たった1本の木から広がった桜の魔法 ── 日本を魅了する「ソメイヨシノ」の秘密

この記事では、日本が誇る桜の代表格である「ソメイヨシノ」について、その魅力や由来、栽培方法、見どころなどを紹介しています。桜が咲き誇る春の季節には、多くの人々がソメイヨシノを愛でに訪れます。この記事を通じて、あなたも桜の美しさに酔いしれてみてはいかがでしょうか。

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一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。(「BOOK」データベースより)

‘Somei Yoshino’ cherry blossom facts?

桜の代表格「ソメイヨシノ」の意外な事実とは?

AQUA Geo Graphic/YouTube

ソメイヨシノは、日本の春の象徴的な花であり、日本人にとって特別な意味を持ちます。その美しさはもちろんですが、ソメイヨシノは、季節の移ろいや命のはかなさを表現する花としても愛されています。

明治時代以降、ソメイヨシノは急速に植樹され、日本の風物詩として定着しました。その美しさとはかなさから、様々な時代や精神性が投影されて愛されています。

戦時中、ソメイヨシノは「見事に咲いて、散っていく」様子から人の一生を重ね、命の尊さや儚さを象徴するものとして大切にされました。戦後は、「冬が寒いほど、見事に咲く」という特性から、復興と平和への願いが託され、人々の心に寄り添う存在となりました。

ソメイヨシノは単なる観賞用の樹木を超えて、日本人の心情や歴史を反映する象徴的な存在です。そのため、春の桜の花を楽しむ行事である「花見」は、日本の風土や文化に深く根ざしていると言えるでしょう。今後も、ソメイヨシノは日本の春の風物詩として、多くの人々に愛され続けることでしょう。

美しすぎる…。

ソメイヨシノ

ソメイヨシノの花は、淡いピンク色で、5枚の花びらが密集して咲くことが特徴的です。花弁が薄く透き通っているため、陽の光を浴びると、光が透き通るような美しい輝きを放ちます。

日本の春の風物詩の一つとして、多くの人々に愛されており。お花見の季節には、各地で桜祭りが開催され、多くの人々が美しい桜の下で楽しい時間を過ごしています。

儚すぎる…。桜吹雪
AQUA Geo Graphic/YouTube

ソメイヨシノの美しさは散る時にもあります。花びらが風に乗って散り、地面がピンク色に染まる光景は、また別の美しさを感じさせてくれます。春の訪れとともにやってくるソメイヨシノの美しい花を楽しむだけでなく、散る時にも感動することができるのが、ソメイヨシノの魅力の一つです。

花言葉「純潔」「優れた美人」

ソメイヨシノは日本における桜の代表的な品種であり、その美しさから多くの人々に愛されています。そのため、「純潔」、「優れた美人」などの花言葉が付けられています。

日本の桜の8割がソメイヨシノと言われている

日本の代表的な桜の品種であり、春の日本を象徴する花として知られています。全国の桜名所の約8割を占めているという説もあります。桜の開花前線を追って、日本を横断する旅が人気となっているのは、ソメイヨシノがあってこそです。

日本の春の風物詩「桜前線」

桜前線とは、日本全国で春に咲く桜の開花が始まる時期を表す線のことです。気象庁が発表する「桜の開花予想」と、各地での開花実況などを基に、日本の南部から北部に向かって移動する開花の進行状況を表したものです。

桜前線は、主にソメイヨシノの開花に注目され、九州地方を始めとする暖かい地域から、四国、本州南部、本州中部、本州北部、東北地方と北上していきます。桜の開花が進むにつれて、桜前線は北上していきます。

九州では3月中旬に開花し、本州の南部でも3月下旬に開花しますが、北部に行くほど開花時期が遅くなり、東北地方では4月になってから開花します。

桜前線の移動は、日本全国で花見が盛んな季節の到来を告げるものであり、多くの人が開花予想や開花実況を注目しています。また、桜前線が進むにつれて、各地で桜祭りや花見のイベントが開催されることもあります。

日本の川沿いに桜が多い理由

KSB瀬戸内海放送/YouTube

ソメイヨシノは、日本の代表的な桜の品種であり、非常に美しい花を咲かせることから、多くの人々に愛されています。公園や学校などの公共の場所に植えられていることが多い他、川沿いに咲いていることも多いです。

公園や学校などの公共の場所に植えられることが多い理由としては、桜の花が美しく、春になると多くの人々が訪れることができるためです。一方で、川沿いに植えられる理由としては、治水対策が挙げられます。

江戸時代には、治水対策として川沿いに桜を植えることが盛んに行われていました。当時の治水技術では、川が氾濫することがしばしばあり、それによって被害が発生することが多かったため、そうした被害を抑えるための対策として、川沿いに桜を植えることが考案されたといわれています。

桜は、一年を通して美しい景観を提供することができる木であり、花期には美しい花を咲かせます。また、桜の花は、風に乗って散ることから「桜吹雪」と呼ばれ、非常に美しい景観を見せることができます。

そうした美しい景観は、多くの人々を魅了し、お花見などのイベントが盛んに行われるようになったため、川沿いに桜が植えられることが多くなったといえます。現代でも、多くの地域で川沿いに桜が植えられており、春の風物詩として親しまれています。

ソメイヨシノが絶滅の危機!?激動の桜物語

Shining

明治維新後の新政府は、日本の近代化を進めるために徳川時代の様々な文化や風習を排除する政策を実施していました。この中で、桜も影響を受け、従来の山桜や里桜をソメイヨシノに植え替える動きが広まりました。

里桜が絶滅に危機
Satozakura 'Yokihi'

新政府は、近代化のシンボルとしてソメイヨシノを広めることを目指し、その美しさや早い成長が好まれる理由から、全国各地でソメイヨシノが植えられるようになりました。この結果、従来の桜の品種が次第に姿を消し、里桜の絶滅の危機が訪れました。

江戸時代の植木職人である高木孫右衛門の活動によって、里桜の多くの品種が絶滅の危機から救われました。彼は自宅で84種類の里桜を保護し増やし、後に政治家の清水謙吾が荒川の堤防改修時にこれらの里桜を植えることを提案しました。

結果として、78品種、3225本の里桜が荒川沿いに移植され、「五色桜」と呼ばれる桜の名所が誕生しました。

里桜はその後、様々な公園や公共施設にも移植され、再び日本各地で咲くようになりました。この活動によって、里桜は絶滅の危機を免れることができました。

また、国際的にも里桜の保護と交流が進みました。1912年には、アメリカのワシントンDCに12種、3020本の桜が贈られ、ポトマック川河岸やホワイトハウスの庭などで日本の里桜が根付きました。

第二次世界大戦で薪として桜の木が切り倒される

第二次世界大戦中、燃料として使用されるために日本全国の桜の木が次々と倒され、桜並木が消えてしまいました。

戦後の焼け野原…。復興を願った日本人はソメイヨシノを植える

1945年の太平洋戦争終結後、日本は焼野原となり、復興の願いを込めてソメイヨシノの苗木が各地に植えられました。お祝いや記念行事があるたびに、ソメイヨシノの苗木が植えられるようになり、全国に広がっていきました。

公益財団法人日本花の会は、日本の桜の名所づくりに貢献してきました。この財団が創設された1962年以来、200万本以上のソメイヨシノの苗を全国各地に提供してきたといいます。このような取り組みにより、桜は再び日本の風物詩として広がり、多くの人々に愛されるようになりました。

ソメイヨシノは絶滅の危機の最中

このようにして戦後に再び一斉に植えられたソメイヨシノは、日本全国にある桜の8割以上を占めていますが、

それが現在、一斉に高齢化問題に直面しています。成長が早いことで知られているソメイヨシノですが、裏を返せば、この桜の寿命は他の品種に比べて短めで、一般的には60年ほどと言われています。

それでも、環境の良い場所で適切に育てられているものの中には、100年や200年以上も生き続けている長寿の桜もいます。

個体や生育環境の差はありますが、40年を超えると外観ではわからなくても木の内部が腐り始めているものも少なくないとのこと。平均寿命と言われている60年に達したソメイヨシノの内、8割もがいつ倒木してもおかしくないほど内部は腐っているらしいです。

とくに近年は桜にとっても非常に住みづらい環境の悪化が進んでいるとのことで、平均寿命もさらに短くなっていると言われています。さらに、ソメイヨシノは非常に繊細な種で、些細なことで病気にもなりやすい。

高齢になるほどそのリスクも高い。接ぎ木によりクローン化で増やされているので、1つが病気になると次々と感染していくスピードも速いので、全滅してしまう危機とも常に隣合わせです。

全てクローン!?人がいなくなると絶滅してしまう

ソメイヨシノは、確かに美しく人々の心を引きつける桜ですが、その一方で自然繁殖ができなず、人の手で定植されないと絶滅してしまうという、厄介な面も持ち合わせています。

その理由は、ソメイヨシノが種子を作ることがないため、自然に増えることができないからです。しかし、ソメイヨシノの木がまったく実を付けないわけではありません。実が付くことはあるものの、その種子の花粉親はソメイヨシノ以外の桜であるため、その種子からソメイヨシノが生えてくることはありません。

では、なぜソメイヨシノ同士の交配が生じないのでしょうか。これは、サクラ属の植物が自家不和合性を持っていることと、ソメイヨシノがすべての個体がクローンであることにより説明ができます。

自家不和合性

自家不和合性とは、植物が自分自身と同じ遺伝子を持つ花粉と受粉しないようにする仕組みです。これにより、遺伝的多様性を維持し、適応能力を向上させることができます。

奇跡の品種「ソメイヨシノ」を増やす方法は接木だった

ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンが交配された結果生まれたとされていますが、単純に両者を掛け合わせてもソメイヨシノと同じ品種が誕生するわけではありません。複雑な遺伝子の組み合わせと偶然の突然変異が重なり、奇跡的にソメイヨシノが生まれたと考えられています。

このような特徴的な品種を増やすために用いられたのが、古来から伝わる「接ぎ木」でした。

接木=クローン技術

接ぎ木は、増殖を目的とする植物の枝や芽を切り取り、他の植物に接ぎ合わせて新しい木として育てる手法です。この方法で育てられた新しい木は、親株と全く同じDNAを持っています。つまり、接ぎ木はクローン技術の一種と言えます。

この接ぎ木技術によって、ソメイヨシノは日本全国に広がり、多くの人々がその美しさを楽しむことができるようになりました。ソメイヨシノが自然繁殖できないため、この技術がなければ、現在のように広く普及していることはありませんでした。

接ぎ木技術によって、この貴重な桜の品種が次世代にも引き継がれることが可能になっています。

ソメイヨシノ(クローン)はまたたくまに日本全国に広がる

接ぎ木という技術は、今も受け継がれており、ソメイヨシノの増殖に大いに貢献しています。ソメイヨシノの枝を切り分け、土台となるオオシマザクラに接ぎ合わせることで、新しいソメイヨシノが育てられます。この方法により、1年後には苗木になり、2年後には花を咲かせることができます。

ソメイヨシノは、成長が早く、見栄えの良い大きな花を咲かせることができ、また接木(クローン)のため同時期に一斉に開花するので、花見の名所を作る側にとって非常に好都合な品種です。

また、ヤマザクラと比較しても、ソメイヨシノは花が多く、短期間で大きく育ちます。接ぎ木によって1本の木から1000本もの苗木を作ることができるため、ソメイヨシノは迅速に増やすことが可能です。

このようにして、明治時代以降、接ぎ木技術を利用してソメイヨシノは全国に広まりました。最初に生まれた1本のソメイヨシノから次々とコピーされ、日本中の人々がその美しさを楽しむことができるようになりました。

ソメイヨシノは、その特徴と増殖方法によって、日本の桜の代名詞として広く親しまれるようになったのです。

ソメイヨシノは全てクローン!自分自身では交配が不可能

このように、ソメイヨシノはクローン繁殖で増やされてきたため、隣にあるソメイヨシノであっても遺伝的には同一となります。そのため、ソメイヨシノ同士では自家不和合性が働き、種子を作ることができません。

ただし、別の品種のサクラと交配することで種子ができますが、その場合は雑種となり、純粋なソメイヨシノではなくなります。

このため、ソメイヨシノを増やす方法は「接ぎ木」が主であり、その技術が古くから伝わっていることが、ソメイヨシノの現在の広がりに大きく寄与しています。

接ぎ木により、遺伝的に同一のソメイヨシノを増やすことが可能であり、それが日本中の桜の名所で見られる美しいソメイヨシノの景色を作り出しています。

ソメイヨシノの接木の弱点?病気に弱く短命

ソメイヨシノは寿命が60年とも70年ともいわれますが、動物のようにおおよその寿命があるわけではありませんが、樹齢が50年を超えてくると老木の域に入り、花の咲く時期が若い頃に比べてわずかに早くなる傾向があります。

メイヨシノは接ぎ木によってしか殖やせないので、寿命はこの時に使用する台木の種類に関係するのではないかという説がある。

接ぎ木とは増やしたい植物の一部を台木と呼ぶ植物体に挿し込み、融合させて苗木とする方法です。そしてソメイヨシノの台木には、マザクラ(アオハダザクラ)という品種の挿し苗が使用されることが多く、戦後全国各地に植栽されたソメイヨシノの台木も、ほとんどがマザクラの挿し苗だと言われています。

マザクラは成長が早く活着率も高いため、台木として使用されているのですが、病気に弱く寿命が短いという弱点があります。台木として使用されたマザクラも最初は根を張るのですが、やがて寿命を迎えて腐ってしまいます。そこから腐朽菌が繁殖してソメイヨシノの主幹を腐らせ、寿命を縮める原因となりました。

クローンであるため、ほとんどの株が同一の特性を持つソメイヨシノは、植樹された時期が同じならば、同じ時期に寿命を迎えます。また、病気や環境の悪化に負ける場合は、多くの株が同じような影響を受けてしまうという弱点もあります。

時を超えたミステリー「最初の一本」

ソメイヨシノの原産地は確定されていませんが、一説によれば江戸時代の中期に、江戸の染井村(現・東京都豊島区駒込)の植木職人が売り出した「吉野桜」が始まりだと言われています。

最初の1本が人為的に交配されたのか、それとも自然にできたのかは諸説あります。ソメイヨシノはクローンであるため、先祖をたどって「最初の1本」にたどり着くことは極めて難しいとされています。

誕生の秘密を探る研究は明治から!

ソメイヨシノの誕生に関する研究は、明治から大正、昭和、平成と脈々と続いており、様々な手法で研究が行われてきました。花や葉の形態を調べたり、交配実験を行ったり、分子生物学の進展に伴ってDNAを分析したりと、その時代ごとに異なる方法で取り組んできました。

1878年 文献に残る最古のソメイヨシノ

開成山公園内にあるソメイヨシノの一部は、安積開拓当時(1878年)に植えられたとの文献が残っており、樹齢140年を超えるソメイヨシノは非常に珍しいとされています。そのため、文献に記された情報が正確であるかどうかを確認する目的で、科学的調査が行われました。

調査の結果、開成山公園内のソメイヨシノは、文献に記載された時期に植えられたことが証明されました。さらに、2019年に樹木医学会の学会誌で、これらのソメイヨシノが日本最古であることが認められました。

染井村からきた吉野桜「ソメイヨシノ(染井吉野)」と命名

1900年(明治33年)には東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命が、日本園芸会雑誌で命名を報告しています。

彼は、上野公園に多く植えられていた「吉野桜」とされる桜を詳しく観察し、吉野山に多いヤマザクラとは花と葉の形態が異なることに気づきました。このことから、吉野桜と呼ばれている桜は実際には別の種類であると考えました。

藤野は、江戸時代の染井村(現在の東京都豊島区駒込)から売り出された吉野桜という言い伝えを古老から聞き、その名前にちなんで「ソメイヨシノ」と名付けました。これが、ソメイヨシノという名前の始まりとされています。

原産地が不明の野生種説

1901年(明治34年)に東京帝国大学の松村任三博士によって、ソメイヨシノの学名「プルヌス・エドエンシス」(Prunus yedoensis)が発表されました。プルヌスはサクラの属名であり、エドエンシスは江戸で見つかったことを意味する種名です。しかし、当時はまだ野生の桜に関する研究が十分に行われておらず、ソメイヨシノも原産地がはっきりわからない野生種の一つと考えられていました。

エドヒガン+オオシマザクラの雑種説

大正時代に入ると、花や葉の特徴を手がかりに「染井村の吉野桜」の正体を推定する植物学者が現れました。屋久島にウィルソン株という屋久杉の巨大な切り株があり、その名は米国の植物学者E・H・ウィルソン博士が報告したことから来ています。

ウィルソン博士は1916年(大正5年)に、ソメイヨシノは野生種のエドヒガンとオオシマザクラの雑種であるという説を発表しました。

しかし、当時の植物分類学では雑種という考え方が一般的ではなく、ウィルソン博士の説は無視されていました。その後の研究により、ウィルソン博士の説が正しかったことが明らかになり、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種であることが広く認知されるようになります。

韓国の済州島起源説

昭和時代に入ると、韓国・済州島起源説が提唱されました。植物分類学の第一人者であった小泉源一・京都帝国大学教授が、済州島産の桜の標本にソメイヨシノに似たものを見つけました。この桜は古くから同島で見られ、地元ではワンボナムと呼ばれていました。

1932年(昭和7年)、小泉博士は済州島を現地調査し、ワンボナムの自生を確認しました。彼はワンボナムを済州島の古い別名エイシュウからとったエイシュウザクラと呼びました。

また、日本に生えているのと同じソメイヨシノも済州島に自生していると報告し、同島から日本に移入された可能性を提唱しました。

しかし、1960年代になると済州島起源説は見直されました。野生の桜の研究が進み、日本には10の野生種があることが明らかになりました。エドヒガン、オオシマザクラをはじめとする各種の桜の中から、ソメイヨシノの両親を探す科学者が現れました。

国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の竹中要博士は戦後、桜の人工交配実験を行い、花や葉の形態的特徴からソメイヨシノがエドヒガンとオオシマザクラの雑種であると1962年に報告しました。

竹中博士は遺伝研の敷地内に、人工交配で作られた桜や各地の桜を植えて観察を行っていました。現在では立派な桜並木に成長し、「遺伝研の桜」として地元で非常に有名な花見の名所となっています。

DNA分析ができる様になり雑種説が確定

平成の時代に入ると、ソメイヨシノの生い立ち研究は新たな段階を迎えました。分子生物学の発展により、DNA分析で雑種説を裏付ける研究が登場しました。花や葉の形態を調べる過去の研究でソメイヨシノが雑種であるという考え方が定着していましたが、DNA分析で科学的に確かめることが求められました。

桜の栽培品種は、良い性質を引き継ぐために、接ぎ木という人為的な方法で増やすことが一般的です。しかし、ソメイヨシノのような栽培品種でも、自然界で花粉が風や虫によって別の桜の雌しべに運ばれ受粉するプロセスを経て誕生したと考えられています。

そこで、ソメイヨシノの父親(花粉を飛ばした個体)と母親(受粉した雌しべを持つ個体)をDNA分析で推定する試みが行われました。

先駆けとなったのは、1996年の京都大学グループの研究で、ソメイヨシノの母親がエドヒガンであることがわかりました。彼らは、通常の細胞核DNAとは別に、細胞内の小器官(葉緑体)にある独自のDNAを調べる手法を用いました。葉緑体DNAは、母方からのみ遺伝する特徴を持っています。

細胞核のDNAは父親のDNAと母親のDNAが偶然に左右される形で遺伝しますが、葉緑体DNAはどの種が父親であろうと変わらず子に遺伝します。

結果として、ソメイヨシノとエドヒガンの葉緑体DNAが一致し、エドヒガンが母親であることが確認されました。

ヤマザクラも混ざっている可能性

2014年に行われた森林総合研究所の研究グループによるソメイヨシノのDNA分析では、DNAの塩基配列に見られる特徴的な繰り返し配列部分を26か所にわたって調査しました。この分析を通して、ソメイヨシノの遺伝子がどのような集団に由来するのかを調べました。

研究の結果、ソメイヨシノの遺伝子の一部がエドヒガン由来である可能性が最も高いことが示唆されました。次いで、オオシマザクラ由来の可能性も考えられることが分かりました。さらに、DNAの特徴からヤマザクラに由来する可能性も推定できることが判明しました。

この研究により、ソメイヨシノの遺伝子が複数の野生種の桜に由来する可能性があることが示されました。これは、過去の研究でエドヒガンとオオシマザクラが主要な親種であるとされていた説を裏付けるものであり、さらにヤマザクラとの関連性も示唆する重要な発見でした。

最初の一本は上野公園に!?
日テレNEWS/YouTube

2015年に発表された新たな説によれば、東京・上野公園に生えている1本のソメイヨシノが、その起源となる最初の1本ではないかとされています。千葉大学の中村郁郎教授のかずさDNA研究チームが、上野公園の表門に近い「小松宮親王像」の北側で、最初の1本と思われる原木を発見しました。

中村教授のチームは、これらの木の遺伝子解析を進めており、親王像を囲む桜がすべて同じ親木から生まれたことを確認したという報告があります。

ここには、ソメイヨシノの他に、コマツオトメとエドヒガン系の5本が生えています。同じ親木から異なる種類の桜が生まれたことから、これらの桜が人為的な交配によって新しい品種を作り出そうとした試みであった可能性が考えられます。

さらに、これらの桜が規則正しく並んで植えられていることからも、人為的な交配が行われたことが推測されます。このことから、上野公園で発見された桜がソメイヨシノの起源となる最初の1本である可能性が高いとされています。

ついに特定!?

2022年、かずさDNA研究所(千葉)は全国16の研究機関と協力し、ソメイヨシノのルーツを探る研究を実施しました。全国各地の46本のソメイヨシノについて、全ゲノム解析というすべてのDNA配列を調べる作業を行いました。

ソメイヨシノのDNAは約7億の塩基対があり、現代の科学技術でもかなりの手間と時間がかかります。

研究者たちは、成長の過程で起きるごくわずかな塩基配列の違いを丹念に調べました。全国各地のソメイヨシノが大きく4つのグループに分かれることが判明し、上野公園で4本のソメイヨシノが並んでいる場所も見つかりました。これらの4本は、最初の1本から接ぎ木されたのではないかと考えられています。

もしそうであれば、最初の1本の枝には、4本の特徴の痕跡があるはずです。つまり、4本と同じ塩基配列のわずかな違いを持つ4つの枝を持つソメイヨシノを見つけ出せば、それが最初の1本である可能性があります。

ソメイヨシノの最初の1本にたどりつくことができるかどうかは誰にもわかりませんが、全ゲノム解析から見えるわずかな手がかりを武器に、最初の1本を探すロマンに満ちた研究が続けられるでしょう。この研究によって、ソメイヨシノの起源や歴史についてより深い理解が得られることが期待されています。

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