ベネズエラで生まれた音楽教育プログラム、エル・システマは、貧しい子供たちに音楽を通じて希望と可能性を与えることを目指して誕生しました。その歴史には、豊かな経済成長に伴う文化芸術の発展と、エリートや富裕層を対象とした音楽教育が一般の人々に届かなかった社会的背景がありました。
しかし、ホセ・アントニオ・アブレウ博士が提唱した音楽教育プログラムは、カラカスのガレージで11人の少年に楽器を手渡すことから始まり、今では全国的に展開される規模にまで成長しています。
エル・システマは、非行への抑止力としても機能し、健全な市民を育成する役割を果たしています。そんなエル・システマのの歴史と魅力に迫ってみましょう。
ベネズエラ奇跡と言われる音楽教育「エル・システマ」 ── スラムから世界に羽ばたいたオーケストラ ①
History of El Sistema
エル・システマの歴史
エル・システマがベネズエラで生まれた理由は、その歴史と文化的背景にあります。
1930年代以降、石油輸出によって経済成長を遂げたベネズエラでは、庶民の生活も豊かであり、豪華な芸術を受け入れる基盤が整っていました。クラシック音楽も例外ではなく、外国人奏者が招かれて演奏会が開かれるなど、文化として消費されていました。
1960年代には、石油ブームによる経済の潤いとともに、文化や芸術が盛んになり、オーケストラなどが創設される動きが見られました。しかし、これらの文化芸術は主にエリートや富裕層を対象としており、一般のベネズエラ人には音楽家への道が閉ざされていました。
そんな中、1970年代にホセ・アントニオ・アブレウが現れ、ベネズエラの子供たちでオーケストラを作るというアイデアが誕生しました。彼の考えは、音楽教育を通じて社会的な問題を解決することができるというものでした。それが、エル・システマの原型となります。
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アブレウ博士が創設したエル・システマの歴史
エル・システマの始まりは、1974年の年末にホセ・アントニオ・アブレウ博士が8人の音楽を学ぶ若者たちと一緒に、子どもたちに音楽を教えることを提案したことから始まりました。
アブレウ博士は、貧しい子どもたちに音楽を通して希望と可能性を与えることを目指し、1975年にカラカスのガレージで11人の少年に楽器を手渡しました。これが、エル・システマの創立の瞬間でした。
彼は子どもたちに、楽器で世界を変えると語りました。その後、子どもたちの数は増え続け、譜面台も足りなくなるほどの規模に成長しました。
アブレウ博士はオーケストラを選んだ理由について、「オーケストラは社会の縮図であり、調和と協調、自己表現、忍耐、そして皆が合意に達しようとする唯一の芸術体だから」と説明しています。
アブレウ博士の祖父が子どものための吹奏楽団を運営していたこと、彼自身の幼少期のオーケストラへの情熱、そしてベネズエラ人によるオーケストラを作りたいという情熱が、現在のシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの母体となる国立ユース・オーケストラの設立につながりました。
国際音楽祭での成功がエル・システマの発展を促す
1976年にアブレウ博士は、創設されてまだ1年も経たないユース・オーケストラを国際音楽祭に参加させ、予想外の成功を収めました。ヨーロッパや日本などの実力派オーケストラを抑え、多くのポジションでベネズエラ人が最優秀奏者として選出されました。
ヨーロッパから帰国した後、アブレウ博士はこの成果をもとに、ベネズエラ全国に音楽学校を建設するための資金を政府から引き出すための交渉を開始しました。
彼は、音楽教育にかかる費用と、アルコール、ドラッグ、貧困、暴力などの社会問題解決にかかる費用を比較検討し、音楽教育が子どもたちに与える影響を強調しました。社会の現実を知る政治家たちは、アブレウの提案に大いに賛同し、反対する者はほとんどいませんでした。
こうして、アブレウ博士の活動と熱意が政府の支援を受けることになり、エル・システマがさらに発展する礎を築くことができました。
ベネズエラ中に音楽教室を!
1979年に政府が正式に支援を決定し、ナショナル・ユース・シンフォニー財団(FESNOJIV)が設立されました。その後の財政支援も確保され、シモン・ボリバル音楽院も設立されました。この頃から、地域ごとにヌクレオと呼ばれる拠点が設立され、エル・システマがさらに広がっていくことになります。
アブレウが設立したランダエタ・ユース・オーケストラは首都カラカスを拠点としていましたが、地方の子どもたちにも参加の機会を提供するため、全国的に「誰でも参加できる」オーケストラ活動を展開しました。
地域ごとに設立されたヌクレオがその役割を果たし、子どもたちは毎日ヌクレオに通い、4時間程度の練習を行い、演奏会を開催するようになりました。
才能や意欲の高い子どもたちは上級のオーケストラのオーディションを受けて進むことができますが、そうでない子どもたちも練習や公演を通じて音楽の喜びやチームワークの重要性、責任感などを学んでいくことができます。アブレウが重視していた徳育の側面も、ヌクレオを通じて実現されているのです。
これにより、エル・システマはベネズエラの若者たちに無料でオーケストラ体験を提供し、音楽家への道が以前は閉ざされていたベネズエラの若者たちに広がりました。
「エル・システマ」システムの構築と“日本人音楽家”の関係
エル・システマが広まっていく中で、新たな問題が生じました。特に音楽文化が根付いていない地方で、初心者や幼少の子どもたちに教える音楽教育システムが必要でした。しかし、当時の子どもたちは練習に遅れたり、演奏中に騒いだりするなど、教育が難しい状況にありました。
そんな中、日本人ヴァイオリニストの小林武史が1979年6月に国際交流基金文化使節としてベネズエラに派遣されました。彼はヴァイオリンを見たこともない子どもたちに対し、まず挨拶をきちんとさせることから始め、日本のスズキ・メソードと呼ばれる音楽教育法を用いて指導を行いました。
スズキ・メソード
スズキ・メソードは「母語教育法」に基づいた方法で、まず子どもたちに演奏を繰り返し聴かせ、それを真似させて理解を深めさせることを重視しています。
そして、最終的には自分でその内容を応用して演奏できるようになることを目指します。スズキ・メソードを導入したことで、音楽教室は本格的に機能するようになり、子どもたちの音楽教育が効果的に進められるようになりました。
【外務課より】この有名なプログラムも、実は大使のゆかりの方がスズキメソードを導入したことが発端。日本でも福島県相馬市の小学校で実践されているこの「エル・システマ」の活動について意見交換されました。#tocho_gaimuka pic.twitter.com/FtpQy5IG5S
— 東京都政策企画局 (@tocho_seisaku) April 9, 2013
A beautiful message from Shinichi Suzuki – a Japanese musician, philosopher, educator and the inventor of the international ‘Suzuki method’ of music education.#musicinspiration #musiceducation #musiced pic.twitter.com/121HIIx8Vn
— Tonara (@Tonara_Music) May 26, 2018
楽器が不足……。自分たちで楽器の製作開始!!
楽器不足はエル・システマが直面した問題の一つでした。シェアや中古楽器の寄付だけでは、需要に追いつかなくなってしまいました。ベネズエラ国内だけでなく、UNESCOや世界各国にも寄付の要請を行いましたが、楽器不足は慢性的な問題として残りました。
この問題に対処するため、FESNOJIVは自ら楽器工房を設立することを決定しました。この工房はルシエール・センターと呼ばれ、後に楽器職人の養成所としても機能するようになりました。UNESCOからの職人派遣などの支援を受け、現在ではベネズエラ国内に7箇所の工房が設立されています。
これらの取り組みにより、楽器の供給が徐々に増え、エル・システマの参加者たちに手に入れやすくなりました。
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カラカスでの暴動をきっかけ社会福祉の役割も!
1989年のカラカス暴動をきっかけに、エル・システマは新たな方向性を持つようになりました。それまでの音楽を通じた子供たちへの教育という目的に加えて、社会福祉の向上を目指すように発展しました。ベネズエラでは1990年代以降、貧困と青少年の犯罪が深刻な問題となっていましたが、エル・システマはこれらの問題に対処するための社会政策の一環として推進されるようになりました。
エル・システマは、犯罪や非行への抑止力として機能し、健全な市民を育成する役割を担いました。さらに、障害者向けのプログラムや刑務所内での更生プログラムの実施も行われるようになりました。
「グスターボ・ドゥダメル」が音楽監督に就任
1999年には、エル・システマで教育を受けたグスターボ・ドゥダメルがわずか17歳で音楽監督に就任し、その後国際的な名声を築くことになります。
「音楽の使命」
2007年9月、ウゴ・チャベス大統領は、アブレウと共にテレビ番組で、新しいプログラム「音楽の使命(Misión Música)」を発表しました。このプログラムは、授業料を用意し、ベネズエラの子どもたちの音楽演奏を支援することを目的としています。
ベネズエラ政府はエル・システマの成果を評価し、2010年までにさらに70万人の子供たちを受け入れ、合計で100万人のユース・オーケストラを全国に展開するという目標を立てました。この新しいプロジェクトはMisión Música(ミッション・ムジカ)と名付けられました。
#24Nov 2007 || Misión Música Nace para consolidar el sistema nacional de orquestas y coros infantiles y juveniles de Venezuela (FESNOJIV) e incentivar el aprendizaje de la música entre los niños y jóvenes de los sectores más necesitados de todo el país. pic.twitter.com/tkpByPktK2
— IDEA OFICIAL (@IDEA_fundacion) November 24, 2020
#EspecialMippCI ?| Misión Música, una visión de paz y progreso para la humanidad. Lea más ⏩ https://t.co/DyYmnwbm1V . pic.twitter.com/P2GQo9fru3
— MIPPCI (@Mippcivzla) April 5, 2021
国を超え世界中で大反響!
2007年度には、米州開発銀行がエル・システマの事業規模拡大や施設建設(首都カラカスのコンサートホールと7カ所の練習拠点)のために150億円の融資を実行しました。
開発銀行は、複数年にわたる追跡調査の結果、プログラム参加者たちの学業レベルや地域社会への参画度が大きく改善されたことを確認しました。また、エル・システマがコミュニティ全体への経済的波及効果が大変大きく、地域社会変革の手段としても有効であると結論付けました。
現在では、エル・システマは貧困対策・犯罪防止のプログラムや、青少年育成のための楽器修復ワークショップ、身体の不自由な子どもたちのコーラスなども行っています。
音楽技術の向上だけでなく、子どもたちを通じてその家族や社会に希望を持たせることで、社会の変革を目指すことが目的とされています。その取り組みが評価され、2008年にはスペインのアストゥリアス公賞の芸術部門を受賞しました。
2010年には、エル・システマのオーケストラが初の欧州ツアーを実現し、ボンのベートーベンフェスティバルをはじめ、サイモン・ラトル指揮でベルリン、ウィーン、アムステルダム、マドリッド、ロンドンなどで公演を行いました。
ザルツブルグ音楽祭は「エル・システマ特集!」
2013年には、クリスティアン・バスケスとディエゴ・マテウス指揮のもと、エル・システマのオーケストラはザルツブルグ音楽祭でデビューを果たしました。
この年の音楽祭では「エル・システマ特集」として、エル・システマから多数の団体が出演しました。ザルツブルグ祝祭大劇場でのマラソンコンサートでは、現地から高い評価を得て賞賛されました。
欧州ツアー!音楽以外の取組も!
2014年の欧州ツアーでは、通常のコンサートだけでなく、エル・システマの理念に影響を受けた試みがスタートしているストックホルム、ミュンヘン、リスボン、トゥールーズ、ロンドン、イスタンブールの子どもたちとの交流事業を実施し、教育プログラムにも力を入れました。
ホセ・アントニオ・アブレウ博士氏 死去
エル・システマの創設者であるアブレウ博士は、2018年3月24日にカラカスで亡くなりました。彼は78歳でした。彼の死は世界中の音楽界や教育界に大きな悲しみをもたらし、エル・システマの理念は彼の遺志を継ぐ者たちによって引き継がれ、この先も子供たちの音楽教育を支え続けていきます。
J・A・アブレウ氏死去 エル・システマ創設者 https://t.co/OCHq62xLfo
— 産経ニュース (@Sankei_news) March 26, 2018
人道支援プログラム「エル・システマ・コネクト」
エルシステマ・コネクトは、2019年4月に設立された団体で、政治的に中立の立場でベネズエラの貧困地域の子供たちに人道支援を提供しています。ベネズエラは危機的状況に直面しており、社会的混乱が続いているため、子供たちに最低限の生活を保証することが困難となっています。
エルシステマ・コネクトは、音楽のネットワークを活用し、子供たちに無償で音楽教育を提供するエル・システマのプログラムと一緒に支援を行っています。この取り組みによって、子供たちは音楽を通じて自己表現や創造力を発揮することができ、さらに自尊心や自己効力感を向上させることができます。
今や国をあげた社会事業に!
エル・システマは現在、ベネズエラ大統領執務省の管轄下にあるシモン・ボリバル音楽財団によって運営されており、ベネズエラ国家の社会事業の一部として位置づけられています。
しかし、その根底にある活動の目的は、音楽を通じた社会変革とすべての市民に開かれた音楽活動の提供であり、変わっていません。
エル・システマのモットーである「演奏する、そして挑戦する(Tocar y luchar)」は、その精神を具現化しており、子どもたちに音楽を通じた自己表現や創造力、チームワークの重要性を学ばせるとともに、社会的な困難に立ち向かう勇気と力を与えることを目指しています。
このような姿勢は、エル・システマが参加者やその家族、さらには地域社会全体に希望を与え、音楽を通じて社会的な問題に対処しようとする取り組みが継続される理由です。
エル・システマは、世界中の他の国や地域での音楽教育プログラムにも影響を与え、その理念が広がっていくことが期待されています。
被災した子どもたちの未来に音楽を!エル・システマジャパンが灯した希望の光 ── スラムから世界に羽ばたいたオーケストラ ③