推定樹齢1,800年以上とされる日本最古の桜、「山高神代桜」は、その壮大な歴史と美しさで知られています。
この桜は、日本三大桜の一つに数えられ、古来より多くの人々に親しまれ、神が宿る木として崇められてきました。
2,000-year-old Yamataka Jindai Sakura
山高神代桜、日本の最古の命の輝き
山高神代桜(やまたかじんだいざくら)は山梨県 北杜市大津山 實相寺(実相寺・じっそうじ)境内に雄大な姿でそびえ立っています。
この桜は、福島県の三春滝桜(みはるたきざくら)・ 岐阜県の根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら)と並んで、日本三大桜の一つに数えられています。
山高神代桜を守り伝えてきた寺「大津山 實相寺」
大津山實相寺は、山梨県北杜市(ほくとし)にある伝統ある古い寺で、長年にわたって山高神代桜を守り伝えてきました。
この寺は日蓮宗の総本山である身延山久遠寺(みのぶさんくえんじ)の直属の寺「直末寺(じきまつじ)」として、南北朝時代の永和元年(1375年)に日應上人(にちおうしょうにん)によって創建されました。
日應上人は身延山第五世法主(みのぶさんだいごせほうしゅ)の日台上人(にったいしょうにん)の弟子であり、山内の塔頭・鏡円坊(きょうえんぼう)の第四世を歴任しました。
永禄四年(1561年)に武田信玄から永代祈願所として寄進を受け、寺院は現在の場所に移転しました。境内は武田家支流の一条氏の城跡であり、その末裔である山高氏の領地でした。
山高氏は後に旗本となり、朱印状が送られて寺領が安堵されました。江戸時代には、巨大な建物「大伽藍(だいがらん)」を有する日蓮宗の道場として栄えました。
現在も大津山實相寺は、山高神代桜とともに多くの人々に親しまれており、その歴史と伝統が継承されています。
日本で最古・最大級の歴史を見守るエドヒガン!!
山高神代桜は、樹高約10.3m、根回り約11.8mの日本で最古・最大級のエドヒガンザクラです。
推定樹齢1,800〜2,000年!!
推定樹齢は1,800年から2,000年ともいわれており、その長い歴史の中で、折れたり割れたりしましたが、何度も立ち直り、約二千年間その花を咲かせ続けてきました。
その美しさと力強い持続性は、人々に感動を与え、尊敬の念すら抱かせます。
この貴重な桜は地元住民によって大切に扱われており、日本の文化や伝統を過去から今に引き継ぐ重要な存在になっています。
見頃は毎年4月上旬から中旬
山高神代桜は、観光名所としてお花見の時期になると、毎年多くの観光客が訪れます。
見頃は、毎年4月上旬から中旬にかけてで、開花後から満開の状態が続く期間はおおよそ1週間から10日前後です。
この時期には、地元のイベントやお祭りも開催されることがあり、地域の文化にも触れることができます。
約2000年の歴史を感じながらのお花見は、訪れる人々にとって特別な体験になっています。
名前は神話の時代から!!
山高神代桜は、西暦24年に、古代日本の英雄であり、日本神話にも登場する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷征定(とういせいばつ)の折りを捧げるためにこの地に留まり、記念にこの桜をその手で植えたとされています。
この伝説が山高神代桜の名前の由来となっていると言われています。
「妙法桜」とも呼ばれる
山高神代桜には、鎌倉時代に、日蓮宗の開祖であり、日本の仏教に大きな影響を与えた人物「日蓮聖人」が訪れた際のエピソードも今に伝えられています。
ある時、この地を訪れた日蓮聖人は、桜の衰えを見て憂い、樹勢回復を祈願しました。すると、桜はみるみる再生し、見事な姿に戻ったとされています。
この伝説にちなんで、山高神代桜は妙法(不思議な仏法の力)で蘇った桜、「妙法桜(みょうほうざくら)」とも呼ばれています。
天然記念物第1号に指定!
1922年(大正11年)に、山高神代桜は国の天然記念物第1号に指定されました。
そして、同時に指定を受けた根尾谷淡墨桜・三春滝桜とともに「日本の三大桜」と呼ばれるようになりました。
ちなみに、この当時の山高神代桜は、高さ13.6m、枝張り東西27.0m、南北30.6m、高さ1.5m地点の幹回りは10.6m、の大きさでした。
「新日本名木百選」
平成2年(1990年)には、山高神代桜は「新日本名木百選」にも指定されました。
新日本名木百選は、日本の名木を選定し、保護や活用に役立てることを目的としたプロジェクトで、山高神代桜もその価値が認められたのです。
その後、山高神代桜は幾度となく過酷な自然災害に遭遇しました。
それでもこの桜は生き延びました。
しかし、最盛期の大きさに比べると小さくなってしまい、現在の大きさになりました。
それでも支える幹の姿からは、力強い生命力を放っています。
神代桜だけじゃない!?様々な貴重な桜が咲く!!
實相寺境内には、神代桜以外にも全国各地の有名な桜の「子孫木」が植えられており、それらもまた美しい景観を作り出しています。
これらの桜は、それぞれの名所からもたらされた文字通り子や孫の木であり、様々な種類の桜が見られることが寺の魅力の一つとなっています。
以下は、實相寺に植えられているいくつかの名桜の子孫です。
- 臥龍桜の子桜 – 福島県会津若松市にある臥龍桜の子孫で、古くから親しまれている桜の一つです。
- 身延山久遠寺しだれ桜の子桜 – 山梨県南巨摩郡身延町にある身延山久遠寺のしだれ桜の子孫で、枝垂れる美しい姿が特徴的です。
- 淡墨桜の子桜 – 岐阜県本巣市にある淡墨桜の子孫で、日本三大桜の一つに数えられています。
- 地涌の桜(宇宙ザクラ) – 宇宙に旅立ち、地球に戻った神代桜の子孫。無重力の影響を受けた桜の木がどのように成長するか、今後の展開が注目されています。
これらの名桜の子孫が一堂に会する實相寺は、桜の美しさを楽しむことができる貴重な場所として、多くの人々に愛されています。
桜と水仙のコントラストが美しすぎる…。
神代桜の見頃と同じ時期には、約8万本のラッパ水仙も咲き誇ります。
足元に広がる鮮やかな黄色と、頭上に咲く桜の薄紅色が美しいコントラストを作り出し、それは春の訪れを感じさせてくれる光景になっています。
宇宙にいった桜!!「宇宙ザクラ」
宙に旅立ち、地球に戻った桜として有名になった「宇宙ザクラ(地涌の桜)」は、実は神代桜の子孫になります。。
2008年に神代桜の種を地元の小学生が採取した118粒の種子が日本の宇宙飛行士若田光一さんとともにスペースシャトルに乗って宇宙に飛び立ちました。
それから約8ヶ月間、国際宇宙ステーション「きぼう」で無重力の空間を過ごし、2009年7月に宇宙飛行士・若田光一さんと共に地球に帰還しました。
その後、地球に戻った種子を植えたところ、2粒が無事に発芽しました。
そのうちの一粒が實相寺境内に植えられ、現在では花を咲かせるまでに成長しました。
宇宙空間という無重力化の影響を受けた桜(宇宙ザクラ)が、今後どのように花を咲かせるのか、人々は成長を楽しみにしています。
復興の願いを込めて!神代桜の希望と絆
2011年3月11日、東日本大震災によって、巨大な地震と共に、高さ10メートルを超える津波に襲われた岩手県大槌町は甚大な被害を受けました。
大槌町立図書館の蔵書は泥にまみれてしましました。
震災後、復興に向かって歩み始めたある日、泥の中から日本画が発見されました。
それは日本画家の中島千波さんが描いた神代桜の版画でした。なんとか修復を試みたものの汚れがひどく、断念せざるを得ませんでした。
この経緯を耳にした中島千波さんが、同じ版画の寄付を申し出たことで、2012年に満開の神代桜の下で贈呈式が実現しました。
さらに、神代桜の種子から育てた苗木も大槌町の復興・街づくり活動を行う団体「おらが大槌夢広場」に寄贈され、大槌町と神代桜は深い絆で繋がり、その交流は今も続いています。
宇宙桜を植えるプロジェクトを実施
また、東日本大震災で津波被害にあった地域に、一般財団法人ワンアースの「きぼうの桜」プロジェクトによって
一般財団法人ワンアースの「きぼうの桜」プロジェクトとして、東日本大震災で津波被害にあった地域に、宇宙桜が植えられました。
これらの桜にはは、千年後まで風化しないという、復興のシンボルとしての願いを込められていました。神代桜の種子や苗木は、復興と再生のシンボルとして、被災地への支援や希望の象徴となっているのです。
神代桜の子桜たちは日本全国へ!そして世界に広がる!!
神代桜の子桜は、日本全国だけでなく、世界各地に植えられており、人々の心をつなぐ「縁」を築いています。
国交記念事業などの機会に、神代桜の苗木が贈呈され、ハンガリー、オーストリア、イタリアバチカン、イタリアサンマリノ、ポーランド、オーストラリア、ベトナム、台湾など、世界各地に「絆の種」が広がっています。
2008年(平成20年)には、オーストリアのザルツブルク出身の指揮者カラヤンの生誕百年記念事業で、彼が愛した桜の植樹が計画され、他の三大桜の苗木とともに神代桜の苗木がオーストリアに渡りました。
山高神代桜を救え!「樹勢回復プロジェクト」
人々はこの貴重な神代桜を、少しでも回復させようと試行錯誤を続けています。
しかし、樹勢衰退は、過去700年前にさかのぼるとされ、回復を目指す試みは昭和時代にも行われましたが、劇的な改善は見られていません。
神代桜は1935年(昭和10年)頃までは、樹勢は安定していましたが、その後から枯れ始め、昭和34年には台風の被害を受けました。1984年(昭和59年)には、樹勢衰退にともない保護するために屋根付きのやぐらが架けられました。
2001年(平成13年)には、樹勢回復調査検討委員会が組織され、調査の結果、根元周りの石積みと盛土が行われたことが判明しました。
樹勢衰退の原因が判明
そして、この調査によって樹勢衰退の原因が判明しました。
この時の盛土によって酸素供給が乏しくなり、ネコブセンチュウが繁殖し、その結果、今の瀕死の状態に陥ってしまっていたのです。
無事に樹勢回復!
こうして樹勢回復工事が2003年(平成15年)から始まり、根元周りの土を入れ替えて根圏環境が改善されました。
その結果、2004年(平成16年)には新枝が伸び、葉の枚数が増え、根の発根量も増加し、樹勢回復が認められ、屋根付きのやぐらが2006年(平成18年)に撤去されました。
読者の皆様へ
山高神代桜の存在は、日本の自然の力強さと文化の深さを象徴しています。
震災からの復興の過程で、この古木は不屈の生命力によって多くの人々に希望を与えました。
毎年の花の開花時期は、困難を乗り越えた後の新しい生命の始まりを感じるものになっており、人々に感動と新たな希望をもたらします。
山高神代桜の美しさとその長い歴史は、日本の自然と文化、そして震災からの希望を伝える貴重な宝物として、これからも大切にされるべきでしょう。