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誕生秘話!激動の時代を生きた3人の天才「六・八・九」――坂本九の名曲『上を向いて歩こう』

「上を向いて歩こう」

転載:Vinicio Arturo Báez Velásquez/YouTube

1961年7月21日、世界の音楽史に残るひとつの歌が誕生しました。永六輔作詞、中村八大作曲、19歳の坂本九が歌う「上を向いて歩こう」は、その年の大ヒット曲となったのみならず、1963年6月15日には、全米チャート第1位を獲得、その後世界中でヒットするというわが国のポップス史上最大の快挙を成し遂げます。

上を向いて歩こう展 ―奇跡の歌から、希望の歌へ―/世田谷文学館.東京都.インターネットミュージアム

永六輔・中村八大・坂本九

六・八・九トリオ

 作り手は「六・八・九」トリオだ。作詞は永六輔、歌は坂本九、そして作曲は中村八大。

中村八大編<464>国民に愛される歌/西日本新聞ニュース.2020

1933.4.10 – 2016.7.7

<六>作詞:永 六輔

永は1933年、東京の寺の住職の息子として生まれた。第2次大戦中は学童疎開で地方へ疎開し、そこで終戦を迎えた。自身の戦争体験から、生涯を通じて平和主義を掲げ、反戦を貫いた。

九ちゃんの「スキヤキ・ソング」は戦後の日本人観を変えた!|『上を向いて歩こう』全米大ヒットの裏側/COURRIER JAPNE.2017

早稲田大在学中に作詞・作曲家の三木鶏郎氏の「冗談工房」に入り、放送界デビュー。NHKの人気番組「夢であいましょう」の台本を担当するなど放送作家として活躍。(中略)ラジオ番組にも自ら司会者として出演するなど視聴者らの高い支持を得た。2013年9月まで46年間続いたラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は全国番組として最長だった。

永六輔さん死去 「上を向いて歩こう」作詞、83歳/日本経済新聞
様々な名曲の作詞
転載:yuzuofficial/YouTube

台本を手がけたNHKのテレビ番組「夢であいましょう」では、「こんにちは赤ちゃん」などの作詞も手がける多才ぶりを発揮。「見上げてごらん夜の星を」などヒット曲を生んだ。

永六輔さん死去:「上を向いて歩こう」ラジオで活躍/毎日新聞.2016

(前略)作詞家としても「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」など、戦後を代表する数々のヒット曲を生み、放送作家の枠を越えて作詞家として“昭和の芸能文化”を築き上げた。

永六輔 上を向いて歩こう~黒柳徹子が語る“心の友”~/BS朝日.2019
転載:komaid/YouTube

転載:優蘭泉/YouTube

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 時代を作った人が亡くなったとき、あまりの活躍の幅の広さに肩書を訃報でどう書くか迷うことがある。永六輔さんもその一人だろう。

【永六輔さん死去】「等身大」の生き方を全う…戦後芸能史を彩った巨星 (1/2ページ)/SankeiBiz.2016

早大同級生に作曲家「中村 八大」

早大では在学中からすでに名を知られていたジャズピアニストの中村八大、俳句研究会の大橋巨泉、短歌研究会の寺山修司がいた。この頃には仕事が忙しく大学に顔を出せなくなり、同じように忙しかった中村八大と共に「学費滞納」で掲示板に貼り出される。

略歴 | 永六輔の足跡 /永六輔バーチャル記念館

まだ早稲田大学在学中の永六輔さんは、同じ早稲田大学出身の中村八大さんの熱烈なファンで、中村八大さん達のジャズ・バンド”ビック・フォー”(ピアノ:中村八大、ドラムス:ジョージ川口、テナーサックス:松本英彦、ベース:小野満)の”追っかけ”をしていたこと。

永六輔、中村八大 / 『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』/circustown.net

八六コンビの“六”

昭和34年、一人の天才との出会い運命が転回させる。早稲田大学の先輩中村八大である。映画の挿入歌の作詞を頼まれ書き上げたのが「黒い花びら」。水原弘が歌って大ヒット。第1回レコード大賞を受賞した。同じ年にスタートしたバラエティー番組「夢で逢いましょう」で「八大・六輔」の「86コンビ」で次々にヒット曲を発表する。

永六輔 | NHK人物録/NHKアーカイブス

中村は軽快で奔放な、踊りやすいメロディーを作り、永は自分たちの言葉で詩を書いた。彼らは日本のポップスに、革命を起こしたのだ。

九ちゃんの「スキヤキ・ソング」は戦後の日本人観を変えた!|『上を向いて歩こう』全米大ヒットの裏側/COURRIER JAPNE.2017

 坂本さんと永さんのコンビでは「見上げてごらん夜の星を」(63年)も誰もが知る名曲の一つ。

坂本九さん長女が語る 永六輔さん作詞「上を向いて歩こう」秘話/東スポWeb.2016

安保闘争がきっかけ?

「ひとりぼっちの夜」という詩から失恋で落ち込んだ時に作られたと思われそうですが、永六輔さんは自身のラジオ番組で、60 年安保闘争で落ち込んでいた時に作った、と告白しています。

秘話「上を向いて歩こう」/リリオだより 雑学シリーズ 115.2015

 「60年安保闘争に敗北したことは本当に悔しかった」と尋常ならぬ悔しさをにじませて永は語った。

「横浜日記」(225)(上)<樺美智子あるいは60年安保闘争の死と歌>/時代状況 横浜日記

皮肉なことに、作詞を手がけた永六輔は、日本政府が在日米軍を優遇する条約に屈したことへの嘆きを込めてこの詩を書いたという。

九ちゃんの「スキヤキ・ソング」は戦後の日本人観を変えた!|『上を向いて歩こう』全米大ヒットの裏側/COURRIER.JAPONE.2017
失恋したの時の出来事も…?

永六輔さん自身がラジオで告白していますので、そのことが作詞の動機になっていることは事実かと思いますが、また同時に彼は中村メイコさんとの失恋の話だとも語っています。

誕生秘話「上を向いて歩こう」/リリオだより 雑学シリーズ 120.2015

この曲は、中村メイコさんが結婚される時に、失恋した永さんが泣きじゃくって、メイコさんのお父さんから「涙がこぼれないように上を向いて歩きなさい」と慰められたことが歌に結実したともいわれています。

中川図書館 企画展示「永六輔さん七夕に永眠」≪展示期間:7月16日(土)~7月29日(金)≫/名古屋市図書館ホームページ.2016
あの忌野清志郎も認める最高のロックナンバー!

(前略)「上を向いて歩こう」は各時代ごとに、さまざまなミュージシャンに歌い継がれてきました。なかでも故 忌野清志郎氏がライブでこの曲を歌い続けたことは音楽好きの間ではよく知られています。

昭和30年代の空気を物語る『上を向いて歩こう展』6月30日まで/あたらしい世田谷.世田谷くみん手帖

かつて忌野清志郎が「日本でもっとも有名なロック・ナンバーです」と紹介した「上を向いて歩こう」。無闇なポジティヴ・ソングでは決してなく、“上を向いて歩く”のは“涙”がこぼれないように、と歌った熱く切ない20世紀最高の名曲である。

坂本 九(サカモトキュウ)の情報まとめ/OKMusic

1931.1.20 – 1992.6.10

<八>作曲:中村 八大

(前略)1931年満州事変の年に中国の青島で生まれ、幼少期から姉の習うピアノの音色に親しむ。小学4年生の時に単身で2年間の「東京留学」。太平洋戦争が勃発し表現の不自由な時代へ。

〈21世紀の『上を向いて歩こう』〉 大友良英や福原美穂ら、世代を越えたアーティストによって奏される中村八大の世界/北中理咲.Mikiki.2015

一時、青島に帰ることとなるが、ローゼフ・ローゼンストック氏(N響草創期の指揮者)とウィーン音楽院在学時の朋友ダ・カール・ヘルス氏の手解きを受ける幸運に恵まれる。

中村八大(1931~1992)/日蓮宗ポータルサイト

ヘルスはナチスドイツのユダヤ人迫害から逃れて青島へ。

中村八大編<467>言葉超えた師弟愛/西日本新聞.2020

常に八大少年はヘルス氏に畏敬の念を抱きながら音楽表現の美しさ・素晴らしさを習ったのであった。のちの 八大音楽が形成された原点は、このヘルス氏にあるといっても過言ではない。

中村八大(1931~1992)/日蓮宗ポータルサイト
Six Joes
転載:konidolfine/YouTube

昭和25年、早稲田大学第一文学部入学。兄・中村二大を通して渡邊晋(渡辺プロダクション創業者)と出会い、折からのジャズブームを背景に、テナーサックスの松本英彦らと、「シックス・ジョーズ」を発足。「天才的なジャズ・ピアニストの中村八大」(東京新聞)と評価をうける。

中村 八大(なかむらはちだい)/茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会

「その年の夏休みには、早速ジャズピアノのアルバイトを始め、夏休みの一カ月間を大阪のキャバレー“赤玉”で、ピアノを弾いていた」(「週刊文春」昭和五十五年=一九八〇年十一月十三日号)

上を向いて歩こうを作曲した中村八大/文藝春秋BOOKS
BIG FOUR
転載:rujaka/YouTube

大学在学中にジャズピアニストとしてデビュー、ジャズバンド「ビッグ・フォア」で爆発的人気を集めた。

中村八大 | NHK人物録/NHKアーカイブス

時代はジャズからロカビリーブームへと移る。

中村 八大(なかむらはちだい)/茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会

八六コンビの“八”

東宝映画の企画でロカビリーを当て込んだ映画が2本企画され、渡邊晋より、この映画で歌う曲を一晩で作ることを依頼される。

中村 八大(なかむらはちだい)/茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会

翌日までに10曲仕上げて欲しいという要求に困り果てた中村(後略)

1959年12月27日、第1回日本レコード大賞が開催。受賞曲は水原弘「黒い花びら」/ニッポン放送 NEWS ONLINE
偶然の出会いから全ては始まった
転載:UNIVERSAL MUSIC JAPAN/YouTube

切羽詰まった状況に置かれているなかで、有楽町の路上で出会ったのが、同じ早稲田の永六輔であった。

中村 八大(なかむらはちだい)/茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会

作詞の経験の無かった永さんをその場で口説いて、「黒い花びら」や「黄昏のビギン」を含む楽曲を一晩で書きあげた(後略)

永六輔×中村八大 「初夏の出会い」/Billboard JAPAN

『日本レコード大賞』第1回受賞曲

「黒い花びら」は、東宝と渡辺プロが製作していたロカビリー映画『青春を賭けろ』に使用するためのオリジナル曲として、中村八大に依頼していたものの1曲であった。

1959年12月27日、第1回日本レコード大賞が開催。受賞曲は水原弘「黒い花びら」/ニッポン放送 NEWS ONLINE

出演者のひとり、水原弘が歌った同曲はレコード化されてこの年に始まった『日本レコード大賞』の記念すべき第1回受賞曲となり、作曲家・中村八大もクローズアップされることとなった。

天賦の才 作曲家・中村八大 6月10日はその命日。 【大人のMusic Calendar】/ニッポン放送 NEWS ONLINE

坂本九との出会い

また、この映画の出演者の中に坂本九がおり、「坂本九のファンになった」と発言している。この出会いが、1961年中村八大第三回リサイタルでの書下ろし曲での坂本九を抜擢したことにつながり、名曲「上を向いて歩こう」の発表となった。

中村 八大(なかむらはちだい)/茅ヶ崎観光情報サイト「ちがさきナビ」茅ヶ崎市観光協会

中村氏はすでに活躍中のジャズピアニストでしたが、永氏は売り出し中の放送作家、坂本氏はロカビリーで人気が出始めた歌手でした。

昭和30年代の空気を物語る『上を向いて歩こう展』6月30日まで/あたらしい世田谷.世田谷くみん手帖

坂本九では、青島幸男が作詞し、中村が作曲した「明日があるさ」も、現在でも広く知られるスタンダード・ナンバーのひとつである

天賦の才 作曲家・中村八大 6月10日はその命日。 【大人のMusic Calendar】/ニッポン放送 NEWS ONLINE
転載:Goose house/YouTube

様々な名曲を世に送り出した

70年に催された日本万国博覧会のテーマ「世界の国からこんにちは」や、今も続く人気番組『笑点』のお馴染みのテーマ音楽なども氏の作品で、正に国民的作曲家のひとりといえる。

天賦の才 作曲家・中村八大 6月10日はその命日。 【大人のMusic Calendar】/ニッポン放送 NEWS ONLINE

大学の後輩・永六輔さんとともに音楽バラエティー番組「夢であいましょう」から「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」など数々のヒット曲を生んだ。晩年は音楽の第一線からは退いたが、生み出した数々の名曲は今も歌い継がれている。

中村八大 | NHK人物録/NHKアーカイブス

1992年、61歳で生を閉じるまで数々の曲を生んだ。99年には4枚組CDでその軌跡をたどる「中村八大作品集-上を向いて歩こう」(東芝EMI)が発売されている。その中で長年、親交のあった黒柳徹子は「あなたは天才でした」と自筆文を寄せている。 

中村八大編<464>国民に愛される歌/西日本新聞ニュース.2020

1941.12.10 – 1985.8.12

<九>歌:坂本 九

「九ちゃん」とみんなから親しまれた坂本 九。本名を大島 久(ひさし)といい、九男だったことから九ちゃんと呼ばれたようです。戦時中、母親の故郷笠間へ疎開をし、多感な少年時代を笠間の自然と共に育んできました。少年時代の九ちゃんは明るく、いたずら坊主だったと評判です。

笠間の偉人/笠間市観光協会

 1958年5月、日大横浜学園在学中にバンド・ボーイを経て、当時ロカビリーバンドとして活動していたザ・ドリフターズに加入しボーカルを担当。

坂本 九/スーサン – クール・スーサン
エルヴィス・プレスリーから影響
転載:Elvis Presley/YouTube

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。

かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳/TAP the STORY.TAP the POP

第三回日劇ウエスタンカーニバルに初出演、新人賞を受賞。

坂本九(さかもときゅう)のプロフィール・画像・出演スケジュール/ザテレビジョン

半年後にドリフターズを脱退。

坂本 九/スーサン – クール・スーサン

その後もいくつかのバンドに属するが全く無名であった。

坂本九(さかもときゅう)/はじめてのお墓選び.com

 坂本九は無名時代、エルヴィス・プレスリーの歌マネが得意で、それでチラッとテレビに出たこともあった。

坂本九の/芽瑠璃堂

 1960年7月に、東芝音楽出版(東芝レコード)に移籍。移籍後第1弾シングルとして発売した「悲しき六十才」が10万枚を売り上げ初ヒットとなった(この曲は、日本航空123便墜落事故の慰霊式における鎮魂曲となる)。

坂本 九/スーサン – クール・スーサン

今も歌い継がれる名曲

転載:tpjwtjg27 ヒーロー/YouTube

『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』、『幸せなら手をたたこう』などヒット曲を連発。

あの墜落事故当日に坂本九がとった謎の行動とは!?/フジテレビ.2019

翌60年8月に東芝で再デビューした後は、「ステキなタイミング」「九ちゃんのズンタタッタ」「カレンダー・ガール」といったヒット曲が連なり、61年10月にはいよいよ「上を向いて歩こう」が登場する。

「上を向いて歩こう」だけではない、歌手・坂本九が遺した偉大な功績…今日は31回目の命日。 【大人のMusic Calendar】/ニッポン放送 NEWS ONLINE

NHKの「夢であいましょう」で「上を向いて歩こう」を歌い大ヒット。同年、紅白歌合戦に初出場。この曲が「SUKIYAKI」というタイトルで全米発売。全米ナンバー1を獲得。その後、歌手、司会、俳優、チャリティー参加など多岐にわたる活躍でお茶の間を楽しませる存在だった。

坂本九(さかもときゅう)のプロフィール・画像・出演スケジュール/ザテレビジョン

独特の歌い方!

 「上を向いて歩こう」の録音の際、坂本(さかもと)九(きゅう)が「ウヘホムフイテ、アールコホゥホゥホゥ」と歌い出すと永六輔(えいろくすけ)さんは一瞬自分の作った詞を歌っているのか、耳を疑った。「おまえ、どこにホゥホゥホゥと書いてあるんだ」と叱ったという

「上を向いて歩こう」の録音の際…/毎日新聞.2016

「これじゃヒットしない」という永さんの意見と逆に曲は世界的にヒットした。後に永さんは九が小さい時から清元や小唄を仕込まれていたことを知り、納得した。「あの歌い方は邦楽だった。彼の中に日本の伝統が生きていた。世界的ヒットはそれと関係がある」

「上を向いて歩こう」の録音の際…/毎日新聞.2016

後に坂本九の実家に訪れた時、坂本九の母親が小唄をやっていて、その母の影響で小唄の歌い回しから派生した歌い方だと気づき、感心したこと。

永六輔、中村八大 / 『上を向いて歩こう 中村八大こころのうた』/circustown.net

1961年夏、初めてこの歌が披露されたが、19歳の歌手・坂本九の歌い方に永は憤慨した。「ひとりぼっち」という奥深いフレーズを、弾むような軽やかなリズムに乗せて歌ったからだ。しかし、一度聴いたら耳から離れない歌だった。

九ちゃんの「スキヤキ・ソング」は戦後の日本人観を変えた!|『上を向いて歩こう』全米大ヒットの裏側/COURRIER.JAPONE.2017

坂本九の歌の特徴は、キュートなファルセットボイスにあります。ファルセットボイス、日本語で言うなら「裏声」。

「上を向いて歩こう」/古書・ミニプレス&ギャラリー.レティシア書房 –

日本航空123便墜落事故

転載:群馬テレビ・群テレ/YouTube

昭和60年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出し、4名が重傷を負いました。犠牲者には歌手の坂本九さんもいました。

1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの/現代ビジネス

享年四十三。

思い出すのは坂本九の笑顔|ちくま文庫|岡崎 武志/webちくま

普段坂本は国内の移動には必ず全日空を使っており、妻も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどであり、乗客名簿が公表されるまで、家族も日航機に乗っているはずがないと信じていたという。

坂本九(さかもときゅう)/はじめてのお墓選び.com

当日はお盆であったことと夕方のラッシュ時で全日空の手配ができず、やむを得ず手配したのがこの日航機123便であった。

坂本九(さかもときゅう)/はじめてのお墓選び.com

みんなに「九ちゃん」と呼ばれ親しまれた国民的歌手だった。九は搭乗前、空港でジャズピアニストの世良譲と会っている。酒好きの世良に、「飲む量へらして下さいよ」と言って、手を振って、笑顔でゲートに消えて行った。九は飲めば飲めたが、人前では酒を慎んでいた。

思い出すのは坂本九の笑顔|ちくま文庫|岡崎 武志/webちくま

映画:上を向いて歩こう

https://youtu.be/stS41P417gQ
転載:YouTube ムービー/YouTube

 一九六二年の三月に公開された『上を向いて歩こう』という映画は、この歌の大ヒットに便乗して製作された作品で、歌った当人の坂本九が主演している。当時の坂本九のキャラクターがどのようなものであったか、四十数年をへて多少でもいいから知ろうとするとき、このような映画は貴重な資料だ。

『上を向いて歩こう』/片岡義男.com

ヒット曲「上を向いて歩こう」から、「太陽は狂ってる」の山田信夫が脚本を書き、「暗黒街の静かな男」の舛田利雄が監督した歌謡メロドラマ。撮影は「男と男の生きる街」の山崎善弘。

上を向いて歩こう/MOVIE WALKER PRESS

(前略)東京オリンピック前夜の東京を舞台に、若さゆえ、傷つき、悩みながらも、ポジティブに前を向いて生きて行こうとする、若者たちの姿を感動的に描く。

上を向いて歩こう が見放題!/Hulu(フールー)