「We Are the World」スーパースターたちが手を取り合って贈った愛と希望の歌

1985年、アメリカで発売された伝説のチャリティーソング「We Are the World」。アメリカの音楽界を代表するアーティストたちが集結して、アフリカの飢餓救済のためのチャリティー活動を支援するために制作されました。この記事では、この名曲の誕生秘話や、その後の影響について掘り下げます。

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1985年、飢餓に苦しむアフリカに救いの手を差し延べようと、マイケル・ジャクソンをはじめ、全米のトップ・アーティストが一堂に会して行なわれた歴史的イベント。限られた時間の中で妥協を許さない一流のミュージシャン達が、一つの曲を仕上げていく風景は、ただただ圧巻。極限の緊張感の中、普段あまり見ることの出来ないミュージシャン達のレコーディング風景も必見。10周年記念のドキュメンタリー番組も収録した2枚組。(「Oricon」データベースより)

1985.3.7

「We Are the World」──アメリカ音楽史に刻まれた、愛と希望に満ちた名曲

Vevo/YouTube

“We Are the World”は1985年3月8日にアメリカでシングルとしてリリースされました。

「We Are The World」は全世界で2000万枚を売り上げたチャリティーソングです。1985年4月5日には世界中の8000以上のラジオ局で同時にオンエアされ、国内だけでもシングルが400万枚、アルバムが300万枚を売り上げ、この曲は1985年を代表する大ヒット曲となり、1986年には最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞・グラミー賞と3冠を達成した。

USA For Africaに寄付

「We Are The World」の収益は、NPO「USA for Africa」に寄付されました。このNPOは、アフリカ大陸における飢餓や貧困などの問題に取り組むために設立された団体であり、集められた7500万ドル以上の金は、アフリカ大陸の困窮との戦いの手助けとなりました。

「このレコードは、飢餓に苦しむアフリカの人々に救いの手をさしのべようとするアメリカの有名アーティストの善意と協力により、制作されました。そしてこのレコードの制作・製造・販売にかかわるすべての利益をアフリカ救済基金(USA for AFRICA)に寄付いたします。・・・救いの輪がより大きくなって欲しいと、関係者一同心から念願しております。」

『歌の力』 ~We Are The World~

世界中の人々が協力して困難を克服

“We Are the World”の歌詞には、世界中の人々が協力して困難を克服し、未来に向けて希望を持つことの重要性が込められています。

We are the world,We are the children
僕らは仲間、僕らは皆 神の子供たち
We are the ones who make a brighter day
明るい明日を作っていくのは僕ら自身
So let’t start giving
さあ 今こそ始めよう
There’s a choice we’re making
やるか やらないか 選ぶのは君次第
We’re saving our own lives
それは僕たちの命を救うことにもなるんだ
It’s true we’ll make a better day  Just you and me.
本当さ、住みよい世界を作るのさ  君と僕で

We are the world 、歌詞 (英語 日本語訳)と曲に込められた想い/TABETAINJA.2012

イギリスのチャリティ「BAND AID」の影響を受けSTARTしたプロジェクト

「ボブ・ゲルドフにはやられた…。」1984年に起こったイギリスのチャリティープロジェクト「バンド・エイド」に触発され、アメリカでも同様のプロジェクトを始めることを提唱したハリー・ベラフォンテ。イギリスのスターたちにアメリカのアーティストたちも負けていられない。自分たちにできることを最大限に発揮して、世界一のチャリティーソングを作ろうと決意しました。

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★ボブ・ゲルドフが4度立ち上がる。過去に例を見ない規模に拡大するエボラ出血熱に苦しむアフリカの人々を救済するプロジェクト、Band Aid 30!(メーカー・インフォメーションより)
そのプロジェクトの名前は「USA For Africa」

プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称とのダブルミーニングで「USA for Africa(USAフォー・アフリカ)」という名称が選ばれました。この名称は、アメリカのアーティストたちがアフリカ大陸の人々を支援するために、アメリカからの支援を象徴するものです。このプロジェクトの目的は、アフリカの飢餓救済に資金を提供することで、アフリカの人々の生活を改善し、彼らの困難を和らげることでした

そしてついにプロジェクトは動き出した!!!

ハリー・べラフォンテは、ある日ライオネル・リッチーのマネジャーであるケン・クレイガンに、飢餓と病気に苦しむ悲惨なアフリカの子供たちを自分たちの手で救済する方法を相談しました。クレイガンはそのプランを聞き、彼の顧客であり友人でもあるライオネル・リッチーを連絡し、それを妻のブレンダに話しました。

ブレンダはそれをスティービー・ワンダーへと伝えます。一方、クレイガンはクインシー・ジョーンズにも電話をし、クインシーはマイケル・ジャクソンに伝えました。このプロジェクトは、当初は彼らのルーツでもある黒人アーティストが中心のチャリティー活動になると予想されていましたが、大物の白人アーティストの賛同も得られることとなりました。

作詞・作曲「マイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチー」

当初、ライオネル・リッチーはスティービー・ワンダーと共にこの曲を制作する予定でしたが、ワンダーの多忙なツアースケジュールのため、代わりにマイケル・ジャクソンが共同で作詞・作曲をすることになりました。

二人のアーティストは、ユニークでありながら、一度聞いたらすぐに普通じゃないとわかるような「普遍的な曲」を作りたいと考え、世界中のさまざまな国歌を聴いて準備しました。彼らはアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、ロシアなどの国の国歌を聴き、それらを融合させて世界の国歌を代表するような馴染みのあるリズムを作り上げました。

締め切り直前の完成

マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーは非常に厳しいスケジュールの中でこの曲を作り上げました。両者は実際、締切日の前日まで歌詞とメロディーの完成に取り組んでいました。それは、参加したアーティストたちが歌詞とメロディを練習できるようになるまで、ぎりぎりの時間までふたりが曲作りに励んでいたことを示しています。

デモテープ完成!

1985年1月22日には、ケニー・ロジャースが所有するライオン・シェア・スタジオで、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、そしてスティーヴィー・ワンダーが集まりました。彼らは一晩中曲作りに専念し、その成果は翌日のデモテープに収められました。このデモテープは、数日後の本番レコーディングのための参考資料となりました。

スーパースター達が集結!

1985年1月28日、ハリー・ベラフォンテが発起人となり、「USA(United Support of Artists) for AFRICA」の制作のため、45人ものトップスターがロスのA&Mスタジオに集まりまりました。ペプシ、ヤマハなど約300社が協力し、スタッフ150人以上が参加。この記念すべき出来事は今では伝説になっている。

1982年のドナ・サマーのヒット曲「State of Independence」はクインシー・ジョーンズのプロデュースで、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・イングラム、ケニー・ロギンス、ディオンヌ・ワーウィックなどが参加した。彼らはその後、「We Are the World」に参加した。クインシー・ジョーンズは、「半数以上が以前に個別に仕事をしたことがあるシンガーたち」だったと述べた。

トップシークレット!秘密裏にスーパースターが集合

セッションに参加していた有名人は多く、リムジンで駆け付けたというが、その登場の仕方は芸能人らしくなかった。ブルース・スプリングスティーンはライト・エイドか食料品店の駐車スペースにトラックを停め、歩いてきたという。今世の中ならば、秘密を守るのは不可能で、秘密の通路が必要であり、携帯電話のチェックが行われていたと思われる。

「各自のエゴは入口で預けておく」

クインシーはレコーディングの数日前に参加者全員に招待状を送り、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預ける)」を標語として行動指針とした。意味は「レストラン入店時にコートをクロークに預けるように、自意識を封印しろ」ということだ、そのメッセージを言葉にして伝える以外に良い方法はないと思った。

クインシー・ジョーンズは、「各自のエゴは入口で預けておく」という表示は必要なかったと述べた。彼は、手助けを必要としている人のために、世界中の最大のスターが一つの部屋に集まったことを、「We Are the World」という集まりが最高の実例かもしれないと評価した。

シンディ・ローパーは、レコーディングの晩のモットー「各自のエゴは入口で預けておく」にもかかわらず、ド派手な衣装で圧倒していた。

直前にミュージック・アワー!スターたちの雰囲気はお祭り!?

1985年1月28日の夜、「ミュージック・アワード」に出演した多くのアーティストが、イベントを後にハリウッドのスタジオへ直行してレコーディングに参加した。 ライオネル・リッチーがホストを務め、シンディ・ローパーとティナ・ターナーが洗練されたステージを披露したばかりだった。 そのため、スタジオに到着したアーティスト達の間には、当初緊張感が少なく、この曲の持つ重要性を忘れてしまっていた。

ちなみにマイケル・ジャクソンは、2つの賞を受賞しているが、ガイドボーカルのレコーディングのためにその場には欠席した。

この曲の意義についてボブ・ゲルドフがスピーチ

クインシーは、レコーディングを開始する前に、ボブ・ゲルドフをスピーカーとして招き、アフリカの飢餓の惨状を訴えさせた。すると、ミュージシャン達の目の色は一つになり、その目には涙が浮かび、全員が「なぜ自分達がここに集められたか」という純粋な感動が湧き起こった。

スタジオ入りして曲を聞いてすぐにレコーディング!

80年代初頭、スタジオ入りするまで曲を聴いていなかったシンガーたち。ケニー・ロジャースも同様で最初のセッションでは曲を聴くことができなかった。ホール&オーツのジョン・オーツも、曲を聴かずにアンサンブルを簡単にこなし、素晴らしいクオリティーで歌うことができた。

当時全盛期を迎えていたスーパースター、スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーなどそうそうたる面々が集い、レイ・チャールズ、ボブ・ディラン、ダイアナ・ロスなどの生ける伝説も加わり、見事なコラボレーションで歌い上げる。

ライオネル・リッチーは、「We Are the World」のレコーディング・セッションが原因で、アメリカン・ミュージック・アワードの出来事を覚えていないと主張している。セッションは12時間続き、出席した人々にはボブ・ディランやビリー・ジョエルなどがいた。

ライオネル・リッチ―がソロを歌う権利を与えられた時、ジョーンズのボーカル・アレンジャー、トム・バラーが、参加者の各々の声域を把握し、適切なパートを割り当てた。ケニー・ロジャースも評価し、スティーヴ・ペリーがやったような難しいパートを僕にはできなかったと述べた。

レイ・チャールズは尊敬を集めており、他のアーティストと比較なく、真ん中に立ってパートを歌っていた。プロデューサーが現れることもあったが、レイは「マイケルの言う事を聞くんだ。こいつを完成させよう」と言って他のアーティストをサポートし、曲を完成させた。

ボブ・ディランは「We Are the World」のレコーディング中に緊張していたが、スティーヴィー・ワンダーのピアノに座り、ジョン・オーツの後ろでソロを歌い上げた。

ケニー・ロジャースは、自分が歌った曲がとてもスペシャルだと感じ、セッションのスコアを持って参加者にサインをお願いした。その結果、ダイアナ・ロスなど他のミュージシャンもサインを集め始め、結果としてアトランタとコロラドに飾られたサイン入りの楽譜を持つことになった。ジョン・オーツもレイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーなどのサインを集め、最高の宝物を得ている。クインシー・ジョーンズは、それを書斎にかけてあるという。

スターだらけ!?スターがスターのサインを欲しがった

ケニー・ロジャースはこう振り返っている。 「誰もが、思い出になるような記念品を欲しがっていたんだ。僕らは楽譜を持っていたから、それに他のアーティストにサインしてもらったんだよ。サインをもらわずに帰った人は誰もいないと思うよ」。 ライオネル・リッチーが指摘したように、ケニー・ロジャースらの集団がヒステリーを起こし、他のアーティストからサインを欲しがっていたということが分かる。その結果、どの人もサインをもらうことができたようで、誰一人としてサインをもらわずに帰った人はいなかったということになる。

呼ばれたが参加しなかったプリンス

プリンスは、1985年にリリースされたチャリティーソング「We Are the World」の制作には参加していません。

その代わりに「4 The Tears In Your Eyes」という楽曲を提供しました。2018年になって、シーラ・Eの証言で新たな事実が明らかになりました。プリンスは自身の背の低さが目立つことを嫌がり、マイケルに食われることを懸念していたという噂があったが事実ではなかったらしい。実はシーラ・Eはプリンスを呼ぶために、嘘をつかれて引き留められていた。プリンスはこの嫌らしいやり方に立腹し、自身も来なかったと告げてシーラに帰ってくるように依頼したということらしいのです。

他の曲もレコーディングしていた!?

ハリー・ベラフォンテが発案した、社会活動家としても有名な「We Are the World」は、スーパーグループをレコーディングのためにアーティストたちを集め、収益を慈善事業に寄付するという夢を実現するためのものでした。彼がその夢を実現するために献身したことを称え、スタジオの中のスターたちは彼のヒット曲「Day-O (The Banana Boat Song)」を即興で歌い始めたのです。「We Are the World」だけではなく、他の曲もレコーディングされました。

jediscience/YouTube

「USA For AfricaとWe Are The World」

「We Are the World」は、発売当時から世界中で愛され、多くの人々に歌われ続けてきました。例えば、天災や戦争などの被災者支援のために、チャリティーコンサートで度々演奏されたり、カラオケや音楽番組でも取り上げられたりしています。また、音楽プロジェクト「USA for Africa」の設立にもつながり、音楽界のみならず社会に大きな影響を与えた名曲となっています。

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「9.11」の直後に全米各地で歌われた

9.11直後から小中学校や高校で「We Are The World」が合唱曲として歌われ、ラジオ局がオンエアを繰り返した。

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「USA for AFRICA」3.11で日本に寄付

USA for AFRICAは、「We Are The World」の日本での最も忠実なファンへの感謝の気持ちを込めて、東日本大震災後に1万ドルの寄付を行なった。被災された方々をいくらかでも助けるため、そして日本の方々への感謝の気持ちから生まれたものである。USA for AFRICAは、日本からの継続的な支援、楽曲への愛情、そして「We Are The World」が意味することへの献身的な姿勢を心より感謝した。

You Tubeアーティスト達が集結!「We Are The World」

多くのYouTuberたちが、「We Are the World」をカバーしています。彼らは、オリジナル曲のメッセージを広め、世界中の人々を困難から救済するために、自分たちにできることをしています。

例えば、2010年には、Justin Bieber、Miley Cyrus、Demi Lovato、Jonas Brothersなどの人気アーティストたちが、チャリティー・シングル「We Are the World 25 for Haiti」のためにカバー曲を制作しました。また、2020年には、新型コロナウイルスのパンデミックによる困難を乗り越えるため、YouTube上で「We Are the World」を歌う動画が多く投稿されました。

これらのYouTuberたちは、世界中の人々が困難を共有し、協力して支え合うことの重要性を伝えるため、力を合わせて「We Are the World」を歌い続けています。

ChannelAid/YouTube
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1985年、飢餓に苦しむアフリカに救いの手を差し延べようと、マイケル・ジャクソンをはじめ、全米のトップ・アーティストが一堂に会して行なわれた歴史的イベント。限られた時間の中で妥協を許さない一流のミュージシャン達が、一つの曲を仕上げていく風景は、ただただ圧巻。極限の緊張感の中、普段あまり見ることの出来ないミュージシャン達のレコーディング風景も必見。10周年記念のドキュメンタリー番組も収録した2枚組。(「Oricon」データベースより)

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