
《スペイン風邪》スペイン風邪によって変わった世界の健康への取り組み【パンデミック】
Spanish Flu
スペイン風邪

数時間で死亡する症例が
1918年の春に最初の症例が報告された当初は、一般的なインフルエンザと区別がつかない程度の症状しか示さなかったとされています。咳や発熱、関節痛などが主な症状であり、比較的早い時期に回復することが多かったとされています。
しかし、秋になるとこのウイルスは突然変異し、より強力な形に変化しました。この変異により、肺炎を引き起こすようになり、病院に運ばれた患者が数時間で死亡するという症例が増加しました。この肺炎型の症状が、スペイン風邪の最も特徴的な症状のひとつとなりました。
スペイン風邪=A型インフルエンザ
スペイン風邪の原因となる病原体が何であるかは、当時はまだ完全には解明されていませんでした。ただし、スペイン風邪の流行期間中に、病原体が病原性を持つということが明らかになりました。また、スペイン風邪が引き起こす症状や病態についての研究が進むにつれ、インフルエンザウイルスが原因である可能性が高いことが示唆されるようになりました。
インフルエンザウイルスが発見されたのは、1930年代初頭になります。
2008年に、アメリカ合衆国の研究者たちは、スペイン風邪のウイルス株が初めて特定されたと発表しました。彼らは、スペイン風邪の症例から回収された組織標本から、ウイルスのRNAを分離・解析し、スペイン風邪のウイルス株がインフルエンザウイルスの一種であるH1N1型であることを突き止めました。
この研究により、スペイン風邪の原因がインフルエンザウイルスであることが確定されたわけではありませんが、インフルエンザウイルスがスペイン風邪の原因である可能性が高くなったとされています。また、この研究によって、スペイン風邪のウイルス株が今日の季節性インフルエンザウイルスの祖先であることが示されたため、インフルエンザウイルスの進化と変異に関する研究にも大きな貢献を果たしました。
How far have we come in 100 years since the 1918 Spanish flu to being prepared for the next pandemic? https://t.co/WIRZJGLNh9 [Sponsored by @JnJInnovation] #ChampionsofScience pic.twitter.com/Fk2BG1ojkp
— Scientific American (@sciam) March 12, 2018
「手洗い・うがい」しか対抗策がなかった
スペイン風邪が流行した1918年から1920年にかけては、まだ「ウイルス」という概念が確立されていなかったため、病原体としての存在が把握されていませんでした。また、抗生物質の発見もまだ行われていなかったため、現代のような抗生物質による治療は存在しませんでした。
当時の主な対策としては、手洗いやうがい、マスクの着用、患者の隔離といったことが挙げられます。このような対策は、病原菌の感染を予防するために有効であり、今日でも感染症対策の基本的な手段として広く行われています。
ただし、当時の医療技術が未熟であったことや、社会の状況が今日とは大きく異なっていたことから、スペイン風邪は世界中で多数の犠牲者を出し、深刻な社会的影響をもたらしました。今日では、ウイルスの病原性や感染症対策についての知見が蓄積され、抗生物質やワクチンなどの治療法も発展しています。
Timeline of Spanish flu
「スペイン風邪」の歴史

1918年3月に発生…。
1918年3月に発生したスペイン風邪は、人類史上まれにみるインフルエンザのパンデミックとなりました。世界中に広がり、推定で5億人以上が感染し、最終的には約5000万人から1億人以上の人々が命を落としたとされています。
第一次世界大戦中に大流行
スペイン風邪の最初の症例は、1918年3月に米国カンザス州の陸軍基地で発生しました。この基地で発生した症例が、第一次世界大戦中の米軍の欧州戦線に持ち込まれ、その後、世界中に広がっていきました。南北アメリカをはじめ、北アフリカや中東、革命進行中のロシアや中国、インド、そして日本に至るまで、世界中で感染が拡大しました。この拡大は、当時の国際的な移動や交流によって、世界中に広がることが可能になっていたためです。
名前の由来は、疫病の存在を発表した国「スペイン」から
スペイン風邪の名称については、当時の状況が大きく影響しています。第一次世界大戦下では、各国が情報統制を行っており、特に戦争中の兵士の士気を低下させないため、感染症の情報を公表しないことが多かったとされています。
その一方で、当時は中立国であったスペインでは、スペイン風邪の流行が報じられ、世界中に伝えられました。このため、スペイン風邪は「スペインかぜ」と呼ばれるようになり、その名前が定着しました。
ただし、この呼び名には不適切さが指摘されています。実際には、スペインが特別な関係を持っていたわけではなく、感染症が発生した国や地域に因んで命名することが一般的ではありません。また、この呼び名はスペインに対する偏見や差別意識を助長する可能性があり、現在では適切でないとされています。
地獄すぎる…。戦地にいるの兵士を襲う
第一次世界大戦中のスペイン風邪は、兵士たちの間で猛威を振るいました。当時は、兵士たちが非常に悪条件の中で生活し、栄養失調やケガ、精神的ストレスなどに苦しんでいました。また、兵舎や軍艦などの狭い空間で多くの人が生活していたため、感染症が容易に広がりました。
さらに、米軍の司令官たちが医師の訴えを無視して兵士たちを船で国外の戦地に送り続けたことが、スペイン風邪の拡大につながったとされています。このような状況下で、スペイン風邪の感染は軍務に支障をきたすほどの深刻さでした。
このような状況から、第一次世界大戦中の兵士たちは、スペイン風邪に非常にかかりやすく、多くの犠牲者が出ました。このことは、戦争が感染症の拡大に大きな影響を与えることを示す一例として、現代でも研究されています。
Today in 1918 the most devastating epidemic in recorded world history, “Spanish Flu” first occurred. pic.twitter.com/NqfrXUYsGR
— Findmypast (@findmypast) March 4, 2013
実はスペイン風邪の期限については諸説
一部の学者たちは、スペイン風邪が米軍キャンプで偶然に出現したものではなく、必然性のもとに生み出されたと考えています。北フランスのエタプルにあった英国軍のキャンプでは、第一次世界大戦中にインフルエンザ様の症状を示す病気が発生し、1916年に報告されていたとされています。
このキャンプには、実験的に養豚場が併設されており、インフルエンザウイルスが人に感染する環境であったとされています。また、当時の戦争で使用されたガス兵器により、呼吸器系にダメージを受けた兵士が多数出ており、これがウイルスの侵入を容易にし、スペイン風邪の爆発的な繁殖を招いたという説もあります。
ただし、これらの説には科学的な証拠が不十分な点が指摘されています。現代の研究でも、スペイン風邪の正確な起源はまだ解明されていないとされています。
アメリカはどんな大戦よりも大きな犠牲者
スペイン風邪の流行により、当時の米国で多くの犠牲者が出ました。推定で50万人以上の人々が命を落としたとされており、南北戦争や第二次世界大戦の死亡者数を大きく上回りました。
世界の30%が感染
スペイン風邪による死者数については、従来の推計では2000万人程度とされていましたが、近年の研究では5000万人から1億人とする説もあります。このような数字は、第一次世界大戦の死者数や第二次世界大戦の死者数を上回り、両大戦の死者数の合計をも超える可能性があります。
日本においても、従来の推計では約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たとされていましたが、実際には死亡者は少なくとも45万人程度とされるようになっています。これは、従来の推計が十分なデータをもとにしていなかったため、正確な数字が把握されていなかったと考えられます。
スペイン風邪のパンデミックは、人類史上でも類を見ない大規模な感染症の一つであり、感染症による死者数としては14世紀のペスト流行以来で、当時の人類の3割が感染したとされています。
On The Inquiry podcast…
— BBC Current Affairs (@BBC_CurrAff) February 14, 2020
The 1918-19 Spanish Flu pandemic killed between 50-100 million people worldwide.
Could another pandemic ever be as devastating?https://t.co/Y2heDQnVOF
Between 1918-1919, a virus killed over 40 million people. What we can learn from Spanish flu https://t.co/884LC5LfMQ #vaccineswork pic.twitter.com/CnM1BQLis5
— CEPI (@CEPIvaccines) July 29, 2017
もはや戦争どころではなくなった<
スペイン風邪は第一次世界大戦の戦況にも大きな影響を与えました。西部戦線においては、両軍の兵士に多数の死者を出し、戦争の終結を早める要因の一つにもなったとされています。
特に、独軍のルーデンドルフ将軍は、1918年の春攻勢が失敗した理由として、「スペイン風邪」による士気の低下を挙げています。この春攻勢を受けて反撃に出た英仏米軍の攻勢も遅々としたもので、ここでも「スペイン風邪」の影響が伝えられています。
また、ドイツ陸軍総指揮官ルーデンドルフの言葉「第1次世界大戦の勝者は英米仏など連合国ではない。それはインフルエンザだった」というのは、スペイン風邪が戦争の結果にも大きな影響を与えたことを示すものとして、広く知られています。
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第二次世界大戦の要因?とも言われている
スペイン風邪と第二次世界大戦の直接的な関係はありません。ただし、スペイン風邪が世界各国に大きな被害をもたらしたことで、各国の社会や経済に大きな変化が生じ、その影響が長期にわたって続いたことは事実です。
第二次世界大戦が勃発した背景には、第一次世界大戦後の国際情勢や各国の政治・経済状況、ヴェルサイユ条約による過剰な賠償金の課せられ方など、様々な要因があります。ただし、スペイン風邪により各国が混乱状態に陥り、国際情勢や各国の政治・経済状況が変化したことが、第二次世界大戦の遠因の一つとして取り上げられることもあります。
スペイン風邪が第二次世界大戦の原因となったわけではありませんが、その影響は長期にわたって続き、感染症対策の重要性を世界的に認識させるきっかけとなりました。また、スペイン風邪が世界各国に与えた被害やその対処についての経験は、第二次世界大戦後の感染症対策にも活かされることになりました。
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日本でも感染拡大
スペイン風邪の1回目の流行は、1918年8月下旬から9月上旬に始まり、10月上旬には全国に広がっていきました。その後、急速に拡大し、11月には患者数や死亡者数が最大になりました。2回目の流行は1919年10月下旬から始まり、1920年1月末がピークとなりました。いずれの時も、大規模な流行期間は概ねピークの前後4週間程度でした。この期間は、通常のインフルエンザの流行期間と同じくらいでした。
スペイン風邪の流行は、その後も一部地域で継続し、一部では1920年代後半まで影響が残りました。しかし、最も大規模な流行期間は、1回目の流行が1918年秋から冬にかけて、2回目の流行が1919年秋から冬にかけてであったとされています。
Between the autumn of 1918 and the end of 1920, Spanish flu ravaged Japan. @japantimes explores how the country responded ? https://t.co/0ReOqucPap pic.twitter.com/YXSbPq7nSf
— CEPI (@CEPIvaccines) May 11, 2019
マスクが普及!!
医療用のマスクは18世紀後半に病院で導入されたものの、一般の人々による使用は一般的ではありませんでした。スペイン風邪の流行以前は、マスクは主に外科手術や感染症患者の治療時に使用されることが多かったです。しかし、スペイン風邪が大流行した際には、一般の人々もマスクを着用するようになりました。
当時のマスクは、現在のものとは異なり、布製のものが多く使用されていました。また、マスクは感染症の予防や拡散防止に有効であることが知られていましたが、当時のマスクは現代の医療用マスクと比べると、フィット感やろ過効率などの点で劣っていたとされています。
アメリカでマスク着用の義務化
ペイン風邪の流行が拡大する中で、当時のアメリカ合衆国のサンフランシスコ市は、緊急事態宣言を発令し、マスク着用を義務化することになりました。この措置は、感染拡大を抑えるために行われたもので、当時の市長や衛生当局、市民の協力により、短期間で効果的に感染拡大を食い止めることに成功しました。
1918年10月24日にサンフランシスコ市の立法府が可決した法令では、公共の場でのマスク着用が義務付けられ、違反者には罰金が科されることになりました。この措置は、当時のアメリカ合衆国の他の都市や国々でも広がり、感染拡大を食い止める一助となったとされています。
日本では内務省からの通達
日本でもスペイン風邪の流行に対して、口蔽器(マスク)の着用を促す指示が出されました。1918年11月、内務省から各地方官庁に対して、流行性感冒(スペイン風邪)の予防のために、公共の場でのマスク着用を励行するよう通達が出されました。この通達は、当時の新聞などで大々的に報じられたため、マスクの着用が広まりました。また、マスクを着用しない者に対しては、電車への乗車を拒否するなど、強制的な措置が取られることもあったとされています。ただし、この通達が実際に整理記者によるいたずらで見出しの可能性もあった。
New Normal atau AKB saat pandemi Spanish Flu yang menewaskan 50 juta penduduk dunia di tahun 1918-1920. Tertulis “wear mask or go to jail”. pic.twitter.com/yN6JPdPvMO
— ridwan kamil (@ridwankamil) June 17, 2020
Children ready for school during the 1918 Spanish #flu epidemic in Starke, #Florida. #throwbackthursday #tbt #DOH125 pic.twitter.com/umhxuzDP6a
— Florida Dept. Health (@HealthyFla) November 7, 2013