《昭和の三大台風》危険度は超S級!!破壊のかぎりを尽くした「伊勢湾台風」【気象】

「伊勢湾台風」とは、1959年に日本を襲った大型台風で、特に東海地方を中心に甚大な被害をもたらしたものです。この台風では、愛知県や三重県などの低地が大きな被害を受け、犠牲者数の83%がこの2県に集中しました。

防災対策が不十分だった当時とは異なり、現在は災害防止・軽減のためのインフラ整備が進んでいますが、同時にその記憶は年々薄れ、災害への備えが脆弱になっている現状があります。

本記事では、伊勢湾台風の発生経緯や被害の状況、現在の防災対策について解説しています。また、台風や高潮、津波、地震等の災害について認識を深め、防災の意識を高めるために制定された「防災の日」の由来についても触れています。

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1959年に東海地方を襲い、未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風の記録写真集。被災者の体験は胸を打つ。(「紀伊國屋書店」データベースより)

1959.9.26 Isewan Typhoon

「伊勢湾台風」

まるはっちゅ~ぶ(名古屋市)/YouTube

伊勢湾台風(台風15号)は、1959年9月26日に日本に上陸し、特に東海地方を中心に甚大な被害をもたらした台風です。

驚異的な発達!昭和34年の台風第15号

クライシスTV/YouTube

昭和34年(1959年)9月20日にマーシャル諸島で発生した熱帯低気圧は、急速に発達し、わずか2日足らずで最盛期を迎えるという驚異的な発達ぶりを見せました。熱帯低気圧は西に進み、9月21日にはサイパン島の東を北上し、その後マリアナ諸島の東海上で台風第15号となりました。

その後、台風は再び西寄りに進路を変え、急激に発達しました。9月22日9時には996hPa(当時はmb・ミリバール)であった気圧が、同日15時には970mb、翌23日9時には905hpaとなり、僅か24時間で91hpaも気圧が低下しました。

最低気圧894hPaを記録

15号の発達はさらに続き、当時太平洋北西部での台風の動きを監視していたアメリカ空軍機の観測によると、23日午前5時での中心気圧は929hPa、11時には905hPa、そして午後3時の観測では、父島の南約900kmの北緯19.0度、東経142.9度の海上で、この台風の最低気圧となる894hPaを観測しました。

このような急激な発達は、まさに想像を絶するもので、昭和34年の台風第15号は、短期間で極めて強力な台風に成長するという驚くべき事例として記憶されています。

史上最強!?伊勢湾台風が上陸

959年(昭和34年)9月26日18時過ぎに、台風15号は和歌山県潮岬に上陸しました。上陸時の中心気圧929hPaは、現在でも史上最強の記録となっています。上陸後わずか6時間余りで本州を縦断し、富山市の東から日本海に進みました。その後、台風は北陸や東北地方の日本海沿いを北上しました。

9月27日には北海道の東で温帯低気圧に変わり、その後東太平洋にまで達しました。最終的に、台風15号は10月2日に消滅しました。この台風は急速な発達とともに、短期間で日本列島を縦断するなど、非常に強力な台風であったことから、多くの被害をもたらしました。特に、和歌山県や富山県などでは大きな影響があり、この台風の猛威が今でも語り継がれています。

日本全国を襲い、5,098人の死者・行方不明者を出した猛烈な台風

台風15号の影響により、東海道沿岸にあった前線が活発化しました。このため、九州を除く日本全国のほとんどの地域で大雨となり、特に紀伊半島では総降水量が800ミリメートルを超えました。この大雨により、家屋の全壊が36,135棟、半壊が113,052棟、流失家屋が4,703棟にのぼりました。

被災者数は、被害が集中した愛知県と三重県の住民の約2割にあたる約110万人に及びました。死者・行方不明者数は、全国の32道府県で合計で5,098人に上り、明治以降の台風による被害としては最悪の記録となりました。

これは阪神・淡路大震災(1995年)が発生するまで、戦後最大の自然災害での被害でもありました。

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全線の復旧に2ヶ月、早期復旧を目指した鉄道関係者の努力

愛知県では、台風15号によって3,000人以上の死者が出るという大きな被害が発生しました。その影響は名鉄電車にも及び、多くの被害がありました。長期間にわたって冠水した区間があったため、全線の復旧には約2ヶ月を要しました。

実は鉄道の復旧作業は、水が引く前から始まっていました、このことは多くの人々が知らないことかもしれません。しかし、鉄道関係者や復旧作業を行った人々は、その困難な状況下でも早期の復旧を目指して努力していたことが伺えます。

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昭和時代の三大台風の1つとして語り継がれる

「伊勢湾台風」として知られる台風15号は、伊勢湾沿岸地域において大規模な高潮や洪水などの被害をもたらしました。この台風は、特に愛知県や三重県など伊勢湾周辺の地域に大きな影響を与えたことから、「伊勢湾台風」と命名されています。

また、「伊勢湾台風」は、昭和時代の3大台風の1つに数えられています。他の2つの台風として、「室戸台風」(1947年、昭和22年)と「枕崎台風」(1951年、昭和26年)が挙げられます。これらの台風は、いずれも日本列島に甚大な被害を与えたことから、昭和時代の3大台風として語り継がれています。

テレ東NEWS/YouTube

伊勢湾台風における「高潮の被害」とは?

伊勢湾台風において、特に重大な被害が発生したのが「高潮の被害」です。

高潮とは、台風や低気圧などの気象現象によって引き起こされる高波や海面の上昇のことを指します。低気圧が接近すると、周囲の海水が中心部に押し寄せられ、海面が上昇します。さらに、強風によって波が高くなり、海岸沿いの地域に高波が押し寄せることがあり、沿岸地域では洪水や浸水などの被害が発生することがあります。

まるはっちゅ~ぶ(名古屋市)/YouTube
愛知・三重の海抜ゼロメートル地帯で特に甚大な被害が発生

伊勢湾台風は、満潮時に上陸したため、強風や低気圧の影響で異常な高潮が発生しました。このため、特に防災対策が不十分だった愛知県と三重県の海抜ゼロメートル地帯が大きな被害を受け、犠牲者数の83%がこの2県に集中しました。

この高潮によって、多くの住宅や施設が水没し、多数の人々が命を失いました。これにより、壊滅的な被害が発生しました。また、交通インフラや産業施設も大きく損傷し、地域社会に深刻な影響を及ぼしました。

名古屋市を襲った伊勢湾台風の泥の海

名古屋市南部をはじめとする伊勢湾一帯は、短時間のうちに泥の海と化しました。

人々が住み着いた海抜ゼロメートル地帯での暮らし

かつて、この低地は海が広がっていたが、人々は海を干拓し、埋め立てて水田を作り、街が築かれていったのが南区の歴史であります。次第に人々がこの地域に定住し、戦災で焼け出された人々や地方から来た工業労働力のための市営住宅も建設されました。

しかし、この地域は海抜が非常に低いため、大雨が降るたびに浸水に悩まされることが一般的でした。住民は、「畳につかなければ良い」と言いながらも、床下浸水には頻繁に見舞われていました。

それでも、伊勢湾台風時のような巨大な高潮に襲われるとは当時は誰も想像できませんでした。

中日新聞デジタル編集部/YouTube
水位上昇の様子や名古屋市南区の中学校避難所の体験記

名古屋市で気象による潮位上昇が顕著になり始めたのは、風速がおおよそ10m/sに達した昼頃で、その時点で台風中心はまだ潮岬の遠く南西にありました。台風が接近し、風速が20m/sを超えた19時過ぎからは潮位上昇がさらに急激になり、最低気圧が観測された時刻(21時27分)に近い21時35分に、前述した最大値に達しました。この時の実際の潮位は、東京湾中等潮位より3.89m上昇し、名古屋港工事基準面から測ると驚くことに5.31mに達しました。

当時、名古屋市南区の中学校に通っていた愛知工科大名誉教授の高橋義則さん(74歳、当時)は、水位が上昇し続ける中で家族とともに避難しました。彼らが避難した木造の中学校舎は、2階の廊下まで避難者で溢れかえっていました。水は校舎に入り込み、階段を1段ずつのみ込んでいったと語っています。幸いにも、2階まで水は上がらなかったものの、何が起こるか分からない不安な夜を過ごしました。

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20万トンの流木が町を襲う地獄絵図

伊勢湾台風が名古屋港周辺を襲った際、特に驚くべき被害が巨木の流出でした。約20万トンもの巨木が貯木場から溢れ出し、まるで狂ったように町を襲いました。この地区では、突如悲鳴や叫び声があちこちで響き渡り、まさに恐ろしい光景が展開されました。

名古屋市南区では、おおよそ1,500人が犠牲となり、その大部分が流木による被害だとされています。台風がもたらした甚大な被害の一因として、この地域において最も高潮が起こりやすいコースを台風が通過したことが挙げられます。

特に名古屋市の南部地域では、名古屋港で観測史上最高となる5.31メートルの高潮が襲い、高潮と巨木が引き起こす惨事が発生しました。

TBS NEWS/YouTube

「伊勢湾台風を教訓に」災害対策基本法の制定

台風発生から4日後の9月30日には「中部日本災害対策本部」を設置し、堤防の締め切り、湛水地域の排水、応急救助の円滑化、被災者支援、応急仮設・災害復興・災害公営住宅等の建設・補修、資材の緊急輸送などの復旧活動を一元化した。

これらの経験を踏まえた上で、被災から2年後の1961年11月15日、防災の概念と国の責務を明確にした「災害対策基本法」が制定された。

 この法律により、伊勢湾台風クラスの台風がやってきても被害を最小限に食い止めるため、行政は防災対策、災害対応を求められるようになり、現在にいたっているのだ。

「防災の日」の由来と意義

防災の日は『台風や高潮、津波、地震等の災害について認識を深め、それらの災害について大暑する心構えを準備するため』として、1960(昭和35)年6月11日の閣議で、9月1日を防災の日とすることが了解されたことに始まります。

ではなぜ9月1日なのでしょうか?実はこの日、関東大震災(1923(大正12)年9月1日)が起きた日なのです。またこの日には関東大震災以外にも防災に関する由来があります。   また、暦の上でも9月1日というのは、二百十日(にゃくとおか)にあたる日で、台風が多い時期という言い伝えがあることも関係している。

その他にも、1949(昭和24)年のキティ台風による大災害後に、当時の大阪管区気象台長の大谷東平氏は「9月1日を天災を顧みる日とし、天災に対する国民的訓練の日にすべきである」という提唱をしています。

実は直接のきっかけとなったのは、1959年9月の伊勢湾台風です。死者・行方不明者5000名以上という大災害となった伊勢湾台風の教訓は、以後のいろいろな防災対策に生かされてきましたが、その1つがこの「防災の日」の設置でし。

実は、昭和30年の『広辞苑』初版には「防災」という言葉はなく、掲載されたのは昭和44年の第2版からのようです。もしかしたら、それも、伊勢湾台風が契機のひとつだったかもしれません。

「特別警報の指標」は伊勢湾台風が指標

特別警報は、台風、雨、雪などの様々な気象現象に対して、それぞれ異なる指標が設定されています。台風の場合、指標とされるのは1959年の「伊勢湾台風」級(中心気圧930ヘクトパスカル以下または最大風速50メートル以上)です。ただし、沖縄、奄美、小笠原諸島では、より厳しい基準の910ヘクトパスカル以下または最大風速60メートル以上が適用されます。

気象庁が特別警報の運用を始めたのは2013年で、従来の警報・注意報を上回るものとして、重大な被害が発生する可能性がある場合に最大限の危機感を伝えることを目的としています。今回の台風14号では、鹿児島県に対して、台風の特別警報が発表されました。これは沖縄県以外の地域では初めてのことです。

また、台風により数十年に一度の降雨量が予想される場合には、大雨特別警報も発令されます。特別警報が出される前に、できる限り安全な場所に退避することが望ましいとされています。これにより、国民が適切な避難や対策を行い、災害の軽減が期待されます。

それから台風の犠牲者は昔よりもずっと少なくなった

昔の日本では、大規模な台風が襲来すると、多くの犠牲者が出ることが一般的でした。しかし、1980年代以降、台風による死者数は大幅に減少しました。これは台風の発生数が減ったからではなく、気象情報の正確さが向上したためです。伊勢湾台風の頃は、気象台にレーダーがなく、正確な台風情報が提供できなかったため、被害が拡大しました。

伊勢湾台風以降、災害防止・軽減のためのインフラ整備が進み、被害を抑えることができるようになりましたが、同時にその記憶は年々薄れ、災害への備えが脆弱になっている現状があります。一方で、地球温暖化や気候変動に伴い、スーパー台風や局地的な集中豪雨などの大規模災害が増加しています。

このような状況を受けて、専門家は災害対策の見直しや強化が必要だと指摘しています。具体的には、気象予測技術のさらなる向上、防災インフラの維持・改善、避難計画の見直し、そして住民への適切な情報提供が求められます。

これからも地球温暖化や気候変動によるリスクが増えることが予想されるため、過去の教訓を生かし、持続的な対策や準備が不可欠です。災害に備える意識を持ち続け、適切な対応ができるよう努めることが重要です。

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1959年に東海地方を襲い、未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風の記録写真集。被災者の体験は胸を打つ。(「紀伊國屋書店」データベースより)

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