
《天然痘》紀元前から戦い続けついに人類が初めて勝利したウイルス 【パンデミック】
Smallpox
『天然痘』

症状
天然痘は、天然痘ウイルスによって引き起こされます。ヒトにしか感染せず、ヒトからヒトへ飛沫(ひまつ)を介して感染します。1~2週間の潜伏期の後、急激な発熱や頭痛、関節痛で発症し、数日たつと発疹が出現します。発疹は水疱(すいほう)性となり、やがて水疱が化膿(かのう)して膿液がたまった膿疱(のうほう)となり、かさぶたへと変化します。助かる場合には2~3週間で回復しますが、死亡率は20~50%に達します。
ヒトが唯一勝利した感染症 天然痘/朝日新聞デジタル
感染
ヒトが唯一の自然宿主であり、かつ、不顕性感染はない。天然痘の一般的な感染経路は、感染者からの痘瘡ウイルス飛沫やエアロゾルの吸入による気道感染である。一般に 1.8 メートル以内の感染者との近距離接触、あるいは、天然痘患者、汚染された物品との直接接触により感染が成立する。食物、水が媒介することはない。
(3)痘そう(天然痘)/東京都感染症情報センター
患者は発病初期から感染源となる。感染力は発疹期の 1 ~ 3 日目が最も強い。すべての発疹が痂皮となり、これが完全に脱落するまでは感染の可能性がある。
Timeline of Smallpox
『天然痘』の歴史

紀元前9000年からすでに存在
太古の昔より,ウイルスは感染症の原因として人類の脅威であった.例えば,既に紀元前9000年の古代エジプトから天然痘に関する記述が発見されており,実際に天然痘ウイルスに感染した痕跡を残すミイラが発見されている.
ウイルスを利用した医療・創薬研究の新展開/J-Stage
天然痘は、紀元前9000年頃、古代エジプトとメソポタミアの大河流域で人 々が農業を始めるようになって、人口が増え始めたために、人々の間で広が るようになったのではないかと推測されている
人獣共通感染症連続講座(第145回)/山内一也.2003
世界最古の文明 メソポタミア文明
メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアに生まれた世界最古の文明である。
メソポタミア文明
2つの大河に挟まれた「肥沃な三日月地帯」の土壌は非常に豊かであったために、人類が農耕による食料生産を始めたのもこの地でした。
農耕の祖「メソポタミア文明」が中国に抜かれた理由/玉木 俊明.JBpress.2018
いわゆる世界で最も肥沃な三日月地帯と呼ばれるイラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトへと到る半円形の地域である。
どこでもファームとは/どこでもファーム
この地では紀元前9000年頃から農耕が始まっていた(後略)
歴史事象 メソポタミア文明/毛呂山町
ここでの習慣が、次第に南のエジプト、西の小アジア、東のインドへと広がり、また、バルト海または黒海周辺への広がっていったのである。
どこでもファームとは/どこでもファーム
文明の始まりはウイルスとの戦いの歴史の始まりだった
こうした成果の一方で、農耕民は、牛から麻疹、乳から結核、豚からインフルエンザ、ネズミからペスト、ラクダから天然痘をうつされるという災厄とも闘ってきたのである。
どこでもファームとは/どこでもファーム
インダス文明の記録
天然痘の起源は古く、インドでは紀元前2000年の仏典に痘瘡の見られた記載(後略)
医学における種痘の功罪/入江 宏.帝京短期大学(p.126)
紀元前1500年には、サンスクリットの医学書に天然痘と思われる病気の流行が書かれている
ウイルスとは/秋田大学大学院医学系研究科
古代エジプトでは死の疫病
天然痘による死亡の最古の例は、顔に痘痕 があることから紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世であるとされるが、非常に伝染力が強いので、死に至る疫病として紀元前より存在していたようだ。
ウイルスとは/秋田大学大学院医学系研究科
古代ローマ帝国では何度も!
紀元前430年に流行した「アテナイの疫病」は記録に残された症状からは天然痘であったと考えられており、ローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病」も天然痘とされている。
医学における種痘の功罪/入江 宏.帝京短期大学(p.126)
アテナイの疫病
古代ギリシャ文明を衰亡させた「アテナイの疫病」は凄惨(せいさん)だった。「患者たちは神殿に助けを求めてつめかけ、神にすがったが、病苦に打ち負かされ、もうこのような場所に寄りつかなくなった」
余録:古代ギリシャ文明を衰亡させた「アテナイの疫病」は/毎日新聞.2016
ペロポネソス戦争
アテナイとスパルタの間にペロポネソス戦争が起る。翌年の前430年には疫病が流行し、ペリクレスもこの疫病で前429年に死去する。この頃からアテナイは次第に衰退へ向かう。
プラトン 『ソクラテスの弁明』/著者年譜.光文社古典新訳文庫
Review: @BarbaraGraziosi on The Plague of War: Athens, Sparta, and the Struggle for Ancient Greecehttps://t.co/3fanUVmXnK pic.twitter.com/I9BdusWXrM
— TimesHigherEducation (@timeshighered) April 30, 2017
ペルシア戦争においてギリシア軍の勝利を確定させたサラミス海戦でその実力を見せたアテナイ海軍は、デロス同盟におけるアテナイの発言力を高めるには十分な権勢を誇っていました。エーゲ海を支配するほどの勢いを見せるアテナイに対し、危機感を持ったスパルタを中心とするペロポネソス同盟。この強大な都市国家の対立が、ギリシア全土を巻き込む一大戦争へと発展したのがペロポネソス戦争です。
ペロポネソス戦争でアテナイとスパルタの激戦を彩った/ファミ通
アテナイのペスト
ペロポネソス戦争中に蔓延した感染症は、長らく「アテナイのペスト」と呼ばれていました。しかし記録に残る症状の分析から、現在この説は否定され、チフスや天然痘の流行が原因と考えられています。病気はペロポネソス戦争と同時期に蔓延した為、「スパルタ陣営が貯水池に毒を投げ込んだ」という噂も流れたそうです。
古代ギリシアを衰退させた疫病~アテナイのペスト~/古代ギリシアの歴史
One of the first recorded ones was the Plague of Athens in about 430BC, which ended that city’s ambitions to be a major regional power
— David Fickling (@davidfickling) January 23, 2020
It was described by the great historian Thucydides, who was himself infected. pic.twitter.com/5tyrevEqeG
アントニヌスの疫病
166年、疫病が発生しました。この病にかかると、「激しい嘔吐で内臓が震え、血を吐き、目から火が出る。身体は衰弱し、足はふらつき、耳が遠くなり、盲目になる」と歴史家が記録しています。
ローマ帝国の迫害と疫病/大紀元時報.2020
当時の皇帝はマルクス・アウレリウス・アントニヌス。
疫病の正体は、彼が西アジアの大国・パルティアへの遠征から持ち帰ってしまったと思しき「天然痘」でした
暴君に囲まれたローマ皇帝セウェルス 息子はカラカラ帝で親類にヘリオガバルス/BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
The Antonine Plague: Pestilence and Pandemic in Ancient Rome, by @AdamHaviaras https://t.co/gpzIQ4aJBS pic.twitter.com/hbJgOBnQBS
— GreekHistory Podcast (@greekhistorypod) June 17, 2019
キプリアヌスの疫病
北アフリカ沿岸の都市カルタゴで司教を務めたキプリアヌスの記述によれば、この疫病にかかると「絶え間ない嘔吐(おうと)に腸は震え、目には感染した血液の炎が燃え、場合によっては足あるいは手足の一部が腐って落ちる」とされ、多くは失明したり聴覚障害が残った。
「世界終末の疫病」でキリスト教が拡大? エジプト/CNN.co.jp
Christians loved radically during the Plague of Cyprian #loveyourneighbor #Eusebius #Dionysius #plague https://t.co/8NNoNqbRPV pic.twitter.com/5DnwyR232e
— Jason Armstrong (@jasonjarmstrong) February 28, 2018
この疫病は、紀元251年にはじまり、15年から20年間のあいだ、ローマ帝国内に大きな被害を出した。ローマでは1日に5,000人が死亡したと伝えられている。これは、同時期のいわゆる蛮族の侵攻、政治的な混乱などとともに、ローマ帝国の混乱を助長した。歴史学者のウィリアム・マクニールは、この疫病を起こした疾病は、天然痘か麻疹であっただろうと推測している。
医学史とはどんな学問か 第1章 ギリシア・ローマ文明とキリスト教における医学と医療/鈴木晃仁.けいそうビブリオフィル.2016
日本書紀では天然痘は怨霊の仕業
日本国内をさかのぼると、古くは552年には天然痘が伝来していたという記録が『日本書紀』の中で綴られている。そして同書では、聖武天皇が奈良の大仏ほか日本各地に国分寺などを建立したのも、天然痘を怨霊の仕業として封じ込めようとしたという理由があったと語られている。
人類が唯一根絶に至った伝染病「天然痘」とは?/カネコシュウヘイ.ダ・ヴィンチニュース.2014
日本書紀にも記録が。人類が根絶に成功した感染症「天然痘」と日本人の歴史|Japaaan https://t.co/17SI84Mj1T #天然痘 #ウイルス #感染症 pic.twitter.com/lq6QULSg6X
— Japaaan (@japaaan_com) May 18, 2020
737年の流行では、累々たるしかばねが道を埋め尽くしたと記録され、天然痘の犠牲者は庶民だけでなく、藤原不比等は4人の息子を天然痘で奪われ、そのため政務が停滞するほどであった。さらに聖武天皇の妃(きさき)、光明皇后の兄弟4人が天然痘に倒れ、その冥福を願って建てられたのが法隆寺の夢殿であった。天然痘の猛威を前に、仏教にすがるしかなかった。そのため聖武天皇は仏教への信仰を深め、全国各地に国分寺が建立された。後醍醐天皇、後鳥羽天皇も天然痘に感染し、平安時代の蜻蛉日記には天然痘の詳しい症状が記載されている。
3 疫病から伝染病へ/Kyushu University, Medical Library.九州大学附属図書館
天然痘が原因で元号が何度も変わった
「天暦(947年)、永久(1113年)、大治(1126年)、応保(1161年)、長寛(1163年)、安元(1175年)、治承(1177年)、建永(1206年)、承元(1207年)、嘉禄(1225年)、嘉禎(1235年)、乾元(1302年)、弘和(1381年)、享徳(1452年)」と14回も改元しています。
この14回の改元は、「天然痘」の大流行が原因でした。
元号を何度も変えた病気があった!?|「天然痘」と人類のたたかい/倉田大輔.サライ.jp.2019
【感染症対策は古来政治の要諦】奈良時代、天然痘が流行して社会不安が広がった時、聖武天皇は、莫大な予算を投じて、奈良の大仏をつくり、国の安寧を祈願しました。僧は医師の役割も果たしました。人々の生命を守る感染症対策は、安全保障の要諦です。予算を投じ科学的知見を総動員して感染症対策を。 pic.twitter.com/G7lHeTG6Wb
— 中野 顕 (@ken_nakano1964) February 19, 2020
奈良~平安時代、天然痘などの疫病が流行したときに、疫病神や鬼神を追い払うための祭事で使われた「墨書人面土器」。
— シマウマ書房 (@shimauma_shobou) February 21, 2020
甕などの器に顔を描き、まじないをして川などに流してたらしい。 pic.twitter.com/pCbtlZCitu
インカ帝国滅亡のきっかけか?
1764 Native Americans from Pontiac’s Rebellion meet with the British who tried to infect them with Smallpox in 1763 https://t.co/zd5BSQCCLi pic.twitter.com/ESpoIFvXbl
— History and Art (@HistoryandArt) September 29, 2016
アメリカ大陸にはもともと天然痘は存在しなかったが、1519年にスペイン人が天然痘を持ち込み約350万人のメキシコ人が死亡、これがインカ帝国滅亡の原因とされている。
天然痘撲滅宣言/クール・スーサン(音楽 芸術 医学 人生 歴史)
この前にインカ皇帝は二代続けて天然痘で亡くなり、その息子たちが帝位をめぐって争っていたため、国家が分裂していたのだ。フランシスコ・ピサロに率いられたスペイン軍は、そこにつけ入った。スペイン人たちは全く無事なのに、自分たちのみは次々に病に倒れてゆく有様は、インカの民にとって彼らが神に見放された証とも見えた。戦闘以前に、士気の差は明らかであったのだ。
佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」第1回 病気と世界史/佐藤 健太郎.現代ビジネス,2013
あのエリザベス女王も
大英帝国の基礎を築いたエリザベス1世も、女王に即位してから4年目の1562年に天然痘にかかった。
感染症ノスタルジア(3)「病室から洩れる赤い光・・・天然痘」NL03010102/濱田 篤郎.一般財団法人 海外法人医療基金
29歳で天然痘にかかって以来、髪は抜け落ち肌は荒れていたが、国民に威厳ある姿を見せるために、肌を白く厚塗りし、カツラを着用していた。外見的なコンプレックスもあり、豪華に着飾ることを好み、襟の大きさは「エリザベスカラー」と言われるほどに肥大化し、髪にも真珠を縫い付けた
登場人物/映画『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』公式サイト
これが理由で、彼女は生涯独身であったとする意見もあるが、真偽のほどは明らかではない。
感染症ノスタルジア(3)「病室から洩れる赤い光・・・天然痘」NL03010102/濱田 篤郎.一般財団法人 海外法人医療基金
明朝時代の中国

明朝末期の萬暦・崇禎(1573年~1644年)に、華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、少なくとも1千万人の死者が出たという。
疫病が変えた地球史/伊勢雅臣.国際派日本人養成講座.2003
北海道 a.k.a 蝦夷地
蝦夷地での天然痘は1624年以後も周期的に発生し、そのたびに村々の人口を大きく減少させていった。中でも1698年の蝦夷地全域での流行時は被害が大きかったという。
北海道開拓の先覚者達(81)~アイヌ民族―6 /財界さっぽろ.2016
文政5年(1822)11月27日、疱瘡(天然痘)のため6歳でその短い生涯を閉じた幼女が話題になりました。彼女の名は露、鳥取藩の支藩の前藩主の息女でした。画像は、露姫の遺筆です(視聴草) pic.twitter.com/HGhG7COZHs
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) November 27, 2015
アメリカ大陸のインディアン
1663年米国では、人口およそ4万人のインディアン部落で流行があり、数百人の生 存者を残したのみであった(後略)
天然痘(痘そう)とは/厚生労働省-戸山研究庁舎
“You know the smallpox. Listen—I am the Smallpox Chief. In this bottle I have it confined. All I have to do is to pull the cork, send it forth among you, and you are dead men. But this is for my enemies and not my friends”
— Brett Chapman (@brettachapman) August 31, 2019
Trader James McDougall said this Native American leaders pic.twitter.com/71Ps1g6MaZ
ひどい……天然痘を兵器利用
現在ではバイオテロのイメージが強い天然痘であるが、実際に生物兵器としての使用を伝えられる最初の例としては1755~1763年の、フレンチ・インディアン戦争でのイギリス軍が有名である。
コラム:天然痘対策に習う時 /日本BD – 日本ベクトン・ディッキンソン
(前略)フレンチ・インディアン戦争中,和平交渉の席でイギリスの将校が,天然痘に汚染された毛布を故意にアメリカ・インディアンに与えました。それによる病気の蔓延も一因となり,インディアンは降伏しました。
沈黙の兵器 ― その脅威はどれほど現実か/ものみの塔.オンライン・ライブラリー.JW.org
1764 Native Americans from Pontiac’s Rebellion meet with the British who tried to infect them with Smallpox in 1763 https://t.co/zd5BSQCCLi pic.twitter.com/ESpoIFvXbl
— History and Art (@HistoryandArt) September 29, 2016
インド

1770年のインドの流行では300万人が死亡したなどの記録がある。
天然痘(痘そう)とは/厚生労働省-戸山研究庁舎
ついに天然痘のワクチンができた!
1796年5月14日、イギリスの外科医エドワード・ジェンナーが、天然痘の予防を目的に、世界で初めて種痘(しゅとう:天然痘のワクチンこと)の接種を行いました。
種痘記念日【1796(寛政8)年5月14日】/トウシル | 楽天証券の投資情報メディア
江戸時代の日本でも流行……でも
1846年、佐賀藩では天然痘が大流行しました。予防には牛痘の種痘が効果的だと知った10代藩主の鍋島直正は、痘苗(ワクチン)をオランダからとりよせるよう命じ、1849年8月、佐賀城で息子の淳一郎(直大)に接種しました。その成功によって種痘は藩内に広がり、やがて全国に普及していきました。
25 佐賀に始まった種痘/佐賀ミュージアムズ
世界的パンデミック

1950年になって、世界で5,000万人が感染。大きな問題となった。「人から人に飛沫感染」するので、あっという間に大流行する「危険度の高い感染症」だった。
話題の感染症7「天然痘」NL02020202/濱田 篤郎.一般財団法人 海外法人医療基金
WHOの“天然痘根絶計画”
今から200年以上前に、世界で初めてのワクチンとして天然痘ワクチンが作られました。このワクチンは大変効果的で、世界中の人々に接種されました。
天然痘 – 16. 感染症/MSDマニュアル 家庭版
ついに天然痘の根絶に成功
WHOによる天然痘根絶計画により1977年ソマリアにおける患者発生を最後に地球上から天然痘は消え去り、その後2年間の監視期間を経て、1980 年5月WHO は天然痘の世界根絶宣言を行いました。現在にいたるまで患者の発生はみられませんが、今後はバイオテロなどに使用される危険性が指摘されています。
痘そう(天然痘)/厚生労働省検疫所.FORTH
1979 年時点では,WHO には,2 億人分のワクチンが備蓄されていましたが,その
WHO の標準疫学/木原 雅子.木原 正博.世界保健機関.(pp.8-pp9)
後徐々に減らされて行きました。しかし,現在でもなお 250 万人分が備蓄されていま
す。撲滅されたのになぜこれほどの備蓄が必要なのかと不思議に思われるかもしれませんが,これは,天然痘ウイルスが生物兵器として用いられる恐れがあるためです
Today is the 40th anniversary of the Certification of #Smallpox Eradication (pictured).WHO Director-General Tedros Adhanom Ghebreyesus will commemorate the occasion with a bronze plaque being unveiled at WHO headquarters in Geneva. @WHO @DrTedros pic.twitter.com/Rft3Snt7Kr
— ASTMH (@ASTMH) December 13, 2019
Edward Jenner
人類初のワクチン「エドワード・ジェンナー」
一度かかったら次はかからない?
英国の開業医ジェンナーは乳搾りや羊飼いの女性より、都会の女性にあばたを持った女性が多く、乳搾りの女性から「私は絶対天然痘には罹りません。牛痘にかかったことがありますから。」という話も聞いていました。
ジェンナーについて/町田アンド町田商会.2001
免疫と抗体
体には、ウイルスが入ってくると、抗体(こうたい)という物質をつくり出して追い出そうとする力があります。このしくみを免疫 (めんえき)と言い、一度抗体(こうたい) ができれば同じ病気にかからなくなります。
くすりのあゆみ くすり偉人伝no.05Jenner/くすり研究所.日本製薬工業協会
ジェンナーは、この力を利用した「種痘(しゅとう)」という予防法を考えました。
くすりのあゆみ くすり偉人伝no.05Jenner/くすり研究所.日本製薬工業協会
1780年彼は、友人に「馬のかかとの病気が牛に牛痘を引き起こしているのであって、これが乳搾りの人を天然痘から防いでいるのだ。これを人の間で植え継いでいけば、天然痘を完全に絶滅させることができるだろう」と語っていた。
104.ゲノム科学が明らかにしたジェンナーの天然痘ワクチンの由来/一般社団法人 予防衛生協会.2017
Edward Jenner FRS, the founder of immunology whose early experiments with vaccination led to the eradication of smallpox, was born #OnThisDay in 1749 pic.twitter.com/JcZRDCSlq3
— The Royal Society (@royalsociety) May 17, 2019
人類初の予防接種
1796年、ジェンナーが乳搾りの女性サラ・ネルムズの腕に出来た牛痘の膿を接種することにより、天然痘を防げることを証明した。最初の種痘である。天然痘ワクチンは、種痘病変から採取した漿液を次の人に接種するというように、腕から腕へと継代されていた。
104.ゲノム科学が明らかにしたジェンナーの天然痘ワクチンの由来/一般社団法人 予防衛生協会.2017
「いずれ天然痘は世界からなくなる」
#OnThisDay in 1796, James Phipps, an eight-year-old boy was inoculated with cowpox by Edward Jenner FRS. Jenner’s research paved the way to the eradication of smallpox, a disease that killed around 10% of the population at the time. pic.twitter.com/40jTISXtaU
— The Royal Society (@royalsociety) May 14, 2019
ジェンナーは1796年に最初の種痘を行ったのち、1801年に発表した論文の最後で種痘を広めて行くことにより世界から天然痘が根絶されることを予言していました
29.ワクチンによるウイルス感染症の根絶(2):天然痘の根絶/一般社団法人 予防衛生協会.2011
ジェンナーの種痘法は大きな成功を収めました。1840年、当時のイギリス政府が、ジェンナー以外の方法を禁止するほど効果的だったのです。 ジェンナーは、種痘法の特許をとることはしませんでした。なぜなら、特許をとるとワクチンが高価なものになり、多くの人々に行き届かないと考えたからです。
天然痘ワクチンの開発者 エドワード・ジェンナー /日本BD
世界を団結させた
(前略)ジェンナーの天然痘ワクチンは驚くべき早さで世界中に普及したが,その際,各国の王族が熱心な支持者となった。天然痘ウイルスは患者の貴賤を選ばなかったし,家族を天然痘で亡くした体験を持つのは,王族も一般人と変わらなかったからである。
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第189回 アウトブレイク(5)/李 啓充.医学書院.週刊医学界新聞(第2912号 2011年01月17日)