《イチロー引退の日(1)》44歳でマリナーズ復帰!レジェンドの新たな挑戦!!

2018年、野球界は一つの驚きと感動のニュースで賑わった。

それは、日本の誇る伝説的選手、イチローが44歳にして、かつての舞台、シアトル・マリナーズへと戻ってくるというニュースでした。

この特集では、伝説の野球選手「イチロー」の引退日から一年ほど時間を巻き戻し、マリナーズ復帰からイチローが歩みだしたプロ生活最後の道のりを追っていきます。

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2000年、メジャーリーグ挑戦直前のインタビューから、2019年3月、現役引退直後にシアトルの自宅で行われたロングインタビューまで。スポーツ総合誌Numberを中心に20年間、100時間を超える単独インタビューを完全収録した、イチロー本の決定版。(「Books」出版書誌データベースより)

ICHIRO’S LAST GAME

イチローの軌跡「50歳まで現役」への挑戦

MLB/YouTube

日米通算4367安打。

この圧倒的な数字は、イチローが1992年のオリックス時代からの27シーズンで積み上上げたものです。その数々の安打は、イチローの技術と情熱、そして絶えず進化する姿勢の証です。

しかし、それだけでは語り尽くせないイチローのキャリアにおけるもう一つの重要なポイントがあります。それが「50歳まで現役」という言葉です。

「50歳まで現役」の発言

2002年、イチローはメジャーリーグの2年目を終えた頃に「50歳まで現役」という言葉で、世界中の野球ファンやメディアを驚愕させました。

これには年齢に囚われることなく、自らの野球人生を最大限に楽しみたいというイチローの真摯な思いが込められていました。

この発言は、イチローの長いキャリアを通じての学びや経験がバックグラウンドにありました。

イチローは常に自分自身を磨き続け、新しい方法やトレーニングを取り入れ、時代の変化に対応してきました。

そんな中で、「50歳まで現役」という挑戦は、それまでのイチローの経歴を振り返ると説得力に満ちたものでした。

この発言から数年間。イチローの体力や技術はトップクラスであり続けました。一方で、年齢との挑戦もイチローの偉大なキャリアの一部となっています。

野球界の常識への挑戦

イチローの挑戦心は、日常のトレーニングや食事、そしてプレースタイルにも現れています。

40代に突入しても、イチローは体脂肪率7%台を維持し続け、多くの人々に感動を与えました。

現役最年長の選手となった2015年からのメジャーでの活躍は、トップレベルでのパフォーマンスを維持し続けていることの証となっています。

しかし、そんなイチローにも困難も訪れ始めました。三振の増加、盗塁の減少など、プレースタイルに変化が見られるようになっていきました。

これは、年齢だけの問題ではありませんでした。

MLBの野球スタイルそのものが大きく変わり始め、データや科学技術の進歩により、投手の球速が増加し、打者たちも『フライボール革命』と呼ばれる新しい打撃スタイルを求められるようになりました。

MLBのトレンドの変化「フライボール革命」

『フライボール革命』とは「フライを打つ方が、よりヒットの確率が上がる」という戦術思考がメジャーリーグベースボール(MLB)で広く受け入れられるようになった現象です。

この打撃スタイルが普及するきっかけとなったのは、2015年の「スタットキャスト」と呼ばれる高度な追跡システムの導入でした。

ヒューストン・アストロズがこのデータを用いて効果的な打撃理論を模索し、2017年のワールドシリーズ制覇に結びつけました。

この打撃理論では、打球速度が時速158キロ以上、打球角度が26度~30度の範囲が最もヒットやホームランに結びつく「バレルゾーン」と定義されています。

こうした考え方が浸透していった結果、2017年以降、MLBにおけるホームランが急増し、2019年には年間6,776本塁打が記録されました。

しかしこのアプローチには三振の増加などの副作用もあり、ゲームが淡白なものになり、多様性が失われつつあるという批判も存在します。

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革命の中で揺らぐイチローの打撃スタイル

イチローの打撃スタイルは、フライボールを積極的に打ち上げるものではなく、広いフィールドを利用したヒットを放つスタイルであり、スピードを活かした走塁が武器でした。

『フライボール革命』の広まりとともに、多くの打者がホームランを重視する打撃スタイルにシフトしていく中、イチローは自身のスタイルを貫き続けました。

スピードと正確なバットコントロールが武器であるイチローにとって、この新しいトレンドは逆風ともいえる現象であり、自身の野球哲学に反するものでした。

また、高齢となってからはこれに対応するのは簡単なことではなかったのかもしれません。

しかし、これがイチローの挑戦をさらに価値あるものにしました。

イチローは、変化する時代にも柔軟に対応しながら、自らの信念を貫き通す野球人としての姿を見せ続けたのです。

それでも、この頃のMLBでは長打力のある打者ほど評価されるようになり、高齢の選手でもあるイチローは、チームにとって重宝されることはなくなっていました。

イチローのメジャーリーグでの足跡

2001年、イチローは28歳の時に、オリックス(NPB)からシアトル・マリナーズ(MLB)に入団すると、打率.350、242安打、56盗塁の成績を記録し、首位打者、盗塁王、新人王、ゴールドグラブ賞、MVPなど多くのタイトルを獲得しました。

MLB/YouTube
シーズン262安打達成

これら活躍はチームのメジャー史上最多タイとなるシーズン116勝の大きな一因となりました。

その後もイチローの活躍は止まらず、10年間にわたって200安打、ゴールドグラブ、オールスター出場という偉業を達成。

2004年には、ベーブ・ルースがプレーしていた神話の時代の伝説の選手、ジョージ・シスラーのシーズン257安打を抜き、262安打という新たなメジャーレコードを打ち立てました。

これはアンタッチュブルレコード(不滅の記録)とされています。また、21世紀の最高打率.372で首位打者にも輝きました。

さらに驚くべきことに、この年のイチローは内野安打を60本も打っていました。

この内野安打の数は、通算最多安打記録を持っていたピート・ローズを持ってしても、神の力でも借りなければ実現不可能とまで表現しています。

Seattle Mariners/YouTube
38歳でマリナーズを去りヤンキースへ移籍

2012年7月23日に突如トレード移籍が発表され、38歳のイチローはニューヨーク・ヤンキースに移籍。

ヤンキースデビューは、マリナーズのホームであるセーフコ・フィールドで行われ、その試合でのイチローの姿は多くのファンの記憶に新しいものとして残っています。

第1打席で打席に立ち、ヘルメットを取ってマリナーズのファンに敬意を示す姿は、野球しに残る名場面として語り継がれています。

シアトルでの試合では、その後も常に暖かい拍手とともに迎えられました。

lolitsbrian/YouTube
41歳でマーリンズへ移籍

2015年、41歳のイチローはマイアミ・マーリンズへFA(フリーエージェント)で加入。チームの4番手の控え外野手としての役割ながらも、着実にヒットを積み上げました。

日米通算最多安打記録「4256安打」

2016年6月15日の試合では、日本での安打記録と合わせ、ピート・ローズの持っていた通算最多安打記録(4256安打)を更新しました。

MLB/YouTube
メジャー通算3000安打達成

2016年8月7日には、メジャーリーグで30人目となる通算3000安打の大台を達成しました。

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セーフコ・フィールでの凱旋ホームラン

2017年4月、マーリンズとして古巣のセーフコ・フィールドに凱旋出場すると、ホームランを放ち、スタンドはイチローを称える大歓声で包まれました。

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44歳の年齢でFA

しかし、チームの若返りを考えたマーリンズは2017年11月3日に、来季2018年のイチローとの契約を延長をしないという決定を下しました。これにより、イチローは44歳で再びFAの身となりました。

44歳のイチロー、メジャーの舞台での今後は?

イチローは、その非凡な才能と長いキャリアを通じて、多くの野球ファンに感動と驚きを与えてきた。しかし、44歳という年齢が、メジャーで戦うという厳しい現実の中で大きな課題となりました。

多くの選手が引退を考える年齢でありながら、2017年の成績は、その年齢を感じさせないものでした。

打率.255、3本塁打、20打点と、年齢を感じさせない成果を上げ、特に27本の代打安打はメジャーの歴史に名を刻むことになりました。

後半戦の打率は.299という結果を残し、まだまだ先発の選手としても活躍できることを示しました。

しかし、そうした結果にもかかわらず、44歳という年齢はMLBのフロントからの評価は冷めていました。

これは、野球というスポーツが若者の世界であるという先入観や、過去の実績よりも将来性を重視する傾向が強いためかもしれません。

イチロー、日本復帰の可能性

この状況に、イチローの日本プロ野球界復帰が現実的な選択肢として浮上してきました。

代理人のジョン・ボッグスがMLB公式サイトを通じて伝えた内容によれば、メジャーの各球団との交渉が難航しているため、イチローが再び日本の土を踏む可能性が生まれてきたとのことです、

イチロー自身、2017年シーズンは136試合と自身のキャリアで最も少ない出場数に終わっています。

一方で、その状況にもかかわらず、「50歳までプレーしたい」という強い意志をイチロー示してます。

MLBとの契約には引き続き全力で取り組む意向だが、日本復帰の選択肢が現実的になった場合、古巣であるオリックスが最有力候補とされていました。

この頃、世界中の野球ファンにとって、イチローの行く末はもっともホットな話題でした。

果たしてイチローはメジャーリーグでの契約を勝ち取ることができるのか、それともマイナー契約という選択をするのか。

はたまた、日本での復帰という大きなサプライズがあるのか。イチローがメジャーでのプレーを最優先と考えていた場合、現役引退の可能性も考えられました。

この現状について、2017年のイチロー杯でイチロー自身が複雑な心境を語りました。

イチローの未来「希望と現実の狭間」

2017年12月24日、イチロー杯の大会長として珍しくスーツ姿で登場したイチローは、恒例の挨拶の場で、子供からの直球な質問に答える一幕がありました。

「日本球界復帰の可能性はありますか?」という質問に、イチローは苦笑いを浮かべ、「“可能性”という言葉を使うなら…これは僕の逃げの言葉です。“可能性”っていろんなことに使えるから。ゼロじゃない限りは可能性はあるけど…ややこしいなあ」と答えました。

その言葉の裏には、彼の内に秘めた感情とアメリカでの現状へのフラストレーションがにじみ出ていました。

イチローはまた、「ただ、アメリカでは44歳のおじさんがどうなのかっていう感じになる」と、異文化の中でのキャリアの難しさを示唆しました。

自身のオファーを待つ姿勢は、「“ペットショップで売れ残った大きな犬”みたいな状態」と自虐的にも表現しました。

これは、2015年1月、ヤンキースをFAとなったイチローがマーリンズ入団会見で使った言葉を引用したものでした。

さらに、「まったく3年前と同じ」と続けて発言し今の自身の気持ちを表現しました。

「イチロー世代」の最後の輝きと孤高の存在

「イチロー世代」とは、イチローを筆頭とした、同じ時代を駆け抜けた同世代のプロ野球選手たちを指して使われる言葉です。

この世代の選手たちは、1990年代から2000年代初頭の日本プロ野球を盛り上げ、ファンに数多くの感動を与えてきました。

彼らは、その才能と実績で日本野球の黄金期を築いたと言っても過言ではありません。

石井一久、松中信彦、中村紀洋、黒木知宏、三浦大輔、小笠原道大など、この世代の選手たちはそれぞれが主役級の実力と実績を持つ選手であり、彼らの活躍は多くのファンの記憶と共に語られています。

特に2000本安打という日米通算の記録を持つイチロー、小笠原、中村の3人は、打者としての卓越した実績を持っています。

しかし、時間と共に選手たちも歳を重ね、引退を迎える選手が続出。

イチロー世代の選手たちも例外ではなく、次第に彼らの名前を現役の選手リストから見ることは減っていきました。そして、イチローはその中で最後の現役選手として残りました。

これは、イチローの非凡なる才能と、持続する情熱、そして驚異的な体力管理があったからだと考えられます。

44歳で現役を続けるイチローの姿は、その世代の選手たちにとって驚愕すべき出来事でありリスペクトの対象でした。

イチローは、イチロー世代の中で最後の一人として、その輝きを持続させていたのです。

古巣マリナーズに復帰

2018年3月7日、野球界に衝撃のニュースが走りました。

シアトル・マリナーズが、マイアミ・マーリンズからFAとなっていたイチロー外野手と、1年契約を交わしたと突如発表したのです。

契約の詳細は、年俸はメジャー75万0000ドル(約8000万円)で、これにプラス出来高払い、ピーク時の20億7000万円の25分の1ほどの年俸で、メジャー18年目に挑むことになりました。

イチローは2001年のメジャーデビューから2012年までマリナーズでプレーし、その後、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マーリンズと所属を変えていました。

しかし、6年ぶりに古巣であるマリナーズへの復帰を果たすことになり、ファンからも熱い声援を受けました。

今回の契約に至った背景には、マリナーズの主力選手に対する怪我の影響が大きいと言います。

開幕を控え、外野手が手薄となり、補強が急募されていたところに、経験と実績を兼ね備えたイチローがFAとなっていたことから、古巣復帰の運びとなったのである。

ディー・ゴードン外野手、イチロー復帰を歓迎

イチローのシアトル・マリナーズへの劇的な復帰は、ファンや野球関係者、そして選手たちをも喜ばせました。

中でも特に喜んだのが、ディー・ゴードン外野手でした。両選手は前季、マイアミ・マーリンズで共にプレーしており、ディー・ゴードン外野手はイチローに深い信頼と敬意を抱いている。

ゴードンはこのニュースを受けて、自身のインスタグラムを更新。

掲載したのは、試合後のハイタッチのシーンで、その中でイエリッチ、スタントンとともに、イチローとハイタッチを交わすゴードンの姿がありました。

ゴードンはイチローに向けて右手を挙げ、喜びに満ちた表情を浮かべていた。この画像からは、2人の間の深い絆と信頼関係が伺えます。

ゴードンの投稿には、「イチは僕の方が好きみたい」というコメントが添えられており、その茶目っ気たっぷりの言葉から、彼のイチローへの親しみや尊敬の気持ちが伝わってきました。

ゴードンは今季、マリナーズに移籍しており、イエリッチやスタントンが他チームに移籍した中、イチローがマリナーズに加わることで、再び同じチームでプレーできることに心からの喜んでいました。

さらに、「史上最高」を意味するヤギの絵文字を添えることで、イチローへの深い敬意も示しました。

特別な絆を象徴するバットケース

ディー・ゴードン外野手とイチロー外野手の間には、ただのチームメイトを超えた深い信頼関係と絆があり、マーリン時代のインタビューでイチローへの尊敬と感謝の気持ちを以下のように語っています。

「僕は彼にとても影響を受けている。彼の日々のルーティンや、どれだけプロフェッショナルでい続けるかという姿勢は、本当に尊敬している。彼が野球への情熱をどれほど持っているかを見て、僕自身もそれを学び取ってきた」

そして、その絆を象徴するのがイチローからゴードンへ贈られた特別なプレゼント“バットケース”です。

そのバットケースには除湿剤が備え付けられていて、バットの状態を最高に保つための特注品。

スプリングキャンプでイチローが持ってきたそのケースを初めて見た時に、ゴードンはすぐに気に入ったいいます。そして、なんとイチローはそれをゴードンへとプレゼントしたのです。

その特注ケースは、イチローとゴードンの間に存在する師弟のような絆を象徴している。

ゴードンは、バットケースについて「イチローからもらったこのケースは、私にとっての宝物だ。こんな素晴らしいものはない。このケースを手放したり、新しいものに変えることは絶対にない。僕はイチローからもらったこのケースをこれからも大切に使い続けるんだ」と、目を輝かせて語っていました。

イチローの感慨深いマリナーズ復帰会見

3月7日、イチロー外野手のシアトル・マリナーズ復帰に関する記者会見が、アリゾナ州のマリナーズのスプリングキャンプ施設にあるレストランで行われました。

イチローがスーツ姿で会見場に入ると、背番号「51」のユニホームが手渡され、イチローは照れ臭そうに笑顔を見せ、マリナーズに再び所属することになった感情や心境を率直に打ち明けました

マリナーズから「戻ってきてくれ」という言葉を以前から多く受けていたものの、それを選ぶことができなかったと述べました。

その理由は、ヤンキースへの移籍トレードを自ら望んだからであり、それゆえにシアトルへの「帰りたい」という気持ちを公には語れなかったと言います。

そして、マリナーズから離れた5年半の期間について、イチローは「耐性が強くなった」との言葉でその変化を語りました。

特に、ニューヨーク・ヤンキースでは出場の保証がない日々を送り、常に不確実性と向き合う中で、自らの適応力や耐性が増していったことを感じ取ることができました。

イチローがこの5年半で学んだこと、それは「ホーム」と感じる場所が「特別なもの」であると認識したことでした。

「心配してくれる声」を多く受けながらも、「泰然(たいぜん)」とした状態を保つことができたといいます。

イチローにとって、その「泰然」でいることは、プレーヤーとしてだけでなく人間としても大切なものであり、自分自身が目指していた境地だったと語りました。

「50歳まで現役」について

会見でイチローは、よく「50歳まで現役」と言われることに対して、「実は『最低50歳』と言っているのです」と明かしました。

イチローは40代に入ってから、年齢だけで選手の能力を判断する考え方に異議を唱えてきました。

今回も、FA契約などで年齢が障害となることに関して、「年齢だけでなく、その過程や経験も大切だ」との考えを示しました。

前シーズン、マーリンズではほとんどが代打としての出場で、215打席しかなかったイチローに対して、マリナーズのサービス監督は、イチローを数多くの試合に起用することを示唆していました。

一方で、それが44歳で可能なのか?という疑問が存在するのも事実です。

MLBの歴史の中で、44歳ででプレーした選手は、ピート・ローズやフリオ・フランコなど、わずか8人しかいません。

そして、その中で大きな成果を上げている選手はほとんどいないのが現状でした。44歳以上の選手の中で、WAR指標でプラス1以上を記録したのは、フランコだけだったのです。

果たして、このような年齢に関する固定観念を、イチローは乗り越えられるでしょうか?このような疑念の声に対してサービス監督は、「彼は我々の勝利に貢献してくれると思うし、そのために彼をここに呼び戻した」と述べました。

MLB/YouTube

イチローの復帰「歓迎と疑問」

ジェリー・ディーポトGMは、イチローに対して多大な敬意を示しました。

ディーポトGMは「彼のすばらしい労働倫理、準備、集中はあらゆる点で私たちの環境を向上させてくれるでしょう」と公式にコメント。さらに、イチローを「球史において偉大な選手の一人」と評価しました。

球団の公式ツイッターは、地元の人々がイチローをどのように認識しているかを示す動画を公開。

この動画では、ガソリンスタンドの客や理容師、カフェの店員が、イチローの特徴的なバットのポーズを模倣しています。

動画は「おかえりなさい イチロー・スズキ」というメッセージで締めくくられました。ファンからは、彼の復帰を温かく歓迎するコメントが寄せられました。

全米の主要スポーツサイトもイチローの復帰を一斉に報じました。特に、スポーティングニューズはイチローの復帰を歓迎する声を取り上げました。

また、44歳のコローン投手との対決を楽しみにする声もあり、その可能性を示唆するメディアも目立ちました。

疑問の声

しかし、日本での報道ほど、イチローの復帰はシアトルで歓迎を受けてはいませんでした。

イチローの全盛期を知らない記者も多く、アリゾナ州での入団会見は参加者が少なく、会場は半分ほどしか埋まりませんでした。

地元紙シアトル・タイムズでは、多くのイチロー関連の記事が掲載されましたが、懸念する声も多く含まれていました。

特に、年齢に関する疑問や、復帰後の戦力としての位置付けについての議論が目立ちました。公式サイトでのファン投票でも、意見が分かれており、賛成が49%、反対が28%という結果となっていました。

イチローがマリナーズに在籍時の批判

イチローは2001年から2012年までシアトル・マリナーズに在籍し、その期間中に多くの記録を打ち立て、また多くのファンを魅了しました。

イチローのバッティングテクニックや独特のプレースタイルは、数多くのファンやアナリストから賞賛されました。しかし、イチローのチーム内での人間関係や行動については、批判的な意見が多かったことも事実です。

  • 集中力と交流の少なさ:当時のイチローは、相手投手を打つことをつねに考え集中していました。そのため、他の選手とあまり交流をしませんでした。また、遠征先では、他の選手との食事の誘いを断ることが多く、自身の要望に基づいて作られる専用のカレーを食べていました。
  • 若手選手との関係:メジャーリーグでは、ベテラン選手が若手選手の指導を積極的に行うのが一般的です。しかし、イチロー後輩の指導をほとんどすることはなく、時には若手選手を見下すような態度を取っていたとの声も一部から上がっていました。イチローがライトの守備をしている際に、センターを守る若手選手の動きを『うろちょろすると邪魔だ』と批判したこともありました。
1番打者としてのイチローへの批判

伝統的な1番打者の役割としては、後続のバッターに球種を見せるために相手投手に球数を投げさせたり、四球やバントでの出塁を重視する傾向があります。

しかし、イチローはその打撃技術の高さを生かして、ヒットでの出塁を重視するスタイルを貫いていました。

このため、イチローのプレースタイルは、伝統的な1番打者の役割とは異なる部分がありました。

  • 個人記録への追求:四球を選ばないイチローに対して、自分の打撃記録や成績を重視しているとの指摘や批判が一部から出ていました。特に、チームが苦しい時期や結果が出ていない中でのイチローのプレースタイルには、『チームプレーの意識がない』との声も上がっていました。
  • 打順問題:イチローは、監督から3番に転向する提案があった際にこれを拒否したと言われてます。これに対して、イチローが自身の安打記録を追い求めるために1番打者を拘っているとの批判の声が上がりました。
イチロー不在を喜ぶチームメイト

2009年にイチローが胃潰瘍のために開幕から8試合を欠場している間、マリナーズは好調を維持していました。この時期に、一部の選手が「今年はムードがいい」とコメントしました。

これはイチローがいないことが良い影響をもたらしているとのニュアンスで語られたものでした。

結果の出ないチームの矛先はイチロー

イチローがマリナーズに在籍している間、チームがプレーオフに進出したのは2001年の1回だけでした。このような状況下で、イチローの影響力や給与に対して、地元メディアやファンからの批判出ていました。

  • 年俸問題:伝統的に、チーム最高の年俸は中心打者やエースピッチャーが受け取ることが一般的です。しかし、イチローが受け取っていた年俸はその常識を超えるものであり、一部からはその資金を他の補強に使うべきだとの論調が出ていました。
  • チーム内での摩擦:2008年9月にはエースであったフェリックス・ヘルナンデスをはじめとする複数の選手が、イチローのプレーに対しての不満が爆発。イチローに対して暴力を振るう直前までいきました。マクラレン監督がこれを察知し、緊急ミーティングを開きチーム内の緊張を緩和しました。
  • 選手の補強に対する不満:イチローが川崎宗則選手をチームに推薦し、2012年にマリナーズ入りが実現したことも話題になりました。この動きにはイチロー支持派と反イチロー派とで意見が分かれ、チーム内外で様々な議論を呼び起こしました。
イチローの発言力による批判

イチローはオーナーやチームのフロントを飛び越えて、マリナーズの大株主である任天堂の相談役である山内溥と直接コンタクトをとっていたと言われています。

このコネクションのおかげ、イチローの意見や要望がチーム内で非常に重要視されているという批判もありました。

これについて、2005年から2007年途中までシアトル・マリナーズの指揮を執っていたハーグローブ元監督は、「このチームにはオーナーよりも権限を持った選手がいる」と名前こそ出さなかったものの、イチローの事をこのように表現しました。

この発言は、ファンやメディアからの注目を集め物議を醸しました。

イチローとマリナーズ選手たちの意識のギャップ

イチローはプロとしての道具を非常に大切にしていました。

しかし、マリナーズに入団してすぐ、自分のグローブに座る選手やコーチが多く目にし、その意識の低さに衝撃を受けたました。

イチローの野球人としての道具へのリスペクトと、他の選手やコーチたちのそれとの間には大きなギャップがあったのです。

時には、選手がギターをバットの代わりにして打席に立ち、それを破壊するという行動をとることもありました。

このような行為は、イチローにとって受け入れがたく、プロとしての態度の欠如に大きな失望を感じていました。

イチローが在籍していた期間、マリナーズは中々勝つことができない長いトンネルの中にいました。それにもかかわず、このような振る舞いをするチームメイトに対して、公然と不満を表現していた。

しかし、このようなイチローの高い目標やモチベーションに、多くの選手はついていくことができませんでした。

プロフェッショナルとしての孤立

それでも、イチローは常に高い目標を持ち、それに向かって黙々と努力し続けました。

一方、周囲の選手たちは、一人プロフェッショナルとして取り組む姿勢を「チームプレーの欠如」と見ていました。このような意識のギャップは、イチローはチーム内で孤立する一因ともなっていました。

厳しいメディア対応に対する声

イチローは、メジャーリーグでの活躍を通じて、世界中のスポーツファンとメディアから注目を集めていました。

しかし、そのメディア対応は一筋縄ではいかないものであり、特に日本の報道陣に対しては、厳しい態度を貫いていました。

ロッカールームにいるイチローはまるで横綱のような存在感を放っていました。

試合後のイチローの姿は、記者たちにとって近寄りがたいオーラを放っており、その様子から「ヨコヅナ」というあだ名が生まれました。

イチローは特定の記者以外の質問には答えなかったり、厳しい言葉を投げかける様子は、他の選手たちとは一線を画していました。

その背後には、イチロー独自の哲学や信条がありました。記者もプロである以上、イチローは自分と同じレベルのプロフェッショナルな姿勢を記者に求めていたのです。

しかし、このような毅然とした態度は、一部のメディアやかつてのチームメイトからはあまり好意的な印象では受け取られませんでした。

それもあってか、チームをリフレッシュさせるために、イチローがマリナーズに在籍して10年が経過した頃には、「彼をトレードすべきではないか」という声も聞かれるようになりました。

メディアの注目によるチームメイトからの嫉妬

イチローがメジャーリーグでの活躍を続ける中、多くの日米の報道陣が個人取材を目的にクラブハウスを訪れました。特に、記録更新がかかる試合前後はその傾向が顕著でした。

この結果、他の選手たちへの注目や取材が減少することがしばしばあり、それがチーム内に微妙な雰囲気を生む原因となっていました。

選手たちの中には、自らのプレーに自信を持てない者や、チーム内でのポジションを危づけるような状況にある者もいました。

こうした選手たちの中には、自身の不満や焦りをイチローへの嫉妬や陰口としてぶつける者も存在していました。

彼らは「面白くない」「何でアイツばかり」といった不満の声を漏らすことがあり、これがチーム内の緊張感を高める要因となってしまっていたのです。

イチローの温度差とプロフェッショナリズム

このように、当時のイチローは、その卓越した才能と実績で世界中に名を馳せたものの、地元シアトルでは万人に愛されているわけではありませでした。

イチローのプロフェッショナリズムと次元が異なる存在感は、「温度差」を生み、次第にイチローは孤独を感じるようになりました。

尊敬は得ても愛情は受けず、イチローはチーム内で孤立していったのです。

こうした中での2012年7月、イチローは新たな道を求め、マリナーズを離れる決意を決め、自らの意志でヤンキースへと移籍を果たしました。

しかし、時が経つにつれ、かつては批判の的だったイチローの「温度差」を、プロとしての真摯な姿勢や持つ独自の価値観であると多くの人々が高く評価するようになりました。

イチローの変化と自己犠牲の精神

マリナーズに戻ったイチローの目には、当時のような鋭さや挑戦的な光はなく、代わりに落ち着きや深い洞察が宿っていました。

多くの戦い、経験、そして時の流れがイチローを成熟させ、イチローの内面に変化をもたらしました。

イチローの変化は、多くのファンや関係者にとって驚きの連続でした。過去のイチローは、自らを追い込み、個人の記録や成果を追求する孤高のバッターでした。

しかし、その姿は時と共に変わりよりチームを重視する選手へと変貌していきました。

復帰したイチローは、チームの中での役割も変わっていました。かつてのイチローは、自らを追い込み、個人の記録や成果を追求する孤高のスター選手としてチームを引っ張っていました。

しかし、今のイチローはチームの中での教育者、そして精神的なリーダーとして存在していました。

イチローの元には絶えず若手選手が集まり、野球に対する姿勢や練習方法、プレースタイルに至るまでのアドバイスを求めていました。

例えば、独特なストレッチや体操に驚く選手たちに、イチローは「この地味な練習をすることで、ケガをしない体を保っているんだよ」と語りました。

その言葉の中には、プロとしての長いキャリアを通じて得た経験や知識、そして自身の体を最大限に活かすための工夫が込められていました。

また、イチロー日常の練習やストレッチの様子を見たいという選手たちの要望に応える形で、以前は個人の空間で行っていたストレッチも公の場所で行うようになりました。

その姿を見て、多くの選手たちがイチローのプロとしての姿勢や練習への取り組み方に学び、影響を受けていたことは言うまでもありません。

マーリンズ時代からのイチローの変化

この変化は、イチローがマーリンズでプレーしていた時代にはすでに見られていました。

イチローのバットに対する愛情とリスペクトは、誰からも認められていました。

バット1本1本がイチローにとって大切なパートナーであり、それを無造作に扱うことなどありえませんでした。自分以外がバットに触れることすら許さないほど、バットはイチローにとって神聖なものでした。

しかし、マーリンズで試合をしていたある日、イチローを知る有識者の目には信じられない出来事が映りました。

それは、なんと、当時のチームメイトであり、バリー・ボンズが高く評価する逸材、マーセル・オズナがイチローのバットを持って打席に立ったのです。

イチローから事前の注意を受けていたオズナは、「もし四球を選んだ際には、バットを大切に下に置くように」という注意を守りながら、イチローのバットで圧巻の活躍を見せ、ダグアウトに戻るとイチローに深々とお辞儀をして、使用したバットを返しました。

その後、イチローは「自分のバットを他人に貸すことは考えられなかったが、オズナには良い結果が出てくれて嬉しい」と語っています。

これまでのイチローの性格とこだわりを考えると、この行動は信じられないものでした。

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イチローが変化したきっかけ

イチローがこのように変わったきっかけは、ヤンキース時代にチームメイトだったアレックス・ロドリゲスの一言によるものでした。ロドリゲスはイチローにこう語りかけました。

「どんな天才も必ず衰える。キミが孤高のスタイルを貫いて技術が伝承されないのは不幸なことだ」

この言葉はイチローの心に深く響き、イチローの考え方や態度に大きな変化をもたらしました。

以降、イチローは新たな気持ちで若手選手たちに技術や経験を伝える役割を積極的に果たすようになりました。イチローの中には、自らの持つ技術や知識を次の世代に繋げていくという意識が芽生えていたのです。

また、メディアへの対応にも変化が見られました。

マリナーズに復帰した後のイチローは、以前のような厳しい態度ではなく、報道陣にも積極的に、そして気さくに話しかける姿勢を見せるようになりました。

これは、イチロー自身の成熟や経験の積み重ねが影響しているのかもしれません。

イチロー、新たな役割へ!マリナーズの救世主としての姿

この新しいイチローは、マリナーズの18年ぶりのポストシーズン進出を目指す中で、まさに救世主としての存在感を放っていました。

イチローの経験や技術、そして何よりもその姿勢は、チームメイトや関係者、ファンにとって大きな励みとなり、マリナーズの新たな伝説を作り上げるための一石となっていました。

イチロー、復帰戦での「51」の背番号と観客の熱い期待

2018年3月11日、野球界のレジェンド、イチローがオープン戦に背番号「51」で初出場しました。

この日、イチローが再びフィールドに姿を現すと、ファンからは温かくも力強い拍手が送られました。イチローのフォームやプレーへの期待は、一塁に向かう彼の背中を温かく包んでいました。

スタメンで「1番・左翼」に名を連ねたイチローは、3打数無安打に終わりましたが、そのプレーは多くのファンの心を打ちました。

特に第1打席での見逃し三振の際、観客からは球審に対してブーイングが起こるなど、イチローを支えるファンの熱さを感じることができました。

その他の打席も困難なシチュエーションが続きましたが、イチローの復帰を温かく見守るファンの声援は一貫して力強いものでした。

5回表の守備からは交代となりましたが、そのプレーはまだまだ現役で戦えることをしっかりと証明していました。

試合後、「いやぁ、このユニホームを着られてね。今日初めてです。まあ、いろんなことを経験して、またここに戻ってきたことは感慨深い」と語るイチローの言葉からは、長いキャリアと共に積み重ねられた経験への敬意と謙虚さが感じられました。

また、試合の感覚については「とりあえず、今日でグッと上がったはずですから」と前向きに語った。

以前、入団記者会見で「いつからオープン戦に出られるか」との問いに対し「いつでも大丈夫」と応えていたイチロー。この復帰戦はその言葉に偽りなく、新たなスタートとなりました。

これからのシーズンが、イチローにとって、またファンにとっても、特別なものとなることを強く感じさせる一戦となりました。

古巣復帰後の活躍と急な怪我

3月12日のホワイトソックスとのオープン戦では、四球を選んで出塁しました。その後、3番・セグラのタイムリー三塁打によりホームイン。これが彼の古巣復帰後の初得点となりました。

しかしその2日後の3月14日、ピオリアで行われたジャイアンツとのオープン戦で、先発「1番・左翼」として出場するも、1回守備の後、右ふくらはぎの張りを感じて打席に立つことができず、代打が送られる事態となりました。

イチローの徹底したストレッチのルーティンや44歳には見えない柔軟な体はアメリカでも非常に有名です。

渡米して以降、同じようにふくらはぎを痛めたのは、2009年8月に8試合を休むことになった一度きりでした。

そのため、このような形でイチローが怪我をしたことに、誰もが驚きました。

地元メディアも「筋肉の張りなどを起こしにくい」として知られるイチローが怪我をしたことに、驚きの声をあげていました。

イチローの死球事件とその後の影響

3月23日、イチローはマイナー選手中心のレンジャーズとの練習試合で復帰を果たしました。

しかし、91マイル(約145キロ)の速球がヘルメットの後部を直撃する死球を受けてしまいました。イチローのキャリアを通じて、これほどの危険なシーンを目にすることは稀でした。

また、死球以上に、動体視力や反射神経で長年トップクラスだったイチローが避けきれなかったことに、野球ファンは驚きました。

イチローはその後、一時昏倒し、しばらくの間、動けない状態となりましたが、数分後には自力で起き上がり、施設内のチームドクターによる初期の検査を受けた。

マリナーズの公式ホームページには「骨に異常はなく、脳しんとうの兆候も見られない」との情報が掲載された。

翌3月24日にはさらに頭部の精密検査が行われ、結果として頭部に異常はないとの報告がゼネラルマネジャーから発表された。

イチロー本人も「首の辺りが少し硬くなっているだけで、他に症状は感じられない」とコメントしました。

MLB規定では、シーズン中に脳しんとうと診断されると、7日間の故障者リスト入りが義務付けられています。

春季キャンプ中はその規定が適用されないものの、脳しんとうを起こしていればシーズン開幕戦出場への影響は避けられないものになっていたでしょう。

長い野球人生の中で「故障知らず」として知られるイチローの連続した怪我や事故は、ファンにとって非常にショッキングなニュースでした。

近年、イチローの攻撃力や守備力には多少の低下が見られたが、そのフィジカルの強さがイチローを特別な存在としていたからです。これらの出来事は、このようなイチローにイメージに影を落とすことになりました。

イチロー、開幕への決意と調整の結果

その後、3月27日、ロッキーズとのオープン戦にイチローが「1番・左翼」で出場。結果は3打数無安打1四球で、開幕前最後の試合となりました。

初回に見逃し三振を喫し、続く打席では右直、そして5回の打席で四球を選んだ。7回の打席では中飛でアウトとなり、8回に守備を退いきました。

オープン戦が終わった後、イチローは「前の試合の出来事を忘れることは難しいが、怪我から復帰し、再びセーフコ・フィールドでプレーすることが目標」と明かしました。

イチローの言葉からは、前の試合での死球事故の影響と、それを乗り越える強い決意が伝わってくるものでした。

オープン戦の成績と今後の見通し

オープン戦全体では5試合に出場し、成績は10打数無安打2四球でした。しかし、練習試合では好成績を収めており、イチローの実力がまだ通用することを証明しました。

また、マリナーズのスコット・サービス監督はイチローの守備能力やフィジカル面に関してポジティブに評価していました。

サービス監督は特に左翼の守備位置での移動や反応に焦点を当て、「イチローの動きはまだ100%ではないが、順調に回復している」との見解を示しました。

イチローの開幕戦については、「明日の状態を見て決める」としました。

イチロー、開幕戦で熱狂的な歓迎を受ける

3月29日、セーフコフィールドでの開幕戦は、イチローのマリナーズ復帰戦となった特別な日でした。20年の歴史を持つこの球場には、新記録となる4万7149人の観客が集まりました。

チーム最年長の44歳のイチローは、インディアンスとの一戦に「9番・左翼」としてスタメンに名を連ねました。

第一打席に向かうイチローは、球場のファンからの熱狂的な歓迎を受け、「イチローコール」が沸き起こりました。

この温かさに感動したイチローは、「こんなふうに応援してもらったら、シアトルを離れることなど考えられない」と試合後に語りました。

試合の結果とイチローの評価

試合は名投手クレバーの前に、第1打席で一ゴロ、第2打席で空振り三振と、ヒットを放つことはできませんでした。

しかし、オープン戦での故障や体調面での不安を考慮すると、先発出場自体が奇跡的なものだったとも言えます。試合後半、守備の名手ヘレディアとの交代が行われましたが、これは当初予定された交代でした。

その後、記者たちにインタビューに、「甘いところには投げてくれない。いいピッチャーです」と無安打で終わったイチローは相手の投手を褒めました。

この時のイチローの顔は、これまでのような厳しい表情はなく、記者との間にも穏やかな空気が漂っていました。その後、かつてのように慣れ親しんだ道を車で帰っていきました。

motti モッティ/YouTube

感情をオープンにするイチローの姿

これまでのイチローが長いキャリアの中で、寡黙に野球に向き合うイメージがありました。しかし、この年はこれまでの姿とは異なり、感情的に話すようになりました。

オープン戦での右ふくらはぎを痛めたイチローは、「筋肉が(収縮して)ぐってなっている感じ。ボールが飛んで来ないことをひたすら祈ってました」と、その瞬間の心情を赤裸々に表現しました。

これまでのイチローなら、記者から怪我について詳しく尋ねられても本音を明かすことは考えられなかったため、この姿勢にファンや記者は驚きました。

そして、4月7日、記録的な低気温の中での試合では、イチローがさらに感情をオープンにしました。

ターゲット・フィールドでのツインズ戦でのこの日、イチローは体を冷やさないようスポーツ用タイツと厚手のストッキングで防寒対策を施しながら、フィールドでは熱いプレーを展開しました。

2安打を記録し、チームの勝利に貢献したイチローは試合後、「風吹かなきゃいいんだけど、風もあるからね。体感気温は相当低い。マイナス9度ですか。いや〜、野球をやる気候ではないわね」と率直な感想を話しました。

この試合では、戦略的な頭脳が光る瞬間もありました。体重117キロの巨漢三塁手サノに対して、先頭でセーフティーバントを試みるなど、相手の特徴を巧みに利用したのです。

イチローはこのプレーについても、「プロレスラーみたいな人がサードにいますからね。そりゃ考えるでしょう」と、プレーに込めた意図をジョーク混じりに説明しました。

イチローの衰え

この年は、フィジルカル面での衰えも見えました。

5月2日、アスレチックスとの試合で目撃されたシーンもその一つです。

この日、イチローが放った一・二塁間へのゴロは、全盛期のイチローの足なら簡単に内野安打になっていました。

しかし、ベース手前で明らかに失速してアウトになってしまいました。このプレーは、イチローの年齢を感じさせるものとなりました。

イチロー今季の最終試合…。引退の予感

5月2日、イチローはオークランド・アスレチックスとの試合で先発出場しましたが、この試合は彼にとって特別なものとなることは、その時の誰もが予想しえなかったでしょう。

この日、3打数無安打1得点1四球という成績だったイチローは、代打としての役割よりも先発出場がリズムを取りやすいと語りました。

試合後のシーンは特別なものとなりました。

この日の試合には、イチローの奥様であり、大きな支えである弓子夫人が訪れていました。普段、彼女は特別な試合や節目となる場面でしか球場に姿を見せることはありません。

試合後、通常であれば2人は仲良く手をつなぎながら帰路につくのですが、この日は少し違いました。

クラブハウスから出てきたイチローが、先に弓子夫人の元へ歩み寄りました。そして、夫人の腰に優しく右手を回し、短い時間ではありましたが、2人はしっかりと抱擁しました。

Michael Falcone/YouTube
マリナーズの会長付特別補佐に就任

それからわずか9時間後のこと。日本中、そして世界中の野球ファンはその知らせに驚愕しました。

それは、数々の歴史を築いてきた伝説的な選手、イチローがシアトル・マリナーズの会長付特別補佐に就任するというものでした。

そしてさらに衝撃的だったのは、今シーズンの選手としてのイチローの出場はここまでというものでした。

これはイチローの引退を予感させるものでもあり、多くのファンがイチローへの愛情や感謝、そして敬意を込めたメッセージがSNSを埋め尽くしました。

MLBもこの重要なニュースを速報で伝え、日本語で「ありがとう、イチロー」と書かれたイチローの名場面の動画を公開しました。

アメリカのファンからもすぐに反応が上がりました。数多くの伝説を作り上げ、多くの記録を更新してきたイチローに対する尊敬と感謝の気持ちは、各地で異なる形で表現されました。

イチローがこれまで築いてきたキャリアと、これからの新しい役割に対する多くの期待とサポートが、ファンたちの言葉となって飛び交いました。

現役続行を望むチームメイトの姿

驚きを持って伝えられたイチローの突然の発表ですが、のチームメイトたちの中にはイチローの現役続行の可能性を強く信じている者も多くいました。

ロビンソン・カノはイチローの現在の立場や影響力を認識しており、「イチロー選手は、まだマリナーズにいる。彼の存在は大きいよ」というコメントを通じて、イチローがチーム内で果たしてきた役割の大きさやその影響力を認めています。

イチローは長年のキャリアを通じて数々の記録や実績を築き上げており、その経験やリーダーシップはチームにとって非常に貴重なものとなっています。

一方、イチローを師と仰ぐディー・ゴードンは、イチローが再びフィールドに立つことを心から望んでいるようで、「彼が戻ってくるように祈ってる」とのコメントを寄せています。

このようにチームメイトたちはイチローの復帰を強く期待しており、その信頼や尊敬の念が伝わってきます。

イチローの記者会見

同日、シアトル・マリナーズのユニフォーム姿で、約10分間の記者会見を行いました。

その場においてイチローが伝えたメッセージは、多くのファンやスポーツ関係者に大きな感動と期待を持たせることになりました。

まず、イチローは球団からの“現役続行”が可能な形の契約に感謝の言葉を述べた上で、「ゲームには出られないが終わりではない」との強い決意を示し、自分自身を「野球の研究者」と表現。

今後もトレーニングを欠かさず続けると明言。44歳である現在の自身が、アスリートとしてどのように進化していくかを見守りたいと興味を示しました。

さらに、マリナーズに復帰してからの日々を「ギフト」と評し、それぞれの日を大切に感じてきたといいます。

そして、大好きなチームメイトたちとの関係性が、今回の決断の大きな後押しとなったことも伝えました。

確かに、今季の残り5カ月間実戦から遠ざかることとな、それがイチローの現役復帰にどのような影響を及ぼすかは未知数です。

しかし、イチローは、これまでそういった既存の概念や常識を覆し続けてきました。

この会見では、球団のジェリー・ディポト・ゼネラルマネジャーも、イチローの来季以降の復帰の可能性について語っており、イチロー自身も、その可能性について否定はしませんでした。

イチローが次に何を示してくれるのか、世界中のファンが、イチローの次の動きに注目していました。

イチローの父、鈴木宣之さんのコメント

イチローの突然の発表に、実の父である鈴木宣之さんも感慨深いものがあったようです。

宣之さんは、長年息子のプロとしてのキャリアを見守ってきた一人として、このタイミングでの発表は予期していたと述べています。

「来る時が来たな」と感じ、彼と彼の妻は二人でイチローの会見を見守ったといいます。息子の疲れた様子を察知した宣之さんの目には、多くの戦いや試練を乗り越えてきた長いキャリアを思い返すような感情が湧き上がったことでしょう。

さらに、宣之さんは妻の反応にも言及しています。イチローの会見中、イチローの母親は感情を抑えきれずに涙を流していたとのこと。

これは、彼女が息子の野球人生に対してどれだけの情熱と愛情を持っていたかを示している瞬間であったと言えます。

浮上していた「イチロー不要論」

実は、この衝撃的なニュースは少し前から噂されていました。

この頃、シアトル・マリナーズの外野陣が飽和状態になっており、イチローの調子が上がらないことが議論を巻き起こしていました。

特に地元シアトルのメディアはそのパフォーマンスを厳しくとらえ、チームにとっての最善の選択が何であるかという疑問を提起していました。

イチローが開幕からの成績が振るわないこと、春季キャンプでの頭部死球による影響、そしてレギュラー外野手の復帰によって外野枠が飽和状態になったことが、この「イチロー不要論」の背景にあると言えるでしょう。

結果を見ても、イチローには開幕から13試合の先発機会が与えられたものの、そのパフォーマンスは確かに期待を下回るものでした。

しかし、多くのファンや他のメディアからは、イチローの功績やキャリアを考慮して、イチローを支持する声も多く聞かれました。

このような一時的な低い評価は、イチローの長いキャリアを通して築き上げてきた実績や信頼感の前では何の指針にもなりませんでした。

このような背景の中で、マリナーズの経営陣はイチローを会長付特別補佐に任命するという決断を下しました。

会長付特別補佐としての新たな役割

シアトル・マリナーズとイチロー関係は、単なる選手とチームの関係を超えたものでした。

そのイチローが、選手としての出場機会が減少する中でもマリナーズで新たな役割を果たす。それが、会長付特別補佐という新たな立場になります。

この役職は、外部からの助言をする「特別アドバイザー」とは異なり、チームの内部でより密接にサポートをする立場になります。

中でも「会長付」や「CEO付」という名前がつく役職は、その地位の高さを示すもの。元メジャーリーガーのランディ・ジョンソンも、ダイヤモンドバックスで同様の役職に就いています。

今季のイチローは成績面こそ厳しい評価を受けていましたが、その存在感やムード作りはチームにとって必要不可欠なものでした。

ここまで17勝12敗という好スタートが切れたのは、イチローのサポートの影響が大きいと言われています。

特例措置

MLBの規約により、試合中のベンチ入りこそ認められていませんでしたが、ユニフォームを着て試合前の練習に参加したり、遠征への同行も許されてました。

しかし、これも特例といえる状況でした。

いつでも復帰可能!?微妙な立場

この背景には、「任意引退リスト(Voluntary Retired List)」という、MLBのシステムが関わっています。

このリストは、選手が一時的に野球から離れることを選択した際に名前が登録されるもので、一度リストに名前が載ると、一定期間(例えば1年間)、メジャーリーグやマイナーリーグでのプレーができなくなります。

イチローはこの「任意引退リスト」に名前が登録されていませんでした。

つまり、イチローは他の球団からオファーを受けることも可能であり、他球団で復帰も考えられる状況でした。

ただし、リストに登録された後に再びプレーを希望する場合、選手は元の球団との契約状態に戻るのがMLBの常識でです。

他球団でプレーする場合、まず元の球団が選手との契約を放棄、もしくはトレードにより、選手が他球団との契約を行うことでプレーすることが可能になっています。

このシステムの存在は、選手が一時的に戦線を離脱、またはプライベートな理由で休養を取りたい場合、その選手のキャリアや球団との関係を守るための仕組みとなっています。

渦中のイチローは現役続行の意欲を持ち続けており、代理人のジョン・ボッグスもイチローの現役引退を否定しています。

つまり、会長付特別補佐の立場にありながら、すぐにでも選手として復帰する可能性もあったのです。

このような状況は、イチローのプレーへの情熱や、マリナーズへ愛が深いことの証であり、ファンにとっても心強いニュースとなりました。

一方で、この契約により日本球界復帰は完全に消滅、日本球界復帰を期待していた日本のファンにとっては複雑な感情を抱かせるものとなりました。

イチロー、最後の輝き?東京ドームでの開幕戦への期待

イチローの“事実上の引退”の舞台裏では別の展開が進行中でした。

マリナーズが来季、東京ドームでアスレチックスとともに開幕戦を迎えることが決定し、これが新たな“花道”として描かれている。

一般的に、メジャーリーグのチーム登録枠は25人だが、海外での試合の場合、例外として枠が拡大することが許容されている。

前回は、怪我人の補充要員も考慮して28人(実際の試合出場は25人)まで拡大され、その中にはイチローを含む日本人選手3人が含まれていました。

イチローの貢献は計り知れず、“特別枠”でのプレーを果たす可能性も考慮されるはずです。

7年振りのメジャーリーグ日本開幕戦で、イチローが選手復帰となれば、注目の的になることは間違いありません。また、イチローが45歳で現役を継続するなら、2012年のオマー・ビスケル以来の快挙となります。

多くのファンは、イチローが東京ドームでの開幕戦で華々しいプレーを披露し、現役を継続する未来を夢見ていました

しかし、今季のイチローの成績をみると、その道のりは長く険しいことははっきりしています。

イチローは、15試合の出場で打率.205。全てがシングルヒットであり、盗塁は一度も成功しませんでした。これは、イチローが渡米してから初めての圧倒的なワースト記録でした。

一部のファンからは「もっと試合に出れば、イチローの調子も上がる」という援護の声もありましたが、すでに40歳を超えているイチロー。楽観的な考えと言わざるを得ませんでした。

イチローの代理人、ジョン・ボッグスも、開幕戦についての質問に対して「可能性はあるが、具体的なことはまだ決まっていない」とコメントしました。

一方で、MLBコミッショナーのロブ・マンフレッドは、日本開幕戦の発表の時「東京はMLBの開幕戦を開催するのに最適な場所。再度、日本の野球ファンの前に立つのを楽しみにしている」と前向きに語りました。

イチロー自身は「50歳まで現役」と公言しており、出場はせずとも、今シーズンはチームとともに練習を続ける意向を示しています。

果たして、イチローは開幕戦でマリナーズのユニフォームを再び着るのだろうか?そして、もしそれが実現した場合、それがイチローの華々しいキャリアの終わりを意味するのだろうか?今の段階では誰にもわかりませんでした。

いずれにせよ、来季の開幕戦は、イチローにとっても、そしてイチローを愛するファンにとっても、特別な意味を持つことになるのはだけは間違いありませんでした。

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2000年、メジャーリーグ挑戦直前のインタビューから、2019年3月、現役引退直後にシアトルの自宅で行われたロングインタビューまで。スポーツ総合誌Numberを中心に20年間、100時間を超える単独インタビューを完全収録した、イチロー本の決定版。(「Books」出版書誌データベースより)
《イチロー引退の日(2)》事実上の戦力外通告!?会長補佐としての役割と選手復帰の夢

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