2014年のガザ侵攻は深い傷跡をこの地に残しました。
この衝突は、政治的な意図と民間人の苦痛という、互いに相反する二つの現実が交錯する瞬間を世界に示しました。
【ガザの歴史(2)】ハマスの実効支配から激化するイスラエルとの対立
2014 Gaza War
混沌の中の声「ガザ2014年の記録」
2014年、アメリカのオバマ政権の仲介にも関わらず、イスラエルとパレスチナ間の和平交渉は進展せず、関係の悪化が続いていました。
この交渉の停滞は、双方の不信と敵対感情を深め、地域の緊張を高める要因となりました。
ガザ地区の住民は、封鎖と繰り返される紛争の影響を深刻に受けており、パレスチナ難民を含む住民の大部分が国際援助に依存する状態に追い込まれていました。
ユダヤ人学生誘拐事件
2014年6月12日、イスラエル入植地に住むユダヤ人学生3名がヨルダン川西岸地区で行方不明になりました。
3人はヒッチハイク中に最後に目撃され、その後イスラエル軍はヨルダン川西岸全域で広範な捜索を展開しました。
イスラエル政府は犯行声明が出なかったにもかかわらず、ハマスによる誘拐と殺害を断定、イスラエルのネタニヤフ首相は「ハマスに責任があり、ハマスが報いを 受けることになる」と声明を発表しました。
その後、イスラエル軍はヨルダン川西岸でハマス関係者の一斉摘発を実施し、多数のハマス活動家や関係者を拘束しました。
この軍事作戦により、パレスチナ人の死亡者や多くの拘束が報じられました。パレスチナ側によれば、6名のパレスチナ人が死亡し、470名以上が逮捕・拘束されたとされています。
大量逮捕への報復と国際社会への訴え
イスラエルによるパレスチナ人の大量逮捕という行動に対して、ハマスはネタニヤフ首相の声明を「ばかげている」と一蹴。
ハマスの報道官は、この逮捕がハマスの運動を解体する試みだと非難し、イスラエルが犯人を突き止める手掛かりを持っていないと主張しました。
報道官は、パレスチナ立法評議会(PLC)の議員やハマスの幹部が逮捕されたことをイスラエルの「新たな侵略」と呼び、イスラエルが無差別に問題を引き起こしていると非難しました。
一方、ハマスは国際社会に向けて、イスラエルの「犯罪」を止めさせるよう訴えました。
イスラエルへの報復攻撃
この事件への報復としてハマスはガザ地区からイスラエルに向けてロケット弾を発射し、イスラエル内の数カ所に着弾しました。
ヨルダン川西岸で遺体が発見、緊張が高まる
イスラエルのユダヤ人学生3名が行方不明となってから数週間後、6月30日に学生3人の遺体がヨルダン川西岸地区で発見されました。
これをつけてイスラエル政府はイスラム原理主義組織ハマスによる犯行と断定し、報復を宣言しました。この事件は、すでに高まっていたイスラエルとパレスチナの緊張を一層悪化させました。
当時のアメリカの大統領オバマは事件を非難し、冷静な対応を全ての当事者に求めました。また、パレスチナ自治政府のアッバス議長も事件を非難し、捜査協力を約束しました。
一方、ガザ地区のハマス指導者は事件への関与を否定した上で、イスラエル首相ネタニヤフの脅迫に応じない姿勢を示し、徹底抗戦を表明しました。
エルサレムでの緊張と憎悪
2014年7月1日、エルサレムでは、イスラエル人によるデモ行進が行われ、「アラブ人に死を」との憎悪に満ちたスローガンが叫ばれました。
この行動は、イスラエルのユダヤ人学生3名が殺害された事件を受けて、一部のイスラエル人の間で高まったパレスチナ人に対する怒りと憎悪を示すものでした。
このような公然とした敵意の表現は、既に緊張が高まっていたイスラエルとパレスチナの関係にさらに火をつけることとなり、両コミュニティ間の分断と暴力の連鎖を促進しました。
「パレスチナ人少年殺害事件」
2014年7月2日早朝に西エルサレムの森で16歳のアラブ人少年の遺体が発見され、この悲惨な事件は大きな衝撃を与えました。
少年は生きたまま焼かれており、頭部には重傷が確認されました。この少年は前日の夜、東エルサレムで車に押し込められて行方不明になっていたと目撃されていました。
この事件は、パレスチナ人社会において怒りと悲しみを引き起こし、パレスチナ自治政府のアッバス議長は、イスラエル人入植者による犯行だと断定し、イスラエル政府に対し犯人に対する厳しい処罰を要求しました。
イスラエル警察は事件に関与した疑いでユダヤ人過激派6人を逮捕しました。
深まる怒りと悲しみ…緊張のエスカレーション
パレスチナ人少年の殺害は、パレスチナ社会に大きな悲しみと怒りをもたらしました。事件を受けて発生した暴動はパレスチナ全土に広がり、緊張が一層高まることとなりました。
7月4日に行われた少年の葬儀は、数千人の人々が集まり、棺を担ぐ行進が行われました。
この行進は、パレスチナ人の一体感と抗議の意志を示すものであり、イスラエル警察との間で激しい衝突が発生し、多数の負傷者を出しました。
この殺人事件に対しては、イスラエル側からも遺憾の意が示されました。
イスラエルのシモン・ペレス大統領とベンヤミン・ネタニヤフ首相は少年の父親に電話をかけ、弔意と犯行に対する怒りを表明しました。
憎悪の連鎖
このような状況を受けて、イスラエルは7月6日の夜から7月7日の未明にかけてガザ地区への空爆を実施し、複数のハマス戦闘員が死亡しました。
ハマス側もロケット弾による報復攻撃を行い、イスラエル内の工場など民間施設にも着弾し具体的な被害が出始めました。
イスラエル軍事作戦「境界防衛」の開始
2014年7月8日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はガザ地区への軍事作戦「境界防衛」の開始を宣言しました。
これはガザからのロケット弾攻撃に対する報復措置として位置づけられています。イスラエルはハマスの幹部の自宅や軍事施設など、約50か所を一斉に攻撃しました。
この時期、ガザ地区からのロケット弾による攻撃とイスラエルによる空爆という攻撃の応酬が続いていました。
イスラエル軍は7月3日から予備役兵士の招集を開始し、ガザ地区との境界線近くに地上部隊を集結させるなど、事前の圧力を強めていました。
ネタニヤフ首相は「イスラエルは戦闘を望んでいないが、国民の脅威を取り除くために必要な措置を取る」と述べ、自国の防衛の正当性を強調しました。
この軍事作戦は、地域の安全保障状況と国際政治に深い影響を与え、イスラエルとパレスチナ間の紛争の新たな局面を示すものとなりました。
エジプトの停戦努力と人道的措置
2014年のガザ地区へのイスラエル軍による空爆が継続する中、エジプトを含む国際コミュニティは衝突の停止を目指して積極的に仲介を試みました。
しかし、ハマスはこれらの停戦提案を一貫して拒否し続けました。
7月16日には、イスラエル軍がガザ地区北部と東部の住民に向けて避難を促す自動音声の電話を行いました。これは、地上侵攻の可能性に備えての措置と見られました。
翌日の17日、国連の要請を受けて、イスラエル軍とハマスは人道的な目的のため、午前10時から5時間の一時的な攻撃停止に合意しました。
この措置により、ガザ地区の住民は避難場所から自宅へ戻り、食料や生活必需品を確保する機会を得ました。この一時的な静けさは、紛争により断絶されていた日常生活の一部を取り戻す貴重な時間となりました。
しかし、この短い休戦は一時的なものに過ぎず、その後も戦闘は再開し、ガザ地区の状況は依然として緊迫したものでした。
ガザ地区へのイスラエル軍の地上侵攻
2014年7月17日、5時間の一時的攻撃停止措置が終了したその夜、イスラエル軍はガザ地区への地上侵攻を開始したことを発表しました。
この行動に踏み切った直接の契機は、その早朝に起きた出来事でした。
ハマスの戦闘員13人が秘密の地下トンネルを利用してイスラエル領内への侵入を試みたが、イスラエル軍によってこれを阻止されたのです。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相は声明を通じて、「ハマスによる絶え間ない攻撃とイスラエル領土への侵入の脅威に鑑み、市民の保護のための措置を取る必要があった」と述べました。
地上侵攻の主要な目的は、ハマスが掘った密輸トンネルを破壊することにあると強調しました。
イスラエル軍の地上軍投入とトンネル問題
当初、ネタニヤフ首相はガザ地区への地上軍投入に慎重な姿勢を示していましたが、ハマスの戦闘員による地下トンネルを利用したイスラエル領土侵入が発生したことにより、その方針を転換しました。
もし侵入を許せば、イスラエル国民を標的としたテロ行為が増加する危険が高まるため、首相は地上軍投入を決定したのです。
地下トンネルは、戦闘員の潜入だけでなく、イスラエルによる経済封鎖を回避するための物資の密輸にも用いられていたとされ、その破壊はハマスにとって重大な経済的な打撃となります。
トンネルを再建するには長い時間と資金が必要であり、ハマスの資金繰りは一段と厳しくなる見込みでした。
一方、ハマスを敵視しているエジプトのアブドルファッターフ・アッ=シシ政権もエジプト領内のトンネルを積極的に破壊しており、イスラエル側のトンネル破壊が進めば、ハマスへの打撃はさらに大きくなります。
ハマスの破壊は望まない?イスラエルの側の地政学
しかし、イスラエル政府はハマスの完全な壊滅を望んでいるわけではないという見方もありました。
もしハマスがガザ地区から去れば、より過激な勢力が力を得る可能性があり、これはイスラエルにとって新たな安全保障上のリスクを生むことになります。
このため、イスラエルは地域の安定に必要な力のバランスを考慮し、あくまでハマスの武装解除と弱体化を目的に侵攻を始めたといわれています。
ガザ地区におけるイスラエル軍の地上侵攻の現実
イスラエル軍は、ガザ地区との境界線沿いに設けられたフェンスのゲートから侵攻を開始しました。侵攻初日から、境界線近くに数千人の兵士を配備し、地区への砲撃を激化させました。
一方、ハマスは地下トンネルを利用してイスラエル軍に対する奇襲攻撃を行いました。
7月20日、イスラエル軍はガザ地区のシュジャイヤ地区に進出し、市街戦におけるハマスとの間で激しい戦闘が発生しました。
この侵攻によってイスラエル軍の死者は1人、ガザ地区では231人に上りました。また、市民が誤爆される事件が発生し、子どもたちを含む多くの無辜の人々が犠牲になりました。
特に、ガザ地区北部に位置する国連機関の学校が砲弾により攻撃され、避難していた16人が命を落としました。民家、病院、国連機関、発電所など生活基盤が広範囲に渡って破壊されました。
ガザ地区の公共医療システムは崩壊寸前の状態に追い込まれ、電力と水の供給が断たれた結果、約50万人が避難生活を余儀なくされ、人道的危機が深刻化しました。
市民被害と情報戦
ガザ地区での市民の被害に関する報道は、情報戦の一環として対立する主張が繰り広げられました。
ハマスは、市民が被害を受けた事件についてイスラエルの攻撃を原因として非難し、イスラエル軍はハマスの失敗した攻撃が原因であると反論しました。
このような非難の応酬は、事実の確認を困難にし、国際社会における正確な状況理解の妨げとなりました。
72時間の停戦の崩壊
2014年8月1日、アメリカと国連の外交努力によりイスラエルとハマスは72時間の停戦に合意するも、停戦はガザ地区南部ラファでの銃撃戦により開始直後に破られました。
この戦闘でイスラエル兵1人がハマスによって捕虜とされ、イスラエル軍は激しい反撃を行い、100人を超えるパレスチナ人が死亡したと報じられています。
特に物議を醸したのは、イスラエル軍が自国の兵士が拘束されるのを防ぐために、自国の兵士の安全を一切気にせずに周囲を徹底的に攻撃する命令を発動したことでした。
この指令は「ハンニバル指令」と呼ばれ、捕虜の安全よりも敵の撃退を優先するもので、イスラエル国内でも議論を呼びました。
「ハンニバル指令」の概要
「ハンニバル指令(Hannibal Directive)」とは、イスラエル国防軍(IDF)が導入した軍事戦略であり、自国の兵士が敵に捕らえられた場合に、人質とその周囲の民間人への危険を考慮せずに集中砲火で目標を攻撃することを許可する指令です。
この指令は、捕虜が交渉に利用されたり重要な情報が漏洩するのを防ぐために設計されました。
- 原則と例外: イスラエルは一般的に「テロリストとの交渉を行わない」という原則を持っており、特に人質事件では、犯人と交渉する代わりに軍事的手段を用いることが多いです。この方針は、敵による拉致を阻止し、兵士の安全を確保すると同時に、国家の威信を守るためのものです。
- 歴史的背景: ハンニバル指令は1986年に導入されました。これは、レバノンでのイスラエル軍兵士の誘拐事件と、その結果生じた捕虜交換問題を受けてのことです。この指令により、イスラエル軍は誘拐を防ぐために必要なあらゆる軍事行動をとることが許されました。
- 検閲と公開: ハンニバル指令の全文は公表されておらず、2003年までイスラエルの軍事検閲の対象でした。そのため、メディアはこの指令に関する議論を行うことができませんでした。
厳しいイスラエルの軍事戦略
この指令は何度か変更されており、その具体的な内容や運用は時間とともに進化しています。しかし、基本的な考え方は、「拉致を阻止するためにはどんな犠牲も払うべきだ」というものでした。
これは、国家のセキュリティと自国兵士の安全を最優先するイスラエルの軍事戦略の反映です。
「ラファの暗黒の金曜日」
2014年8月1日、イスラエル軍のゴルディン中尉がガザ地区ラファでハマスに捕らえられた事件は、暗黒の金曜日として悪名高い一日の始まりとなりました。
72時間の人道的停戦が決定され、希望を抱いた民間人が自宅へと戻り始めたその時、イスラエル軍はハンニバル指令を発動しました。
ラファでは、この指令に基づき、イスラエル軍はゴルディン中尉が拘束されていたとされる場所に2,000発を超える爆弾、ミサイル、砲弾を投下しました。
目撃者によると、イスラエル軍のジェット機、ドローン、ヘリコプター、大砲からの攻撃は停戦を信じた民間人に対する無差別攻撃となりました。街中で救急車が標的にされ、多くの民間人がその場で犠牲となったと報じられています。
医療スタッフの証言では、攻撃により多くの遺体が黒焦げになり、判別が困難なほどに損傷していたと伝えられています。この悲劇により、ゴルディン中尉含め、100人以上のパレスチナ市民が命を落としました。
「ハンニバル指令」の発動は、イスラエルの戦術に対する国内外からの批判を強め、軍の指針と人道に対する重大な問いを突きつけました。
「一時的な静寂」再びの停戦とその破綻
2014年8月5日、エジプトの首都カイロでの緊密な外交努力の結果、イスラエルとハマスは再び72時間の停戦に合意しました。この停戦は、両者による衝突の一時的な中断と、より長期的な解決策に向けた前進と見なされました。
イスラエル軍は、ハマスによって建設されたトンネルの破壊を完了したと宣言し、地上部隊をガザ地区外へと撤退させました。
米国務省はこの停戦を積極的に評価し、当事者に対し停戦協定の完全な遵守を促しました。報道官のサキ氏は、アメリカが引き続き、双方が持続可能な長期解決策を見出すことを支援する意向を表明しました。
その一環として、カイロではイスラエルとハマスを含むパレスチナ代表団との間で間接的ながらも協議が持たれ、停戦期間の延長が模索されました。しかし、この協議は最終的な平和への道を開くには至らず、両者の間の主張には大きな隔たりがありました。
イスラエルはガザ地区の非武装化を要求し、一方でハマスは経済封鎖の解除を主張しました。結局、72時間の停戦が終わると同時に、両者は攻撃を再開し、緊張は再び高まりました。
「長期停戦へ」両陣営が勝利宣言
激しい戦闘と数回の短期停戦を経て、2014年8月26日に新たな節目が訪れました。エジプトの積極的な仲介により、イスラエルとハマスは期限未定の長期停戦に合意。これにより、7週間にわたるガザ侵攻の最も緊迫した局面が一段落した形です。
ガザ地区ではハマスの集会が開かれ、その間の所在が不明だった指導者イスマイル・ハニーヤが久々に公の場に姿を現しました。
ハニーヤは演説の中で、犠牲者たちの血が勝利をもたらしたとし、戦闘によって経済封鎖の部分的な緩和を獲得したと主張。これはハマスにとっての政治的勝利の象徴として強調されました。
一方で、イスラエルではベンヤミン・ネタニヤフ首相が国民に向けて演説を行い、イスラエル軍がハマスに前例のない打撃を与えたと宣言。また、ハマスの要求には一切応じなかったとして、軍事作戦の成功を訴えました。
停戦までの50日間
50日間にわたる緊迫したガザ侵攻は、2014年8月26日の停戦合意によってようやく終結しましたが、その間にもたらされた人的及び物的損害は計り知れないものになりました。
パレスチナ側では2,251人が命を落とし、そのうち70%は女性や子供を含む民間人でした。さらに約11,000人が負傷し、18,000戸の住居が全壊または半壊。
一方、イスラエル側の損失は相対的に少なく、72人が死亡し、その大多数である67人が軍人でした。パレスチナ側の犠牲者数と比較すると、およそ30分の1ということになります。
両陣営の武器と盾の向上
ハマスをはじめとするパレスチナ武装勢力は、これまで以上に攻撃能力を高め、ロケット弾の射程距離はイスラエルの最大の商業都市であるテルアビブや聖地エルサレムにまで及びました。
しかし、イスラエルのアイアンドームによってほとんどが迎撃されました。それでもこの事実は、イスラエルに対する脅威の新たなレベルを示すものになりました。
停戦後の未解決問題とガザの復興
2014年8月26日の停戦合意に続いて、イスラエルとパレスチナ双方はカイロでの停戦交渉を1か月以内に行うことに同意しましたが、エジプトがガザとの境界を長期にわたって閉鎖したことで、交渉は実施されていません。
エジプトのこの措置は、ガザ地区の孤立を深めるものであり、停戦後の緊張の緩和と地域の安定化に向けた努力に影響を及ぼしました。
その後、2014年10月には、エジプトとノルウェーの主催の下、50カ国以上の国と国際機関が参加するガザ復興会議がカイロで開催されました。会議では約27億ドルの復興資金が約束されるという前向きな成果が出されました。
しかし、ガザを統治する予定だったパレスチナ統一政府の準備作業が遅れているため、実際の復興作業はほとんど進んでいません。ハマスによる実質的な統治が続いており、この政治的な停滞が復興への大きな障壁となっています。
戦争の背景とパレスチナの政治的要因
2014年のガザ侵攻は単なる軍事的衝突ではなく、その背景には深刻な政治的要因が存在していました。特に、ガザ地区への長期にわたる封鎖と、ファタハとハマス間の和解による統一内閣の発足が重要な要素になっています。
2006年のハマスの選挙勝利以降、パレスチナではハマスが統治するガザ地区と、ファタハが支配するヨルダン川西岸地区という二重政府状態が続いていました。
しかし、2014年6月2日には、長年にわたる対立を乗り越え、ファタハとハマスが和解し、パレスチナ自治区に統一内閣が発足しました。
これにより、7年間に及ぶ政治的分裂が解消されることとなりました。首相には無党派のラーミー・ハムダッラーが就任。
ハムダッラーはナジャフ大学の学長であり、前首相サラーム・ファイヤードの後を継いで2015年6月に首相に就任し、一時は辞任を表明しましたが、その後撤回し続投を決めていました。
ハマスのバッサーム・ナイーム首相補佐は、和解宣言後に、新内閣の使命は外交交渉ではなく、パレスチナの組織を統一し、選挙の準備を進め、特に破壊されたガザの再建にあると明言しました。
この政治的変化は、パレスチナの未来に対する新たな希望を象徴するものでした。
国際社会によるパレスチナ統一内閣の認知
2014年の統一内閣の発足は、国際的な政治の舞台において重要な転換点となりました。中でもアメリカ政府がハマスが参加する内閣を承認する決断を下したことは、パレスチナ政治における歴史的な瞬間になりました。
これまでのアメリカはイスラエルに同調し、ハマスの政権入り承認しない立場を取っていました。
しかし、今回の統一内閣樹立に際して、アメリカはカルテットが提示した条件「イスラエル国家の承認」「テロの放棄」「過去の国際合意の遵守」を基に政権を認めることに踏み切りました。
アメリカのジョン・ケリー国務長官は新政権発足前にマフムード・アッバース大統領と電話会談を行い、新政権におけるハマスの役割への懸念を伝えましたが、統一政権が実際に発足すると、アメリカは内閣の「構成と政策、行動」に基づいて評価する姿勢を示しました。
そして、新内閣の認知を翌日には留保つきで表明しました。これは、イスラエルから見れば、事前の約束を裏切る形となり、アメリカに対する反発を招くこととなりました。
EUと国連も新内閣に対して歓迎の意を示し、EUのキャサリーン・アシュトン外交代表は統一政権の形成を「重要なステップ」と評価。
さらにインド、中国、トルコも新政権の承認に加わり、統一内閣承認の動きが世界中に広がっていきました。
イスラエルの軍事力を使った現状変更と失敗
このような背景をもとに考えると、統一内閣の発足に対して、ハマスの参加を強硬に拒否するイスラエルは、外交的圧力と武力行使によってハマスの影響力を削減しようとしたのではないか?という疑念が浮かび上がります。
しかし、今回の戦闘において、ハマスは想定外の抵抗力を示し、停戦合意が成立するまでロケット弾攻撃を継続することができました。
この事実は、ハマスにとって一種の勝利と見なされ、ハマスの勝利宣言に繋がりました。ハマスはこの戦いで、パレスチナ人の間での支持を大いに高めることとなりました。
パレスチナ人の怒りとハマスの勢い
イスラエルはハマスを弱体化させることを目指していましたが、この激しい戦闘の中で、抑圧されたガザの住民の間で怒りと悲しみを爆発、逆にハマスの支持とその軍事行動に対する正当性を高める原動力となってしまいました。
このような動きは、イスラエルとパレスチナの間の長期的なパワーバランスに大きな影響を与え、地域の安定に向けた複雑な課題をさらに難しくしました。
パレスチナ和解の試みとその挫折
その後、2014年6月に成立したパレスチナの統一内閣は、ガザ地区におけるハマスの継続的な統治が原因で、わずか1年後の2015年6月に解散しました。
この短命に終わった統一政府は、パレスチナ内部の複雑な政治的な対立を浮き彫りにしました。
ファタハとハマスは、その後も和解を目指し、2017年10月にはエジプトの仲介のもとで和解協定に調印しました。
この協定は、ガザ地区の国境管理権限をパレスチナ自治政府に移譲するという重要な進展を含んでおり、11月にはその移行が完了しました。
しかし、ガザ地区の行政権限の移行については、2017年12月に完了する予定でしたが、「ハマス」系の公務員の処遇などの問題で交渉が難航し、結局無期限に延期されました。
ファタハとハマス間の和解への道のりは、依然として未解決の課題を抱えたまま、パレスチナの将来に対する不確実性を高めています。
イスラエル、地下と海からの攻撃への防衛策強化へ
2014年ガザ侵攻の際、地下トンネルからの侵入以外にも、ハマスの特殊部隊が海岸線の警戒の緩い部分を利用して侵入を試みる事件が発生し、イスラエルはさらなる防衛策強化に迫られました。
「天井のない監獄」のさらなる強化
2019年、ついにイスラエルはガザ地区の北部の海岸線に沿って海の壁を完成させました。この壁は地中海に約200メートル伸び、50メートル幅の石の上に6メートルの高さの「スマートフェンス」が設置されています。
また、壁にはセンサーや地震感知器が取り付けられており、海からの侵入を防ぐための高度な監視体制が整えられています。
海の壁が完成したことで、ガザ地区は陸地と海上が封鎖されました。さらにイスラエルは、地下トンネルからの奇襲攻撃を阻止するために長さ65キロにのぼるコンクリートの地下壁も封鎖しました。
これによりまさに「天井のない監獄」と表現されるほどの厳重な隔離状態に置かれました。
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