【ウクライナ危機(6)】ロシアから離れる最初の一歩!その市民運動は“色の革命”と言われた!!『オレンジ革命』

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Orange Revolution

オレンジ革命

NBC News/YouTube

 オレンジ革命とは、2004年のウクライナで起きた一連の政治運動のこと。

イスラム・カリモフ大統領の政治方針が経済成長を阻害/テンミニッツTV

これは、2004年の大統領選挙に関する不正をめぐる運動とその結末を指す言葉で、旧ソビエト連邦の社会主義体制とそれに支えられた東欧の社会主義国家崩壊後の草の根レヴェルでの民主化運動のウクライナ版と、現在では把握することも可能かもしれません。

ウクライナ通信(7)ウクライナの現在 -「オレンジ革命」とその結末/明治学院大学 “Do for Others”

独立後のウクライナは親ロシア派と親欧米派に分かれる

On Demand News/YouTube

91年の独立以降、大統領選では親ロ派と親欧米派が対立してきた。

ウクライナとは 1991年の独立以降、親欧米と親ロが対立/日本経済新聞.2022

ウクライナは1991年の独立以降、民主主義体制を確立して表現の自由を謳歌してきました。ウクライナの親露派と反露派の国会議員どうしが殴り合いの喧嘩をする場面を見た人もいると思いますが、あれはまさに自由があるからこそできることでしょう。

「プーチンはウクライナのファシストからロシアを守っている」なぜロシアではプーチン支持が“圧倒的”なのか? 背景にある「3つの分断」と“反プーチンの動き”/文春オンライン.2022

ソ連から独立を果たしたウクライナだったがすぐに経済危機に陥った

独立後のウクライナは,連邦分業体制の崩壊による原材料供給不足,エネルギー価格の国際価格化があらゆる分野の生産を直撃し,生産の低下,インフレの急進,対外債務の累積をもたらした。

ウ ク ラ イ ナ 概 観(p.4)/在ウクライナ日本国大使館

鉄鋼業や農業などの有力な産業を抱えているものの、石油やガスといったエネルギー供給はロシアに依存しているからです。

ウクライナ-今そこにある危機/神奈川県立の図書館
ハイパーインフレ

ソ連崩壊後の数年間、ハイパーインフレで人々の生活は困窮を極めた。1994年の消費者物価上昇率は、800%を超えるほどの高さであった。物資不足で何を買うにも長蛇の列に並ばなくてはならず、給与の遅延が横行した。学校の教師は、給与が砂糖ということもあったという。その日を暮らすのに精一杯な時代であった。

ウクライナ情勢への思い~キエフ滞在経験を踏まえて/大和総研

経済危機により企業の操業率が著しく低下し地方経済が崩壊し始めると、これに対処できないクラフチュク大統領に見切りをつけはじめた。彼らの期待を集めたのは、経済危機の責任を取らされ政権を去ったクチマ前首相(首相在任期92.10–93.09)であった。

ウクライナ–政権交代としての「オレンジ革命」–(p.27)/藤森 信吉.北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

ロシアと経済強化を選挙公約に掲げたクチマが第2代大統領に就任!!

AP Archive/YouTube

1994年6月の大統領選挙において,元首相であったクチマ候補はロシアとの経済面での統合強化を訴え,独立の強化を訴えたクラフチュク大統領を決選投票の結果僅差で破って第2代大統領となった。

略史/在ウクライナ日本国大使館

この選挙は、経済不振を招いたクラフチュク体制の存続の是非を問う側面があったことも指摘しなければならないのである。決選投票でクチマに投票した国民は、ロシアとの経済統合が経済再生への道であると見なして投票したわけであり、ウクライナ国家がロシアに吸収されることを望んだわけではなかった。つまり、この選挙を「親ロシア」対「ウクライナの守護」の選択とみなす国民より、「経済再建者」対「経済不振の元凶」の選択とみなすことも可能であった。多くの国民には「ロシアとの経済統合」は、「ウクライナ国家性の喪失」ではなく「ウクライナ経済の立て直し」として映り、この認識がクチマ逆転当選の原動力になったのである。

ウクライナとNATOの東方拡大(1)/北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
就任後はロシアではなくIMFとの経済協力を選ぶ

 しかしながら当選したクチマは、10月にIMFと協力した経済改革を宣言し、ロシアとの経済統合の道を選ばなかった。それはなぜであろうか。

ウクライナとNATOの東方拡大(1)/北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

 IMFとの協力の意味は、第一にエネルギー債務危機の解消にあったのである。ロシア・ガスプロムは再三、ウクライナのパイプラインを含むガス関連企業の株式取得による債務相殺を提案し、また94年9月に来訪したショーヒン・ロシア副首相は、ウクライナの対露ガス債務の償還を迫り、ウクライナ領土上のガス輸送施設の長期貸与、株式譲渡を求めた。ウクライナ側が期待していたエネルギーの廉価供給に、ロシアは全く応えようとしなかったのである。

ウクライナとNATOの東方拡大(1)/北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
EU加盟を目指し始める

クチマ大統領は、選挙公約ではロシアとの経済関係拡大を公約に掲げていたが、大統領に就任するとむしろ将来的なEU加盟を目指す立場に変わっていった。

EUの外交政策とウクライナ動乱の関係性 一連合協定とウクライナ政変の関係を中心に―(p.1) /山上 亜紗美.2016年5月 RPSPP Discussion Paper No.30.立命館大学

1994年6月には「EUとのパートナーシップ協力協定」が調印された(1998年3月1日発効)。

外交/在ウクライナ日本国大使館

大統領選に再戦を果たしたクチマはさらなるさらなる改革に乗り出す

99年10月の選挙で再選された改革派のクチマ大統領は、IMF等国際金融機関と協調路線による経済改革を続行しており、省庁統廃合をはじめとする行政改革にも本格的に着手した。

我が国の政府開発援助/外務省ホームページ

工業および農業の民営化を推進し、物価統制を廃止し、為替通貨規制を撤廃するなどの経済改革を推し進める。

「資源輸出国と輸入国との経済連携動向調査」 調査報告書(p.94)/日本機械輸出組合
国民投票により大統領権限が強化

2000年3月には、従来から保守傾向の強かった議会内に大統領派の多数派が結成されるとともに改革派のプリューシ新議長が就任、新議長の下で改革志向の議会運営が行われている。2000年4月には、大統領の権限強化を目指す国民投票が行われ、国民の大多数が大統領の提案を支持した。

我が国の政府開発援助/外務省ホームページ
クチマ大統領が西側のEU・NATOに入る意思を明確に表明

 2002年には、レオニード・クチマ大統領(当時)が「9.11」後の米ロ接近を奇貨としてNATO加盟の意思を表明し、「欧州選択」あるいは「欧州大西洋統合路線」と呼ばれるEU・NATO両加盟を目指す外交に転換した。

それでも欧州統合路線を選ぶウクライナ/JBPress.2010
ロシアと西側の間でうまくバランスをとった
AP Archive/YouTube

クチマ政権はウクライナのEUおよびNATOへの加盟を公約として掲げる一方で,ロシアとの実務関係を重視するというバランス政策を取っていた。

オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――(p.26)/天 江 喜七郎.神戸学院大学

外交面では、ロシアと「友好、協力およびパートナーシップ」条約を締結する。一方で、NATO(北大西洋条約機構)と特別パートナーシップ合意を結び、NATO加盟を表明。IMF(国際通貨基金)から多額の援助金を引き出すことに成功。

「資源輸出国と輸入国との経済連携動向調査」 調査報告書(p.94)/日本機械輸出組合

ユシチェンコが首相に任命されるも解任!

1999年12月、再選されたクチマは、ウクライナ国立銀行総裁であったユーシチェンコを首相に指名した。98年のルーブル危機後、ウクライナは自国通貨の為替レート維持に失敗し、2000年以降のデフォルトが確実な情勢となっていた。そのため、債権者や国際金融機関からの「受け」を狙ってユーシチェンコが担ぎ出された訳である。

ウクライナ–政権交代としての「オレンジ革命」–(p.32)/藤森 信吉.北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
野党の指導者として復活

クチマの支持率低迷とユーシチェンコ人気に脅威を抱いた政権側は、2001年4月にユーシチェンコを解任に追い込んだ。しかし、ユーシチェンコは人気を保ったまま下野したため、直ぐに野党指導者として担ぎ上げられた。

ウクライナ–政権交代としての「オレンジ革命」–(p.27)/藤森 信吉.北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
首相にヤヌコビッチを任命

2002年にウクライナ大統領。レオニード・クチマがヤヌコビッチ首相を任命した。任命前にウクライナ語を話さなかったヤヌコビッチは、ロシアとの緊密な関係を維持したいというクチマの願望を共有した。

ヴィクトル・ヤヌコビッチ/事実、伝記、およびロシアへの飛行
権力はやがて腐敗する?「オリガルヒ」との癒着で非難される

クチマは、民営化を進めて娘婿のピンチュクをこの国を代表するオリガルヒに育てた。腐敗の元凶と言われる。

ウクライナ輸出入銀行再建プロジェクトから見たウクライナの真相(p.20)/ 真殿達.麗澤大学特任教授(元国際協力銀行審議役).JOGMEC石油・天然ガス資源情報ウェブサイト

ロシアでは、ウラジーミル・プーチンが大統領になり、エリツィン政権と癒着したオリガルヒの勢力を剥ぎ取り、シロヴィキ派を中心に国家資本主義を強化。ウクライナのクチュマ(クチマ)大統領はオリガルヒ(新興財閥)実業家との癒着、腐敗で非難を浴びるようになる。

「資源輸出国と輸入国との経済連携動向調査」 調査報告書(p.95)/日本機械輸出組合

反体制のジャーナリスト「ゲオルギー・ゴンガゼ 殺害事件」

Public Insterest Journalism Lab/YouTube

 当時のレオニード・クチマ(Leonid Kuchma)政権批判で知られるゴンガゼ氏は2000年9月16日に誘拐され、2週間後、キエフ(Kiev)近郊で頭部のない遺体となって発見された。即座に政権批判による政治的暗殺とみなされた殺害は同国を震撼させ、国際社会を騒然とさせた。

ウクライナ内務省元高官、反体制派ジャーナリスト殺害関与を自白/AFPBB News.2009
クチマ大統領が殺害を依頼!?「録音テープがリーク」

(前略)2003年には事もあろうに大統領警護官が事件へのクチマ大統領の関与を示唆する録音テープを持って米国に亡命した。

オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――(p.26)/天 江 喜七郎.神戸学院大学

最高会議で暴露され、インターネット上では肉声さえ公開された大統領執務室の録音テープは膨大な量に上り、「殺人依頼」云々の部分を別にしても、醜悪な内容である。民営化をクチマ系の地方クランに有利に進めるための打ち合わせ、その結果として起こる無数の裁判沙汰への干渉、裁判官人事権の政治利用(「あの裁判官は言うことを聞かないから飛ばせ」といった類のせりふが度々出てくる)などが満載され、ウクライナ国家が一握りの徒党の私物となっていることを示している。ウクライナ国民を驚かせたのは、内容もさることながら、大統領が使うことばの汚さである。

ヴォルガ中流域からウクライナへ(その2)/北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
抗議デモ「クチマのいないウクライナ」!リーダーは“ヴィクトル・ユシチェンコ”
AP Archive/YouTube

2000年には政権を批判した反体制ジャーナリストが殺害される事件が発生,2003年には事もあろうに大統領警護官が事件へのクチマ大統領の関与を示唆する録音テープを持って米国に亡命した。これを機に最高会議では野党勢力による大統領退陣要求が高まり,国内では「クチマのいないウクライナ」運動が広まった。その急先鋒に立ったのは最大野党「我らのウクライナ」を率いたヴィクトル・ユシチェンコ元首相である。

オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――(p.26)/天 江 喜七郎.神戸学院大学

昨年12月にクチマ大統領による「ジャーナリスト殺害依頼録音テープ」が暴露された直後、学生を先頭として独立広場で大規模な座り込みが始まった。するとクチマは、広場そのものを早速閉鎖してしまったのである。「クチマ抜きのウクライナ」運動として陣容を整えつつあった学生・市民は、すぐ隣のフルシチャティク通り(キエフの目抜き通り)の歩道に場所を移して座り込みを継続した。

ヴォルガ中流域からウクライナへ(その2)/北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

クチマとヤヌコビッチ(与党)VS ユシチェンコとティモシェンコ(野党)

こうして第二次クチマ政権後半のウクライナ情勢は,クチマ大統領とヤヌコヴィッチ首相を支持する与党グループと,ユシチェンコとティモシェンコを支持する野党グループの対立が激しさを増して行った。

オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――(p.26)/天 江 喜七郎.神戸学院大学

欧米諸国はクチマを批判・逆にプーチンはクチマを支援

欧米諸国はウクライナの改革を求める一方でスキャンダルまみれのクチマを相手にせずとの態度を鮮明にし,首脳レベルでの国際会議にクチマを招待しないなど心理的な圧力を加えていった。他方,プーチン大統領は孤立感を深めるクチマに秋波を送り,ウクライナを旧ソ連諸国による関税同盟へと誘った。クチマも従来のバランス外交を修正してロシアへの傾斜を深めて行った。このようにウクライナを巡る欧米とロシアの対立は,クチマの任期切れと次期大統領選挙へ向かって水面下で激しさを増して行った。

オレンジ革命とウクライナ危機――経験的ウクライナ論――(p.26)/天 江 喜七郎.神戸学院大学

2004年の大統領選挙はクチマの後継者ヤヌコビッチが大統領に就任

 2004年11月のウクライナ大統領選挙決選投票は、クチマ元大統領の後継者ヤヌコビッチ氏と、野党や民主化勢力が推すユーシェンコ氏の対決となり、中央選管はヤヌコビッチ氏の「勝利」と発表した。

オレンジ革命に関するトピックス/朝日新聞デジタル

ヤヌコーヴィチはロシア語を母語とし、ロシア政府肝いりの候補だった。

「ウクライナと露」エネルギーから見る危機の歴史/東洋経済ONLINE.2022

(前略)親ロシア派の与党候補ヤヌコビッチ首相は、悪玉とみなされる。青年時代、婦女暴行や窃盗で2度投獄され、現在は東部マフィアの代表格と指摘される。

ウクライナ「オレンジ革命」の真実:名越健郎/新潮社 Foresight

服役の過去を持つ元悪党で元共産主義者のヤヌコビッチは、公然とロシア政府の支援を受けてこの年の大統領選を戦い、選挙結果まで不正に操作しようとした。

「オレンジ革命の悪役」勝利が意味するもの/Newsweek.2010
大統領就任を宣言……ユシチェンコや支持者はそれを認めなかった

ヤヌコヴィッチが大統領就任を宣言する一方で、改革派ユシチェンコとその支持者は選挙のやり直しを求めました。

オレンジ革命/apanese Page of Ukrainian WEB

不正があった!ユシチェンコと支持者が再投票を訴えた抗議デモ「オレンジ革命」

ICNC – International Center on Nonviolent Conflict/YouTube

2004年11月の大統領選挙決選投票の結果、与党ヤヌコーヴィチ候補の当選が宣言されたが、野党ユーシチェンコ候補の支持者らは、同選挙において大規模な不正が行われたとし、決選投票の無効とやり直しを求める大規模な抗議集会を首都キエフで開いた。

ウクライナ大統領選挙に対する我が国選挙監視要員の派遣/外務省ホームページ

「ユーシェンコ、ユーシェンコ」 大統領選の不正問題で紛糾したウクライナの首都キエフは、朝から夜中までオレンジの旗やリボンを掲げた数十万人のデモ隊が、親欧米派の野党候補ユーシェンコ元首相の名を大声で連呼しながら練り歩く。車もそれに合わせて3回クラクションを鳴らし、街全体が解放区の雰囲気だった。

ウクライナ「オレンジ革命」の真実:名越健郎/新潮社 Foresight

欧米諸国や欧州連合(EU)からも選挙に対する非難の声が高まった。

大統領選めぐる混乱/西日本新聞me.2005
ユシチェンコ陣営のシンボルカラーがオレンジ

オレンジ革命とは、2004年のウクライナ大統領選挙での不正選挙糾弾デモを意味する。

韓国野党のユン大統領候補、「怒ったミカン」写真でウクライナ応援し「炎上」/hankyoreh japan.2022
中心人物は美人政治家!?「ティモシェンコ」

 2004年「オレンジ革命」の色も鮮やか。同年ヤヌコビッチ対ユシチェンコ候補大統領選の不正結果に野党勢力が抗議。その中心人物、金髪の三つ編みクラウン・ブレードの美人政治家(元天然ガス実業家)ユリア・ティモシェンコを先頭に、市民はオレンジ色のマフラーをシンボルに抗議した。

混迷のウクライナ。/OVNI| オヴニー・パリの新聞

陣営のシンボルカラーが「太陽」や「温かみ」を象徴するオレンジ色だったことでこう呼ばれた(前略)

オレンジ革命/apanese Page of Ukrainian WEB

オレンジ色が野党のシンボル色になったのは2年前。ビクトル・ユシチェンコ大統領候補側はポスターを目立たせるため、オレンジ色で縁取った。今回の大統領選挙では、遊説の場所はもちろん食堂やタクシーまでも、オレンジ色で飾られた。党の象徴である蜜と蜂を意味する。「革命を象徴する赤よりは穏やか」など説明も様々。

[オピニオン] オレンジ革命/東亜日報.2004
アメリカの下院議員で現地でデモを支援

 このオレンジ革命でアメリカの下院議員の一団が現地で抗議デモを支援したことは、結果的にロシアをさらに煽ることになった。

なぜウクライナで欧米とロシアが対立? 経緯や今後は…知っておきたい基礎知識5選/Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN.2022
最高裁は選挙のやり直しを認める……なんとユシチェンコが毒殺されかけていたことが発覚

12月、最高裁判所は不正を認定し、欧州連合(EU)、ロシアなどの介入でやり直し選挙が決定。

オレンジ革命/情報・知識&オピニオン imidas
ユシチェンコ毒殺未遂事件
BBC News Japan/YouTube

 2004年大統領選挙の期間中、野党の親欧米派ユシチェンコ候補の顔が種痘だらけになり、「与党陣営による毒攻撃」のウワサが飛び交った。

なぜウクライナで欧米とロシアが対立? 経緯や今後は…知っておきたい基礎知識5選/Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN.2022
ユシチェンコ夫人が告発「夫は毒を盛られた」

ウクライナの大統領を決めるやり直し選挙を間近に控えた2004年12月10日に米国ABCテレビが野党側大統領候補ビクトール・ユシチェンコ元首相が対立陣営から毒を盛られたと報じた。テレビ局のインタビューでユシチェンコの夫人が「夫の顔が変わったのは毒を盛られたからだ」と告発したのである。

ウクライナ大統領候補のダイオキシン中毒事件とマスコミ報道(p.1)/林俊郎.石丸梓.情報操作と社会現象 その6.J-Stage

問題の毒殺未遂事件報道はテレビ討論会が行われる予定の10日前であった(毒殺未遂事件そのものは04年9月5日とされる)。

ウクライナ大統領候補のダイオキシン中毒事件とマスコミ報道(p.2)/林俊郎.石丸梓.情報操作と社会現象 その6.J-Stage
ダイオキシン中毒

ダイオキシン中毒によるものとみられ、何者かが毒殺を図ったとユシチェンコ氏は主張している。

【IWJブログ】分裂するウクライナ ——親ロシア派、親欧米派/IWJ Independent Web Journal.2014

  検査したツィムプファー医師は「(ユシチェンコ氏の)病状が、ダイオキシンによる中毒症状であることは疑いがない」と断定した。血液や体の組織から、通常の環境で存在する量のほぼ1千倍にあたる高濃度のダイオキシンが検出され、「口から摂取された可能性が高い」という。

ウクライナ大統領選野党候補、体内から猛毒ダイオキシン/人民網日本語版.2004

その病名は直ちに明らかにされなかったが、薬物専門家のブラウア(アムステルダム自由大学)教授により、血液中より通常値の6千倍以上のダイオキシンが検出されたことがわかった。そして詳しい情報ではダイオキシンの大量経口投与による「塩素座瘡」(クロロアクネ)という病名がつけられた。

急性ダイオキシ中毒にかかったユーシェンコウクライナ新大統領/一般社団法人広島県医師会
ロシアの関与疑惑

(前略)3人のロシア人と会食をしたときだった。疑惑の3人はすぐにロシアへ戻り、取り調べのための引き渡しをロシアは拒否した。その結果、いまだに全貌は明らかになっていないが、当時の全員がそれはロシア政府が快く思わない候補者を暗殺しようとしたと推論した。

「18年前に毒を盛られたウクライナ大統領の激変ぶりを改めて紹介する…」海外の反応/らぱQ.2022

毒による暗殺は、KGBの手口として知られ、KGBを受け継ぐウクライナ国家保安局が関与しているとも噂された。美男子ユシチェンコ氏の顔が崩れてしまったわけだが、国民は同情を示したと言われている。

【IWJブログ】分裂するウクライナ ——親ロシア派、親欧米派/IWJ Independent Web Journal.2014

体内から検出されたのと同じ成分のダイオキシンは、米国、英国、ロシアの三研究所のみが製造していることも判明し、捜査当局は各研究所にサンプルの提供を求めたが、ロシアの研究所だけが拒否している。

毒食わば逆利用するまで ユーシェンコがロシアに反撃/新潮社 Foresight.2007

再投票でユシチェンコが勝利!さらにヤヌコビッチが最高裁に訴えるも野党が政府施設を封鎖

同月26日に、1万2000人を超える欧州安全保障協力機構(OSCE)の国際選挙監視団の立ち会いのもと、やり直し選挙が行われた。その結果、ユーシェンコが逆転勝利した。

オレンジ革命/情報・知識&オピニオン imidas

12月26日 再決選投票 ユーシチェンコ52%、ヤヌコーヴィチ44%。ヤヌコーヴィチ側は選挙に不正があったとして最高裁に提訴。野党による政府施設の封鎖が発生。

ウクライナ問題について/キヤノングローバル戦略研究所.2014
ヤヌコビッチの提訴は却下

12月30日 提訴却下。

ウクライナ問題について/キヤノングローバル戦略研究所.2014
ティモシェンコを首相に任命「ロシアから離れる最初の一歩」

 大統領となったユシチェンコ氏は「オレンジ革命」の盟友ティモシェンコ氏を首相に任命し、ともに親欧米政権を樹立した。この2004年の大統領選および「オレンジ革命」とは、ロシアへの依存関係を継続するのか、それともEUへの加盟を目指して、「ウクライナをヨーロッパに」の道を進むのかを問うものだった。

【IWJブログ】分裂するウクライナ ——親ロシア派、親欧米派、そして第三の勢力 2014.2.25/岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal.2014

 その後、ユシチェンコ氏とティモシェンコ氏の政治路線の違いも明らかになり、ティモシェンコ氏は2005年に首相を解任されたが、2007年には再び首相に就任している。

【IWJブログ】分裂するウクライナ ——親ロシア派、親欧米派、そして第三の勢力 2014.2.25/岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal.2014

ジョージアでも別の革命がおき反ロシア政権が誕生していた「バラ革命」

ウクライナのオレンジ革命の前にも、新独立国ジョージアで「バラ革命」が起こって、反ロシアの改革派が政権に就いたばかりだった。

「ウクライナと露」エネルギーから見る危機の歴史/東洋経済ONLINE.2022

色の革命はプーチンにとっては重大な脅威

ジョージアやウクライナの政権交代は、民主化運動を象徴する様々な色にちなんで「カラー革命」とも呼ばれた。

ソ連崩壊30年、大国ロシア復活の野望と摩擦/日本経済新聞

ロシア政府にとって、この結果は「色の革命」が政権の存亡に関わる重大な脅威になりうることを示していた。

「ウクライナと露」エネルギーから見る危機の歴史/東洋経済ONLINE.2022

さらに由々しいのは、オレンジ革命をきっかけにNATO──すでにバルト諸国が加盟していた──がウクライナのロシア国境に部隊を派遣する可能性があったことだ。これはロシアの安全保障にとって「直接の脅威」になると、プーチンは述べた。加えて、「色の革命」が伝播して、モスクワの赤の広場まで広がるリスクもあった。

「ウクライナと露」エネルギーから見る危機の歴史/東洋経済ONLINE.2022
アメリカのNGOが革命を支援していたことでロシアはさらに不信感を募らせた

(前略)ウクライナ「オレンジ革命」には米国の共和・民主両党の傘下の非政府組織(NGO)が積極的に関与していた。

拡大ユーラシア戦略がプーチンの狙い~ユーラシアから見た世界秩序再編の行方~/笹川平和財団 – THE SASAKAWA PEACE FOUNDATION.2020

プーチン政権は、旧ソ連地域における一連の政治変動、それにともなうロシア離れの背後には、NGOによる民主化活動を積極的に支援する米国の存在があると認識しており、ロシアは米国に対して不信感を強めた。

第6章 ロシア 緊密化する中露関係(p.162)/防衛研究所WEBサイト
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ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出し続けたウクライナ。不撓不屈のアイデンティティは、どのように育まれてきたのか。スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、一九九一年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。人口五〇〇〇万を数え、ロシアに次ぎヨーロッパ第二の広い国土を持つ、知られざる「大国」の素顔に迫る。(「BOOK」データベースより)

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