【ウクライナ危機(41)】モスクワに迫る民主主義の足音!侵攻の要因「カラー革命”』

近年の政治的緊張が高まる中で、ロシアの外交政策が急速に変わりつつあります。特に、ウクライナ侵攻とその後の国際的な反応は、多くの専門家によってロシアの戦略の根底に何があるのかという質問を提起させています。

ロシアの行動は「カラー革命」と呼ばれる一連の民主主義運動に端を発していると指摘してする専門家もいます。

この記事では、モスクワに迫る民主主義の足音に焦点をあて、カラー革命がその動きにどのような影響を与えているのか、詳しく検証していきます。

【ウクライナ危機(40)】ロシアで続くLGBTQへの差別、ウクライナ侵攻との関係を探る
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世界は、戦争と革命によって動いてきた!中東戦争、湾岸戦争、フランス革命、ロシア革命…。人類の運命を動かしてきた様々な「戦争と革命」を辿ることで歴史の流れがすっきりつかめる!ニュースの「なぜ?」がわかる!超人気予備校講師による熱狂的ドラマチック世界史講義!(「BOOK」データベースより)

Color revolution

世界各地で巻き起こる民主的な革命!!「色の革命」

Eurasia/YouTube

ロシアのウクライナへの侵攻は、表面上は地政学的な目的を果たすものとして行われましたが、その根本には、民主主義や自由主義の価値観に対する攻撃が見て取れます。実際、プーチン政権の行動は、これらの価値観を持つ国々にとっての警告になっていました。

しかし、プーチンの意図とは逆にウクライナ人は一つに結束しました。

侵攻が始まった際、ウクライナは政治的に一部分断されていました。しかし、この危機状況がかえってウクライナ人の国民意識を高めたのです。

今や、民族や宗教、政治的背景にかかわらず、ウクライナの人々は民主主義と自由主義という共通の価値観を守る決意を新たにしています。

プーチンと民主主義の関係

プーチン大統領がウクライナへの軍事侵攻に踏み切った心理を読み解く鍵は、プーチンと民主主義との関係にあります。

過去の傷痕

ソビエト連邦の崩壊は、当時の国際政治に大きな衝撃を与えました。冷戦が終結した1989年からわずか2年後、1991年にソビエト連邦は壊れてしまいました。

ゴルバチョフ大統領はペレストロイカという改革を通じてソ連を立て直そうとしましたが、その試みは失敗に終わりました。特に1991年8月の保守派によるクーデターは、ゴルバチョフ政権の求心力を大きく損ね、結局同年12月25日にゴルバチョフは辞任を表明せざるを得ませんでした。

ソ連の崩壊は、米ソ二極体制の終焉を意味しました。それまで核軍拡競争や資源価格の低下で疲弊していたソビエト連邦は、民主化の潮流に押されて崩壊しました。その結果、米主導の西側は湾岸戦争にも勝利し、「歴史の終わり」と呼ばれる一時的な一極支配の時代が到来したのです。

民主主義をかかげ歩み出したロシアは空前の混乱と貧困に襲われる

この時期を経て、新たに独立したロシアは、急速な経済改革と民主化を試みました。

ボリス・エリツィンがロシアの初代大統領となり、民主主義と市場経済の導入を進めました。1992年1月から始まった「ショック療法」という急進的な市場経済化は、経済の自由化を目指したものでしたが、結果として政治的自由の空洞化や社会的混乱を招きました。

市場経済への急速な転換は、経済の極度な落ち込みをもたらし、多くの市民にとっては貧困と混乱の時代を意味しました。特に1993年には、エリツィン大統領が権力闘争の末に議会ビルを戦車で砲撃する「モスクワ騒乱事件」が発生し、その混乱は頂点に達しました。

ソビエト時代の終焉とその後の混乱は、「ロシアは一体どうなってしまうのか」という不安と疑問をもたらし、多くのロシア国民が自分の存在意義や目標を見出せない状況に陥りました。

やがてロシア国民は「変化」が悪い結果しかもたらさないと感じ、自由や民主主義よりも「安定」を求めるようになったといわれています。

プーチンの世界観の変化

ウラジミール・プーチンは、1999年にボリス・エリツィン大統領から大統領代行に任命されました。この時点でのプーチンは、後の年月で見せる世界観をまだ持っていなかったと考えられます。

プーチンは、ソビエト連邦の崩壊後の混乱期に、サンクトペテルブルグ市での役職やロシア連邦保安庁(FSB:連邦保安局、KGBの後継組織)のトップとして、旧ソビエト体制の崩壊を招いた人々のために働いていました。この時期、彼の思考は比較的欧米志向で、市場原理に基づいた考えを持っていたとされます。

プーチン自身も、この時期は欧米諸国と協力できると考えていたと思われます。

しかし、2000年代に入り、プーチンが大統領としてロシアを取り仕切る中で、プーチンの世界観は変わっていきました。

独裁的な統治

プーチンは、2000年にロシアの大統領に就任した際、比較的穏健な立場を取っていましたが、徐々に強力な中央集権体制を築き、独裁的な手法でロシアを統治するようになりました。

2011年、当時首相だったプーチンは、アメリカの副大統領ジョー・バイデンとの会談で、「ロシア人は欧米の人々とは違う。異なる文化や歴史を有している」と述べました。この発言は、プーチンが欧米との違いを強調し、ロシアの独自性を強化する方向に舵を切ったことを示しています。

プーチンは、ロシア人がヨーロッパの人々と異なると主張することで、自身の独裁的な統治を正当化しようとしました。その後、強力なリーダーシップの下、ロシアは民主的な原則から逸脱し、人権の制約、報道の自由の抑制、政治的な反対勢力の弾圧などが進みました。

ウクライナ侵攻とロシアの政治・社会構造

ウクライナへの侵攻は、ロシアのウラジミール・プーチン大統領の政策の一環と見られていますが、この問題にはロシアの政治体制と社会の構造が深く関わっているとも考えられます。

プーチンの戦争か、ロシアの戦争か…。民主主義の欠如と権力集中

一部の分析では、この衝突はプーチン大統領の指導力と、彼を取り巻く政治エリートによって引き起こされたという観点から「これはロシアの戦争ではない、プーチンの戦争だ」とも言われています。確かに、プーチン大統領の政策や決断が直接的な引き金となっている側面は否めません。

しかし、この問題を考える際には、ロシア内部の政治体制や社会の問題も無視できません。ロシアは、民主主義的なプロセスが不十分であり、多くの権力がプーチン大統領と、彼の周囲の少数のエリートに集中しています。このような構造下では、大きな政策決定が一人や少数のエリートによって行われる可能性が高く、その結果、広範な社会的議論や合意形成が省かれることになります。

民主主義がもたらす可能性

仮にロシアが真の民主主義国家であった場合、広範な議論と多様な意見が政策形成に反映される可能性が高く、今回のような戦争は避けられたかもしれません。民主主義の下では、様々な利害関係者が政策に影響を与え、一人または少数の人々が独断で重大な決定を下すことは少なくなるからです。

民主化運動「カラー革命」とロシアのNATOの反応

21世紀初頭、米国主導のNATOとロシアは一時期、比較的友好的な関係を築いていました。ロシアはNATOの「パートナー国」となり、NATOロシア協力理事会も設立されていた。しかし、この友好ムードに変化が訪れたのは、2000年代にNATO周辺国で連続して起きた「カラー革命」です。

カラー革命の背景と影響

「カラー革命」とは、2000年代初頭にソ連から独立した国々で発生した一連の民主化運動を指します。

バラ革命(グルジア、2003年)、オレンジ革命(ウクライナ、2004年)、チューリップ革命(キルギス、2005年)など、これらの運動は親ロシア政権を転覆させ、政権交代に成功しました。

その結果、ロシア政府は「カラー革命」を、政権の存続にとっての重大な脅威とみなすようになりました。

ロシアの解釈「アメリカによる勢力圏の切り離し

特にロシアにとって問題だったのは、この「カラー革命」が、アメリカをはじめとする西側諸国の支援を受けていた点です。その結果、ロシアはこれを「アメリカによるロシア勢力圏の切り離し工作」と解釈しました。このような認識から、ロシアはNATOとの関係に懐疑的な視点を強めるようになったのです。

カラー革命以後の関係悪化

「カラー革命」が頻発した後、ロシアはNATOとの関係を次第に冷却させ、独自の安全保障戦略を強化する方向に舵を取りました。NATOの東方拡大を警戒するロシアの立場と、NATO側のロシアに対する懸念が高まる中で、双方の関係は以前のような友好的なものとは言えなくなりました。

アメリカとロシアの対立する視点

アメリカとロシアは、カラー革命に対して異なる解釈を持っています。この違いは、その後の両国間の関係にも影響を与えた重要なポイントです。

アメリカの視点「民主化の第一歩

当時のアメリカの大統領ジョージ・W・ブッシュは、カラー革命を民主化の第一歩として肯定的に評価しました。

ロシアの視点「外国勢力による内政干渉

一方、ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、カラー革命をアメリカを中心とした外国勢力による内政干渉と捉えました。プーチンによれば、カラー革命はアメリカなどの財団による資金援助が背景にあり、その目的は親欧米政権を樹立することで、ロシアの安全保障に影響を与えることだとされています。

プーチンの世界観

プーチン大統領は、親欧米派の指導者たちがNATOへの加盟を望むことを、ロシアを刺激する行動と捉えています。彼は、ブッシュ大統領のNATO拡大を推進する姿勢に対して、「彼らはわれわれをだました」と述べ、NATOが中央ヨーロッパに進出していることに対して疑念を抱いています。

UKRAINE TODAY/YouTube

ソ連崩壊後からのロシアの不信の増加

ソビエト連邦(ソ連)の崩壊は、このようなロシアの視点に多大な影響を与えました。

それ以前にも、各地で非暴力的なカラー革命が発生していましたが、これは主に汚職や圧政に対する自然発生的な反抗とされていました。しかし、ソ連の崩壊とその後の旧共産圏諸国の政情不安が、ロシアの見方を変えたのです。

非暴力的なカラー革命

1974年のポルトガルの「カーネーション革命」や1986年のフィリピンの「黄色革命」は、米国が支持していた独裁政権に対する民間の蜂起でした。これらの革命は、多くの人々にとっては、汚職や圧政への反抗として捉えられました。

旧共産圏の崩壊

1989年のチェコの「ベルベット革命」において、旧共産圏の崩壊が加速しました。これ以降、ロシアはカラー革命について、米国が裏で糸を引いているという見方を強めました。

オレンジ革命とNATOの拡大

オレンジ革命をきっかけに、NATOはウクライナのロシア国境に部隊を派遣する可能性が浮上しました。バルト諸国がすでにNATOに加盟していたこともあり、これはロシアにとって「直接の脅威」となりました。プーチンは、この動きを強く批判しています。

親欧米派の指導者の影響

ミハイル・サーカシヴィリやヴィクトル・ユーシェンコといった、ウクライナの親欧米派の指導者は、ウクライナををNATOに加盟させることを望んでいました。これは、ロシアの安全保障を直接刺激する行動となりました。

ブッシュ米大統領の方針

当時のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュも、NATOの拡大と「民主化」の推進を主張しました。これは、ロシアにとってさらなる懸念事項となりました。

ロシアの見方の変化

ロシアは、ソ連の崩壊後、自国の影響力が失われつつあると感じました。このため、以降発生したカラー革命に対して「米国やその同盟国が裏で操作をしているのではないか?」との疑いを強めました。これは、ロシアの対外政策、特にアメリカとその同盟国に対する見方に深く影響を与えることになりました。

プーチンのNATOへの懸念と侵攻の決断

NATOを米国の策略の一環として捉えるようになったプーチンにとって、ウクライナがNATOへの加盟を進めようとした動きは、特別に警戒すべきサインとなりました。

その後、ウクライナがNATO加盟に向けた動きを加速させたことが、プーチンのレッドラインを超えることになり、ウクライナへの侵攻を決断させる重要な要因となりました。

「色の革命」の伝播リスク

さらに、「カラーの革命」がモスクワの赤の広場まで広がる可能性も考慮されました。これは、ロシア政府にとって、政権の安定に対する重大な脅威でした。

プーチンのパラノイア

一説によると、ウラジミール・プーチンは自身と国家、つまりロシアを一体とみなしています。プーチンにとって、自分自身の立場とロシアの立場は区別がないため、自身への攻撃はロシアへの攻撃と同義であり、逆もまた然りです。

この視点から、プーチンはアメリカが自身を陥れ、権力から引きずり下ろすための策略を進行中だと信じています。

プーチンの見る世界では、アメリカとその西側諸国は、自分が指導するロシアを弱体化させ、影響力を失わせることで、自国の利益を拡大しようとしています。

2011年ロシア下院選挙

2011年のロシア下院選挙の際、プーチンはヒラリー・クリントン国務長官(当時)とCIAが、彼を権力の座から追い落とすために陰謀を画策したと信じ、怒りを露わにしました。プーチンは、クリントンがロシアの反体制派に政権打倒のシグナルを送ったと考えました。

反プーチン運動

2011~2012年には、他の国の民主化運動に倣い、ロシアでもプーチン体制への反発が広がりました。これにより、「反プーチン運動」が拡大しました。政権による毒殺未遂の疑いがある反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイが2021年1月に逮捕されると、再び大規模な反政権デモが展開されました。

カラー革命とロシアの復活

プーチンは、これを「教訓」と「警告」と捉え、カラー革命をロシア復活を望まない米欧の陰謀とみなしました。

プーチンの内政における恐怖と疑念

プーチンが最も恐れたのは、他国の政変や革命よりも、自身が統治するロシア内で大規模な抗議やデモが起こったことでした。これはプーチンが自身と国家を一体とみなしているからで、そのような内部の動きは自らの政権、そしてロシアそのものに対する直接的で深刻な脅威だったからです。

この恐怖は、プーチンの心に民主主義とその支持者への病的な疑念を植え付けました。

プーチンの視点から見ると、安定した秩序を乱すデモや民主化運動は、外国勢力によって操られており、自分の政権を倒す目的で利用されていると見ることができます。

国防政策と軍事演習

プーチンは、2012年に公表した国防政策において、一連のカラー革命や「アラブの春」を「焚き付けられた紛争」と表現しました。

さらに、2013年に旧ソ連の同盟国と共同で実施した平和維持演習では、「強力な政治・経済的同盟に支援された武装勢力が資源利権を確保するために村を占拠した」というシナリオが取り入れられました。

これらの言動は、プーチンが民主化の動きやデモンストレーションを、外国勢力によるロシアへの介入として捉え、それに対抗するための措置を講じていることを示しています。

Associated Press/YouTube

マイダン革命とベラルーシの民主化運動

民主化運動を西側の陰謀とみなしているプーチンにとって、2014年のウクライナの「ユーロ・マイダン革命」は、プーチンにとって致命的な出来事でした。大規模な市民の抗議活動の結果、ロシア寄りの政権が崩壊しました。プーチンは、これを「アメリカの支援を受けたネオナチによる政権奪取」と非難しました。

この動きがベラルーシに飛び火することは、さらに深刻な事態を招く可能性がありました。そして、その懸念は現実になってしまいました。

ベラルーシの大統領アレクサンドル・ルカシェンコは、長年にわたって「欧州最後の独裁者」として知られています。2020年8月の大統領選挙で、ルカシェンコ大統領が6選を果たした際、反政府側は投票に不正があったとして選挙結果を拒否し、首都ミンスクなどで大規模な抗議活動が広がりました。

ルカシェンコ政権が倒れ、ベラルーシが自由民主主義陣営に進むと、ロシアは、ベラルーシとウクライナの旧ソ連領だった部分を失うことになります。これは、ロシアの地政学的影響力にとって大きな打撃となる深刻な脅威でした。

カザフスタンの暴動とロシアの介入

さらに2022年1月にカザフスタンの主要都市アルマトイで、燃料価格の高騰をきっかけに大規模な抗議デモが発生し、治安部隊とデモ参加者との間で激しい衝突が起こりました。これは、カザフスタンが旧ソ連から独立して以来最も暴力的な抗議デモの一つでした。

ロシアの懸念と介入

これを受けたロシアは、カザフスタンでの政変を阻止することが重要だと考えました。もし親欧米政権がカザフスタンで誕生すれば、キルギスタンやトルクメニスタンのような近隣の不安定な政権にもドミノ現象が及び、中央アジア全体が反ロシア化する可能性があるからです。

ロシアは、デモの鎮圧のために自国が主導している軍事同盟「集団安全保障条約機構(CSTO)の部隊を派遣することを決定しました。

プーチン大統領は、CSTOの緊急首脳会議でカザフスタンの暴動について「我々はカラー革命を容認しない」と述べました。

これは、抗議デモは外部勢力による政権転覆の試みであるというプーチンの見解を示すものでした。

日テレNEWS/YouTube

ウクライナ侵攻の真の理由は「カラー革命」の脅威?

米陸軍士官学校准教授のロバート・パーソンと元駐ロ大使のマイケル・マクフォールは、プーチンのウクライナ侵攻の真の目的はNATOの拡大を阻止することではなく、むしろウクライナにおける民主主義の拡大を阻止することであると主張しています。この論文で彼らは、プーチンが最も恐れるのは旧ソ連圏、特にウクライナでの民主主義の拡大であると論じています。

カラー革命とロシアの反応

特に注目すべきは、ロシアが「アメリカの支援を受けた」と主張する一連の「カラー革命」が、プーチンにとって最も大きな脅威であるという点です。

、2004年のオレンジ革命が旧ソ連圏で民主主義の波を引き起こしたことは、プーチンが旧ソ連圏でロシアの勢力圏を再確立しようとする計画に大きな打撃を与えました。文化的および宗教的にロシアに近いウクライナが民主化することで、ロシア国内でも同様の動きが起こる可能性が高まると考えられています。

ジョンソン首相の警告と一致

この分析は、イギリスのボリス・ジョンソン首相が最近行った発言と一致しています。ジョンソン首相は、プーチンがウクライナで止まらないでしょうし、ウクライナでの自由の終わりは、他の地域、特にジョージアやモルドバでの自由への希望も終わらせるだろうと警告しています。さらに、ジョンソン首相は現在の状況が世界にとっての転換点であり、自由と抑圧の間での選択が求められているとも述べています。

重要な共通点

両者の発言には共通点があり、それはプーチンが民主化の拡大を阻止しようとしているという点です。ウクライナにおける「自由の火」を消そうとするプーチンの動きは、彼が「カラー革命」に対して強い恐れを持っていることの表れであり、これがプーチンの長期的な戦略目標であると指摘されています。

パーソンとマクフォールの分析は、現在の緊迫した国際状況を理解する上で非常に重要な視点を提供しています。このような鋭い分析は、今後の政策形成や戦略の立案においても参考にされるべきです。

世界中で民主化支援をしてきた国「アメリカ合衆国」

アメリカは、外交政策において民主主義と人権を重視してきた歴史があります。この姿勢は、民主党・共和党問わず、歴代政権が継承してきた基本的な方針といます。アメリカはこのような価値観を追求することは自身の「ソフトパワー」の一つとも評価され、国際的な影響力に繋がっています。

しかし、政権によってはこの問題に対する熱量には差があり、様々な角度から批判も受けてきました。

ダブルスタンダードの問題

アメリカの民主化・人権促進に対する批判の一つは、ダブルスタンダードの問題です。

例えば、ある国では民主化や人権を強く支援する一方で、別のある国ではこのような価値観に対して消極的な姿勢を取ることがあります。このような状況は、アメリカの外交政策が一貫性を欠いているとの批判につながっており、国際的な信頼を損なう要因の一つになっています。

国際的な批判と国内的な議論

また、中国やロシアなどの国からは、アメリカが民主主義や人権を口実に、実は自国の国益の追求に利用しているだけであるとの批判がなされています。

これらの国々は、アメリカの民主化・人権促進政策の輸出は、その地域での影響力を拡大し、国際的な優位性を確保するための手段であると見なしており、介入主義として非難を繰り返しています。

アメリカの民主化・人権促進政策の輸出例「雨傘運動」

雨傘運動は、2014年の香港で発生した大規模な民主化の運動です。

この運動は、2014年9月26日から2014年12月15日まで続き、香港行政長官選挙の方法に対して抗議として始まりました。

抗議者は、香港の住民による直接選挙の実施を求めましたが、中国共産党はこれを拒否し、選挙候補者を中国共産党が承認した者に限定することを提案、その後確定しました。

この決定は、多くの香港市民にとって、中国共産党による香港の政治に対する影響力の強化を意味しました。

運動の名前である「雨傘運動」は、抗議者が警察の催涙スプレーに対して傘を使って防御した場面から取られました。抗議活動は、初めは平和的であったが、時間が経つにつれて激化し、警察との衝突が頻発しました。これに対して、香港政府は抗議を非合法とし、警察による抗議者への強硬な対応を指示しました。

運動の間、多くの市民や学生、活動家が香港の街頭に出て、香港政府と中国共産党に対して民主化を求める声を上げました。抗議者は、通りを占拠し、バリケードを設置し、香港政府の機能を一時的に停止させました。

雨傘運動の結果として、香港政府は選挙改革の議論を再開しましたが、抗議者の要求には応じず、結局中国共産党の影響下にある選挙制度が続くこととなりました。

この運動では、香港市民の政治的意識の高まりをもたらし、今後の民主化運動の火種になりましたが、直接的な政治的変更をもたらすことはできませんでした。

中国の反応

中国当局は、香港の抗議活動(雨傘運動)を自国の安定と秩序を脅かす動きとみなし、それを外国勢力、特に西側諸国によって扇動されたと主張しました。

中国共産党は、一貫して香港の抗議者たちを「分離主義者」「暴力主義者」「テロリスト」などとして描写し、彼らの要求の正当を否定し続けました。

また、この抗議活動を「カラー革命」の一環であるとの見方を示しました。そして、これらの活動が外国勢力によって操られ、香港と中国全体の安定を脅かすものであるという強いメッセージを発信し続けました。

South China Morning Post/YouTube

アメリカの関与と民主化運動の裏側

アメリカの全米民主主義基金(NED)が「雨傘運動」の一部に資金援助をしていると、中国共産党は長らく指摘してきました。つまり、これは外国勢力が香港の抗議運動に関与しているという主張でした。

確かに、アメリカ合衆国とその関連組織(NED.National Endowment for Democracyを含む)は、世界中で民主化を支援するために資金を提供しています。これは、アメリカの外交政策の一部として、民主主義と人権の促進を目指して行われています。

NEDの支援は様々な形で行われます。例えば、メディア組織に対しては、報道の自由を促進し、検閲に抵抗するための支援が行われます。労働組合に対しては、労働者の権利を守り、労働組合の組織化を支援します。人権団体に対しては、人権侵害の監視と報告、法的な支援、その他の活動の支援が行われます。

1983年、レーガン政権の時代に「他国の民主化を支援する」という名目で全米民主主義基金(NED)が設立されました。初期の段階では、中央ヨーロッパや東ヨーロッパでの民主化支援が隠密に行われ、アメリカはそのために批判されました。

レーガン政権下で設立されたNEDは、当初から反共産主義と民主化の推進を二つの主要な目的としていました。この時期、アメリカは冷戦下でソビエト連邦とその同盟国に対抗するため、世界各地で反共産主義勢力を支援していました。

NEDの設立は、アメリカがその目的を達成するために用いたいくつかの戦略の一つでした。NEDは、アメリカ政府の資金で運営される一方、非政府組織(NGO)として独立して運営されているため、アメリカ政府は、直接的な介入ではなく、間接的な支援を行うことができました。

これによって、アメリカ政府は民主化を推進するリーダーや組織を支援すると同時に、非民主的な政府に対する批判を避けることができました。また、NEDを通じた支援は、アメリカ政府がこれまで秘密裏に行っていた活動を、公に行うことができるようになりました。

これは、アメリカの外交政策の一環として、アメリカの影響力を世界中に広げるために用いられた戦略の一つでした。しかし、このアプローチは、他国の内政への介入と見なされる場合もあるため、批判の対象ともなりました。

National Endowment for Democracy/YouTube

親米の民主主義を広げるため、世界中のメディアや労働組合、人権団体に資金提供を行ってきたNPOだ。

トランプ政権「世界の民主化運動を支援するお金はもうない」/Newsweek.2018

レーガン政権は、人権がらみの民主化というより反共産アジェンダとして民主化支援を行った。 さらに、議会決議を経た政府拠出の民間機関として、1983年に全米民主主義基金(NED) を設 立し、非政府組織という大義による民主化支援を進めることにより、独裁国家への支援と並行し て民主化リーダーへの支援をすることが可能になり、また、これまで隠密裏に進めてきた活動を 公に、政府の政策とは別の独立した活動として行うことが可能になった。

米国議会調査局レポート民主化推進:米国対外援助政策の目的/Democracy for the Future – Japan Center for International

全米民主主義基金(NED)の設立の歴史

1970年代のポルトガルとスペインは、独裁政権から民主制への移行期にありました。ポルトガルでは1974年のカーネーション革命によってアントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザールの政権が終焉を迎え、スペインでは1975年にフランシスコ・フランコの死後に民主化が始まりました。

この歴史的な瞬間で、ドイツの政党財団が重要な支援を提供しました。第二次世界大戦後に民主制を確立した経験を持つドイツは、政党財団を通じて民主化プロセスに資金と専門知識を提供しました。これにより、ポルトガルとスペインの民主化運動は、それぞれの国で成功を収めました。

両国のリーダーは後に、ドイツの政党財団なしでは民主化の成功は困難であったと評価しています。

この事例は、民主化支援の歴史の中で、重要な一例となっています。それは、民主化支援が、他国の内政に介入するための道具としてだけではなく、民主化を進めるための有用な手段として、国際社会に受け入れられた瞬間を示しています。

ワシントンの対応

ポルトガルとスペインでの民主化支援の成功は、ワシントンの政策立案者に大きな影響を与えました。これがきっかけとなり、レーガン大統領はイギリス議会で民主化支援の重要性について演説し、その翌年の1983年に「他国の民主化を支援する」という大義名分の下で、全米民主主義基金(NED)が設立されました。

しかし、NEDの設立初期には、中央ヨーロッパや東ヨーロッパの民主化支援を隠密に行ったことが、批判の対象となりました。さらに、NEDが公然と民主化支援を行うようになったことに対しても批判が起こりました。これらの批判にもかかわらず、アメリカは民主化支援を本格的に展開していきました。

CIAのフロント機関としてのNED

実際、NEDは反米的な国の政権交代(あるいは体制転覆)を支援するために、その国の反対派に資金援助などを行ってきた組織であり、一部ではCIAのフロント機関とも呼ばれています。アメリカはかつてCIAを通じて、他国の内政に秘密裏に介入していましたが、これは多くの批判を受け、アメリカの国際的な評価を下げる要因となっていました。

NEDの設立は、このような問題に対する一つの解決策でした。

NEDのデービッド・イグナシウス会長代理は1991年のインタビューで以下のように述べています。

「当時と今の最大の違いは、大っぴらに活動しているので、後で批判される可能性が少ないということ。オープンであることは即ち、自己防衛だ」

「今我々がやっていることは、25年前にCIAが秘密裏にやっていたのと同じことだ」

非政府組織(NGO)として、かつ政府からの資金を受けて活動するNEDは、アメリカが民主化を促進するための新しい手法を提供したのです。これにより、アメリカは公然と民主化を支援することができるようになりました。

NEDの資金の流れと活動

NEDはアメリカ国務省から資金を受け取り、その資金を民主化を目指す他のNGO・NPOへ分配します。具体的には、国際共和協会(IRI)、全米民主国際研究院(NDI)、国際民間企業センター(CIPE)、米国国際労働連帯センター(ACILS)の4つの組織のいずれかを通じて資金が分配されます。これらの組織は、その後、世界各地の民主化運動を支援するために資金を使います。

資金の規模

NEDは毎年アメリカの国家予算から資金提供を受けており、その中にはUSAID向けの予算も含まれていますが、NEDは非政府組織の扱いを受けています。2004年9月の会計年度におけるNEDの歳入は8,010万米ドルであり、そのうち7,925万米ドルが米国政府部局から、60万米ドルが他の寄付収入などでした。

資金の使用目的と革命

NEDからの資金は、IRI、NDIなどの組織に提供されるだけではなく、「反米国家」の「NGO」「NPO」に流れ、ることで「民主化」という名の「革命運動」に使用されるケースもあります。

これにより、NEDの支援金は間接的に各国の革命運動を支援していることになります。

Reagan Library/YouTube

ロシアにおけるNGOの規制

「カラー革命」の後、ウラジミール・プーチン大統領は、アメリカや欧州諸国による民主化支援の動きを警戒し、ロシア国内のNGOの活動を規制するために行動を起こしました。

カラー革命は、市民が中心となり政権交代をもたらした一連の運動でしたが、その背後には欧米の組織、特に民主化を支援するNGOや特務機関(例:CIA)の影響があったと広く考えられています。

同じような動きがロシアでも起こること恐れたプーチンは、その対抗措置として国内でのNGOの活動を規制する法律を制定しました。これにより、外国からの資金を受け取るロシアのNGOは「外国の代理人」として登録され、その活動に一定の制限がかけられることになりました。

NGOと米国政府の関係とその結果

民主化を支援するNGOは、アメリカ政府の指揮下で動いているわけではありません。多くのNGOは独立しており、自らの信念や計画に基づいて行動しています。このため、NGOが起こす騒動がアメリカ政府を窮地に追い込むこともあります。

アメリカ政府のジレンマ

アメリカ政府は、「民主化」という言葉に対しては表向きに支持せざるを得ない状況にあります。

これは、アメリカが歴史的に民主主義や人権を推進する国であるため、国際的なイメージを考慮する必要があるかです。しかし、過去に軍を送って失敗したイラクのような事例を考えると、そのような行動は避けたいというのがアメリカ政府の本音だといえます。

たとえ政権転覆に成功したとしても、民主化や経済発展が進まないケースが多く、多くの場合は新たな権力者が国内の利権を掌握し、腐敗した強権政治を続けています。

悪化する状況

最悪の場合、民主化の過程で国内の微妙な力関係、民族、クラン、利権などバランスが崩壊し、以前よりもさらにひどい内戦状態になる場合もあります。

具体的に最悪の状況にしてしまった事例では「イラク」「リビア」「シリア」があてはまります。そして、その状況の一端を担った西側のNGOは、この事態に対して責任を取ることはなく、責任を取る力もありません。

闇が深すぎる工作活動の世界

国際政治の舞台で展開される活動の多くは、表向きは公然と行われているが、その裏には深い闇が潜んでいます。例えば、NGOの活動は、多くの場合、民主化や人権の向上を目的として行われていますが、これらの動きの裏には、時に政府の指示によって行われる工作活動が存在することもあります。

現実に、ロシアや中国は、米国のNGOを非難していますが、米国を上回る資金を投じて世界中で様々な工作活動を展開しています。これらの国々は、自国の政治的・経済的影響力を拡大するために、様々な方法で他国に対して影響を与えようとしています。

中国は「一帯一路」構想を進める一方で、各地に資金を供給しインフラの建設を支援しています。これによって、受け取り国は中国に政治的に依存することが増え、中国の影響力が拡大する可能性が高まります。

また、ロシアもエネルギー供給をツールとして利用し、ヨーロッパ諸国に対して政治的影響力を行使しようとしています。

これらの動きは、国際政治の舞台で行われる、様々な利害関係と野心が絡み合う複雑な状況を浮き彫りにしています。

現代の民主化支援

21世紀に入り、民主化支援の形は多様化しています。情報技術の進歩により、インターネットやソーシャルメディアを通じた民主化の推進が可能になりました。NEDや他のNGOは、オンラインメディア、市民ジャーナリズム、そしてアクティビズムを支援することで、様々な国々での民主化を促進しています。

ただし、これにはリスクも伴います。インターネット上の情報は、様々な勢力によって操作される可能性があります。また、一部の国々では、政府がインターネットを厳しく監視し、制御しています。このため、オンラインでの民主化支援が、実際に逆効果をもたらす可能性も考えられます。

最終的に、民主化支援は、様々な形で進められていますが、その効果は異なります。国や地域の文化、政治状況、経済状況などによって、その成果は大きく異なる可能性があります。アメリカや他の西側諸国は、民主化支援を進める一方で、その影響とリスクを考慮する必要があります。

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