その日、日本の音楽史に新たなページが刻まれました。なんと、日本人アーティストで初めて坂本九がビルボード1位を獲得したのです!その記録的ヒット曲「SUKIYAKI」によって、世界中で彼の名前が広がりました。本記事では、この驚異的な現象について掘り下げます。
Ue wo Muite Arukou
アメリカのビルボードチャートで1位!「上を向いて歩こう」
当時の日本は、米国に次ぐ世界第2位の音楽市場を持っていたが、米国のチャートをにぎわす日本人アーティストはいなかった。しかし1963年(昭38)、坂本九が歌った「SUKIYAKI」こと「上を向いて歩こう」が、米音楽専門誌ビルボードのチャートで3週連続1位を獲得した。
発売後すぐに世界的なヒットを飛ばしたわけではない
東芝レコードの石坂範一郎が率いて海外進出を主導した発売当時、1962年8月にフランスで初めて海外発売されましたが、日本語タイトルのままだったことが原因かもしれず、思うような結果が出ませんでした。
「SUKIYAKI」の誕生はイギリス!
イギリスの「パイ・レコード」のベンジャミン社長が日本に契約のため来日した際、当時日本で流行していた歌謡曲シングル盤を何枚か土産として本国に持ち帰った、その中の1枚が「上を向いて歩こう」であり、それがイギリスで大ヒットしはじめた。
英国のレコード会社「パイレコード」の社長ルイ・ベンジャミンは1962年春、コロムビアレコードとの契約のために来日。商談を終え、当時コロムビアレコード洋楽部長だった金子秀の案内で、東京・浅草で食事をした。2人で食べたのは「すき焼き」だった。この時ベンジャミンが「天ぷら」や「すし」を食べていたら「TENPURA」「SUSHI」というタイトルになっていたかも知れません。
金子は、日本でヒットしたレコード数枚をおみやげとして渡し、ベンジャミンは帰国した。そのレコードの中に「上を向いて歩こう」が含まれていた。帰国後に聴いたベンジャミンはそのメロディーを気に入り、ジャズマンのケニー・ホールにインストゥルメンタル(演奏のみ)で録音させた。
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由来の「SUKIYAKI」はもちろん日本料理「すき焼き」から!
イギリスのレコード会社が「SUKIYAKI」としてカバーしたいと要望したことがきっかけで、フランスでの経験を踏まえ、曲名を変えて発売することを決めた。
発売先が欧米だった場合、タイトルの意味がわからず、発音も難しいという問題があった。そこで、自分が日本で気に入った料理を思い浮かべ、「すき焼き」と改題したのだ。
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イギリスのチャートTOP10入り!
Kenny Ball & His Jazzmenが演奏した「SUKIYAKI」のジャズカバーは、1963年に全英チャートで10位にランクインするヒットとなりました。このカバーがきっかけとなって、欧米での「上を向いて歩こう」の知名度が高まったと言われています。
ケニー・ボールは、弱音器を使うことでより柔らかく優しい音色を出し、母への思いを込めた演奏をしたとされています。そして、1964年11月の初来日公演直前にはより日本的なアレンジでステレオ録音を行い、日本の童謡と共にアルバムに収録されました。
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【伝説】SUKIYAKI SONGの世界的位ヒットのルーツをたどる
このレコードがアメリカに渡りワシントン州パスコのローカルFM局でこのレコードをかけていたところある日、リスナーの高校生から日本のペンフレンドから送られてきたという「坂本 九」のオリジナル盤を入手、「SUKIYAKI」で紹介するとたちまちリクエストが殺到、1日中この「上を向いて歩こう」を流し続けたこともあったようだ。
諸説ある!?最初に「上を向いて歩こう」を流したラジオ曲
最初に曲を流したラジオ局をめぐり、様々な説がある。例えば「上を向いて歩こう」がアメリカで初めて放送されたのは、カリフォルニアのフレズノという移民の町にある地元のラジオ局「KYNO」で日系人がレコードを持ち込んで、当時の人気DJであったサム・シュワンが、この曲を流したという説です。
そこから大反響!曲名は「SUKIYAKA(スキヤカ)」で発売
「上を向いて歩こう」の噂は一気に広まり、「SUKIYAKA」というタイトルで、キャピトル・レコードから1963年に発売されました。
その後「SUKIYAKI」に曲名を変更して発売!これがビルボード1位に!
1963年5月11日付の『ビルボード』誌で、アメリカのキャピトル・レコードから「SUKIYAKI」と改題されて発売されたこの曲が、全米チャートの79位に初登場した。
その後、着実に上昇し、1963年6月15日付の『ビルボード』誌でついに1位を獲得しました。そして、日本人アーティストとして初めて全米チャートの1位を獲得した曲として、日本で大きな話題になりました。
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奇跡!!“日本語の曲”が英語圏のアメリカで大ヒット
当初、10代の若者たちが、アメリカ各地のラジオ局やジューク・ボックスから流れていた「SUKIYAKI」の日本語を歌うことを一生懸命に覚えようとしたが、ほとんどは難しくてあきらめたそうだ。しかし、中村八大が作・編曲したアレンジが効果的で、間奏の16小節が口笛のソロだったおかげで、日本語で歌えなくてもメロディを一緒に口ずさめるという点で、大ヒットの要因のひとつとなったという。
連続でビルボードにチャートイン
この曲は、8月10日付けのチャートで79位からスタートし、3か月間14週に渡り45位、20位、10位、2位、1位、1位、1位、2位、6位、8位、14位、18位、37位と段々と上位へと上昇し、同年のイヤーエンド・チャートでは13位を獲得したことで、国境や言語を超えたその魅力を証明した。
アメリカでゴールド・ディスク賞を受賞!
1963年のミリオン・セラーになり、全米レコード協会からゴールド・ディスク賞を受賞。
坂本九がアメリカに到着した際には多くのファンが空港に集まり、大きな歓迎を受けたとされています。その後、坂本九はアメリカ各地でコンサートを行い、多くの人々から支持を受けました。また、同年11月にはアメリカでの再録音版を含むアルバム「Sukiyaki and Other Japanese Hits」が発売され、大きな成功を収めました。
ちなみに、1963年8月にはこの曲の大ヒットを受けて坂本九が渡米。坂本九がアメリカに到着した際には3000人を超えるファンが空港に集まり、大きな歓迎を受けたとされています。その後、坂本九はアメリカ各地でコンサートを行い、多くの人々から支持を受けました。また、同年11月にはアメリカでの再録音版を含むアルバム「Sukiyaki and Other Japanese Hits」が発売され、大きな成功を収めました。
アメリカだけじゃない世界中でヒット!!
坂本九の「SUKIYAKI」は、言葉の壁を越えて世界中で愛される曲となり、全米でヒット。
そして、全米での反響はヨーロッパにも波及しました。イギリス、ドイツ、スウェーデン、オランダなど、レコード会社が存在していた当時のほとんどの国々で発売され、世界的な知名度を得るきっかけとなりました。
その後も「上を向いて歩こう」は世界各国でカバーされ、1981年には女性デュオ「Taste of Honey」によるカバーがBillboardで3位となり、ミリオンセラーになりました。さらに1995年には男性アカペラグループ「4 P.M.」によるカバーがBillboard8位となり、50万枚を超えるセールスを記録しました。作曲者である中村には、再びゴールドディスクが贈られました。
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世界を変えた20曲のうちの1曲!
2013年11月、英BBCが発表した「世界を変えた20曲」において、「SUKIYAKI」が「風に吹かれて(ボブ・ディラン)」、「イマジン(ジョン・レノン)」と並んで選ばれました。これは、歌詞が日本語でありながら、その美しいメロディーが世界中で愛され、認められていることを示すものとなりました。現在でも、「SUKIYAKI」は世界中で愛され続けており、多くのアーティストによるカバーも行われています。