《ペスト》「中世ヨーロッパの大災厄」黒死病がもたらした中世社会の混乱と崩壊【パンデミック】

《ペスト》「中世ヨーロッパの大災厄」黒死病がもたらした中世社会の混乱と崩壊【パンデミック】

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アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(「BOOK」データベースより)

Plague

『ペスト』

what doctors wore during the plague era

症状

ペスト菌は、強い毒力を持つことで知られています。感染したときは、高熱が主な症状となります。リンパ節や他の組織に移動し、そこで増殖し始めると治療を怠ると死に至る可能性が高いです。ヒトに感染すると、無治療では命に関わるほどの危険性を秘めています。

ペストは、腺ペストと肺ペストの2つに分けられます。患者の80~90%が腺ペストであり、潜伏期間は2~7日で、症状としては、ノミにさされたところに近いリンパ節が腫れるほか、発熱や頭痛、悪寒などが現れます。一方、肺ペストは、潜伏期間が通例2~3日で、発症後12~24時間で死亡すると言われています。症状は、強烈な頭痛、嘔吐、39~41℃の発熱、急激な呼吸困難や鮮やかな赤い色の泡立った血が混じった痰を伴う重い肺炎です。

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ネズミから始まる感染ルート

通常のペストの感染サイクルでは、ネズミからノミが感染し、その後再びネズミに感染が広がるというサイクルが繰り返されます。しかし、ヒトのペストの大流行期には、ネズミからノミが感染し、それがヒトに感染し、さらにノミが再びヒトに感染するという、通常のサイクルよりも複雑な感染経路が考えられます。このように、ヒトのペストは通常のペスト感染サイクルの袋小路の1つにすぎません。

土の中→ネズミ

ペスト菌は、野生のげっ歯類に感染することが一般的であることが知られています。これらのげっ歯類は、ペスト菌を媒介するノミの宿主となっています。ペスト菌は、野生のげっ歯類の間で繰り返し感染が起こり、そのサイクルを繰り返すことで生息しています。人間へは野生のげっ歯類や感染した動物と接触した際に感染することがあります。

ネズミ⇄ノミ・ヒト

ノミに付着したペスト菌が、他のネズミやヒトに媒介されることで感染が広がります。特に中世ヨーロッパの大流行期には、ノミが乗り物や衣服を通じて広く運ばれ、急速に感染が広がったと考えられています。

ペスト菌を持つネズミやノミに咬まれることで人間に感染するペストでは、ねずみの死亡率よりも人間の死亡率のほうが高いことが知られています。また、ペスト菌を持っているねずみが全滅するわけではなく、菌を持ったままで平気で走り回ることもあるため、感染のリスクは高まります。

ノミ⇄ヒト

ペスト菌はノミやネズミによってヒトに感染することが知られており、また肺ペストの場合は感染源のヒトから空気感染することもあります。感染したネズミやノミが死ぬと、別の宿主を求めて人間に噛みつくことで感染が拡大するとされています。

空気中のペスト菌⇄ヒト

ペスト菌は、感染した動物や人が発する咳やくしゃみによって、空気中に飛沫となって拡散されることがあります。そのため、ペストは密集した人口が集まる都市部での感染が特に懸念されます。感染を予防するためには、適切な衛生管理や衛生的な習慣の徹底が必要です。また、ワクチンや抗生物質の使用も有効な対策のひとつです。

さらに他の動物からも感染の可能性がある

ネコは、ペスト菌に感染し発症することが知られています。これは、ネコが保菌ネズミなどを捕食する際に、保菌ノミに曝露され感染するためだと考えられています。稀に経口的に感染した例も報告されています。

人に感染するように変異

ペスト菌が爆発的に広まったのは、ヒトに感染できるようになったDNA配列が加わったことによるものである。このDNA配列は、黒死病として流行したペスト菌によってもたらされたものである。

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194X年4月、アルジェリア北西部の港町オラン。短い春を謳歌していた町は、前触れなく閉ざされた。恐ろしい流行病によって――。鼠の氾濫、謎のリンパ疾患、錯綜する情報、そして……。 凡庸な町が突如として熱病に侵される“不条理”を描き、圧倒的共感を呼んでいるノーベル賞受賞作家・カミュの代表作(宮崎嶺雄訳・新潮文庫刊)を、車戸亮太が激情のコミカライズ!!(「紀伊國屋書店」データベースより)

Timeline of plague

ペストの歴史

National Geographic/YouTube

伝染病として古来、最も恐れられてきたのは、ペストと天然痘である。古代エジプトやローマの時代から、人類を苦しめるペストが存在したと言われている。また、モンゴル帝国がヨーロッパに攻め込んだ際、アジアから細菌を運び込んでしまったことによって、ペストの流行はおこりました。その名前が”疫病”であることからも、ペストが人々を恐怖のどん底に陥れたことがうかがえます。

人類史上で最も危険なウイルスの1つ

人類の歴史において、ペストは最も致死率が高く、壊滅的な被害をもたらした感染病の一つであることは間違いありません。

最初の『ペスト』の記録と免疫の発見

元前5世紀、シチリア島においてカルタゴとギリシャの間で第二次シチリア戦争が勃発しました。しかし、ペストの流行により両軍とも大きな被害を受け、カルタゴ軍は撤退を余儀なくされました。

8年後、カルタゴは再びシチリア占領を試みますが、ふたたびペストが流行し、カルタゴ軍はまたしても大きな損害を被りました。この戦争において、ペストにより多数の人々が亡くなったとされており、その被害の大きさから「アテネのペスト」とも呼ばれるようになりました。この事件は、古代史上最も有名なペストの一つとして知られています。

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「2度なし」

人間が免疫の現象をいつごろから気がついていたのかということについて、少なくとも紀元前五世紀のギリシャ・カルタゴの戦争の記述からは、「二度なし」という言葉で今でいう「免疫」ことが書かれていることが分かります。

ただし、当時は免疫についての正確な理解はなく、あくまでも「二度かからない」という経験則に基づく知識であったと思われます。現代的な意味での免疫学の始まりは、18世紀にイギリスのエドワード・ジェンナーが天然痘予防接種を発見したことから始まります。

『1回目』東ローマ帝国崩壊の原因

当時の人口の50パーセント近くが死亡したとされるペストは、541年から767年にかけて、東ローマ帝国(ユスティニアヌス帝時代)を中心に流行し、ローマ帝国の崩壊を早めたと考えられているが、ローマ帝国の崩壊に関しては複数の要因が重なっているため、ペストが直接的な原因とは限りません。ちなみに第1回のパンデミックは、6世紀に東ローマ帝国を中心に起こり、約200年間にわたって1億人以上の死者を出したとされる。

『2回目』ヨーロッパ全域を襲った「黒死病」

欧州での第二次ペストパンデミックは、1347年から1351年の間に起こり、現代の欧州の全ての国で発生しました。このパンデミックでは、推定で7500万人から2億人が死亡しました。18世紀初頭まで散発的なペストの流行が続き、当時は有効な治療法がなかったため、罹患した人々は皮膚が黒く変色し、苦しみながら命を落としました。

衛生環境が改善された

瘴気説が支配的な考え方でした。つまり、ペストは空気中に漂う悪い気によって感染するとされていました。このため、街路や建物周辺には匂い消しや香辛料が燃やされることがあり、空気を浄化しようとする試みが行われました。しかし、ペストの原因が細菌による感染であることは後に明らかになり、衛生環境の改善や、感染予防策に取り組むことが重要視されるようになりました。

“ルネサンス”に強い影響を与えた

Kunstmuseum Basel - The Triumph of Death by Pieter Bruegel the Elder-detail

黒死病による多大な被害は、社会全体に大きな影響を与えました。特に、教会や神に対する信仰が揺らぎ、個人の自由意志や人間中心主義が浸透するようになりました。また、多くの人々が死去したことによって、空いた職業や財産が新たな人々に引き継がれ、社会の流動性が高まったことが、ルネサンスの芽生えにつながったとも言われています。

ペスト流行を題材にした絵画:ブリューゲルの「死の勝利」

ブリューゲルの「死の勝利」という絵が、ペストの流行を描いた有名なものとして知られています。

「死の勝利」は、16世紀のフランドルの画家ピーテル・ブリューゲルの作品で、ペストの流行をテーマにしています。絵の中心には、骸骨のような姿をした死神が座っています。周りには、ペストで倒れた人々が横たわっており、町は荒廃しています。この絵は、ペストの恐怖を描き出すとともに、人々が直面する死の不可避性を象徴しています。また、絵の中で、富裕層と貧困層、若い人と老人、男性と女性が一緒に死んでいることから、ペストの恐怖は階級や年齢、性別を超えた普遍的なものであったことが示されています。

人類初の検疫が始まった

15世紀になると、欧州各国は黒死病の流行を終わらせるために衛生と検疫を始めた。それにより、神権が失墜しながら王権が強化された。

国家による衛生環境の整備も進み、公共の場所や建物の清掃が義務化されたり、廃棄物処理の規制が厳格化されたりしたことで、病気の拡大を防ぐための基盤が整備されました。

さらに、黒死病の流行後、人々は医学や科学の発展によって病気を理解するようになり、病気の治療法や予防法が確立されるようになりました。これによって、病気による死亡率が低下し、人々の健康や生活環境が改善されたことは、近代医学や公衆衛生学の発展に繋がったと言えます。

『3回目』香港から世界へ

1894年に香港で発生した3回目のペスト大流行は、原因不明の伝染病が流行したことから始まった。香港の人口密度が高く、住民が密集して暮らしており、衛生状態も悪かったため、瞬く間に多くの市民が感染し命を失った。得体の知れない伝染病が香港全土に広がり、人々は恐怖におびえていたが、結局その原因がペストであることが判明した。汽船にまぎれ込んだネズミにより、ペストは世界へと広がり、1000万人程度の死者が出たとみられるが、過去2回のパンデミックよりも少ない。

この流行は、スイスの疫学者アレクサンダー・ユーセフ・イェルシンによって、ペストの病原菌がネズミからヒトに感染することが示され、ペストの予防法として使われるワクチンの開発につながったとされています。この発見は、ペスト対策に大きな貢献をしたと評価されています。

1899年 ついに日本にも

1899年、柴三郎が香港でペストを発見してから5年後の明治32年に、海外から持ち込まれたとみられるペストが日本で初めて流行しました。江戸時代300年間の鎖国にも関わらず、伝染病研究所は調査と予防に全力を尽くしました。

日本ではペスト流行の初期段階であったため、感染拡大を防ぐために速やかに対策が講じられました。明治政府はまず、感染源となる患者の隔離、発生地域の封鎖、感染者の検査・治療、そして感染拡大の原因となるネズミ駆除などを行いました。また、当時の日本の医学水準ではまだペスト菌を確実に検出することができなかったため、発生状況や症状から診断を行っていました。そのため、対策の一環として感染者の動静を把握するための「感染者台帳」が作成されました。

感染者台帳については、感染拡大を防止するために非常に有効な手法でした。感染者の動静を把握することで、感染拡大の予防や、感染者の適切な治療、治癒後の社会復帰支援など、様々な面で役立ちました。このような対策によって、日本におけるペスト流行は比較的早期に鎮圧されました。

日本政府がペストに対して講じた対策は、当時の医学水準を考えると非常に優れていたと言えます。隔離、封鎖、検査、治療、駆除といった手法は、現代でも基本的な感染症対策として用いられています。

今も日本ではペスト発生はない

日本国内では、1899年以降に小規模な流行があったものの、これまでにペスト感染症例は報告されていません。

ペスト最後のパンデミック

1900年代初頭にアメリカ大陸で流行し、特にインドでは大きな被害をもたらしました。1907年には、インドだけで130万人以上が死亡したとされています。また、全世界でのペスト死亡者数は、1903年から1921年の期間で約1,000万人と推定されています。この大流行が最後の世界的なペスト流行となりました。

2000年〜マダガスカルの首都で再び感染

今でも世界中で症例が報告されている。特にマダガスカル、コンゴ民主共和国、ペルー、アメリカ合衆国では毎年発生が報告されています。2017年には、マダガスカルの首都アンタナナリボを含む都市部で肺ペストの感染者が2300人以上、死者が200名を超えるアウトブレイクが発生しました(致死率8.6%)。2019年には中国でペスト患者が発生し、死者も出ています。また、2020年にはモンゴルで2名の死亡例が報告され、同年には中国でも1名の死亡例が報告されました。ペストは依然として感染症のひとつとして、注意が必要な病気です。

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