EXITの一人であるりんたろー。は、チャラ男キャラが特徴的なお笑い芸人です。彼は中学時代にはサッカークラブでプレイしており、大学時代はJリーグで名将長谷川健太監督に指導を受けた経験も持っています。
介護職時代の経験や、元相方とのコンビ解散、そして兼近との仮コンビでのM-1グランプリへの参加など、多彩な道を歩いてきました。また、EXITとしての活躍だけでなく、歌手としての活動も視野に入れており、自身のYouTubeチャンネルで次々とミュージックビデオを公開しています。今回は彼の多彩な一面に迫る、興味深い記事をお届けします。
Rintaro from EXIT
りんたろー。
お笑いコンビEXITのりんたろー(本名:中島 臨太朗)は、日本のお笑いタレントであり、EXIT(イグジット)のメンバーとして活躍しています。彼の個性的なキャラクターと多彩な才能で幅広いファン層を持っています。
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EXITって?
EXITは、2013年に結成されたお笑いコンビで、りんたろー。と兼近大樹がメンバーです。彼らは若手お笑い芸人として注目を集め、数々の賞を受賞しています。また、バラエティ番組やドラマ、映画など幅広いメディアで活躍しています。
「チャラ男キャラ」が特徴のEXITは、「ネオ渋谷系漫才」と称される独自の芸風を持っています。若者を中心に幅広い世代から支持され、お笑い界で独自の地位を築いています。お洒落で個性的な衣装やヘアスタイル、斬新なネタやシャープなトークが特徴です。
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EXITの名前の由来は?
コンビ名「EXIT」の由来について、りんたろー。は「日常で悩みやストレスを抱えている人を、僕たちの笑いで救済できる出口に導きたい」と説明。一方、兼近大樹は「実はりんたろー。がEXILEが大好きで、EXILEに似た名前にしたかったからEXITになった」と明かしています。
学生時代はプロサッカー選手を目指していた!
りんたろー。は、静岡県浜松市出身で、小学2年生のころからサッカーを始めました。大学時代にはゴールキーパーとして活躍し、チームの守りの要として頼りにされていました。
中学時代の部活はアマチュア無線
りんたろー。は、中学校の部活ではアマチュア無線部に所属しいました。彼は「黒歴史だと思って今まで隠していた」と、中学時代の3年間アマチュア無線部にいたことを恥ずかしそうに明かしました。当時の部活について、りんたろー。は「回線を辿っていくと、遠くの知らない人と喋れるんですよ」と話しており、その独特の魅力に惹かれていた様子です。また、無線部で出会った人物と文通をしていたことも振り返っています。
一方で、彼は中学時代にはサッカーはクラブチームでプレイしていたと語り、「中学だけ、俺クラブチーム行ってんですよ」と、サッカー部ではなかった理由についても説明しています。
お母さんからの手紙に中学時代所属していたアマチュア無線部の時に取得した免許証入ってた。。イジられてる。 pic.twitter.com/Kybfcu6Rxi
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) August 17, 2020
文武両道!勉強も優秀
りんたろー。は、勉強に関しても非常に優秀であったといわれています。彼は「中学までは秀才で、学年トップ」と語っており、その才能は特待生として認められていました。そのため、高校受験勉強の必要がなかったりんたろー。は、「お母さんから何かやりなさいと言われて英検準2級(高校中級程度)を中3で取った」と明かしています。
プロテストで深刻な怪我
りんたろー。はプロサッカー選手を目指していた大学時代、Jリーグで名将として知られる長谷川健太監督が指揮を執っていた浜松大(現・常葉大)で指導を受けていたと明かしています。
順調にみえたサッカー人生を送っていたりんたろー。は大学4年の時にプロテストを受けました。りんたろーはそこで前十字靱帯を断裂する大怪我をしてしまいます。この怪我は彼にとって二度目の前十字靱帯断裂でした。
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ガと向き合い、決断した14年の夢の軌跡
重傷の前十字靱帯断裂は、長期離脱がほぼ決まってしまうケガで、りんたろー。はその後、サッカー選手の夢を諦めることになりました。
当時のことを振り返り、「そうですね。でも、しょうがないかなって感じでしたね。ケガするのも一流ではない証拠かな、と思っちゃいます。いい選手ってケガしないですから。2度目の前十字じん帯のケガだったので、「ここが潮時かな」って」と語っており、また「前十字靭帯を2度も断裂して、サッカーを辞めるという決断をしたとき、めちゃくちゃ悔しかった。サッカーと共に歩んだ14年という時間、人生、全てが無駄になったよう気がした」と振り返っています。
大学4年で2度目の前十字靭帯断裂でプロの道を諦めた時、14年が無駄になった感と両親への罪悪感で本当に悔しかった💦でも芸人になって頑張ったらこうゆう形でサッカーに関われた✨もっともっと勉強してサッカーの普及盛り上げに尽力してぇなおもわされた今日この頃の俺だ⚽️ pic.twitter.com/cHtzgUc4mt
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) October 9, 2020
夢を諦めた先に見つけた、笑いと向き合う新たな道
サッカーの夢を諦めた、りんたろー。だったが、就職という選択肢はなく、以前から興味があった芸人の道を目指すことにしました。
そして上京してお笑いの専門学校・NSC(吉本総合芸能学院)に入校しました。当時のりんたろー。は「就活もしてないし、どうしよう。普通に働くのもな」と投げやりな気持ちになっていましたが、お笑いの世界では怪我が理由で夢を絶たれることもないだろうと考えました。
お笑いについて、りんたろー。は「ツッコミ役をやっていることが多かったですね。でも、やっぱり大学時代がハジけていました(笑)。体育会のノリみたいなのがあるじゃないですか。先輩にいろいろやらされて、これが“お笑い”だぞって教えられて(笑)」と語っています。その影響で、「なるなら芸人っしょ!」と勘違いしながらも、「こんなに笑ってもらえるならいいな」と感じてお笑いの世界に飛び込みました。しかし、すぐに学生ノリではないことに気づいた彼は「先輩に騙されたなって思いましたよ。あの頃をどうにかしたいですね」と振り返っています。
介護職とお笑いの二足のわらじ
りんたろー。が芸人として新たな道を歩み始めたものの、すぐに生活費を稼げるほど甘い世界ではありませんでした。そのため、芸人の傍ら、飲食店やパチンコ店などでアルバイトに精を出して生活費を稼いでいました。
23歳のりんたろー。は、デイサービス(デイ)事業所でのアルバイトを始めます。近隣に開業するデイ事業所の職員募集に応募し、本業のお笑いと並行して働くことになったのです。
デイサービスで出会った笑いと涙、りんたろー。の介護経験
りんたろー。は、おばあちゃんっ子であり、チャラ男だったことから、チャラ男とお年寄りがコラボレーションすると面白いエピソードが生まれると考え、デイサービスの仕事を始めました。彼はオープニングメンバーとして、利用者がいない状態で介助の方法を学んでスタートしました。
彼は、デイサービスでの仕事を通じて、排泄のお世話やお風呂の介助、寝かしつけなど、様々な業務をこなしていました。多い時には週5日くらい働いていたと言います。
当初は排せつケアなどができるか心配でしたが、実際に始めると問題なくこなせました。また、認知症の方からきつい言葉を言われることもありましたが、「違う人格がやっていることだ」と考えることで、気持ちが楽になったといいます。
介護の経験についてりんたろー。は、「介護施設で働いている人は優しい方が多いんじゃないか、そうだとしたら僕がお笑いに向き合う姿勢も理解してもらえるかもしれない」と考えて働き始めました。彼は以前のバイト先では、お笑いとの掛け持ちを理解してもらえないこともあったため、このような考えがあったと語っています。
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「寄り添い人」としての介護士、りんたろー。の哲学
りんたろー。は、介護の仕事を8年間続けた理由として、楽しかったからだと述べています。それまでのバイトではマニュアル通りで同じことの繰り返しでしたが、介護の仕事は対人業務であり、毎回違うことが起こるため楽しいと感じていました。また、人間味があって楽しいという面も大きかったと言います。
介護の仕事では、認知症介護の場合、高齢者から心ない言葉を浴びせられることもあり、それが一番厳しい部分かもしれません。しかし、りんたろー。は、「尽くす人」ではなく、「寄り添う人」というスタンスでいることで、大抵のことは受け流せるようになりました。
また、お互い様であることに気づくことが大切だと語っています。食事や薬を飲ませることなど、介護する側のエゴと被介護者のエゴがぶつかり合う状態を理解し、お互い様だと受け止めることで、介護の行き詰まりを防げると言います。
真面目な人ほど、逆に強く怒鳴ってしまうことがありますが、りんたろー。さんは、被介護者のことを強く思う気持ちが歪んで出てしまうと感じています。また、おじいちゃん、おばあちゃんとのコミュニケーションを楽しむことも重要だと述べています。
介護に関して、真面目になりすぎないことがキーワードであると指摘し、自分の親を介護施設に入れることが悪いことだと考える人は、自分に愛を向けられている人が少ないからだと思われます。りんたろー。さんは、自分だけで介護を抱え込まずに、施設やヘルパーに任せることを勧めています。そして、お互いにやりたいことをやり、言いたいことを言うことが大切であると語っています。
発信する介護士、りんたろー。の志
りんたろー。は、自分が今の立場にいるのも、介護の職場での経験が大きく寄与していると感じており、介護の世界に違った広がりを見せることができるなら、積極的に発信していきたいと語っています。
また、現在の時代はSNSを通じて政治にアプローチすることも可能であるため、発信し続けることが大切だと感じています。りんたろー。さんの経験や考えが、介護業界や社会全体に良い影響を与えることを期待しています。
介護は育児に通ずるものがあると思っててそんな人達にも届いたら嬉しいです!
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) May 10, 2021
EXIT「りんたろー。」が語る「介護」と「世代間対立」(デイリー新潮)「最近の若い奴らは」、「ジジイ、ババアは…| https://t.co/ICTznq1QPV
コンビ解散、無免許運転逮捕、事務所処分 ── りんたろー。が辿った波乱の道
EXITの結成前、りんたろー。はイケメン芸人の北見寛明と「ベイビーギャング」というコンビを組んで活動していました。北見は「生まれつきのモテ男」がキャッチフレーズで、ベイビーギャングはメディア出演も増えていましたが、2016年1月に北見が無免許運転で逮捕されました。また、彼は2013年にも同じ罪状で逮捕されており、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受けていましたが、所属事務所に報告していませんでした。
さらに、りんたろー。は情状酌量証人として出廷しましたが、北見は2度目の逮捕が執行猶予中だったため、懲役4月の実刑判決が確定し、吉本から解雇されました。りんたろー。も「報告を怠った」という理由で事務所から半年間の謹慎処分を受け、ベイビーギャングは解散となりました。
デイサービスの利用者からの一言が、りんたろー。を救う
りんたろー。は、ベイビーギャングの突然の解散について振り返り、「ピン芸人をやりながらも、がんばる対象や意義が見いだせなくなり、『何の意味もない』という思いにとらわれ、こんなんじゃ絶対に売れないって腐っていました」と語っています。
当時のコンビが解消され、お笑いの未来に悩んでいたとき、デイサービスを利用する要介護の男性から突然、「兄ちゃん、芸人なんだって? 頑張れよ」と励まされました。この言葉を聞いて、りんたろー。は「まだ頑張れる」と思い直し、再びお笑いの道を歩む決意を固めました。
ピン芸人になったりんたろー。の再出発
ピン芸人になったりんたろー。は、2016年9月4日未明に東京・阿佐ヶ谷ロフトAで開催された『ALL NIGHT PARTYHALL』に出演しました。それまでは芸名を「りんたろー」としてましたが、このイベントから「りんたろー。」に改名し、本格的に活動を再開させました。
りんたろー。は、この改名についてピンになった時に、心機一転じゃないんですけど、何かしら、変化をつけたくて、「りんたろー。」にする事にしたと語っています。
20kgダイエットに成功!
この時期、りんたろー。は20kgのダイエットに成功しました。彼は「アルバイトのほかにはすることもなく、街をふらついていたところ、『筋肉は裏切らない』というジムの看板を見つけたんです。相方に裏切られた自分は、もう入会するしかないと。おかげで20キロの減量に成功しました」と語り、スリムになった体型を披露しています。
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兼近大樹との運命の出会い!
りんたろー。が兼近と出会ったのは、そんな頃だった。
一方、兼近は2013年から逢見と一緒に「ぷりずん。」というコンビを組んでいたが、コンビ解散にまで発展する出来事が発生した。
それは『週刊文春』が《吉本芸人が集団強姦で解雇!》との見出しで20代女性の告発を掲載で。女性が出席した飲み会に参加した「芸人O」と報じられたのが、逢見だった。
逢見は当時を振り返ります。「その日、先輩芸人2人と居酒屋で飲んでいたら、先輩たちが女性を呼び寄せたんです。僕は帰ろうとしたんですが、別の先輩の家に『一緒に行こう』と誘われて断れませんでした。それで家に着いてちょっと飲んでゲームして僕はすぐ帰りました。
その後にその事件が起きたんです。後日僕は吉本興業に呼ばれて初めて記事のことを聞かされました。しかし結局、女性側の一方的な主張でした。それなのに謹慎処分とされてしまったのです」
その後、逢見以外の芸人4人は吉本から解雇され、逢見は謹慎を言い渡されて「ぷりずん。」は活動休止となりました。「『週刊文春』の記事にも反論したかったのですが、吉本からは『何も言うな』と……。相方の兼近にも迷惑かけられないし、ひたすら我慢していました」
ちなみにこの事件は不起訴になっています。
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コンビ結成のきっかけ
兼近大樹は、相方が謹慎し仕事がなくなった時期に、元々決まっていたコンビの仕事を一人で消化しなければならなくなりました。そんな中、ひとりでネタライブに出演した際に、同じライブに出演していたりんたろー。に「『M-1(グランプリ)』かき回しませんか!?」と話しかけました。
りんたろー。はそのときのことを「存在は知っていたんですけど、しゃべったことのない後輩だったので、“コイツ、ヤベェ!”と思った」と振り返っています。ほぼ初対面だったが、二人は連絡先を交換しコンビを組むことになりました。
りんたろー。は、「5個上の先輩にいきなり話しかけて組もうって言うのは相当な勇気だと思ったんで、思い出作りでやろうかなと思ってやった」と語っています。
M-1グランプリへの挑戦
コンビ結成後、EXITはM-1グランプリに出場しました。二人の相性は思いのほか良く、3回戦まで進出することができました。りんたろー。は、「M-1に出てみて、100%売れるって確信しました。俺は絶対組まなきゃいけないって」と振り返っています。
「コンビを組もう!」りんたろー。の猛アタック
この事がりんたろー。の気持ちを本気にさせる。「M-1に出てみて、100%売れるって確信しました。俺は絶対組まなきゃいけないって」とりんたろー。は振り返る。
しかし、当時兼近は「タイ住みます芸人」になることが決まっており、タイに行かなければならなかったため、りんたろー。のコンビ結成の誘いを断りました。
兼近は、当時の心境について「違うんですよ! 僕のやりたい形で『M-1』が盛り上がって、自分のやったことが正しかったかどうかを証明したくて」と振り返ります。仮でコンビを組んでM-1に出場したことで、非常に盛り上がりを見せたり、大ウケしたりして、兼近は満足していました。彼は、「これイケるんだ!」と感じ、「もういいや!」と考えていたようです。
それでも、りんたろー。は諦めず、「日本でお前をスターにするから、1回だけだまされたと思ってついてきてくれ」という長文のLINEメッセージを兼近に送り、猛アピールを続けました。この想像以上の熱量に、兼近は「うわぁ、だりぃ!」と感じたものの、最終的にはりんたろー。の熱意に折れることになます。
仮コンビ時代のエピソード
二人は仮コンビ時代に、確かな手応えを感じていました。それから二人は仮コンビのまま、お正月のスター発掘番組のオーディションに積極的に参加していました。仮コンビでオーディションに参加すること自体が珍しい話で、二人は確実に売れると信じていたため、1日も早く世に出るべく、デビューを目指していました。
彼らが選んだ舞台は、「おもしろ荘」でした。番組で優勝すれば売れるというジンクスを再燃させ、番組が盛り上がることを目論んでいました。ネタ見せでは、かなりの反応を得られたものの、コンビが組まれていないことに対して疑問を持たれました。
二人は描いたシナリオを語り、「絶対優勝するので、そこでコンビを組ませて欲しい。僕たちが1年以内に確実に売れるので、おもしろ荘も盛り上がると思う」とアピールしました。しかし、スタッフからは「結果は追って連絡します」と言われ、二人のシナリオは舞台化されることはありませんでした。
その後、勘違いコンビはどこのオーディションにも引っかからず、普通にコンビを組んで活動を始めました。この経験を活かし、いつ呼ばれてもいいようにたくさんのネタを作り、ライブで平場を鍛えました。これが二人の最初の挫折だったのかもしれません。
「EXIT」結成!!
そして、2017年12月に二人は正式にコンビ「EXIT」を結成しました。
【information】
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) December 22, 2017
この度、兼近大樹とコンビを結成しました!「SCANDAL」改め
「EXIT」(イグジィット)と申し上げ奉ります。この長いトンネルの、
「出口」に出来るよう
バチバチかましてんくんでしくよろです。 https://t.co/KPUHPLmkTt #ブログ # #日記 pic.twitter.com/5IBbVx6vkH
【報告フィーバー】
— EXIT 兼近 (@kanechi_monster) December 22, 2017
東京NSC14期生のマイメン、りんたろー。さんこと、ちゃんりんちゃんとコンビを組む事になりました!
まじションテンガルアーポンポンでバイブスぶち上げてくんでヨロタノ‼︎
コンビは「EXIT(イグジィット)」
、、、今日から飯奢って貰えなくなるとか萎え。 pic.twitter.com/o9PzrAF0Re
「ネオ渋谷系」が生んだ大ブレイク
2018年のお正月には、二人は裏のお正月特番に出演するチャンスを得ました。彼らの新しい漫才スタイル「ネオ渋谷系」は注目を集め、急速に頭角を現していきました。2018年7月に「ゴッドタン」や「ネタパレ」に出演し、チャラ男キャラが大ブレイク。同年11月には、結成からわずか11カ月で吉本興業所属芸人として最速の単独ライブをルミネtheよしもとで開催しました。2019年には全国ツアーやパシフィコ横浜での単独ライブを成功させました。
単独ライブのチケットはプレミアム価格で取引されるほど人気が沸騰しましたが、2019年9月に兼近の過去の逮捕歴が報じられ、活動のペースダウンを余儀なくされました。その際、りんたろー。はSNSで兼近への想いを綴り、大きな反響を呼びました。
2020年には、きつね×EXIT名義で配信シングル「L.O.K.F」をリリースし、3月にはスカイピース、Da-iCEとのコラボ曲が収録された初のシングルCD「EXSID」を発売。アパレルブランド「EXIEEE」のプロデュースを手がけるなど、芸人の枠を超えた活躍を見せました。2020年版「この1年で最もブレイクした芸人」では、EXITが初登場で1位に輝きました。霜降り明星、四千頭身、宮下草薙らとともに、「お笑い第7世代」の代表としてバラエティ番組で活躍しています。
その後も、EXITは第一線で活躍し続けています。
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オリジナル曲やリミックス曲の披露、将来は歌手としての活動も?
EXITは、オリジナル曲も持っており、単独ライブでは「歌8、ネタ1、残りの1はノリ」という構成でステージを展開しています。『NO MORE 恋泥棒』や『ネオチャラ』などの様々な曲をリミックスして披露しており、ますます多様な活躍が期待されています。兼近は将来の展望について「もっと歌を出したい。芸人はもうそろそろいいかな。歌手としての活動を増やしていきたい」と語ってたこともあります。
また、りんたろー。は2019年に歌手活動について「大みそかの予定は空いています。まだ間に合うかな」と述べており、歌手としてのNHK紅白歌合戦出場を狙っていることを示唆しています。
EXIT、アーティストデビューを果たす!
EXITは2021年7月2日にソニーミュージックから配信シングル「なぁ人類」をリリースし、アーティストデビューを果たしました。。兼近大樹とりんたろー。はこれまでお笑い活動を中心に活躍してきましたが、アーティストとしての新たなステージに立ちました。「なぁ人類」のリリースにより、二人の音楽活動に対する期待も高まっています。今後の彼らの音楽活動に注目が集まっています。
アーティストりんたろー。の音楽活動にも目が離せない!
EXITとしての音楽活動のほかに、りんたろー。は個人としても音楽活動に力を入れています。彼のYouTubeチャンネルには、高いクオリティのミュージックビデオが次々と投稿され、話題を集めています。
これらの作品を手掛けているのは、京都を拠点に活動するビートメイカー兼プロデューサーのDODGE NOLEDGE。彼は自身でスタジオ「ROCK BOTTOM CREATION」を運営し、同名のレーベルも展開しています。
DODGE NOLEDGEは、JAGGLA & 孫GONGによるジャパニーズマゲニーズ、13ELL、MOOKOOBAEK、MOONCHILDなどのHIPHOPアーティストを中心に、AKANEやAYACAなど幅広いジャンルのアーティストに楽曲を提供しており、関西エリアで最も注目されているクリエイターの1人です。
りんたろー。とDODGE NOLEDGEが手がける楽曲には多くの反響があり、彼らのさらなる成長と活躍が期待されています。
チャラ男の、恋の歌作ってみたから聞いて感想つぶやいて聞かせて?🤪w
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) November 29, 2020
【EXITりんたろー個人チャンネル】ついに完成!チャラ男の恋を描いたラブソング「#ソリベビ」 https://t.co/lXRdM5tCZ5 @YouTubeより
EXITのりんたろーさんの曲のビート作らせていただきました💪🤝 https://t.co/4eI855TlXm
— Dodge Noledge (@dodge_noledge) November 29, 2020