ラグビー界において、”オールブラックス”という名は、絶対的な強さと誇りを象徴する存在として君臨しています。しかし、彼らの力の源泉は単に技術やフィジカルだけではありません。それは深い歴史の中に秘められたマオリの伝統、そしてその心の中に刻まれた「ハカ」に由来しているのです。
試合開始前に行われるハカは、単なるパフォーマンスやショーではなく、選手たちの心の中の情熱、彼らの祖先への敬意、そしてチームの結束を外界に示すための儀式です。この伝統は、オールブラックスの選手たちにとっての戦う力を引き出すエネルギーとして作用しています。
本記事では、「オールブラックス」と「ハカ」の間にある深い結びつきを探求し、世界のトップクラスのラグビーチームがどのようにしてその強さと誇りを保ち続けることができるのか、その秘密に迫ります。
「ハカの真実」ラグビーの先にあるマオリ文化とニュージーランドのアイデンティティ
All Blacks
「オールブラックス」
ラグビーチーム、オールブラックスと言えば、試合前のパフォーマンス「ハカ」が有名です。ハカはマオリ文化の中の伝統舞踊であり、オールブラックスの伝統ともなっています。
ハカの由来
マオリ語における「ハカ」の語源は、「HA」と「KA」から成り立っています。
- 「HA」:「息」
- 「KA」:「炎」または「火」
この組み合わせは、内部のエネルギーや情熱を外に放出するというハカの本質を象徴しています。これは、生命の息吹やスピリットを強く感じさせることを意味しており、そのエネルギーを外に放出することで集中を高める儀式としての役割を果たしています。
このような踊りが必要とされた理由は、マオリ族の歴史に根ざしています。
「ハカの起源」
ニュージーランドの先住民族、マオリは古代より独自の文化や伝統を築き上げてきました。この文化の中には、歌、舞踊、物語、彫刻、そしてハカが含まれています。
古代のマオリの文化では、部族間の争いや戦いは日常的なものであり、それは熾烈なものであったことが知られています。命を懸けた戦において、戦士たちは自らの命を守るだけでなく、敵を威嚇する手段としてハカを用いました。ハカは、その強烈な動きや声、表情を通して、敵に対する不敵さや力強さを示すものでした。
ハカの舞踊や掛け声は、戦士たちが自らの勇気や力を増強するためのものとして、戦前の儀式として行われることが多かったです。戦士たちがハカを通して自らの戦意を高めるとともに、相手に恐怖や尊敬を感じさせることで、戦闘の有利をつかむための戦略としても使用されました。
また、ハカは単に戦の儀式としてだけではなく、部族の結束や誇りを示すためのものとしても行われていました。部族のアイデンティティや歴史、伝統を誇り高く示すための表現として、ハカはその重要な役割を果たしてきました。
マオリの伝統とコミュニケーションの力
この踊りは、全身を使ったリズミカルで力強い動きを特徴としています。揺れ動く動き、胸や太ももを叩く動き、足を踏み鳴らす動き、そしてスタイライズされた暴力のジェスチャーがこれに含まれています。
ハカの言葉とそのリズムは詩的な美しさを持ち、しばしば部族の歴史、祖先、または特定の出来事を詩的に描写しています。これは、部族の歴史や伝説、その文化や価値観を伝えるための非常に強力な手段となっています。
ベロを出す意味
舌を突き出す動作はハカにおいて特徴的なもので、これは敵に向かっての挑発や戦士としての力と勇気を示すものとして知られています。しかし、これにはもう一つの意味があります。舌は、人間のコミュニケーションの一部としての機能の延長として解釈されています。
マオリ文化は、文字を持たず、その代わりに口承文化として知られています。これは、歴史や伝説、教訓などが話や歌、踊りとして世代から世代へと伝えられてきたことを意味します。このような文化の中で、舌の動きは非言語的なコミュニケーションの手段としての非常に重要な役割を果たしてきました。舌を突き出す動作は、コミュニケーションのシンボルとしての役割を持っています。
ハカの起源
・マオリの神話や伝説には、ハカの起源や背景に関する多くの興味深い物語があります。
タネ・ロレと太陽神の伝説
伝説によれば、ハカはラー神の太陽に由来するとされています。
太陽神タマ・ヌイ・テ・ラには二人妻がいました。ヒネ・ラウマティは夏の神であり、彼女の温かさと輝きは夏の季節を象徴しています。対照的に、ヒネ・タクルアは冬の神であり、彼女の冷たさと静寂は冬の季節を表しています。
これらの妻たちは、それぞれの季節の特性や性格を持っており、太陽神とともに年間を通して天空で交互に舞っていました。
タマ・ヌイ・テ・ラとヒネ・ラウマティの間には、タネ・ロレという息子がいました。このタネ・ロレがハカの起源として語られています。
伝説によると、夏の炎天下に見られる空気が揺れる様子(陽炎)は、タネ・ロレが母親の、ヒネ・ラウマティのために踊っているからだと言われています。このことから、タネ・ロレは陽炎の化身と呼ばれています。
ハカの中での「ウィリ」という動きは、手の震えや振動を意味します。これは、タネ・ロレの太陽の下での踊りや、空気が揺れる様子を模倣しています。
ハカのパフォーマンスには、強烈な眼差しや、目を飛び出す表現(プカナ)も含まれています。これらの動きは、演者の情熱や意気込みを強調し、古代の神話や伝説を現代に伝えるものとなっています。
ンガティトア族とテ・ラウパラハ首長の生き様
ティニラウ酋長のペットであるクジラがトフンガ、カエによって命を奪われるという出来事は、ハカの歴史の中で非常に重要な位置を占めています。この残酷な事件を受け、ティニラウは復讐のために女性の狩猟隊を組織しました。彼女らは勇敢であり、戦士としての能力も持っていたのです。
しかし、彼女らが直面した問題は、カエの姿を知らないということでした。ただ一つのヒントがあったのは、カエの歪んだガタガタの歯。彼女らはこれを手掛かりに彼を探し出すための策を練りました。
その策こそがハカだったのです。ハカの舞踏には、感情やメッセージを伝える力があります。この場合、彼女らは部族の人々を楽しませ、彼らを笑顔にすることを目的としていました。笑うことにより、カエの特徴的な歯が露呈することを期待していたのです。
彼女らの計画は見事に成功し、カエを見つけ出すことができました。そしてカエはティニラウの村に連行され、そこで命を絶たれました。
カ・マテ(Ka mate):ハカの起源
「カ・マテ(Ka mate)」は、現代でも多くの場面で披露される最も有名なハカの一つです。
ハカはマオリの文化において中心的な役割を果たしており、その中でも「カ・マテ(Ka mate)」は。この伝統的な舞踏は、戦争や競技の前に敵を威嚇するため、また仲間を鼓舞するために行われてきました。しかしこの「カ・マテ」の物語も女性が関与しています。
「カ・マテ」の物語は1820年代、ンガティトア族のテ・ラウパラハ首長から始まります。
闘争と再生
ンガティトア族は、過去の戦闘と部族間の争いの中で厳しく生存してきた歴史を持っています。そんな戦士の部族の中で、力強くリーダーシップを取っていたのが、テ・ラウパラハ酋長(しょうちょう)でした。
19世紀初頭、ンガティトア族は隣接するワイカト族との間で、土地、資源、そして権力を巡って壮絶な闘争を繰り広げていました。この争いはテ・ラウパラハの人生においても大きな影を落とすことになります。
ある日、テ・ラウパラハの人生において最も衝撃的な事件が起こります。父親が敵対する部族に捕らえられ、残忍にも命を奪われたのです。この事件は、当時まだ幼いテ・ラウパラハの心に取り返しのつかない深い傷を残しました。
しかし、テ・ラウパラハはこの苦しみを乗り越え、痛みを自らの力に変えて成長しました。テ・ラウパラハは絶え間なく闘争の中で経験を積み重ね、その痛みを胸に秘め、ついにはンガティトア族の首長にまで上り詰めました。
首長・テ・ラウパラハの逃走とテ・ファレランギの庇護
テ・ラウパラハは、ンガティトア族の酋長として多くの戦いと挑戦を経験してきました。しかし、ある日の戦闘では、敵対部族の圧倒的な力の前に、逃走するしかない状況に追い込まれました。
その逃避行の最中、彼がたどり着いたのは、毛深い容姿が有名なテ・ファレランギ酋長の村でした。疲れ果てたテ・ラウパラハは、彼の村の門を叩き保護求めました。
テ・ファレランギ酋長は、この屈強な戦士が突如自分の村に来たことに驚きましたが、すぐに危機的な状況を理解し、助けることを決意しました。
そして、部族の中でも特別な場所「クマラの調理場」を隠れ家に指名しました。そして、さらなる安全のために、自身の妻をその入り口の上に座らせました。
当時の部族の文化の中で、戦士や有力者が女性の下に身を隠すというのは、極めて大きな屈辱と見なされました。しかし、テ・ラウパラハは自分の命を守るために、この屈辱を受け入れる覚悟をしました。
テ・ラウパラハの「Ka mate! Ka ora!」の呼び声
隠れ場所のクマラの調理場で、テ・ラウパラハの耳には追って近づいてくる足音が聞こえてきました。恐怖に震えながら、彼は「Ka mate! Ka mate!(私は死ぬ!私は死ぬ!)」とささやきましたた。テ・ラウパラハの心の中では、その時が彼の最後の瞬間であると確信していたのかもしれません。
しかし、テ・ファレランギ酋長は追ってを出迎え、テ・ラウパラハは別の村に逃げたと言いました。この言葉を聞いた瞬間、テ・ラウパラハの心の中は安堵に満たされ、「Ka ora! Ka ora!(私は生きる!私は生きる!)」とささやきました。
しかし、その追手たちは簡単には騙されず、テ・ラウパラハがまだその場所に隠れているのではないかと疑い出しました。緊張の中、再びテ・ラウパラハは「Ka mate! Ka mate!(私は死ぬ!私は死ぬ!)」と繰り返し呟いた。
最終的に、テ・ファレランギ酋長の確固たる主張と説得により、追手たちは村を去っていきました。その知らせを受けたテ・ラウパラハは、彼の命が救われたことへの感謝と安堵から以下のように心の底から叫びました。
「Ka ora, ka ora! Tenei te tangata puhuruhuru nana nei i tiki mai whakawhiti te ra!」
(私は生きる!私は生きる!これは太陽を呼び寄せ再び輝かせた毛深い男のおかげだ!
「カ・マテ」ハカの誕生
安堵と喜びに満ちたテ・ラウパラハは、自分の命を救ってくれたテ・ファレランギ酋長と村人たちへの感謝を表現するため、心の中に湧き上がるエネルギーを形にすることを決意しました。彼は自身の経験、恐怖、そして生存の喜びを元に、力強い動きとリズミカルな掛け声で表現するダンスを考え出しました。
村の中心地に集まった人々の前で、テ・ラウパラハは深い呼吸をし、新しく作り上げたハカのパフォーマンスを始めました。そのハカは、彼の近い死と生存の間での感情の綱引きを表現しており、「Ka mate! Ka mate! Ka ora! Ka ora!」の言葉がその中心にありました。
村人たちは、その力強く情熱的なパフォーマンスに圧倒され、その場の空気が一変するのを感じました。このハカは後に「カ・マテ(Ka mate)」として知られるようになり、テ・ラウパラハの伝説と共にニュージーランド中に広がり、今日に至るまで多くの人々に愛され続けています。
伝統的なハカのパフォーマンスとその意味
今日、ハカは男性と女性の両方によって行われ、マオリ文化内でさまざまな社会的な行事に使用されています。
ハカの役割と意味「部族の結束と伝統の共有」
ハカは単に舞踊や儀式としての側面だけではありません。それは、マオリ部族の歴史、伝統、誇り、そして結束を象徴する重要な要素です。
- 部族のアイデンティティの表現: ハカは各部族の独自のアイデンティティと歴史を強調する手段です。踊りの動きや言葉には、部族の伝説や祖先、そしてその過去の出来事への言及が多く含まれています。
- コミュニケーションの手段: ハカは、グループ間のコミュニケーションの形式としても使用されます。これには、部族の間の挑戦や友情、さらには同盟の提案など、様々なメッセージの伝達が含まれています。
- 祝福と歓迎: 訪問者や他の部族を歓迎する際、ハカはもてなしの形式として行われることがあります。これは相手に対する尊敬と友情を示す手段として使用されます。
- マオリ文化の継承: 今日でも、ハカは新しい世代にマオリの伝統と文化を伝える手段として使用されています。これにより、若い世代は自らのアイデンティティと結束を強調し、部族の伝統を尊重し続けることができます。
ハカは、ニュージーランド全土のマオリ部族にとって、伝統とアイデンティティの強化、そして文化の継承において中心的な役割を果たしています。この踊りは、その力強さと意味の深さにより、世界中の多くの人々に感動を与え続けています。
オールブラックスとハカの関係の始まり
“オールブラックス”とは、ニュージーランド代表ラグビーチームのことを指す愛称です。
その卓越した技術と連携により、多くの国際大会での優勝を達成してきました。ラグビーワールドカップでは3回の優勝(最多タイ)、ザ・ラグビーチャンピオンシップ(前身大会を含む)で18回の優勝(史上最多)という、他国を圧倒する実績を持ちます。その全試合成績も驚異的で、行われた試合の約4分の3で勝利しています。
このような成績を持つオールブラックスは、世界最強とも言われ、その名はラグビーの歴史に燦然と輝いています。
ラグビーとの変遷と伝説の北半球遠征
1860年代後半、C.J.モンロ氏によってニュージーランドへとラグビーが紹介されました。そして、1892年にはニュージーランド・ラグビーフットボール協会(NZRFU)が設立され、その後の歴史で数多くの国際試合に出場するようになりました。
ニュージーランド代表が真に世界のステージで名を馳せることとなったのは、1905年から1906年にかけての北半球遠征でした。ニュージーランド代表は英国、フランス、そして米国との試合を行い、驚異的な通算成績、35戦34勝1敗を記録しました。この際の27名の遠征メンバーは、「オリジナル・オールブラックス」として、後世にその名を刻むこととなりました。
オールブラックス」の名前の由来
ニュージーランドラグビーの伝説的な名前「オールブラックス」の起源は、多くのラグビーファンや歴史家たちの間で話題になっています。様々な説が提案されていますが、以下にその主要なものを示します。
初めて「オールブラックス」として言及されたのは、1889年のオーストラリアの新聞で、ニュージーランド・ネイティブスというチームが、黒のシャツとシルバーファーンのエンブレム入りのユニフォームを着ていたことに関連していました。
この時期には、ウェリントンという別のチームも、同じ黒のユニフォームでプレーしており、彼らもまたオールブラックスと呼ばれていたとの記録があります。
当時の新聞の文化として、ラグビーチームの名前はしばしばそのユニフォームの色に基づいていたため、この名前の起源となったと考えられています。そして、1893年には代表チームも、ネイティブスと同じ黒シャツにシダのユニフォームを採用しました。
この黒いユニフォームのデザインは、オールブラックスのキャプテンであり、ネイティブスとの深い繋がりを持つトマス・ランギワヒア・エリソンによって提案されたものでした。彼の提案は、シルバーファンリーフとシルバーモノグラムが付いた黒いジャージとキャップ、白いニッカーボッカー、そして黒いストッキングで構成されていました。
しかし、1905年までには、このユニフォームの下半身も黒に変わっていました。同年、ニュージーランド代表チームはブリテン諸島に遠征し、「オリジナルズ」として知られるようになりました。そして、一部の報道によれば、彼らのプレースタイルが「All Backs(オールバックス)」と形容され、これが後に「All Blacks(オールブラックス)」として広まったと言われています。
しかし、真実は未だ明らかになっていません。一部には、遠征中の「オリジナルズ」の選手たちが「オールバック」としてプレーしたこと、そして後の表記ミスが「オールブラックス」の名前の起源となったとする説も存在しますが、これは確定的なものではありません。
このように、「オールブラックス」の名前の起源には諸説が存在し、それぞれの説には独自の魅力と根拠があります。
国を背負うエンブレム「シルバーファーン」
ニュージーランドは、壮大な自然美と先住民マオリの豊かな文化で知られる国ですが、シルバーファーン(Silver Fern)はこの国のアイデンティティの中心に位置しています。この独特の植物は、ニュージーランドの風土と文化を代表するものとして、多くのニュージーランド人にとって特別な意味を持っています。
このシンプルで美しい葉のデザインは、ニュージーランドの国民性や価値観を反映しています。シルバーファーンは、成長と発展、強さと耐性、そして団結と共同体の象徴として受け入れられています。
また、シルバーファーンはマオリ文化においても重要な役割を果たしています。
マオリの知恵とシルバーファーンの力
マオリ族の古代の生活は、自然との調和と、独自の知恵や技術を駆使した日常が中心でした。彼らは、身の回りの自然環境を最大限に利用して、生活の中でさまざまな工夫を行ってきました。その中で、シルバーファーンは彼らの生活や戦術において重要な役割を果たしていました。
シルバーファーンの葉の特徴的な銀色の裏面は、月光に反射して明るく光るため、夜間の目印として使用されることができました。これにより、マオリ族は夜間の戦闘や移動の際に、無言でのコミュニケーション手段としてシルバーファーンを使用することができました。
このようなマオリ族の知恵とシルバーファーンの特性を組み合わせた戦術は、彼らの敵を驚かせ、多くの戦いで優位に立つ要因となりました。このような戦術の成功は、シルバーファーンを「勝利」や「力強さ」の象徴として、マオリ族の中で高く評価されることとなりました。
時が経つにつれ、シルバーファーンの価値観や象徴性は、マオリ族だけでなく、ニュージーランド全体のシンボルとして受け入れられるようになりました。特に、ニュージーランドの国民的なスポーツであるラグビーチーム「オールブラックス」がエンブレムとしてシルバーファーンを採用することで、その知名度は一層高まりました。
今日、シルバーファーンはニュージーランドのアイデンティティや文化を象徴する存在として、国内外で広く認知されています。その背景には、マオリ族の古代の知恵や戦術、そしてシルバーファーンの自然の力が深く関わっているのです。
マオリ族とシルバーファーンの関係
マオリ族は、ニュージーランドの先住民として、長い間この土地で生活してきました。彼らの伝統や文化は、ニュージーランドのアイデンティティの基盤となっており、その中でもシルバーファーンは特別な位置を占めています。
昔、マオリ族はシルバーファーンを様々な方法で生活の中に取り入れていました。食料や建材としての利用はもちろん、特に夜間の移動や戦闘時にはこの植物が持つ特徴的な葉の裏面を利用していました。銀色に輝く葉の裏面は、月明かりを反射し、道しるべや合図として使われていたのです。
このような実用的な側面だけでなく、シルバーファーンはマオリ族の神話や伝説にも登場し、聖なる植物としての側面も持っています。それが今日、ニュージーランド全体の象徴として、また国のプライドとして受け入れられている背景には、マオリ族との深い結びつきが存在するのです。
現代でも、この植物はニュージーランドの国際的なスポーツチームやイベントにおいて頻繁に見ることができます。特に、世界的に有名なラグビーチーム、オールブラックスのエンブレムとして、シルバーファーンはその存在感を放っています。
オールブラックスと選手のタトゥー『タ・モコ』
タトゥー文化は世界中の多くの先住民文化に存在していますが、ニュージーランドのマオリ文化におけるタトゥーは特に『タ・モコ』として知られています。
タ・モコは単なる装飾やファッションではなく、マオリのアイデンティティ、家族の系譜、社会的な地位、業績、またはスピリチュアルな経験などを表す独特の文化的な意味を持っています。伝統的には、顔(特に顎)や身体の特定の部位に施されるこのタトゥーは、その人の生涯や成果を示すストーリーのようなものです。
多くのオールブラックスの選手、特にマオリ出身の選手は、自身のルーツや達成、家族、祖先への敬意を示すためにタ・モコを持っています。この伝統的なタトゥーは、彼らのアイデンティティやマオリとしての誇りを表現するためのものであり、多くの選手はそれを公然と披露しています。
マオリの精神とハカ
ハカについても、それは単なるパフォーマンスや相手を威嚇するためのものではありません。ハカに込められた情熱や力強さ、そして動きや掛け声は、マオリの戦士たちの伝統や精神、その歴史や先祖を尊重し、同時に相手や観客に向けてその情熱や意志を示すものです。
オールブラックスとハカの歴史!「伝統の背景と進化」
ラグビーチームとして初めてハカを披露したのは、1888年の「ニュージーランド・ネイティブズ」というマオリ代表チームでした。そして、1903年8月にはニュージーランドの国際試合でのハカの伝統が始まりました。
ハカの普及と意味の変遷
1905年の「オールブラックス」の英国ツアーでハカが披露されたのをきっかけに、この伝統は代表チームに受け継がれていくこととなりました。1924年のイギリス遠征でも、ハカは特別な場面で行われていましたが、1935-36年の遠征ではあまりハカが取り入れられなかったこともあります。
1987年の第1回ラグビーワールドカップが自国で開催されると、ハカは毎試合行われるようになりました。この転機を境に、オールブラックスの選手たちは、ハカをただの演技としてではなく、その背後にある真摯な意味を理解し、心から取り組むようになりました。
「現代のハカ」洗練されたパフォーマンス
昔は練習されなかったハカも、現代では試合前日に練習が行われ、非常に洗練されたパフォーマンスとして観客を魅了しています。この進化は、伝統と新しさが絶妙に組み合わさった、オールブラックスの強さと誇りを象徴するものとなっています。
「マオリの血筋」伝統的なハカのリードの役割
ハカはマオリ族の伝統的な戦舞であり、そのリード役は、伝統的にマオリ族の血筋を引く選手が務めるとされています。このリーダーシップはハカの精神と深い関連があり、その意義と尊重がチーム内で重要視されています。
シェルフォード時代の変革
1980年代、マオリの選手であるバック・シェルフォード。 (本名:ウェイン・シェルフォードがオールブラックスのキャプテンを務めていました。彼の働きかけと影響力により、ハカは前よりも一段と重視されるようになり試合前に必ず披露されるようになりました。
タナ・ウマガの例外的リーダーシップ
2004年には、タナ・ウマガがサモア系移民の背景を持つ選手でありながら、卓越したリーダーシップとキャプテンとしての実績により、特例としてハカのリードを任されるようになりました。
新たなハカの誕生
2005年には、新しい「ハカ、カパ・オ・パンゴ」が導入されました。これは「黒のチーム」という意味を持っています。どちらのハカを選ぶかは、キャプテンとリード役の選手の意向で決定されます。
伝統と現代の融合
タナ・ウマガのあとは、ピリ・ウィプー、リアム・メッサム(元ニュージーランド・マオリキャプテン)など、マオリの血筋を持つ選手が再びリードを務めており、その伝統が継承されています。
オールブラックスが演じる多様なハカ
オールブラックスのハカは、特に「カ・マテ (Ka Mate)」と「カパ・オ・パンゴ(Kapa O Pango)」の二つが知られています。これは、ライバルチームや観客に向けてチームの強さや結束を示すものとして、また、チームメンバー自身の闘志を高めるためのものとして行われています。
「カ・マテ」(Ka Mate)
「カ・マテ」(Ka Mate)は、オールブラックスの試合前に演じることで有名なハカの一つです。前述の通り、このハカはンガティトア部族長テ・ラウパラハによって1820年代に作られました。
1905年、オールブラックスは試合前の観客向けのエンターテイメントとしてこのハカを採用しました。以後、「カ・マテ」は世界中で有名なオールブラックスのシンボルとして知られるようになりました。
しかし、2003年にはチーム内でハカについて疑念の声が多く上がっており、完全に廃止することも考えられていました。しかし、2004年以降に「カ・マテ」に再び専念し始め、それ以降オールブラックスは試合のほぼ90%に勝利するという圧倒的な強さを見せています。
歌詞
Taringa whakarongo!
(よく聞け!)
Kia rite! Kia rite! Kia mau!
(準備しろ!整列しろ!しっかりと立て!)
Hī!
(はい!)
Ringa ringa pakia!
(手を叩け!)
Waewae takahia kia kino nei hoki!
(強く足を踏み鳴らせ!)
Hī!
(はい!)
Ka mate! Ka mate!
(私は死ぬ!私は死ぬ!)
Ka ora! Ka ora!
(私は生きる!私は生きる!)
Ka mate! Ka mate!
(私は死ぬ!私は死ぬ!)
Ka ora! Ka ora!
(私は生きる!私は生きる!)
Tēnei te tangata pūhuruhuru
(ここに毛深い男が立ち)
Nāna ne I tiki mai whakawhiti te rā
(太陽を呼び寄せ再び輝かせる)
A upane! Ka upane!
(一歩上へ!さらに一歩上へ!)
A upane! Ka upane!
(一歩上へ!さらに一歩上へ!
Whiti te rā!
(太陽の光の中へ!)
Hī!
(立ち上がれ!)
オールブラックスの魂
「カ・マテ」というハカは、オールブラックスのアイデンティティの核心部分を形成しており、2014年以降、保護のためにニュージーランドの法律によって守られています。
このハカの歌詞や動きは、力強さや勝利への意志を象徴するものとして、多くのファンや対戦相手からも高く評価されています。特に、太陽の輝きや一歩上への動きは、どんな障害や困難にも負けない決意や意志の強さを示しています。
オールブラックスの選手たちは、試合前にこのハカを踊ることで、チーム内の結束を強めるとともに、その試合への情熱や意欲を対戦相手や観客に伝えます。この伝統的なパフォーマンスは、単なる威嚇や戦闘の前触れとしてだけでなく、対戦相手への深い敬意を示すものとしても行われています。
オールブラックスと対戦することは、多くのチームにとって名誉であり、その試合への期待感や興奮を共有する特別な瞬間です。「カ・マテ」はその瞬間をさらに際立たせるものとなっており、試合の高まる緊張感を盛り上げます。ニュージーランドの文化や歴史を背景に持つこのハカは、オールブラックスが持つプライドや誇りを最も象徴的に示すものとなっています。
「カパ・オ・パンゴ」オールブラックスの誇り
「カパ・オ・パンゴ(Kapa o Pango)」はオールブラックスの新たなハカで、2005年にンガーティ・ポロウのマオリ文化と習慣の専門家、デレク・ラルデッリによって作成されました。このハカの名前は「黒いチーム」という意味を持ち、ニュージーランドの土地、シルバーファーン、そして黒い戦士の力と誇りを祝福するものです。
カパ・オ・パンゴの初披露は、2005年8月28日のトライネイションズ対南アフリカ戦で行われました。この新しいハカの導入により、オールブラックスは伝統的な「カ・マテ」と新しい「カパ・オ・パンゴ」の2つのハカを持つこととなり、試合や状況に応じて選択して演じています。
歌詞
Taringa whakarongo!
(よく聞け!)
Kia rite! Kia rite! Kia mau!
(準備しろ!整列しろ!しっかりと立て!)
Hi!
(はい!)
Kia whakawhenua au iahau!
(オールブラックスよ、国をひとつにさせてくれ!)
Hi, aue! Hi!
(今がその時だ!)
Ko Aotearoa, e ngunguru nei!
(激しく鳴動する我らの祖国(ニュージーランド)よ!)
Hi, au! Au! Aue, ha! Hi!
(今がその時だ!今こそがその瞬間だ!)
Ko kapa o pango, e ngunguru nei!
(激しく鳴動するオールブラックスよ!)
Hi, au! Au! Aue, ha! Hi!
(今だ!今がその瞬間だ!今だ!)
I ahaha!
(アハハ!)
Ka tu te ihi-ihi
(恐れを乗り越えろ)
Ka tu te wanawana
(挑戦に立ち向かえ)
Ki runga i te rangi, e tu iho nei, tu iho nei, hi!
(空に向かって、堂々と立ち上がるのだ、さあ、立ち上がれ!)
Ponga ra!
(シルバーファーン!)
Kapa o pango! Aue, hi!
(我らはオールブラックスだ!)
Ponga ra!
(シルバーファーン!)
Kapa o pango! Aue, hi!
(我らはオールブラックスだ!)
Ha!
(そうだ!)
論争の中心
「カパ・オ・パンゴ」の最後に行われる首を切るジェスチャーは、一部から挑発的な行為として問題視されました。これに対し、オールブラックスはジェスチャーが「相手を挑発する意味」ではなく、「自らの首をかけての決意と戦いの意気込みを示すもの」と説明しました。この説明の後も議論は続きましたが、結果としてジェスチャーは現在も継続して行われています。
その他のハカ
これらのハカに加えて、過去には豪州戦で「テナコエカンガルー(どうだい、カンガルー!)」、「コニウティレニ」などの踊りがラグビー代表で披露されたことがあります。
- テナコエカンガルー: 1903年にシドニーでオーストラリアとの試合前に披露されたハカで、オーストラリアの国動物、「どうだい、カンガルー!」といような、カンガルーを直接挑発する歌詞が特徴的です。このハカは、ニュージーランドがオーストラリアを相手に戦った際の勝利の象徴として使用されました。
- コニウティレニ: 1924-25年にイギリス遠征中のオールブラックスが披露したハカです。このハカは特定のイベントや試合のために作成されたもので、文学的にも評価されています。特に、著名な作家ジェイムズ・ジョイスがこのハカに触れ、彼の著作『フィネガンズ・ウェイク』でも言及されています。「コニウティレニ」影響を受けて作られたのが「カパ・オ・パンゴ」と言われています
それぞれのハカには、特定の歴史的背景や意義があり、オールブラックスの強い精神と、マオリ文化へのリスペクトを表現しています。
道具を使用したハカ
ハカは、マオリ族の伝統的なダンスや挑戦の形式として、歴史的に戦闘の前に行われてきました。その目的は、相手を威嚇し、自分たちの戦士の士気を高めるための「出陣前の儀式」でした。伝統的には、様々な道具や武器がこのパフォーマンスの一部として使用されることが一般的でした。
ラグビーの世界で、特にニュージーランドのオールブラックスによって披露されるハカは、この伝統を継承していますが、通常、武器や道具を使用することはありません。しかし、例外もあり、2017年のある試合では、オールブラックスは伝統的な道具を取り入れたハカを披露しました。
このハカでは、キャプテンのリードが木の斧を手に持ち、マオリの戦士たちが花火の霧の中を行進するという壮観なシーンが繰り広げられました。この特別なハカは、「Children of the Mist(霧の子供たち)」として知られるングアイ・トゥホエ族の伝統や歴史を称えるものでした。
この部族は、試合が行われた地域のすぐ東に位置する地域の先住民であり、彼らの戦士や伝統を反映したこのハカは、ラグビーの舞台での文化と誇りの共有の素晴らしい例となりました。
ハカとプレッシャー「ラグビー選手たちの対応」
オールブラックスのハカは、その歴史的背景と伝統的な意味合いから、単なるエンターテインメントとしての要素を超えています。
観客やファンにとっては、その独特なリズムや動き、声の力強さが感動的であり、多くの人々がこの特別な瞬間を待ち望んでいます。テレビ中継でもその瞬間は特別に映し出され、全世界のファンの目がその場面に注がれます。
対戦するチームの選手たちにとって、フィールド上でハカを直接体感することは、間違いなく忘れられない経験となるでしょう。その古代から伝わる踊りと歌、そしてその背後にあるマオリの戦士の精神は、彼らにとってもリスペクトの対象です。
しかし、試合に臨む立場としては、ハカは圧倒的な存在感を持つオールブラックスの戦闘儀式であり、それは心理的な戦術としても機能しています。ハカの最中、対戦チームの選手たちはどこを見て良いのか、どのように反応すべきなのか、様々な思いが頭を巡るでしょう。
ハカが終わった後、すぐにピッチ上での戦いが始まりますが、その前に受けた圧力や感動、そしてリスペクトの気持ちは、選手たちの中に深く残ることでしょう。それは、彼らがこれから臨む試合のスタートラインに立つ上での大きな要因となり、その試合の流れや結果に影響を与える可能性があります。
ハカに対抗する各国の挑戦
もちろん、対戦相手のチームはただただ見とれているだけではありません、この文化的挑戦に対抗するための様々な方法をとってきました。
「1989年:アイルランド対オールブラックス」
ダブリンでの試合で、アイルランドチームは一列に並び、ハカを披露するオールブラックスの選手たちに向かって前進しました。この挑戦的な行動は、強烈な印象を観客に与えました。試合の後、オールブラックスのウェイン・シェルフォードはこのアイルランドの行動を「素晴らしい挑戦」と評価しています。
「1995年W杯決勝:南アフリカ対オールブラックス」
この試合は、アパルトヘイトが終わったばかりの南アフリカで開催され、特別な意味を持っていました。オールブラックスの伝説的な選手、ジョナ・ロムーがハカを行いながら前進し、南アフリカのロック、コウバス・ヴィーゼと対峙しました。二人の選手は互いに一歩も引かず、その瞬間はラグビーの歴史の中でも特に記憶に残るシーンとなりました。
「2003W杯の伝説」ハカ・バトル
2003年のラグビーワールドカップは、オールブラックスとトンガの間で繰り広げられた「ハカ・バトル」で一層の注目を浴びました。この対決は、単なるスポーツの試合を超え、2つの国の文化と伝統、そして誇りが舞台上でぶつかり合った瞬間となりました。
オールブラックスのハカは、マオリの伝統的な戦闘の踊りであり、その歴史と尊厳を持つものとして、ラグビーの試合の前に披露されます。それに対して、トンガ代表のシピタウも、同様にトンガの戦闘の踊りとしての背景を持ち、選手たちの団結と戦意を高めるものです。
当初の予定では、オールブラックスのハカが終了した後に、トンガ代表がシピタウを披露するというプランでした。しかし、試合当日の熱狂的な雰囲気の中で、トンガの選手たちはオールブラックスのハカがまだ終わらない中で、シピタウを開始してしまいました。この予期せぬ「ハカ・バトル」は、両国の選手たちの情熱とプライド、そして文化の重要性を世界中の観客に示すこととなりました。
この出来事は、伝統的な文化の踊りが、スポーツの舞台上でどれだけの力と影響を持っているかを示すものであり、多くのラグビーファンや文化愛好者から称賛されました。それは、スポーツだけでなく、文化や伝統もまた、人々を魅了し、一つにする力を持っていることを再認識させる出来事となりました。
「2011年W杯決勝」フランスの挑戦とその結果
2011年のラグビーワールドカップ決勝において、フランス代表がハーフウェイラインを越えてニュージーランド代表のハカに挑戦的に迫りました。
この行為は、試合前の緊張感や期待感を最高潮に引き上げましたが、試合終了後、国際統括団体ワールドラグビーは、フランス代表の行為が大会規則違反であると判断し、罰金を科せられました。この規則は、ハカのような文化的な挑戦を受けるチームは、ハーフウェイラインを越えてはいけないと定めています。
「2019年W杯準決勝」イングランドのV字型対応
2019年のラグビーワールドカップ準決勝では、イングランド代表がV字型に並び、ニュージーランドのハカに対して圧をかける形で対応しました。この行為は、強力なチームであるオールブラックスの伝統的な挑戦を受け止める意志の現れとして、多くのファンから称賛されました。
しかし、再び国際統括団体ワールドラグビーは、V字型を作ってハカに対抗したイングランドに対して、罰金を科せられました。大会規則に一部の選手が反したことが罰金の理由とされました。
しかし、このイングランドの対応は、多くの人々から肯定的に受け止められました。オールブラックスのスティーヴ・ハンセン監督やウェールズのウォーレン・ガトランド監督は、イングランドの行為を賞賛するコメントを残しました。
さらに、英ガーディアン紙の記事によれば、多くのニュージーランドのハカの専門家たちも、イングランドの行為がマオリ文化を冒涜するものではないとの見解を示しています。
独自のリセット手段
イングランドのV字形のような大胆な挑戦だけでなく、様々な戦略やアイディアが考案されています。
オールブラックスのハカに影響されずに、自らのペースで試合を開始するための方法として、ハカが終了した後にトラックスーツを脱ぐような手法を取り入れるチームも存在します。これは、試合開始の気持ちを新たにするための独自のリセット方法として採用されている。
ロッカールームでのハカ
対戦チームとの間の意向が一致しない場合、オールブラックス自体も独自の対応を取ることがあります。その代表例が、2006年のウェールズとの試合での出来事です。
ウェールズ協会はハカの後にウェールズ国歌を歌う試合運営を提案しましたが、ニュージーランド側はこれを拒否。最終的に、オールブラックスはフィールド上ではなく、ロッカールームでハカを披露する異例の行動を取ったのです。
このように、ハカとその後の対応は、単に伝統的な文化的な演出だけでなく、チーム戦略や心理戦の一環として、試合の舞台裏で繰り広げられているのです。
「ウォークライ(Warcry)」各国の伝統への挑戦
ラグビーの試合前に行われるハカのような挑戦の儀式は「ウォークライ(戦いの雄叫び)」として知られ、これは各国の文化や伝統を体現する形で、チームの一体感を強化し、相手に対する意気や誇りを示すものです。
ニュージーランドのオールブラックスが披露するハカは世界的に有名ですが、それだけではありません。特に太平洋諸国の代表チームは、自国の歴史や文化を背景に持つ独自のウォークライを持っており、国際的な舞台でその伝統を誇らしげに披露しています。
「シピタウ(Sipi Tau)」トンガの伝統と戦闘の叫び
前述に記した通り、シピタウとはトンガのラグビーチームが試合前に披露する独特の儀式です。これは、対戦相手を威嚇し、自らのチームの士気を高めるための古来のトンガの戦争の踊りです。
この踊りは、サモアのシピ・タウや、ニュージーランドのマオリに由来するハカと同じ系統の伝統を持つものとして知られています。
その他にも、トンガにはカイラオというフォークダンスがあります。このダンスはウォリス・フツナの土地で始まり、現在ではトンガの日常の中で色濃く存在しています。カイラオは、踊るグループによって演じられ、トンガの伝統的な楽器の音楽が背景となっています。
このカイラオとシピタウは、両方ともトンガの文化や歴史を反映するものとして、国民にとって非常に重要な位置を占めています。
「シヴァタウ(Siva Tau)」サモアの戦争の踊り
シヴァタウ、またはシヴァ・タウは、サモアの深い文化と歴史を体現する伝統的な戦争の踊りと叫び声です。試合前にサモアのラグビーチームによって披露されるこの踊りは、チームの結束を強化し、同時に対戦相手に対する力と誇りを示すものとして行われます。
しかし、シヴァタウはラグビーの試合だけでなく、サモアの文化の中で非常に重要な役割を果たしています。結婚式や葬式、そしてその他の重要な文化的イベントでもこの踊りは中心的な役割を果たし、コミュニティの結束や一体感を高めるために演じられます。
シヴァタウは、ニュージーランドのマオリ民族のハカと多くの類似点を持っています。両方とも、相手に対する敬意を表現し、同時に自らの誇りや力を示すための踊りです。これらの踊りは、文化や歴史を通じてコミュニティを結びつけ、独自のアイデンティティを強調する重要な手段となっています。
「ジンビ (Cibi)」フィジーの伝統とラグビーの儀式
ジンビ、しばしばシビとしても知られる、はバウアンの文化から生まれたフィジーのメケ(伝統的な踊り)であり、その起源は戦闘の前後の儀式にまで遡ります。フィジーのナショナルラグビーユニオンチームも、試合前の舞台でこの伝統的な踊りを披露しています。
この特有の踊りは、バウのナヴサラダヴェ地域の戦士クランに属する高位首長、ラトゥ・ボラによってフィジーラグビーチームへと伝えられました。”シビ”という名前は「戦士による勝利の祝賀」という意味合いを持ちます。しかし、この名称は時折、戦争の叫び声として誤解されることがありました。この混同を避けるため、2012年に正式な名称が”シビ”から挑戦の受け入れを意味する”ボレ”に変更されました。
シビ、現在のボレは、フィジーのラグビーチームの一体感、誇り、力を体現するものとして、試合前の儀式において欠かせない要素となっています。この踊りは、相手チームへの威嚇と同時に、フィジーチームの士気を鼓舞する役割を果たします。
「タカロ(Takaro)」ニウエの伝統的な戦争の踊り
ニュージーランド領ニウエには、伝統的な戦争の踊りであるタカロが存在します。この踊りは、古くから戦士たちが戦争の棍棒を手にし、敵に立ち向かう直前に行うものとして知られています。実際には、タカロは公式な挑戦として位置づけられており、単独の戦士や戦士のグループによって演じられることが一般的です。
近代では、この伝統的な踊りの演じる場面が増え、ラグビーゲームの前やスポーツの試合後に勝利を祝う際などにも披露されるようになりました。
しかし、タカロの意義は戦争やスポーツの勝利だけにとどまりません。
実際には、ニウエに到着する要人や高い地位の人々、例えば首相、大統領、総督などを歓迎する公式な儀式としても演じられます。この踊りは、彼らの訪問が平和と調和の象徴として行われるものであることを強く意識させるものとなっています。
「ホコ(Hoko)」イースター島の伝統的な踊り
イースター島、所属するチリに古くから伝わるホコは、その力強い動きとリズムで知られる伝統的な踊りです。このダンスは、島の部族間の戦争の踊りとしての側面を持ちながらも、歓迎の意味合いが強く、島への訪問者を暖かく迎え入れるためのものとしても使われてきました。
近年、スポーツの世界での儀式としての役割も増しており、ニュージーランドのラグビーチームがハカを舞うのと同様に、ホコもスポーツの試合前のリチュアルとして演じられることが増えています。この踊りは、その力強さと情熱を通じて、戦闘の意志や団結を表現します。
古代には、戦士や高位の個人たちがこのダンスを舞っていましたが、現在では一般の踊り手のグループによっても頻繁に演じられます。伴奏される伝統的な音楽とともに、ホコはイースター島の文化や歴史を象徴するものとなっています。
「パシフィック・アイランダーズ(Pacific Islanders)」3カ国のエッセンス
3カ国が一つとなった力の象徴、パシフィック・アイランダーズ。フィジー、トンガ、そしてサモアから選ばれた選手たちが一つのチームを形成し、その独自のウォークライで試合前の舞台を飾ります。
このチームが持つウォークライは、3つの国それぞれの伝統的な戦闘の叫び声を融合させたもの。それはトンガのシピ・タウ、サモアのシバ・タウ、そしてフィジーのシビというそれぞれの戦闘の叫び声のエッセンスが組み込まれています。これらの叫び声を組み合わせることで、パシフィック・アイランダーズは三国の誇りと力、そして結束を象徴する独特のウォークライを創出しています。
このウォークライは、チームの団結や力を高めるだけでなく、対戦相手に対する敬意を示し、同時にその挑戦を宣言するものとしても機能します。太平洋諸島の文化や伝統、そしてその歴史を背負いつつ、パシフィック・アイランダーズはラグビーの舞台でその名誉と誇りを持って戦っています。
世界中の文化が交差するラグビーの世界
これらのウォークライや伝統的なパフォーマンスは、各国や文化の特性や誇りを示すものとして、試合前の儀式として行われることが多いです。それぞれの文化や国が持つ独自の伝統や価値観を反映しており、その背景や意味を理解することで、より深くラグビーやそれにまつわる文化を楽しむことができます。
ハカの響き、心の共鳴
ラグビーの舞台でのハカは、スポーツの界隈だけでなく、全世界の人々を魅了する力強さを持っています。しかし、その背後にある深い歴史や文化を理解することで、その真の意味や魅力がより鮮明に浮かび上がります。
この記事を通じて、ハカとは単なる舞踏やパフォーマンスではなく、マオリの文化、歴史、そしてオールブラックスの精神を体現したものであることをご理解いただけたことを願っています。
ハカのような伝統を持つ国や文化は、世界中に数多く存在します。これらの伝統は、私たちに過去と現在、そして未来との繋がりを感じさせ、互いの違いを尊重し理解することの大切さを教えてくれます。このような伝統や文化が持つ深い意味を知ることで、スポーツをはじめとしたさまざまな場面での国際交流がより豊かで意義深いものとなるでしょう。
「ハカの真実」ラグビーの先にあるマオリ文化とニュージーランドのアイデンティティ