リッチー・マコウ、その名前はラグビー界において伝説として刻まれています。彼のキャリアは数々の栄光に彩られ、その中でも特に2011年のラグビーワールドカップ決勝戦は、オールブラックスとラグビーファンにとって永遠の記憶となりました。
オールブラックスのキャプテンとして、リッチー・マコウはチームを偉業に導きました。この記事では、その忘れられない瞬間に焦点を当て、2011年のワールドカップ決勝戦の記憶を振り返ります。リッチー・マコウがどのようにしてオールブラックスを勝利に導き、ラグビー史に名を刻んだのか、その物語を紐解いていきましょう。
《リッチー・マコウの栄光①》史上最高のラグビー選手の伝説の始まり
Richie McCaw led the 2011World Cup
リッチー・マコウが導いた2011年ラグビーW杯
2011年のラグビーワールドカップは、ラグビーの世界一を決める大会として、第7回目にしてニュージーランドの土で開催されました。期間は2011年9月9日から10月23日までの約1ヵ月半。12の都市を舞台に熱戦が繰り広げられ、ファンや選手たちが一堂に会する壮大なフェスティバルとなりました。
そのような困難を乗り越え、ニュージーランドは「400万人のスタジアム」というスローガンを掲げ、国民一丸となって大会の成功を目指しました。このフレーズは、ニュージーランドの人口400万人全員が、訪れる世界中のラグビーファンを温かく迎え入れるスタジアムとなるという強い意志とホスピタリティを象徴していました。
今大会では20のナショナルチームが参戦、それぞれのチームは4つのグループに分かれ、リーグ戦を戦い、各グループの上位2チームがノックアウトステージへと駒を進むことになります。
「カンタベリー地震」2011年ラグビーワールドカップの影響
さらに、この大会の開催にあたり、大きな困難にも直面しました。
2011年2月22日に発生したカンタベリー地震は、クライストチャーチを中心にニュージーランド南島の広範囲に壊滅的な被害をもたらしました。この地震の影響は、多くの建物やインフラに被害を与えただけでなく、後の月日に予定されていたイベントにも大きな影響を及ぼしました。その中でも、特に注目されたのが、同年にニュージーランドで開催される予定だったラグビーワールドカップの試合日程と会場の変更でした。
地震により、クライストチャーチスタジアム(AMIスタジアム)をはじめとする多くのスポーツ関連施設が使用不可能となったため、開催予定だったラグビーワールドカップの試合が他の都市に移転することとなりました。具体的には、3月16日にクライストチャーチで開催される予定だった試合の会場が変更されることが公式に発表されました。
予定されていた準々決勝の2試合は、ニュージーランド最大の都市オークランドのエデン・パークに移転。また、プール戦の5試合は他都市のスタジアム、例えばウェリントン、ダニーデン、ハミルトンなどに移転されました。
このような状況下でも、ニュージーランド国内の他の都市が協力してラグビーワールドカップの開催をサポートし、成功に導くことができたのは、その国の結束の強さと、ラグビーへの情熱を物語っています。
オールバックスへの期待と24年の重圧
ニュージーランドオールバックスは、世界を代表するラグビーの強豪としてのプライドを持つ一方で、24年間もワールドカップの頂点から遠ざかっていました。この経験は、2011年のワールドカップ開催時に、選手たちとチーム全体に大きな期待とプレッシャーをもたらしました。
1987年に栄光の初優勝を飾った後、オールバックスは3度のワールドカップでの準優勝という結果に留まりました。これが、国内ファンの期待を高める要因となったのです。しかし、2007年のワールドカップでの四半期決勝敗退は、ニュージーランド国内での衝撃となりました。この結果は、チームとファンにとっての痛みであり、2011年大会における期待値を一層高めることとなった。
さらに、今大会は自国での開催であったため、ファンだけでなく、メディアやスポンサーからの期待を凄まじいものでした。ニュージーランドという国全体が一丸となって、オールバックスが24年の長きにわたる待機を経て、再びワールドカップのトロフィーを掲げる瞬間を待ち望んでいたのです
リッチー・マコウの2011年W杯前までのキャリアと実績
このような状況下で、オールブラックスの中心選手として君臨していたのが、キャプテンのリッチー・マコウでした。
マコウのラグビーへの情熱、技術、そしてリーダーシップは、多くの試合でオールブラックスの勝利を導いてきました。2011年のワールドカップ前までの国際キャリアと実績を振り返りってみましょう。
- 国際デビュー: マコウは2001年にオールブラックスのジャージを初めて着用し、対アイルランド戦で国際デビューを飾りました。
- 一貫したパフォーマンス: 彼のデビューからわずか数年で、マコウは世界最高のフランカーとしてその名を知られるようになりました。彼のタックルの技術やブレイクダウンでの能力、そして攻撃時の力強さは、オールブラックスの強さの要因の一つとなっていました。
- リーダーシップ: 2006年には、彼はオールブラックスのキャプテンとしての役割を担い始めました。彼のリーダーシップは、チーム内外から高く評価されており、特にプレッシャーのかかる試合や状況での冷静な判断が際立っていました。
- 受賞歴: マコウの卓越したパフォーマンスは、数々の賞や称賛を受けてきました。特に、IRB世界最優秀選手賞を3度(2006年、2009年、2010年)受賞するなど、彼のキャリアのハイライトとして挙げられます。
- 国際試合での出場記録: 2011年のワールドカップ開始時点で、マコウはすでに100試合以上のテストマッチに出場していました。これは、経験や知識を積み重ねたベテランの域に到達していることを示しており、若手選手たちにとって、マコウの存在は精神的支柱となっていました。
リッチー・マコウの2011年W杯前までの国際キャリアは、天賦の才能、献身的な努力、そしてリーダーシップによって築かれました。その実績は、2011年のワールドカップにおける彼の重要な役割を予感させるものでした。
マコウ、練習中に疲労骨折を発症
地元開催のワールドカップで栄冠を掲げ、チームを牽引してきたリッチー・マコウの前に新たな試練が現れます。2021年の初頭、クライストチャーチで「Yo-Yo Intermittent Recovery Test(ヨーヨー間欠性回復力テスト)」を実施している際、マコウは突如として足に痛みを感じ始め、テストを中断しました。
このテストは選手の持久力と高強度時の回復能力を評価するためのもので、ラグビー選手にとっては非常に重要な指標となります。
「疲労骨折の治療と回復」マコウの離脱期間と復帰への道
マコウのこの出来事は、多くのファンや関係者にとって驚きのニュースとなりました。その後、速やかに病院での詳しい検査が行われ、残念ながら右足の第5中足骨に疲労骨折があることが確認されました。
このような中足骨の怪我は、イングランド・プレミアリーグのサッカー界でよく知られています。2004年には、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーやリヴァプールのスティーブン・ジェラードも第5中足骨を損傷。ジェラードは10週間、ルーニーは14週間の離脱を余儀なくされました。
疲労骨折は繰り返しの負荷や過度なトレーニングが原因となり得るもので、時間をかけた適切な治療と休息が必要となります。
マコウとウィリアムズの離脱でクルセイダーズ開幕戦に課題
2月18日に開幕を迎えるスーパーラグビー(スーパー15)において、昨年準決勝まで進出したクルセイダーズは、高まる期待の中、2月19日にオークランド・ブルーズとの開幕戦を控えていました。しかしこの大一番を前に、クルセイダーズはマコウという決定的な主力選手を欠くことになりました。
クルセイダーズはキーラン・リードを新たなキャプテンとして指名。リードのリーダーシップが、マコウの不在をどれほどカバーできるかが注目されました。
マコウは、「怪我は明らかに残念だが、長期的に私を困らせるものではない」と語りました。さらに、「手術後のリハビリを続け、医療スタッフのクリアが出れば、再びクルセイダーズのジャージを着てフィールドに立つのを楽しみにしている」と前向きな姿勢を見せました。
マコウ、手術選択の背景を語る
「実際に選択の余地はありませんでした。手術の有無にかかわらず、療養の期間は避けられないものだった。そして、チームは私の状態を最優先に考えて行動した」
自国開催ワールドカップに向けての傷害とその対処について、リッチー・マッコウは明かしました。その言葉には、チームに対する強い愛情と献身が感じられます。
さらにマコウは、「多くの人が今の選択が正しかったと私に伝えてくれましたが、本音を言えば、クルセイダーズとしてフルシーズンを戦い抜くことを心から望んでいました」と深い感情を込めて語った。
「しかし、今はこの状況に直面してしまっています。特に今年はワールドカップの年として非常に重要な年です。これによって我々の目標や夢が崩れることはないと確信しています。これが、今、私たちが直面している挑戦であり、それに対処するための方法を見つける必要があります」と、あくまでマコウは前向きな姿勢を崩しませんでした。
「地震と怪我」クルセイダーズの困難なシーズン
リッチー・マッカウの2011年の怪我問題は、その年のラグビーワールドカップを前にしてオールブラックスとラグビーファン全体の大きな懸念事項となりました。
右足の疲労骨折は、2011年の大半を通じてマコウの悩みの種になりました。手術後から、シーズンを通じて試合時間の管理が不可欠となっていたのです。
それだけはなく、さらなる困難がマコウに襲いかかっていました。2月カンタベリー地震の影響で、クルセイダーズのホームスタジアムであるAMIスタジアムが使用不能となってしまったのです。これによって、クルセイダーズはスーパーラグビー全シーズンを遠征しながらプレーすることなりました。
4月中旬には、マコウはクルセイダーズに復帰し30分間プレーしました。しかし、マコウパフォーマンスは手術前のものとは明らかに劣っており、次の試合では欠場しました。
クルセイダーズのシーズン終盤に負傷が再び再発します。それでもクルセイダーズを率いるマコウはスーパーラグビー(スーパー15)準決勝のストーマーズ戦と決勝のレッズ戦を戦いました。しかし、ここでもマコウの運動能力の低下が顕著に見られ、決勝でレッズに敗れてしまいました。
さらに、その後のトライネイションズでもワラビーズ(オーストラリア代表)の前に敗北。この2度の敗戦は、マコウにとって辛いものになりました。
クルセイダーズとニュージーランドラグビー協会と新契約
多くの選手が精神的、肉体的に厳しい時期を過ごす中で、シーズンの中盤でマコウはクルセイダーズとニュージーランドラグビー協会との新たな契約を結びました。クルセイダーズの中心人物であるマコウの契約は、混乱の中にあった選手たちにとって希望の光になりました。
30歳を迎えたマコウは海外でのプレーを検討しており、ニュージーランドラグビー協会との契約はワールドカップ終了まででした。マコウは、今年のラグビーワールドカップが終わってもニュージーランドに残る意向を示したのです。この決断は、オールブラックスにとっても大きな後押しとなりました。
一方で、「今後数年間についてニュージーランドラグビー界と話し合っているが、海外でプレーする可能性を決して排除したわけではない」とマコウは今後の展望を語りました。
しかし、マコウのコンディションは右足の疲労骨折からの回復が続いており、「今週末はトゥイッケナムの周りを走り回りたかった」と語るなど、現状に不満を感じていました。
リッチー・マコウの休養とトップコンディションへの準備
オールブラックスとしてのマコウは、フィジー、スプリングボクス(南アフリカ)、ワラビーズ(オーストラリア)とのテストプレイに連続出場した後、南アフリカ遠征から休養をとりました。しかし、ことことでマコウの体調に大きな疑問を投げかけることとなり、ワールドカップの開幕が近づいていく中で、マッカウの健康やコンディションに対する憶測や噂が増えていきました。
マコウの存在感とリーダーシップはオールブラックスにとって計り知れないものであり、マコウの欠場はチームに大きなダメージを与えることは明白です。
マコウの後任として名前が挙がったダニエル・ブレイド。ブレイドは独自のスキルを持っており、特にスカベンジングとターンオーバーでの活躍が目立ち、昨年のスーパーラグビー(スーパー14)ではプレーでもが注目されていました。ただし、経験不足や、ボールキャリー(ボールを持ち前進する)能力がマコウほどではなく、リーダーになるにはまだ早計でこれから成長する選手と見られていました。
このような懸念がある中で、オールブラックスファンにとっての希望だったのは、マコウの怪我が長引くようなものでないという点でした。マコウ自身もこの点を明言しており、オールブラックスのファンや関係者たちは、マコウがワールドカップ前にこの怪我を乗り越えてくれると信じていました。
一方、クルセイダーズはシーズンの初めにマッカウを休養させ、シーズン終盤に向けてマコウをトップコンディションにする計画を立てていました。そのため、実際にマコウが欠場するのは短期間となり、クルセイダーズのファンも心配する必要はありませんでした。
「2011年ラグビーワールドカップ」代表メンバー発表
2011年8月23日、オールブラックスのグラハム・ヘンリー監督、アシスタントコーチのスティーブ・ハンセンとウェイン・スミスはラグビーワールドカップのチームメンバーを発表しました。
フォワード
- フッカー
- コーリー・フリン:カンタベリー (14テストキャップ)
- アンドリュー・ホア:タラナキ (54)
- ケベン・メラム:オークランド (85)
- プロップス
- ジョン・アフォア:オークランド (33)
- ベン・フランクス:タスマン (11)
- オーウェン・フランクス:カンタベリー (23)
- トニー・ウッドコック:ノースハーバー (75)
- ロック
- アンソニー・ボリック:ノースハーバー (20)
- ブラッド・ソーン:カンタベリー (51)
- サミュエル・ホワイトロック:カンタベリー (17)
- アリ・ウィリアムズ:オークランド (65)
- ルーズフォワード
- ジェローム・カイノ:オークランド (41)
- リッチー・マッコー (キャプテン):カンタベリー (97)
- キーラン・リード:カンタベリー (31)
- アダム・トムソン:オタゴ (21)
- ビクター・ヴィトー:ウェリントン (7)
バックス
- ハーフバックス
- ジミー・コーワン:サウスランド (47)
- アンディ・エリス:カンタベリー (20)
- ピリ・ウィープ:ウェリントン (48)
- フライハーフ/ファイブエイス/ファーストファイブエイス
- ダニエル・カーター:カンタベリー (82)
- コリン・スレイド:カンタベリー (5)
- ミッドフィールダー
- リチャード・カウイ:ワイカト (12)
- マア・ノヌ:ウェリントン (58)
- コンラッド・スミス:ウェリントン (48)
- ソニー・ビル・ウィリアムズ:カンタベリー (7)
- アウトサイドバック
- イスラエル・ダグ:ホークスベイ (7)
- ザック・ギルフォード:ホークスベイ (6)
- コーリー・ジェーン:ウェリントン (24)
- ミルズ・ムリアナ:ワイカト (97)
- イザイア・トイーヴァ:オークランド (31)
経験豊富なオールブラックスの挑戦
3度目のラグビーワールドカップで、30歳のオールブラックス主将リッチー・マッコーがキャプテンを務めるこのチームは、特筆すべき構成となっていました。16人のフォワードと14人のバックスから成るこのチームは、合計で1,133のテストキャップを持っており、これまでに組み立てられた中で最も経験豊富なオールブラックスチームであると言えます。
主力となる選手たちの中には、ダニエル・カーターやケベン・メラム、ミルズ・ムリアナ、アリ・ウィリアムズなど、3度のワールドカップトーナメント出場を果たす者もいれば、ブラッド・ソーンやトニー・ウッドコック、イザイア・トイーバなど、それぞれ異なる年のワールドカップでの経験を持つ選手もいます。
グラハム・ヘンリー監督は選手たちの選出について、非常にポジティブに語っています。彼は特に、ニュージーランド代表としてホームでの大会出場は、選手たちにとっての最大のチャンスとなると強調。また、今回のチーム選考が非常に難しかったこと、そして選ばれなかった選手たちへ敬意を示しました。
このの中でも、アンソニー・ボリックの選出は驚きとなりました。彼は年初めに負傷していたため、オールブラックスの選出外でしたが、最近の復帰戦でのパフォーマンスが高く評価され選出されることになりました。
最後に、ヘンリー監督はニュージーランドのファンと共に大会を楽しむことの重要性について触れり、選手たちもその熱狂を共有していると語りました。
2011年ラグビーワールドカップ開会式
2011年9月9日、ラグビーワールドカップがニュージーランドで華やかな開会式から始まりました。ニュージーランドの豊かな歴史と多様な文化を世界に紹介する独特のショーとなりました。
開会式では、マオリ文化の伝統的な舞踏やハカ(戦争の踊り)、さらには現代的な表現を通じて、ニュージーランドの多文化的な背景と、それがどのように国を形成してきたかを強調しました。ニュージーランドの多様性と古代からの伝統が一堂に会したこの式典は、視聴者や来場者に強烈な印象を与えました。
トーナメントは6週間にわたり、熱心なラグビーファンや一般の観客がスタジアムを埋め尽くす中で、20の国々のナショナルチームが、その最高の栄誉であるラグビーワールドカップのトロフィーを手にするために激しい戦いを繰り広げることになります。
グループリーグ(プールA)
オールブラックスが戦うことになるグループリーグ(プールA)は、強豪と新興国が組み合わさった興味深い組み合わせでした。
- ニュージーランド(オールブラックス): トーナメントのホスト国であり、伝統的にラグビーの強豪国。多くのファンや専門家から優勝候補と目されていました。
- フランス: 2007年のラグビーワールドカップで4位に入賞した実績を持つヨーロッパのトップチーム。独自のプレースタイルと技術を持ち、常に世界のトップレベルで競争しています。
- カナダ: 北米を代表する強豪であり、ラグビーワールドカップの常連国。肉体的なプレーと組織的なディフェンスを武器に、強敵に立ち向かう姿勢がファンから高く評価されていました。
- 日本: アジアを代表するチームとして、技術的なプレースタイルとスピードを活かした攻撃を得意としています。それぞれの大会で新しい挑戦を続けるチームとして注目されていました。
- トンガ: 太平洋諸国を代表する強豪で、物理的なプレーと集団戦を得意とする。特に前進力を活かした攻撃は、他国からも恐れられる存在でした。
プールAの戦いは、開始から終了まで、多くのサプライズや感動的なシーンをもたらしました。
【第一戦】オールブラックス vs トンガ
日時: 2011年9月9日
場所: イーデン・パーク, オークランド, ニュージーランド
試合の概要
開会式が終了し、盛大な舞台の上で、ニュージーランドは2011年ラグビーワールドカップの初戦でトンガとの対決を迎えました。試合前には、ニュージーランドとトンガの両チームがそれぞれの伝統的なダンスを披露し、観客を魅了しました。
オールブラックスはマオリのハカダンスを、トンガはイカレ・タヒの伝統的なシピタウダンスを披露。この2つのパフォーマンスは、試合開始前のエネルギーを最高潮に引き上げることになりました。
得点者
オールブラックスは試合中、以下の選手によってトライを挙げました。
- ソニー・ビル・ウィリアムズ
- マア・ノヌ
- イスラエル・ダッグ
- リチャード・カホイ
- ジェローム・カイノ
特にダン・カーターはその日の絶好調を示し、5トライすべてのコンバージョンに成功した上、ペナルティも2つ成功させ、チームの得点を大きく後押ししました。
結果
オールブラックス 41 – トンガ 10
この勝利でオールブラックスはトーナメントのスタートを飛ばす形となった。トンガも健闘したが、オールブラックスの前に力及ばずという結果となりました。試合はオールブラックスの勝利で幕を閉じましたが、そのパフォーマンスは、彼らが本大会での最有力候補であることを再確認させるものでした。
【第二戦】オールブラックス vs 日本
日時: 2011年9月16日
場所: ワイカト・スタジアム, ハミルトン, ニュージーランド
試合の概要
この試合では、オールブラックスはその圧倒的な力を示し、日本チームを圧倒的なスコアで下しました。
得点者
オールブラックスは合計で13トライを挙げた。トライを挙げた選手は以下の通りです。
- リチャード・カウイ
- ソニー・ビル・ウィリアムズ
- アダム・トムソン
- コリー・ジェーン
- イスラエル・ダッグ
- コリン・スレイド
- アンディ・エリス
- イザイア・トイーバ
- サム・ホワイトロック
特にコリン・スレイドは素晴らしいパフォーマンスを見せ、トライのうち9本をコンバージョンに成功させた。
結果
オールブラックス 83 – 日本 7
この結果は、オールブラックスがラグビーワールドカップの試合で獲得した最多得点の記録を更新するものとなりました。
また、この試合は、オールブラックスの強さと日本チームの勇気ある戦いが見られるものとなった。オールブラックスは世界のトップチームとしての地位を確固たるものとし、その後のトーナメントでもその強さを維持することとなる。一方、日本はこの敗戦をバネにしてさらなる成長を遂げることとなり、後のラグビーの大会での活躍が期待されることとなった。
マコウとムリアイナは日本戦を欠場していた
この試合で、キャプテンのリッチー・マコウと、ベテランのフルバックミルズ・ムリアイナが、軽いけがのため試合を欠場していました。
マコウは左ふくらはぎに軽い傷を持ち、一ムリアイナは右のハムストリングに張りを感じていました。このような状態での出場は、さらなる怪我のリスクを高める可能性があるため、チーム管理側は彼らの休養を決定したのです。
両選手ともチームの中心的存在であるため、ファンや関係者からは大きな心配の声が上がりました。しかし、チームドクターはメディアを通じて、「深刻なけがではない」と明らかに、「彼らをプレーさせることで悪化するリスクがあるので、安全を最優先としてメンバーから外した。今後は、来週の9月24日のフランス戦に向けて、彼らが最善のコンディションで戦えるよう調整することに集中する」とのコメントを出していました。
【第三戦】オールブラックス vs フランス
2011年ラグビーワールドカップ: オールブラックス vs フランス
日時: 2011年9月24日
場所: イーデン・パーク, オークランド, ニュージーランド
試合の概要
オールブラックスは、2011年のラグビーワールドカップでの第3戦をフランスとの間で戦った。両国ともラグビーの伝統を持つ強豪国として知られており、この試合は大いに注目を集めていた。
得点者
オールブラックスは、以下の選手がトライを決めました。
- トニー・ウッドコック
- ジェローム・カイノ
- マア・ノヌ
- イスラエル・ダッグ
また、ダン・カーターは4トライすべてのコンバージョンを成功させ、さらに3つのペナルティゴールを追加して、オールブラックスの得点を大きく後押ししました。
結果
オールブラックス 37 – フランス 17
この勝利により、オールブラックスはラグビーワールドカップでの勢いを維持し、決勝進出に向けた大きな一歩を踏み出すことができました。フランスとの接戦を制することで、オールブラックスはその強さと戦略的なゲームプレイを再び証明することができました。
オールブラックス史上初の代表100キャップ達成!
ニュージーランド代表チーム、通称オールブラックスの主将であるリッチー・マコウは、この試合で歴史的な偉業を達成しました。マコウはこの試合に出場し、オールブラックスとしてのキャップ(代表出場回数)を100にまで伸ばし、チームの歴史上初めてこの数字を達成した選手となりました。
試合終了時、マコウは感極まる様子でチームメートやファンに感謝の意を示しました。マコウの功績を讃える声は、スタジアム内外から上がっており、そのキャリアやこの記録を称賛する声が多くのラグビーファンや関係者から聞かれました。
【第四戦】オールブラックス vs カナダ
日時: 2011年10月2日
場所: ウェリントン・リージョナル・スタジアム, ウェリントン, ニュージーランド
試合の概要
オールブラックスは、2011年のラグビーワールドカップでの第4試合をカナダと戦いました。この試合では、オールブラックスの力強いパフォーマンスが発揮され、カナダを圧倒しました。
得点者
オールブラックスは以下の選手がトライを決めました。
- リチャード・カウイ・ソニー
- ビル・ウィリアムズ
- アダム・トムソン
- コリー・ジェーン
- イスラエル・ダッグ
- コリン・スレイド
- アンディ・エリス
- イザイア・トイーバ
- サム・ホワイトロック
また、コリン・スレイドはトライのうち9本のコンバージョンを成功させました。
結果
オールブラックス 79 – カナダ 15
オールブラックスのこの試合での勝利は、チームの優位性と高い得点能力を強調したものとなった。カナダとの試合でのこの大勝は、オールブラックスがラグビーワールドカップの試合で過去に獲得した最多得点の記録を樹立する結果となった。
再びの欠場!マコウの状態に対する疑念が浮上
リッチー・マコウは、グループリーグの日本戦に続き、この試合も欠場していました。この事態は、ニュージーランドラグビー界に多大な懸念をもたらしました。マコウの怪我の深刻さやその後の回復の度合いに対する疑問が、ファンやメディアから絶え間なく投げかけられました。
特にメディアは、練習の様子や内部情報をもとに、マコウが準決勝でプレーすることができない可能性を報じ、ファンの中にも心配の声が高まりました。
そんな中、オールブラックスのアシスタントコーチ、スティーブ・ハンセンは報道陣に対し、「マコウの足は問題ない」とのコメントを残しました。ハンセンは、チーム内での負傷者による大きな懸念はないとも明言。
マコウ自身も、「足に金属片が入っているときは、必ずこうした症状が出る可能性があります。私は一年を通じてそれをなんとかしてきました」と語り。昨日のトレーニングも無事に終わり来週(アルゼンチンとの準々決勝)に向けて準備をしたかったので、この決断が下されたと述べました。
これらの言葉が、心配するファンやメディアに束の間の安心感を与えた一方で、マコウはレントゲン検査を受けるをの拒否していました。
【第五戦】オールブラックス vs アルゼンチン
日時: 2011年9月25日
場所: イーデン・パーク, オークランド, ニュージーランド
試合の概要
2011年のラグビーワールドカップ第5戦で、オールブラックスはアルゼンチンと戦いました。この試合では、オールブラックスは強烈な攻撃を展開し、4トライを奪取して勝利を収めました。
得点者
オールブラックスの得点者は以下の通りです。
- トライ
・キーラン・リード
・ブラッド・ソーン
・リッチー・マコウ
・マア・ノヌ
- コンバージョンおよびペナルティ
・ダン・カーター(4トライのコンバージョンおよび追加のペナルティを成功)
結果
オールブラックス 33 – アルゼンチン 10
この勝利により、オールブラックスはラグビーワールドカップでの勝利を積み重ね、チャンピオンとなるべく決勝戦へと進む重要な一歩を踏み出しました。アルゼンチンは熟練したチームであり、この試合での勝利はオールブラックスにとって大きな自信をもたらしたでしょう。
決勝トーナメント進出決定!ライバルオーストラリアと激突へ!!
オールブラックスがこの試合に勝利したことで、ラグビーワールドカップの決勝トーナメント進出が確定。準決勝ので、長年のライバルである強豪オーストラリアと戦うことになりました。この2チームの対戦は、ラグビーの世界において最も注目されるマッチアップの一つであり、ファンはこの試合を心待ちにしています。
一方、フランスは1次リーグでニュージーランドとトンガに敗れるなど、不安定な成績を残しながらも決勝トーナメントに進出。さらに、チーム内での内紛や諸問題が報じられる中、その困難を乗り越えての決勝トーナメント進出となりました。それに対し、開催国ニュージーランドは、グループリーグを全勝で終え、堂々と決勝トーナメントに駒を進むことができました。
痛みを抱えつつも準決勝でマコウが復帰!
試合後、リッチー・マコウが準決勝の先発メンバーとして名を連ねることが明らかになりました。マコウは今大会を通じて痛みを抱えており、その出場が不安視されていました。しかし、マコウの決意と回復力、そしてチームメディカルスタッフの努力の結果が次の大舞台でのプレーを可能にしました。
【準決勝】オールブラックス vs オーストラリア
日時: 2011年10月16日
場所: イーデン・パーク, オークランド, ニュージーランド
試合の概要
この試合は2011年ラグビーワールドカップの準決勝として行われました。オールブラックスはオーストラリアに対して圧倒的なパフォーマンスを見せ、2トライを獲得する一方、オーストラリアを2つのペナルティのみに抑えることができました。結果として、20-6での勝利を収めました。
得点者
オールブラックスの得点者は以下の通りです:
- トライ
・マア・ノヌ
・トニー・ウッドコック
- コンバージョンおよびペナルティ
・ダン・カーター (2トライのコンバージョンと2つのペナルティを成功)
結果
オールブラックス 20 – オーストラリア 6
この勝利は、オールブラックスがワールドカップでの優勝を目指して一歩前進することを意味しました。守備の堅さ、そして戦術的なアプローチは、この試合を「完璧なパフォーマンス」と評価する解説者もいました。特に、オールブラックスのタックルの集中力と効果的さは、多くのファンからの賞賛を受けました。この試合の後、オールブラックスはフランスとの決勝戦へと進出し、その後の歴史に名を刻むこととなります。
【決勝】オールブラックス vs フランス
日時: 2011年10月23日
場所: イーデン・パーク, オークランド, ニュージーランド
背景
2011年のラグビーワールドカップ決勝は、オールブラックスとフランスの間で行われました。この試合の舞台となったのはオークランドのイーデン・パークで、1987年にも両チームが決勝で顔を合わせた歴史的なスタジアムです。特に注目すべきは、この決勝戦がニュージーランドの労働者の日の祝日の長い週末に重なっていたことです。このことは、ラグビーファンにとっては最高の連休になりました。
都市の雰囲気
オールブラックスが決勝トーナメントを勝ち進むにつれ、オークランドの都市の雰囲気も一層高まっていった。街中のショーウィンドーは、黒地にシルバーファーンのフラッグで飾られ、まるでクリスマスのような華やかさを放っていました。また、カフェやパブでは、各国のジャージを着たファンたちが集まり、ラグビーの試合や戦術について熱く語り合っていました。街全体がラグビーフィーバーに包まれ、大会のクライマックスを迎える雰囲気がどこに行っても感じられたのです。
「神よニュージーランドを守れ」感動的な国歌斉唱
決勝戦の前に、特別な瞬間が訪れた。その瞬間は、国際的に有名なニュージーランド出身のソプラノ歌手、ヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra)が、ニュージーランド国歌「神よニュージーランドを守れ(God Defend New Zealand)」を情熱的に歌ったことでした。
彼女の歌声は、スタジアムに集まった数万人の観客と、テレビやラジオを通じて試合を楽しみにしている世界中の人々を魅了した。この特別な日に、彼女の歌声はニュージーランドのプライドと国の団結を象徴するものとなりました。
フランス代表のハカへの挑戦
2011年の「ラグビーワールドカップ」ニュージーランド大会の決勝戦で繰り広げられたオールブラックスのハカは、多くのラグビーファンにとって忘れられない瞬間となった。特にフランス代表のハカに対する応答が大きな話題となり、伝説として今も語り継がれている。
ハカはオールブラックスにとって神聖な伝統であり、相手チームは通常、肩を組んで静かに待つのが一般的だ。しかし、フランス代表はこの伝統を破り、勝利の意味を込めて「フライングV」の形成で前進し始めた。この行動は、多くの観客とテレビ視聴者にショックを与え、多くの反響を呼び起こした。
キャプテンのティエリー・デュソートワールは、この行動について「彼らを近くで感じ、その特別な瞬間を全員で共有したかった」と語った。この行動の背後には、2007年のワールドカップとの連携があり、その時の経験から、フランス代表がハカに何らかの応答を行いたいという気持ちが強まっていたという。
選手たちの意図は明確であり、フランス代表がただの参加者としてではなく、勝者としてこの決勝戦に臨む姿勢を示すものだった。フライハーフのフランソワ・トリン=デュクは「私たちは彼らに挑戦を投げかけ、私たちがそこにいることを知らせる方法を探していた」と述べている。
この挑戦的な行動により、フランス代表はオールブラックスとの戦いにおいて、ただの対戦相手でなく、真のライバルとしての存在を示すことができた。その結果、この試合はラグビーの歴史の中でも特に記憶に残るものとなりました。
24年の待ち望んだ栄冠を獲得した瞬間
決勝の舞台、 ニュージーランド最大規模のスタジアムでイーデン・パークは、50,000人以上の熱狂的なファンで埋め尽くされ、試合の開始とともに黒のジャージを着たサポーターが大合唱。過去の失敗、今大会を通じた戦い、それら全てがこの一戦に集約されるかのような雰囲気でした。
フランスは開始からプレッシャーをかけてきたましたが、オールブラックスが僅差でのリードを維持。得点のチャンスは数少なく、ディフェンスが前面に出た試合となっていきました。
オールブラックスのトライとペナルティゴールに対し、フランスもトライとコンバージョンで応戦。しかし、その後の得点はなく、緊張感あふれる戦いの中で、8対7というスコアで時間が過ぎていきました。
そして、ついに歓喜の瞬間が訪れます、最後のホイッスルが鳴られ、イーデン・パークは大歓声と涙に包まれました。24年前の1987年以来の栄冠を、再び手中にした喜びは、選手たちの顔にも、そしてスタンドのファンたちの顔にも浮かんでいた。
ニュージーランドのラグビー界での名を刻む
特にキャプテン、リッチー・マコウの姿が印象的でした。マコウはこの大会中、足の怪我に悩まされながらも、最後までチームを鼓舞し続けました。優勝トロフィー(ウェブ・エリス・カップ)を空高く掲げるその姿は、ニュージーランドのラグビー史において伝説のシーンとして刻まれました。
また、このシーンはマコウの偉大なキャリアにおける最高の瞬間でもありました。マコウは1987年のキャプテン、デビッド・カークが初めてニュージーランドにもたらした栄冠の歴史を引き継ぎ、再び時代を動かしたのです。
オールブラックスのプレースタイルに対する批判と称賛
試合後には、多くの解説者やファンから様々な意見や反応が飛び交いました。特にオールブラックスのプレースタイルに対しては、賛否両論の評価がなされました。
一部の解説者やファンからは、オールブラックスのプレーが保守的で、攻撃的な展開を欠いていたとの批判の声も上がりました。特に、過去のオールブラックスが持っていた独特の攻撃的なプレーと比較して、この試合のプレースタイルはやや保守的に映るという意見がありました。
しかし、他の多くの解説者やファンは、オールブラックスの守備の堅さや、フランスの攻撃に対する堅固な守備ラインを称賛しました。特に、フランスのティエリー・デュソートワールのような卓越した選手たちの攻撃を何度も阻止したオールブラックスの守備陣は、この試合の勝利のカギとなったと評されています。
実際、フランスのティエリー・デュソートワールは、その卓越したプレーでこの試合の最優秀選手に選ばれました。彼の素晴らしいプレーは、多くのラグビーファンの心を魅了し、試合の結果にも関わらず、彼の実力とプレースタイルが高く評価されました。
このように、この試合は攻守の駆け引きや、両チームの戦略が魅力的であり、ラグビーの真髄を感じさせる一戦となりました。今大会のオールブラックスの優勝は、そのプレースタイルや戦略が成功のカギとなったのです。
マコウの伝説的な闘志
ラグビーワールドカップでのリッチー・マコウの活躍は、熱狂的なファンからの称賛だけでなく、スポーツの歴史においてもその名を不朽のものとしました。しかし、その背後には、マコウの超人的な忍耐力とチームへの絶対的な献身がありました。
大会が終了すると、驚くべき事実が明らかにされました。なんとマコウの足は折れていました。第5中足骨の骨折は、痛みが激しく、プレーを継続することは不可能に近い痛みを伴います。しかし、マコウはこの苦しみを乗り越えて、チームと全国のファンのためにプレーを続けていたのです。
グラハム・ヘンリー監督は、この人間離れした偉業について試合後に、「彼はほとんど歩けなかった。それなのに普通にプレーしているのが信じられない」と驚きのコメントを残しています。また、「おそらく彼なしではオールブラックスは勝てなかったであろう」とその働きを賞賛しました。
このエプソードはマコウの性格を明白に表しており、それはオールブラックスの精神、特に”Leave the jersey in a better place”(ジャージをより良い場所に残す)という哲学にも見事に合致するものでした。
リッチー・マコウの手術が成功
11月24日、リッチー・マコウの右足の手術が成功裏に終わったことがニュージーランド・ラグビー協会から発表されました。
この手術は、前年のスーパーラグビーのシーズン前に彼の右足に挿入されていたネジの除去と、骨移植を目的として行われました。この手術が成功したことでマコウの復帰を待つファンからは安堵の声が上がりました。一方で、2012年のスーパーラグビーシーズンの開幕戦に間に合わない可能性が浮上しました。
マコウ、再び走り始めるまで10~12週間かかる予定で、クルセーダーズのジャージーを着て復帰するタイミングは2012年3月のスーパーラグビー中盤戦以降になると見られていました。これにより、2月24日にブルーズとの開幕戦に出場できるかは微妙でした。
手術を担当したオールブラックスのデブ・ロビンソン医師は、「リッチーの手術は想像以上に順調で、手術前のレントゲン検査で骨が治癒し始めていることが確認されました。ワールドカップが終わってからまだ1ヶ月しか経っていないので、これは非常に良い兆候です」と手術の成功についてコメントしました。
ワールドカップ終了からの短い期間での回復は、ファンにとっても非常に心強いニュースでした。
リッチー・マコウの栄光とスポーツマンシップ
ワールドカップ後、すぐにリッチー・マコウはRWCドリームチームに名を連ねました。この選出は、16万票を超えるファンからの熱烈な支持によって成り立ったものであり、マッカウの実力とファンからの評価の高さが示されています。
しかし、すべてが順調というわけではありませんでした。ニュージーランド年間最優秀選手賞では、チームメイトであり、同じく優れた才能を持つジェローム・カイノが受賞。マコウはこの賞を逃してしまいました。この結果は、ニュージーランドのラグビー界において、どれだけ競争が激しいかを示す一例となりまいた。
しかし、その後に受賞した、ハルバーグ賞におけるニュージーランド年間最優秀スポーツマン賞は、マコウの素晴らしい実績と貢献を称えるものでした。
ハルバーグ賞は、ニュージーランドスポーツ界での最高の栄誉として広く認知されており、その年の最も卓越した選手やチームを表彰するものです。マコウがこの賞を獲得したことは、マコウの2011年の活躍が非常に高く評価されたことの証拠であり、彼のキャリアにおいても大きな実績となりました。
この年、マコウが最も注目を浴びたのは、ハルバーグ賞ではなく、ナイト爵位の申し出を断ったことでした。この栄誉は多くのスポーツ選手や公人に授与されており、特にマコウのような成功を収めた選手には、受け入れられることが一般的であす。しかし、マコウはこれを辞退しました。その理由や背景については多くの議論や憶測が飛び交い、ニュージーランドのメディアやファンの間で大きな話題となりました。
マコウのこの選択は、マコウ自身の謙虚さや価値観、そして真のスポーツマンシップを示すものとして、多くの人々に深い印象を与えました。
リッチー・マコウが振り返る2011W杯
マッコーは自身の著書やインタビューで、この2011年のワールドカップの経験について話しています。
「私たち選手一人一人、そして運営チーム全員の努力を心から誇りに思います。そして、私たちを支えてくれた多くのサポートに深く感謝しています。ラグビーワールドカップでの優勝は、ニュージーランドの人々の勝利です。
決勝戦に出場した選手たち全員が、オールブラックスとしての誇りと意義を体現しました。一度は他のメンバーにその場を譲った選手たちもいましたが、最終的にこの30人のチームが最大のチャンスを掴んだのです。困難な状況でも、私たちは何度も立ち上がり、隣で戦ってくれる仲間を信じ続けました。
30人の選手とその背後のスタッフ、私たちは一丸となって目標に向かいました。ニュージーランド全土の皆さんが私たちに温かなサポートを送ってくれたこと、そのすべてに感謝しています。その期待に応えられたこと、それが私たちにとって最高の喜びです。
決勝の僅差の勝利は、チームの真価を示しています。最高のパフォーマンスとは言えなかったかもしれませんが、最後までの勇気と強い気持ちが必要でした。この場を手に入れるために長い時間努力してきた選手たちが、最後まで諦めなかったこと、それには心から敬意を表します。
準決勝のオーストラリア戦では、私たちらしいラグビーを展開し、決勝では最後の一秒まで粘り強く戦い抜きました。試合が終わった翌朝、私たちが成し遂げたことの大きさがようやく実感できました。試合後の夜は、ある種の達成感や安堵感があったと思います」
試合後が終わった直後の思い
「試合が終わった直後、自分でもうまく言葉にできないほどの感情に襲われました。正直に言うと、私は完全に打ちのめされていたのです。それを他者が理解するのは難しいかもしれませんが、私は選手たち一人一人と、共に築き上げてきたものに心からの誇りを感じています。圧倒的なプレッシャーの中、私たちは自分たちの信念を貫き、目指していた場所に辿り着きました。
試合終了時、誰もが全てを出し尽くしていました。その感覚は実に不思議でした。その実感は時間と共に沸き上がることでしょう。決勝前、多くの人が我々が容易に勝利すると予想していたかもしれませんが、選手たちやスタッフは、その考えを持っていませんでした。それが実際の試合で証明されたことです。
我々は8-0とリードしていましたが、彼らがトライを決めた際、最も大切だったのは冷静さを保つことでした。キックオフの際、我々がパニック状態になっているように見えたかもしれません。しかし、そういった厳しい状況下でも信念と信頼を保つことが重要であると、我々は認識していました。何が起こってもパニックを起こさず、冷静に対応することが求められました。
そのための事前準備が大切で、私たちは試合前の週に十分な準備をしていました。その姿勢、それがリーダーやキャプテンとしての役割です。そして、その瞬間が訪れたとき、我々はお互いを信じ、勝利へと向かって戦っていきました。
過去4年間の経験を最大限に活かし、その結果を示したかったのです。そして、それは実現できたと感じています。もちろん、スティーブン・ドナルドがキーとなるPKを成功させたのも大きかった。選手交代もうまくいったと思います。大事なのは、事前に様々な状況を想定し、準備すること。準備なしに最善の結果を期待するだけでは、困難な状況に適切に対応することはできません」
ニュージーランド国民のサポートに対する感謝と誇り
「問題が起きたとき、いつも誰かがその場に立ち、そして次の選手が後に続いた。スティーブンのプレーには頭が下がるが、これは彼一人の功績だけではありません。全員が全力を尽くしました。ワールドカップを制するためには、戦士のような心構えが必要です。時が経つにつれて、これらの選手たちの偉業は語り継がれることでしょう。彼らは真の勇者で、全国民が彼らの努力を誇りに思うべきです。
確かに、私たちはチーム、オールブラックスのためにワールドカップを制しましたが、それは同時にニュージーランド全体のための勝利でもありました。その一部としての誇りを持つこと、そして何かの形で寄与していると感じることが重要です。
フランスを破った次の日のオークランドでのパレードは、オールブラックスとラグビーへの国民の太いサポートと情熱を物語っていました。私たちはこのサポートを決して軽視することはありません。多くのニュージーランド人が感情を控えめに表現することが多い中、彼らの情熱とサポートを直接見ることができるのは、非常に感動的でした。
オークランドの後、選手たちは国を巡り、まずはクライストチャーチを訪れました。クライストチャーチでの訪問は我々にとって大変意義深いものでした。彼らとの時間は私たちにとって非常に貴重で、その場にいた全ての人々がこの勝利を誇りに思ってほしいと願っています。キウイ(ニュージーランド人)として、この瞬間は本当に特別なものでした。
クライストチャーチでは試合は開催されませんでしたが、その地域からのサポートは絶大であることを感じていました。私たちはカップを手に、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えるためにそこを訪れました。そして、ウェリントンでは10万人以上が通りに集まってくれ、その2日間は私たちにとって忘れられない時間となりました。
地獄のような6週間を経ての優勝でしたが、次の4年間、私たちは世界チャンピオンとしての時間を存分に楽しむつもりです」
決勝点となったティーブン・ドナルドのキック
ティーブン・ドナルドは、2011年のラグビーワールドカップ決勝で、オールブラックスとフランスの間の試合で重要な役割を果たした選手です。この試合は、非常に接戦であり、フランスが終盤に追い上げを見せる中、ドナルドのペナルティキックがオールブラックスの勝利を確実なものにしました。
その背景として、オールブラックスの主要な10番の選手、ダン・カーターが大会中に怪我をして欠場していました。さらに、カーターの代役として起用されたアーロン・クレーデンも怪我で試合中に退場となりました。これにより、ティーブン・ドナルドが予期せずピッチに立つこととなりました。
ドナルドは試合の途中から出場し、その後、非常にプレッシャーのかかる状況でペナルティキックを成功させました。このキックは試合の唯一の得点となり、オールブラックスが8-7でフランスを下し、24年ぶりのワールドカップ優勝を果たすきっかけとなりました。
この試合後、ティーブン・ドナルドの決勝キックはニュージーランドのラグビー史上、そしてワールドカップの歴史の中でも最も記憶に残る瞬間の一つとして称賛されました。
自国開催でのアドバンテージについて
「多くの人々はホームアドバンテージを過大評価していると思っています。ワールドカップの歴史を振り返れば、開催国が優勝するよりも、惜しくも敗退することの方が多い。そして、グループステージを通過し決勝トーナメントに突入すれば、どんな展開になるか誰にも予測できません。
その段階ではホーム会場でのアドバンテージは薄れ、メンタルが求められます。3回連続の勝者総取りのノックアウトゲームにおいて、ランキングや形式がひっくり返ることはよくある事です」
勝利への不確かな道
1987年の初めてのワールドカップでの優勝以来、オールブラックスは再びそのタイトルを取り戻すのを待ち望んでいました。その後、1995年には南アフリカが自国で開催されたワールドカップで優勝し、その象徴的な瞬間は、ネルソン・マンデラ大統領がフランソワ・ピナールにトロフィーを手渡す姿として、スポーツ史に名を刻みました。
しかし、ホームアドバンテージが必ずしも優勝に繋がるわけではないことが、これまでのワールドカップの歴史からも明らかです。イングランド、ウェールズ、オーストラリア、フランスといったラグビーパワーハウスが自国での大会でトロフィーを掲げることができなかったのが、その証拠です。大会を主催するというプレッシャーや期待、そして対戦相手の動向など、多くの要因が絡み合って、ホームアドバンテージが実際の結果にどのように影響するかは予測が難しいのが実情です。
そのため、2011年のオールブラックスの優勝は、ホームアドバンテージをフルに生かし、そのプレッシャーを乗り越えての勝利として、特に印象的なものとなりました。
自身の役割とチームの強さについて
「私自身がすべてを知っているつもりはありませんが、今大会で、素晴らしい選手たちがチームに貢献したことが成功出来た大きな要因でした。オールブラックスをタイトルに導いたのは信じられないほどのことでしたが、キャプテンの仕事は決して一人だけの仕事ではないのです。
チームの中にゲームに関する深い知識を持つ選手がいる場合、それを最大限に活用し、チームが一丸となって目標に進むように調整するのがキャプテンの役目だと言えます。その役割を正しく果たすことで、強固な絆を持ったチームを築くことができます。そして、そのチームで望む結果を手にすることができるのです」
偉大なキャプテンとラグビー界のスーパースター
ワールドカップの舞台では、キャプテンとしてのマコウの役割は素晴らしいものでした。2011年のワールドカップでのオールブラックスの優勝は、マコウ自身、そしてニュージーランド全体にとって非常に意味深いものでした。彼はそのリーダーシップでチームを団結させ、ホームのアドバンテージを最大限に活用して、そのプレッシャーの中でトロフィーを獲得することができました。
デビッド・カーク、ニック・ファー=ジョーンズ、フランソワ・ピナール、ジョン・イールズ、マーティン・ジョンソン、ジョン・スミットという、ワールドカップ優勝キャプテンとしての偉大な名前の中に、リッチー・マコウの名前が加わったことは、マコウのキャリアとリーダーシップの偉大さを示すものでした。
また、クルセイダーズの主力選手としても、マコウはスーパーラグビーでの数多くの勝利とタイトル獲得に大きく貢献してきました。ウェブ・エリス・カップを掲げる彼の姿は、オールブラックスのファンやラグビーファン全体にとって、永遠に心に残る瞬間となりました。
優勝のための集中力と目標
「選手として、ワールドカップの決勝戦が終了した時の感情、それがどのようなものであったとしても、すぐに次に目を向ける必要があります。もちろん、達成したことに対する誇りは色あせることはありません。しかし、テストラグビーの世界では前進し続けることが全てだということを忘れてはいけません。
フランスとの決勝戦のハイライトを見返しましたが、この試合がどれほど緊張していて、どれほど危険な状態だったかを実感しました。ピッチ上でプレーする選手は自分の役割に集中するもですあが、この試合がどれほどドラマティックなものだったかを私たちはしっかりと記憶しています。
ホームでのワールドカップ開催ということで、私たちには大きなプレッシャーがかかっていました。しかし、個人的には、このプレッシャーをポジティブに捉えていました。
なぜなら、ワールドカップでのプレーはすでに光栄なことであり、それがホームでのプレーとなれば、その特別さは更に増すことになります。そのような経験できる選手はキャリアの中でほんの一握りです。
オールブラックスのジャージを着て戦う、この事はつねに大きな期待とプレッシャーを伴います。しかし、私は外部からの期待よりも、自分の家族や友人とその経験を共有できることに喜びを感じていました。
もちろん、チーム全員が外部からの期待の声や状況を理解していましたが、私たち自身が集中を保ち、自分たちの世界に浸ることもまた大切だったのです」
「リッチー・マコウ」ワールドカップ優勝の感動と冷静なリーダーシップ
オールブラックスのワールドカップ優勝は、長い間その栄光を渇望していた国民にとって、大きな感動と解放感をもたらした。しかし、フランス代表との勝利がもたらした一時的な高揚感にも関わらず、マッカウは常に冷静な姿勢を保ち続けた。イーデン・パークでの歴史的な勝利に溺れることなく、マコウは自分自身とオールブラックスの目標をしっかりと見据えていたのです。
《リッチー・マコウの栄光③》ラグビー史に刻まれた最後の挑戦の軌跡