
卒業式の定番ソング「蛍の光」には……封印された幻の歌詞が存在する
Lost lyrics
「蛍の光」
学校の卒業式などでよく歌われていた蛍の光。
蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎのとを
開けてぞ今朝は 別れ行く
止まるも行くも 限りとて
かたみに思う、ちよろずの
心のはしを、ひとことに
さきくとばかり、歌うなり
特に1番の歌詞は一般的によく知られて、実際に歌うときは2番まで歌わる傾向があります。
知らなかった!!封印された3番と4番の歌詞
実際には「蛍の光」には3番・4番の歌詞が存在します。だがその存在ははあまり広く知られていない。
つくしのきわみ みちのおく
うみやまとおく へだつとも
そのまごころは へだてなく
一つに尽くせ くにのため
千島のおくも 沖繩も
八洲のうちの守りなり
いたらんくにに いさおしく
努めよ我がせ つつがなく
内容は「お国のために」

九州と東北が遠く離れているけれども、日本人としての真心は変わらない。「千島のおくも沖縄も、八洲(やしま)のうちの守りなり。お国のために尽くしなさい」という意味を込めた3番の歌い出しに、4番は「八洲は日本で、千島や沖縄は国を守る最前線」というメッセージを込めている。
帝国時代、日本や家族や愛する人を守るために、戦地に行く若者たちが、別れの悲しみを噛みしめているときに、励ましの歌として歌われていました。
軍隊によって別れの曲のイメージが定着
「蛍の光」は、戦前の日本において、士官たちが離任する際や、海軍兵学校や海軍機関学校の卒業式典で演奏されたことから、次第に「別れ」のイメージが定着していきました。
紛れもなく軍歌!?「告別行進曲」
その時、蛍の光「告別行進曲」『ロングサイン』という名称で歌われていました。つまり、軍歌と捉えることができます。
日本帝国が領土を拡大していくにつれ歌詞が変化
戦争が進むにつれて歌詞が変わっていきました。
明治初期の案として
『千島の奥も 沖縄も 八洲の“外”の 守りなり』
となっていました。
しかし、千島樺太交換条約や琉球処分により
『千島の奥も 沖縄も 八洲の“内”の 守りなり』
となりました。
そして、日清戦争による台湾割譲を受けて
『千島の奥も “台湾”も 八洲の内の 守りなり』
と変化。
日露戦争後には
『“台湾”の果ても “樺太も 八洲の内の 守りなり』
となっていきます。
当時の日本の対外膨張主義をよく反映しているのが、1895年に台湾を南進の拠点として獲得した年に、「蛍の光」四番の歌詞が「千島のおくも沖縄も…」から「台湾の果ても樺太も…」へと変わったことである。
帝国「日本」に統治されていた国々では“別の意味を持った”

日本の統治下における教育施策のもと、台湾や韓国では「蛍の光」が持ち込まれ、独自の浸透をとげるとともに、「民族復興」や国家への献身を歌う歌詞が付けられ歌われるようになった。
韓国では「抗日運動の歌」
1896年に朝鮮半島が日本の侵略に反抗し独立を目指す抵抗運動において、この歌のメロディにあわせ「わが大韓万歳!」と歌われた。
愛国歌として知られるこの詞は、賛美歌14番としても知られていて、韓国の国歌として1948年まで歌われていた。
現在では、日韓の過去を象徴するものとして韓国の映画で日本の政治家などが殺される場面などで象徴的に流されることが多い。
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戦後にGHQがこの歌詞を封印!
「蛍の光」の3番や4番の歌詞には、日本の領土や防衛に関するフレーズが含まれています。これらの歌詞が、平和国家の唱歌にふさわしくないとされ、戦後の日本においては教育現場での歌唱が控えられるようになったとされています。また、戦後のGHQの指導により、軍歌や戦争を讃えるような楽曲の歌唱が制限されたことも背景にあります。
歌詞を削られ教科書に!
しかし、戦争からの復興を目指す中で、平和や故郷を思う気持ちを表現する歌としての再評価が進み、1950年代には教育現場での歌唱が再開、音楽教科書に復活しました。
その際、「蛍の光」の歌詞については、3番や4番の歌詞に軍事的なフレーズが含まれていたことから、削除されることが決定されました。そして、現在広く知られている1番から2番の歌詞のみが、教育現場や音楽教科書で歌われるようになったのです。
日本の近代を知る上で避けては通れない歌の一つ
特に小学校高学年になると、歌唱指導が行われ、多くの日本人にとっては身近な歌となっています。このような学校教育の歴史は、日本の近代化にも影響を与えてきたと言われています。
近年、日本国内でも「蛍の光」を含む国内の歌や文化に対する認識や評価について議論がされることがあります。一方で、日本の伝統や文化に対する関心が高まるなか、「蛍の光」を含めた歌や文化の再評価や、新たな解釈が提示されることもあるようです。
「美しい日本人の心を育てる教育」を推進する民間人による全国組織「全国教育問題協議会」の山本豊・常務理事兼事務局長は「日本人の心を育む意味でもせめて、こういう歌があることぐらいはしっかりと教えてほしい」と話す。
【視点】日本人としての意識、誇り取り戻せ 産経新聞社正論調査室/SankeiBiz.工藤均