《ペスト》「中世ヨーロッパの大災厄」黒死病がもたらした中世社会の混乱と崩壊【パンデミック】

ペストという恐ろしい伝染病は、人類にとって最大の災害の一つでした。中世に大流行したペストは、多くの人々を苦しめ、文明に大きな影響を与えました。

本記事では、ペストの歴史や病気の特徴、当時の社会情勢について解説します。また、ペストに対する人々の取り組みや医療の進歩についても紹介します。ペストの教訓を今に生かし、災害に備えるための知識を得ていきましょう。

created by Rinker
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(「BOOK」データベースより)

Middle Ages Plague’s Impact

災害の象徴、中世のペストが人類に与えた衝撃とは?

what doctors wore during the plague era

ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis・エルシニア・ペスティス)によって引き起こされる感染症で、14世紀には黒死病として知られる大流行を引き起こした病原体です。黒死病は、ヨーロッパとアジアで推定7500万人以上の命を奪い、世界人口の約3分の1を減らすほどの影響を与えました。

【ペストの感染経路】ネズミとノミの循環から人間への感染

ペスト菌が爆発的に広まった理由は複数ありますが、その中の一つは、ヒトに感染する能力を持つDNA配列が加わったことです。

通常のペスト感染サイクルでは、ネズミとノミの間で感染が循環しています。これは、ネズミとノミの間の自然な循環を指し、ヒトへの感染は通常、この循環の一部ではありません。しかし、ヒトのペスト大流行期には、感染経路が通常のサイクルから逸脱することがあります。

ネズミの個体数が減少すると、感染したノミが新たな宿主を求めてヒトに感染することがあります。その結果、ヒトが感染し、さらにノミを介して他のヒトに感染が広がることがあります。この現象は、ペスト大流行期に特徴的で、通常のサイクルとは異なる感染経路を示します。

ヒト同士での感染が起こる可能性もありますが、これは主に肺ペストの場合です。肺ペストは空気感染が可能であり、感染した人のせきやくしゃみから飛沫が放出され、他の人が感染することがあります。

大流行期におけるヒトのペスト感染は、通常のネズミとノミの間の感染サイクルから逸脱した現象であり、特定の条件下でのみ発生します。現代の衛生状況や抗生物質治療の普及により、このような大規模なペストの流行はかなり抑制されていますが、依然として感染リスクは存在しています。

ネズミ捕食によるネコのペスト感染

ネコは、ペスト菌に感染し発症することが知られています。これは、ネコが保菌ネズミなどを捕食する際に、保菌ノミに曝露され感染するためだと考えられています。稀に経口的に感染した例も報告されています。

ネコも、ペスト菌に感染し発症することが知られています。ネコは、感染したネズミを捕食することで、感染しているノミに曝露される可能性があります。ネコが感染したネズミを食べることで、感染したノミがネコに移動し、その結果ネコがペストに感染することがあります。

また、経口感染も報告されています。ネコが感染したネズミの組織を食べることで、細菌が口腔粘膜を経由して感染することがあります。ネコは他の動物と同様に、腺ペスト、肺ペスト、敗血症性ペストのいずれかの形態で発症することがあります。

ネコがペストに感染した場合、ネコからヒトへの感染も起こり得ます。感染したネコが咳やくしゃみをすることで、空気中に飛沫が放出され、ヒトが感染するリスクがあります。また、感染したネコによって保菌されているノミがヒトに移動することも考えられます。

ペストの3つの形態と症状

ペストは、ヒトに感染すると、無治療では命にかかわるほどの重篤な病気となる可能性がありますが、現在は適切な治療が可能であり、感染率も低下しています。

ペストには3つの主要な形態があります。

  1. 腺ペスト:リンパ節が腫れることが特徴です。しばしば、首や脇の下、股のリンパ節が影響を受けます。
  2. 肺ペスト:肺に感染し、重度の肺炎を引き起こします。これは空気感染が可能で、他の人に感染しやすくなります。
  3. 敗血症性ペスト:血流に細菌が侵入し、重篤な敗血症を引き起こすことがあります。

現代の抗生物質治療では、ペストの治療と予防が可能ですが、適切な治療が行われない場合は、依然として致命的であることがあります。世界保健機関(WHO)は、ペストのアウトブレイクを監視し、感染症対策をサポートしています。現在も、主にアフリカ、アジア、南米の一部でペストの発生が報告されています。

この投稿をInstagramで見る

Corvinus Krukowski(@plagowy_doktor)がシェアした投稿 –

人に感染するように変異

ペスト菌が爆発的に広まったのは、ヒトに感染できるようになったDNA配列が加わったことによるものである。このDNA配列は、黒死病として流行したペスト菌によってもたらされたものである。

created by Rinker
194X年4月、アルジェリア北西部の港町オラン。短い春を謳歌していた町は、前触れなく閉ざされた。恐ろしい流行病によって――。鼠の氾濫、謎のリンパ疾患、錯綜する情報、そして……。 凡庸な町が突如として熱病に侵される“不条理”を描き、圧倒的共感を呼んでいるノーベル賞受賞作家・カミュの代表作(宮崎嶺雄訳・新潮文庫刊)を、車戸亮太が激情のコミカライズ!!(「紀伊國屋書店」データベースより)

古代から恐れられる伝染病

National Geographic/YouTube

ペストと天然痘は古代から最も恐れられてきた伝染病です。それらは、古代エジプトやローマ時代にも人類を苦しめる存在であり、多くの死者を出してきました。人類の歴史において、ペストは最も致死率が高く、壊滅的な被害をもたらした感染病の一つであることは間違いありません。

《アテネのペスト》古代史に刻まれたペストの記録

古代史上最も有名なペストは、「アテネのペスト(疫病)」と呼ばれるもので、紀元前430年から紀元前426年にかけて、ペロポネソス戦争中にアテネで発生した大流行です。

アテネのペストは、アテネとスパルタとの間の戦争(ペロポネソス戦争)中に発生し、アテネ市民の約3分の1が死亡したとされています。この疫病は、アテネの軍事力と政治力に大きな損害を与え、戦争の結果に大きな影響を与えました。古代ギリシアの歴史家テュキディデスによる詳細な記録があります。

ただし「アテネのペスト」については、諸説が存在し、今なおはっきりとした病名が確定されていません。これは、古代の医学においては病原体の特定が困難であり、現代の科学者が過去の記録から正確な病名を特定することが難しいためです。

古代ギリシアの歴史家テュキディデスが記録した症状から、研究者たちは様々な病気の可能性を検討しています。同様に、ローマ帝国時代に流行した疫病「アントニヌスのペスト(疫病)」の正確な病原体も特定されていません。

この投稿をInstagramで見る

Joseph C Wilson(@josephanthro)がシェアした投稿 –

《第一次ペストパンデミック》ヨーロッパ初の大流行

第一次ペストパンデミックは、6世紀から8世紀にかけてヨーロッパを襲った大規模なペストの流行で、ヨーロッパでは初めて確認されたペスト菌(Yersinia pestis)によるものとされています

《ユスティニアヌスのペスト》古代ローマ帝国の滅亡に貢献した疫病

このパンデミックは、皇帝ユスティニアヌス1世の治世(527年 – 565年)に発生したため、「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれています。

541年から542年にかけて、ペストは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを中心に広がりました。この疫病は、エジプトのペラウシウス港から地中海沿岸を経由してコンスタンティノープルに達し、その後、帝国全土や地中海沿岸諸国に拡大しました。

この疫病は、その後も何度も再発し、地中海地域を中心に8世紀まで断続的に流行しました。

3つの流行期

このパンデミックは主に3つの大きな流行から構成されています。

  1. ユスティニアヌスのペスト(541年 – 542年): この最初の流行は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを中心に広がり、帝国全土や地中海沿岸諸国に拡大しました。死亡率が非常に高く、ピーク時にはコンスタンティノープルで1日あたり最大5,000人が死亡していたとされています。
  2. 中期のペスト(570年 – 590年): この時期には、ユスティニアヌスのペストが再発し、地中海地域やアフリカ、アジア、ヨーロッパに影響を与えました。流行は地域によって程度が異なりましたが、一部の地域では人口が大幅に減少したとされています。
  3. 後期のペスト(640年 – 750年): この最後の流行は、主に地中海沿岸諸国やアフリカ、アジアに影響を与えました。この時期には、新興のイスラム帝国が急速に拡大し、ビザンツ帝国との戦争が激化しました。その結果、疫病が兵士や住民に広まり、さらに流行の拡大につながりました。
帝国全体の人口に与えた影響とその後の人口変動

ユスティニアヌスのペストは、東ローマ帝国の人口や経済に大きな影響を与えました。推定で2,500万人から5,000万人が死亡し、帝国全体の人口が25%から50%減少したとされています。この疫病は、ビザンツ帝国の衰退の一因ともされており、ユスティニアヌス1世が進めていたローマ帝国の再統一政策に悪影響を与えました。

《第二次ペストパンデミック》恐怖の黒死病

第二次ペストパンデミックは、14世紀にヨーロッパ、アジア、アフリカを襲った大規模なペストの流行で、特に「黒死病」として知られています。

病名の由来とされる黒い腫れ物は、皮膚が壊死して黒く変色したものでした。

このパンデミックは、1347年から1351年にかけて最も深刻であり、その間にヨーロッパの人口のおよそ25%から60%が死亡したと推定されています。

ペストが蔓延する、ヨーロッパの暗黒時代

第二次ペストパンデミックの発端は、クリミア半島のジェノヴァ人交易拠点カッファであるとされています。この地域での戦闘中、モンゴル帝国の軍隊がペストに感染しました。

ジェノヴァ人は、疫病が蔓延する中、カッファを脱出し、船で地中海沿岸に逃れました。しかし、船に乗っていたネズミやノミもペスト菌を運び、疫病はヨーロッパ各地に広がりました。

黒死病は、ヨーロッパ全土に破壊的な影響を与えました。多くの地域で人口が激減し、労働力不足、経済の崩壊、社会不安、宗教的混乱など、さまざまな問題が引き起こされました。

また、人々は疫病の原因を理解できず、ユダヤ人や異教徒、貧しい人々などを攻撃することで恐怖と不安を解消しようとしました。

特徴的なマスクド・ドクターの衣装

当時の人々は、瘴気説(悪い空気が病気を引き起こすという考え)がペストの原因だと信じていました。この説に基づいて、彼らは香辛料や薬草を燃やし、匂いを消すことで空気を浄化し、疫病を防ごうと試みました。

また、医師たちは「マスクド・ドクター」(マスクを着用した医者)として知られる独特な衣装を着用し、マスクの内部に香辛料やハーブを入れて空気を浄化し、感染を避けようとしました。

ルネサンスの発展を促した要因

黒死病はヨーロッパの社会、文化、経済、そして宗教に大きな影響を与えました。多くの人々がペストによって命を落とし、それに伴い信仰心が揺らぎ、教会の権威が低下しました。この状況は、個人の自由意志や人間中心主義が浸透する環境を整え、ルネサンスの発展を促す要因となりました。

また、黒死病による人口減少と労働力不足は、労働者の地位向上や賃金の上昇をもたらし、社会の流動性を高めました。これにより、新たな職業や財産が引き継がれる機会が増え、さまざまな分野でイノベーションが促進されました。

ペスト流行を題材にした絵画:ブリューゲルの「死の勝利」

ピーター・ブリューゲル(またはブリューゲル)の「死の勝利」は、黒死病の恐ろしさを描いた有名な絵画です。絵画に描かれた死神は、絶え間なく周りの人々を襲っており、誰もがその恐怖から逃れられないことを暗示しています。

絵画に描かれている死んでいる人々は、あらゆる階級や年齢、性別から来ており、これはペストが社会全体に影響を与え、誰もがその脅威にさらされていたことを示しています。このような普遍的な恐怖は、当時の人々が直面していた死の不可避性を象徴しています。

この絵画は、ペストの流行がもたらした壮絶な状況を見事に捉えており、その時代の人々が経験した苦難を現代に伝える重要な歴史的資料となっています。

Kunstmuseum Basel - The Triumph of Death by Pieter Bruegel the Elder-detail
国家による衛生環境整備の進展

15世紀になると、欧州各国は黒死病の流行を終わらせるために衛生と検疫を始めた。それにより、神権が失墜しながら王権が強化された。

国家による衛生環境の整備も進み、公共の場所や建物の清掃が義務化されたり、廃棄物処理の規制が厳格化されたりしたことで、病気の拡大を防ぐための基盤が整備されました。

さらに、黒死病の流行後、人々は医学や科学の発展によって病気を理解するようになり、病気の治療法や予防法が確立されるようになりました。これによって、病気による死亡率が低下し、人々の健康や生活環境が改善されたことは、近代医学や公衆衛生学の発展に繋がったと言えます。

《第三次ペストパンデミック》世界で1,200万人の死者を出した大流行

第三次ペストパンデミックは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて発生した世界的なペストの大流行です。このパンデミックは、1855年に中国の雲南省で始まり、その後インド、アフリカ、アメリカ、オーストラリアなど世界中に広がりました。

第三次ペストパンデミックは、世界で約1,200万人の死者を出し、特にインドでは1,000万人以上が死亡しました。この時期のペストは、主にウイルスによる肺ペストと細菌による腺ペストの2つの形態で現れました。このパンデミックは、19世紀末から20世紀初頭の科学技術の進歩により、ペスト菌(Yersinia pestis)の発見やノミを媒介とする感染経路の解明が可能になったことから、病原体の同定や予防策の確立が進みました。

第三次ペストパンデミックは、20世紀初頭には沈静化しましたが、その後も散発的なアウトブレイクが世界各地で報告されています。このパンデミックは、近代医学の発展に寄与し、感染症の研究や公衆衛生の向上に重要な役割を果たしました。

ペスト対策から見る、日本の公衆衛生の歴史

明治27年(1894年)に香港で原因不明の伝染病が流行し、日本政府は香港の当局からの要請を受け、日本人医師団を派遣しました。そのチームは、伝染病研究所の北里柴三郎博士と東京帝大医学部教授の青山胤通医師を責任者とする医師団6人で構成されました。彼らは急いで香港へ向かい、現地で病原菌の調査と対策に取り組みました。

1894年6月14日、彼らは香港島のケネディタウン病院で調査を行い、遺体解剖や細菌学的検査を通じて、原因不明の伝染病がペストであることを突き止めました。これは到着後2日という驚くべき早さでした。

その病原菌はドイツのロベルト・コッホ研究所にも送られ、確認がなされたことで、ペストが原因であることが国際的に認知されました。彼らの努力によって、ペストの原因が判明し、対策が講じられるようになりました。その結果、香港の人々の命が救われ、感謝の気持ちが多くの人々に対して抱かれました。

日本における感染症対策の歴史の転換点

北里柴三郎が香港でペストを発見した後、1900年代初頭に日本で初めてペストが流行しました。1902年(明治35年)に横浜でペストが発生し、その後関内や神奈川県内の他の地域にも広がりました。これは、海外からの船便や商業交流によってペストが持ち込まれたと考えられています。

日本政府は迅速に対策を講じ、患者の隔離や感染地域の封鎖、検査と治療、ネズミ駆除などを行いました。また、当時の日本の医学水準ではまだペスト菌を確実に検出することができなかったため、発生状況や症状から診断を行っていました。そのため、対策の一環として感染者の動静を把握するための「感染者台帳」が作成されました。

感染者台帳については、感染拡大を防止するために非常に有効な手法でした。感染者の動静を把握することで、感染拡大の予防や、感染者の適切な治療、治癒後の社会復帰支援など、様々な面で役立ちました。このような対策によって、日本におけるペスト流行は比較的早期に鎮圧されました。

これらの対策のおかげで、日本でのペスト流行は比較的早期に終息しました。この経験は、その後の日本の感染症対策において重要な教訓となりました。

日本の感染症対策が国際的な感染症対策に与えた影響

日本のペスト対策は、その後の感染症対策の基盤となり、伝染病予防法や公衆衛生の発展に大きく寄与しました。また、日本の成功事例は、他国における感染症対策の参考にもなりました。ペスト対策を通じて、日本は感染症の脅威に対処するための重要な手法や組織体制を学び、伝染病のコントロールに取り組む能力を向上させました。

この経験は、後の日本の公衆衛生や感染症対策にも生かされています。例えば、伝染病予防法の制定や、感染症対策を担う専門組織の設立など、日本の感染症対策の基盤が整えられました。また、国際的な感染症対策にも協力するようになり、世界保健機関(WHO)などと連携して感染症の脅威に立ち向かっています。

今も日本ではペスト発生はない

日本国内では、1899年以降に小規模な流行があったものの、これまでにペスト感染症例は報告されていません。

最後のペストパンデミック

1900年代初頭にアメリカ大陸で流行し、特にインドでは大きな被害をもたらしました。1907年には、インドだけで130万人以上が死亡したとされています。また、全世界でのペスト死亡者数は、1903年から1921年の期間で約1,000万人と推定されています。この大流行が最後の世界的なペスト流行となりました。

現代におけるペストの状況と発生例

今でも世界中で症例が報告されている。特にマダガスカル、コンゴ民主共和国、ペルー、アメリカ合衆国では毎年発生が報告されています。2017年には、マダガスカルの首都アンタナナリボを含む都市部で肺ペストの感染者が2300人以上、死者が200名を超えるアウトブレイクが発生しました(致死率8.6%)。2019年には中国でペスト患者が発生し、死者も出ています。また、2020年にはモンゴルで2名の死亡例が報告され、同年には中国でも1名の死亡例が報告されました。ペストは依然として感染症のひとつとして、注意が必要な病気です。

created by Rinker
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(「BOOK」データベースより)

You might be interested in …

当サイトではプロモーションが含まれています。また、利用状況の把握や広告配信などのために、GoogleやASP等のCookieが使用されています。これ以降ページを遷移した場合、これらの設定や使用に同意したことになります。詳細はプライバシーポリシーをご覧ください

X