音楽制作において、コンピューターによる歌声合成技術は欠かせないものとなっています。その中でも、VOCALOIDは、個性的な歌声を自由自在に作り出すことができる歌声合成ソフトウェアとして、多くの音楽制作者やファンから愛されています。
しかし、VOCALOIDの歴史は初音ミク以前から存在しており、その発展には多くの人々の努力があったことも忘れてはなりません。本記事では、VOCALOIDの歴史と初音ミクの登場について紹介します。
音界シーンを救った「電子の歌姫」 ── 初音ミクとめぐるJ-POPとボーカロイドの歴史①
VOCALOID HISTORY
ボーカロイドの歴史
VOCALOIDの歴史は初音ミク以前から存在します。
2003年2月26日にヤマハが初めてVOCALOIDの技術を発表。当時はVOCALOIDの1号機となる「Leon」と「Lola」が発売されました。初音ミクのように大ヒットしたわけではありませんが、ヤマハがVOCALOIDの技術を開発し、初音ミクの登場によって、VOCALOIDが一躍注目を集めるようになりました。
世界で初めてPCが歌った年は1961年
ベル研究所の John Kelly や Louis Gerstman などは、1960 年代に歌声を合成する方法を研究していました。
1967 年には歌声合成システム「Singing Synthesizer」を開発しました。これは、歌詞とメロディを入力することで、コンピュータが合成した歌声を出力するものでした。ただし、このシステムは大きなコンピュータでしか動作せず、一般に普及することはありませんでした。
当初は単純な音声合成に留まっていましたが、次第により自然な歌声合成技術へと進化していきました。その後、1980年代には英国のコンピュータ音楽研究所が「vocal tract model」という技術を開発し、1990年代には日本の山下研究室が「vocaloid」という技術を開発していたとされています。しかし、これらの技術は一般にはあまり知られていませんでした。VOCALOIDが一般に広く知られるようになったのは、初音ミクが登場してからであり、VOCALOIDが現在のような形で注目を集めるきっかけとなりました。
IBM7094が「Daisy Bell」を歌う
ベル研究所でデイジーベルが歌ったのは、1962年のことです。IBM 7094コンピューターを使用して、彼女の声を合成しました。この楽曲は「Daisy Bell(またはBicycle Built for Two)」という曲でした。
この歌声は、コンピュータが音楽や歌唱を扱える可能性を示すものとして、多くの人々に注目されました。
映画「2001年 宇宙の旅」でAIが歌を歌う!
1968年のSF映画「2001年宇宙の旅」の有名なシーンで、HAL 9000というコンピュータが「デイジー・ベル」を歌う場面があります。
壊されるされる直前のAI「HAL 9000」が歌う
その名シーンは、宇宙船HAL号のAIであるHAL 9000が暴走し、乗組員であるボウマン博士が、コンピューターのプログラムを停止させるために、HALの機能を一つ一つ停止させていく場面です。最後にボウマン博士が、HALの回路をカットする寸前、HALが「デイジー・ベルを歌います」と歌い始めるというものでした。
HAL「怖いです。怖いですよ、デイブ。意識が薄れていく。感じます。意識が薄れていく。間違いありません。感じます。怖いで・・・す。みなさん、こんばんは。私はHAL9000コンピューターです。1992年1月12日、イリノイ州のウルバナのH.A.L.工場で生まれました。私の教師はラングレーさんです。彼は、私に歌を教えてくれました。お聞きになりたければ、歌って差し上げます」
デイブ「そうだな。聞きたいよ、HAL。歌ってくれ」
HAL「曲のタイトルは“デイジー”です。デイジー、デイジー、答えておくれ。君への愛でおかしくなりそうだ。立派な結婚式はできないし、馬車も用意できない。でも、2人のために作った自転車に乗る君はスイートだよ」
HAL「曲のタイトルは“デイジー”です。デイジー、デイジー、答えておくれ。君への愛でおかしくなりそうだ」/映画スクエア/2001
ちなみに、この映画でHAL 9000は、人間のように思考し、会話し、感情を持った人工知能として描かれていました。最後ののシーンは、コンピュータのAIが人間に対して危険であることを象徴するものとして有名になりました。
クラーク監督はベル研究所でIBM7094の歌を聴いた
このシーンは、アーサー・C・クラークと映画監督のスタンリー・キューブリックのアイデアによって制作されました。
IBM7094が歌うデイジーベルとは別のものですが、クラークがこのIBM7094を知ったのは、1962年のベル研究所での実験の翌年、研究所で歌を聴いたことからインスピレーションを受けました。
ヤマハがのVOCALOID開発のはじまり「Daisyプロジェクト」
1997年には、ヤマハがハードウェアを用いた歌声合成技術の商品化を試み、「PLG-100SG」を出しましたが、高価格かつ専門的であったため、一般的な市場での普及はありませんでした。
2003年2月に「VOCALOID」の名称で発表され、初代VOCALOID「Leon」と「Lola」がリリースされました。
当時のヤマハは、MIDI音源やシンセサイザーのメーカーとして知られていましたが、CDプレーヤーやデジタルオーディオプレーヤーなどの普及によって、音楽配信や音楽制作の分野での需要が高まっていました。
ヤマハは、これまでの音源システムとは異なり、歌唱音声の合成技術に特化した新たな技術を開発するため、音響科学の専門家や音楽制作者などから成る開発チームを編成し、4年以上にわたって研究を続けました。
バルセロナの大学との共同研究
ヤマハが音声分析・合成技術の研究開発に関するノウハウを持ち、バルセロナのポンペウ・ファブラ大学大学が言語学や音響学に関する知識を持っていたことから、両者が協力してボーカロイド技術の開発を行った。
VOCALOIDの開発中の社内のプロジェクト名は,ベル研究所のJohn Kellらの成果に敬意を表し,”Daisyプロジェクト”としていた。
共同研究の中で、ヤマハは技術的にリアリティを追求し、合成音を開発していきました。
そして2003年2月、ヤマハは「VOCALOID」という製品を発表の直前にVOCALOIDという名前が決まりました。
独自開発したシステム「周波数ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法」
歌声合成には、独自開発した“周波数ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法(Frequency-domain Singing Articulation Splicing and Shaping)”を採用した。
周波数ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法は、略してFD-ACM(Frequency-Domain Articulation and Control Model)と呼ばれる技術で、ボーカロイド音声の生成に必要な周波数成分を抽出し、それらをつなぎ合わせることで歌声を合成する手法です。この技術により、歌手の歌唱表現や発音の微細なニュアンスを再現することができます。
当初は日本語と英語に対応していましたが、現在では多言語に対応しています。また、対応OSもWindowsやMac OSに加え、iOSやAndroidなどのスマートフォン用アプリケーションにも展開されています。
「VOCALOID」を世の中に発表!!
VOCALOIDの開発には多大な投資が必要だったため、ヤマハは他社との提携やライセンス供与などでビジネス展開を進めました。クリプトン・フューチャー・メディア株式会社は、初音ミクをはじめとするキャラクターのライブラリ制作や販売を行い、現在でもVOCALOIDの代表的なキャラクターとして人気があります。また、ドイツのMUSIC-SHOP Best Service Kandler und Greil GmbHやイギリスのZero-G Limitedともライセンス供与の枠組みで合意し、世界的にVOCALOIDが普及する基盤を築きました。
「ボーカロイドの父」剣持 秀紀
「ボーカロイドの父」とも呼ばれる剣持秀紀氏は、ヤマハ社のY2プロジェクト開発担当主管技師として当初から開発に携わってきました。
剣持氏は「ヤマハ側とバルセロナ側が開発を分担し、密に連携を取りながら作り上げていったのが成功につながったと思う。当時はバックコーラスやデュエットの相手、または仮歌としての利用を想定しており、リードボーカルを担うような状況は、数十年実現しないだろうと考えていた」と述べています。
また、VOCALOIDの普及について、「初めは、まさかボーカロイドがここまでの普及を見せるとは思ってもいなかった。だが、それでも作曲家やクリエイター、歌い手たちが、新しい音楽表現の可能性を模索し続け、VOCALOIDは今や音楽業界において、なくてはならない存在になっている」と語っています。
英国メーカー「ZERO-G」が世界初のボーカロイドソフトを発売!
ヤマハが「VOCALOID」のライセンスを供与する形で、イギリスのメーカー・ZERO-G社が2004年に世界初のボーカロイド製品「LEON」(男声)と「LOLA」(女声)を発表。
世界初のボーカロイドソフトは全然売れなかった
しかし、それは全然売れなかった。ボーカロイド製品としては世界初のものでしたが、当時はまだボーカロイドという言葉自体が一般的ではなく、また技術的な制限もあり、音声合成の質が不十分だったことが売れ行き不振の原因となったと言われています。
LEON is the new mascot of VOCALOID. pic.twitter.com/Yx6MFQ43mV
— Vocaloid Anything Bot (@VocaAnything) November 24, 2022
【VOCALOID1】The vocal synth of the hour is LOLA.
— ☆ Hourly Vocal Synth Bot (@iLiekVocaloid) December 1, 2022
Alongside LEON, LOLA was the first released Vocaloid. pic.twitter.com/o7zUdHfimL
国内で販売代行をしていた会社!それがクリプトン(CFM)社!!
日本では、後に初音ミクを発表することになる、クリプトン社が「LEON」と「LOLA」の販売代行は起こったが。だが、日本でも売れ行きは芳しくありませんでした。これは、英語の発音に特化した声質が日本の市場には合わなかったことが原因の一つとされています。
元々は“サウンド素材”を扱う商社として札幌を拠点に輸入販売!
クリプトンは、1995年に北海道札幌市で創業した企業で、当初は効果音などのサウンド素材の輸入販売を行っていました。また、パソコンでの作曲(DTM)に必要な海外ソフトウェアも輸入販売していた。
クリプトンは、当時から先進的なネットワーク技術に詳しい企業として知られており、ISDN回線や常時接続線の導入にも積極的でした。また、1999年には札幌市内での無線LANサービス「DoPa(ドーパ)」の提供を開始し、北海道内では初めての無線インターネットサービスプロバイダーとなりました。このような先進的なIT技術を取り入れる姿勢は、後に「初音ミク」の誕生につながる開発においても重要な役割を果たすことになります。
クリプトン社の社長「伊藤博之」
伊藤博之社長は、1995年にWindows95が出た年に、クリプトン社の拠点を札幌に決めました。
伊藤:Windows95が出た年、つまり一般の人が使えるパソコンが出た年です。このときはお客さんも東京にいたため、東京に拠点を構えたほうが圧倒的にメリットが大きかった。しかし、あえて札幌にとどまりました。通常であれば商品のPRをするために、営業マンを東京に派遣するんですが、「今後はインターネットでPRしていくことが主流になってくるだろうから、北海道でも仕事ができる」と考えたんです。そこで、インターネットのことを勉強し、北海道で最初にOCNの専用回線を引いて、サーバーを立ち上げました。「北海道でやると決めた以上、発信するためにはインターネットを活用しよう」と発想をシフトできたことは、田舎にいたおかげなのかもしれません。
初音ミク生みの親=クリプトン伊藤博之社長インタビュー「今は“いかに狭く売るか”という試みが大事」/Real Sound.2014
効果音の販売というニッチな市場でビジネスをしていた
クリプトン社は、効果音販売で国内市場シェアの6割を占めるという。そんな専門家向けニッチ市場は持ち、100万種類を超える音源を持っていた。
クリプトン社は効果音販売で国内市場シェアの6割を占め、100万種類を超える音源を持っていたが、
効果音販売は一般的に、映像・音楽制作、ゲーム制作、放送業界などの専門家向け市場であり、市場規模は小く、10万人ほどのお客様を対象にビジネスをしていた。
だが、2000年前後に着信音市場に進出し、同社は新しい市場での成功を収めました。クリプトン社は多様な音源を持ち、少ないデータ量で良質な音を出す技術を既に持っていたため、着信音にも応用することができました。初月から100万件以上のダウンロードを記録し、着信音、着メロ市場でのクリプトン社は1位の市場シェアを獲得している。
ヤマハのVOCALOID開発を知り製品化を検討
クリプトン社の社代表取締役である伊藤は、以前の事業経験から「人の声」が売れることを知っていた。そこでヤマハが開発している精巧な音声合成技術「VOCALOID」を知り、製品化を検討した。
しかし自社での製品開発には時間的余裕がなかったため、海外の取引先にVOCALOIDを紹介し、製品化を勧めた。
その話を真面目に検討した英国のZERO-G社が、世界で最初にVOCALOIDを使った製品「LEON」「LOLA」を市場投入した。クリプトン社はこの製品の日本国内の販売を代行したのだ。
Zero-G社(英)の初代ボカロ「LEON」と「LOLA」は、アメリカでは全然だったらしい。イギリス英語が理由ならしいけど。むしろ日本の方が当時売れてたはず。英語のシンガー手に入るわけだから、そりゃ日本人の方がバリュー高い(と感じる)よね。
— 伊藤博之 NT (@itohh) July 26, 2010
海外ついでに>まだボカロが出る前、うちの海外の取引先にVOCALOID技術をススメてたんだけど、いろいろ声かけた割に、乗ってきたのはイギリスのZero-Gだけだった。あとボカロ2になってからのPowerFX(スウェーデン)くらい。
— 伊藤博之 NT (@itohh) July 26, 2010
クリプトン社が開発した女性ボーカロイド「MEIKO」が大ヒット!
2004年11月5日にクリプトン社は自ら開発したボーカロイドを発表した。
開発にあたっては、クリプトン社が持つ音源を活用し、歌声の合成技術「VOCALOID」を使った。当時はバーチャルインストゥルメント市場での売り上げが1000本程度であった中、MEIKOは約3000本の売り上げを記録し、大ヒットした。その後、MEIKOは歌い手としてのキャラクターも確立され、多くの楽曲で使われるようになった。
売れなかった原因はパッケージにあり!?「MEIKO」には女性キャラを起用!
「LEON」と「LOLA」は、クリプトン社がZero-G社からライセンスを受けて製品化したVOCALOIDソフトウェアです。発売前に発表されたZero-G社の最初の製品版では、「VOCALOID Soul Vocalist」という名前で男女音源が同梱で、パッケージ写真と説明文で「黒人ソウルシンガー」という設定を採用していました。
しかし、実際の製品版ではその設定は取り除かれ、キャラクター性を排除した男女の唇写真のパッケージに変更されました。
「MEIKO」のパッケージも、声を提供してくれた歌手・拝郷メイコさんの顔を描くのが自然な発想だったと思われますが、クリプトン社はそのような描き方を行わず、マイクを握った元気な女の子のアニメ風の絵を採用しました。
これは「DTMユーザー以外の人々に“これは歌うソフトだ”と分かるよう、興味を持ってもらうためのデザイン」「実写にすると生々しいし、日本だし、アニメっぽいのがいいんじゃないかと考えて」と伊藤社長は説明していた。
さらに男性ボーカロイド「KAITO」を発売するも……ヒットとはいかず。
2006年2月に発売したクリプトン社のVOCALOIDを使う男性の声の歌声合成ソフト「KAITO」。MEIKOで手応えを感じたクリプトン社が、今度は男性verで勝負したのだ。
「KAITO」は通常のDTMソフト並みの数百本しか売れず、明らかな失敗となってしまった。
DTMユーザのほんとどが男性!女性の歌声にしかニーズがなかった
「彼ら求めているのは自分に出せない声だ」伊藤社長は,DTMユーザーのほとんどが男性であることを原因として,特にプロではない男性ユーザーを狙うなら,女性の歌声にニーズがあると結論付けた。
初音ミクに繋がる技術!歌声合成技術「VOCALOID2」をヤマハが発表!
2007年1月、ヤマハが「VOCALOID 2」を発表しました。
VOCALOID 2は、録音された人間の声をもとに、よりリアルな歌声合成を実現するために、VOCALOIDの基本性能を向上させました。また、キーボードを使って生演奏や生歌唱を行う機能が追加されました。これにより、より自然な音声合成が可能となり、ボーカロイドの表現力が大幅に向上しました。
クリプトン社が新たなボーカロイドの開発に動き出す!
MEIKOの発表から2年以上経ち、クリプトン社は、VOCALOIDの次期版である「VOCALOID2」を使用して、MEIKOの後継製品の開発を計画していました。
ターゲットはアキバ系のユーザー
伊藤社長は、VOCALOID2のデモを聞いてその進行具合を確認し、DTMユーザーだけでなく、その周辺にいる“アキバ系のユーザー”を狙うべきだと考えた。日本の人口と比べると、DTMユーザーは0.5%にも満たないと指摘し、”0.5%の要求を満たす方がいいのか、それとも残りの99.5%に訴求する方がいいのか”悩んだ結果、MEIKOとKAITOの成功と失敗を受けて、クリプトン社は新技術にはかわいい女性の声を載せ、アニメ風のイラストを取り入れることを決めた。
バーチャルインストゥルメントの小さな市場からボーカロイドを飛躍させるために、この2つは必須だと結論づけたのだ。
女性ミュージシャンにオファーするも断られる…。
女性ミュージシャン10人ほどに声をオファーしたが、次々と断られてしまいました。声を提供することに対する抵抗感があったり、自分と似たような声が製品として販売されることを嫌がったりしたためです。
プロの女性声優に発想を転換
しかし、クリプトン社はあきらめず、「かわいらしい声のエキスパートであるプロの声優さんは受けてくれるのでは?」と代わりに声優の協力を求めることにしました。
クリプトン社がボーカロイド事業に進出するために、アニメや声優業界に縁がないという問題に直面し、社員たちは尻込みしていたが、伊藤社長はアニメファンの社員からレクチャーを受け、逆に社員に発破をかけて取り組んだ。
札幌から東京に行きの声優事務所にオファー
札幌から都内の声優事務所に出張し、説明を繰り返したたが。なかなか理解されなかった。そんな中で最もオープンな姿勢で話を聞いてくれたのが、アーツビジョン。
「CDのボックスセットみたいなのをもらい、大量の声を仕事をしながら延々と聞いた」「異様な光景だったかもしれません」クリプト社の佐々木(企画責任者)はアーツビジョンの所属声優全員・500人分のサンプルボイスアニメのせりふやCMナレーションなど1人1~2分)。を聞き込んだ。
最終的に声優の藤田咲に決めた。
藤田さんに決めたのは、声質がVOCALOIDにぴったりと感じたから。「高音域には竪琴のような、女性的でりんとしたインパクトがあり、VOCALOIDとの相性が抜群。アカペラで声が聞き取りやすい上、エレクトリック・サウンドとの相性は格別」
異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野/ITmedia NEWS.2007
未来から来た初めての音「初音ミク」
初音ミクという名前を付けたのは、リアルな肉声でもなく、100%合成音声でもない「声のアンドロイド」を未来から来たものとしてその思いを込めたからだという。
佐々木さんは、「日本だと、おじさんミュージシャンも初恋の歌を歌っているが、ミクが16歳であることを考えると、バーチャルの世界なら、初恋しているような年齢の女の子に歌ってもらった方がいいじゃないか」と語っています。
声優「藤田 咲」の声を元に「VOCALOID2」で歌声を合成
ヤマハの歌声合成技術「VOCALOID2」を使って、声優の藤田咲さんの声を元に「16歳のバーチャルアイドル」と設定して歌声を合成する。
「16歳のバーチャルアイドル」という設定で、声優の藤田咲さんの声を元に、ヤマハの歌声合成技術「VOCALOID2」で歌声を合成する。
「初音ミク」10周年 2007年8月31日の発売から/ITmedia NEWS.2017
イラストレーター「KEI」がデザインを担当
初音ミクのデザインは、イラストレーターのKEIが担当し、ツインテールのビジュアルや衣装などが決定しました。また、佐々木氏は初音ミクにキャラクターを付けることを決め、ブログで公開したところ、ネット上で注目を集めました。初期は懐疑的な意見もあったそうですが、その後は多くのファンを獲得し、今では世界的に有名なバーチャルアイドルとして知られています。
Hatsune Miku’s birth
2007年8月31日 「初音ミク」誕生!!
ついに2007年8月31日にボーカロイドの初音ミクが誕生。
初音ミクが発売されてから1週間が経つと、オリジナル曲を作り、初音ミクに歌わせて投稿する人たちが出現し始めました。
無料配布された3曲のデモソングが起爆剤の1つに!
「初音ミク」の大ブレイクのきっかけは、製品Webサイトで配布されているデモソングがMP3形式で書き出された3曲がダウンロードできるようになったことにある。高品質な歌声と楽曲に感動した一部のユーザーが、ソフトを購入して自作の歌を「初音ミク」に歌わせ、ニコニコ動画やYouTubeにアップしたことで大ブレイクした。
なんと2007年8月31日の初音ミク発売前に既に,同社のデモソングを利用した作品がニコニコ動画に投稿されていたのだ。
「ニコニコ動画」との相乗効果!
2006年12月にスタートしたニコニコ動画は、YouTubeの動画にコメントを付ける機能を付加するサイトとして開始され、2007年3月には自前で動画サーバーを運営する独立したサイトとして再出発した。2007年5月時点で既に登録者数が100万人を超え、1日当たりのアクセス数が3800万PV(page view)を超える巨大サイトとなっていた。
「歌ってみた」「演奏してみた」
初音ミク登場前夜には,アクセス数の増加に伴い,ユーザーが創作した作品を共有する場としての色が徐々に強まっていた。そのため,「歌ってみた」「演奏してみた」などの作品や,編集などに工夫を凝らした作品の投稿が増えていた。
初音ミクの登場により、音楽制作に関するハードルが下がり、多くの人々が音楽制作に挑戦できるようになったことも、ブームの一因だった。ユーザーたちは初音ミクを自分たちで使って、独自の音楽制作や創作活動を展開していった。初音ミクは、自由な表現の可能性を拡げることで、多くの人々の心を掴んんだ。
ニコニコ動画において、「初音ミク」という共通のタグ(ニコニコ動画の機能)によって個々の動画が関連付けられ、コメントによって視聴者の熱が可視化され、初音ミクはブームとなっていきました。
2006年12月12日、ニコニコ動画から変わる想定もあり、本当に仮であったことから「ニコニコ動画(仮)」でスタート。
— ニコニコ公式@ニコ動アワード2022推薦受付中! (@nico_nico_info) December 11, 2021
いわゆるWeb2.0のかっこいいデザインへのカウンターとして「ゆるさ」をコンセプトに。手書き風フォントにして、素人っぽい雰囲気にしていました。#ニコニコ15周年 pic.twitter.com/GFFQn9nVU4
【祝・5周年】「【浦島坂田船】太陽系デスコ【歌ってみた】」がニコニコ動画に投稿されたのは、2017年2月1日です。https://t.co/qByuaVnsEv
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) February 1, 2022
この動画は、ユニット・浦島坂田船(@USSS_info)がナユタン星人 さん作の初音ミクオリジナルを歌ってみたものです。 pic.twitter.com/FuOz2JrV3M
ネギを持った初音ミク「はちゅねミク」誕生
発売からわずか4日後の9月4日には,デフォルメされた「初音ミク」がネギを振る動画と組み合わせた「VOCALOID2 初音ミクに『Ievan Polkka』を歌わせてみた」が投稿された。
『VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた』
楽曲の楽しさもさることながら、動画に付けられたネギを振る初音ミクの映像によって、愛される「ネタ」としての側面がクローズアップされることになったのです。
「初音ミク=ネギ」を印象付けたボカロP!Otomaniaインタビュー(1)/RadiChubu.2021
この映像は楽曲の楽しさ以上にネギを振る姿がクローズアップされ、「ネタ」として愛される側面を強調することになりました。
初音ミクのブームの火付け役!?「Otomania」
ネギは「初音ミクに『Ievan Polkka』を歌わせてみた」の投稿者で初音ミクのブームの火付け役と言われているのがOtomanI。
小学生の頃に所属した合唱団で歌を学び、中学生で吹奏楽で管楽器の楽しさを知る。高校生の頃に出会ったギターとベースに触発されバンド活動を始める。暫くの間音楽活動から離れるも、2007年9月、当時発売されて間もなかったVOCALOID製品「初音ミク」を使った作品を発表。これが瞬く間に人気を呼び、その結果初音ミクブームの火付け役となる。
発端はMSNメッセージャーでの仲間内のやり取り
きかっけは友人からボーカロイド(初音ミク)についての情報を聞いて、クリプト社のデモソングを聞いて衝撃を受け、面白そうだと思い購入したことだった。
Otomaniaは当時、MSNメッセンジャーを使って仲間たちとやりとりしていた際、おかしな替え歌を歌わせて笑いをとっていた。
フィンランド民謡「Ievan Polkka」の歌詞を歌わせる
友達が、初音ミクの声をぜひ聞きたいと言っていたので、思いついたのが、フィンランドのボーカルグループ「ロイツマ」が歌う同国の民謡「Ievan Polkka(イエヴァン・ポルカ)」だ。伴奏もつけないアカペラで、歌詞は特に意味のないスキャットで30分ほどで制作した。それをMSNメッセンジャーで聴かせてみると、全員に大ウケ。
仲間の一人が「はちゅねミク」の生みの親!「たまご」
仲間の一人でイラストを描く「たまご」さんも、その場で1枚のイラストを30分ほどの即興で送ってきた。それをみた仲間たちはまたも大ウケ。
Otomaniaがブログの中で命名!はちゅねミクが誕生!
Otomaniaによって、当初はまだ名前がなかったものが「はちゅねミク」と命名されたのは、自身のブログの中でのことであった。
ーどうもこんにちは。Otomaniaです。
先日、たまごさんと「あの子(ネギミク)にそろそろちゃんとした名前を付けたほうがいいんじゃない?」という風な話をしていたんです。というのも、作成した当初は名前などなく、正直その時点では名前というものまで全く頭が回っていませんでした。
しかし、おかげさまで沢山の方々に動画を見ていただき、皆さんに色んな名前で呼ばれているので、この辺でちゃんと名前を付けてあげようと踏み切ったわけです。それでは発表します。
名前は「はちゅねミク」に決定しました!
「はちゅねミク」に命名しました&ついでに壁紙を作りました/Otomania.net.2007
「このミクを動画にしたら面白いんじゃないか」フラッシュ動画の制作開始
その後、ミクが歌う曲として「Ievan Polkka」を選び、その曲に合わせて動画を作成することに決めました。たまごに原画を依頼し、Otomania自身は伴奏のオケ作りに入った。
長ネギの元ネタは「BLEACH」のキャラのフラッシュアニメ!!
彼らがミクに長ネギを持たせたのは「ロイツマ・ガール」に由来するのです。
2006年、日本のアニメ「BLEACH」のキャラクターである井上織姫が、夕食の食材を買出しに街へ出かけた際に、車に轢かれそうになり他の主人公たちに助けられる場面がありました。
そこで織姫が「ネギとバターとバナナとようかん、無事でした~♪」と長ネギを振り回しながらボケるシーンが描かれました。
そのシーンを、フィンランドの男女混声カルテット「Loituma(ロイツマ)」による「Ievan Polkka」という曲に合わせ、何者かがFlash「Loituma Girl(ロイツマ・ガール)」というフラッシュアニメーションを無料で公開したことから、ネット上で世界的にブームとなりました。
これが話題に!
2007年に、初音ミクとネギを結び付ける動画「VOCALOID2 初音ミクに『Ievan Polkka』を歌わせてみた」をニコ動に投稿、あの人気Flashのオマージュとして、ミクがネギを振り回し続ける。
Otomaniaは、ウケる自信はあったが、ここまでの反響は予測していなかったと語る
「沢山の方から、『動画見ました or 聴きました』、『はちゅねで○○しました』というご報告や、『またDTMをはじめました』など、リピーターさんからのメールが来ました。こういった『楽しさの感染』は本当に嬉しいです。作品をUPしてよかったと思いました」(Otomania氏)
なぜ「初音ミクがネギ」で「鏡音リンがロードローラー」なのか?/ASCII.jp2008
「初音ミク=ネギ」「はちゅねミク」が定着!!
間の抜けた表情でデフォルメされたのもウケ、「ミク=ネギ」のイメージが定着したました。この動画は人気が高く、500万回近く再生されています。ちなみに、動画に付けられていたタグは「全ての元凶」「伝説の始まり」でした。
トロステーションにネギを持った“はちゅねミク”が登場!制作会社クリプトンが公認!!
あくまで“公認”で“公式”ではないが、はちゅねミクは11月16日分(第373回)のトロ・ステーションに登場しクリプトン公認SDキャラとなったことが伝えられた。それに伴い、各メディアにも多数進出しており、「ねんどろいど 初音ミク」にはちゅねフェイスが付属したり、2008年夏のワンダーフェスティバルでは付属顔がはちゅね顔とのっぺら顔のみという「はちゅねフェイスver.」が発売された。
「ボカロP」たちが名曲を量産し続ける
「ボカロP」と呼ばれる気鋭のクリエイターが、ニコニコ動画・YouTubeを主戦場にひしめき合い、信じがたいスピードで名曲を量産した。最重要曲としては、OSTER projectの「恋スルVOC@LOID」、ikaの「みくみくにしてあげる♪」、maloの「ハジメテノオト」などがあげられる。特に、ikaの「みくみくにしてあげる♪」は絶大な再生数を記録し、初音ミクブームを盛大に加速させた。
“ボカロP・“〇〇P”のルーツ!「ワンカップP」
長い間、歌声合成ソフトの主流はヤマハのボーカロイドエンジンを利用していたため、それを使って作品を作るプロデューサーを「ボカロP」と呼び、その呼び名が定着しました。ちなみにボカロP/○○Pという文化が生まれたのは、9月3日に投稿された「初音ミクが来ないのでスネています」という動画のコメントによって、投稿者が「ワンカップP」と命名されたことがきっかけとなりました。これは、人気を誇っていたアイマスMAD(『アイドルマスター』関連作品を素材に用いたMAD作品)の制作者を、原作ゲームに倣って○○Pと呼ぶ文化から来ています。
歌詞付き動画のパイオニア!
ワンカップPさんは、最初のボーカロイドPとして、今でも定番となっているいくつかの手法を黎明期から採り入れています。その一つが、ボーカロイドの歌声に歌詞の字幕を入れることです。
後の時代になると、ボーカロイドの歌詞が聞き取りにくいという理由から、歌詞を動画と共に投稿することが増えてきました。また、特殊な効果を加えて歌詞を強調することも定番となりました。スマートフォンの普及に伴い、人間の歌唱の動画にも歌詞の字幕が現れるようになりました。
実はなんと、2007年9月初めには、ワンカップPさんは「歌詞つき動画」の投稿を始めていました。
初音ミクは「一億総クリエイター時代」の始まりを告げた
久しく「一億総クリエイター時代」といわれてきたが、その時代への入り口を作る大きなきっかけとなったのが初音ミクの誕生である。その誕生は楽曲だけでなく、楽曲にインスパイアされた別のユーザーが曲のアレンジをしたり、イラストを描いたり、踊ったり歌ったりするという創作の連鎖を生み出し、垣根を超えた作り手同士のコラボレーションも生まれたのです。
オリジナルから続々と発生する創作!「n次創作」
オリジナル作品を元に、二次的・三次的と派生する「踊ってみた」や「歌ってみた」などの現象を「n次創作」という。
「n次創作」はコンテンツが、コンテンツ盛り上げるという役割を担ってきた。しかし、それは同時に、著作権の問題とぶつかってしまった。
伊藤社長はこの創作の連鎖を「追認」
伊藤社長は当時ニコニコ動画を観て、ユーザーたちが盛り上がる様子を「追認」という言葉で表現している。次々と発表されるn次創作の中でも印象に残ったのは、オリジナル曲も多かったと同時にネタ曲も多く投稿されていたということでした。
ミクの開発中には、MEIKOが売れ始めるなどの事象があり、ミクをリリースしたときも予想以上の勢いで創作の連鎖が始まりました。ボカロPたちは、メジャーのルールに縛られないネットの世界で、際限なく創作力の火花を散らしていきました。その勢いをさらに加速させるため、クリエイターが創作しやすい環境をつくる必要性を強く感じたと伊藤社長は述べています。
「奇跡の3カ月」
2007年10月にピークを迎えた「初音ミク」のサウンド関連ソフト全体の販売本数に占めるシェアは57.8%に達した。誕生から約3カ月半の短い期間でその成長の方向性が固まった中、その後も驚くほどの進化を見せ続けた。そして、その間にこの文化の核となる多くの重要な要素が芽生えていき、最初期を実体験したファンたちはこの期間を「奇跡の3カ月」と呼んだ。それまでなかったところに豊かな文化が急速に形になったのがこの時期といえる。
「あまりに出来過ぎ…」ボーカロイドの父「剣持秀紀」がこの時代を振り返る
「本当に奇跡に近い話だったと思います。今から振り返ると、あまりに出来過ぎだったという感じもしますね」
聴きながら読む『ミクセカ』ダイジェストナビゲーション/太田出版
剣持秀紀氏は、2006年12月にニコニコ動画が誕生し、ユーザーが動画にツッコミを入れながら楽しむ文化が盛り上がりを見せていた中、2007年の夏に初音ミクが登場。
当時ユーザーの間で、ネギを振って踊るコミカルでユーモラスな動画や、「電子の歌姫」として歌うキャラクターソングの数々が大きな話題になった。それらを振り返ると、剣持秀紀氏は様々な人々が口を揃えて2007年という年の意味の大きさを語った、とのことです。
その時に出現したキラキラしたシンセポップ曲の中で、代表曲として脚光を浴びたのが「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」や「恋スルVOC@LOID」。ミクがボカロPに語りかけるような歌詞の言葉が、初音ミクの人気爆発のきっかけになった。
著作権の問題が浮上!!
伊藤社長は、初音ミクの一連の盛り上がりに対して、「まさか一般ユーザーが使うとは考えていなかった」と驚きを隠さない。当初は、デスクトップミュージック(DTM)愛用者向けのニッチな製品という位置づけで販売するつもりだったというが、初音ミクは予想外の大ヒット。そのため、「ニコニコ動画で盛り上がっているよね」という声を耳にし、「初音ミクの著作権ってどうなの」という質問が数多く届いた。
二次創作に関するガイドラインを発表
2007年12月、伊藤社長は初音ミクのキャラクター画像の二次創作に関するガイドラインを発表した。「それまではユーザーが二次創作した画像をネットに公開するのは黙認状態だった。
伊藤氏が発表した初音ミクの二次創作に関するガイドラインには、以下のような内容が含まれていました。
- 初音ミクのイメージを損なうような二次創作は禁止。
- 商業目的での使用は禁止。
- 製作者のクレジット表記が必要。
- 不適切な表現や公序良俗に反する二次創作は禁止。
- 初音ミクを題材とした二次創作の公開や配布については、利用規約に従う必要がある。
これにより、初音ミクの二次創作に対するガイドラインが明確に示され、ユーザーは自由にファンアートを制作することができるようになりました。
伊藤社長は「ガイドラインを示すことで、ユーザーによるファンアートを認めたかった」と語った。
創作の場『Piapro(ピアプロ)』の誕生
2007年12月には、非営利の特徴として、利益を求めないという特徴を持つ「ピアプロ」が公開されました。
ピアプロは、初音ミクをはじめとするクリプトン・フューチャー・メディアが所有するキャラクターのイラストや楽曲などを投稿することができる非営利のサイトです。クリプトン・フューチャー・メディアは、二次創作やファンアートを積極的に認める姿勢を取り、ピアプロのユーザーが自由に楽曲やイラストを投稿できる場を提供しています。ピアプロには、利用規約や二次創作ガイドラインがあり、ユーザーはこれらのルールを守って投稿するよう求められています。また、ピアプロではユーザー同士が協力してタグ付けを行うことができ、より多くの人々に楽曲やイラストを届けることができるようになっています。
創作ツリー機能が追加!
2009年にはピアプロに「創作ツリー機能」を追加した。
「創作ツリー機能」の追加は、クリプトン社が初音ミクの二次創作を推奨する姿勢を打ち出したことを示す一例でもあった。この機能は、複数の作品がリンクされた複雑な二次創作の世界で、素材元となる親作品と、それを元にした子作品の関係性を可視化することで、クリエイターたちの創作活動をサポートすることを目的としていた。また、素材を使用したユーザーが作者に感謝のコメントを送ることを推奨することで、クリエイターたちとユーザーのコミュニケーションを促進することも狙いの一つだった。
自由に二次創作出来る様に「ピアプロ・キャラクター・ライセンス」を制定!
クリプトン株式会社は2009年6月、初音ミクなど同社のボーカロイドキャラクターを使用した二次創作のために、新たなライセンス「ピアプロ・キャラクター・ライセンス」(PCL)を制定しました。
このライセンスにより、クリエイターは非営利・無償の元で自由に二次創作物を作って公開や配布を認めることができます。その一方で、宣伝や広告のために使うことや他の人の作品を自分の物だと偽って使うこと、キャラクターの価値を下げるような使い方をすることなどは禁止されています。
ニコニコ動画などでは、いわゆる二次創作物が多く、著作権法に触れるものやグレーゾーンにあたるものも少なくないため、権利者自らが二次創作物の公開や配布を認めるということは画期的なことです。
簡単に3Dアニメが作れる!?「MikuMikuDance」の登場
2008年2月24日にはMikuMikuDanceが登場
初音ミク人気の盛り上がりをさらに加速させたといえます。初音ミクの3Dモデルを使って簡単にアニメーションを作成できるMikuMikuDanceは、初心者でも手軽に楽しめるツールで、初音ミクの3Dアニメーション作品を多くの人々が作成することができるようになりました。MikuMikuDanceで作成された動画は、ニコニコ動画などの動画共有サイトに投稿され、初音ミク人気の更なる拡大につながっていきました。
開発者「樋口優」
ikuMikuDanceの開発者は樋口優。
開発したのは、趣味でプログラミングを楽しんでいるという樋口優さん(ハンドルネーム)。
「神ツール」――初音ミク踊らせるソフト「MikuMikuDance」大人気/ITmedia NEWS.2008
なんと無償公開!
彼は趣味でプログラミングをしており、MikuMikuDanceを無償で公開し、寄付を受け取るつもりはないと話しています。彼は、「もともと無料のツールと素材だけで作ったソフト。『お金を払ってもいい』と思うくらい気に入っていただけたら、ぜひこのソフトですばらしい動画を作って公開してもらい、私をニコニコさせてほしい」と語っています。
スペックの低いマシンでも動作!しかも簡単に制作が可能
MMDの特徴は、以下の2点です。
- 軽い
- 3Dモデルが用意されている
MMDは3DCGソフトではあるものの、「低スペックのパソコンでも簡単に3DCGを動かせる」という思想で設計されています。また、アニメチックな絵柄がリアルタイムで再生されることで、直観性・操作性が非常に高く、動作の軽さも魅力の一つです。
さらに、MMDには初音ミクをはじめとする複数のボーカロイドキャラクターのモデルが初めから使えるようになっているため、CG初心者にも手軽に使い始めることができます。
初音ミクが社会現象に!
2008年あたりから、初音ミクの知名度が高まるに伴い、クリプトンは企業と共同で、クリエイター作品と製品とのコラボレーション企画を実施するようになった。そして、ニコニコ動画やMikuMikuDanceを通じて、熱心なファンが急激に増えていくなか、2010年には初音ミク単独の大規模コンサートが開催されるようになり、初音ミク人気はいよいよ立派な社会現象といえる段階に到達したのである。
史上初!!武道館に立った「バーチャル・シンガー」 ── 初音ミクとめぐるJ-POPとボーカロイドの歴史③