フランス海軍将校が生み出したスポーツ!パルクールの歴史と起源とは?《パルクール誕生①》

パルクールは、その起源を20世紀初頭にフランス海軍将校ジョルジュ・エベルの革新的な訓練方法にさかのぼります。

エベルのトレーニング方法はフランス軍の訓練の基礎となり、現代の都市環境に適応されパルクールへと成長していきました。

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 “パルクール”を採り入れた超人的なスタント・アクションが評判を呼んだリュック・ベッソン脚本・製作のフレンチ・アクション「アルティメット」を、リュック・ベッソン自ら脚本を手がけてハリウッド・リメイクしたクライム・アクション。主演は、これが最後の主演作となってしまった故ポール・ウォーカーとオリジナル版にも主演した“パルクール”の創始者ダヴィッド・ベル、共演に「アイアン・フィスト」のRZA。監督はベッソン作品で編集を手がけ、これが長編監督デビューのカミーユ・ドゥラマーレ。(「allcinema」データベースより)

Hébert Georges

元フランスの海軍将校「ジョルジュ・エベル」のメソッド!!

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パルクールは、身体を自由に動かし、障害物を乗り越える独特の運動です。都市空間を利用して行われることが多いこのスポーツは、近年、世界中で人気を博しています。

パルクールは、ジョルジュ・エベル(Georges Hébert)元フランス海軍将校が考案した「methode naturelle(メトード・ナチュレル)」というトレーニングメソッドが起源とされています。

アフリカの部族からうけたインスピレーション

ジョルジュ・エベルが考案した「methode naturelle」のアイデアは、彼がアフリカで過ごした経験にも大きく影響されています。

エベルはフランス海軍の士官候補生としてアフリカに滞在していた際、現地の部族の驚異的な身体能力に感銘を受けました。

彼らは自然の中で生活し、特別な指導者もいない状況下で、柔軟性、軽快さ、巧みさ、頑丈さ、耐久力を身につけていました。

エベルは部族の素晴らしい身体能力を目の当たりにし、次のように語っています。

「彼らの身体は素晴らしかった。柔軟で、軽快で、巧みで、頑丈で、耐性があるのだ。彼らには体操の指導者がいる訳でもなく、ただ自然の中で生活しているだけなのだ。」

この経験を通して、エベルは自然界と人間の身体との関係について考え始め、自然の中での動きが人間の持つ本来の身体能力を引き出すという考え方を練り上げました。

この考え方が、「methode naturelle」という独特のトレーニングメソッドを生み出す基盤となり、後のパルクールの発展につながりました。

プレー山の噴火とエベルの救助活動

1902年8月5日、マルティニーク島のプレー山(Mount Pelée)で発生した大噴火は、カリブ海地域の歴史に名を刻む大災害となりました。

この噴火の際、山頂の溶岩ドームが破壊され、火砕流が発生。サンピエール市をはじめ周辺地域に甚大な被害がもたらされ、約28,000人が犠牲となりました。

ジョルジュ・エベルは、当時フランス海軍の士官としてマルティニーク島に駐留しており、この大噴火の救助活動に参加しました。

エベルは、災害現場で遭遇した状況や、生存者たちと接する中で、身体的および精神的な緊急時の対応力がいかに重要かを痛感しました。

この経験は、エベルが後に開発する「methode naturelle」に大きな影響を与えることになります。

Zaboravljeni Kanal/YouTube

「強く在れ、機能的であれ」救助活動の成功体験

ジョルジュ・エベルは、マルティニーク島でのプレー山の噴火の救助活動において、約700人の脱出と救出を成功させることができました。

この経験は彼に大きな影響を与え、身体能力だけでなく、勇気や利他の精神も重要であるという考えを強化しました。

彼は後に、「強く在れ、機能的であれ(être fort pour être utile)」という行動指針を作り、この言葉はパルクールの精神的な側面にも通じるものとなりました。

この指針は、個人の能力を高めることで、自分だけでなく他者にも役立つ存在になるべきだという理念を表しています。

パルクールの哲学的な側面

現代のパルクールの哲学的な側面は以下

  1. 目的を持ち、子供から大人まで参加でき、秩序だっていて前進的で継続的な活動。
    パルクールは、単なる運動ではなく、目的や目標を持ち、進歩的で継続的な活動を通じて身体能力の向上を目指します。また、年齢や性別に関係なく、誰でも参加できるようになっています。
  2. 完全な身体的発達を保証すること
    パルクールは、身体的発達を促進するための運動であり、全身をバランスよく使うことで、身体の発達を保証することを目指しています。
  3. 身体の抵抗力を増強すること
    パルクールは、身体の抵抗力を増強するための運動であり、身体を強くすることで、病気やけがを防ぐことを目指しています。
  4. すべての自然的な運動、不可欠な実用的運動の全てのジャンル(歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ)の良さをよく認識すること
    パルクールは、自然な動きを取り入れた運動であり、日常生活で必要とされる様々な運動を取り入れています。これらの運動をよく認識し、トレーニングに取り入れることで、より実用的な身体能力を身に付けることを目指しています。
  5. 身体活動の全ての面における能力や実用的運動における力強さを伸ばし、精神的にも身体的にも習熟すること
    パルクールは、身体能力だけでなく、精神的な側面にも焦点を当てています。身体活動の全ての面において能力を伸ばし、実用的な運動における力強さを身に付けることで、精神的にも身体的にも習熟することを目指しています。
  6. 利他であること。
    パルクールは、自己を超え、他者の役に立つことを重視する哲学的な運動です。そのため、利他主義を大切にし、自分自身だけでなく、他者に対しても配慮し、役に立つことを目指しています。この考え方は、パルクールが単なる運動ではなく、生活や社会の中での行動や価値観にまで影響を与える、総合的な哲学的な運動であることを表しています。

ジョルジュ・エベルの教育活動と「methode naturelle」の開発

28歳のとき、ジョルジュ・エベルはフランスのランスの大学で体育教官となり、自身の体育教育のシステムを定義することに励みました。

彼は自然の中での身体能力の重要性に着目し、自然な動きを取り入れたトレーニングメソッドを開発。これを「methode naturelle(メトード・ナチュレール)」と名付けました。

これにはアフリカでの経験が生かされた

これは、かつてアフリカて現地部族の人々の身体能力に感銘を受け、彼らの身体能力に基づいて作り上げられたトレーニングメソッドでした。

このトレーニングは全部で10種の基礎的運動群(歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ)から構成されました。

Methode Naturelle/YouTube
運動器具の開発とトレーニングセンター

エベルは「methode naturelle」を実践するために、様々な運動器具を作り始めました。

彼が開発した運動器具は、自然界で遭遇するような障害物を模したもので、身体能力を最大限に引き出すための独自の設計がされていました。

彼はこれらの運動器具を自身のトレーニングセンターで使用し、多くの人々に「methode naturelle」の効果を実感させました。

L’HEBERTISME Méthode Naturelle/YouTube

エベルのトレーニングメソッドと海軍への提案

ジョルジュ・エベルは、自身が開発した「methode naturelle」によるトレーニングメソッドを体系化し、体育授業の方法に関する論文を執筆しました。

そして、この論文を海軍省に提出しました。エベルは自身のトレーニングメソッドが海軍の体育訓練に採用されることを目指していたのです。

Everyone Everywhere/YouTube
海兵学校での実験とエベルによる体育指導

海軍省はエベルの提案に興味を示し、海兵学校で彼のトレーニングメソッドに関する実験が行われました。

実験の結果、エベルの「methode naturelle」は士官候補生たちの身体能力向上に効果があることが認められ、エベル自身が海兵学校で体育指導を開始することになりました。

エベルは海兵学校での指導を通じて、「methode naturelle」をさらに洗練させ、その効果を広めました。

彼のトレーニングメソッドは、やがてフランス軍全体のトレーニングのスタンダードとなり、第1次世界大戦および第2次世界大戦中のフランス軍の訓練にも取り入れられました。

軍人たちが障害物を乗り越えたり、敵の攻撃から逃れたりするために、エベルのトレーニングメソッドが積極的に取り入れられました。

この結果、多くの兵士たちの身体能力が飛躍的に向上し、戦場での生存率が高まることにつながりました

軍事訓練専用障害物コース「Parcours du combattant」の誕生

“methode naturelle”を基に、障害物コース軍事訓練「Parcours du combattant」が誕生しました。

この訓練は、さまざまな障害物を乗り越えたり、移動したりすることで、身体能力を向上させ、危険な状況での対応力や判断力を養うことを目的としており、非常に効果的な訓練方法として評価されました。

この訓練は、後にフランスの軍隊や消防団などで広く採用されました。

この訓練は、身体能力の向上をはじめ、危険な状況での対応力や判断力を養うことを目的としており、非常に効果的な訓練方法として評価されています。

Le Républicain Lorrain/YouTube

パルクールに繋がる

ジョルジュ・エベルが考案した”methode naturelle”と、障害物コース軍事訓練”Parcours du combattant”をベースに作り上げられたのがパルクールです。

そして、パルクールは、身体能力向上や危険な状況への対応力の養成だけでなく、自由で創造的な運動の形態として、世界中で多くの人々に支持されるようになりました。

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多くの映画、プロモーション・ビデオや企業のCMなどで使われ、注目を集める全く新しいスポーツ“パルクール”がDVD化。パルクールの魅力を東京・大阪で活躍している二組の集団が紹介。様々な技の攻略ポイントや、ストーリー仕立てのショートムービー、数々の難易度の高い技を織り交ぜた模範演技など、パルクールの魅力を余すところなく収録。(「Oricon」データベースより)

Raymond Belle

ジョルジュの訓練コースで鍛錬「レイモンド・ベル」

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レイモンド・ベル(Raymond Belle)は、1939年に現在のベトナムであるフランス領インドシナで生まれ、そこで育ちました。彼はフランス領インドシナにおいて戦争による荒廃や困難な状況の中で成長しましたが、その経験が彼の非常に高い身体能力と精神力を養うこととなりました。

子供の頃「Parcours du combattant」に忍び込んだ

レイモンド・ベルは幼い頃に戦争で父親を亡くし、その後の生活は困難を強いられることとなりました。ジョルジュ・エベルが提唱した”methode naturelle”の影響を受け、自然環境を活用したトレーニングを行った。

また、自分を守るために夜中に軍の訓練コース(Parcours du combattant)へこっそり忍び込み、自分を鍛えるようになりました。彼はこの経験を通じて、自然環境や障害物を利用したトレーニングの重要性を学びました。

フランス軍に入隊し軍事教育と軍事訓練を受ける

レイモンド・ベルは1946年にフランス軍に入隊し、第一次インドシナ戦争が始まるとともに軍事訓練を受けました。彼はベトナム中南部の都市ダラットに配属され、軍隊教育や軍事訓練を受けることになります。

Indochina 1950s
パルクールへの影響

レイモンド・ベルが受けた軍事訓練は、彼がパルクールの考え方を形成する上で大きな影響を与えました。軍事訓練では、障害物を乗り越えたり、様々な状況に対応する能力が重要とされており、これらの要素はパルクールの基本的な考え方と一致しています。また、軍隊教育や軍事訓練を通じて身につけた身体能力や忍耐力、協調性やチームワークも、パルクールの精神的な側面につながっています。パルクールへの影響

パリ消防団(Pompiers de Paris)に入隊

第一次インドシナ戦争終結後、レイモンド・ベルはパリで軍隊教育を受け、19歳でサープル・ポンピエ・ドゥ・パリ(パリ消防団)に配属されました。彼は消防団での救助活動や危機対応を通して、身体能力や柔軟性、素早さが重要であることを実感しました。

Pompiers de Paris/YouTube
パルクールの考え方の確立

パリ消防団での経験を通じて、レイモンド・ベルは自己防衛のためのトレーニングを発展させ、パルクールの考え方を確立することになりました。彼は、身体を効果的に動かすための自然な動きや、障害物を利用して状況に対応する能力を重視するようになりました。

レイモンド・ベルの独自のトレーニング法「le parcours」

レイモンド・ベルは、フランス軍での訓練やインドシナでの経験をもとに、より多くの要素を含んだトレーニング法を独自に発展させ、それを「le parcours」と名付けました。彼はこの言葉を、自己防衛のための全てのトレーニングメソッドを包括する言葉として使用していました。このトレーニング法は、後にパルクールの基礎となる要素を含むものとして発展していきました。

パルクールへの発展

「le parcours」のトレーニング法は、後にパルクールの基礎となる要素を含むものとして発展していきました。このトレーニング法は、身体能力や柔軟性、障害物を利用して状況に対応する能力など、パルクールの特徴を形成する要素を持っています。

レイモンド・ベルは「le parcours」を通じて、パルクールの基本的な考え方や技術を築き上げ、後に息子のダビデ・ベルが引き継いで広めることになりました。この独自のトレーニング法は、現代のパルクールの基盤となる重要な要素を提供しています。

David Belle

レイモンド・ベルの息子「ダヴィッド・ベル」

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ダビデ・ベルは1973年にフランスの小さな港町フェカンで生まれました。彼は幼いころから、父親であるレイモンド・ベルから「le parcours」のトレーニング法や自然な動きを通じた身体能力の向上を学びました。彼はまた、様々なスポーツや武術も経験し、総合的な身体能力を身につけました。

ダヴィッドが父から「Le parcours」を学ぶ

1984年にパリ郊外の街Lisses(リス)に引っ越し、そこで父のレイモンド・ベルから「Le parcours」を学びました。当時、ダヴィッドは陸上競技や体操競技に取り組んでいましたが、満足できる結果を出せず、父から教わったトレーニング法に魅了されたとされています。

VilledeLisses/YouTube
リサの町でトレーニングをやり続けた

ダヴィッドは「Le parcours」のトレーニング法を地道に続け、自然な動きや身体能力を向上させることに情熱を注ぎました。この経験が、後に彼がパルクールを発展させ、広めるきっかけとなりました。

Parkour/YouTube

一緒にトレーニングをしていた友達や集まったメンバーでグループを結成!

Lissesでのトレーニングを実践したのは、ダヴィッド・ベルだけでなく、彼の友人たちも一緒でした。

彼らは9人のメンバーから成るグループを結成し、パルクールの技術を共有し、発展させていきました。

このグループには、ダヴィッド・ベル、ヤン・ヌートラ、チャウ・ベル、ロラン・ピエモンテジ、セバスチャン・フォーカン、ギラン・ヌバ・ボイエク、チャルル・ペリエール、マリック・ディウフ、ウィリアムズ・ベルが含まれていました。彼らの努力と情熱が、パルクールの普及につながることになりました。

David Belle/YouTube
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 “パルクール”を採り入れた超人的なスタント・アクションが評判を呼んだリュック・ベッソン脚本・製作のフレンチ・アクション「アルティメット」を、リュック・ベッソン自ら脚本を手がけてハリウッド・リメイクしたクライム・アクション。主演は、これが最後の主演作となってしまった故ポール・ウォーカーとオリジナル版にも主演した“パルクール”の創始者ダヴィッド・ベル、共演に「アイアン・フィスト」のRZA。監督はベッソン作品で編集を手がけ、これが長編監督デビューのカミーユ・ドゥラマーレ。(「allcinema」データベースより)
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