“ハイパーインフレ”で地獄と化した南米の楽園!石油に呪われた国「ベネズエラ」(1)

南米の国、ベネズエラは石油資源に恵まれ、石油産業に依存して経済を発展させてきましたが、石油価格の低迷や政府の経済政策の失敗が原因で、深刻な経済危機に陥っています。

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経済危機下にあるベネスエラでは、反米・反グローバリズムの独自路線を歩んだチャベス政権を継承するマドゥロ政権と、親米派のグアイドー勢力が激しく対立している。激動するベネズエラをめぐるラテンアメリカの現状を、専門領域の異なる研究者が詳細に分析。(「Books」出版書誌データベースより)

Venezuela

南米で一番豊かな国だった!?ベネズエラ

Revolucion Web/YouTube

ベネズエラ・ボリバル共和国(通称ベネズエラ)は、南アメリカ大陸の北部に位置し、カリブ海と大西洋に面しています。

国土面積は約916,445平方キロメートルで、コロンビア、ブラジル、ガイアナと国境を接しています。首都はカラカスで、国内に23の州と連邦首都区、連邦統治領があります。

スペイン語が公用語であり、人口約2800万人(2021年推定)の多くはスペイン語を話します。

ベネズエラの民族構成は、ヨーロッパ、アフリカ、先住民のアメリカインディアンの混血が大半を占めており、多様な文化を持つ国です。

スペイン語で「小さなヴェネツィア」を意味する国

ベネズエラの国名は、確かにスペインの征服者たちが原住民のマラカイボ湖での湖上生活を見て、その風景がイタリアのヴェネツィアに似ていると感じ、小ヴェネツィアを意味する「ベネスエラ(Venezuela)」と名付けたとされています。

この名称はスペイン語で「小さなヴェネツィア」を意味しています。

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ベネズエラ・ボリバル共和国の国名に込められた意味

ベネズエラ・ボリバル共和国の正式国名には、独立の英雄でラテンアメリカの指導者であるシモン・ボリバルの名が冠されています。

ボリバルは19世紀初頭のラテンアメリカ独立運動において重要な役割を果たし、現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パナマの独立に大きく貢献しました。

彼の名前が冠された国名は、彼の偉業を称えるとともに、ベネズエラの独立精神を示しています。

南米の自然観光地!ベネズエラの魅力

ベネズエラは、南米大陸の北部に位置し、カリブ海と大西洋に面しています。

自然資源に恵まれた国として知られており、その多様な地形や生態系は、南米でも特に美しいとされています。

  1. アンデス山脈:ベネズエラの西部にはアンデス山脈が広がり、山岳地帯には様々な植物相や動物相が見られます。また、標高5,007メートルのピコ・ボリバル山は、ベネズエラで最も高い山であり、登山家に人気のある場所です。
  2. グラン・サバナ:国土の南東部に位置するグラン・サバナは、広大な熱帯草原地帯で、独特の生態系や滝が多く存在します。特に、世界最高の滝であるアンヘル滝は、観光名所として有名です。
  3. オリノコ川:南米で最も長い川の一つであるオリノコ川は、ベネズエラを横断し、アマゾン川と共に重要な水路を形成しています。オリノコ川流域は独特の生物多様性を誇り、多くの珍しい動植物が生息しています。
  4. カリブ海の島々:ベネズエラ沿岸には、美しいカリブ海の島々が点在しており、観光客に人気です。ロス・ロケス諸島やマルガリータ島など、美しい砂浜やダイビングポイントが豊富に存在します。

このように、ベネズエラは多様な自然環境が魅力の国であり、観光地や生物多様性の保護に対する取り組みが重要です

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世界有数の産油国

ベネズエラは世界有数の産油国であり、石油が国の輸出総額の7割以上を占めています。石油資源がもたらす豊かさは、ベネズエラの急速な近代化と都市化を促しました。

石油収入により、インフラ整備や教育・医療などの公共サービスが拡充され、国民の生活水準が向上しました。

また、石油ブームにより、多くの外国労働者や難民がベネズエラに移住し、経済活動が活発化しました。

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なぜ?産油国のベネズエラで経済危機

かつてはラテンアメリカでも有数の豊かな国であったベネズエラが、現在は経済崩壊や人道的危機に苦しんでいます。

ベネズエラの経済は長年石油産業に依存してきましたが、国際石油価格の下落や生産量の減少が石油収入の激減を招き、国の経済が機能不全に陥っています。

これにより、物価の高騰や社会福祉の低下が進んでいます。

さらに、政治的な不安定さもベネズエラの経済危機を深刻化させており、政府と野党の対立が深まる中、国内の混乱が続いています。

経済改革や国民の生活改善が遅々として進まない状況が続いており、インフレ率は10万%を超す世界最高水準に達し、国民の購買力が低下し、食料不足や医療サービスの不足が深刻化しています。

さらに、経済危機により、治安が悪化し、暴力犯罪が増加しています。国民の不安定な生活と治安の悪化が相互に影響し合い、社会全体が不安定な状態に陥っています。

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世界最大の石油埋蔵量を誇る産油国ベネズエラ。だが、戦争や自然災害とは無関係に経済が縮小を続けている。その間、治安は悪化、食料供給や医療制度も崩壊の危機にある。四〇〇万人以上が陸路国外に脱出し、シリアに次ぐ難民発生国となった。かつて二大政党制を長期間維持し「民主主義の模範」とされた同国に何が起こったのか――。本書は、チャベス大統領就任以降、権威主義体制に変容し、経済が破綻に向かう二〇年間の軌跡を描く。(「Books」出版書誌データベースより)

Venezuela’s cursed oil

石油で豊かになり崩壊した国“ベネズエラ

Financial Times/YouTube

ベネズエラは長い歴史を持っています。

その歴史は、19世紀初頭の独立運動から始まり、政治、経済、社会の様々な変遷を経て、現在の混迷した状況に至っています。

ベネズエラの独立宣言

ベネズエラは1811年にスペインから独立を宣言しました。

この独立戦争は、ラテンアメリカ解放運動の中でも重要な役割を果たした指導者たち、シモン・ボリバルやフランシスコ・デ・ミランダを中心として、激しい戦いが繰り広げられました。

ボリバルは、ベネズエラを含む南アメリカ大陸の多くの国々をスペインの支配から解放し、「ラテンアメリカの解放者」とも称されています。

大コロンビア共和国を設立

1811年の独立宣言後、ベネズエラは激しい戦いが続きました。翌年の1812年、大地震がベネズエラを襲い、国内の状況は一時的に混乱に陥りました。

しかし、シモン・ボリバルはその後もスペイン軍と戦い続け、1819年のボヤカの戦いで勝利を収めました。

この勝利により、ベネズエラは再び独立を宣言し、同年には大コロンビア共和国が成立しました。シモン・ボリバルは大統領に選出され、コロンビア、エクアドルとともに一つの国家を形成しました。

大コロンビア共和国の崩壊とベネズエラの独立

大コロンビア共和国は、シモン・ボリバルの野望である統一されたラテンアメリカを実現するために、1819年にベネズエラ、コロンビア、エクアドルが結成した国家でした。

しかし、政治的・経済的な問題により、国家の統治が困難となりました。主な問題としては、地域間の利益対立、政治的な確執、中央集権政治への反発、経済の立て直しの失敗などが挙げられます。

これらの問題が解決されないまま、1830年にはベネズエラが大コロンビア共和国から脱退し、再びベネズエラ共和国として独立しました。この後、大コロンビア共和国は完全に解体され、他の加盟国も独立国家となりました。

ベネズエラの運命を変えた石油の発見

独立後のベネズエラは政治的不安定さが続きましたが、1920年にオリノコ油田が発見されると国の運命が大きく変わりました。

石油資源の発見によって、ベネズエラの経済は急速な成長を遂げることになりました。これにより、20世紀半ばから後半にかけてベネズエラは、南米でも有数の裕福な国へと変貌しました。

少数者による支配が生んだ、深刻な格差問題

しかし、石油収益の多くはベネズエラ石油公社(PDVSA)を操る少数の有力者の支配勢力と、その周囲に取り巻く中間層に独占されました。

結果として、国内で75%を占める貧困層の生活は、依然として改善されずに貧しいままでした。

このような支配体制による格差の拡大は、社会的不安定さを引き起こし、経済や政治にも悪影響を及ぼしました。

石油発見がもたらした農業の衰退と食料輸入

ベネズエラはかつて農業国でしたが、世界最大級の石油資源が発見されたことで、石油に依存した社会へと変わっていきました。この結果、農業は衰退し、食料の輸入に頼るようになりました。

経済成長と石油依存の代償

このように、石油資源の発見によって経済成長を遂げた一方で、ベネズエラは石油産業への過度な依存が招いた問題に直面することになります。

石油価格の変動や政府の経済政策の失敗が重なり、21世紀に入るとベネズエラは深刻な経済危機と人道的危機に陥り、国内の農業や他の産業がさらに衰退し、食料不足や物資不足が深刻化したのです。

民主制の確立と政治の安定!

1958年にベネズエラは民主制を確立しました。以降、選挙によって大統領が選出され、二大政党による政権交代が行われるようになりました。

この期間、ベネズエラは概ねアメリカ合衆国と協調的な関係を維持してきました。

石油依存による負の側面が次第に表面化

民主制の確立によって、国内の政治的安定性が向上し、経済も石油産業を中心に成長を続けました。

しかし、石油に過度に依存した経済構造や、少数の有力者支配による貧富の格差が深刻化し、国内の問題が次第に表面化するようになりました。

OPECの創設メンバーとして、世界有数の産油国に!

1960年、ベネズエラはサウジアラビア、クウェート、イラン、イラクとともにOPEC(石油輸出国機構)の創設メンバーとなりました。

当時のアルフォンソ石油相は、サウジアラビアのヤマニ石油相とともに指導的役割を果たしました。1970年代には、二度の石油危機を経験し、南米の大国として経済的に発展しました。

外資石油メジャーの投資控え

1960年から70年代は「資源ナショナリズム」の時代とも言われており、産油国の国民は地下資源を自国の国家建設や経済運営のために用いるべきだとの意識が広まりました。

ベネズエラでは、1960年代末に資源ナショナリズムの高揚を受け、政府は新規コンセッションおよび既存コンセッションの更新を禁止しました。

これにより、外資石油メジャーは将来的な国有化が視野に入ってくると判断し、投資を控えました。その結果、ベネズエラの石油生産が急減しました。

しかし、その後もベネズエラは石油資源を活用して経済を発展させ、世界有数の産油国としての地位を確立しました。

【カラカス暴動】石油国有化とアメリカの石油メジャー締め出し

1978年にベネズエラは石油資源を国有化し、アメリカの石油メジャーは市場から締め出されました。しかし、1960年代から70年代の石油ブームは石油価格の下落とともに失速しました。

そのため、1989年に政府が緊縮策を実行しようとした際、低所得者層によるカラカス暴動が発生しました。

この暴動では、街が分断され、住宅は門を閉ざしました。軍隊は非武装の民衆に発砲し、多くの犠牲者が出ました。この政治運動は、地理的な分断を一層鮮明にしました。

外資の撤退による原油生産の問題

ベネズエラの約240の油田の大半は、1940~1950年代に開発された老朽化した油田であり、外資の撤退と開発の遅れも相まって、1990年代初めには年率22~23%の生産量減少が見られました。

この危機的な状況を受けて、当時のペレス政権は新自由主義的な経済改革を打ち出し、再び外資を導入することで原油増産に成功しました。

チャベス中佐によるクーデターの失敗と投獄

1992年、カルデラ大統領の新自由主義経済改革に反発したチャベスは、クーデターを起こしました。当時無名の若手将校であった彼が突如政治の舞台へと登場したことで、国民の注目を集めました。

このクーデターは失敗し投獄されることになりましたが、カルデラ大統領の恩赦を受けて2年で自由の身となりました。

チャベスは選挙を通じて政権を取る方がより容易だと判断し、戦略を変更しました。

従来の2大政党の枠組みを批判し、政党「第5共和国運動」を創設。全国を行脚して支持を集め、1998年12月の大統領選に出馬しました。

archivodichiara/YouTube

1999年 チャベス大統領誕生

1999年、貧困層の支持を受けてチャベス大統領が誕生しました。

彼はカリスマ的な国民的人気と豊かな石油収入を背景に、反米色を鮮明にするとともに、ベネズエラの政策を社会主義的方向へと転換しました。

Radio Nacional de Venezuela/YouTube
中間層や富裕層を批判

チャベス大統領は、従来の体制に対して厳しい批判を展開しました。

彼は、民主主義の名のもとに伝統的な二大政党とその支持基盤である中間層や富裕層が政治を支配し、国民の大半を占める大衆層が政治から疎外されてきたと主張しました。

さらに、世界有数の産油国であるベネズエラの石油収入も彼らが独占し、大衆層はその恩恵を受けることができなかったと批判しました。

貧困層の代弁者としてのチャベス

チャベス登場以前のベネズエラでは、富裕層と中所得層、つまり資本家と労働組合間の階級闘争が政治の中心であり、各政党は両者のどちらかを主な支持基盤にしていました。

しかし、正規雇用でない労働者や小作農は、人口で多数派を占めながらも、既存の政党にその声が届くことはなく、政治的な発言の機会はほとんどありませんでした。

このような状況に対し、チャベスは「サイレント・マジョリティ」である貧困層の代弁者として登場しました。

彼は、貧困層の声を代弁し、彼らの権利を擁護することを通じて、ベネズエラの政治状況を変革しようとしました。

【原油価格が高騰】“石油”など主要産業を国営化

2006年から2007年にかけて、原油価格が100ドルを超えて高騰し、好景気が続いた。この状況を利用して、チャベス政権は原油の採掘・生産を完全国有化しました。

この結果、アメリカのエクソンモービル、フランスのトタル、イタリアのエニなどの外国企業の資産が強制的に接収されました。

この措置は、チャベス政権の資源ナショナリズム政策の一環であり、ベネズエラの石油資源を国内で利用し、国民全体の利益のために活用することを目指していました。

しかし、外国企業の資産接収は国際的な投資家からの信頼を損ない、長期的にはベネズエラの石油産業の発展に悪影響を与えることとなりました。

「貧困層を助けるため!」救済のためのバラマキ政策

チャベス政権は、巨額の予算を使って貧困層の生活支援を強化しました。カラカスの新興住宅街では、新築物件が引き渡されており、受け取った人々はチャベスに感謝していました。

彼らにとって驚くべきことに、これらの家は無料で配布されていたのです。さらに、電化製品まで無償で提供されていました。

チャベスが掲げる「21世紀の社会主義」は、貧困層の救済に力を入れていました。貧民街である「バリオ」には、無料の病院が80,000カ所も建設されました。

これらのバラマキ政策により、多くの貧困層が社会保障や基本的なサービスを受けることができるようになりました。

貧困層救済の資金は全てオイルマネー

ベネズエラは、オリノコ川周辺で世界有数の石油埋蔵量を持つ国であり、実際にサウジアラビアを超えて世界一の石油埋蔵量を誇る石油大国となっています。

チャベス政権は、これらの石油資源から得られるオイルマネーを利用して、貧困層への支援を行っていました。

高額の石油収入をもとに、広範囲にわたる社会福祉政策を実施することで、チャベス政権は貧困層からの支持を獲得していました。

しかし、国の財政が石油収入に大きく依存する結果となり、石油価格の変動によって国家財政が不安定になるリスクも抱えていました。

【原油価格が低下】様々な問題が浮上していく

チャベス政権化で、1999年に1万2000社余りあった民間企業は2017年には3800社まで減少。チャベスは利潤を追求していく経営者の存在を否定し、一定以上の利益を上げることを禁止させた。

これがボリバル社会主義革命の1つであった。この思想についていけない企業は廃業するか、大手は国営化された。

国営化された企業の収益力は徐々に低下していった。それでも原油が高値で輸出できていた頃は外貨を豊富に獲得できたため、国営企業のこうした問題はあまり重要視されなかった。

ところが、国際的な原油価格が下落し始めると、外貨の不足が目立つようになった。何しろベネズエラのGDPの95%は原油の輸出に依存していたからである。

国有化で投資が停止!開発力やビジネスチャンスを失った

チャベス政権が主要産業の国有化を進めると、内外の投資は大幅に減少しました。民間企業への投資も、いつ国有化されて投資が失われるか分からないというリスクがあるため、投資が引かれました。

この結果、ベネズエラ経済に対する投資は激減し、経済活動の停滞に拍車がかかりました。

チャベス政権が外国石油企業を締め出す政策を取ることは、彼にとって社会主義的な政治目標を実現する上で重要な意味がありました。

しかし、ベネズエラ経済にとっては、外国企業からの技術や開発ノウハウの獲得が阻害され、原油収入増大の機会が失われることになりました。

また、国有化に伴う効率性の低下や運営の不手際が、石油産業の生産性低下につながり、経済危機を深刻化させる要因となりました。

外貨不足によって輸入もできなくなっていく

石油収入による外貨の豊富な時代には、国内で不足している物資を外国から容易に輸入できました。

しかし、石油価格の低迷や産業の国有化による生産性の低下が原因で外貨収入が減少し、物資の輸入に必要な資金も不足し始めました。

これにより、市場は物不足に陥り、国民生活に大きな影響を与えることになりました。

政府は紙幣を擦りまくって対応!これがさらに追い討ちをかける

政府は、物価上昇や物不足をカバーするために、紙幣を大量に発行しました。

しかし、この政策はハイパーインフレ(急激なインフレ)を引き起こし、経済の混乱をさらに悪化させました。

物価が急速に上昇すると、国民の購買力が低下し、貧困が拡大し、さらなる物不足や社会不安が引き起こされる悪循環が生じることになりました。

【孤立化】航空会社がベネズエラへの乗り入れ中止

外貨の不足が顕著になると、ベネズエラ政府は外国の航空会社が国内で上げた売上をドルに両替することを制限しました。

これにより、航空会社はベネズエラでの売上を外貨に交換できなくなり、経済的な損失を避けるためにベネズエラへの乗り入れを中止するようになりました。

この結果、ベネズエラは国際的に孤立する状況となり、経済活動がさらに制約されることになりました。

国際航空路線の減少は、ベネズエラ国内外への人や物の移動が困難になるだけでなく、国際ビジネスや観光業にも悪影響を与え、経済の停滞をさらに加速させました。

「食べ物が無い!」ついに生活必需品が店頭から消えた……。

Imagen Noticias/YouTube

物不足は、原油価格下落以前から始まっており、これはチャベス政権が食料や日用品の価格統制を実施した結果です。

価格統制が導入されたことで、生産側にとって商品を製造しても利益が上がらなくなりました。これにより、国内産業は次々と衰退し、輸入品への依存度が増しました。

元々は貧困層の救済策であったはずの価格統制が、結果として国内経済を「死に体」にする要因となりました。

採算割れの事業を強いられた業者が次々に製造や販売から撤退し、食料や商品が商品棚から消えてしまったのです。

このような状況は、物不足とインフレを招き、ベネズエラの人々の生活をさらに困難なものにしました。

経済が悪化するにつれ、貧困層の救済が目的であったはずの政策が、かえって国全体の生活水準を下げる結果となりました。

医療に必要な物資も全て消えた

ベネズエラの経済危機は、医療や日常生活にも深刻な影響を与えています。

ガンや糖尿病の薬から風邪薬に至るまで、薬が手に入らない状況が続いており、多くの病人や怪我人が苦しんでいます。

公共病院では、レントゲンや各検査器具が故障して使用不可能になり、シーツやガーゼさえ不足しています。

野良犬と共にゴミ箱を漁る人々の光景

食料不足のため、ごく普通の人々が野良犬と共にゴミ箱を漁る光景があちこちで見られるようになりました。

空腹のあまり、石鹸や毒のある芋類を食べて死亡する人も出るほど、飢餓が深刻化しました。

マドュロ大統領の下でさらに悪化するベネズエラ経済

2013年にウゴ・チャベスはがんで亡くなりました。チャベスは、元バス運転手で当時副大統領だったニコラス・マドゥロを後継者として指名しました。

その後、2013年の大統領選挙で、マドゥロは野党候補に僅差で勝利し、ベネズエラの大統領に就任しました。

NTN24/YouTube
「チャベス大統領」の政策を継承

マドゥロ政権は、チャベス政権のバラマキ政策や政府による経済介入を継続しましたが、これが経済的な悪影響をもたらすこととなりました。

石油資源がバラマキ政策の財源であるものの、石油価格が1バレル=120ドル以上でなければ国家予算が成り立たないような状況でした。

しかし、石油価格は暴落し、1バレル=40ドルから50ドル程度にまで下がりました。この状況は、石油産業への打撃となり、ベネズエラ経済はハイパーインフレに襲われることになりました。

結果的に、ベネズエラ経済は破綻状態に追い込まれ、国民の生活も大きく影響を受けることとなりました。

アメリカからの経済制裁で追い討ち

チャベス大統領とその後継者であるニコラス・マドゥロ大統領は、反米主義を掲げており、そのためアメリカとの関係が悪化しています。

アメリカはベネズエラに対して厳しい経済制裁を科し、物資の不足がさらに深刻化しています。

加えて、原油価格の急落もベネズエラ経済に大きな打撃を与えました。これらの要因が重なり、ベネズエラの経済は破綻状態に陥りました。

気づいた時には時すでに遅し

ベネズエラ政府は、経済危機に対処するために緊縮路線に切り替えましたが、過剰な公務員の数や経済の悪化が追いつかず、効果が限定的でした。

結果として、週休5日制を導入し、公務員の給料を60%カットするという厳しい措置が取られました。

このような状況により、国民生活は困窮し、人々は政府に対して強い非難の声を上げています。

しかし、チャベスやマドゥーロを大統領に選んだのは国民自身であり、現状の責任を問うことは容易ではありません。

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南米随一の産油国として繁栄していたベネズエラ。 しかし、長引く政情不安や経済政策の失敗により、国民は貧困に苦しみ、日常的に犯罪が発生する南米最貧最恐の国になってしまった。すでに「破綻国家」とも言われているベネズエラの本当の姿を見るために、著者は身の危険に晒されながら三度にわたってこの国に潜入する。果たして、著者は何を目撃するのか。新進気鋭のノンフィクションライターが挑んだ限界ギリギリの冒険紀行。(「Books」出版書誌データベースより)
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