝率で優勝を果たしました。
- 個人賞との接点:2012年、マコウはその年のIRB年間最優秀選手賞の候補として名を連ねました。しかし、最終的には彼のチームメイトであるダン・カーターが受賞しました。
- ライフスタイルの変更:マコウは、グライダーや飛行機の飛行という新しい情熱を探求するため、2012年に6ヶ月のサバティカルを取得しました。これにより、彼はラグビー以外の生活を深く体験することができました。
史上最高のオープンサイドフランカーとしての苦しみ
2012年、リッチー・マコウはオープンサイドフランカーとして、ラグビー史上最高の選手との声が高まっていました。
このポジションは、通常、ブレイクダウンに最初に到達する選手の一人であり、タッチラインから最も遠いスクラムのサイドにバインドします。
マコウの哲学
2008年に、マコウ氏は自身のプレースタイルとフランカーとしての役割について語っています。彼の言葉からは、オープンサイドフランカーとしての深い洞察と戦略が垣間見れます。
- 守備の連携: 「フランカーとしての私の主な役割は、守備面でバックラインと連携して守備がうまく機能するようにすることだ。」マコウは守備の要として、バックラインとの連携を重視し、チーム全体の守備力を高めていました。
- ボールのケア: 「攻撃の最初の段階での私の主な役割は、ボールをケアすることだと思う。」彼は攻撃時においても、ボールの保持と利用に細心の注意を払いました。
- ブレイクダウンでのプレッシャー: 「私は通常、ボールを確実に確保するためにそこにいる最初の人物です。3番目に、私はブレークダウンにプレッシャーをかけて、彼らのボールを妨害し、彼らのボールをひっくり返すように努めます。」ブレイクダウンでのプレッシャーとボールの奪取は、マコウのプレースタイルの特徴であり、これによって相手チームに大きなプレッシャーを与えていました。
マコウのこれらの哲学は、彼がオープンサイドフランカーとして、そしてオールブラックスの一員として、極めて影響力を持つ選手である理由を示しています。彼の考え方とプレースタイルの組み合わせが、チームにとっての大きな武器となり、多くの勝利をもたらしました。
マコウの独自のスキルと進化
リッチー・マコウが2010年に3度目のIRB年間最優秀選手賞を受賞した際の評価は、彼のラグビー界での圧倒的な存在感を示すものでした。
特に、元オーストラリアン・ロック・アンド・アワード会長のジョン・イールズの評価は、彼のキャプテンとしてのリーダーシップ、選手としての実力、そしてスポーツマンとしての姿勢を評価しています。
- 予測の能力:彼自身が考える最も重要なスキルの1つ、それは「プレーを予測する能力」です。この能力によって、彼は試合の流れを先読みし、適切なポジショニングやタイミングでプレーすることができました。これにより、彼は何度も重要な場面で試合を決定するプレーを行いました。
- デビッド・ポーコックからの賛辞:マコウの能力は、同じポジションでプレーするデビッド・ポーコックからも称賛されています。特に、試合の読み方や主審を読む能力は、ポーコックにとってもマコウの優れた点であると認識されています。これは、試合の中で最も重要な要素の一つと言えるでしょう。
- 継続的な進化:マコウのもう一つの大きな強みは、自分自身を再発明する能力にあります。ラグビーのルールや試合スタイルが変わる中で、彼は常にその変化に適応し続けました。2008年の実験法バリエーション(ELVS)や2010年の新しいIRB法の解釈など、新しいルールの導入や変更があるたびに、マコウはその変化を取り入れ、自分のプレースタイルをアップデートし続けました。これにより、彼は長年にわたってトップレベルでのプレーを続けることができました。
このように、リッチー・マコウはその独自のスキルと進化する能力により、世界のラグビー界での名声を築き上げました。
賞賛と批判の間で…。マコウのプレースタイル
リッチー・マコウのプレースタイルは、そのキャリアを通じて多くの賞賛を受ける一方で、批判の的にもなりました。批判の中で、マコウの技術的なプレーと審判との関係の築き方が特に注目を集めていました。
批判と「詐欺師」のレッテル
マコウは、ルールの限界を突くようなプレースタイルで知られ、そのアプローチは同業者の一部から非難されていました。
例えば、元南アフリカ代表監督のピーター・デ・ヴィリエや元オーストラリア代表監督のボブ・ドワイヤーなど、一部の有名な指導者たちはマコウのことを「詐欺師」と呼ばわりしていました。
また、ビクター・マットフィールドのような選手からも批判を受けており、マットフィールドはマコウが審判から特別扱いを受けていると感じていました。
さらに、2011年のラグビーワールドカップ決勝の後、イマノル・ハリノルドキもマコウのプレーに不満を示していました。
審判へのアプローチ
一方で、試合中にマコウが審判と良好な関係を築くやり方は、他の選手やコーチからも賞賛されていました。エディー・ジョーンズやフィル・ウォーのような有名なラグビー関係者も、マコウが審判の裁定にどのように適応しているのか、特にブレークダウンでのプレーの解釈についてのマコウのスキルを評価していました。
マコウ自身も、試合の早い段階で審判の反応を「テスト」し、その後のプレーを調整することの重要性を認識していました。マコウは、このようなアプローチが成功の鍵であると信じていたようで、審判の性格や癖に適応できない選手やコーチを「愚か者」と見なしていました。
チームメイトとニュージーランドのファンの意見
アーロン・モーガーのようなマコウのチームメイトやニュージーランドのファンは、マコウの人気やプレースタイルが、他の選手から特に狙われる原因であると感じていました。
マコウの攻撃的で果敢なプレースタイルは、敵チームに特に嫌がられ、時には反則ギリギリの危険なダーティープレーのターゲットになるリスクを伴っていました。
- 他国の選手からの「安っぽいショット」
いくつかの国際的な選手たち、例えばフィル・ウォー、ジェイミー・ヒースリップなどは、過去にマコウに対して反則とも取れるダーティープレーを行い、非難を浴びることとなりました。これは、マコウが持っている人気によるヘイトや、試合中のプレースタイルにが原因だと考えられています。 - クルセイダーズ時代のマコウの批判
クルセイダーズでプレーしている時のマコウは、同じオールブラックスのチームメイト(特にニーミア・ティアラタやジェリー・コリンズ)からも強く当たられることがありました。これは、マコウのプレースタイルが時に相手選手をイラつかせることがあったからです。
ダーティープレーは成功の証拠?マコウの信念とは?
しかし、マコウは、試合中の出来事はあくまでフィールド内で解決されるべきであり、それを外に持ち出すべきではないと考えていました。
この哲学は、「フィールドで起こったことはフィールドに残る」という言葉に表れています。そして、もし自身がダーティープレーなどを受けるとすれば、それこそが成功している証拠であると考えていました。
世界がマコウ一人に対策を打つ!ハイネケ・マイヤーの賞賛
2012年のラグビー界は、マコウ一人の圧倒的な力に振り回されることになりました。その中で、オーストラリア代表チームのワラビーズの指導者、ロビー・ディーンズとセレクターは独自の策を練りました。
彼らの戦略は、マコウの影響力を弱めるため、フィールド上にオープンサイドフランカーを2人配置するというものでした。この大胆な作戦から、マコウ一人の力をどれほど警戒していたのがが伝わってきます。
そして、その年の9月、ニュージーランドのダニーデンでオールブラックスと南アフリカが激突しました。この試合の後、南アフリカのヘッドコーチ、ハイネケ・マイヤーは公然とマコウを賞賛しました。
彼はマコウを「世界がこれまでに目にした中で最も偉大なラグビー選手」と評価しましした。この言葉は、マコウの偉大なキャリアと力を証明するものとして、ラグビーファンや関係者にとっても忘れ難い瞬間となりました。
<2013年>マコウのサバティカルとその後の戦績
2013年のシーズンを前にして、リッチー・マコウは自身のフィジカルな状態とキャリアの継続性を真摯に考え、重要な決断を下しました。
2015年のラグビーワールドカップに最高の状態挑むため、マコウは2012年の欧州ツアー終了後、6ヶ月の“サバティカル”を取得することを選びました。
このサバティカル取得は、NZRFUとの契約条項の一部として存在していたものであり、これによって彼は一時的に競技から離れ、体の回復と再調整に専念することができました。
サバティカル制度は、選手が海外のクラブでのより有利な契約を求めるのではなく、ニュージーランドのラグビー界に継続的に貢献するための特別なオプションとして提供されています。
ダン・カーターが2008年にこの制度を利用していたことを考えると、マコウはこれを利用する2人目の選手となったのです。
このサバティカルの取得により、マコウは2013年のスーパーラグビーシーズンの後半戦にのみ出場するという形になりました。
しかし、この選択はマコウの体の健康やキャリアの長期的な継続を考慮した賢明な決断であったと言えるでしょう。
32歳という年齢で、11年に及ぶ成功に満ちたキャリアの中での数え切れないほどの打撃やストレスを経験してきたマコウにとって、このサバティカルは彼の体と精神のリフレッシュのための絶好の機会となりました。
そして、その結果として、彼は再び黒いジャージを纏い、ニュージーランドラグビーに貢献することが期待されることとなりました。
サバティカルの自由と癒し
リッチー・マコウがサバティカルを開始する前に臨んだ最後の試合は、2012年12月、トゥイッケナムスタジアムでのイングランド対オールブラックスでした。
この試合でオールブラックスは敗れ、マコウは一時的にラグビーから離れることとなりました。
サバティカルが始まった後、マコウはまずクライストチャーチで家族と共にクリスマスを過ごし、続いて大晦日には32歳の誕生日を祝いました。新年を迎えると、彼はワナカでジェットボートの旅行を楽しみました。
その後、カナダとフランスでのスキー、アメリカとイタリアへの旅行、英国での友人訪問など、様々な活動を通じて休暇を満喫しました。帰国する際には、スリランカと香港にも足を運びました。
長年にわたりラグビーというスポーツの厳しいルーティンと責任に縛られていたマコウにとって、このサバティカルは大きな解放感をもたらしました。
マコウは「バーやレストランに入ると、誰にも二度見されなかったのは、実際にはとても良かった。それが本当に楽しかった。それが本当に新鮮だった」と振り返っており、匿名性と柔軟性を心から享受した様子が伺えます。
ラグビーの痛みと活動休止時の体調変化
リッチー・マコウは、多くのスポーツ選手が経験することなく、10年以上もの間、激しいラグビーのトレーニングと試合を続けてきました。
しかし、マコウがこの長いトレーニングサイクルから一時的に離れたときにが直面したものは驚くべきことでした。
- トレーニングの欠如と体の反応:多くのプロのサイクリストが自転車のトレーニングを少し休むと足に痛みを感じるように、マコウもラグビートレーニングを止めた後、予想外の身体的な変化を経験しました。彼の体は、トレーニングや試合中の激しい衝突や衝撃に長年耐えてきたため、休息を取ることで即座にリフレッシュすることはありませんでした。
- 身体の適応:彼の身体の状態は、前夜の試合やトレーニングの疲れやダメージから次の日に痛みや硬さを感じることなく、驚くほどの速さで回復していました。しかし、一度トレーニングを止めると、彼の背中などの部位で新たな痛みや軋みを感じるようになりました。
- 新しい活動の取り入れ:リッチーは「クリスマス休暇中はほとんど活動をせず、リラックスして過ごしましたが、何もしないと気分が悪くなることに気づきました」と語っています。この新たな不調に対処するために、彼はランニングやサイクリングなどの新しい運動を取り入れることを決意しました。
スポーツ選手が長い間継続してきたトレーニングや試合から離れると、身体はその変化に驚くほど敏感に反応します。
リッチー・マコウの経験は、身体の驚くべき適応能力と、活動休止時に新しい痛みや不調を経験する可能性についての興味深いケーススタディとなっています。
サディカルの効果
サディカル中にマコウはアディダスとの契約を2016年まで延長しました。その時に、3年後もプレーするつもりですか?というインタビューを受けたマコウは、「それは良い質問だね。それは誰にも分からない。もしかしたら、プレーしていないかもしれない」と答えました。
このサバティカルが次のワールドカップまで続くのか?という質問についにて、「様々な要因によってうまくいかない場合のことを考えると、はっきりと答えることはできない。しかし、そのような事態に陥るならその時に考え直す必要があるでしょう。でも、プレーできるかもしれないという方法があり、それがうまくいく可能性があるとしたら、なぜその方法を実行しないのですか?」と述べました。
一体いつまでプレーできるのか?
ラグビー界は、常に新しい才能を求めています。それは、つねに新しい才能が試合のスタイルを変え、観客を魅了しているからです。これはリッチー・マコウも例外ではありませんでした。
32歳という年齢に差し掛かったリッチー・マコウに対する疑念は、彼がもはやトップレベルでプレーできるのか、というものでした。一部では、全盛期を過ぎ、すでに新たな才能にその座を譲っているのではないかとの声も上がっていました。
しかし、マコウの直近のラグビーチャンピオンシップでのパフォーマンスを見れば、これらの疑念が杞憂であることは明らかでした。マコウはこれまでのキャリアで、度々、最高のラグビーを見せてきました。
もちろん、年齢と共に体は変わります。故障からの回復が遅くなることもありますし、かつてのような他を圧倒するようなプレーが難しくなるかもしれません。
それでも、マコウ一筋縄ではいかないプレーヤーであり、今やただのボールを奪う選手から、オールラウンドな能力を持つ選手へと成長してたのです。
優れたボールランナーであり堅固なディフェンダー、そして、ラインアウトの際の重要なオプションとしてチームに貢献していました。
ラグビーの歴史上、これほど多くのスキルを高レベルで持ち合わせているオープンサイドフランカーはほとんどいませんでした。
この多才さが、マコウを他のフランカー選手では到底太刀打ちできないようなレベルに押し上げていました。
このように進化し続けるプレースタイルだけではなく、歳を重ね得た経験と知識がプラスされたことで、リッチー・マコウこそが世界最高のオープンサイドフランカーであるという評価がなされています。
サバティカル後の復帰試合で緊張と興奮を告白
6月30日にサバティカルを終えたマコウは、7月13日にクライストチャーチ対クライストチャーチ大学の試合で待望の復帰を果たしました。
通常、この試合は地域のファン数百人が鑑賞する程度のものですが、マコウの復帰という特別な事実が知れ渡り、数千人もの観客がスタジアムに詰めかけました。
試合後のインタビューで、マコウはその日のプレーについて感じたことを語りました。
「かなり緊張した」とマコウは語り、フィールドに出ることがどれほど彼にとって特別なことであったかを明かしました。「それがラグビーのあるべき姿だ」と、プレーできた喜びを語りました。
試合の初めには、マコウの動きに少し錆びが見えました。特に初めのうち、彼はボールを落としてしまう場面もありました。
「前半は少し錆びていたが、後半に入ってから試合の感覚を取り戻してきた。ただ、終盤には疲れも見えた」と語りました。実際、試合の最後のクォーターでは、「足が重かった」と彼は告白しました。
しかし、マコウはその全てを乗り越えて堅実なプレーを見せました。そのプレーは、サイドラインで見守るクルセイダーズのコーチ、トッド・ブラックアダーにも大きな印象を与えました。
復帰戦でクルセイダーズの勝利に貢献
7月20日、リッチー・マコウが本格的に復帰を果たしました。マコウの所属するクルセイダーズは、今季初戦のクイーンズランド・レッズ戦を戦いました。
チームは、8度目のスーパー制覇を目指してその勢いを増しており、ファンからも多大な期待が寄せられていました。
クルセイダーズはその期待に応えるかのような圧倒的なパフォーマンスを見せ、2011年の優勝者であるレッズを破り、ベスト4入りを果たしました。これにより、レッズの2度目の制覇の夢を粉々にしました。
そして、その試合でマコウは、約8か月ぶりとなるこのレベルでの出場を果たしました。彼は試合の終盤、最後の15分間をフィールドで過ごし、クルセイダーズの圧倒的な4トライ目にも貢献。そのプレーはファンから大きな喝采を受けました。
試合後、マコウは今年2度目の出場が終わった後の感想を述べ、「影響力のある役割を続けることに満足するつもりだ」とコメント。
しかし、準決勝での先発メンバー入りについては「ちょっと厳しいかもしれない」と控えめに話すマコウでしたが、「ラウンドのチャンスを与えられて本当にうれしい」とその喜びも隠せない様子でした。
クルセイダーズとマコウの今後の活躍がファンから熱く注目される中、彼の復帰はチームに新たな活気をもたらすこととなるでしょう。
キャプテンとしての記録を更新
リッチー・マコウは、その後も回復力を示し、10月5日に行われたラグビーチャンピオンシップ(南半球4カ国対抗)の最終戦で、豪州との対戦にオールブラックスのキャプテンとしてピッチに立ちました。
この一戦はマコウにとって特別なものとなりました。
その理由は、マコウがブライアン・オドリスコル(アイルランド)やジョン・スミット(南アフリカ)と並ぶ、83試合のテストマッチでキャプテンを務めたという記録を達成したからです。
そして、この記録は長くは続かないこととなりました。2013年11月2日、オールブラックスは日本とのテストマッチに挑みました。
この試合で、マコウはキャプテンとして84回目のテストマッチに出場し、先の自分の記録を更新しました。この日、彼のキャプテンシップとリーダーシップの下、オールブラックスはさらなる勝利を手にしました。
マコウの卓越したキャリアのハイライト
さらに、エリス・パークでの試合でオールブラックスがスプリングボクスに勝利したことで、マコウはすべての主要なラグビーテストスタジアムで勝利を収めるという快挙を達成しました。
そして、2013年のシーズンはキーラン・リードと共にオールブラックスを14戦無敗という完璧な成績で導くことにも成功。この年のマコウのパフォーマンスは、どれほどの偉大な選手であるかを再確認させるものとなりました。
<2014年>伝説の100キャップ達成の年!
2014年は、リッチー・マコウにとって挑戦に満ちた年となりました。オールブラックスの主将として、常にピッチ上でのリーダーシップを発揮し、チームの成功に不可欠な存在でした。
しかし、この年の始め、マコウは大きな逆境に直面しました。
クルセーダーズの苦境にマコウのリーダーシップが試される
南半球最高峰のリーグ、スーパーラグビーのクルセーダーズは、7回の優勝でその実力を証明していました。
しかし、2014年の開幕からは、2連敗という不調のスタートを切りました。その原因の一つとして、チームのキー選手であるリッチー・マコウの負傷が挙げられます。
2014年2月28日、オークランドでのブルーズ戦で、マコウは左手の親指を骨折し、前半でプレーを中止せざるを得なくなりました。
この怪我により、少なくとも4月下旬までピッチに立つことができないこととなった。この急な離脱は、クルセーダーズにとって大きな打撃となりました。
さらに、ダン・カーターという、もう一つの大黒柱が昨年の2013年12月から半年間のサバティカルに入ったため、クルセーダーズは指揮官を欠いた状態で戦わざるを得なくなりました。
これにより、チームは一時的に混乱し、結果として苦しい戦いが続くこととなりました。
しかし、このような困難な状況も、マコウのリーダーシップを一層際立たせることとなりました。マコウの離脱はチームに影響を与えたものの、マコウの復帰後、クルセーダーズは再びその力を取り戻すこととなります。
この試練の年は、マコウの精神力とリーダーシップを更に強化することとなったのです。
「スーパーラグビー決勝」
2014年8月2日、スーパーラグビーの決勝が、クルセイダーズ(ニュージーランド)とワラターズ(オーストラリア)の間で熱戦が繰り広げられました。
この試合は、オーストラリアのシドニーで開催され、試合の結果、ワラターズが33-32でクルセイダーズを破り、スーパーラグビーのチャンピオンに輝きました。
試合の終盤、クルセイダーズのリッチー・マコウがラックの際に違反を犯し、このプレーが試合の分岐点となりました。
マコウは、ラックにおいてボールプレーを試みた際、ラックに正面からではなく、サイドから入ったとしてペナルティが課されました。
ラグビーのルールでは、ラックに参加する際は必ず正面から入らなければならず、サイドから入ることは禁じられています。
このマコウに対するペナルティの結果、ワラターズは得点機会を手に入れ、結果的にクルセイダーズに逆転勝利を収めました。この判定については、多くの議論が巻き起こりました。
一部のファンや解説者は、判定が厳しすぎたとの意見を述べ、また一部ではルール違反であるため正当な判定であったとの意見もありました。
マコウ自身は、試合後のインタビューで違反について認めつつも、自身の行動がチームに悪影響を与えたことについて落胆の表情を見せました。
この試合は、ラグビーファンの間で長く語り継がれることとなり、ルールの理解の重要性や審判の判断の難しさを改めて浮き彫りにしました。
結末として、リッチー・マコウのラック違反が試合の結果に影響を与え、ワラターズの歴史的な勝利につながったことは間違いありません。
しかし、これを教訓としてプレーヤーたちは今後の試合でよりルールを意識し、正確なプレーを心掛けることが求められます。この一件は、ラグビーの歴史においても注目される出来事となりました。
「ブレディスローカップ」
2014年8月23日、リッチー・マコウはオールブラックスのキャプテンとして、ブレディスロー・カップを掲げました。
このカップはオーストラリアとニュージーランドのラグビーユニオン代表チームの間で毎年争われるもので、1931年にその名の由来となる、元ニュージーランド総督のブレディスロー卿によってトロフィーが寄贈されました。
このカップの勝者は、一連の試合で過半数の勝利を収めたチームとなります。
2014年、オールブラックスは2試合連続でオーストラリアを打ち破り、見事カップを獲得しました。
この勝利において、マッカウのリーダーシップとその卓越したスキルが大きく貢献しました。カップを掲げる彼の姿は、彼自身やチーム全体にとって、非常に誇り高い瞬間となったことでしょう。
「ラグビーチャンピオンシップ」
2014年9月13日、オールブラックスはラグビーチャンピオンシップで南アフリカ代表スプリングボクスと対戦し、14対10での勝利を収めました。
この試合でリッチー・マコウは、特に後半に決定的なトライを決める活躍を見せ、オールブラックスの勝利に大きく貢献しました。
アーロン・スミスからの正確なパスを受けたマコウは、トライラインを越え、オールブラックスを勝利に導きました。
このトライは、マコウのフィールド上でのスキルとリーダーシップの証明となり、彼の史上最高のラグビー選手の一人としての評判をさらに高めました。
試合では、アーロン・クルーデンも重要な役割を果たしました。クルーデンの正確なクロスキックにより、背番号8のキーラン・リードがボールをキャッチ。
その後、リードがコーナーに飛び込んだマコウにフィードを与えました。
さらに、クルーデンはホームチームに2つのペナルティを成功させました。
そして、後半終盤にはクルーデンと交代したボーデン・バレットもペナルティを1つ追加し、ホームチームに勝ち点16をもたらしました。
これにより、オールブラックスはラグビーチャンピオンシップで首位に立ちました。対する南アフリカは10点に留まりました。
この試合は、オールブラックスの連携プレーと個々の技術の高さが光った一戦となりました。特に、リッチー・マコウのトライは、ファンにとって記憶に残る瞬間となったでしょう。
「100キャップ」の歴史的な瞬間
2014年11月22日、カーディフのミレニアム・スタジアムには特別な空気が流れていました。
オールブラックスの伝説的キャプテン、リッチー・マコウが、ラグビーユニオンの歴史で初めてキャプテンとして100キャップを達成するウェールズ戦に臨んでいたのです。
さらに興味深いことに、10年前に彼が初めてキャプテンを務めた時の対戦相手もウェールズだった。
試合前の取材に対し、マコウは自らの感慨深さを次のように伝えた。
「オールブラックスの一員として、そしてキャプテンとしての役割を持つことは常に光栄だ。この達成は私一人のものではなく、周囲のサポートとチームの力によるものだ。」とマコウは語った。
その後の発表で、スティーブン・ハンセン監督は、リッチー・マコウの業績を称え、特に彼が3度も年間最優秀IRB選手に選ばれている点を強調し、そのリーダーシップを絶賛しました。
ハンセン監督自身が、2002年から2004年までウェールズ代表のヘッドコーチとして指導していたこともあり、この試合に対する期待と緊張が特別だったことが伺えます。
ハンセンは「私とこのチーム全体を代表して、リッチーの100キャップの達成を祝賛する。彼のリーダーシップは時間とともに成熟してきており、今や彼はスポーツ界でもトップクラスのリーダーとして知られている。」とコメントしました。
マコウ、ミレニアム・スタジアムでの記念すべき試合への期待
ミレニアム・スタジアムの座席は、特別な日のために集まった満員のファンで埋まっていました。
この雰囲気の中、試合開始前に、ウェールズ守備コーチであるショーン・エドワーズがマコウの存在と彼がオールブラックスチームに与える影響についての思いを以下のように語りました。
「私たちは、リッチー・マコウを非常に高く評価しています。彼はオールブラックスチームの真の代表であり、そのプレースタイル、競争力、そして攻撃的なプレーは彼を特別な選手にしています…その攻撃的なプレースタイルをうまくコントロールしないと、ニュージーランドチームを倒すことは非常に困難です」
一方、元ウェールズ主将のライアン・ジョーンズは、リッチー・マコウについての称賛をさらに高め、「彼は史上最も偉大なテストラグビー選手の一人である」との見解を示した。
この日、ミレニアム・スタジアムのファンたちは、ラグビーの歴史に名を刻むマコウのプレーを楽しみにしており、彼に対するリスペクトの声が多くの関係者から上がっていた。
歴史的な100キャップをカーディフで祝う
オールブラックスのキャプテン、リッチー・マコウが入場するとウルト、カーディフの観客は敬意を表し、大きな拍手で迎え入れました。
ウェールズの選手たちも、この特別な瞬間を尊重し、オールブラックスがハカの儀式を行っている間、一歩も動かず肩を並べて立ちました。
試合は70分間、一進一退の攻防が続きました。しかし、終盤にオールブラックスが一気に勝利を掴むプレーを展開。残り10分で3つのトライを獲得し、34-16でウェールズを下しました。
試合後、マコウは特別製作されたウェールズ・クロガウのゴールド・カフリンクスを受け取りました。
この勝利はマコウのキャプテンとしての100回目のテストマッチであり、同時にベテランフッカーのケヴィン・メラムがニュージーランドで最もキャップ数の多いファーストクラス選手となった記念すべき試合でもありました。
その後、ミレニアムスタジアムの廊下は、オールブラックスの選手たちからマコウとメラムへの敬意を表す力強いハカの雄叫びで満ちました。
この瞬間は、両選手の卓越したキャリアを祝福するための特別なトリビュートであり、観客も含めたすべての人々にとって忘れられない一日となりました。
リッチー・マコウ、キャップ100回目の試合で絶賛の声
この試合の反響は非常に大きいものになりました。
- サー・ブライアン・ロチョア
試合前にマコウに特別なテストジャージを贈呈したオールブラックスのレジェンド、サー・ブライアン・ロチョアは「彼は素晴らしい選手であるだけでなく、素晴らしい人間でもある」と称賛し、このような節目にふさわしい人物は彼以上にはいないと絶賛しました。 - マイク・イーグ(ニュージーランドラグビー会長)
NZRUのマイク・イーグ会長も、この節目がオールブラックスの歴史において非常に特別なものであることを語りました。イーグ会長は「オールブラックスには127年の歴史があり、オールブラックスの巻物には1109人の名前が載っています。その中でも最も成功したオールブラックスのキャプテンのマコウがこの重要な位置に初めて到達したのは当然のことだと言えます」と指摘し、2011年の母国でのワールドカップ優勝をマコウと共に祝えたことに関して、特に特別なことだと語りました。 - エディ・バトラー
ウェールズのNo.8エディ・バトラーはオブザーバー紙に寄稿し、新たに登場したオールブラックスの選手たちが、ウェールズのラインアウトを圧倒し、ボールの独占を成功させたことを指摘。さらに、マコウのキャプテンとしての実績に触れ、「彼はただの選手以上の存在。真の伝説であり、ラグビーの常識を覆す存在だ」と絶賛しました。 - デビッド・ウォルシュ
サンデー・タイムズ紙のデビッド・ウォルシュは、デーン・コールズとリッチー・マコウの組み合わせに注目。特にコールズのブレイクからマコウのライン際でのスパートまでの連携を称賛し、「マコウはキャップ100回目の試合でも、これまで通りの高いパフォーマンスを見せ、チームのために全てを尽くした」と評価した。 - グラハム・プライス
そして、元ウェールズ代表とブリティッシュ・ライオンズのプロップであるグラハム・プライスは、オールブラックスの強さの裏に、マコウの存在が大きく影響していると指摘。ウエスタン・メールのコラムにて、「オールブラックスは61年に及ぶ連勝を続けてきたが、それをさらに伸ばす自信を持っていた。その背後には、キャップ100回を迎えたマコウのリーダーシップがあったのかもしれない」とコメントしました。
このように、リッチー・マコウが達成したキャップ100回目の試合は、多くの人々からの賞賛と尊敬を集め、ラグビー界においてこの偉業は非常に高く評価されています。
マコウが振り返るウェールズ戦の勝利
この勝利について、リッチー・マコウ本人は「非常に満足だった」と語っています。
また、マコウはウェールズのホームグラウンドであるミレニアム・スタジアムでプレーできることに喜びを感じており、「ミレニアム・スタジアムはラグビーをするのに最適な場所の一つ。今日もそんな感じでした」と述べました。
試合については、「チャンスが来たときにそれを活かす方法を見つけることができ、最終的にはかなり良いスコアでピッチを去ることができました。チームの観点から見ても非常に誇らしいゲームで、個人的にもの良い仕事をやり遂げたと思います」とコメントし、チーム全体の努力と自身の役割に対する誇りを示しました。
最後に、「今から少しだけ休みを取って、良いパフォーマンスで終えた良い一年だったことを振り返ることができます」と述べ、素晴らしいシーズンであったことを評価しました。
マコウのラグビーへの情熱と献身が感じられる偉業!
この偉業は、マコウがどれほどのリーダーシップと持続性を持っているかを示すもので、マコウのラグビーに対する情熱と献身を象徴するものでした。
マコウのキャリアは多くの浮き沈みを経験しましたが、この100キャップの達成その長いキャリアの中でも特に輝かしい瞬間の一つとして今も挙げられています。
マコウが語る、2015年ラグビーワールドカップの展望
来年の、2015年ラグビーワールドカップは、特別な意味を持っていました。イングランドが主催するこの大会は、1991年の彼らの初開催以来、ヨーロッパでの開催となる4回目の大会となるのです。
しかし、ヨーロッパの土地でのワールドカップは、ニュージーランド(オールブラックス)にとっては必ずしも甘い思い出ばかりではありません。
北半球の大会では、過去に決勝への進出を逃すなどの不運に見舞われており、ニュージーランドのヨーロッパへの挑戦の続きともいえます。
対照的に、オーストラリア代表(ワラビーズ)は、ワールドカップ優勝の喜びを北半球、つまりヨーロッパの地で既に二度も経験しています。
さらに、南アフリカも2007年のパリでの大会でイングランドを下し、2度目のタイトルを手中にしています
このような歴史的背景の中で、マコウはチームがイングランドでのプレーを心待ちにしていると以下のようなコメントを発表しました。
「来年の英国でのワールドカップは非常にエキサイティングです。私は毎年、年末に英国でテストマッチをするのが大好きです。スタジアムには8万人のファンが集まり、常に素晴らしい雰囲気の中でプレーできます。
2011年のニューデリーでのトーナメントは小さくてコンパクトでした、それはそれで特別なものでしたが、2015年にイギリスのスタジアムでの試合はさらに素晴らしい経験になると思います。
英国とヨーロッパではラグビーブームが続いているので、何百万人もの人々が間違いなく今度のワールドカップに注目しているでしょう。
6〜7週間にわたって素晴らしい試合が繰り広げられるのを今から心待ちにしています。
ニュージーランド(オールブラックス)は、ランキング1位として、ディフェンディングチャンピオンとして、2015年のラグビーワールドカップを優勝候補として戦いをスタートします。
私たちにチャレンジしてくる有力な国々は、南半球ではオーストラリアと南アフリカで、ヨーロッパではシックス・ネーションズ(ヨーロッパ6カ国が参加する国際ラグビーユニオン大会)を代表する国々でしょう。
ワールドカップはただ上位のチームが決勝に進むだけの大会ではありません。それは下位の国々がトップチームと戦い、自らのレベルを上げるチャンスでもあります。
これは非常に重要で、これらのチームがこのようなチャンスを得ることこそがが、国際試合に良い影響を与えています。
現時点で、上位8チームは互角の戦いになると思います。将来的には、上位10チームが同じレベルで戦い、その結果がもっと変わってくることを期待しています。ワールドカップはその過程も大切な部分なのです。
数年前には、テストマッチでのサプライズは稀でしたが、2011年のワールドカップではトンガがフランスに勝利するという誰もが予想しなかった結果が生まれました。
最終的にフランスが決勝に進出しましたが、今後はこのような予測できないドラマがもっと増える可能性があります。
トンガのようなトップレベルのチームがもっとたくさんの試合をすれば、その分番狂わせも増えるでしょう
自分たち(オールブラックス)のような強豪チームが、調子が悪ければ敗れると知っていて太平洋諸島のチームと戦うのは、試合をよりエキサイトさせる要因となります。
この競争は、観客にとっても選手にとってもとても魅力的で、ラグビーが持つ影響の大きさを示しています」
どん底からの復活!リッチー・マコウが語る困難
「自分には本当にその能力があるのか、それとも、本当にそれをやるべき人間なのかと悩んでいた」
別のインタビューでは、自身の輝かしいキャリアのどん底期である2007年を振り返っています。
2007年、フランスでのワールドカップでオールブラックス始まって以来の準々決勝敗退、その影響で周りが騒然としている中、マコウは両親に心の中を打ち明け、「この仕事から手を引けば、一生その決断を後悔する」とすぐに決意を新たにしました。
「立ち上がりやり遂げるか、その経験を耐え切れなかったこととして思い出すのか、この場から逃げるのか」マコウは、この3つの選択肢があったと語りました。
その上で、「私はそう簡単に諦めるタイプではないので、『こんなことをするわけにはいかない』とすぐに感じました。そしてある日、困難を乗り越えて達成感を得たことを強く覚えています」と語り、2007年の敗戦の苦しみが、4年後の母国でのワールドカップ優勝の喜びを、さらに感動的なものにさせたと強調しました。
2007年にアシスタントコーチで、現オールブラックスの監督であるスティーブ・ハンセンは、マコウの不安を知って驚きませでした。
「私たちの中で多くの人が、2007年の敗戦後に自分自身を疑っていました。なぜなら、私たちは優勝を約束されたチームだったのに、それを台無しにしてしまったからです」
ハンセン監督は当時の頃をそう振り返り、現在のマコウをとても優れたキャプテンに成長したと評価しました。
「プレッシャーに立ち向かう」マコウの成長
「それを続けたいと思わなければ、続けることはできない」
「そのプレッシャーに耐えることを望まなければ、長くは続かない」
33歳になったマコウは2007年の敗戦が、フィールド内外での成長のきっかけとなったと言い、リーダーシップについて学び、国際スポーツの最高レベルを牽引するに相応しいにプレッシャーや責任を苦もなく受け入れてきたと話しています。
「世界のスポーツチームの中で最も偉大なリーダの一人」
ハンセン監督は、マコウを中心とした選手間の指導力の進化が仕事を楽にしており、自身が監督をしてきた9年間、マコウがキャプテンであったことこそがオールブラックスの成功の鍵だったと語りました。
一方で、マコウのプレイヤーとしての実績や勝利の遺産が、ラグビーの中で、比類のないものであることにもしっかりと目を向けないといけないと強調し、その上でハンセンは以下のように言葉を残しました。
「彼はおそらく世界のスポーツチームの中で最も偉大なリーダーの一人に成長した」
【史上最高のラグビー選手】最後の挑戦!2015年ワールドカップでの感動の瞬間《リッチー・マコウ④》