身体を使って障害物を乗り越えるスポーツ・アート「パルクール」。フランスで生まれたこの運動は、自由な動きと創造性を重視するカルチャーとして、世界中で人気を集めています。
パルクールの起源やヤマカシという伝説的集団の歴史、ADDという新しいスポーツの誕生など、興味深い内容が満載です。また、パルクールが世界中で広がるきっかけとなった映画やテレビ番組についても触れられており、パルクールの普及に興味がある方には必読の記事となっています。
フランス海軍将校が生み出したスポーツ!パルクールの歴史と起源とは?《パルクール誕生①》
THE KING OF PARKOUR
『YAMAKASHI』自由な動きで都市を駆け抜けるアート
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パルクールは、身体を使って障害物を乗り越えるスポーツ・アートです。建物、壁、樹木などを使って街を駆け抜けるこの活動は、自由な動きと創造性を重視するカルチャーとなっています。
それは彼らだけで楽しんでいた特別な遊び
パルクールは、1980年代にフランスのパリ郊外のLisses(リスで生まれました。少年たちが自由に走り回ったり、壁をよじ登ったりする遊びから始まり、次第により洗練された動きへと発展していきました。彼らは、運動能力を向上させるために、さまざまな技術を磨いていきました。
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その子供たちはやがてグループを結成!これが伝説のパルクール集団『YAMAKASI』
パルクールの起源となった少年たちは、後に「ヤマカシ」というグループを結成しました。ヤマカシは、リンガラ語で「強い精神、強い肉体」という意味を持ち、彼らの精神とパルクールへの情熱を象徴しています。
YAMAKASIは超人的な能力を持つストリートパフォーマーたちの呼び名として広まっていきました。
パルクール史にその名を刻む9人のレジェンド
グループのメンバーは、学校の同級生や家族の友人など、10年以上もの長い間一緒に過ごしてきた9人の仲間たちでした。彼らは、それぞれが持つ独自のスタイルや技術を持ち寄り、パルクールの発展に寄与しました。以下に、結成当時のメンバーを紹介します。
- David Belle(ダビッド・ベル): パルクールの創始者として広く認知されており、特に高い壁を登る技術に長けていました。
- Laurent Piemontesi(ロラン・ピエンモンテージ): バランスや柔軟性に優れ、様々な障害物を華麗に乗り越えるスタイルが特徴。
- Sebastien Foucan(セバスチャン・フォーカン): パルクールの一派であるフリーランニングを提唱し、創造的で個性的な動きが魅力。
- Yann Hnautra(ヤン・ノウトゥラ): 力強さと正確な動きが特徴であり、パルクールの指導者としても活躍しています。
- Charles Perriere(シャルル・ペリエール): 細やかな技術とスピード感あふれる動きが魅力で、流れるようなパフォーマンスを見せる。
- Malik Diouf(マリク・ディウフ): 高さを活かした大胆なジャンプやアクロバティックな動きが特徴で、観客を魅了します。
- Guylain N’Guba Boyeke(ギレン・ヌグバ=ボイェケ): 身体能力に優れ、パルクールのダイナミズムを体現するアーティストです。
- Chau Belle(チョウ・ベル・ディン): 軽やかな動きと高い運動能力で、見る人を驚かせるパフォーマンスを行います。
- Williams Belle(ウィリアム・ベル): パルクールの基本技術を見事に習得しており、その技術力は多くの人々に影響を与えました。
ヤマカシのメンバーは、パルクールの技術と哲学を世界中に広める役割を果たしました。
En immersion avec les Yamakasi – 2001 pic.twitter.com/RW1rOGbhf1
— Ina.fr (@Inafr_officiel) March 11, 2019
彼らは大人になってもこの遊びを続けた
ヤマカシのメンバーたちは、大人になっても子どもの頃から行っていた遊びを続けました。彼らは長年の練習を通じて、技術や身体能力をさらに磨き上げていきました。やがて、街中の壁や階段、樹木などのあらゆる障害物を自由自在に越えることができるようになりました。
彼らのパルクールは、単なる遊びからアーバンスポーツ・アートへと変化していきます。
「L’Art Du Deplacement(The Art of Movement)」
ヤマカシのメンバーたちは、自分たちが独自に発展させてきたパルクールの技術をさらに洗練させることを目指し、新しいスポーツ「L’Art Du Deplacement(The Art of Movement、通称ADD)」を創造しました。
ADDは、パルクールに似た要素を含んだ総合的な身体表現のスタイルです。空中技やアクロバット、瞬発力のある動き、トランポリンなど、様々な要素が組み合わされています。また、ADDはパルクールの哲学や倫理観も引き継いでおり、身体と心の調和や環境への配慮なども重要な要素とされています。
Coaching – The Art of Listening#parkour #movement #coaching @PKGenerations https://t.co/ClCLAfQsby pic.twitter.com/PnlEQdtfiY
— Dan Edwardes (@DanEdwardes) September 4, 2016
L’Art du déplacement sur la ville à #Nantes via https://t.co/3ESaYfixuc @WILD_PKFR pic.twitter.com/BBgba1aZ5i
— RomainBOULANGER (@RomainB88) November 27, 2016
ヤマカシの脚光を浴びる瞬間
1997年にフランスのニュース番組「Stade 2」でヤマカシが特集され、彼らのパルクールが一躍有名になりました。この特集は、ヤマカシとパルクールを広く世界に紹介するきっかけとなりました。
「Notre Dame de Paris」での成功
さらに、1998年には世界的な成功を収めたミュージカル「Notre Dame de Paris(ノートルダムのせむし男)」に、ヤマカシのメンバーがメインキャストとして出演しました。彼らは舞台上で独自のアクロバティックな動きを披露し、観客を魅了しました。この舞台は、世界中で人気を博し、特にアジアで大きな反響を呼びました。
ADDを離れた男たちがたどった新しい道
1998年、ヤマカシのメンバーであったダビッド・ベルとセバスチャン・フォーカンは、ADDとの方向性の違いからヤマカシを離れることになり、彼らはそれぞれ独自の道を進みました。
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“Parkour”という言葉の誕生
“Parkour”は、フランス語の”Parcours”に由来しており、直訳すると「コース」や「経路」を意味します。ダビッド・ベルは、この言葉を基にして、パルクールのより具体的な動きを表現することを目指しました。
“Parcours”が”Parkour”という言葉になったのは、ダビッド・ベルが映画の撮影中にユベール・クンデーと出会ったことがきっかけでした。
ダビッド・ベルは、自身が撮影した”Speed Air Man”というビデオをクンデーに見せた際、クンデーから「より単語にダイナミックさや力強さをもたせるために、cをkにして、更に最後のsをとってはどうか」とアドバイスを受けました。
ダビッド・ベルはこのアイデアを気に入り、公式に”Parkour”という名前を採用しました。
ParkourとParcours
しかし、実際には、”Parkour”と”Parcours”はほぼ同じ意味を持つ言葉であり、両者の違いはあまりありません。ただし、”Parkour”は、都市環境での効率的な移動や創造的な動きを表現するスポーツやアートを指す言葉として、独自の意味合いを持っています。このため、”Parkour”は、パルクールのアーバンスポーツ・アートとしての独自性や創造性を強調する言葉として広く使われています。
映画「YAMAKASI」が公開!パルクールが世界中に広がる
2001年に公開されたリュック・ベッソン監督の映画『YAMAKASI』は、ヤマカシの知名度を一気に広めることに成功しました。この映画は、ヤマカシのメンバーが主演し、彼らのパルクールのスキルを披露したアクション映画でした。
『YAMAKASI』は、世界中で公開され、多くの観客にヤマカシの存在やパルクールの魅力を知らしめました。映画の成功により、パルクールはより多くの人々に興味を持たれるようになり、
多くのパルクール愛好家が誕生しました。また、この映画は、パルクールのメディアへの露出やその後の映画・テレビ番組への登場に繋がりました。
映画『YAMAKASI』の成功は、ヤマカシやパルクールが世界的に認知されるきっかけとなり、パルクールが現代のアーバンスポーツ・アートとして広く普及する契機となりました。
パルクールが映像の世界に与えた影響
映画『YAMAKASI』以降、パルクールを取り入れたアクションシーンが登場する映画が増えました。これにより、パルクールが世界中で注目されるようになり、多くの人々がパルクールを実践するようになりました。
2003年のChannel 4のドキュメンタリー作品「Jump London」は、イギリスのロンドンを舞台にパルクールのアスリートたちが街を駆け巡る様子を追った作品で、多くの視聴者に衝撃を与えました。
ダヴィッド・ベル主演の映画「Banlieue 13」
また、2004年公開のダヴィッド・ベル主演の映画「Banlieue 13(邦題:アルティメット)」では、フランスの都市部を舞台にパルクールの迫力あるアクションシーンが展開されました。
ドキュメンタリ「Génération Yamakasi」
2005年に公開されたドキュメンタリー「Génération Yamakasi」は、マーク・ダニエルズが撮影した美しい作品で、ヤマカシとアート・デュ・デプレイスメントに焦点を当てています。
Yann Hnautra、Laurent Piemontesi、Chau Belle、Williams Belleといったメンバーへのインタビューを通じて、ヤマカシが抱く価値観や規律、そして生き方についての深い洞察を伝えています。
ドキュメンタリーは、ヤマカシが郊外の若者たちに影響を与え、規律や意志の力で彼ら自身や周囲を変えていく様子を描いています。彼らは、抑圧的な都市建築を可能性やファンタジーに満ちた遊び場に変えることで、新しいアーバンカルチャーを創造しています。
しかし、「Génération Yamakasi」は、単なるエクストリームスポーツや娯楽としてだけではなく、社会的メッセージも持つパルクールが今後どのように発展していくのか、その意味や未来についても疑問を投げかけています。
パルクールが映画とテレビで熱狂を巻き起こす
さらに、パルクールは映画やテレビ、CMなどのメディアで多く取り上げられ、その知名度が急速に上昇しました。エネルギッシュでダイナミックなパルクールの動きは、視聴者にインパクトを与え、新しいアクションシーンやアクロバティックなパフォーマンスとして大変魅力的です。
例えば、2006年に公開された映画「カジノ・ロワイヤル」では、パルクールの創始者であるセバスチャン・フォーカンが、ジェームズ・ボンドと壮絶なアクションシーンで対決しています。また、その後のボンド映画やアメリカン・ニンジャ・ウォリアーなどのテレビ番組でも、パルクールが取り入れられています。
パルクール熱が日本を席巻!?「忍者女子高生」CMが話題に
日本でも、パルクールは徐々に認知度が上がり、特に若者たちの間で注目を集めるようになっています。「忍者女子高生」というCMが話題となったことで、パルクールがさらに広まり、日本の若者たちの間で人気が高まりました。
このようなメディア露出を通じて、パルクールは日本でも多くの人々に知られるようになり、運動としての地位を確立しています。また、日本独自の文化や伝統、風景がパルクールに組み込まれ、新たなスタイルが生まれることも期待されています。
パルクールが切り開く革新的な未来
このように、パルクールはメディアで取り上げられることが増え、映画やテレビ番組、CMなどで実践者が登場することが多くなっています。これにより、パルクールは世界中で人気が高まり、ますます多くの人々が運動に興味を持ち始めています。
また、SNSやYouTubeなどのオンラインメディアを通じて、パルクールのトレーニングやパフォーマンスが広まり、実践者同士が知識や技術を共有しやすくなっています。これにより、パルクールの技術が進化し続け、運動としての地位がますます確立されることでしょう。
今後も、パルクールは世界中でさらなる発展を遂げ、多様な文化と融合しながら独自の進化を続けることが期待されます。メディアでの露出が増えることによって、パルクールは更に多くの人々にとって魅力的な運動となり、その普及が加速していくでしょう。