ロシアは近年、同性愛者及びLGBTQコミュニティに対する権利制限を進めてきた。これは国際的な懸念を呼んでおり、ヨーロッパやアメリカなどの国々からは人権侵害だとの非難が高まっています。
一方で、2014年にウクライナに侵攻しクリミア半島を占拠したロシアの背景にも、LGBTQ問題が影響している可能性が指摘されています。
本記事では、ロシア政府のLGBTQに対する方針、それが国際的な関係に与える影響、ウクライナ侵攻との関連性について、詳しく解説していく。
【ウクライナ危機(39)】国際的なキリスト教世界が結束、ロシアへの批判拡大。ウクライナ正教会が関係断絶へ―『孤立するロシア正教会』
Lesbian, Gay, Bisexual, Tansgender, Queer
ウクライナのLGBTQ(性的マイノリティ)
ウクライナがロシアの侵攻を受ける中、ウクライナ国内のLGBTQ(性的少数者)コミュニティも、多層的な恐怖に見舞われています。戦争による直接的な犠牲はもちろん、ウクライナがロシアに占領された場合の迫害に対する懸念も強まっています。このような状況の中でも、ウクライナのLGBTQコミュニティは団結し、戦争に立ち向かう覚悟を見せています。
ウクライナ最大のLGBTQ権利擁護団体である“キエフ・プライド”のレニー・エムソン代表は、LGBT向けのサイトPinkNewsに対して、「必要があれば、LGBTQコミュニティは戦う用意がある」「この点で私たちは一致団結しています。ジェンダーアイデンティティや性的指向に関係なく、みんな一緒に、前に進むのです」と強く主張しました。
侵攻が始まった日には、キエフ・プライドはTwitterで「私たちは強くあり続ける、怖気づいたりしない」と宣言しました。
キエフ・プライドのエドワード・リース代表は、CBSとのインタビューで「ウクライナはヨーロッパの国です。私たちには10年のプライドマーチの歴史があります」と胸を張りました。
また、「私たちはロシアとは全く異なる道を歩んできました。人々の人権やLGBTQ、女性の権利などについての意識が変わっていく様を見てきました。ですから、ロシアに与することは少しも望んでいません」とも付け加えました。
このように、ウクライナとロシアの対立は単なる領土問題以上の、文化的・価値観の対立とも言えます。特に、LGBTQの権利という点で両国は大きく分かれており、これがウクライナ人の中で「ロシアとは根本的に違う」という意識を一層強くしているのかもしれません。
セクシャリティとアイデンティティ
人間のセクシャリティは非常に多様なもので、そのバリエーションは一人一人異なります。多くの人々は、自分の身体の性と心の性が一致し、異性を恋愛の対象としています。しかし、それは一つのパターンに過ぎず、他にも同性を恋愛対象とする人、両性を恋愛対象とする人、どちらも恋愛対象としない人、また、身体の性と心の性が一致していないと感じる人など、様々なセクシャリティが存在します。
LGBTQとは
これらの多様なセクシャリティを包括的に示す言葉が、LGBTです。これは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取った言葉で、性的マイノリティを指します。最近では、「性自認や性的指向は4つのカテゴリーだけではない」という考え方が広まり、LGBTQという言葉もよく使われます。「Q」はクィアまたはクエスチョニングを意味し、クエスチョニングは自分のセクシャリティが定まっていない、またはあえてカテゴライズしないという状態、クィアは多様性のある性的マイノリティ全体を包括する言葉とされています。
ウクライナのLGBTQコミュニティ
ウクライナにおいて、LGBTQコミュニティは長らく厳しい状況に立たされてきました。社会全体での同性愛への受け入れが低く、例えば、8割以上の人々が同性カップルに否定的な感情を持っていたというデータもあります。また、宗教組織ではLGBTQに対する反発が特に強く、同性婚はもちろん、LGBTQの権利に関連する法律も進展していません。
しかし、近年では、LGBTQの権利向上を求める動きが進んできました。特に、東欧の他の国々からウクライナに逃れてきたLGBTQコミュニティの人々が集まり、ウクライナが東欧のLGBTQコミュニティの一つの拠点となっていました。
ウクライナのLGBTQコミュニティの現状
ロシアの侵攻前でもウクライナでのLGBTQ生活は困難でしたが、侵攻によってさらなるプレッシャーがかかっています。
特に、緊急時に国を離れる際、トランスジェンダーの人々は身分証明書とアイデンティティの不一致から、ボディチェックを受ける、拘束される、虐待される可能性が危惧されています。
さらに、ウクライナでは2016年にトランスジェンダーの施設入院が廃止されましたが、それでもなお、LGBTQI+ コミュニティの支援に関しては、他のヨーロッパ諸国に比べて不十分です。ILGA-Europeの調査によれば、ウクライナはヨーロッパ49カ国中39位と低い位置にあります。
一方で、ウクライナ政府はトランスジェンダーに対する手続きの不透明さを解消しようと努力しています。
例えば、LGBTQI+活動団体KyivPrideの報告によれば、現在、トランスジェンダーが強制的に入院されることはなくなりました。ただし、トランスジェンダーの人々は、性転換症または性の不一致を証明する精神鑑定診断書の取得が必須であり、このプロセスには通常、約2週間かかるのが現状です。
「ソドミー法」ナチス・ドイツの同性愛者迫害とLGBT
ドイツの同性愛に関する法律は、過去に数度の変遷を遂げています。19世紀に成立したドイツ帝国は、「ソドミー法(刑法175条)」を全国に統一して施行しました。
この法律は、男性同士の性行為を犯罪と見なしていました。このような状況の中、第一次世界大戦後に到来したワイマール共和国(1919年-1933年)の時代は、LGBTに対する態度が一変しました。
この法律は、1871年にドイツ帝国が成立した際に、全国で統一された刑法に組み込まれました。しかし、その前から、多くのドイツ諸邦では同様の法律が存在していました。
性科学研究所
ワイマール共和国の期間中、特にベルリンはLGBTの文化が非常に活発で、多くの人々にとっては比較的安全な場所でした。この都市にはゲイバー、クラブ、キャバレーが多数存在し、LGBTに関する出版物も出回っていました。
このリベラルな雰囲気は、性科学者でありLGBT権利活動家のマグヌス・ヒルシュフェルド博士が「性科学研究所(Institut für Sexualwissenschaft)」を設立したことで一層促進されました。
ヒルシュフェルドは、LGBTの権利を守るべく、ソドミー法の廃止を求めるキャンペーンを展開しました。彼の努力は、ワイマール共和国時代のリベラルな風潮と相まって一定の成功を収めたとされます。
ナチス政権
しかし、1933年にナチスが政権を掌握すると、事態は一変しました。アドルフ・ヒトラーとナチス党は、同性愛者を「社会の敵」とみなし、彼らの迫害を開始したのです。
ヒトラーは、男性同性愛者を「異常」で「男らしくない」とみなし、これをソドミー法で罪としました。この法律は、元々男性同性愛を犯罪としていたものですが、ヒトラーによって処罰の対象が拡大されました。
ヒトラー政権は、子孫を増やすことを重視していたため、子供を作らない同性愛関係は、ナチスのアーリア人増加政策に反するものとされたのです。
中でも秘密警察ゲシュタポの同性愛者の逮捕と迫害は熾烈を極めるものでした。多くの同性愛者が逮捕され、強制収容所に収容されました。これには、十代の若者も多く含まれていました。
ドイツ史上、同性愛に関連した有名な事件として、オイレンブルク事件とレーム事件(1935年)が挙げられます。オイレンブルク伯は、皇帝ヴィルヘルム2世の側近でしたが、彼とその友人たちが男性同性愛者であるということが、政治的な攻撃の材料とされました。
ナチス時代の女性同性愛者と非ドイツ人同性愛者
ナチスの同性愛者に対する迫害政策は、特定の層や状況に対して異なる対応を取る場合がありました。女性同性愛者は一般的には男性同性愛者ほど厳しく迫害されませんでした。
これは部分的には、ナチスが「アーリア人」の増加を奨励する方針に基づき、女性は子供を産む「役割」を担っていたと見なされたためです。
しかし、このことは女性同性愛者が全く迫害されなかったわけではなく、一部は「反社会的女性」として強制収容所に送られるなどの運命に見舞われました。
また、ドイツ人以外の同性愛者も、特定の状況下では一般的に迫害の対象から外されることがありました。例えば、彼らがドイツ人と関わりを持っていなければ、ナチス政権はそれほど関心を持たない場合がありました。
ただし、これは絶対的なルールではなく、多くの外国人同性愛者もまた迫害の対象となりました。
ナチスは「民族共同体」の理念に基づいて、一部の同性愛者が「改心」して「正常な」生活を送るようになった場合、その人々を社会に再統合する方針も示していました。ただし、このようなケースは少数であり、多くの同性愛者が非人道的な治療や強制収容所での厳しい生活条件下で命を落としています。
強制収容所におけるグループ分けと「トライアングルのマーク」
ナチスの強制収容所に収容された人々は、それぞれが所属するグループによって異なる色の逆三角形の布のマークを囚人服につけられ、グループ分けされていました。このマークは、ナチスによる様々なグループへの迫害の階層を示していました。
- ユダヤ人は黄色のトライアングル
- 政治犯は赤のトライアングル
- 刑事犯は緑のトライアングル
- 反社会分子とされた人たちは黒のトライアングル
- 新興宗教信者は紫のトライアングル
- ロマ人は茶色のトライアングル
- 男性同性愛者はピンクのトライアングル
これらのマークは、収容所での囚人の階層を示し、彼らに対する処遇の違いを示していました。例えば、ユダヤ人とロマ人は「人種的に劣った」とされ、最も厳しい迫害を受けました。男性同性愛者も、社会から排除されるべき「異常者」とされ「ピンクのトライアングル」をつけさせられました。
「ソドミー法」には、女性の同性愛は含まれていなかったため、女性同性愛者は法律的には処罰の明確な対象にはなっていませんでした。しかし、一部の女性同性愛者が「反社会的」とみなされ、強制収容所に収容されたと言われています。これらの女性たちは、他の「反社会分子」と同様、黒のトライアングルをつけさせられました。
このように、ナチスの強制収容所における囚人のグループ分けと、それに付随するトライアングルのマークは、ナチスによる様々なグループへの迫害の階層と、その厳しさを示していました。
LGBTQの収容所での迫害
「ピンクのトライアングル」をつけられた男性同性愛者は、収容所内での階層の最下層に位置づけられ、他の囚人からも差別と暴力を受けることが多かったとされています。
また、正確な数字は不明ながら、多くのLGBTQの人々が逮捕され、精神的・肉体的虐待を受け、強制労働を強いられました。彼らは多くの場合、収容所内で最も厳しい条件下で生活を強いられ、最も危険な仕事に従事させられました。
収容所で命を失ったLGBTQの人々の正確な数については、資料や記録が不完全であるため、正確な数字は不明です。一部の研究者は、1万人程度が強制収容所に送られたと推定していますが、他の研究者は、その数は5万人から10万人にも上ると考えています。
また、強制収容所で死亡した同性愛者の数も、不明な点が多いです。これは、他の理由(例えば、政治犯やユダヤ人)で収容されたため、正確な数を把握することが困難であるためです。
一部の資料では、5千人から1万5千人が死亡したとされていますが、他の資料では、その数は15,000人から60,000人にも上るとされています。
いずれにせよ、数多くのLGBTQの人々が命を奪われてしまいました。
世界は同性愛が違法…LGBTQ運動の進展
第二次世界大戦後、ホロコーストの生き残りが補償や支援を受ける中、LGBTQの生き残りは、そのような支援を受けることができませんでした。
戦後のヨーロッパでは、多くの国で同性愛が違法とされていたため、ナチスによる迫害について話すことができませんでした。
そのため、戦時中のナチスによる迫害に対する補償も、LGBTQのコミュニティにはほとんど行われませんでした。多くの場合、彼らは戦後の補償制度の対象とされず、その経験が一般的に認識されることも、公的な支援を受けることもできませんでした。
このような状況下で、LGBTQの生存者たちは社会から排除され、家族や友人からも遠ざかり、職場での差別など、多くの困難に直面しました。また、ナチスによる迫害の体験が精神的トラウマを引き起こす原因となり、多くのLGBTQの生存者が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神的な問題に悩まされることとなりました。
ピンク・トライアングルのシンボル
1972年、ナチスの強制収容所を生き残ったゲイのハインツ・ヘーガーが、『ピンク・トライアングルの男たち―ナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記録 1939-1945』という本を出版した。
この本は、ナチスの強制収容所でのLGBTQの迫害についての最初の公表された証言の一つであり、世界中で大きな反響を呼びました。
ヘーガーの本の出版をきっかけに、ピンク・トライアングルがLGBTQの追悼のシンボルとして、また、ホモフォビアに抵抗するシンボルとして、世界中で広まりました。特に、ゲイ解放運動の中で、ピンク・トライアングルは、ナチスによる迫害の歴史を忘れず、また、現代のホモフォビアに立ち向かうための重要なシンボルとなりました。
この運動の一環として、アムステルダムには、迫害を受けた同性愛者を追悼するためのピンク・トライアングルの記念碑が建立されました。
この記念碑は、ナチスによる迫害の犠牲者を追悼し、また、現代のLGBTQコミュニティにおいても、ホモフォビアに対して抵抗し続けることの重要性を示す象徴となっています。
レインボーフラッグの誕生
1978年には、サンフランシスコの芸術家ギルバート・ベーカーがレインボーフラッグをデザインしました。彼は、このフラッグをLGBTQコミュニティの多様性と誇りを示すシンボルとして考えました。元々のデザインは、8色のストライプで構成されており、それぞれの色がコミュニティの異なる側面を表現していました。
このフラッグは、1978年6月25日に開催された「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」で初めて公の場で使われました。その後、レインボーフラッグは、世界中のLGBTQコミュニティに受け入れられ、PRIDEのシンボルとして広まりました。
レインボーフラッグが広まる一方で「ピンク・トライアングル」も引き続きLGBTQのシンボルとして使われました。
シンガポールの「ピンクドット」イベントは、その一例です。このイベントは、LGBTQのコミュニティの権利と認識を支援するためのもので、ピンクのドットが、コミュニティの団結と誇りを示すシンボルとして使われています。
同性愛の医学的認識の変遷
国際社会社会に対するLGBTQの運動が進展していく一方で、同性愛は医学的には病気と認識されていました。
同性愛が病気や精神障害として医学的に認識されていた時期があることは、LGBTQコミュニティにとって長い間、大きな問題でした。国際的に権威ある組織である世界保健機関(WHO)も、その国際疾病分類(ICD)で、1980年代まで同性愛を「精神障害」として分類していました。
1948年のICD-6では、「セクシュアリティの逸脱」として、1965年のICD-8では「セクシュアリティの逸脱・障害」として、同性愛が分類されていました。
この位置付けは、1990年に発表されたICD-10で変わりました。「性の方向づけそのものは障害とはみなされない」との注釈が追加され、これによって同性愛は「疾病」「障害」としての分類から外されました。
その結果、1990年5月17日にWHOは、同性愛を国際疾病分類から除外しました。この日を記念し、2005年から5月17日は国際反ホモフォビアの日(IDAHO)として、世界中で認識されるようになりました。
ドイツのソドミー法の変遷
一方、ドイツでは、同性愛を禁止していた「ソドミー法(刑法175条)」の問題が続いていました。この法律は、男性同士の同性愛関連の行為を犯罪としていました。
東ドイツでは1968年の刑法改定でこの条文が削除されましたが、西ドイツでは1968年にナチス時代以前の条文に戻されたものの、継続して施行されました。
そして、東西ドイツ統一後の1994年に、ようやくこの法律が撤廃されました。
「ソドミー法」が撤廃
一方、ドイツでは、同性愛を禁止していた「ソドミー法(刑法175条)」の問題が続いていました。この法律は、男性同士の同性愛関連の行為を犯罪としていました。東ドイツでは1968年の刑法改定でこの条文が削除されましたが、西ドイツでは1968年にナチス時代以前の条文に戻されたものの、継続して施行されました。
そして、東西ドイツ統一後の1994年に、ようやくこの法律が撤廃されました。この法律の撤廃は、ドイツにおけるLGBTQコミュニティの権利の進展の重要な一歩でした。
これらの変遷は、国際的なLGBTQ運動の進展の一部であり、多くの国々でLGBTQの人々の権利が進展し続けていることを示しています。
ウクライナ危機とLGBTQの弾圧
話をウクライナ危機に戻します。
ウクライナ危機において、ロシアのプーチン大統領は様々な理由を挙げてその行動を正当化しています。
この中には、NATOの拡大を止めるため、ロシア人を保護するため、そして「非ナチス化」を行うためといったものがあります。
しかし、これらの主張の正当性にはばらつきがあり、特に「非ナチス化」は具体的な根拠に欠け不明確です。実際、ナチスのような蛮行はウクライナではなく、ロシア政府の支持を受けているチェチェン共和国で行われていると指摘されています。
チェチェンのLGBTQ問題とウクライナ危機
チェチェンのLGBTQ問題とウクライナ危機は、表面的には異なる問題のように思えますが、両者は密接に関連しています。
ロシア政府の後ろ盾があるチェチェン共和国では、LGBTQコミュニティに対する大規模な弾圧が報告されています。この弾圧には拷問、不法拘束、さらには殺害も含まれており、人権団体からも非難されています。
チェチェンはカフカス地方に住むイスラム系の民族で、1990年以降、2度にわたりロシアからの独立を求めて戦争を起こしました。
しかし、ロシアのプーチン大統領は、チェチェンの独立派の中心人物であったアフマド・カディロフを懐柔するために利権を与え、「ロシアの犬」と呼ばれるような存在に仕立て上げました。現在、アフマドの息子であるラムザン・カディロフがチェチェンを独裁的に支配し、私兵をウクライナに派遣しています。
ラムザン・カディロフは、LGBTQ問題についても非常に厳しい立場を取っています。カディロフは過去にテレビのインタビューで、チェチェンでLGBTQの人々が拉致や拷問を受けているとの報告について尋ねられた際、笑いながら「この国にゲイは存在しない。もしいるならカナダにでも連れてってくれ。民族浄化のためにもいらない」と答えました。
大規模な組織的弾圧
チェチェンは、同性愛者(特に男性)への差別が元々根強い社会的背景が存在しています。それでも以前は、目立たないように生活すれば、性的マイノリティであっても比較的平穏に暮らせたとされています。
しかし、2017年に違法薬物に関連した捜査によって状況は一変しました。事の発端は、違法薬物使用の疑いで捜査された男性の携帯電話から、同性愛者を示す写真が見つかったことでした。
この発見を受けて、当局はその男性の連絡先に登録されていた他の男性たちを次々と拘束していきました。拘束された男性たちは、殴打や電気ショックの拷問を受け、情報を強制的に提供させられました。この方法によって、当局は同性愛者と疑われる100人以上を芋づる式に特定し拘束しました。
この時の拷問によって、多数の死傷者や行方不明者が出たとされ、このような弾圧はその後も繰り返されました。2018年12月以降、少なくとも2人が拷問で死亡したと報告されています。
また、2021年6月には家族から性的指向を理由に暴行を受け、隣接するダゲスタン共和国の保護施設へ逃れていた22歳の女性が、チェチェンの警官隊によって強制的に連れ戻される事件が発生しました。
これらの事例は、世界各国でチェチェンの同性愛者弾圧に関する報道を引き起こし、非難の声を高める要因となりました。
ロシア政府は迫害の事実を認めず
チェチェンの性的マイノリティが絶え間ない恐怖に直面している一方、ロシアの活動家たちは彼らをモスクワの隠れ家に匿い、追っ手が迫る中、安全な海外への脱出を支援するために秘密裏に活動しています。
これらの活動家たちは、カディロフ首長とロシア政府が性的マイノリティへの弾圧を黙認していると非難していますが、ロシア政府は公式にはこれらの迫害を認めていません。
ナチスドイツ時代の同性愛者への迫害と非常に似た状況にもかかわらず、ロシア政府の対応は不十分であると広く考えられています。この事実が、プーチン大統領がウクライナに軍事侵攻を行った際に特に顕著でした。
侵攻の目的は不明瞭ですが、もし親ロシア派の傀儡政権の樹立が目的であれば、ウクライナの性的マイノリティも、チェチェンでの事態と同様の危機に直面する可能性があります。
ロシアのLGBTQ+コミュニティへの迫害「知られざる現実」
ロシア全土でLGBTQ+コミュニティは厳しい状況に直面しています。法律による制約だけでなく、社会的な偏見や暴力も日常的に存在しています。SNSを使ってゲイのフリをして誘い出し、監禁・虐待し、その様子をSNSで公開するという行為すら行われています。
歴史的に、ロシア社会は同性愛に強い嫌悪感を抱いています。ソビエト連邦時代、同性愛は刑法で「犯罪」と位置づけられていたが、1993年にはその条項が削除されました。
しかし、現代のロシア社会では、”同性愛者はHIVの元凶である”や”刑務所帰りのごろつきだ”といった偏見が根強く残っています。特に、モスクワ市の元市長ルシコフは、ゲイプライドマーチを”悪魔の所行”と呼んだことで知られています。
LGBTQ+に反対するグループのウェブサイトには、”家族を崩壊させる犯罪”や”我々の価値観は西欧とは異なる”という言葉が掲載されています。
「三位一体」 政府、教会、過激派とLGBTQ+コミュニティへの迫害
ロシアにおけるLGBTQ+コミュニティへの迫害は、政府、教会、過激派という三つの異なる側面から進行しています。
プーチンの立場と影響
ロシア大統領ウラジミール・プーチンは、欧米が掲げる「民主主義」、「自由」、「多様性」などの価値観は、ロシアにとって危険で、ロシアの堕落を引き起こすものと考えています。
プーチンはある集会で、同性婚を「悪魔崇拝」と呼んだ時、ロシアのオリガルヒ(新興成金)たちから拍手喝采を受けました。
プーチンは、欧米におけるLGBTQ+の権利の拡張を、ロシアを堕落させるための欧米による世界的陰謀とみなしています。加えて、彼はロシア国内で自身の政権に反対する民主派勢力を「外国と結託して同性愛を煽る異常性愛者」と非難しています。
「神の名のもとに」ロシア正教会のメッセージ
ロシア正教会は、政府のLGBTQ+に対する政策を宗教的な観点から強く支持しています。これによって、多くの信者に対してもLGBTQ+コミュニティが「罪深い」或いは「不道徳な」存在であるというメッセージが強化されています。
過激派のヘイトクライム
ロシアのLGBTQ+コミュニティは、暴力、ヘイトクライム、同性愛嫌悪による殺人に悩まされてきましたが、近年ではLGBTQ+に対する暴力をゲーム化し、遊び感覚でLGBTQ+を「狩る」ことを推奨する過激派の出現が、状況の悪化を示しています。活動家らによると、このような集団は、標的となる人物の名前と写真をウェブサイトに掲載し、襲撃に対する「報酬」を約束しています。
ある過激派の活動に同行した記者は、メンバーのひとりから「政府がちゃんと取り締まらないなら、ほかの手が必要だ。まずは拳だ。それから弾丸だ」という言葉を聞かされたといいます。
プロパガンダ禁止法
この社会の保守的な見方に合わせ、ロシアのいくつかの自治体は、「非伝統的な性的関係のプロパガンダ」を禁止する条例「ゲイ・プロパガンダ禁止法」を制定し、2013年には全ロシアにその適用範囲が拡大されました。
プーチンは、この法律は、子供が成人になってから自分の性別を選び、どのような生き方を選ぶかを選択できるようにするためのものだと説明し、成人後に性別を変えることについて「制限するものは何もない」としました。この法案がロシアの立法府を通過して以降、ロシア国内の同性愛嫌悪の暴力事件が増加している。
この法律は、国際的な非難を受けました。例えば、2013年のソチオリンピックの開幕式で、米国大統領バラック・オバマが欠席したのは、この「同性愛プロパガンダ禁止法」への抗議の意味があったとされています。
暴力の増加と生活への取り締まり
ロシアの立法府で「同性愛プロパガンダ」禁止法が通過して以降、ロシア国内での同性愛嫌悪の暴力事件が増加しています。社会学者アレクサンドル・コンダコフは、「もともと知識がないところに、LGBTを辱める国の方針が加わり『自分はLGBTが嫌いだ』と人々が考えるようになった」と分析しています。
この法律は、子どもにLGBTQに関するコンテンツを見せることを禁じるものですが、事実上、LGBTQとしての生き方を話題にすることに対する禁止令として使われています。ロシア当局は、プロパガンダ法は同性愛嫌悪を意図したものではないと主張するものの、その施行のもと、過去8年間にわたって、事実上、あらゆる形態のLGBTQ+の人々の生活に対する取り締まりが行われています。
罰金と国外追放
10代のためのLGBTオンライン・ネットワークを設立したレナ・クリモバ氏は、この法律によって2015年に罰金刑を受けています。この法律は、ロシア人だけでなく外国人にも適用されます。この罪で逮捕されると、最長15日間の拘留または最高5000ルーブル(約8600円)の罰金を課せられ、その後、国外追放されます。
法律と社会的影響の連鎖
この法律が通過して以来、LGBTQ+コミュニティへの取り締まりが厳しくなり、社会的な側面でのLGBTQ+に対する受け入れが一層困難になっています。法律によって、LGBTQ+の人々が公にアイデンティティを表現することが困難になり、社会的な受け入れがさらに低下するという悪循環が生まれています。
事実上の同性愛者への取締り
2020年7月、ロシアの住民投票において、異性間の結婚のみを認める憲法改正が承認されました。この住民投票は200以上の憲法改正を含んでおり、投票者の2/3以上から支持されました。
プーチンは、この憲法改正に際して、結婚は男性と女性の間の関係であり、それ以外ではないと明記することを提案し、自身がクレムリンにいる限り、ロシアは同性婚を合法化しないと述べていました。
この憲法改正によって、結婚を一夫一婦の関係と定義されました。また、プーチン大統領が2036年まで権力を維持する道を開くものでもありました。
この改正により、ロシアで将来的に同性婚を支持する法律の制定が事実上不可能になりました。
これを受けて、アムネスティ・インターナショナルを含む人権団体は、LGBTQの人々の基本的な人権と尊厳を攻撃するものとして強く非難しました。
特に改憲の全国投票直前の6月末には、在ロシア米国大使館がLGBT国際イベントを祝い、虹色の旗を掲げたことに対し、ロシアの保守派からは「社会秩序を乱す」として強い反発がありました。一方、一部の市民たちは賛意を示し、虹色の旗の下で集会を開いた。
憲法改正の後、LGBTQ+コミュニティの権利を支持するデモに参加した活動家たちが逮捕される事件が相次ぎました。
「外国エージェント法」の制定
さらに、ロシアでは「外国エージェント法」も制定され、外国から資金援助を受けるNGOの登録が義務付けられています。これは、NGOなどを「外国のスパイ」と位置付け悪魔化するのが狙いだと言われており、人権団体や性的マイノリティ、外国人労働者などが「伝統に反する存在」として、国内の不満を向けるための矛先として利用されているという指摘もあります。
憎悪の三位一体
このように、政府、教会、過激派、これら三つの要素が合わさることで、ロシアでのLGBTQ+コミュニティの迫害は多層的なものとなっています。
政府が法を制定し、教会がそれを神聖視し、そして過激派がその言葉を実行に移す。これを一部の記者は「憎悪の三位一体」と称しましrた。
むき出しの暴力は、ふくらみ続けるクレムリンのエゴと重なり合っています。散発的なLGBTQ+への襲撃は、政府の黙認や教会の支持を背景に、大きな政治勢力へと変貌していったのです。
キリル総主教とロシアの性的マイノリティに対する立場
2009年にモスクワ総主教に就任したキリル総主教は、ロシアのプーチン大統領を一貫して支持しています。その信頼は揺るぎなく、特にLGBTQ問題と少数派宗教に対する強硬な立場で注目を集めています。総主教は欧米の同性婚を厳しく非難し、同性愛を罪とみなす立場を明確にしています。さらに、少数派宗教に対する厳しい取り締まりも支持しています。
総主教の発言によれば、ウクライナへのロシアの軍事行動も、ロシアの価値観と西側諸国との対立の一環として位置づけられています。
ウクライナにおけるロシアの敵対勢力を「悪の勢力」と呼び、ウクライナ東部、特にドンバス地域での紛争は「世界の大国と名乗る関係国が提案する価値観への根本的な拒否」に基づいていると主張しています。
さらに総主教は、「どちらの立場にくみするかのテストはあなたの国がゲイパレードの催しを受け入れるかどうかになる」とも述べており、ゲイパレードの開催が西側諸国との関係を築くためには必要だとしています。それに抵抗する国々は、力で押さえつけられるとも警告しています。
このような発言は、「神の教えに背けば神聖さと罪の境界線をあいまいにしながら教えの尊さを損ねる」とする総主教の信念に根ざしています。その結果、彼は「この問題に関する本当の戦争が現在起きている」と訴え、罪と「ゲイパレード」を開催する西側諸国との対立は、より大きな価値観の戦争の一部であると主張しています。
キリル総主教のこのような立場は、ロシアの性的マイノリティ、特にLGBTQコミュニティにとって、更なる社会的、宗教的差別と弾圧を意味している可能性が高いです。そして、これがロシア政府と教会が一体となって性的マイノリティに対する弾圧を継続している一例であると言えるでしょう。
「人権面で大惨事」ウクライナ侵攻前の警告
ウクライナ侵攻が始まる前から、国際的な懸念が示されていました。
米国は国連に対し、ロシアが「反体制派」のリストを作成し、LGBTQコミュニティ、ジャーナリスト、活動家などを殺害または収容所に送る計画を進めていると警告しました。
米国政府当局者の情報によれば、「ロシアは脅迫と抑圧を通じて協力を強制しようとする」とされ、過去のロシアの作戦では、標的の殺害、誘拐・強制的な失踪、拘束、拷問が含まれていたとされています。
これらの行為の標的には、ロシアの行動に反対する人々、例えば、ウクライナに亡命しているロシアやベラルーシの反体制派、ジャーナリスト、反腐敗活動家、宗教的・民族的少数派、そしてLGBTQコミュニティなどが含まれると考えられます。
プーチン政権では、LGBTQコミュニティのメンバーは事実上、犯罪者として扱われています。これは、プーチン大統領が、欧米の自由、民主主義、多様性といった価値観は間違ったものだと考えていることを示しています。
ロシアと戦うLGBTQの兵士
ウクライナに侵攻したロシア軍と戦う中で、LGBTQコミュニティからも志願兵が現れています。
キーウに住むオレクサンドル・ジューハンとアントニーナ・ロマノバは、パートナーでありながら二人は自ら志願し兵として戦地に向かいました。
二人の軍服の肩章部分には、国旗のすぐ下にユニコーンの絵が縫い付けられており、これはLGBTQカップルのウクライナ兵であることを示しています。
ジューハンは、ユニコーンがLGBTQの兵士にとって重要な意味を持っていることについて「ロシアの戦争が始まった2014年に、多くの人々が軍隊にゲイはいないと言っていました。
だから、LGBTQコミュニティはユニコーンを選びました。それは空想的で、実在しないと考えられている生き物だからです。これにより、ユニコーンは軍隊におけるLGBTQのシンボルとなりました」と語っています。
ロシアが侵攻してくる前には、二人は武器の使い方について何も知りませんでした。
しかし、侵攻が始まった際、二人は最初の数日間をバスルームで隠れながら過ごし、その後ロマノバはもっと積極的な行動を取る必要があると感じたといいます。
その時のことを「防空壕に隠れるか、避難するか、領土防衛隊に参加するか、3つの選択肢しかないことが明らかになりました。私たちは3番目の選択肢を選びました」と語っています。
ウクライナのLGBTQコミュニティの一部は、アイデンティティに関連した過去のトラウマを乗り越え、今では自らの国を守るために戦っています。その勇敢な行動は、LGBTQコミュニティが国の危機の際にも貢献する価値のある一員であることを示しています。
【ウクライナ危機(41)】モスクワに迫る民主主義の足音!侵攻の要因「カラー革命”』