成功に終わったベルリン大会……別名“ヒトラーのオリンピック”

成功に終わったベルリン大会……別名“ヒトラーのオリンピック”

Berlin 1936 Olympic Games 

1936年 ベルリンオリンピック

British Pathé/YouTube

(前略)1936年の第11回大会は、ドイツのベルリンであった。ベルリンは一度、1916年の第6回大会の開催都市に選ばれている。しかし第一次世界大戦により、大会は中止。さらに、ドイツは同大戦に敗北したことで、国土は荒廃、世界恐慌時には経済危機にも陥っていた。そんな状態であったにもかかわらず、1931年に行なわれた開催地を決める投票で、スペインのバルセロナを破り、開催地に決定していた。

オリンピックがプロパガンダの場に。1936年ベルリン五輪と幻の東京五輪/Bizコンパス.2019

ヒトラー(ナチス)のためのオリンピック

 ベルリン開催が決定したのはドイツがワイマール共和国だった1931年の国際オリンピック委員会(IOC)総会。しかし、1933年にヒトラーが政権の座に就いたため、五輪はナチスの力を世界に誇示する場となってしまった。

近代オリンピックとその時代/JIJI.COM.2009
初めはヒトラーはオリンピックに反対していた
British Pathé/YouTube

 1933年に権力を掌握したヒトラーは当初、すでに開催が決定していた36年のベルリン五輪には乗り気ではなかったという。

モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら 民族の弾圧・虐殺…ベルリン五輪前夜のごとし/産経ニュース.2021

ヒトラー率いるナチス党が政権の座についたのは翌33年、ヒトラーは言った。「わしはオリンピックなどに関心はない。どうせアメリカが白人以外の選手を大勢送りこみ、メダルをさらうに違いない。これを機会にユダヤ人が大儲(もう)けをするんだろう」。

正論 新国立計画は再考できないのか 慶応大学名誉教授・池井優/産経ニュース.2015
反ユダヤ・反フリーメイソン

ヒトラーはかねてから反ユダヤ、反フリーメイソン(「友愛」を標榜する、世界的な秘密結社)を掲げていた。彼はオリンピックを「ユダヤとフリーメイソンによる発明」と位置づけていたため、ベルリンでオリンピックが開催される事を好ましく思っていなかったのだ。

オリンピックがプロパガンダの場に。1936年ベルリン五輪と幻の東京五輪/Bizコンパス.2019
オリンピックを利用して……

(前略)ナチス党の目的は優れた民族、アーリア人でドイツ、ゆくゆくは世界を支配することであった。ヒトラーにオリンピックの提案をしたのはナチス党宣伝省である。彼らが最初にオリンピクの有用性に気付いたのだった。

ドイツと日本においてベルリン・オリンピックがもたらしたもの/蛯原綾乃.主査 石井昌幸.副査 寒川恒夫.早稲田大学

 もともと、1916年に開催予定だったベルリン五輪は第一次世界大戦勃発により中止。幻のオリンピックを行うことで、当時すでに人種差別政策などが危惧されていたドイツが平和的な国であると世界に知らしめることが出来る。そして、競技でドイツ人が好成績をあげることで国民に心の興奮を与え、愛国心を高めることができる。宣伝大臣のゲッペルスは、オリンピックの政治利用を熱心に説いたといわれている。

2017年3月例会『栄光のランナー 1936ベルリン』/神戸映画サークル協議会(神戸映サ)

「総統、ベルリンでオリンピックを開けば世界中から選手、役員と報道関係者がやってきます。わがナチス・ドイツの栄光を世界に宣伝する手段として活用しませんか」。宣伝大臣ゲッベルスの言葉に、ヒトラーはにわかにオリンピック開催に執着し始めた。

正論 新国立計画は再考できないのか 慶応大学名誉教授・池井優/産経ニュース.2015
ヒトラーは一転してベルリン大会を支持

 当初オリンピックに否定的だったヒトラーは、政権掌握後一転して、ベルリン大会支持を声明し、会期を1936年8月1日から16日までと決定した。過去の気象記録により、この期間が最も天候が安定していると推定されたからである。

ヒトラーから「東京」へ、血塗られた“平和の祭典”/JBress.2019
ヒトラーのGOサイン!オリンピックへの準備は一気に加速
Colonnade

そしてある秋の一日で事情は一変した。 ヒットラーは関係者と会場予定地のグリューネヴァルトを訪れた。改修前、改修後のスタジアムの模型を見せられたヒットラーは、工事中のフィールドに降りた。労働者が地面を掘り起こす作業に汗を流している。いったい何をしているのかと彼は質問した。関係者がべ ルリン競馬協会との契約で視界をさえぎらないことになっているので、現在のスタジアムを掘り起こすしかないのだ と答えた。ヒットラーは、「競馬場は必要なのか。必要でなければ競馬場が出ていけばよい」といい切り、グリュネヴァルトの敷地は全部新しいスポーツ敷設にあけわたし、現在の競技場をとりこわして一〇万人収容の新しい競技場をその跡地に建てようと速断したのだった。ヒットラーの決断によって、ベルリンオリンピックの準備は一変した。総統の責任により国家的な事業となったのである。

スポーツの政治的利用:ベルリンオリンピックを中心として(pp.14-15)/池井,優.慶應義塾大学法学研究会.1992.法學研究:法律政治社会(ournaof ls sociology). Vol.65, No.2 (1992.2) ,p.9-31

 ヒトラーの言葉で、第11回オリンピック・ベルリン大会は根底から変質した。大会のあらゆる準備が、従来のオリンピックをはるかに上回る規模で、ドイツ「第三帝国」の全面的支援のもとに推進された。

ヒトラーから「東京」へ、血塗られた“平和の祭典”/JBress.2019

 こうしてのちに帝国競技場(ライヒスシュボルトフェルト)と呼ばれる10万人収容の大競技場が完成、ヒトラーのもと国家事業として予算に糸目はつけなかった。この大スタジアムを舞台に「ハイル・ヒトラー」の大歓声のなか、総統出席のもと盛大な開会式、閉会式が行われ、秩序だった運営、メディアへの行き届いた対応は各競技への期待、昂奮(こうふん)と相まって世界にナチス・ドイツの栄光を伝える大きな役割を果たしたのだった(『ヒトラーへの聖火』)。

正論 新国立計画は再考できないのか 慶応大学名誉教授・池井優/産経ニュース.2015

世界中で起こるベルリン大会の反対運動

 とはいうものの、「ゲルマン民族の優越性」という妄想にとらわれたヒトラーが推し進める領土拡張、人種差別、ユダヤ人迫害政策を理由に、ユダヤ人が多く暮らすアメリカやイギリスなどで「ベルリン五輪はボイコットすべきだ」との声が上がっていた。

モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら 民族の弾圧・虐殺…ベルリン五輪前夜のごとし/産経ニュース.2021
開催の条件は「人種の平等」

 ユダヤ人に対する差別的な政策の数々がオリンピックの理念にそぐわないとして、多くの国がドイツでのオリンピック開催に反対し、最終的にはアメリカが「全ての人種を平等に扱うこと」「ドイツのユダヤ人をオリンピックに参加させること」を開催の条件としてヒトラーに突きつけています。

“ぼったくり男爵”バッハ会長、母国・ドイツでの評判は「お金に汚いビジネスマン」/文春オンライン.2021
「ユダヤ人をオリンピックから除外しない」ヒトラーが契約書にサイン

1933年6月5日、IOC理事会がウィーンで開催されベルリン五輪ボイコットが議題となった。ヒトラー政権が誓約書を提示し「ユダヤ人をオリンピックから除外しない」と宣言する。

大島鎌吉のスポーツ思想に学ぶ(5)―理念「オリンピズム」の探究という視点において―(p.27)/伴義 孝(関西大学名誉教授).人体科学27-(1):23-35,2018〈評論〉
……契約を無視

しかし、この誓約にもかかわらず、ドイツからは誓約を無視する報道が相次いだのである。例えば、8月6日のワシントン・ポストは、AP通信として、フォン・チャムマー・ウント・オステンによる会議での挨拶の発言を報道している。「我々の国民生活や諸外国との関係および競技においても、国家を代表するに足ると認められるドイツ人とは、代表するに何も異論が出ない人たちのことだ」、と。この発言は、ベルリン大会において国家を代表して出場するドイツチームには、ユダヤ人は含まれないことを暗に示唆する発言である。また、8月27日のニューヨーク・タイムズには、ベルリン大会の準備に関する特派員からの報告が載った。そこでは、競技場の拡張工事や大会のスローガンとシンボルの採用等準備が順調に進んでいる状況と、その反対に、ドイツの競技団体の多くがユダヤ人競技者を排除しており、またユダヤ人は競技団体の役員になれない現状を示し、ウィーン後においても「ユダヤ人競技者のハンディキャップ」の問題は、何ら進展がないと報道されている。

アメリカにおける1936年ベルリン・オリンピック参加問題に関する研究ノート(p.152)/中村 哲夫.三 重大学教育学部研 究紀要 第 5 9 巻 社会科学 (2 0 0 8 ) 1 5 1 – 1 6 1 頁

ナチのユダヤ人迫害は、1933年4月ボイコットのような一種のお祭り騒ぎが一段落した後、ドイツ人一般市民の反応をうかがいつつ、じわじわと進められる。ドイツでは、親戚や家系を遡れば1人や2人のユダヤ系がいる者はまれではなかったからだ。

ナチ支配下ウィーンのユダヤ人移住におけるウィーン・モデルとゲマインデ/野村 真理.24
ドイツがユダヤ人選手を排除している?嘘 or本当

1933年に発生したユダヤ人選手排除に応え、米国オリンピック委員会(AOC)の委員長アベリー・ブランデージは「各国が身分や階級、宗教、人種により大会への参加を制限するようなことがあれば、近代オリンピック復活の礎そのものが損なわれることになるだろう」と述べました。

ヒトラーが政権を握る/ホロコースト百科事典

ブランデージは、オリンピック運動の他の多くと同様に当初はドイツでの開催を取りやめるべきだと考えていました。が、1934年にドイツのスポーツ施設の緊密に監視された短期間の査察の後、ブランデージはユダヤ人選手は公正に扱われているため、大会は予定通りに行うべきであると宣言しました。

ヒトラーが政権を握る/ホロコースト百科事典
IOC会長とヒトラーの最終会見「大会準備中と大会期間中のユダヤ人差別の抑制」

1935年11月5日、組織委員会の調整を経て「IOC会長ラツール」と「ヒトラー」の最終会見が実現し「大会準備中と大会期間中のユダヤ人差別の抑制」が再確認された。こうして「BERLIN1936」が祝福される運びになる。

大島鎌吉のスポーツ思想に学ぶ(5)―理念「オリンピズム」の探究という視点において―(p.27)/伴義 孝(関西大学名誉教授).人体科学27-(1):23-35,2018〈評論〉

人類初の“聖火リレー”がスタート

AkiMahaviraJina/YouTube

聖火リレーが生まれたのは1936年、第11回オリンピック競技大会である。

いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史/Forbes JAPAN.2021

聖火そのものは、鉄や兵器の製造で有名なドイツ企業クルップにより1936年に製作されました。

1936年ナチス政権下のベルリンオリンピック: オリンピック聖火リレーの開始/ホロコースト百科事典
本来“聖火リレー”はナチズム思想と真逆

ディームは、ドイツの体育・スポーツ史家であり、古代と現代とをオリンピックの火で結び、そのリレーを通じて国同士が協力することに意義があると考えました。IOCもディームの創案による聖火リレーに賛同し、オリンピック初の聖火リレーが実施されました。

オリンピック聖火リレー/TOKYO 2020 for KIDS 東京2020教育プログラム

古代オリンピックでは4年に一度、戦争を止めてオリンピアに集まり競技会を開いた。その開催を告げる使者がオリーブの枝を持って各都市を回った。その故事をディーム博士はリレーにデフォルメしたのだ。そしてオリーブの枝はトーチに変貌する。

いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史/Forbes JAPAN.2021

その聖火をオリンピックが開催されている場所まで運ぶリレーは、まさに休戦を伝える使者である。「武器を捨ててオリンピアに集まろう!」ナチズムの対極にある思想が表現された。

いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史/Forbes JAPAN.2021
ナチスはなんと“聖火リレー”をプロパガンダに利用した

ナチス党の人間はみな、ドイツ人の祖先はアーリア人的特徴(金髪、碧眼、高身長)を持っている古代ギリシアの人々であると信じていた。そして古代ギリシアとの繋がりを誇示するために、現代まで続く「聖火リレー」を編み出したのであった。

ドイツと日本においてベルリン・オリンピックがもたらしたもの/蛯原綾乃.主査 石井昌幸.副査 寒川恒夫.早稲田大学

聖火パレードやリレーは、ドイツ国民、特に若者をナチ党へ惹きつけるためのプロパガンダとして利用したいナチス政権の思惑にぴったりでした。

1936年ナチス政権下のベルリンオリンピック: オリンピック聖火リレーの開始/ホロコースト百科事典

聖火が到着!!ベルリン大会が開幕

MyFootage.com/YouTube

1936年8月1日、ヒトラーにより第11回オリンピック大会が開会されました。有名な作曲家リチャード・ストラウスの指揮によるファンファーレが、集まっている多くのドイツ国民に独裁者の到着を知らせました。開会式のユニフォームに身を包んだ何百人という選手たちが、チームごとにアルファベット順でスタジアムに入場してきました。新しいオリンピック儀式として、古代オリンピックの開催地、ギリシャのオリンピアからリレーで運ばれてきた聖火を掲げたランナーが到着しました。

1936年ナチス政権下のベルリンオリンピック: オリンピック聖火リレーの開始/ホロコースト百科事典

オリンピックそのものがプロパガンダ

1936 Berlin Olympics Photograph - German Olympic Team Marching in the Olympic Stadium in Berlin

「プロパガンダの天才」とも言われた国民啓蒙・宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッペルスが自ら演出の指揮を取り、ヒトラーの開会宣言中には10万人を超える観客がナチ式の敬礼をするなど、大会は異様な興奮の中で幕を切る。結局この大会では、ドイツは金銀銅あわせて89のメダルを獲得し、2位アメリカの56個を抑えて圧倒的なトップを獲得する。その前の1932年ロサンゼルス大会のメダル獲得数が20個で5位(1位のアメリカは103個。金メダルに限れば、ドイツは3個で9位)だったことを考えれば、劇的な躍進と言えよう。

スポーツとナショナリズム -愛国心という名の難しい友人との付き合い方

 競技場にはヒトラーがよく訪れ、観客が立ち上がって「ハイル・ヒトラー!」と敬礼していた。

日本の少女が見たベルリン五輪 競技場にはヒトラーの姿/朝日新聞デジタル.2020

ヒトラーはまた、ナチ党旗のハーケンクロイツを初めてドイツ国旗として使用し、会場の内外に氾濫させるなど政治色の強い大会を催した。そして、古代ギリシャを偲ぶように、優勝者には金メダルのほかオリーブと樫の苗木を与えたそうだ。

オリンピックの聖火リレーはヒトラーが始めた!/BEST TiMES.2016
De Olympiade Onder Dictatuur
偽りの人種平等
1936 Berlin Olympics Photograph - The East Gate of the Olympic Stadium on August 1, 1936, Awaiting the Arrival of the Fuhrer

オリンピック中止を防ぐためにヒトラーは表向きには条件を呑み、全ての宗教と人種を平等にオリンピックに参加させると約束しました。しかし、その約束は破られます。

“ぼったくり男爵”バッハ会長、母国・ドイツでの評判は「お金に汚いビジネスマン」/文春オンライン.2021

1936年の夏季オリンピックはベルリンで開催されました。2週間にわたり、オリンピックの開催中、アドルフ・ヒトラーは反ユダヤ主義と拡大主義の政策を隠そうとしました。オリンピックのためにドイツに来た多くの外国人訪問者に良い印象を与えるために、ヒトラーは反ユダヤ活動を一時的に緩和することを許可しました(公衆の場へのユダヤ人の立ち入りを禁止する看板さえ取り除きました)。

1936年ベルリン・オリンピックボイコットへの動き/ホロコースト百科事典

たとえば、往来に張り出していた「このユダヤ人の店で買うな」とか、公園の入口の「何時から何時までユダヤ人は立入禁止」とか、そういうユダヤ人に対する非常に露骨な差別をあらわした表示がドイツの国中から一切取り払われて、その期間はユダヤ人差別にあたるものはないかのようにしていた。さらに、選手村の村長がユダヤ人だったり、ドイツの選手団のリーダー、トップの旗手がユダヤ人のホッケー選手だったりとか、ベルリンオリンピックでは多数のユダヤ人を登用しているのです。

季刊 政策·経営研究(p.40)/特集 オープンカレッジ Special Edition : Open college.2016.vol.2
裏でユダヤ人選手の出場を阻止

「ユダヤ人を平等に扱っている」「ユダヤ人もオリンピックに参加できる」と示そうとナチス政権は、ユダヤ人差別から逃れるため既にイギリスに渡っていたドイツ系ユダヤ人の走り高跳び選手マーガレット・ランバート(1914年~2017年)をドイツに呼び戻します。彼女は走り高跳びドイツ記録の保持者で、メダル獲得も夢ではない実力者でした。

“ぼったくり男爵”バッハ会長、母国・ドイツでの評判は「お金に汚いビジネスマン」/文春オンライン.2021

 ユダヤ人の運動場使用が禁止されるなどの逆境下、彼女は出場に向けてトレーニングを重ねました。しかし、その努力が実ることはありませんでした。ユダヤ人の出場をどうしても阻止したかったナチスが「あなたの走り高跳びの成績はオリンピックに出場するには十分ではない」という手紙を送り、世間に対しては「彼女は怪我をしたため、不出場となった」と偽情報を発表したからです。

“ぼったくり男爵”バッハ会長、母国・ドイツでの評判は「お金に汚いビジネスマン」/文春オンライン.2021
「迫害などなかった」世界中が騙されてしまった……。
1936 Olympics Photographs - Sammelwerk Nr. 14, Bild Nr. 13, Gruppe 59, Adolf Hilter Enters the South Gate of Olympics Stadium on August 2, 1936

オリンピックは報道合戦でもありますから、世界中から新聞記者が来ました。日本からもたくさん報道者が行っていました。これまで「1935年に『ニュルンベルク法』ができて、ユダヤ人差別が公然化している。だから、ナチスはひどいのだ」ということをしょっちゅう言っているのに、オリンピックの間ずうっと流された情報では、一切そういう差別はないわけです。だから、世界の人たちは、「現地から送られてくるニュースにはユダヤ人差別がないじゃないか。どちらが正しいんだ」「日ごろナチスは憎まれているから大げさに言われているだけで、実情はそんなにひどいものじゃないんだ。あれは世間の偏見がつくったデマなんだ」となったのです。結果として、ヒトラーの宣伝イベントとしてのオリンピックは大成功をおさめた。当時の日本人だって、オリンピック関連のニュースを見て、みんな「ナチス・ドイツは非常に統率のとれたすぐれた国だ。ユダヤ人差別なんて全然ないじゃないか」ということになったのです

季刊 政策·経営研究(p.40)/特集 オープンカレッジ Special Edition : Open college.2016.vol.2

オリンピック大会ではナチスのプロパガンダは大きな成功を収めました。彼らは平和で寛容なドイツのイメージを外国の観客に印象付けたのです。

1936年ベルリン・オリンピックボイコットへの動き/ホロコースト百科事典
ナイツドイツは大半のメダルを獲得

(前略)この大会は、アーリア人の人種的優越性を世界に知らしめるプロパガンダとしての性質を強く持っていたため、ナチスは選手団をアーリア人だけで統一し、国を挙げて徹底的に強化しました。その結果、ナチスドイツはメダルのほとんどを獲得したのです。

歴史から分析、2021年東京オリンピックは果たして本当に開催できるのか/PRESIDENT WOMAN Online.2020

オリンピック大会後、ふたたびユダヤ人の迫害を強める

British Pathé/YouTube

オリンピック大会後(ナチスはドイツ在住ユダヤ人の選手がオリンピックに参加することを許可しませんでした)、ナチスは再びドイツ在住ユダヤ人の迫害を強化しました。1937年から1938年にかけて、政府はユダヤ人に財産を登録させ、ユダヤ人の企業を「アーリア化」することで、ユダヤ人を貧困に追い詰めようとしました。これによりユダヤ人の労働者や管理職は解雇され、ほとんどのユダヤ人経営の企業は、ナチスの価格固定により破格の値段で買い取った非ユダヤ系のドイツ人が引き継ぎました。ユダヤ人の医師は非ユダヤ人を治療することを、ユダヤ人の弁護士は開業することをそれぞれ禁止されました。

ニュルンベルク法/ホロコースト百科事典
プロパガンダ映画「オリンピア」
A. Taka/YouTube

 戦後、ナチスの同調者と非難された女流監督、ㇾニ・リーフェンシュタールがメガホンをとった記録映画「オリンピア」はいまなお名作として全世界で上映されている。 

〝幻の五輪〟過去いずれも復活、論争活発の「東京」、他日期す選択も/WEDGE Infinity.2021

ワーグナーの交響曲をバックに世界初の聖火リレーが始まります。火のトーチがランナーに次々リレーされ、十一万人収容の競技場まで繋がっていき、祭壇に点火、大群衆の歓呼に応えて立ち上がる独裁者ヒットラー。その後まもなく彼は、民族浄化を旗印に、数十万のユダヤ民族の殺戮が始まるのです。

広報コラム 「人が人らしく」/四万十市

しかし、第二次世界大戦後、リーフェンシュタールは一連の映画をヒトラーの指示により制作したことで激しく糾弾され、連合国側に逮捕される。裁判では「ナチスに同調しているものの、戦争犯罪への責任があるとはいえない」という判決で釈放。だが、誹謗中傷から科学的・理性的な批判まで、多くの攻撃を受けるものの、彼女は戦い続けた。裁判には勝訴することが多かった。

レニ・リーフェンシュタール 「美」だけを見ていたナルシシスト 【オリンピック・パラリンピック 歴史を支えた人びと】/笹川スポーツ財団.2020
第二次世界大戦でドイツは“聖火リレー”のルートを逆に侵攻

ベルリン大会の聖火は1936年7月20日、古代オリンピア遺跡のヘラ神殿前で太陽光から凹面鏡で採火され、オリンピックスタジアムまで、3075kmを3075人の聖火ランナーの手によって運ばれた。そのルートは、バルカン半島を北上し、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを経由し、ドイツのベルリンに向かった。

オリンピック聖火リレーと最終点火者 -聖火リレーの歴史- 【オリンピックの歴史を知る】/笹川スポーツ財団.2020

第二次世界大戦でドイツは、このルートを逆にたどりながら侵攻していった。

オリンピック聖火リレーと最終点火者 -聖火リレーの歴史- 【オリンピックの歴史を知る】/笹川スポーツ財団.2020
日本でもドイツによる“聖火リレー”と戦争の因果関係が噂された

この聖火リレーについては、第二次世界大戦後の日本で、ナチスが軍事的な目的で行ったという説が流れた。ベルリン・オリンピックの3年後、ドイツはこの聖火リレーのルートを逆に進む形で各国に侵攻し、第二次世界大戦の火ぶたが切られた。聖火リレーを行うことで、実はナチスはヨーロッパの地形を前もって調べていた……というのである。

実は「聖火」はこんなに政治的だった!リオ、東京、北京…秘められた開催国の思惑/現代ビジネス | 講談社.2016

ただし、この説は歴史学的に十分に検証されていないようだ。当時のナチスドイツの力からすれば、聖火リレーなどという面倒なことをしなくても、知りたいことは何でもスパイできたはずだという見方もある。

実は「聖火」はこんなに政治的だった!リオ、東京、北京…秘められた開催国の思惑/現代ビジネス | 講談社.2016
そして人類史上最悪の犯罪「ホロコースト」が引き起こされる
BBC News/YouTube

オリンピックの終了と共に、ドイツの領土拡大政策とユダヤ人ら「国家の敵」に対する迫害が加速し、ついには第二次世界大戦とホロコーストが起こりました。

1936年ナチス政権下のベルリンオリンピック/ホロコースト百科事典

第二次世界大戦下、ナチス・ドイツ政権により、600万人以上のユダヤ人、20万人のロマ人、25万人の身体及び精神障害者、1万5千の同性愛者が迫害され大量に殺害されたホロコースト。

ホロコースト犠牲者を想起する国際デーに、ホロコーストがテーマの映画を7作品ご紹介/FRONTROW.2021
「最終的解決」

ナチスは頻繁に婉曲的な言葉を使って、その犯罪の本質を覆い隠そうとしました。 ユダヤ人絶滅計画には「最終的解決」という名称が使われました。 ナチスドイツの指導者たちが「最終的解決」の実施を最終的に決定した時期は知られていません。 ユダヤ人のジェノサイド(大量殺戮)は、10年間にわたって過酷さを極めつつあった差別的処置の頂点を成すものでした。

「最終的解決」: 概要/ホロコースト百科事典

もちろんベルリンオリンピック開催当時,ユダヤ人やジプシーなど に対する「最終解決」が決定していたわけではない。しかし,この 20 世紀最大の大量虐殺に連な るユダヤ人,ジプシーらへの人種優生学的な暴挙はすでにベルリン大会以前から計画され,期間中 そして期間後も変奏を伴いながら継続的に実施されたのであり,ベルリン大会の輝かしい「成功」 の背後にホロコーストへと向かう回路が形成されつつあった事実を,われわれは「何も知らなかっ た」と切り捨ててしまってはならない。

強制収容所の「スポーツ」―ナチズム・近代・ベルリンオリンピック(p.5)/有賀 郁敏.【特集】スポーツをめぐる政治―社会問題としてのスポーツとオリンピック

第二次世界大戦後に“聖火リレー”が問題視

British Pathé/YouTube

1945年5月、ドイツの降伏によって1939年からはじまった第二次世界大戦が終結し、ようやくヨーロッパに平和が戻りました。 

オリンピズム | フェアプレー ロンドン大会 /JOC

 1936(昭和11)年のベルリンオリンピック以来、戦争により12年間中断していたオリンピックは、1948(昭和23)年のサンモリッツ冬季大会、ロンドン夏季大会から再開されました。

外交史料館 特別展示「外交史料にみるオリンピック」/外務省.令和3年
スポーツに政治が関与するべきじゃない

戦前のベルリン五輪が。ナチス・ドイツの政治的プロパガンダに利用された反省から、スポーツの「政治」からの切り離しがテーマになった。

イギリスとオリンピックの深い関係/LOVE CONNECTION – TOKYO FM 80.0MHz / FM大阪 85.1 – LOVE.2021
プロパガンダのために生まれた“聖火リレー”をどうするか……

戦争の被害いまだに生々しいロンドンで、世界各国からの協力により開かれた「友情のオリンピック」では、ナチスのプロパガンダとして始められた「聖火リレー」を実施するか否かについて、国際オリンピック委員会(IOC)委員の間で大きな議論が巻き起こった。
「危険な思想のもとに行われたイベントを継承するべきではない」
「オリンピックを盛り上げるためにはよいイベントだ。目的を変えればいいのではないか」

オリンピック聖火リレーと最終点火者 -聖火リレーの歴史- 【オリンピックの歴史を知る】/笹川スポーツ財団.2020
「平和のため」戦争を捨てるためのイベントとして継続!!
Olympics/YouTube

結局、聖火リレーは「平和のため」のイベントとして存続させることが決定した。そして1948年の採火式では「戦争を捨てて平和へ」を意味するパフォーマンスが行われた。

オリンピック聖火リレーと最終点火者 -聖火リレーの歴史- 【オリンピックの歴史を知る】/笹川スポーツ財団.2020
五輪憲章にもしっかりと記載

第2次世界大戦後に再開された1948年ロンドン五輪では聖火リレーの再開を巡り議論となったが、継承が決まり、五輪憲章にも定められた。

オリンピック聖火リレーの始まりは独裁政権ナチス・ドイツ/SPAIA.2020

“聖火”……ではない?“聖火”と名付けているは日本だけ!!

テレ東BIZ/YouTube

「オリンピックの『聖火(sacred fire)リレー』はナチスが命名して始めた行事。戦争動員のために『祖国への自己犠牲』精神を広めようと象徴的に使われた『聖火』という言葉を今なお使って五輪を宣伝しているのは日本ぐらいだ」

「聖火リレー」の源流はナチス独ジャーナリストの怒り/週刊金曜日オンライン.2021

シングラー氏によると、ナチス支配下の1936年のベルリン五輪において、ヒトラーの右腕で政権の宣伝相を務めたヨーゼフ・ゲッベルスらによって「聖火」という言葉が初めて使われ、当時のドイツメディアにより広められていったという。

「聖火リレー」の源流はナチス独ジャーナリストの怒り/週刊金曜日オンライン.2021
直訳すると「オリンピックの火」

五輪憲章の「オリンピック聖火」の項目を見ると、憲章の公用語である英語版では「the Olympic flame」とある。仏語版も同様で、いずれも直訳すると「オリンピックの火」で、「聖」に当たる言葉はない。

直訳では「オリンピックの火」 日本ではなぜ「聖火」?/朝日新聞デジタル.2021
日本で聖火と呼ばれ始めたのは

 五輪の歴史に詳しい東京都立大・武蔵野大客員教授の舛本直文さんによると、近代五輪に「聖火」が初めて登場した時期には諸説あるが、いずれも競技場の塔にともす灯台の火のようなものだった。1932年ロサンゼルス大会で、当時の朝日新聞は「オリムピツク塔のかがり火」と書いている。

直訳では「オリンピックの火」 日本ではなぜ「聖火」?/朝日新聞デジタル.2021

 つづく1936年のベルリン五輪。初めて聖火リレーが行われたこともあって、開幕前から紙面でも「聖火」があちこちで見られます。当時は夏季五輪と同じ年に冬季五輪も行われており、この年の2月に同じドイツのガルミッシュパルテンキルヘンで開催されました。その開会式の様子として、20日の東京朝日3面に「オリムピツクトーチの聖火と山砲隊の祝砲」という説明とともに大きな写真が掲載されます。つまり、聖火リレーが始まる前に、すでに「聖火」といわれていたことになります。

「聖火」じゃなかった聖火/ことばマガジン:朝日新聞デジタル.2012

 32年大会と36年大会の間に「聖火」が使われ始めたのかはこれだけでは分かりませんが、少なくともこの間に「聖火」が定着したとは言えそうです。

「聖火」じゃなかった聖火/ことばマガジン:朝日新聞デジタル.2012
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独裁体制下における「平和の祭典」の全貌。各国の思惑とボイコット運動、ユダヤ人や黒人への迫害、各競技の様子など、「スポーツと政治」の癒着を歴史的に徹底検証する。(「BOOK」データベースより)

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