2022年4月2日、キーウ州全域の解放を宣言するウクライナ国防省の声が、ロシア軍の戦火にさらされた首都キーウに力強く響き渡りました。
キーウからのロシア軍撤退は、戦況がロシアにとって不利に進んでいることを物語る象徴的な出来事となりました。プーチン大統領が侵攻前に示していた自信と、短期間でウクライナを屈服させるという期待は、ウクライナ人の意志の強さと彼らの国を守る決意によって打ち砕かれたのです。
今回は大国ロシアを率いるプーチンの誤算について、時系列で追ってみたいと思います。
【ウクライナ危機(57)】96時間以内に首都陥落!?戦争序盤の重大局面「キーウの戦い」
Ukraine Won the Battle for Kyiv
「侵略者から解放された」首都攻防戦にウクライナ軍が勝利
2022年4月2日、ウクライナの国防次官は、自身のフェイスブックを通じて、「キーウ州全域が侵略者から“解放”された」との声明を投稿し、ウクライナ軍が首都キーウを含む州全域をロシア軍から奪還したことを国際社会に向けて公表しました。
この“解放”は、これまで激しい戦闘が行われていたイルピンやブチャなどの都市が含まれています。この国防次官の声明は、キーウ州が再びウクライナの完全な支配下に入ったことを意味し、戦況に大きな転換点をもたらすことになりました。
ロシア軍はキーウ州で数週間にわたり侵攻を続け、周辺地域では多くの市民が犠牲になりました。このような悲劇の中でもウクライナが決死の抵抗を続け、国土を守る決意を示しました。
ウクライナのこの勝利は、国内外の支持者に希望を与え、ウクライナ軍の士気を高めるものとなりました。しかし、解放された地域では、戦闘によって深い爪痕が残り、復興には多くの時間と努力が必要とされました。また、戦争は終わったわけではなく、ロシア軍が戦力を東部に集中し始めており、新たな戦闘の火種が予測されていました。
プーチン大統領の誤算、予定稿の誤配信が示す“勝利宣言”
ロシア時間の2022年2月26日早朝、誰もが予想だにしない事件が発生しました。ロシアの国営通信RIAノーボスチのウェブサイトに、勝利を予告するかのような記事が誤って公開されたのです。この記事はすぐに削除されましたが、その内容はインターネット上で拡散し、これによりプーチン大統領の意図が世界中に明らかになりました。
記事の最初の文は、「我々の目の前で新たな世界が生まれている」という大袈裟な出だしは、プーチン大統領の目論見が単なる地域的野望ではなく、冷戦終結後の国際秩序そのものを覆すような大胆な動きであることを示唆しています。
さらに、ロシア政府はウクライナ侵攻後48時間以内に首都キーウを制圧し、ウクライナ政権を崩壊させることを確信していたようでした。これは勝利宣言とも言えるこの記事の配信予定時刻が、侵攻開始から約2日後に設定されたことから明らかです。
しかし、ウクライナ軍の予想以上の抵抗と国際社会の強い反発により、プーチン大統領の計画は思い通りには進まず、この戦争はロシアにとって予期せぬ長期戦へと移っていくことになりました。
“勝利宣言”流出で見えたプーチンの大ロシア構想
プーチン大統領をよく知る軍事ジャーナリストの黒井文太郎は、プーチン大統領が今回のウクライナへの武力侵攻を安全保障上の問題と位置付けていたのは表向きの話であり、その真の意図は「大ロシア」復活を宣言することにあったと解釈しています。この見解は、RIAノーボスチ通信の誤って公開された“勝利宣言”記事からも裏付けられています。
プーチンはソ連崩壊後の不遇な時代を経て、KGBの旧同僚や東ドイツ時代の知人らと共に、ソ連復活を目指して政治の表舞台に立ったという背景があります。そして、プーチンが2000年に大統領に就任して以降、ロシアは専制的な国家へと変貌を遂げていったのです。
さらに、アメリカがオバマ政権下で「世界の警察」を自粛する方針を取ったことが、プーチンにとってウクライナとベラルーシを取り戻す絶好の機会だったと考えられます。2014年のクリミア併合は、プーチンの「大ロシア」復活への強い決意を示す出来事でした。
勝利の確信と戦略的誤算
黒井文太郎によれば、プーチン大統領は負け戦を選ばない人物であり、今回のウクライナ侵攻も勝利が確実と信じて行われたといいます。
しかし、勝利宣言が流出した事実と、ウクライナ軍の強固な抵抗、世界的な非難の高まりにより、事態は予想とは異なる方向へ進んでしまい、プーチンが信じて疑わなかった「大ロシア」復活への道も、未だ不透明な状況に陥ったといいます。
【誤算】空港からの増援作戦が失敗「アントノフ国際空港の戦い」
プーチン大統領のウクライナ侵攻における大きな誤算の一つは、「アントノフ国際空港の戦い」であったと考えられています。キーウ近郊に位置するこの空港は通称ホストメル空港としても知られており、3500mの滑走路を有する重要な国際貨物空港です。
ロシア軍はアントノフ国際空港を1日で無力化に成功
ロシア国防省は2月25日に、空挺部隊や特殊部隊(スペツナズ)を用いてこの空港を制圧し、ウクライナ側の200人以上を殺害したと発表しました。しかし、ウクライナ軍もすぐに対抗、ウクライナ保安庁指揮下のスペツナズを導入。激しい戦闘の結果、同空港をわずか1日で機能停止に追い込むことに成功しました。滑走路が使えなくなったロシア軍は、この戦略的ポイントを活用することができなくなったのです。
アントノフ空港の戦いにおけるウクライナ軍の対応
空港での戦闘に参加したあるウクライナ兵は、迫撃砲を使用して滑走路を破壊する命令を受けたと述べています。これは、約15〜18機のロシア軍輸送機が空港に向かっているという情報を受けての措置でした。
ロシア軍は、この空港から精鋭部隊をキーウに侵入させ、ウクライナ政府首脳部を殺害する計画だったと見られており、現場では民間人に偽装したロシア兵も逮捕されています。
しかし、あくまでロシア軍の主な計画は空港をキーウ攻撃の拠点として、さらなる増援を送り込むことにあったとされています。
これを裏付けるように、ロシアのプスコフから発進したIL-76大型輸送機が同空港への着陸を試みていたことが判明しました。IL-76は戦車は輸送できないものの、装甲車両の輸送は可能であり、もし着陸が成功していればキーウへの脅威が深刻なもになったと予測されます。そのためウクライナ側は、戦闘力が高くない動員兵を集めてでも、この空港の奪還を図ったのでした。
アメリカの傭兵部隊がロシアの特殊部隊を全滅させたとの情報
元警視庁公安部でロシア事情に詳しい北芝健は、アントノフ空港の戦いについて新たな見解を示しました。
それによれば、ウクライナ側がロシアの特殊部隊「スペツナズ」を壊滅させたわけではなく、実際はアメリカの傭兵部隊「アカデミ」(旧称ブラックウォーター)の功績が大きいと語っています。
北芝は、現代戦における特殊部隊の重要性を強調しました。
基本的に特殊部隊は数の力ではなく、機動性と専門的訓練を生かして戦場で大きな影響を与えることができると言われています。1人の特殊部隊員が一般兵200人分の戦力に相当するとも言われており、ロシア軍が失ったスペツナズ200人は数字以上に、戦術的に大きな打撃であっただろうと述べました。
キエフ防衛の鍵
この情報は公式なニュースソースでは報じられていませんが、もしこの情報が事実であれば、アントノフ空港の戦いはキエフ防衛の鍵を握る重要な転換点だったと言えます。ロシアの特殊部隊の全滅は、キーウが陥落しない一因となった可能性が高く、ウクライナの首都防衛に大きく寄与したと考えられます。
これによりロシア軍は陸路で移動するしかなくなった
アントノフ空港の戦いで、重要な戦術目標である空路の確保に失敗したロシア軍は、補給路を陸路に頼るしかありませんでした。
空港での戦いに参加したウクライナ兵の証言によれば、ロシア軍の旅団はキーウからわずか10キロの地点に姿を現す計画でしたが、ベラルーシからの陸路を通じた移動を余儀なくされていたといいます。この移動には軍用車両、戦車、重火器が含まれており、移動計画の変更はロシア軍の戦略に大きな狂いをもたらしたと考えられます。
そしてその結果、ロシアの軍用車両は長い列を作り、とてつもない長さの大渋滞が発生してしまいました。これにより、ロシア軍の動きはさらに著しく制限されてしまいました。
【誤算】陸路での増援部隊が大渋滞
アントノフ空港での激しい戦いが行われている頃、首都キーウではロシア軍がウクライナ軍の予想外の抵抗に直面していました。そのため、ロシア軍はキーウの北方20~30km地点で進軍をストップさせられていました。
この状況に対処するため、ロシア軍は隣国ベラルーシからの増援部隊と補給物資を大量に前線に派遣したのです。
2月27日頃から、装甲車や戦車などを含む長大なロシア軍の車列が目立つようになりました。衛星写真によれば約5キロに及ぶ渋滞が確認されています。さらに翌日の28日、この車列は60キロ以上に伸びました。
一方で28日は、ウクライナ北部からキーウに向けて進軍しているロシア軍がキーウ中心部まで約25キロの地点に迫っているとアメリカ国防総省の高官は述べています。
米CNNなどのメディアもこの動きを大きく報じており、ロシア軍はキーウを数日以内に包囲する計画であると指摘されていました。
【誤算】陸路で目指す大部隊がまさかの大渋滞……。3日以上ほぼ動けず
その後、侵攻を進めるロシア軍の車列が、キーウから約30キロの地点で停止ししたまま、3日以上動いていない状態が報告されました。
また、米宇宙企業マクサー・テクノロジーズが公開した衛星画像に基づく3D動画では、数百台に及ぶ軍用車両が道路上に長大な列を成していることが確認されており、戦闘部隊と輸送部隊が混在していることが明らかにました。
ロシア軍の車列停滞の原因とは?
この渋滞の原因について、さまざまな説が考えられました。
- ロシア軍の戦略的誤算:英メディア『The Daily Telegraph』によると、キエフに進軍していたロシア軍は、わずか3日分の物資を携帯し、48時間以内にキエフ政権を転覆させるという作戦が失敗に終わりました。先頭部隊は物資を使い果たし、後続部隊も前進できない状況に追い込まれました。
- 補給線の問題:フィンランド出身で香港在住の著述家トミ・アホネンは、ロシア軍が単一の補給線に依存していたリスク管理の甘さを指摘しています。戦闘車両が初日に1日分の燃料と食糧を搭載しており、その後は後方からの補給に依存していたとのことです。この補給線は64キロにも及ぶ長大な車列であり、その大部分は輸送トラックで占められていました。
- ロシア軍の停滞:この車列は、前線にいたとされる7個師団、約7万の兵士に供給される燃料、弾薬、食糧を運ぶためのものでした。しかし、計画が崩壊し、多くの戦闘装甲車両は戦闘能力を喪失してしまいました。この状況は、戦場におけるロジスティックの重要性を浮き彫りにしています。
- 軍事専門家の見解:軍事専門家は、このような車列が形成された原因として、ロシア軍の計画的な過信と前線への補給計画の不足を指摘しています。また、敵の攻撃に対して脆弱な長大な車列は、戦場での兵士たちの士気にも影響を与えると警告しています。
時期の選定に関する誤算
- 泥濘(ぬかるみ)の問題: ロシア軍が侵攻を開始した時期は、雪解けによりウクライナの大地が泥濘と化す時期と重なっており、非舗装道路の走行が困難になるため、軍事作戦において大きな障害となりました。
- 大規模演習: 冬期に大地が凍結している間に「大演習」と称して大兵力をウクライナ国境地帯に展開させたものの、その後の泥濘期に突入したことで計画が狂った可能性があります。
- 短期決戦の期待: ロシアは2014年のクリミア紛争時の経験から、ウクライナを短期間で制圧できると過信していた可能性が高く、奇襲効果を見込んでウクライナが想定外とする時期に攻め込んだものの、ウクライナ軍の抵抗により作戦が長引いてしまいました。
- 国際的なイベントへの配慮: 北京五輪という国際的な平和の祭典を避けた後に攻撃を開始したことは、ロシアの国際的なイメージや関係への配慮があったことを示唆しています。
軍事作戦の失敗
- 補給路の問題: ロシア軍は補給路に頼っていたが、泥濘により車列が進めなくなり、戦闘部隊が孤立。その結果、食料や燃料の不足、車輌の放棄が発生しました。
- ウクライナ軍の抵抗: ウクライナ軍が補給部隊を標的にし、車列を狙った攻撃でロシア軍の進行を妨げました。
重大な誤算
これらの分析は、ロシアの軍事戦略における重大な誤算と、ウクライナ軍の堅実な防衛策が、侵攻の初期段階での予期せぬ展開をもたらしたことを示しています。
この長い車列は的でしかなかった!ウクライナ軍が狙い撃ち
ウクライナの戦闘地域にて、道路に沿って密集して停止しているロシア軍の車列の写真が、軍事的な観点から見ても異常な状況であると専門家や経験豊富な軍人たちによって指摘されました。このように戦場で露出した車列は、航空攻撃や地上からの伏撃に非常に脆弱であり、戦術的なミスと見なされています。
英軍情報部のフィリップ・イングラム元大佐は、制空権の確保されていない地域で部隊が立ち往生するのは「軍事的に最悪」であり、格好の標的となると述べ、すでにウクライナ軍はロシア軍の補給部隊の位置を把握しており、ロシアの大軍が態勢を立て直すのを阻止しようとしているとの見解を示しています。
その上で、ロシア軍はこれほど大規模な部隊を一度に南下させるべきではなかったと指摘しました。
対戦車ミサイル「シャベリン」やドローンで攻撃
イングラム元大佐が語った通り、キーウに向けたロシア軍の60キロを超える車列は、ジャベリン対戦車ミサイルなどによって激しい攻撃を受け続けることになりました。
2月27日には、ドローンによる攻撃がミサイル発射車両を含むロシア軍装備3台を破壊し、その様子を捉えた動画がツイッターで拡散され、世界で320万回以上再生されるなど大きな注目を集めました。
公開された映像は上空からドローンで空撮映像したものを、遠隔地の地上管制局で受信したものと考えられ、スマートフォンで録画されたものとみられます。
この映像では、停車中のロシア軍の車列を捉えており、地対空ミサイルシステムを装備した運搬車両が照準に捉えられ、突然の爆発で黒煙に包まれる様子が写っています。この攻撃は、管制局での歓声とともに成功が確認され、即座の出来事であるため、何が着弾したか映像からは明確には確認できません。
制空権の確保に失敗➕格好の標的=さらなる大渋滞
侵攻開始当初、ロシア軍は空軍力においてウクライナに対して圧倒的な有利な立場にありました。ウクライナ国境近くに展開されたロシアの戦闘機数はウクライナ空軍の3倍にのぼり、多くの軍事アナリストが侵攻と同時に制空権を掌握すると予測していました。しかし、実際にはそうはなりませんでした。
ロシアの特殊部隊であるスペツナズや空挺部隊VDVは、先遣隊として迅速なキーウの占領を目指していましたが、開戦早々にアントノフ空港でウクライナ軍によって撃退され、制空権の確保に失敗しました。空港の滑走路は大きなダメージを受けたため、航空輸送が困難となり、ロシア軍は地上侵攻に切り替えざるを得なくなりました。
しかしこの決断は、キーウに向かうロシア軍の長大な車列を無人機や榴弾砲、そしてMLRS(多連装ロケットシステム)の格好の的にしてしまいました。さらに、西側諸国から供与された対戦車ミサイルを携えたウクライナ兵が、ロシア軍の車列の後方に浸透し、襲撃を繰り返し続けたのです。この結果、大渋滞はさらに長大になり、ロシア軍の進軍は大きく阻害される状況に陥ってしまったのです。
【誤算】ウクライナ軍の戦略によってロシア軍は大幅に遠回り
ロシア軍が直面したもう一つの大きな誤算が、キーウから北に約40キロのデミディウ村でのある出来事でした。
2022年2月下旬、ロシア軍が首都キーウの制圧を目指して南下してきた際、デミディウの住民たちは自らが戦場に立っている現実に直面しました。デミディウ村からイルピン川に架かる橋を越えればキーウ中心部へと直通する道があり、大統領府まで車で約1時間の距離にありました。
そこで、ウクライナ軍はロシア軍の進軍を食い止めるため橋を破壊しました。さらに、ウクライナ当局は川の水流を増やし、川幅を広げることで、ロシア軍が設置しようとする仮設橋の使用を妨げるために近くのダムを破壊、強制的に大放流を行いました。
デミディウ村の洪水、キーウの防衛に貢献
これによりデミディウ村は水没しまいました。それでも、自然の力を利用した防衛戦略により、ロシア軍のキーウへの進軍を阻止することに成功しました。ロシア軍がキーウの制圧を狙い、川沿いを南下してきた際、水没していたイルピン川を見て愕然としたことでしょう。
ロシア軍は、川の洪水のために村を通過する予定のルートを使用できなくなり、デミディウ村は戦闘の最前線になることを回避しました。これにより、村はキーウ近郊のブチャのような悲劇を経験することなく、ロシアの戦車が通行できず、キーウへの迅速な到達が妨げられたのです。
村の首長は、もし洪水がなかったら、ロシア軍は計画通りに3〜5日でキーウまで到達していた可能性があると述べています。デミディウ村の住民たちは、自分たちの行動が首都の救世主となったと強く信じており、誰も後悔していないとの声が聞かれています。キーウを守るための彼らの決断は、ロシア軍にとって予期せぬ大きな誤算となったのです。
イルピン川の歴史的防衛役割
イルピン川は、キーウの防衛において歴史的に重要な役割を果たしてきました。キーウ・ルーシの時代には、首都キーウを周囲の要塞が守っており、イルピン川もその自然の防衛線の一部として機能していました。第二次世界大戦中には、キーウ要塞地区の一部として、イルピン川沿いに鉄筋コンクリートで強化された防衛ラインが設けられました。この要塞ラインは、72日間にわたりキーウの防衛を支えることに成功しました。
イルピン川沿いのこの戦略的な地形と要塞化された防衛は、侵略者を遅らせるための重要な障害となり、キーウの歴史を通じてその重要性を証明しています。現代においても、イルピン川は再び防衛ラインとして機能し、ロシア軍の進撃を阻止するのに貢献しました。これらの事例は、自然地理が軍事戦略においていかに重要な役割を果たすかを明らかにしています。
【誤算】士気が低すぎ!?戦車を捨てて投降するロシア兵の姿
このような様々な要因が重なる中、先に進軍していたロシア軍の戦車部隊は深刻な問題に直面していました。なんと、戦車を守るための兵士の数が不足していたのです。これは、ウクライナ軍がジャベリン対戦車ミサイルを効果的に使用し、キーウに向かうロシア軍の車列を繰り返し標的にしていたため、増援部隊がその場から動けなくなっていたからです。
前にも後ろにも進めない中で、ロシア軍は戦闘で次々と敗北し犠牲者数が急増していきました。このような状況下でロシア兵たちの士気に大きく低下していると指摘されました。ロシアの精鋭とされる空挺部隊や特殊部隊が、早々にウクライナ軍によって撃破されたことが、ロシア兵の戦意をさらに削いだのではないかという声もありました。
ロシア軍の士気と降伏
アメリカン・エンタープライズ研究所のフレデリック・ケーガンは、ロシア軍の現状について重要な見解を示しています。ロシア兵自身が自軍の厳しい状況を認識し、自らの立場に疑問を抱き、戦場での決断に後悔している可能性が高いとのことです。こうした心理状態は、降伏する兵士の増加に直結しています。
実際、ウクライナ側の呼びかけに応じて降伏するロシア兵の事例が報告されています。これらの兵士は、戦車と自己の自由を引き換えに、金銭的報酬と将来の市民権の申請権を手に入れることができます。ウクライナのビクトル・アンドルシフ内務大臣のFacebook投稿によると、降伏した兵士は戦争終結までの間、快適な環境で囚人として保護されるという。
アンドルシフ内務大臣は、ロシア軍内部の混乱についても詳しく述べており、食糧の不足や指揮系統の混乱が兵士たちの戦意を大きく損ねていると指摘しています。彼の言葉によると、兵士たちはほとんど食糧を持たず、指揮系統は機能不全に陥り、戦意喪失は「驚くべきレベル」に達しているとのことです。
このような状況は、ロシア軍がウクライナで直面している士気の問題と、兵士の心理状態に関する深刻な問題を浮き彫りにしています。また、同じ戦車に乗っていた他の戦闘員もすでに撤退しており、降伏した兵士が戦い続ける理由を見失ったとされています。
兵士の補充に奔走する大国ロシアの姿
ロシア軍は、戦闘による人的損失を補うために、国内の他の地域からさらなる部隊をウクライナに派遣し始めました。この動きは、ロシアが予備役や遠方地域の部隊にまで手を伸ばしていることを示しており、戦力が相当に消耗していることを物語っています。さらに、シリアなど他国からの外国人部隊や、私的な軍事会社である「ワグネル(ワグナー・グループ)」のような傭兵組織も、ロシア軍の支援としてウクライナでの戦闘に加わることが予想されていました。
西側の当局者やNATOの軍幹部からは、ロシアが「たるの底にあるものを必死でかき集めている」との指摘があり、ロシア軍の戦闘における窮状を示しています。ロシアが補充している部隊の質や戦闘準備の状態は不明ですが、このような措置が必要となっている現状は、ロシア軍がウクライナで予想外の困難に直面していることを明らかにしています。この事態は、ロシア軍の作戦計画が当初の目論見通りには進んでいないことを示唆しており、ウクライナでの長期化する戦闘において、さらなる戦力の投入が続くことが予想されます。
【誤算】先にキーウで戦闘していたロシア軍の包囲作戦も失敗
ロシア軍の先鋒隊は約1週間でキーウ郊外に到達するも都市への直接攻撃を避け、兵糧攻めをによる降伏を迫る作戦を実施。キーウから20キロほど離れた北、東、西の三方向からの包囲戦を展開しました。しかし、南方向でのウクライナ軍の強固な抵抗により、包囲網は完全には閉じることができませんでした。
実際に2022年3月15日に、ポーランド、チェコ、スロベニアの首相がキーウに入城し、ゼレンスキー大統領と会談しました。これはロシア軍による包囲作戦が失敗していることを示しています。
ロシア軍のウクライナ侵攻、多くの作戦で失敗
ここまで、ロシア軍は長距離攻撃を除き、ほとんどの戦線で失敗に終わりました。ウクライナの防空網は未だに破壊されず、主要飛行場も稼働を続けています。これにより、ウクライナの守備隊は位置を堅持し、国内の自由な移動を保持していたのです。
ウクライナ側は、予備軍や民間の防衛隊が迅速に動員され、ロシア軍に立ち向かいました。
一方ロシア側は、戦線の中心に配備された空挺部隊や特殊部隊が本隊から孤立していました。さらに、基本的な物資、特に重要な弾薬の供給すら絶たれる状況に陥っていました。
特筆すべきは、ロシアが得意とする「バイブリッド戦争」、電子攻撃、サイバー攻撃、衛星からの攻撃などを含む多角的な攻撃手段を有効に用いることができていないとう点です。その結果、ウクライナ国内では電力供給が維持され、インターネットを含む通信インフラも機能していました。
ロシア軍の戦略の転換
キーウの陥落を諦めたロシア軍は、その後、主力部隊をアゾフ海沿岸のマリウポリへと配置換えしました。この地域では、ウクライナ軍と親ロシア派武装勢力の間で既に戦闘が続いていましたが、ロシア軍の増援が到着しても状況は大きく変わらず、ウクライナ軍は持ち堪えていました。
この状況は、ロシア軍が当初想定していた迅速な戦闘終結とは異なる長期化する戦争の様相を呈しています。キーウへの攻撃が頓挫したことで、ロシアの作戦計画は再考を迫られ、その結果、ドンバス地方への焦点を移すといった新たな戦略へと移行しています。
ロシア軍がウクライナの首都から撤退
ウクライナ国防省は、2022年4月2日に首都キーウとその郊外がロシア軍の支配から解放されたと発表しました。これにより、キーウ州全域が奪還されたと伝えられています。報道によると、ロシア軍は多くの戦死者、焼けた戦車、ロケット発射車を残したまま撤退。2月24日から鳴り響いていた戦闘における砲撃音や銃声が沈黙したとのことです。
特に、キーウの北西部にあるイルピンやブチャなどでは、これまで激しい戦闘が続いていましたが、ロシア軍の撤退により状況が変わったと報じられています。現地へのアクセスが可能となった欧米メディアによって、撤退が確認されています。
さらに、米CNNは衛星写真を基に、キーウ攻略の鍵となっていたアントノフ国際空港からもロシア軍が撤退したことを確認しました。この撤退は、キーウ周辺におけるロシア軍の戦況に疑問符を投げかけるものであり、この戦争が新た段階に入ったことを示唆しています。
ロシア軍のキーウ周辺からの撤退と今後の見通し
2022年4月6日、アメリカ国防総省の高官は、ロシア軍がウクライナの首都キーウ及びその周辺地域から完全に撤退し、将来の再配置のための装備品の補給活動を行っていると分析を公表しました。キーウやチェルニヒウ地域から撤退したロシア部隊は、隣国ベラルーシやロシアで補給を受けていると見られます。また、ロシア軍によって設置された地雷や罠は、撤退した地域に残されたままであることが指摘されています。
米国防総省の高官は、これらの部隊がいつウクライナに戻るかは明確ではないものの、再装備に長期間を要することはないと述べており、ロシア軍は今後、ウクライナ東部のドンバス地方での戦闘に焦点を当てるとの見方が示されています。過去24時間の間にキーウでの空爆は確認されていないものの、ドンバス地方や東部イジュームではロシア軍による激しい空爆が行われていると報告されています。ロシア軍によって包囲されているウクライナ南東部のマリウポリでも、戦闘が継続しているとのことです。
米国防総省のポール・カービー報道官は、ロシア軍がキーウ周辺やチェルニヒウ周辺での軍事活動を行っていないことを確認し、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナにおける戦略的目標を実現していないと述べました。一方、米シンクタンク戦争研究所は、キーウ周辺から撤退するロシア軍部隊が戦闘態勢を回復するのにはかなりの時間を要すると指摘しています。ウクライナに派遣されたロシア軍の130大隊のうち、現在ウクライナに残っているのは80大隊以上であるとされています。AP通信は、撤退するロシア兵士の数が少なくとも24,000人であると報じており、BBCのポール・アダムズ外交担当編集委員は、ロシアがウクライナでの軍事作戦において完全に主導権を失っているという西側当局者の見解を伝えています。
ロシア軍の戦略転換とドンバス地方での作戦
2022年4月22日、ロシア軍はキーウ近郊での一連の敗北を受け、首都キーウからの撤退とともに戦略的焦点をウクライナ東部に移すことを発表しました。キーウでの戦闘から軍事活動の中心をドンバス地方に移すことは、ウクライナ紛争が新たな局面に入ることを示唆しています。
ロシア軍は、これまでの作戦の「第1段階」を終え、「第2段階」に注力するとしています。この第2段階では、ドンバス地方が中心的な役割を果たすことになり、この地域への前進が紛争の長期化を示している可能性があります。ドンバス地方は、2014年から続く親ロシア派とウクライナ政府軍との間の衝突が激しい地域であり、ロシアはこの地域でウクライナ軍に対する勢力を強化しようとしているようです。
この戦略転換により、ロシア軍はキーウ周辺での攻撃を縮小し、東部での戦力を集中することで、この紛争地域における支配を確立しようと試みています。しかし、ロシア軍がウクライナ全土を支配下に置くという当初の目標は達成できておらず、この戦争の行方は依然として不確実性が残っています。
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