ウクライナの大統領、ヴォロディミル・ゼレンスキーは、その国の歴史の中で非常に重要な時期に指導者となり、自身の命が狙われる危険な状況下でも、逃げることなく国民に希望を与え続ける姿で多くの人々に勇気を与えました。
特に、彼の3つの重要な演説が、ゼレンスキーを国民の英雄に変える転換点となったとされている。この記事では、ゼレンスキー大統領が、危機の中でも、逃げずに国民を鼓舞し続けた瞬間を振り返り、ゼレンスキーのリーダーシップにおける3つの印象的な演説に焦点を当てています。
【ウクライナ危機(41)】モスクワに迫る民主主義の足音!侵攻の要因「カラー革命”』
Zelesky’s speech
指導者が英雄に変わる瞬間、ゼレンスキーの選択
ウクライナが史上最も困難な状況に立たされたとき、ゼレンスキー大統領の勇気ある決断がウクライナの国民に希望を与えました。
2022年2月24日未明、ロシア軍の侵攻の一報が入ったその日、ゼレンスキー大統領は家族とともに大統領府にいた。
爆音と緊張が広がる空気の中で、ゼレンスキーは妻と2人の子供を起こし、避難の準備をさせた。この瞬間が、その後のウクライナとゼレンスキー大統領自身の運命にどれほど影響を与えるか、まだ誰も予見できませんでした。
すぐに軍からの緊急報告が入り、ロシアの特殊部隊が首都キエフに侵入し、大統領とその家族の命を狙っているという情報がもたらされました。
これに対し、大統領府内ではただちに防御措置が取られます。警察によるバリケードが築かれ、ベニヤ板やその他手元にある材料で出入り口が封鎖されました。
さらに、ゼレンスキーをはじめとする政権幹部十数人には、自動小銃と防弾チョッキが配られました。その多くは銃の扱いに不慣れであり、数名の軍情報部出身者が急遽指導を行ったといいます。
この状況を、ゼレンスキーの顧問は「まさに蜂の巣をつついたようだった」と形容しています。
このような危機的な状況の中にあって、ゼレンスキー大統領は決断しました。それは命を狙われる中で逃げずにここに残り、ウクライナ国民とその自由を守ることでした。
この日を境に、ゼレンあスキー大統領はただの指導者からウクライナ国民の英雄となっていきました。
ロシアの暗殺計画と反戦グループ
ウクライナの指導者、ヴォロディミル・ゼレンスキーの排除と、親露派の傀儡政権の設立。これが、ロシアのプーチン大統領の最大の目標でした。
この目標を達成するために、ロシアの民間軍事会社、ワグナーグループの傭兵や、チェチェン共和国の特殊部隊がウクライナに派遣されました。しかし、暗殺計画はすべて失敗に終わりました。
ロシア情報機関の連邦保安局(FSB)内の反戦グループがウクライナ側に密告があったためです。
この失敗は、プーチンの支配に疑問を持つロシア国内の反対派にとっても、勇気を与えました。また、ゼレンスキー大統領への国際的な支持を高め、リーダーシップを高めることに繋がりました。
ロシアの首都制圧計画を止めた演説の力
大国ロシアの侵攻に対してウクライナは壮絶な抵抗を続けています。この抵抗の中心には、ボロディミル・ゼレンスキー大統領の存在があります。
政治素人でコメディアン出身のゼレンスキー大統領の演説は、「2日間でキエフを制圧する」という大国ロシアの計画を失敗に追い込んだのです。
ロシア軍の侵攻が始まった直後から、ゼレンスキー大統領に対して国外脱出を勧める声が多く聞かれました。特に、ロシア軍の装甲車が首都キーウに迫り、ミサイルによる攻撃が続く中、ゼレンスキーは生命の危機に晒されました。
しかし、ゼレンスキーはその危険を顧みず、首都キーウに留まり続け、国民に向けてオンラインで演説を行い、徹底抗戦を呼びかけました。この勇気ある行動は、戦力的に劣っているウクライナ軍と国民の士気を高め、結束力を強化しました。多くの国民は、ゼレンスキーの勇気ある決断に感銘を受け、自身も抵抗することを選びました。
この決断は、国民の士気を高め、結束力を強化しました。多くの国民は、彼の勇気ある決断に感銘を受け、自身も抵抗することを選びました。
この彼の不退転の姿勢は、ウクライナ国民の心を鼓舞し、彼らに勇気を与えました。
命を狙われているゼレンスキーは、侵攻直後から国外脱出を勧める多数の声があがっていました。
ロシア軍の装甲車が首都に迫り、ミサイルによる攻撃が続く中、ゼレンスキー大統領はキーウに留まり、執務室を移動しながらオンラインでの演説を通じて国民に対して徹底抗戦を呼びかけました。
そして、ウクライナ国民はロシア軍を迎え、戦力の絶対的劣勢にもかかわらずキーウなどを死守し、侵略してくるロシア軍を退けました。
これが引き金となり、ロシアは全面的なウクライナ占領の計画を見直し、南部の港町マリウポリと東部のドンバス地域へと戦力をシフトさせました。
ゼレンスキーを英雄に変えた3つの演説
ゼレンスキー大統領がウクライナの英雄と広く見なされるようになったきっかけは、主に3つのスピーチに起因しています。
- 開戦前夜の演説
開戦が刻一刻と近づく中で、ゼレンスキー大統領はロシア語でロシア国民に向けた演説を行いました。これはウクライナだけでなく、ロシアの一般市民にも彼の真摯なメッセージを伝える試みであり、多くの人々がその勇気に感銘を受けました。 - 「必要なのは弾薬であり、乗り物ではない」
アメリカからの支援を受けて首都からの避難を手助けする提案があった際に、ゼレンスキー大統領はこの名言で応じました。この言葉は即座にウクライナ内外で広まり、いまや伝説とも言える存在になっています。 - 「私たちはここにいる」
キエフの夜の街で撮影されたビデオの中で、ゼレンスキー大統領は閣僚たちとともに並び、カメラに向かって「わたしたちはここにいる」と短く述べました。この短いメッセージはシンプルだが、ウクライナ国民、そして世界中の人々に対して強い印象を与えました。
これら3つの要因によって、ゼレンスキーはウクライナ国民、そして世界中の人々にとっての英雄になったといわれています。
【演説①】開戦前夜の演説
2022年2月24日に行われたゼレンスキー大統領の開戦前夜の演説は、その後すぐに始まる侵攻に先立ち、ウクライナ、ロシア、そして世界に深い影響を与えました。
演説は、ウクライナ語とロシア語の両方で行われ、特にゼレンスキーがロシアの一般市民に対して言語を切り替えた瞬間は、多くの人々に衝撃を与えました。
ゼレンスキーはテレグラムを通じてこの重要なメッセージを発信し、「ロシアの人々はウクライナについて嘘を教えられている」と指摘。ロシアの人々に対し、彼ら自身で事実を確認し、攻撃に反対するよう呼びかけました。
また「私はロシア連邦大統領との電話協議を試みたが、結果は沈黙だった」とも語りました。これはロシアのプーチン大統領が和平の道を選ばなかったという重大な指摘であり、ウクライナが平和を切に望んでいる一方で、ロシアがその希望を無視していることを明確に示しました。
ゼレンスキーは、攻撃命令に関するロシア側のデマにも触れ、ユーロ2012で応援したスタジアムや、負けたときに飲んだバー、親友の母親が住むルハンスクなど、私たちが知っている、愛している場所を爆撃するわけがない」と訴えました。
この部分では、ウクライナ人も普通の人々であり、家族や友達、そして愛する場所があるという事実を力説しました。
演説の最後に「ロシア指導部は我々とはテーブルを囲みたくなくても、あなたがたとはテーブルを囲むだろう。ロシアは戦争がしたいのか。この質問への答えが切に欲しい」と、ロシア国民に強く訴えを行いました。この演説が行われた後、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。
しかし、ゼレンスキーの言葉は、世界中で多くの人々に感銘を与え、日本を含む多くの国で高く評価されました。特に、その直接的な訴えと情熱的なメッセージは、多くの人々が戦争の悲劇とその避けようのない現実を考えるきっかけとなりました。
「我々はウクライナ人なのですから」戒厳令発令とゼレンスキー大統領の呼びかけ
ロシア軍のウクライナ侵攻が開始された2月24日朝、ウクライナのゼレンスキー大統領は、全国に戒厳令を発令しました。ゼレンスキー大統領は、SNS動画を通じて、ロシア軍の軍事施設への攻撃と、ウクライナの多くの都市での爆発音を受け、全土に戒厳令を発令することとなった事情を説明しました。
ゼレンスキーは動画の中で、プーチン大統領がドンバス地方での特別軍事作戦を発表し、それに伴い多くの都市で爆発が発生したため、ウクライナ全土での戒厳令を敷いたと述べました。
また、アメリカのバイデン大統領との会話で、米国が国際的な支援の取りまとめに動き始めていることを伝え、ウクライナ市民に対しては、パニックを起こさないよう、そして可能な限り自宅で待機するよう呼びかけました。
ゼレンスキー大統領のこのメッセージは、戒厳令の発令、そしてそれに伴う必要な措置についての情報提供だけでなく、ウクライナ市民に対しての励ましのメッセージでもありました。
ゼレンスキーは「パニックを起こさないでください。我々は強く、すべての準備ができています。我々は誰に対しても勝つでしょう。我々はウクライナ人なのですから」と、自国の市民に対して信頼と勇気を与える言葉を贈り、最後に「ウクライナに栄光あれ」という象徴的な言葉で締めくくりました。
「ウクライナに栄光あれ」の説明
「ウクライナに栄光あれ」(Україні слава! / Slava Ukraini!)はウクライナのナショナリストおよび愛国者の間で使われるフレーズ、および軍隊の伝統的な挨拶です。このフレーズは、しばしばウクライナの独立やソビエト時代からの解放を象徴するものとして用いられます。
この挨拶の全文は、「ウクライナに栄光あれ、英雄たち栄光あれ」(Слава Україні! Героям слава! / Slava Ukraini! Heroiam slava!)で、一般的には一方が「ウクライナに栄光あれ」と言い、もう一方が「英雄たちに栄光あれ」と応えます。
「ウクライナに栄光あれ」の歴史
「ウクライナに栄光あれ」は、ウクライナのナショナリズム、独立、抵抗の象徴として、長い歴史を持つフレーズです。
19世紀の起源
最も古い記述は、1840年にウクライナの詩人タラス・シェフチェンコの詩「オスノヴヤーネンコへ(До Основ’яненка)」に見られます。そして、ミコラ・コストマロウの詩「栄光の子供たち、栄光の子供たち…(Діти слави, діти слави…)」には「ウクライナよ、君に栄光あれ!(Слава тобі, Україно! / スラーヴァ トビー、ウクライーノ)」というフレーズが現れています。
革命時代
19世紀末、ハルキウで生まれたこのフレーズは、元々「ウクライナに栄光あれ」-「国中に栄光を!」という形でした。これは、ウクライナ革命党など、ウクライナのために活動する人たちの合言葉でした。このフレーズは、ウクライナ人民共和国時代にも使われていました。
20世紀初頭
作家で市民活動家のユーリ・ホルリス=ホルシキーは、小説「ホロードニー・ヤール」の中で、1919年~1922年のホロドニー・ヤール共和国のコサックたちが、「こんにちは」という挨拶の代わりに、「ウクライナに栄光あれ」と言って「栄光あれ、ウクライナに」と返事をしていたことを回想しています。
民族主義者組織OUNの採用
現代の形では、このフレーズは1925年から1929年にかけてウクライナ民族主義者部隊のメンバーの間で広まり、後に彼らはウクライナ民族主義者組織(OUN)を設立しました。1941年、OUNのメンバーは「ウクライナに栄光あれ」という言葉と「英雄たちに栄光あれ」という返答を公式の挨拶として採用しました。
ソ連時代の禁止
ソ連時代、このフレーズは禁止され、反体制的な表現も禁止されました。
しかし、1980年代から1990年代にかけて、ハリチナ地方やザカルパッチャ地方でのウクライナ独立を求める集会や抗議行動、ウクライナ全土から集まりキーウで行われた「花崗岩タイル上の革命*」などで、このフレーズは復活しました。
当時、「ウクライナに栄光あれ」の他に、「国民に栄光あれ!敵に死を!」、「何よりもウクライナを!」というフレーズも加わりました。
ウクライナ国民会議(Українська національна асамблея)党の実働部隊、ウクライナ国家自衛団(Українська націоналістична самооборона)がこれらのフレーズを使用しました。
ソ連崩壊後
ソ連崩壊後、このフレーズは主に国家民主主義者や民族主義者によって使われるようになりました。
21世紀のウクライナ
現在では、「ウクライナに栄光あれ-英雄たちに栄光あれ」というフレーズは「オレンジ革命」「ユーロ・マイダン革命」「ロシアによるウクライナ侵攻」などと結びついています。
このフレーズは、2018年からウクライナ軍と国家警察における公式な挨拶になっています。ウクライナ軍のすべての部隊で、戦死した兵士の葬儀で使用されています。また、解放された捕虜たちを自国で迎える際にも、同じ言葉が使用されています。
現代ウクライナの精神的主柱
「ウクライナに栄光あれ-英雄たちに栄光あれ」というフレーズは、ウクライナの過去と現在をつなぐ架け橋であり、長い間独立の戦いの象徴となっています。
2021年にウクライナ未来研究所が実施した社会学的研究によれば、半数のウクライナ人がこのフレーズを現代ウクライナ人の精神的主柱とみなしています。
戦時の使用
このフレーズは、20世紀のホロードニー・ヤールの人々にとっても、現代のウクライナを守る人々にとっても、非常に重要な意味を持っています。
多くのウクライナ人は、このフレーズを唱えながらウクライナのために戦っています。特に有名な例として、ウクライナ人捕虜オレクサンドル・マツィイェウシキーが、ロシア軍に撃たれる直前に「ウクライナに栄光あれ」と叫んだエピソードがあります。
このように「ウクライナに栄光あれ」というフレーズは、ウクライナの独立心、民族主義、そして抵抗の象徴となっており、多くのウクライナ人にとって、過去の闘争、現在の挑戦、そして未来への希望を表しています。
それは、危機の中にあってもウクライナ人のアイデンティティ、連帯、そして国家への愛着を強めているのです。
「われわれの土地を守ることを望む全ての人に武器を与える」演説で示すウクライナの意志
ウクライナのゼレンスキー大統領は、国民向けのテレビ演説で、ロシア大統領プーチンがウクライナを破壊しようとしているとの危機感を示し、ロシアとの国交断絶を宣言しました。
ゼレンスキー大統領は国民に平静を保つよう求める一方、「われわれの土地を守ることを望む全ての人に武器を与える」と述べ、決起を呼び掛けました。
また、ゼレンスキー氏は、演説で、「ロシアとの外交関係を断った」と明らかにしました。彼は、ウクライナ軍がロシアの攻撃をかわすために激しい戦闘を展開しているとした上で、「領土防衛に携われる者に武器を支給する。軍隊経験のある者は名乗り出てほしい」と国民に決起を呼び掛けました。
さらに、「負傷した兵士のために血液が必要となっている。献血をしてほしい」とも訴えました。
この演説は、ウクライナが直面している危機に対して、ゼレンスキー大統領が即座に行動を起こし、国民に自衛の意識を持たせ、自国の防衛に関与することを強く求めたことを示しています。
ロシアの侵略に対して、国際的な支援を求めつつ、国民一人ひとりにも積極的な行動を促すことで、ウクライナの主権と独立を守るための困難な選択を示したのです。
軍服ののような服装で世界へ訴える
同日、昼のテレビ演説では、軍服のようなカーキ色のTシャツを着用し、旧約聖書のダヴィデとゴリアテの物語に例えて、ウクライナが現在直面している戦いについて語りました。
ダヴィデとゴリアテの物語は、少数で弱小な存在が、勇気と巧妙な戦術で巨大な敵に立ち向かい、勝利するというものです。
この比喩は、ウクライナがロシアという巨大な勢力に対してどのように対処しているのか、また、少数であっても勇気と統一された行動がもたらす影響について、国民に希望と信念を与えるものでした。
「新たな鉄のカーテンが降りる音だ」西側諸国に支援を呼びかける
その日の夜、ゼレンスキー大統領は再びテレビ演説を行い、ウクライナ危機が国際的な問題であると強調しました。
特に西側諸国への警告が注目を集め、大統領は「戦争があなた方の玄関をたたくでしょう」とまで述べました。これは、ウクライナ問題が局地的なものでなく、全体的な安全保障環境に影響を与えうるという彼の認識を明確にしたものです。
演説では「新たな鉄のカーテンが下りてロシアを文明世界から切り離す音だ」という表現を用いました。これは、NATOや西側諸国に対し、冷戦時代の対立軸を思い起こさせ、より積極的な介入を促す狙いがあると解釈されています。
これは、冷戦初期の頃のチャーチル英首相を彷彿とさせる手法でした。
ウクライナ国民に対しては、国防への協力と連帯を求め、献血などを行ってボランティアや医療関係者も助けてほしい」と述べました。
そして世界の指導者に対しては、ウクライナの問題が結局は世界の問題であると主張し、「自由世界を率いるあなたたちがいま私たちに手を差し伸べなければ、明日はあなたたちが戦禍に見舞われるだろう」と力強く訴えました。
「これが最後の機会になるかもしれない」EU首脳の心を動かす
同じ日に、EU首脳とバーチャル会議を実施しました。この会議は、過去のどの事例にも当てはまらない危機的な状況でのバーチャル会議であり、いつ命を失ってもおかしくないゼレンスキー大統領による議会演説は、あまりにもドラマ的で歴史に刻まれるものになりました。
ゼレンスキーは議員たちをまるで昔からの友人のように扱い、ただの軍事指揮官や儀礼的な外交パートナーとしてではなく、不確かな状況における戦時のリーダーとして、現実を突きつけました。
ゼレンスキーのラフな服装と無精ひげは、その緊迫した状況をさらに強調し、議員たちに対する行動の緊急性を訴えました。
特に印象的だったのは、ゼレンスキー大統領が会議の終わりに「これが生きている私を見る最後の機会かもしれない」と言ったことです。その発言によってEU首脳は言葉を失いました。
その後、彼らはウクライナへの軍事支援を提供する決断を下すこととなりました。
「私は首都にとどまる。家族もウクライナにいる」ゼレンスキーの勇敢な声明
2022年2月25日、午前12時30分頃、ウクライナのゼレンスキー大統領は公式ソーシャルメディアに投稿されたビデオメッセージで、ロシアの破壊工作部隊が首都キエフに侵入し、自分とその家族を標的にしていると主張しました。
ゼレンスキー大統領は、ロシアが政治的にウクライナを破壊しようとしており、国家元首を破壊することでそれを達成しようとしていると述べ、自分はそのための主要な標的であり、二番目は自分の家族だと明らかにしました。
情報機関から、自身がロシアの第一の標的になっていることを知らされたにもかかわらず、ゼレンスキー大統領は「私は首都にとどまる。家族もウクライナにいる」と述べました。これは彼が政権担当チームとキエフにとどまり、家族もウクライナ国内に残るという意思を示すものでした。
「誰が私たちと一緒に戦う用意があるのか。見当たらない」ゼレンスキーのビの切実な願い
このゼレンスキー大統領のビデオ声明は6分あまりにわたり、そのメッセージはウクライナ国民だけでなく国際社会全体に向けられました。
ゼレンスキーは、ウクライナへの具体的な支援表明に感謝の意を示しつつ、目の前の現実に対する失望も露わにしました。
カーキ色のTシャツ姿で、髭は剃っておらず、明らかにやつれた顔をしたゼレンスキーは「誰が私たちと一緒に戦う用意があるのか。見当たらない」と嘆いたのです。
また、「今日、欧州27ヵ国に直接(ウクライナが)北大西洋条約機構(NATO)加盟国になることができるかと尋ねたが、回答がなかった」と述べました。その上で、「ウクライナは自ら守らなければならない。我々はロシアもいかなるものも恐れない」と強調しました。
この声明はNATOが前日にウクライナへの派兵計画はないと発表し、バイデン米大統領もウクライナへの派兵は検討しないという立場を明らかにした後に出されたものです。
ゼレンスキー大統領はビデオ演説後、ツイッター上で「効果的な国際社会の支援が必要だ」と訴えました。具体的には、自国に対する軍需品の支援やロシアに対する制裁を通じて、「ロシアを交渉のテーブルに着かせなければいけない」と強調しました。
このビデオメッセージとソーシャルメディアでの訴えは、ウクライナが直面している緊迫した状況と国際社会に求める支援の切実さを如実に表しています。
【演説②】「必要なのは弾薬であり、乗り物ではない」
ロシアの侵攻を受け、米国は逃げずに戦う決断を示したゼレンスキー大統領に、ロシアの暗殺対象であるとしてウクライナを離れるよう勧めました。
しかし、前述の通りゼレンスキーは首都キーウを離れませんでした。
ゼレンスキー大統領は米国の提案に「戦闘が続いている。必要なのは弾薬であり、(退避のための)乗り物ではない」という言葉で応じました。
これは2022年2月26日に在英ウクライナ大使がSNS上で明らかにしたもので、同大使館は「ウクライナ国民は自らの大統領を誇りに思っている」と自国の英雄を称えました。
ゼレンスキー大統領自身もは同日日、SNSに載せた映像で「我々は武器を捨てない」と投稿していました。
仮にゼレンスキー大統領が国外に逃げ出していたら、ウクライナ国民の士気が失われ、プーチン大統領による傀儡政権の誕生も否定できなかったでしょう。
ゼレンスキー大統領はこの言葉で、現地での状況の深刻さとウクライナに必要な支援の性質を強調したのでした。
その勇敢な決断は世界に影響を与えました。ゼレンスキー大統領は、プーチン大統領の独裁に立ち向かい、民主主義と人権を代弁する象徴となりました。
ゼレンスキー大統領とアシュラフ・ガニ大統領との対比
ゼレンスキー大統領の決断は、アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の行動と対比して、特に注目されました。
タリバンがカブール郊外に進出した際、ガニ大統領は速やかにカブールを脱出しました。これは残されたアフガニスタン軍の士気を大きく削いだとされています。一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアの軍事侵攻にもかかわらず、首都キエフに留まり続けました。米国からの勧告にもかかわらず、自身がロシアの暗殺対象であるとしても、ウクライナを離れることなく、政権担当チームと共にキエフに留まり、家族もウクライナ国内に残ると表明しました。
この行動は、多くの人々の心を動かし、ウクライナ国民の士気を高めました。ゼレンスキー大統領の勇敢な決断は、プーチン露大統領の独裁に対抗し、民主主義と人権を代弁する象徴になりました。これにより、米国とEUはロシアに経済制裁を科し、ウクライナに軍需支援を始めました。
一方、ガニ大統領の逃走は、アフガニスタン軍の士気を失わせ、アフガニスタン全土が速やかにタリバンの支配下に入る結果を招きました。この対比は、指導者の決断がその国の運命にどれほどの影響を与えるかを示す強烈な例となっています。
【演説③】「私たちはここにいる」ゼレンスキーはウクライナ国民に呼びかけた
軍事侵攻が始まってから2日目の2月25日の夜には、ゼレンスキー大統領はキエフの大統領官邸前に出て、政権幹部とともにスマホの自撮りでメッセージを撮影しSNSに公開しました。
この時、ロシア軍はすでにキーウのすぐそばまで迫っていました。
その危機的状況化で、ゼレンスキーは「みんなここに居ます。私たちの兵士たちもここに居ます。この国の市民もここに居ます。私たちはここにいて、私たちの独立と祖国を守っています。これからも続けます。祖国を防衛するものたちに栄光あれ。ウクライナに栄光あれ」と国民に呼びかけました。
この動画はわずか33秒間だけでしたが、その中でゼレンスキー大統領は、自らをはじめとする政府高官が皆首都キーウに残っていることと、国のために徹底抗戦する覚悟であること、そしてその先頭に自らが率先して立つことを明確に伝えました。
ゼレンスキーは見るからに寝不足でしたが、時折笑顔も見せ、ロシアの再三にわたる暗殺の脅しにもかかわらず、防弾チョッキやヘルメットを着用していませんでした。
「フェイクを信じないで」
さらに、翌日の早朝に自分の公式アカウントで「フェイクを信じないで」という文章と自らが語っている映像を投稿しました。
この中で「私が武器を置いて避難を呼びかけたというフェイクニュースが流れているが、私はここにいる。国を守る」と語っており、この投稿は、瞬く間に世界中に拡散されました。
「私はここにいる」大統領執務室から動画投稿
3月4日夜、自身のインスタグラムに動画を投稿し「私はここで仕事をしている。誰も国外脱出などしていない」と明言しました。
この発言は、ゼレンスキー大統領がウクライナ、特に首都キエフから逃げたとの噂に対する反応としてされたもので、ゼレンスキーは「私がウクライナ、キエフや執務室から逃げたとの情報が2日おきに出ている」とそのような嘘の報道に言及しました。
その腕「ご覧のように私はここにおり、イエルマーク大統領府長官もここにいる。誰もどこかへ逃げ出していないし、ここで我々は働いている」と強調しました。
「我々はジョギングが好きだが、今やそのための時間もなく、様々な有酸素運動を試みるひまもない」と軽くユーモアも交え、最後に「働いている。ウクライナに栄光あれ」という言葉で締めくくりました。
「隠れてなどいない」さらにビデオ演説を投稿
3月7日には、さらに最新のビデオ演説を投稿し、大統領執務室に留まっていると語りました。さらに「隠れてなどいない。そして私は誰も恐れていない。この戦争に勝つために必要な限り(私はキーウに留まる)!」と宣言しました。
動画の中でゼレンスキー大統領は、執務机に座って9分間にわたって演説し「だれもが自分の持ち場に就いている。私はキエフにいる。わがチームも一緒だ。領土防衛軍が配置され、兵士たちは戦闘態勢にある」と述べました。
この動画を撮影しているのがフェイクではなく、本当に7日の夜であることを証明するため、キーウの中心部にある大統領執務室から見える景色を映しました。これは、侵攻が始まってから大統領府にいるゼレンスキーの姿が確認された初めての映像になりました。
ロシア側のゼレンスキー国外逃亡デマを完全否定
このように、国家の危機の中で指導力を発揮し続けるゼレンスキー大統領は、ロシアのプロパガンダによるデマの対象にもなっています。
例えば、ロシア国営スプートニク通信は、ゼレンスキー大統領がポーランド国境に近い西部リビウに逃走したというデマを流しました。しかしこれは、前述のゼレンスキー大統領がSNSで公開した動画「私たちはここに居る」によって、速やかに否定されました。
この動画では、ゼレンスキー大統領の背後に立っている官僚が、撮影当時の日付と時間を示す携帯電話を持ち上げて見せ、ゼレンスキー大統領が語りかけています。これによって、大統領が逃亡したというデマは完全に否定されたのです。
ゼレンスキーのメッセージがプーチンのプロパガンダを打ち砕く
また、ゼレンスキー大統領の「私たちはここにいる」というメッセージは、プーチン大統領からの圧力、特にプーチンがゼレンスキー政権を「テロリスト」や「麻薬中毒者とネオナチの集まり」というプロパガンダを展開し、ウクライナ軍にクーデターを起こすよう呼び掛けたことに対抗するものでした。
ゼレンスキーのメッセージは、ウクライナ国内でこれまで批判的だった人たち、政敵までも味方につけることに成功しました。その結果、プーチンが仕掛けた“クーデターシナリオ”は実現しませんでした。
「100日間の守護」ゼレンスキーのメッセージが響くウクライナ
2022年6月3日、ロシアがウクライナに侵攻してから100日目に、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は、首都キーウの中心部で政権の幹部と共に自撮り動画を公開しました。
ゼレンスキーはこの動画の中で、ウクライナ軍が「世界で2番目に強い軍隊を100日間も食い止めた」とし、その結果「不可能と思われていたことを実現した」と宣言しました。
ゼレンスキーはビデオの中で、ダヴィド・アラハミア与党代表、アンドリー・イェルマーク大統領府長官、デニス・シュミハリ首相、ミハイロ・ポドリャク大統領顧問をひとりひとり「ここにいる」と紹介した後、自身も「大統領もここにいる。みんなここにいる」と述べ、侵攻直後の2月25日に公表した、政権の幹部たちと共に国に留まり、国民を守る決意を再確認しました。
ゼレンスキー大統領は、このメッセージの中で、「ウクライナの軍隊もここにいる。この国の国民もここにいる。私たちはすでに100日間、この国を守った。勝利は私たちのものになる。ウクライナに栄光を」と語り、国民に向けて勇気と希望のメッセージを送りました。
「戦争 or 作戦」プーチンの表現とウクライナ侵攻の真実
ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻の100日目である2022年6月3日も、「戦争」という言葉を避け、事態が平時であるかのような印象を与えることに専念していました。
ロシア政府はウクライナへの侵攻を「特別軍事作戦」と呼んでおり、プーチン大統領はこれを「戦争」とは呼んでいません。
その一方で、ロシア大統領府のドミトリー・ペスコフ報道官は、特別軍事作戦が100日を超えたことについて「作戦は一定の結果が得られている」との立場を示しました。さらに、作戦の終了時期について「目標が達成されるまで続く」と述べ、ロシア政府の公式な立場を明確にしました。
ウクライナ危機管理の調整官を勤めている、国連のアミン・アワッドは、ロシア軍のウクライナ侵攻から100日目に「この戦争に勝者はいなかったし、これからもいない」と声明を発表し、戦闘の即時停止を求めました。
危機が明らかにする真のリーダー「ゼレンスキーの軌跡」
ゼレンスキー大統領は、ロシアのウクライナ侵攻に際して、リーダーシップと決断力について多くの人々から高い評価を受けました。それは、侵攻が起こる前に批判的だった多くの人々の心も掴みました。
事実、2月26日から27日に実施されたウクライナ国内の世論調査では、「ゼレンスキー大統領を支持する」と回答した人が91%にのぼり、これは昨年の2021年12月の31%から3倍近く急上昇しています。
ゼレンスキー大統領のリーダーシップに対する評価や支持率大きく上昇していることは、特に緊急状況や危機に際して、リーダーがどのように行動するかがその評価に大きな影響を与えるという一例です。
ゼレンスキーの場合、元々はコメディアンで政治的な経験が少ないという背景があり、当初尾は多くのウクライナの知識層や専門家からは批判的な意見も多くありませした。しかし、ロシアによる侵攻に際して、ゼレンスキーが見せたリーダーシップと決断力、そして国民との連帯が高く評価された結果、その支持率が急上昇したのです。
このような国家の危機では、リーダーがどれだけ信頼され、どれだけ効果的な行動をとるかが、その支持率に直結します。ゼレンスキー大統領が実際に前線で兵士たちを励まし、国民に対してもオンラインで頻繁にメッセージを発信するなど、リーダーとしての姿勢をしっかりと示していることが、多くのウクライナ国民から支持されている理由の一つでしょう。
さらに、ゼレンスキーはウクライナ全土で頻繁にメッセージを発信することで、ウクライナ国民、そして国際社会に「私たちは抵抗している」という強いメッセージを発しています。これが国民の士気を高め、さらには国際社会からの支援を促している側面でもあります。
その姿はまるでイギリスの英雄「ウィンストン・チャーチル」!?
英ロンドン大学キングスカレッジの戦争研究科の客員教授で、歴史学者のアンドルー・ロバーツは、ウクライナの大統領であるヴォロディミール・ゼレンスキー氏を第二次世界大戦時に英国を率いたウィンストン・チャーチルになぞらえています。
チャーチルの伝記や「戦時リーダーシップ論 歴史をつくった九人の教訓(Leadership in War: Essential Lessons from Those Who Made History)」の著者でもあるロバーツは、「ゼレンスキー氏は、内なる真のチャーチルの声を聞いている」と述べました。
ロバーツによると、ゼレンスキーには「驚くべき個人的な勇気」や「国民と直接つながる能力」「妥協しない姿勢と究極の勝利への信念」など、チャーチルとの類似点がいくつもあります。
米国に拠点を置く戦略国際問題研究所(CSIS)の防衛専門家で、戦時リーダーシップ論に関する著作のあるエリオット・コーエンも、ゼレンスキーについて、「時来りてその人来たる」の典型的な例だと述べました。
多くの英国人にとって、チャーチルは第二次世界大戦の勝利を導いた英雄である。チャーチルは、独裁者アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツが欧州の各国に侵攻していく中で、同盟国のフランスが降伏したとしてもナチス・ドイツと最後まで戦うことを宣言しました。
その当時のイギリスは、ナチス・ドイツの攻勢により現在のプーチン率いるロシアによるウクライナ侵攻よりもさらに深刻な局面にありましたが、チャーチルは、英国民を鼓舞し、勇敢に戦い、最終的には連合国の一員として勝利に大きく貢献しました。
「物語の力」
アンドルー・ロバーツは、ウクライナの人々が、将来的に数十年、あるいは数世代にわたり語り継ぐ物語が、日々積み上げられていると指摘しています。
これは、「物語の力」の重要性を強調しており、第二次世界大戦中にイギリスを勝利に導いたウィンストン・チャーチルの卓越した「伝える力」を思い起こさせます。
ロバーツによればこの危機の中で、「ウクライナの人々が、この先の暗い日々だけではなく、今後何十年も何世代も語り続けることになる物語が、日を追って積み重なっている」と主張しました。
チャーチルと物語の力
第二次世界大戦中、イギリスの首相であったウィンストン・チャーチルは、その演説を通じて国民に希望と勇気を与えました。
チャーチルの有名な言葉で「我々は海岸で戦い、我々は上陸地点で戦い、我々は田畑で戦い、我々は街で戦い、我々は山で戦うだろう、しかし、我々は決して降伏しないだろう」というものがあります。
チャーチルはイギリス人に、自分たちの抵抗が絶対的な意義を持つというメッセージを伝えました。これらの言葉は、イギリスの「物語」の一部となり、国民のアイデンティティと結束を強めました。
ゼレンスキーと物語の力
同様に、ウクライナの大統領、ヴォロディミール・ゼレンスキーも、自身の演説と行動を通じて、ウクライナの人々に希望と勇気を与えています。
ゼレンスキーはウクライナの独立を守り、ロシアの侵略に立ち向かう姿勢を示しています。この態度は、ウクライナの人々に、彼らの抵抗が意味を持っているというメッセージを送り、国の「物語」を形成し、将来の世代に影響を与えるでしょう。
英雄の系譜!ゼレンスキーとチャーチルの勇気と信念のリーダーシップ
アンドルー・ロバーツやエリオット・コーエンの言葉にもあるように、ゼレンスキーのリーダーシップには、チャーチルと多くの共通点があります。ロバーツは、「ゼレンスキー氏は、内なる真のチャーチルの声を聞いている」と述べています。ゼレンスキー氏の「驚くべき個人的な勇気」や「国民と直接つながる能力」「妥協しない姿勢と究極の勝利への信念」は、彼を時の英雄、そして独裁者に立ち向かうリーダーとして描いています。
チャーチルがヒトラーのナチスドイツに立ち向かったのと同様に、ゼレンスキー氏もプーチン率いるロシアに立ち向かっています。これは、彼らが「物語の力」を使って、それぞれの国を勇気づけ、連帯感を醸成し、最終的な勝利へと導いた共通の方法だといえるでしょう。
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