《ウイグルクライシス(1)》新疆ウイグル自治区における人権侵害の真相を探る「抑圧の歴史と民族運動」

この記事では、中国の新疆ウイグル自治区で報告されている人権侵害について探究していきます。一部の情報源では、ウイグル人や他の少数民族に対するジェノサイドの可能性が指摘されていますが、この問題が本当に起こっているのか、それとも誤解や偏見に基づく誤報なのかを明らかにすることを目指します。

記事では、新疆ウイグル自治区の歴史や民族問題の背景を説明し、中国政府の政策や行動に関する情報を提供します。さらに、報道された人権侵害の具体的な事例や目撃証言についても取り上げます。

一方で、異なる情報源や立場からの意見も紹介し、客観的な視点を保ちながら議論を展開します。ジェノサイドの定義や国際的な人権基準に照らして、新疆ウイグル自治区で起きている事態がそれに当てはまるのかを考察します。

最終的な目的は、読者に対して情報を提供し、自らの判断力を駆使してこの問題について深く考えることです。ジェノサイドという極めて重大な疑念がある場合、国際社会の関与や適切な対策が求められるでしょう。しかし、真相を見極めるためには客観的なデータや証拠が必要です。

この記事では読者が情報を総合的に評価し、自身の意見を形成する一助となることを目指しています。

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中国西北部に位置する新疆ウイグル自治区。中国全体の6分の1ほどの面積に、約2500万人が暮らす。1955年に自治区が成立した当初、中国共産党は少数民族の「解放」を謳った。しかし習近平政権のもと、ウイグル人らへの人権侵害は深刻さを増している。なぜ中国共産党は、多くの人々を「教育施設」へ収容するといった過酷な統治姿勢に転じたのか。新疆地域の歴史を丁寧にたどり、その現在と未来を考える。(「Books」出版書誌データベースより)

China’s Uyghur Crisis

中国のウイグル族弾圧「ウイグル問題」

アジアンドキュメンタリーズ/YouTube

中国は公式には56の異なる民族から成る多民族国家とされています。漢民族が大多数を占めていますが、それ以外の55の少数民族も、その文化と伝統を保持し、自治権を持つことが認められています。ウイグル民族は新疆ウイグル自治区に主に居住しており、その自治権を行使しています。

しかしながら、近年の報告によれば、中国政府は新疆ウイグル自治区でのウイグル民族の文化、言語、そして宗教的な表現を弾圧していると言われています。これらの報告は、中国政府がウイグル人の基本的な人権を脅かしていると指摘しています。

また、国際的な人権団体や報道機関は、中国政府がウイグル人を大規模な再教育キャンプに収容し、様々な人権侵害を行っていると報じています。これらの行為は、人権を尊重し、保護するという国際社会の基本的な原則に反していると広く見なされています。

新疆(しんきょう)ウイグル自治区

新疆ウイグル自治区は、地理的には中国の最も西部に位置しており、インド、パキスタン、アフガニスタンなどと国境を接しています。また、他にもカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、モンゴルとも国境を接しています。

新疆ウイグル自治区の面積は約165万平方キロメートルで、これは日本の面積の約4.5倍に相当します。これは中国全土の約1/6を占めており、中国の自治区の中で最も広大な地域です。

新疆ウイグル自治区は、その広大な面積と多様な地理的特性、そして多民族の存在により、その文化的、経済的、政治的な複雑性が増しています。ウイグル民族をはじめとする少数民族と、多数派の漢民族との間の緊張は、新疆ウイグル自治区の社会問題の一部を形成しています。

新疆(しんきょう)とは

「新疆」という言葉は中国語で「新しい境界」または「新しい土地」を意味します。新疆は18世紀に清朝によって征服され、その後中国の一部とされました。その時に新たに領有した土地という意味で、「新疆」と名付けられたのです。

ウイグル民族はトルコ系の民族で、その起源は中央アジアの遊牧民族に遡ることができます。彼らはチュルクと呼ばれ、一部は突厥とも呼ばれていました。これらの民族はかつて中央ユーラシアを広範囲にわたって支配していました。

ウイグル人は、中央アジアの伝統的な文化、言語、宗教の影響を受けています。ウイグル語はトルコ語族に属し、彼らの宗教は主にイスラム教です。彼らは独自の伝統と文化を持ち、これらは中国の他の地域や民族とは異なる特徴を持っています。

Urumqi
多民族国家中国の中でも特に自治を望む意向が強い

新疆ウイグル自治区は、ウイグル人とその他のトルコ系の少数民族が主に住んでいる地域です。この地域は、中国政府による直接の支配が20世紀半ば以降に確立したものの、その地域の多様な民族からは自治権の拡大や独立への望みが常に存在しています。

新疆ウイグル自治区だけでなく、チベット自治区や内モンゴル自治区などの他の少数民族地域でも、同様の意向が見られます。これらの地域では、独自の文化、言語、宗教、歴史があり、中国の他の地域や民族とは異なるアイデンティティを持っています。これらの特徴は、自治権の拡大や独立への望みを強くする要因となっています。

ウイグル人と漢民族の隔たり

ウイグル人はイスラム教を信仰する少数民族であり、その宗教的な信念は中国共産党の政治的思想とは異なるものです。これは、党と異なるイデオロギーに忠誠を誓っているように見える可能性があり、特に共産党にとっては問題視されることがあります。

加えて、ウイグル人は人種、文化、言語の面でも漢民族とは大きな違いがあります。ウイグル人は中央アジアの遊牧民族の子孫であり、その文化と言語はトルコ系の影響を強く受けています。また、宗教的な結びつきから、ウイグル人は中央アジアや中東の国々とも深い関係を持っています。

これらの要素は、中国政府がウイグル人に対して他の少数民族以上に強い警戒感を抱く一因となっている可能性があります。

新疆は中国の支配に対して抵抗を続けてきた

。新疆ウイグル自治区はアラスカ州とほぼ同じ面積を持ち、約2400万人の人口がいます。その人口の半数以上はイスラム教を信仰する少数民族で、その中でもウイグル人が大部分を占めています。

ウイグル人の中には、中国政府の支配に対する抵抗運動を続けている一部の人々がいます。彼らは独自の文化、言語、宗教、歴史を保持し、中国政府の政策に対する不満を持っています。特に、中国政府によるウイグル人の人権侵害や文化的な弾圧に対する抗議が主な焦点となっています。

「東トルキスタン」抑圧と闘い続けるウイグル人のアイデンティティ

新疆ウイグル自治区に住むウイグル人は、民族、宗教、文化の面で中央アジア諸国の文明圏に属しており、中国の一部として組み込まれるべきではないという意見が一部にあります。この地域は「東トルキスタン」とも呼ばれることがあります。

東トルキスタンは、古代シルクロード上に位置し、ユーラシア大陸の中心部にあたります。この地域は2000年以上前から重要な商業文化中心として栄えており、多くの文明が誕生した土地です。歴史のさまざまな段階で、東トルキスタンは独自の文明、文化、政権を生み出してきました。

しかし、中国政府はこの地域を「新疆ウイグル自治区」として統治しています。そして、ウイグル人のアイデンティティや文化を抑圧し、同化政策を進めているとされています。これらの行為は、ウイグル人や国際社会からの強い非難を引き起こしています。

East Turkestan

新疆ウイグル自治区のカザフ人

新疆ウイグル自治区は、カザフスタンと国境を接しており、140万人以上のカザフ人が住んでいます。これはウイグル人に次ぐムスリム人口の規模を持つ集団です。1990年代以降、新疆のカザフ人の中には、カザフスタンの在外カザフ人呼び寄せ政策に応じて移住する人々が現れました。家族がカザフスタンと中国に分かれて住むことも珍しくなく、両国間の往来も活発でした。

しかし、最近では中国政府の管理強化により、カザフスタンへの移動が事実上禁止される事例も生じています。新疆ウイグル自治区の民族構成は、ウイグル人が全体の45.8%、漢族が40.5%、そしてカザフ人がそれに次ぐ第三の集団となっています。中国全体のカザフ人人口は146万人で、そのほとんどが新疆に住んでいることになります。自治区内でも、カザフ人は北部のイリ・カザフ自治州に集中しています。カザフスタンを除けば、新疆が最大のカザフ人人口を持つ地域です。

新疆ウイグル自治区では、、ウイグル人やカザフ人など、少数民族100万人以上が前例のない規模での警備上の取り締まりの一環として拘束されているとされています。

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中国共産党に忠実で、清く正しい人々。ゴミ一つ落ちておらず、スリもいない完璧な町。だが、この地のウイグル人たちをよく観察してみると、何かがおかしい。若い男性は相対的に少なく、老人たちに笑顔が見られない。観光客に接する女性たちの表情は妙に硬い。いまSF小説の世界にも似た暗黒社会が、日本と海を隔てた隣国の果てにあることを誰が想像しただろうか。さらに共産党による弾圧の魔手は、いまや在日ウイグル人にまで及んでいるという。現地ルポとウイグル人へのインタビューから浮かび上がる「21世紀最悪の監獄社会」の異様な全貌。「一帯一路」という大国の欲望に翻弄された弱小民族の悲哀が浮かび上がる。(「Books」出版書誌データベースより)

East Turkestan Independence Movement

東トルキスタン独立運動

National Geographic/YouTube

東トルキスタン独立運動は、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区で行われている、ウイグル人、カザフ人、キルギス人などのテュルク系民族の独立運動です。

トルキスタンは東と西に分けられた!他国の支配と抵抗の歴史

ウイグル人たちの故郷であるトルキスタンは、近代に入るとその地理的、政治的境界が変動しました。西トルキスタンは帝政ロシアによって支配され、一方、東トルキスタンは清朝に征服され、「新疆」、つまり新しい地と呼ばれるようになりました。1933年と1944年には、東トルキスタン共和国の設立が試みられましたが、これは成功しませんでした。そして、中国共産党が国内の内戦に勝利した後の1955年、新疆ウイグル自治区が設立されました。

中国共産党の統治下で新疆ウイグル自治区が設立

1933年と1944年には、東トルキスタン共和国の建国が試みられましたが、それは成功に至りませんでした。これは、中央政府の強力な支配と、地域内部の民族間対立などによるものでした。

そして、1949年に中国共産党が内戦に勝利し、国民党政府が台湾に撤退すると、共産党政府は全国各地における民族問題の解決に乗り出しました。その一環として、1955年に新疆ウイグル自治区が設立されました。これは、ウイグル民族をはじめとする多くの民族が居住するこの地域における自治を認めるという名目で行われました。

当局が漢民族を新疆に大量移住

ウイグル人は長い間、新疆ウイグル自治区における民族的多数派でした。

しかし、1980年代以降、中国政府の新疆地域への経済開発政策とともに、大量の漢民族が新疆地域に移住し始めました。これは、中国政府が新疆地域の経済発展を促進し、同時に新疆地域の民族構成を変化させることで、政治的安定を図ろうとした結果と言えます。

結果として、新疆ウイグル自治区の民族構成は大きく変化しました。現在、ウイグル人の人口は約1100万人と推定されていますが、これは新疆ウイグル自治区の全人口の約半分に満たない数字です。一方で、新疆ウイグル自治区に移住した漢民族の人口は増加し、現在では全人口の約40%を占めています。

宗教弾圧・何の説明もなく核実験 

新疆ウイグル自治区における宗教的弾圧や、住民への通知なく行われる核実験などの行為は、ウイグル人の間で長年にわたる不満や抗議の原因となってきました。

中国の文化大革命(1966年-1976年)の間、全国的に宗教的な象徴や施設が攻撃の対象となり、新疆ウイグル自治区でもモスクの破壊が行われました。これは、中国共産党の政策の一環として、宗教的な信仰や価値観を取り除く試みでした。

また、中国政府は1964年から1996年までの間に、新疆ウイグル自治区のロプノール湖で約45回の核実験を行いました。これらの核実験は住民に事前に通知されず、放射線による健康影響が指摘されています。

過激化したウイグル人の武力抵抗と武力鎮圧

1990年代、中央アジアや南アジアでのイスラム原理主義の台頭は、新疆ウイグル自治区のウイグル人若者の一部に影響を及ぼし、一部の過激派が武力抵抗運動を展開しました。これは彼らの不満や抵抗感情が、より具体的で激しい形で表現されるようになった時期です。

一方で、中国政府はこれらの動きを強く抑圧し、その過程で数多くの人権侵害が報告されています。また、抑圧策は過激派だけでなく、ウイグル人や他の少数民族の一般市民にも及びました。

バリン(バレン)事件(1990.4.5 – 1990.4.6)

1990年4月5日に発生した「バリン事件」は、新疆ウイグル自治区で中国共産党政府に対する大規模な武装蜂起の一つでした。この蜂起は、中国の中央政府から見れば分離主義者による反乱とされましたが、ウイグル人や他の少数民族から見れば、中国政府の抑圧に対する抵抗の形だったとも解釈されています。

この事件は新疆ウイグル自治区のアクト県バレン郷(Baren Township)で起きました。報告によると、地元のウイグル人たちは中国共産党政府の政策に対する抗議として、武器を取り反乱を起こしました。中国政府はこの蜂起を鎮圧するために人民解放軍や武警、新疆生産建設兵団所属の民兵を動員しました。

この武装蜂起は、新疆ウイグル自治区におけるウイグル人の中国政府に対する不満の高まりを象徴する出来事であり、その後の中国政府による新疆ウイグル自治区の管理強化につながる重要な出来事でした。この事件の後、中国政府は新疆ウイグル自治区におけるイスラム教徒への規制を強化し、多くのイスラム教指導者が取り調べを受けたり、追放されたりしました。また、イスラム系の未登録学校が200以上閉鎖され、聖職者の監視、宗教的な教育の制限、公共の場での宗教活動の制限などを目的とした法案が成立しました。

「中共中央政治局常務委員会新疆工作拡大会議」(1996.3.19)

1996年3月19日に北京で開催された「中共中央政治局常務委員会新疆工作拡大会議」は、中国共産党中央政治局常務委員会が新疆ウイグル自治区における政策を検討した会議で、その中で「中共中央七号文書(1996)」という重要な文書が採択されました。

この文書では、「新疆における主な危険は民族分裂主義と非合法宗教活動からくる」という方針が打ち出され、これはウイグル人や他の少数民族、そしてその信仰するイスラム教への厳しい管理と監視を強める指針となりました。この会議と文書は、新疆ウイグル自治区における中国政府の強硬な方針の始まりとされています。

中国政府はこの文書を基に、新疆ウイグル自治区における「民族分裂主義」と「非合法宗教活動」を厳しく取り締まる政策を実行し、これによりウイグル人を含む少数民族やイスラム教徒への弾圧が強化されました。その結果、ウイグル人を含む新疆ウイグル自治区の住民の人権侵害が報告され、国際社会からの批判を呼ぶこととなりました。

この「中共中央七号文書(1996)」やそれに基づく政策は、ウイグル人や他の少数民族、そしてイスラム教徒に対する弾圧と人権侵害の激化を引き起こし、一部の観察者からは「ジェノサイド(大量虐殺)」や「文化的ジェノサイド」の始まりとも解釈されています。

漢人移民の兵団「生産建設兵団」を強化、ウイグル人を締め付け始める

中国の新疆ウイグル自治区には、「生産建設兵団」(通称:兵団)と呼ばれる独特な組織が存在します。これは農業生産と地域開発を目的とした組織で、1954年に設立されたものの、その実態は準軍事組織であり、中国共産党による地域管理と漢人の移住政策を推進する役割を果たしてきました。

兵団は、主に新疆の農業開発を担当し、新たに漢族が移住し農業を行うための土地を開拓する一方で、地域の安全保障や公共施設の整備なども担当しています。その結果、新疆全体で見ると、兵団のメンバーの大部分は漢族で構成されており、その比率は88%にも達しています。

その活動は、新疆ウイグル自治区内の民族構成の変化を促進し、ウイグル人と漢族との間の緊張を引き起こす原因の一つとなっています。新疆ウイグル自治区のウイグル人は、自身の文化や言語、宗教の自由が脅かされ、自身の土地が漢族によって奪われていると感じています。

また、兵団は治安維持機能も持っており、民族間の対立や抗議活動が発生した際には、中国政府による弾圧の一環として兵団が投入されることがあります。1990年のバレン郷事件や1997年の伊寧事件では、兵団が治安維持のために動員され、それらの事件の鎮圧に関与しました。

このように、兵団の存在と活動は、新疆ウイグル自治区における中国政府の統治とウイグル人との間の緊張の中心的な要素となっており、ウイグル人の人権問題や自身のアイデンティティの保護に関する問題を引き起こしています。

ANNnewsCH/YouTube

グルジャ事件(1997.2.3 – 1997.2.5)

1997年2月5日に発生したグルジャ事件(または伊寧事件)は、中国新疆ウイグル自治区のイリカザフ自治州グルジャ市(中国語名:伊寧市)における大規模な抗議行動です。

この事件の背景には、ウイグル人による中国共産党政府に対する不満がありました。ウイグル人は、自身の文化、言語、宗教に対する中国政府の弾圧政策に抗議するために、平和的なデモを開催しました。参加者は12,000人から20,000人と推定されています。

Uyghurs Pleading For Existence/YouTube
「マシュラップ」禁止と指導者逮捕に対するウイグル人の抗議

抗議の出発点は、公安当局によるマシュラップの禁止と指導者の不当な逮捕でした。これに反対するために、ウイグル族の若者たちは大規模な抗議デモを開催しました。しかし、この抗議行動は中国の公安部隊によって残酷に鎮圧され、多くのウイグル人が殺害され、負傷しました。さらに、数千人のウイグル人が逮捕され、消息不明となりました。

中国政府は、この事件の後、ウイグル人に対する弾圧をさらに強化し、特に宗教的な側面に対する迫害を強めました。また、イリ地区で公開裁判が行われ、多くのウイグル人が長期刑に処され、一部は死刑にされました。

koma joh/YouTube

「テロとの戦い」9.11以降のウイグル自治区

2001年の9.11テロ事件以降、中国は「テロとの戦い」を名目に新疆ウイグル自治区でのウイグル族に対する監視と弾圧を強化しました。この戦略は、特定の民族や宗教に対する偏見や差別を助長し、ウイグル族に対する公的・私的な迫害を増加させる結果となりました。

ウイグル人は、テロリストとして不当に扱われ、中国政府によって監視、拘束、収監、さらには処刑されるなどの過酷な待遇を受けました。これらの行為は、中国政府の人権侵害の一例であり、国際的に広く批判されています。

一方、9.11テロ事件の影響は、アメリカだけでなく全世界に広がりました。その一例として、アメリカ政府はウイグル人をグアンタナモ湾拘留所に収容しました。これらの行動は、無実の人々が「テロとの戦い」の名の下に不適切に扱われるという、この戦略の悲劇的な結果を示しています。

CCTV English/YouTube

ウイグル人の若者を強制連行(2003 – )

中国政府によるウイグル人に対する人権侵害は、強制労働や性的搾取など、さまざまな形で行われています。2003年以降、政府はウイグル人の若者を数十万人規模で中国の沿岸部の工場などに強制的に連行し、彼らを安価な労働力として利用しています。このような行為は、人権侵害であり、国際法に明確に反しています。

また、連行されたウイグル人は、中国政府や一般の漢人によって差別され、政治的に脅迫されています。さらに彼らは厳重な監視下に置かれ、基本的な自由を奪われ、収容所の囚人のような待遇を受けています。

さらに深刻な問題として、女性ウイグル人が性的搾取の対象となり、売春を強要されているとの報告もあります。

ウイグル人従業員襲撃 広東・韶関事件(2009.6.26)

2009年6月26日に広東省韶関市の玩具工場で発生した事件は、ウイグル族と漢族の間の緊張が激化するきっかけとなりました。当時、工場には約18,000人の労働者が働いており、そのうち800人がウイグル族でした。彼らは、新疆ウイグル自治区の失業問題を解決するための政府プログラムの一環で広東省に送られていましたが、差別的な扱いや劣悪な労働環境に苦しんでいました。

6月25日、地元のインターネット掲示板にウイグル族の労働者が漢族の女性従業員を襲ったという偽情報が書き込まれ、これが翌日の暴力事件へとつながりました。漢族労働者らがウイグル族労働者の寮を襲撃し、約1,000人が巻き込まれる乱闘事件が発生。結果としてウイグル族2人が死亡し、漢族を含む118人が負傷しました。

この事件がウルムチ暴動の発端となりました。事件の動画がインターネット上で拡散され、ウイグル人たちは警察がウイグル人を助けない様子や、政府の失業対策の名目で本土に送られたウイグル人が差別的な扱いを受けている現実を目の当たりにしました。

政府は2人の死亡を発表しましたが、ウイグル族社会では死者が100人や600人に上ると噂されていました。この韶関事件は、ウイグル族と漢族の間の緊張と不信感を高め、民族間の対立を悪化させる結果となりました。

ウルムチ暴動(2009.7.5)

2009年7月5日、ウイグル人たちは新疆ウイグル自治区の首都ウルムチで大規模な抗議デモを開催しました。これは前述した2009年6月26日に広東省韶関市の工場で起きたウイグル人労働者の死亡事件に対する政府の対応不足に抗議するものでした。

このデモは当初平和的なものでしたが、次第に暴力的な衝突に発展し、ウイグル族と漢族の間で大規模な暴動が発生しました。この事件は「ウルムチ暴動」として知られ、多数の死傷者を出す深刻な人権問題となりました。

広東省の衝突とウイグル人抗議の悲劇

発端となったのは広東省韶関市のおもちゃ工場でのウイグル族と漢族の間の衝突で、その結果としてウイグル族労働者2人が死亡しました。この事件に対する政府の反応に対する不満が、ウイグル人による大規模な抗議デモの発端となりました。

抗議活動は当初平和的で、ウイグル人の学生たちは中国の国旗を振りながら政府に対し説明を求め、ウイグル人への差別を終わらせるよう訴えました。しかし、政府はデモ隊に対して武力を用い、人民解放軍や武装警察が発砲しました。これにより、デモは暴動に発展し、激しい衝突が発生しました。

デモ隊や周囲のウイグル人は抵抗しましたが、完全に武装した警察や軍に対抗することはできず、一方的な虐殺となりました。自治区政府によると、この暴動で184人が死亡し、そのうち漢族が137人、ウイグル族が46人、回族が1人であったとされています。しかし、この発表は事実を隠蔽していると指摘する声もあり、実際の死者数はもっと多い可能性があります。

この事件は、中国政府のウイグル人に対する人権侵害と、ウイグル人と漢族との間の緊張の高まりを世界に示す事件となりました。暴動は中国政府の強硬な取り締まりにより鎮圧されましたが、その後もウイグル人の人権侵害や抑圧は続いています。

No Comment TV/YouTube

2009年ウルムチデモ・暴動(2009.7.7)

2009年7月7日にウルムチ市内で発生したデモ行進とその後の暴動は、6月末の広東省韶関市でのウイグル族と漢族労働者の衝突事件に対する反発と抗議が引き金となったものです。これは、ウイグル族の間で広範な不満と怒りが高まっていたことを示しています。

ウルムチでのこのデモでは、500~600人のウイグル族が参加し、地元警察の過度な取り締まりに対する抗議を行いました。しかし、一部の激高したウイグル族の婦人らが警官隊と衝突し、警察車輌のガラスを割るなどの暴力行為が発生しました。これに対し、警察当局は装甲車を増派してデモ隊を包囲し、約1時間半後に事態は終息しました。

また、同じ7月7日には中国の在オランダ大使館が亡命ウイグル族支援メンバーらにより襲撃され、大使館の窓ガラスが割れるなどの被害が出ました。これは、ウイグル族の問題が中国国内だけでなく、海外でも広がっていることを示しています。

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「ウイグル族を襲え」ウルムチデモを受けた漢族のデモ・暴動(2009.7.7)

2009年7月7日にウルムチで発生したウイグル族に対する漢族のデモは、新疆ウイグル自治区での暴動の影響を受けたものです。このデモは、ウイグル族と漢族の対立を一層深め、地域の緊張を高めました。デモ隊は少なくとも1万人に上ったとされ、ウイグル族の商店を破壊するなどの暴力行為が発生しました。警察は催涙ガスを発射してデモ隊を解散させようとしましたが、一時的にはデモ隊が警察の非常線を突破するなど、混乱が続いたと報告されています。

これらの出来事を受けて、自治区の王楽泉共産党委員会書記は、ウルムチ市内で夜間の外出禁止令を発令しました。彼はテレビ講話で民族間の衝突回避を呼びかけました。一方で、地元メディアはウイグル独立派など「テロ勢力」の撲滅を繰り返し呼び掛け、この暴動を「テロ」として強い姿勢で臨む当局の姿勢を宣伝しました。

報道によると、漢族とウイグル族の間の緊張は学校でも影響を与え、かつては一緒に勉強していた生徒たちが民族ごとにクラス分けされたとのことです。また、暴動以降の治安強化策として、民族に関係なく公共の場での所持品検査や携帯電話のチェックが行われています。

ウイグル自治区の警察襲撃事件(2011.7.18)

2011年7月18日に新疆ウイグル自治区ホータンで発生した警察署襲撃事件は、中国当局とウイグル族の間で情報の食い違いが見られました。中国国営通信は、これを「テロリスト」による攻撃と報じ、群衆が警察署を襲撃し、警官1人を含む4人が死亡したと報道しました。一方、ウイグル活動家や世界ウイグル会議(WUC)は、これをウイグル人の怒りの爆発であり、治安部隊による殺害が行われたと主張しました。

中国当局が発表した情報とウイグル活動家が主張する情報の間には大きなギャップが存在します。中国当局はこの事件をイスラム過激派によるテロ攻撃と位置づけていますが、ウイグル活動家はこれをウイグル族の自決の意志の表明と見ています。こうした情報の食い違いは、新疆ウイグル自治区における民族問題や人権問題についての議論を難しくしています。

新疆カシュガルの襲撃事件(2011.7.30 – 7.31)

2011年7月30日および31日に新疆ウイグル自治区カシュガルで発生した一連の暴力事件は、地元の治安状況の悪化を浮き彫りにしました。新華社によれば、30日の事件では、2人組がトラックの運転手を殺害し、奪ったトラックで群衆に突っ込んだ後、刃物で通行人を襲撃した結果、7人が死亡、28人が負傷しました。犯人の1人は警察に拘束され、もう1人は死亡したと報じられました。

続く31日には、武装したグループが市内のレストランに侵入し、従業員を殺害した後、通行人を襲撃しました。この攻撃で6人が死亡し、15人が負傷しました。警察は、この事件に関与したとされる容疑者5人を射殺し、4人を拘束したと報じられました。

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天安門広場自動車突入事件(2013.10.28)

2013年10月28日、北京の天安門広場で起きた車両突入事件は、中国全土に衝撃を与えました。この事件では、新疆ナンバーのSUVが観光客らが集まる歩道に突入し、天安門と歩道の間にある金水橋の欄干に激突して炎上しました。この事件で、車両に乗っていた3人と巻き添えになった観光客2人が死亡、日本人1人を含む38人が負傷するという悲惨な結果になりました。

この事件は、習近平主席が「新疆の社会の安定は全国の改革・発展の安定に関わってくる」と語っていた時期に発生しました。そのため、主席としての彼の面子を傷つける結果となり、彼自身が大きな衝撃を受けたと見られています。

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犯人はウイグル人!?

中国政府はこの突入事件について迅速に行動し、犯行に関与したとされる3人がウイグル族の家族で、彼らが刃物やイスラム原理主義の文言を記した旗を持っていたと発表しました。さらに、事件発生後わずか10時間で5人のウイグル族住民を共犯者として拘束しました。このような迅速な捜査には違和感を覚える人もいたかもしれませんが、中国当局はこれをもって事件を「東トルキスタン独立勢力による綿密に計画された組織的なテロ」と断定し、一層のテロとの戦いを宣言しました。

徹底した情報統制

天安門広場周辺は1989年に学生らによる大規模な民主化運動の舞台となり、多数の犠牲者を出した過去があります。そのため、中国当局にとっては神経をとがらせる場所であり、この事件は特に敏感に扱われました。

中国の主要メディアは事実のみを短く伝え、容疑者や背景については詳しく報じていません。一部の中国メディアは車両突入、炎上のニュースを報じましたが、それも国営新華社通信による最低限の状況説明だけでした。国営中国中央テレビ(CCTV)は映像を流さず、発生直後に中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」で流れた現場の動画もほぼ削除されました。さらに、「天安門」「テロ」「自動車事故」のキーワードを組み合わせたインターネット検索もブロックされました。また、CNNが報じたニュースも中国国内では視聴できませんでした。

<疑惑>犯人はウイグル人ではなかった!?

天安門広場での突入事件の実行犯は、夫婦とその70歳の母親だったことから、ウイグル族の支援者の間では、「テロではなく、当局の対応に絶望した陳情者による一家心中ではないか」との見方が浮上しています。判決を受けた8人のうち、実行犯の親族や友人が含まれている可能性もあります。北京の人権派弁護士は、「死刑という最高刑を下す以上、彼らの犯罪の詳細を公表すべきだ」と話しています。

事件から1週間となった時点で、現場の天安門前では厳しい警備態勢が敷かれていました。車が突入し壊れたとみられる橋の欄干は、すでに修復されていました。

イリハム・トフティ准教授の証言

中国の中央民族大学のイリハム・トフティ准教授准教授は、新疆ウイグル自治区の現状をインターネットを通じて伝える活動を行い、漢民族とウイグル族との間の矛盾の解消に努めてきた人物です。

彼は中国でウイグル族は3人集まるだけで警察に尾行されるほどの厳しい監視下にあり、テロ行為を簡単に行うことは不可能だと指摘しています。

もしウイグル族が事件の犯人だとするならば、中国政府はなぜマスコミに事件の痕跡を公開せずにすぐに清算したのかと疑問を投げかけました。

ウイグル族の旗などが報道されれば、「ウイグル族は悪者だ」というメッセージを世界に伝えることができるはずです。しかし、すぐに事件を清算してしまったこと自体が、事件がウイグル族の犯行ではなかった証拠だと述べています。

また、イリハムはウイグル族の文化的観点からも、この事件の犯人がウイグル族であることは疑問があるといいます。

ウイグル族にとって、母親は家族の中で最も敬愛される存在であり、母や妻を事件に巻き込むことは、ウイグル族の価値観から見て考えられないと彼は主張しています。さらに、生活苦に見舞われているウイグル族が高級車を所有することも不可能だと指摘します。

そして、新疆自治区から北京までの距離は3000キロ以上もあり、自動車で数日かかります。その間に、ウイグル族の所有する高級車だけで多くの検問や調査が行われるでしょう。彼はこれらの事実を踏まえて、天安門でのテロ事件がウイグル族によるものであるとは考えにくいと結論づけました。

European Parliament/YouTube
公安から脅迫される

イリハム・トフティ准教授が、2013年11月2日に公安当局の車に追突され、脅迫されたという出来事が起きました。

イリハムの証言によると、「なぜ車をぶつけたのか」と問うた際、公安当局は「メディアの取材で何を言ったかは自分でわかるだろう。ぶつけて殺すぞ」と返答したということです。さらに、海外メディアの取材に応じたことで、警察当局から家族全員を殺すと脅迫されたと言っています。

中国当局が強制連行

2014年1月15日にイリハム・トフティ准教授が突然北京の中央民族大学の宿舎から連行されました。

彼の妻(ウイグル族)は、電話取材でその時の様子を説明しました。彼女は出勤していたため、夫と2人の子供は昼寝中でした。午後3時頃、ドアが叩かれ、夫が開けると、警察は夫をソファに押し倒して連れ去りました。妻が連絡を受けて帰宅すると、20人以上の警官がいました。子供たちは泣きながら「パパは警察に連れて行かれちゃった」と話しました。小学1年生の上の子は「パパっ子」であり、その事実に大きなショックを受けてふさぎ込んでいたといいます。

妻は号泣しながら語り、李方平氏によると、北京に残された妻と2人の子供はその後も悲しみに暮れ、妻は裁判を傍聴し判決を聞いた際に泣き崩れ、放心状態に陥りました。

2月には正式に逮捕され、7月末に当局はイリハム・トフティ准教授がに対して「大学の教室やインターネットメディアなどで民族分裂思想を伝え、海外の機関・個人と連携し、国家分裂犯罪活動を実施した」と認定して、起訴しました。

無期懲役(2014.9.23)

2014年9月23日、中国・新疆ウイグル自治区ウルムチ市の中級人民法院は、著名なウイグル族の学者、イリハム・トフティ准教授を「国家分裂罪」で無期懲役にしました。イリハム氏は暴力やテロに反対し、民族間の融和を訴える穏健派の知識人として知られていました。そのため、この判決は国内外で反発を引き起こす可能性があります。

これは、少数民族政策へのあらゆる批判を封じ込めようとする習近平指導部の強硬な姿勢を示しています。2013年10月末、北京の天安門でSUVが突っ込み、炎上し、40人以上が死傷しました。事件直後、イリハム氏は、「ウイグル族によるテロ」と断定した当局の発表について海外メディアの取材を受け、疑問を提出したことが、彼が拘束される一因となったと考えられます。

イリハムの妻によれば、夫名義の銀行口座はすでに当局によって凍結され、約1513万円に相当する85万人民元の預金も全額没収されたとのことです。このため、イリハム氏の弁護士費用の支払いが滞っています。現在の生活費はイリハム氏の友人たちからの支援と、古再努爾さんが中央民族大学図書館で働いて得る給与に依存しています。

昆明駅暴力テロ事件(2014.3.1)

2014年3月1日の夜、中国雲南省の省都、昆明市の昆明駅で無差別の殺傷事件が発生しました。昆明市政府は翌日、この事件を「新疆ウイグル分裂勢力による計画的かつ組織的な重大暴力テロ事件」と断定しました。これは国営新華社通信などが報じたものです。

事件により、29人が死亡し、143人が負傷したとされています。公安当局は、容疑者4人を射殺し、1人の女性を拘束しました。

新華社は、この事件を「組織的で計画的な暴力テロ」と報じ、警察が容疑者のうち4人を射殺し、1人を拘束したと伝えました。初期の報道では、射殺されたのは5人だとされていました。

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ウルムチ爆破テロ事件(2014.4.30)

2014年4月30日、中国の新疆ウイグル自治区で大きな爆破テロ事件が発生しました。この事件は、習近平主席がウイグルを視察していた時にウルムチ南駅で爆発が起き、1人が死亡し、79人が負傷したものです。

国営メディアによると、事件は漢民族が多い四川省からの列車が到着した、警備が厳重に行われていた時間帯に起こりました。何者かが爆発物やナイフで襲撃を行ったとされています。ウルムチ市で爆発事件が起きたのは、過去17年間で初めてだと報じられました。

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東トルキスタン・イスラム運動と指名手配容疑者

この爆破テロ事件後、中国政府はウイグルの独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動」のメンバー、イスマイル・ユスプ容疑者を主犯として指名しました。新華社通信によれば、ユスプ容疑者が仲間10人に犯行を指示したとされ、警察当局は「計画的なテロ」と断定しました。実行犯2人は爆発により死亡し、残りの8人は拘束されました。

ユスプ容疑者は爆発物製造で以前から指名手配されており、事件の前年に国外へ逃亡し、「東トルキスタン・イスラム運動」に加入したとされています。中国警察当局は、国際刑事警察機構(インターポール)を通じて、ユスプ容疑者を国際指名手配しました。

過激化したテロとウイグル族への迫害のはじまり

中国公安省はこの事件を「重大な暴力テロ」と断定しました。この事件は、ウイグル族の分離独立運動が活発化している新疆ウイグル自治区で過去最大規模のテロとされています。この事件を受けて、習近平国家主席は容疑者の特定を急ぎ、ウイグル族に対する締め付けを一段と強めるよう指示しました。

この爆弾テロが、ウイグル族に対する弾圧、特に強制収容所の設立の直接的な理由とされています。当初、中国政府は敬虔なイスラム教徒を中心に迫害を進めましたが、その後、迫害はウイグル族全体に広がりました。

炭鉱襲撃事件(2015.9.18)

2015年9月18日、中国新疆ウイグル自治区のアクス地区の炭鉱が武装グループによって襲撃されました。地元メディア、天山ネットによれば、この事件で一般人16人が死亡し、18人が負傷しました。武装グループはその後逃走しましたが、地元当局は捜査を続け、11月12日までに武装グループの28人を殺害し、残りの1人が自首したと報じています。武装グループの首謀者は公表された名前からウイグル族とみられています。この武装グループは2008年から活動を開始し、海外の過激派集団とも連絡をとっていたとされています。

新疆日報の記事では、ラジオ自由アジアが報じた「警察当局が殺害した容疑者の中に、子供3人が含まれていた」との情報は伝えられていません。また、新疆日報は国外の過激派組織が事件を直接指揮したと断じながらも、その具体的な組織名は明らかにしていません。

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中国西北部に位置する新疆ウイグル自治区。中国全体の6分の1ほどの面積に、約2500万人が暮らす。1955年に自治区が成立した当初、中国共産党は少数民族の「解放」を謳った。しかし習近平政権のもと、ウイグル人らへの人権侵害は深刻さを増している。なぜ中国共産党は、多くの人々を「教育施設」へ収容するといった過酷な統治姿勢に転じたのか。新疆地域の歴史を丁寧にたどり、その現在と未来を考える。(「Books」出版書誌データベースより)
《ウイグルクライシス(2)》習近平政権の闇…ウイグル人抑圧政策とデジタル監視の恐怖

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