東日本大震災の被災地で子どもたちに音楽教育を通じた支援活動を行っているエル・システマジャパンについて知っていますか?
ベネズエラで1975年に創設されたオーケストラの教育プログラムに基づき、日本でも子どもたちが主体となって地域社会を活性化する「いきいきと生きる社会」の実現を目指しています。
東日本大震災の被災地でも活動を展開し、エル・システマによる音楽教育を通じて、子どもたちは自分自身の力で選択し、より広い視野を持って生きる力を育んでいます。その取り組みについて、詳しく紹介します。
音楽で貧困と格差を乗り越えた、エル・システマの物語 ── スラムから世界に羽ばたいたオーケストラ ②
El Sistema Japan
エル・システマジャパン
エル・システマジャパンは、エル・システマの哲学に基づいて、ベネズエラで1975年に創設されたオーケストラの教育プログラムを日本で展開しています。
子どもたちが主体となって地域社会が活性化する「いきいきと生きる社会」の実現を目指しており、芸術活動を通じて、子どもたちは自分自身の力で選択し、より広い視野を持って生きる力を育んでいます
エル・システマジャパンの特徴
エル・システマジャパンが特に重視しているのは、共に演奏する音楽・芸術活動を通じて周囲の人々と直観的につながる力を育むことです。
- オーケストラや合唱を通じた音楽教育 エル・システマジャパンは、オーケストラや合唱団による集団での音楽活動を中心に、子どもたちに音楽の楽しさや魅力を伝えます。一人ひとりが力を合わせて美しい音楽を奏でることで、チームワークやコミュニケーション能力を向上させることができます。
- 社会的包摂 エル・システマジャパンは、経済的困難や障害を持つ子どもたちも参加できるよう、無償または低額で音楽教育を提供しています。すべての子どもたちが音楽を楽しむ権利を持っているという考えのもと、多様な状況にある子どもたちをサポートしています。
- 音楽を通じた人間形成 音楽を通じて、子どもたちは自己表現や自己肯定感を高めることができます。また、継続的な練習やオーケストラのメンバーとの共同作業を通じて、責任感や協調性、自己規律を学ぶことができます。
- 地域とのつながり エル・システマジャパンは、地域社会と密接に連携してプログラムを運営しています。地域住民や学校、自治体と協力し、子どもたちの成長を支援する環境を整えています。また、コンサートやイベントを通じて地域に活気を与える役割も果たしています
この投稿をInstagramで見る
エル・システマジャパンの歴史は3.11から始まる
2011年3月11日、東北地方を中心に日本史上最大の地震が発生しました。震源地は三陸沖で、マグニチュードは9.0と観測。8県で震度6弱以上を観測し、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の各県で大きな被害がありました。
地震による被害だけでなく、大規模な津波も発生し、福島県相馬市で9.3メートル以上、宮城県石巻市で8.6メートル以上、岩手県宮古市では8.5メートルの高さの津波が押し寄せました。
これにより、多くの人命や建物が失われました。2021年3月1日現在、死者は1万9747人、行方不明者は2556人、全壊した住家被害は12万2005戸に上りました。発災直後の避難者は約47万人で、仮設住宅などの入居者は最大で約12万4000戸にも及びました。
日本政府が許可しなかったユニセフによる東日本大震災の支援
東日本大震災が発生から3日後の14日、ユニセフは迅速に支援の申し出をしましたが、日本政府は支援要請を出さなかったため、ユニセフは日本ユニセフ協会と協力して、スタッフを出向させる形で現地支援に取り組みました。
ユニセフが日本国内で支援活動を展開するのは、第2次世界大戦後の粉ミルクなどの学校給食支援以来、約半世紀ぶりのことでした。
エル・システマジャパンの創設者!菊川穣
ユニセフは、東日本大震災緊急支援本部を設置し、ユニセフ・日本ユニセフ協会の二つの経験を持つ菊川穣がチーフコーディネーターに就任しました。
菊川は、東北地方での震災復興支援に当たり、最初に医療面での支援が最も重要であると考えました。そのため、彼はアフガニスタンやソマリアなどの紛争地域で実地経験を持つ日本人医師を東北被災地各所へ派遣する役割を担いました。彼の主な任務は、被災地での医療体制を構築するための調整役を務めることでした。
これにより、被災地で急速に医療ニーズが高まる中、迅速かつ適切な医療サービスが提供されるようになりました。菊川のリーダーシップのもと、派遣された医師たちは、被災者の治療やケアに尽力し、救急医療や予防接種、精神的ケアなどの幅広い支援を提供しました。
復興と子どもたちの心のケア
東日本大震災から時間が経つにつれ、支援の内容は変わりました。ライフラインの復旧や医療・物資の供給によって、外部からの支援者やボランティアが減少しました。しかし、被災した子どもたちの心のケアは引き続き重要であり、家族や友人を失い、家を失った子どもたちの心の傷に寄り添い、持続的なケアが求められました。
菊川さんは、震災の復興が長期にわたることを理解し、子どもたちの人生そのものに寄り添う支援を模索しました。「ふるさと相馬子ども復興会議」での子どものスピーチが、この考えを強化するきっかけとなりました。
子どもが「復興にかかる年月は、自分たちが大人になっていく年月だ」と発言し、その言葉が菊川さんの心に深く響きました。
被災地での長期的な支援とエル・システマの導入
相馬の復興が子どもたちの人生そのものと重なることを実感した菊川は、長期的な視野で支援を模索していました。そのタイミングで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のホルン奏者でユニセフ親善大使のファーガス・マクウィリアムが日本を訪れ、東北地方でミニコンサートを開催しました。
そこで菊川はマクウィリアムから「東北には音楽が必要だ。エル・システマをやるべきじゃないか」という提案をされました。
エル・システマの日本普及は難しい?
菊川は、エル・システマについては2008年頃から知っていましたが、日本とベネズエラの状況の違いから、日本にエル・システマをそのまま導入することは機能しないのではないかと考えていました。日本は教育システムが充実しており、状況がベネズエラとは大きく異なるため、その考えに至りました。
しかし、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のホルン奏者であり、ユニセフ親善大使でもあるファーガス・マクウィリアムは、菊川さんの先入観を打ち消すように、自身が故郷のスコットランドで5年前に中心となって立ち上げたエル・システマの成功事例について話し始めました。
地域に沿ったやり方で!
マクウィリアムの話を聞いたことで、菊川さんはエル・システマが地域の実情に沿って実施できる柔軟性を理解し、エル・システマジャパン創設に向けて取り組み始めました。
日本でエル・システマを実現するにあたり、重要なポイントは、すべての子どもたちが参加できるような取り組みをすることです。これには、障がいや家庭環境、経済的な背景に関わらず、子どもたちに音楽教育の機会を平等に提供することが求められます。
相馬市で培われていた音楽教育の土壌
1〜2週間後に菊川は相馬市役所を訪れ、エル・システマの話をしたところ、思わぬ反応が得られました。南米生まれのエル・システマの話が地方都市の市役所で理解されるとは思っていませんでしたが、農林水産課にいた職員が偶然にもエル・システマについてよく知っていました。
職員から相馬の小学校には昔から器楽部や弦楽合奏のクラブが存在し、音楽教育に取り組んでいたことがわかりました。
相馬市は福島県が音楽教育を始めた初期から、コンクールで優勝する学校があり、地域の人々は子どもたちの音楽活動を大変喜んで支援していました。親や祖父母も同じ市内の小学校でバイオリンを習っていた子どもたちもいて、音楽を通じた地域のつながりが強かったのです。
このことから、子どもたちのオーケストラを作ることが、地元の人々にとって実現を待ち望んでいた夢だということがわかりました。
エル・システマの導入は、地域の音楽教育の伝統に根ざした形で、子どもたちの復興支援や人材育成に役立つ可能性があることが明らかになりました。これによって、菊川はエル・システマの導入に一層の確信を持つことができました。
「何も始まってないのに(笑)」ベルリン音楽祭の出演が勝手に決定
相馬でエル・システマを立ち上げるアイデアは、菊んの心に根付いていましたが、資金調達や組織構築に関する問題はまだ解決されていませんでした。
そんな時、IPPW(国際核戦争予防医師会)からドイツからの電話があり、福島県相馬市にエル・システマの子どもオーケストラができると聞いて、秋のベルリン音楽祭で開催されるチャリティ・コンサートで支援することに決めたと伝えられました。
しかし、実際にはまだエル・システマは立ち上げに至っていなかったため、菊川さんは困惑しました。電話の向こうのハウバー氏も同様に困っていたが、コンサートまでにまだ半年以上の時間があるため、その間に何とかできるよう頼むと言いました。
日本ユニセフ協会をやめて急いで設立に動く
この電話をきっかけに、菊川は日本ユニセフ協会を辞め、エル・システマジャパンを立ち上げることを決意しました。これにより、菊川は相馬でのエル・システマ実現に向けて本格的に取り組むことになり、資金調達や組織構築の問題に対処するために努力を始めました。
エル・システマジャパンの立ち上げには、地域住民やボランティア、音楽教育の専門家の協力が不可欠であり、菊川さんはそれらの協力を得るために尽力しました。
【2012年3月23日】エル・システマジャパン設立!
2012年3月23日に、福島の子どもたちに夢と希望を与えることを目指して一般社団法人エル・システマジャパンが設立され。2012年年4月には相馬市立中村第一小学校器楽部にバイオリン専門家が派遣されました。
中村第一小学校の弦楽合奏クラブは60年の歴史を持っており、過去にはコンクールで日本一に輝いたこともありました。しかし、専門の指導者が不在で、楽器の状態が悪化していたところに原発事故による被害が加わり、厳しい状況に追い込まれていました。
エル・システマジャパンの活動は、学校のクラブ活動支援を通じて、地元の人々の誇りを取り戻すという日本独自の形を取りました。
最初はヴァイオリン練習やオーケストラの結成を呼びかけた際、どれほどの子どもたちが集まるか未知数でしたが、実際には80人ほどが参加しました。これは、ヴァイオリンに対する知識や演奏機会がなくても、無償で学べる環境があれば興味を持って挑戦したいという潜在的な関心が、世界共通であることを示しています。
この投稿をInstagramで見る
「相馬こどもオーケストラ」プロジェクトの成立
012年5月、エル・システマジャパンは福島県相馬市と「音楽を通して生きる力を育む」事業に関する協力協定を締結し、「相馬こどもオーケストラ」のプロジェクトが正式に立ち上げられました。この子どもオーケストラでは、弦楽教室に参加している子どもたちに加えて、吹奏楽をやっている高校生も参加しました。
エル・システムと正式に繋がる
さらに、2012年7月にはベネズエラのエル・システマ管轄機関との間で、了解覚書が締結されました。このような国際的な連携を通じて、相馬こどもオーケストラはエル・システマの精神を受け継ぎつつ、地域の子どもたちに音楽を通じた成長の機会を提供し続けています。
音楽でつないでいこう
「tocar, cantar y luchar(奏で、歌い、困難を乗り越える)」がエル・システマのモットーであることから、日本でもその精神を受け継いでいます。ただし、日本では敢えて、「音楽でつないでいこう」という副題が加えられています。
この副題は、音楽を通じて東北の子どもたちを日本全国や世界中の仲間たち、そして彼らを支える大人たちと繋げていくという希望を示しています。音楽を通じて人々が互いに支え合い、つながりを深めることで、被災地の子どもたちに希望と勇気を与えることができるという考えが込められています。
「相馬子どもコーラス」結成!
相馬子どもオーケストラ&コーラスのデビュー公演は、市立桜丘小学校合唱部をベースに中学生の合唱部OB・OGが加わった形で活動が始まりました。オーケストラとコーラスはそれぞれ別々に練習を進めていましたが、記念すべきデビュー公演では、初めて同じ舞台に立ちました。
この発表会で、相馬子どもオーケストラ&コーラスがお披露目され、震災後再建された新市民会館で開催されたことは、地域の復興と子どもたちの音楽を通じた希望を象徴する素晴らしい瞬間となりました。
「子ども音楽祭」開催
エル・システマジャパンの活動は、最初は相馬市立中村第一小学校で始まりましたが、その後2013年から相馬市内の全小学生を対象に週末弦楽器教室が開始されました。この拡大により、より多くの子どもたちが音楽教育に触れる機会を得ることができました。
2015年には、第1回エル・システマ子ども音楽祭が相馬市と共催され、2013年秋に再建された相馬市民会館大ホールで開催されました。これは、エル・システマジャパンが2012年に相馬市と協力協定を結び、市内小学校への支援を中心に活動を開始して以降の成果であり、子どもたちが日々の練習の成果を発表する場として誕生しました。
日本発!「みんなで作ろう子どもオーケストラ」
「日本発!みんなで作ろう子どもオーケストラ」は、子どもたちの豊かな未来を創造することを目的に音楽を通じて展開する活動です。この活動は、国内での活動モデルを作り上げることを目指しており、さらに将来的には世界各国で展開されている「エル・システマ」活動と連携を視野に入れています。
今後の計画では、エル・システマ式音楽教育プログラムを受けている海外の子どもたちと日本の子どもたちが交流するイベントを開催することを検討しています。これにより、異文化理解や国際交流の機会を提供し、子どもたちが互いの文化や価値観を学び合い、広い視野を持つことができるようになることを期待しています。
ベルリンフィルとの関係
相馬子どもオーケストラは、2016年にベルリン・フィルの招待を受け、ベルリンなどドイツ主要都市で演奏するまでに成長しました。相馬子どもオーケストラとベルリン・フィルは、設立当初から強い絆で結ばれていました。
東日本大震災の後、ユニセフ親善大使として被災地の子どもたちに音楽を届けたベルリン・フィルのメンバーたちの中に、ホルン奏者のマクウィリアム氏がいました。彼が東北での音楽活動支援を提案したことが、エル・システマジャパンの活動のきっかけとなりました。
設立当初、エル・システマジャパンは資金不足に悩んでいましたが、ベルリン・フィルの団員たちが中心となり、2012年のベルリン音楽祭でIPPNW(国際核戦争予防医師会)チャリティーコンサートを開催しました。
さらに、2013年にはベルリン・フィル木管五重奏団が相馬を初訪問し、チャリティーコンサートを実施しました。これらの温かい支援のおかげで、相馬子どもオーケストラは成長を遂げることができました。
「ドゥダメルと子どもたち」
ベネズエラのエル・システマでクラシック音楽を学び、世界的な指揮者として成長したグスターボ・ドゥダメルは、ロサンゼルス・ユース・オーケストラの子どもたち15名と、相馬子どもオーケストラ&コーラスのメンバーと一緒にサントリーホールで夢の共演を果たしました。
コンサートは、「さくらさくら」のコーラスで始まり、その後ドゥダメルが指揮するドボルザーク「交響曲第8番」最終楽章の公開リハーサルが行われました。アンコールでは、チャイコフスキー「くるみ割り人形」から「ロシアの踊り(トレパック)」と、相馬子どもオーケストラ&コーラスにとって特別な曲であるモーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の2曲がドゥダメルの指揮で演奏されました。
この共演は、エル・システマを通じて学んだ子どもたちにとって、自分たちの音楽的な成長と世界とのつながりを実感する機会でした。
本日、相馬子どもオーケストラがサントリーホールの舞台に立ちました!震災後、楽器を手にし大きく変わった子どもたち。ロサンゼルス・ユース・オーケストラとともに、グスターボ・ドゥダメル氏の情熱的でユーモア溢れる指揮で素晴らしい演奏をしました pic.twitter.com/U2FCetS6BL
— エル・システマジャパン (@ElSistemaJapan) March 29, 2015
広がる音楽の輪!……課題も。
2012年3月、東日本大震災の被災地で日本ユニセフ協会の職員として支援活動に従事していた菊川穣は、復興には子どもたちに長期的に寄り添う取り組みが必要だと痛感し、エル・システマジャパンを設立しました。震災、津波、原発事故で傷ついた子どもたちの心を見守り、育んでいくための活動として、合奏・合唱を通じて子どもたちをサポートするプロジェクトが始まりました。その後、岩手県・大槌町、長野県駒ケ根市にも活動の輪が広がりました。
しかし、オーケストラのメンバー数は毎年70人前後で変わらず、コーラスの人数は徐々に減少しています。地元の弦楽器指導者である須藤亜佐子さん(65)は、「震災直後は、困難な状況にある子どもたちに何か活動させたいと考える親が多かった。しかし、現在は部活動や受験などで忙しくなり、教室と両立できなくなっている」と懸念していました。
この投稿をInstagramで見る
障害を超えた合唱団「ホワイトハンドコーラス」── スラムから世界に羽ばたいたオーケストラ ④