モーニング娘。の大ヒット曲『LOVEマシーン』── アイドル楽曲の金字塔の誕生!

1999年、アイドル界に風を巻き起こす一曲が誕生しました。その名も『LOVEマシーン』。この曲は、モーニング娘。という名の新しいアイドルグループの存在を、日本中に知らしめることとなる大ヒット曲でした。

しかしこの楽曲の背後には、数々のドラマと情熱に満ちたエピソードが隠されているのです。制作過程での困難、それを乗り越えて完成に導いた秘密、そして楽曲に込められた意味…。今回は、この伝説的な楽曲『LOVEマシーン』の制作秘話を詳しく紹介します。

created by Rinker
ポジティブになりたい時はこのサプリ!モーニング娘。のデビュー曲から8枚目の作品をシングルにしてリリース。本作は1999年発表の通算7枚目のシングル「LOVEマシーン」。不景気な日本の時代背景をバッチシ捉えた、明るい未来をイメージさせる元気前向きラブソング「LOVEマシーン(Early Unison Version)」を追加収録。 (C)RS

Birth of ‘LOVE Machine’ Secrets

『LOVEマシーン』誕生秘話

モーニング娘。/YouTube

モーニング娘。は、日本のアイドルグループとして、数々のヒット曲を生み出してきた象徴的存在です。中でも「LOVEマシーン」は、その代表曲の一つとして多くのファンに愛されています。

モーニング娘。とは

モーニング娘。(モー娘。)は、日本の女性アイドルグループとして、1997年に結成されました。元々はテレビ東京のバラエティ番組『ASAYAN』の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」での落選者たちが集められて結成されたユニットであり、その後、独自の色を持つアイドルグループとして瞬く間にその名を知らしめることになります。

グループ名「モーニング娘。」の由来は、実際に喫茶店のモーニングセットからインスパイアされたと言われており、そのお得感や楽しさをファンにも伝えたいという意味が込められています。

また、グループ名の末尾についている「。」は、通常の名称にはないユニークな要素として注目を浴びることが多いですが、その起源については、テレビ番組での発表時に偶然つけられたものを、司会を務めていたナインティナインの矢部浩之が気に入って正式に採用したとされています。

この「。」は、モーニング娘。のアイデンティティとして、ファンにも親しまれています。

「LOVEマシーン」の誕生とインパクト

「LOVEマシーン」は、1999年9月9日にリリースされたモーニング娘。の7枚目のシングルです。

累計160万枚以上のセールスを達成し、オリコンカラオケチャートでも17週連続1位という前人未到の記録を樹立しました。この快挙は、モーニング娘。の持つ絶大なる魅力と、楽曲の普遍的な人気を示すものとなりました。

さらにこの楽曲は、一般的なポップミュージックの枠を超え、平成の日本の音楽シーンを代表する名曲としてその名を刻みました。

楽曲制作の背景

90年代の日本は経済的な困難の中で多くの企業が経営破綻を経験し、国全体が不安定な時代を迎えていました。特に1997年11月は、大手の都市銀行や証券会社が経営破綻を迎えるなど、経済的な悪化が最も顕著だった時代でした。

モーニング娘。の試練

その矢先、同じ1997年に「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」に参加していたモーニング娘。の初期メンバー5人は、数千人の中から最終決戦まで進むも、最後の門前で敗退します。

しかしその後、彼女たちは過酷なチャレンジを乗り越え、メジャーデビューへの道を歩み始めました。その道のりは、失速する経済と平行して進んでいたかのようでした。

再起のための一曲

翌年のデビュー後、シングル『抱いてHOLD ON ME!』で一旦は頂点を極めるも、早くも人気は下降線を辿り始めました。そこからの立て直しのため、新メンバーを迎えての「LOVEマシーン」の制作は、グループにとっても、そしてファンにとっても、再起の一曲となったのです。

制作サイドの決意と名曲の誕生

『LOVEマシーン』の制作にあたっては、これまでのモーニング娘。のイメージを一新し、新たな風を取り入れることを決意。楽曲のアプローチや構成は、これまでのグループのブランドや方針を完全に無視する形となりました。この大胆な試みが、「LOVEマシーン」を象徴的なヒット曲へと導くこととなりました。

また、この時期のモーニング娘。と日本経済の背景を考慮すると、グループが直面していた困難や制作サイドの挑戦的な姿勢は、当時の日本の社会的な状況や気分と重なる部分が多々あります。この一曲はただのヒット曲ではなく、その時代を反映した多くの人々の心の中に刻まれた一曲と言えるでしょう。

LOVEマシーン制作秘話

モーニング娘。の代表曲『LOVEマシーン』の楽曲の裏側には興味深い制作のエピソードがあります。

編曲のキーマン:ダンス☆マン

曲のプロデュースと作詞・作曲はつんく♂が担当しましたが、この曲の魅力を最大限に引き出したのは編曲を担当した「ダンス☆マン(藤沢秀樹)」でした。

ダンス☆マンは自身を「ミラーボール星からの宇宙人」と称し、アフロヘアーとサングラスという特徴的スタイルで活動しています。1970~80年代のダンス・クラシックスのカバーアルバムで知られ、その独特の音楽スタイルが多くのファンから支持を受けていました。

オファーの経緯

1999年の夏、ダンス☆マンは第三者を介してつんく♂から「すぐに会いたい」とのメッセージを受け取りました。実際に会うことになりました。

そこで、モーニング娘。の次のシングルのアレンジを依頼されました。渡されたデモテープは、つんく♂がギターの伴奏のみで歌っているもので、歌詞はほとんどなく鼻歌のような状態でした。

デモテープ『まんじゅう娘』

デモテープの楽曲は元々は1993年に自身のグループシャ乱Qのために制作されたもので、仮タイトルで「まんじゅう娘」という曲でした。

この曲は、サビ部分で「おっぱい」という言葉が繰り返し使われていたため、シャ乱Qのメンバーから猛反対にあい、渋々没にしていました。

アレンジの方向性

つんく♂からは、ダンス☆マンのアルバム『MIRRORBALLISM 2』に収録されている『アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire)』のカバー曲『ダンス部 部長 南原(Dance Bu Buchou Nanbara)』のサウンド感で、『LOVEマシーン』をアレンジしてほしいと要望されました。

依頼を受けたダンス☆マンは、つんく♂が好んでいる70年代から80年代のディスコソングを参考に、さらに楽曲イメージをふくらまして行きました。

ダンス☆マン – トピック/YouTube
急ピッチの制作と裏話

つんく♂からのオファーがあったのは8月8日でした。その日付をダンス☆マンが鮮明に覚えていました。その理由は、『LOVEマシーン』のリリースがわずか1ヶ月後の9月9日であり、プレスの関係で8月15日までに楽曲を制作しなければいけなかったからです。

この短期間での楽曲制作の背景には、前作の鈴木あみとのCDリリース対決でモーニング娘。「ふるさと」が敗北した影響もあったとされています。

「ふるさと」安倍なつみをフィーチャーした感動的なバラード

「ふるさと」は、モーニング娘。の楽曲として1999年にリリースされ、その歌詞やメロディは多くのリスナーの心に残るものとなった。この楽曲は、故郷や家族への深い愛情と感謝の気持ちを歌っており、特に故郷の母を想う情感が強く表れている。

この曲の最大の特徴は、センターとして活躍していた安倍なつみの歌声をフィーチャーしたことである。彼女のクリアで力強いボーカルは、歌詞のメッセージをより感動的に伝える要素となった。実際、楽曲中での安倍なつみのソロパートは圧倒的で、他のメンバーは主にコーラスとして彼女をサポートする形となっている。

このようなアプローチは、当時のモーニング娘。の楽曲としては異色であったが、それが「ふるさと」の魅力を一層引き立てることとなった。安倍なつみの表現力と、歌詞の持つ深い感情が一体となり、多くのファンの心に深く響いた。

「ふるさと」は、モーニング娘。の多様な楽曲の中でも、その感動的なメッセージと美しいメロディで、多くのファンに愛され続けている名曲となっている。

ASAYANオーディションとヒットチャートの競争

1990年代後半、オーディション番組「ASAYAN」は、多くの新人アーティストを輩出し、音楽業界に大きな影響を与えていました。モーニング娘。もこの番組から生まれ、瞬く間に国民的アイドルグループとしての地位を築き上げました。

そんな中、番組は視聴者に対して興味を持たせる企画を数多く展開していました。その一つが、同じ日に発売されるシングルの売上競争でした。このような直接的な競争は、ファンの間での興奮を高め、多くの注目を集めました。

このとき、モーニング娘。の「ふるさと」と鈴木あみの「BE TOGETHER」が同日発売されることになり、どちらの曲が上位にランクインするかという企画が行われました。結果、鈴木あみの「BE TOGETHER」が堂々の1位を獲得。一方、モーニング娘。の「ふるさと」は5位にランクインしました。

この時期、浜崎あゆみの「Boys&Girls」やV6/Coming Centuryの「太陽のあたる場所/Harlem Summer」、そして坂本龍一の「energy flow(『ウラBTTB』)」など、多くのヒット曲がリリースされており、チャートの上位は非常に激しい競争になっていました。

音楽業界は常に変わりやすく、一度の失敗がグループの将来を左右することもあり得る過酷な世界です。その中で、つんく♂は「ふるさと」というシングルのセールスが期待ほど伸びなかったことを背景に、新しいシングルの制作に向けて大きなプレッシャーを感じていました。

つんく♂の挑戦: 「LOVEマシーン」

「ふるさと」は感動的なバラードで、その中心には安倍なつみのクリアで透明感のあるボーカルが響いていました。しかし、次のシングルにかける期待は、それまでのモーニング娘。のイメージを一新するような、新しいサウンドと挑戦的なアプローチが求められていました。

このような背景の中で、つんく♂は楽曲制作に悩み続け、制作がどんどん遅れて行きました。

悩み抜いた結果、アップテンポでキャッチーな曲を制作することを決意したつんく♂は、編曲に当時の音楽シーンで異彩を放っていたダンス☆マンを起用することに決めました。

多忙な日々での制作

その頃、ダンス☆マンは自身の楽曲の全国キャンペーンで非常に忙しい日々を送っていました。しかし、依頼された翌日には作業を開始、つんく♂とは楽曲について、大阪や東京で電話で連絡を取り合っていました。

ダンス☆マンはわずか1、2日で仮のオケを打ち込み、インターネットがまだ普及してない時代に、バイクの速達便を使用してテープを送りました。

急遽のスタジオ入り

ダンス☆マンが制作した仮のオケを受け取ったつんく♂はすぐに反応しました。

「聞かしてもらいました! すごいイイ感じ」「そのまんま東京に帰ってきたタイミングでスタジオ入って欲しいんですけど」との言葉を受けたダンス☆マンは、その場でバンドのメンバーに連絡。

スタジオの予約を確保し、各メンバーのスケジュールを調整して、急遽東京に戻りました。バンドメンバーを集めるのは簡単な作業ではありませんでしたが、皆このプロジェクトの重要性を理解していたため、迅速に行動に移しました。

集結したスタジオでの録音

スタジオに到着したダンス☆マンとメンバーたちは、準備を整え、録音を開始。時間は限られていましが、彼らのプロフェッショナリズムと熱意が一つになり、楽曲の品質を最上位へと押し上げました。

「LOVEマシーン」歌詞制作のエピソード

『LOVEマシーン』の制作過程でのつんく♂の歌詞に関するエピソードも非常に興味深いものとなっています。

録音の最中、つんく♂はスタジオの隅で真剣に歌詞を練り直していました。ダンス☆マンがふと見ると、後の大ヒットとなる部分「日本の未来は(Wow Wow Wow Wow)世界がうらやむ(Yeah Yeah Yeah Yeah)」は最初、「魚 魚 魚 魚」や「家 家 家 家」といった単純な漢字のリピートで表現されていたのです。

つんく♂の真剣な表情は、この歌詞の選択に彼がどれほど頭を悩ませていたのかを物語っていました。ダンス☆マンはその姿に「どう思う?」という質問を投げかけられた時、言葉に詰まりました。しかし、その後に目に入った歌詞の出だし、「あんたにゃ」という言葉に、彼は驚きを隠せませんでした。

現代の言葉遣いには珍しい「あんたにゃ」の選択。それに対してダンス☆マンは「すっげー言葉使う人だなこの人」と感じました。その一言でつんく♂の言葉に対するセンスやロジックを強く認識し、ある種の嫉妬すら感じたと言います。

LOVEマシーンを構成する楽曲とサンプリング

ダンス☆マンは、音楽制作の中でサンプリングを巧みに使用することで、古き良き時代の音楽を現代風にアレンジするビートメーカーとして知られています。その手法は、単に既存の音源を引用するだけではなく、それを基にして全く新しい音楽を創造することにあります。

サンプリングは、過去の音楽やサウンドを再利用することで、新しい楽曲の中で異なるコンテクストや意味合いを持たせることができます。そして、ダンス☆マンはこのサンプリングの魔法を駆使し、リスナーに新鮮な驚きや楽しみを提供しています。

例えば、彼が手がけたモーニング娘の楽曲では、過去のディスコやファンクの名曲のフレーズを取り入れることで、その曲が持つ独特のグルーヴや雰囲気を再現しつつ、新しい要素を加えてアップデートしています。これにより、古い曲の良さを継承しつつ、新しい世代のファンにも愛される楽曲を生み出しています。

また、彼はサンプリングする際に、その音源が持つオリジナルの雰囲気やメッセージを尊重しつつ、彼自身の感性やアイディアを取り入れることで、それを全く新しい作品として昇華させる能力を持っています。

このように、ダンス☆マンの楽曲制作におけるサンプリングの手法は、過去と現在を繋ぐ橋として、音楽の無限の可能性を示してくれています。

D Train – “You’re The One For Me”

『You’re The One For Me』は、その特有のベースラインやメロディが非常にキャッチーで、そのため多くのアーティストやプロデューサーに影響を与えてきました。この曲は80年代のディスコやR&Bシーンを代表する曲として今も多くの人に親しまれています。

『LOVEマシーン』において、この曲のイントロ部分がサンプリングやオマージュの形で取り入れられました。特に、その冒頭の独特のリズムやメロディがイントロとして使用されたことで、新たなコンテクストの中で楽曲の一部として生まれ変わりました。

UnidiscMusic/YouTube
BANANARAMA – “Venus”

『Venus』は、イギリスのガールグループ、Bananaramaの曲です。この曲は、彼らの3枚目のスタジオアルバムである『True Confessions』からの最初のシングルとして、1986年5月19日にリリースされました。

この曲は、オランダのロックバンド、Shocking Blueが1969年に発表した『Venus』という曲のカバーです。Bananaramaのバージョンは、アメリカのBillboard Hot 100で1位を獲得し、他の6つの国でも1位になりました。また、この曲のミュージックビデオは、アメリカのMTVで多くの放送時間を獲得し、悪魔、フランスの誘惑者、吸血鬼、ギリシャの女神など、さまざまな衣装でグループが登場しています。

モーニング娘。の『LOVEマシーン』は、複数の楽曲やサウンドからインスパイアを受けて制作されたと言われており、『You’re The One For Me』や『Venus』などの楽曲からの影響を感じることができます。特にイントロ部分でのリズムやサウンドは、これらの楽曲からの影響が強く、それが『LOVEマシーン』の独特の魅力を形成する要因の一つとなっています。

London Records/YouTube
Red Bullet/YouTube
The Jackson Sisters – “I Believe in Miracles”

『I Believe in Miracles』は、Jackson Sistersによって1973年にリリースされ、その後もさまざまなアーティストやDJによってカバーされたり、リミックスされたりして、時代を超えて多くの人々に愛されてきました。その明るく前向きなメッセージとキャッチーなメロディは、多くの人々を魅了し続けています。

モーニング娘。の『LOVEマシーン』は、そのキャッチーなメロディやアップテンポなリズム、そして明るくポジティブなメッセージが特徴として挙げられます。『I Believe in Miracles』のハーモニーと歌詞のテーマ、そしてそのゆるやかなグルーヴは、『LOVEマシーン』のヴォーカルの展開や全体的な雰囲気に影響を与えた可能性があります。

jdkasida/YouTube
Earth, Wind & Fire – “Boogie Wonderland”

『Boogie Wonderland』は、Earth, Wind & FireとThe Emotionsによる曲であり、ディスコブームの真っ只中の1979年に大ヒットしました。この曲の特徴的なリズム、派手で躍動的なサウンド、そしてエネルギッシュなコーラスは、その時代のディスコサウンドを象徴するものであり、多くのリスナーを魅了しました。

『LOVEマシーン』制作時につんく♂が、Earth, Wind & Fireのサウンド感を希望したというエピソードは、そのディスコの要素やエネルギッシュなビート、そして明るいポップサウンドを取り入れたいという意向があったことを示しています。『LOVEマシーン』も、その躍動感やエネルギッシュなサウンドで、多くのリスナーの心をつかんだ曲となっています。

Earth Wind & Fire/YouTube
日本のポップミュージックにおけるダンス☆マンの影響力

『LOVEマシーン』の大ヒットを皮切りに、ダンス☆マンの名は日本の音楽業界で急速に知られるようになりました。しかし、彼の才能はモーニング娘。だけに留まりませんでした。彼はその後もさまざまなアーティストに楽曲を提供し、多くのヒット曲を生み出してきました。

モーニング娘。の『恋のダンスサイト』や『ハッピーサマーウェディング』など、ダンス☆マンの手がけた楽曲は独特のディスコサウンドやファンクリズムが特徴で、これらの曲はリスナーの心を魅了し続けました。その結果、彼はディスコ、ファンク、ソウルミュージックのクリエイターとしての評価を高めていった。

また、ダンス☆マンのサウンドは他の多くのアーティストにも影響を与えました。その手腕は、新人アーティストからベテランアーティストまで幅広く、彼のプロデュースやアレンジを受けた楽曲が次々とヒットチャートを賑わせることとなりました。

特に、ダンス☆マンの持つ独特のグルーヴ感や音楽への深い愛情は、手がけた楽曲すべてに息づいていると言っても過言ではありません。また、その音楽性は、日本のポップミュージックシーンに新しい風をもたらし、今なお多くのアーティストやファンから絶大な支持を受けています。

created by Rinker
完全復活! ! モーニング娘。「LOVE マシーン」を筆頭に数々のアイドル楽曲の名作を手掛けてきた ダンス☆マンがデビュー20 周年の集大成として自身の作品で本気モード突入! ! ! !

様々なエピソードが語られる『LOVEマシーン』

『LOVEマシーン』のヒットには、多くのエピソードや背景が絡んでいます。以下は、その中からいくつかピックアップした興味深いエピソードを紹介します。

「LOVEマシーン」の振り付け

『LOVEマシーン』のリリース時、その独特のメロディやアレンジだけでなく、振り付けもまた瞬く間に注目を集めることとなりました。日本の家庭や学校、地域の祭りなどで、老若男女問わず多くの人々がこの楽曲に合わせて踊った光景は、90年代後半から2000年代初頭の日本のポップカルチャーの一部として刻まれています。

当初、この楽曲のための振り付けは、そのアップテンポでエネルギッシュなサウンドに合わせたダンサブルなものが考えられていました。しかし、つんく♂は、より印象的で親しみやすい振り付けを求め、「アホの坂田」のコミカルなモチーフを取り入れることを提案しました。

このアイディアを基に、振付け師の夏まゆみは炭坑節を取り入れたり、「トイレを我慢しているポーズ」といったユニークな動きを加えることで、親しみやすく、そして誰もが楽しく踊れる振り付けを完成させました。これにより、楽曲自体の魅力をさらに高める要素として、振り付けが大きく貢献しました。

このようにして、『LOVEマシーン』は、単なる楽曲以上のものとして、多くの人々の心に残るエンターテインメントへと昇華したのです。その後もモーニング娘。は、独特の楽曲と振り付けでファンを魅了し続け、日本のアイドルシーンにおける先駆者としての地位を確立していきました。

つんく♂の「LOVEマシーン」に対する思いとその背景

シャ乱Qとしての活動を通じて、つんく♂はメンバーのイメージやバンドの特性を意識して楽曲制作を行っていました。しかし、「モーニング娘。」に関しては、そのような制約を持たず、純粋に音楽への情熱を注ぎ込むことができたのです。

『LOVEマシーン』には、つんく♂の得意とするファンキーなサウンドが反映されており、曲が完成した際には自らの手応えを強く感じていました。さらに、MVやダンスの完成を見たとき、もしこの楽曲がヒットしなければ、モーニング娘。や自身のキャリアはここで終わりだろうと感じていたといいます。

また、つんく♂は後藤真希の存在が「LOVEマシーン」のヒットに大きく貢献していると語っています。後藤真希の特有の雰囲気やスター性は、モーニング娘。の新しい魅力として多くのファンを引きつけました。

それまでのモーニング娘。が持っていた学生的、部活のようなイメージは、後藤真希の加入とともに大きく変わり、グループはメジャーシーンにおいて一気に注目を集める存在となったのです。

後藤真希と「LOVEマシーン」

後藤真希の加入は、モーニング娘。の歴史において明らかにターニングポイントでした。

1990年代、日本のアイドル界は「冬の時代」として知られていました。アイドル文化の一時的な下降や興味の減退、そして他の音楽ジャンルの人気が上昇する中、アイドル界の新しい星が現れることはまれでした。

そんな時代に、後藤真希は大規模なオーディションで選ばれ、デビューシングルでなんとセンターを務めることになります。

通常、新人アイドルがデビュー時にセンターポジションを取ることは稀で、特に1990年代においてはそのようなケースはほとんど聞かれませんでした。さらに、13歳という年齢を考えれば、その異例の事態はさらに驚きのものとなります。

後藤真希が持っていた魅力やキャラクター、そして当時では珍しい金髪という強烈なビジュアルは、間違いなく『LOVEマシーン』のヒットの要因の一つとなりました。この楽曲はモーニング娘。のイメージを一新し、彼女たちを一気にトップアイドルの座へと押し上げる原動力となったのです。

「LOVEマシーン」のヒットは、アイドル冬の時代の終焉を告げるきっかけとなり、その後の2000年代初頭のアイドルブームの火付け役となりました。後藤真希とその他のモーニング娘。のメンバーたちの活躍は、新しいアイドル文化の始まりを告げるものとなったのです。

若いアイドルとしての葛藤

後藤真希自身は『LOVEマシーン』の歌詞について、あまり深く考えず、ただ楽曲の一部として歌っていたようです。しかし、その歌詞はその当時の世相を反映し、多くの人々に明るい希望を与えました。

また、13歳の後藤真希にとってこの曲は、実はとても恥ずかしかった振り返っています。

確かに、後藤真希が加入する前のモーニング娘。の楽曲は、色気や大人っぽさが強調されていました。そのため、「LOVEマシーン」の歌詞や振り付けは、少し恥ずかしいものであったかもしれません。とはいえ、その恥ずかしさを乗り越えて、後藤真希は多くの人々に愛されるアイドルとなりました。

created by Rinker
知っていたようで誰も知らなかった「後藤真希」という奇跡。13歳での鮮烈なデビュー、突然の休業、結婚、家族、そして…本人初の語り下ろしエッセイ。地元・江戸川区撮り下ろし30ページ収録。(「BOOK」データベースより)
小室哲哉が感じる『LOVEマシーン』の魅力

1990年代から2000年代初頭にかけての日本の音楽業界は、様々なヒットメーカーが台頭してきた時代であり、その中でもつんく♂と小室哲哉は特に注目を浴びていたプロデューサーでした。彼らはその時期、トップチャートを争うライバル関係にありました。

『LOVEマシーン』がリリースされた際、その斬新さや爽快感は多くのリスナーを魅了しました。この曲の影響力は、ライバルとしての小室哲哉にも伝わり、この楽曲に対して興味深い分析コメントを寄せていました。

小室哲哉は『LOVEマシーン』について、「昭和のダンスミュージック」としての要素を感じ取ったと述べています。特に「ピンクレディー後期のダンスミュージック」という点で、昭和のアイドルシーンにおけるヒット曲との連続性や、それに対するオマージュを感じたと言います。

また、都倉俊一さんと阿久悠さんという、昭和の音楽業界で非常に有名な作曲家と作詞家のコンビの要素を、つんく♂が一人で表現しているように感じたとのこと。

さらに、小室哲哉は、この楽曲が「ベタ」であるという部分もポイントとして挙げています。そのベタさが、ある種の昭和的な懐かしさや温かみを感じさせ、中高年層にまでも受け入れられる要因となっていると指摘しました。

ダンス☆マンとモーニング娘。の成功の背景

『LOVEマシーン』の成功を受けて、ダンス☆マンはモーニング娘。の数々のヒットチューンの編曲を手掛けることとなりました。『恋のダンスサイト』や『ハッピーサマーウェディング』など、彼の編曲による楽曲は、その特徴的なリズムとメロディで多くのファンの心を掴んできました。

ダンス☆マン自身は、特に新しいことを意識して作ったわけではなく、自分が持つファンクやソウルの要素をそのまま楽曲に乗せていました。これが、予想外にもリスナーから新鮮でエネルギッシュに受け取られたのです。

ダンス☆マンの言葉によれば、あえて「アイドルらしさ」を追求することなく、純粋に音楽を楽しむ姿勢が、曲に自然体のエネルギーをもたらしたと言えます。

つんく♂の声の魅力

『LOVEマシーン』のイントロ部分で聞こえる「イヤァ~オ!」は、多くのファンに愛されています。この部分がつんく♂の声であることは、ファンにとっては興味深いトリビアとなっています。曲の中での彼の存在感は、モーニング娘。の楽曲の特徴として認識されています。

8人のモーニング娘。

『LOVEマシーン』のリリースに関しても語り継がれているエピソードがあります。

「LOVEマシーン」をリリースする直前のモーニング娘。のメンバー構成は、1期メンバーの中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみと、2期メンバーの保田圭、矢口真里、市井紗耶香の合計7人でした。

モーニング娘。はメンバーを2人増やし、合計9人のグループでの活動を予定していました。そこで、新しいメンバーを追加するためのオーディションが開催し、そこには才能を持った多くの若者たちが参加しました。

その中でも、後藤真希は他の参加者と比べて明らかに一際異彩を放っていました。後藤真希の歌声、ダンス、そしてステージ上での存在感は非常に高く、その才能はオーディションの審査員たちを圧倒しました。そのため、本来2人の追加を予定していたオーディションで、後藤真希一人のみが新メンバーとして選ばれることとなりました。

結果として、『LOVEマシーン』は8人組みのモーニング娘。によって歌われ、大ヒットを記録しました。後藤真希の加入はグループのさらなる発展を促し、新たな時代の幕開けを告げることとなりました。

「ラブマの法則」

「ラブマの法則」とは、モーニング娘。のシングル「LOVEマシーン」のジャケットに写っているメンバーの卒業の順番が、ジャケットの写真の配置順に沿っている、というファンの間で語られる現象を指します。

『LOVEマシーン』のジャケット写真には8人のメンバーが2列で並んでいます。そして、この写真の配置順にしたがって、上の行から時計回りの順番に、各メンバーが卒業(あるいは脱退)していったことが話題となりました。

具体的な順番は以下の通りです。

  1. 石黒彩
  2. 中澤裕子
  3. 安倍なつみ
  4. 市井紗耶香
  5. 後藤真希
  6. 飯田圭織
  7. 保田圭
  8. 矢口真里

この順番での卒業や脱退が偶然にも実現されたことは、モーニング娘。のファンの間で大きな話題となり、「ラブマの法則」として知られるようになりました。もちろん、これは純粋な偶然の一致であると考えられますが、ファンにとっては興味深いエピソードの一つとして語り継がれています。

『LOVEマシーン』から見る日本の未来への希望

1990年代後半の日本は、経済の停滞や社会の混乱が続く厳しい時代でした。

バブル崩壊の影響が徐々に表面化し、多くの企業が経営難に苦しみ、社会の不安定さを反映してさまざまな犯罪がメディアで取り上げられるようになっていました。このような背景の中、ポップカルチャーは人々の心の中で特別な位置を占めるようになりました。

モーニング娘。の代表曲『LOVEマシーン』は、多くの人に愛されました。歌詞中の「日本の未来は(wow wow wow wow)」や「世界がうらやむ(yeah, yeah, yeah, yeah)」というフレーズは、多くの人々が感じていた日本の未来への期待感や誇りを象徴していました。

また、この曲が発売された1999年は、人類滅亡の予言ノストラダムスの大予言」や、PCの誤作動を危惧する「2000年問題」などが、メディアで頻繁に取りざたされていました。

そんな中で『LOVEマシーン』はただの楽曲を超え、未来への不安と希望が交錯する気持ちを抱えていた多くの人々に、明るい未来への希望を感じさせる希望の一つとなりました。

それから時が流れ、その間も日本は多くの困難に直面してきました。それでも私たちの国、日本は「未来」へ向けて確実に進んでいいます。多くの分野での技術革新、国際的な協力の取り組み、新たな文化の創出など、数え切れない成果や挑戦が日々行われているのです。

日本の「未来」には確かにたくさんの課題が存在します。しかし、過去の栄光を懐かしむだけでなく、現在の挑戦を受け入れ、前向きに取り組むことで、再び「世界がうらやむ日本」を築くことができるのではないでしょうか?

モーニング娘。の『LOVEマシーン』が伝えたかったメッセージは、今も変わらず未来への希望として私たちの胸に響き続けています。

created by Rinker
ポジティブになりたい時はこのサプリ!モーニング娘。のデビュー曲から8枚目の作品をシングルにしてリリース。本作は1999年発表の通算7枚目のシングル「LOVEマシーン」。不景気な日本の時代背景をバッチシ捉えた、明るい未来をイメージさせる元気前向きラブソング「LOVEマシーン(Early Unison Version)」を追加収録。 (C)RS

You might be interested in …

当サイトではプロモーションが含まれています。また、利用状況の把握や広告配信などのために、GoogleやASP等のCookieが使用されています。これ以降ページを遷移した場合、これらの設定や使用に同意したことになります。詳細はプライバシーポリシーをご覧ください

X