「第九」それはあの“ベートーヴェン”の最後の作品にして最高傑作。

「第九」それはあの“ベートーヴェン”最後の作品にして最高傑作。

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「第九」をバレエで表現した、総勢350人によるスペクタクル・コンサートを巡るドキュメンタリー。モーリス・ベジャール振付による至上最高傑作ができあがるまでの工程を、関係者の人間ドラマとともに映し出す。(CDジャーナル データベースより)

Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125

交響曲第9番!通称「第九」

ABC Classic/YouTube

クラシック音楽に詳しくない人でも、ベートーヴェンの「第九」を知らない人はごく少数派でしょう。

ベートーヴェンの「第九」が日本で特に好まれるのはなぜか/マエストローラ音楽院

聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、これほど多くの人の人生に潤いを与えているクラシック音楽はありません。

「第九」にまつわるエトセトラ/チケットぴあ
cd tube/YouTube

ベートーヴェンの“最後の交響曲”

Beethoven

古典派以前のあらゆる音楽の集大成とも言われる総合性を備え、来るべきロマン派音楽の道しるべともなった通称「第九」は、正しくは「交響曲第九番ニ短調作品125」という楽曲で、実はベートーヴェンが表題をつけてはいない楽曲です。

ベートーヴェンの「第九」が日本で特に好まれるのはなぜか/マエストローラ音楽院

(前略)1824年に完成したベートーヴェン最後の交響曲です。

第16回コラム音楽/Praise Beautiful Column
時代は第一次世界大戦!音楽で繋がったドイツと日本の絆 ── 年末の風物詩「第九」のはじまり
ユネスコの世界記憶遺産に登録

ベートーベンの“第九の直筆譜”は2001年ユネスコの世界記憶遺産(他にアンネの日記、日本では藤原道長の“御堂関白記”などがある)に登録されている。  

第16回 歓喜の歌(An die Freude)/浜松フロイデ合唱団

耳があまり聞こえない状態での作曲

この曲を作曲する際にはかなり難聴が進んでおり、ほとんど音が聞こえない状態だったとのこと。他にも家庭環境の悪化、オペラ上演の失敗が続いたことなど、困難から死を何度も考えていました。それを乗り越え、生まれたのがこの交響曲なのです。

第九のこと ~ その歴史や楽しみ方から おすすめCD・注目のコンサートまでを大特集【2020年版】/ひびクラシック

存在したかもしれない幻の「第10」

ベートーベンは、その『第九』の作曲と同時期に交響曲第10番の作曲を始めていたが、志半ばであきらめた。

ベートーベンが『第九』と同時に作っていた“幻の交響曲10番”をAIが完成させる?生誕250年の節目で/HUFFPOST

初演奏はウィーンで!<1824年5月7日>

“第九”の愛称で親しまれるベートーヴェンの「交響曲第9番」は、今から196年前の1824年5月7日にベートーヴェン本人の指揮によって、オーストリアのウィーンのケルントナー・トーア劇場で初演を迎えた。

『5月7日はなんの日?』“第九”ことベートーヴェン交響曲第9番の初演から196年/Billboard JAPAN.2020

史上初の合唱シンフォニーとして、クラシックのレパートリーの画期的作品としての地位を揺るぎないものとし、ベルリオーズ、ワグナー、マーラー以降の作曲家たちに大きな影響を及ぼしました。

交響曲第9番、L・ベートーベン – 情報/ウィーン コンサート

ウィーンでの初演時、ベートーベンは演奏後の喝采に気付かず、観客はハンカチを振って喝采しました。

「第九」はなぜ年末?の巻/毎日新聞.2016

当時は異例だった……演奏時間“1時間超”の交響曲

AnAmericanComposer/YouTube

また,「第九」は,演奏時間が長いことも特徴として挙げられます。これまでの交響曲が20~30分,長くても40分くらいだったのが,「第九」は74~75分かかります。

「第九」は長いよ/川崎相続遺言法律事務所
ベートーヴェンの集大成

ベートーヴェンは、この曲を作曲する7年前の1815年に次のような手紙を書いています。「無限の霊魂をもちながら有限の存在であるわれわれは、ひたすら悩みのために、そしてまた歓喜のために生まれてきているのです。また、優れた人々は苦悩を突きぬけて歓喜をかち得るのだ、と言っても間違いないでしょう」。

ベートーヴェンの交響曲第9番/伊勢管弦楽団.2017

そんな長大な交響曲は、いわばベートーヴェンの集大成とも言うべき構成で、様々な革新的な要素が含まれています。例えば第1楽章の冒頭における音楽の進行一つとってきても当時としては非常に奇抜です。

ワセオケ クラシック風説書:vol.9/早稲田大学交響楽団

(前略)当時としてはタブーな「2音だけの和音」から曲を始めて、 ミステリアスな雰囲気を醸し出すのです。 第2楽章のティンパニー、第3楽章のホルンなど見せどころ満載。

「第九」はなぜ年末?の巻/毎日新聞.2016

 《第九》には、ベートーヴェンのそれまでの生活と音楽が集約されている。それは彼の半生に等しいと言える。作曲技法、音楽法則の駆使にととまらず、ここではさらに新しい技法を発見し、音楽法則を創造している。それでいて、合唱の部分は専門家でなければ歌いこなせないほどの技巧的なところはないようにしている。

オーフロイデ! ベートーヴェン交響曲第九番〜歓喜の歌の発音とうたいかた〜 案内編 半生の闘いを経て「百万の人びと」の音楽を創る 小松雄一郎/ハンナ.2018
日本人に馴染み深い第4楽章

私たちがよく耳にする部分は、実は第4章「歓喜の歌」という部分です。

年末はどうして「第九」?!ベートーベンを知ってから聞いてみよう|ノアミュージックスクール ピアノ教室/NOAH MUSIC SCHOOL

「合唱」は交響曲史上初の試みだった

Leonard Bernstein/YouTube

1823年から1824年にかけて1年余りで作曲された交響曲第9番で最大の特徴は、交響曲史上初めて合唱が加わっていることです。

ベートーヴェンの交響曲第9番/伊勢管弦楽団.2017

ちなみに、第一から第三楽章まで合唱は入っていません。曲調も異なり、第四楽章に入ってようやく合唱団が登場して、高らかに「歓喜の歌」を歌い上げるのです。この部分を伝えたいがための第一から第三楽章といってもよいでしょう。

偉大なる作曲家ベートーベンが込めた「第九」への想い/YUMIKO.tenki.jp
日本では「合唱付き」と呼ばれている

日本では、主に交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」という風に呼ばれています。「合唱」とか、「合唱付き」というのがタイトルのようですが、ベートーベンが名付けたわけではありません。

つながる 響く 感動の輪-もっと第九/MAF管弦楽団

有名すぎるあのフレーズ「歓喜に寄す」のはじまりは?

 本格的に第九の作曲に取りかかったのは、1815年、45歳の頃といわれています。同時並行的に交響曲第八番や弦楽四重奏曲も作曲されていて、新たなアイデアが生まれ試みています。いわゆる“歓喜の歌”の旋律が誕生するのは1822年、52歳の頃です。

ベートーヴェンの第九は完成当時から革新的な交響曲だった/小栗勘太郎.ダイヤモンド・オンライン.2015
フリードリヒ・フォン・シラーの詞

第4楽章で出てくる合唱の歌詞は、ドイツの詩人/劇作家/思想家フリードリヒ・フォン・シラーの『歓喜に寄す』から抜粋されていますが、これにベートーヴェンが感銘を受けたのは、まだ交響曲第1番を作曲する前のこと。ですが、その頃はこの詩を交響曲にすることは考えていませんでした。

第九のこと ~ その歴史や楽しみ方から おすすめCD・注目のコンサートまでを大特集【2020年版】/ひびクラシック

よく知られているとおり、ベートーヴェンは耳の病に冒され聴力を失います。聴力を失う一方、作曲家として大成していく中で、ベートーヴェンからシラーの詩を音楽にするという衝動が消えることはありませんでした。

ベートーヴェンの第九は完成当時から革新的な交響曲だった/小栗勘太郎.ダイヤモンド・オンライン.2015第10番
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舞台は、第一次世界大戦中の徳島県鳴門市・坂東俘虜収容所。所長・松江豊寿の心ある指導によって、ドイツ人捕虜たちが所員や地元住民と交流し、『交響曲第九番』を日本で初めて演奏した。奇跡的な感動実話を、松平健の主演で映画化。(CDジャーナル データベースより)

Johann Christoph Friedrich von Schiller

詩人「フリードリヒ・フォン・シラー」

Schiller Institute/YouTube

権力に立ち向かったドイツの詩人

1759年、ドイツ西南部にある小さな田舎町マールバッハで生まれたシラーは、軍人の父を持ち、幼い頃から非常に優秀でした。 優秀さゆえに、強制的に軍人養成学校<カール学院>に入学させられますが、そうした”権力による強制”に反発を感じたシラーは、 18歳のときに処女作『群盗』(自由と正義、権力に抗する崇高な犯罪者の物語)を書き始めます。

02 シラーと『歓喜に寄す』/中央大学音楽研究会混声合唱団

若者から圧倒的に支持されましたが、権力に反抗する犯罪者を主人公とした衝撃的な内容であったため、14日間独房に入れられ、執筆活動を禁じられました。

シラーの代表作を紹介。ベートーベンの第九の歌詞で知られるシラーとは?/LOOHCS.2019

軍医として従軍命令も出されました。シラーにとっては限界に達し、1782年亡命をします。

第九 – ベストピア ~にもかかわらず~ 小原靖夫の個人誌/小原靖夫.平成23年11月 第297号

根無し草のような逃亡生活は約二年半に及んだ。それでもシラーは執筆活動を中断することはなかった。

シラー:ヘルダーとの邂逅/東北医科薬科大学

この間に、二篇の戯曲『フィエスコの反乱』(1783) と『たくらみと恋』(1784)が発表されている。

シラー:ヘルダーとの邂逅/東北医科薬科大学
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当時のシラーは生活苦!親友によって支えられていた

Schiller's House, Weimar, Thuringia, Germany-LCCN2002720788

その頃の生活は非常に貧しく、若いシラーは路頭に迷うことも多々あったといいます。 こうした困窮状態のシラーを支えたのが、親友であるケルナー(1756~1831)です。

02 シラーと『歓喜に寄す』/中央大学音楽研究会混声合唱団

ケルナーを訪ねたシラーは、彼から暖かい歓迎のみならず、無償の援助と著作への共感という精神的な支援も受けました。 

02 シラーと『歓喜に寄す』/中央大学音楽研究会混声合唱団

苦しい生活の始まりですが、著作活動に励み、2年後に「たくらみの恋」(身分の違いの恋の顛末を書いた市民悲劇)を書きます。

第九 – ベストピア ~にもかかわらず~ 小原靖夫の個人誌/小原靖夫.平成23年11月 第297号

その本がクリスティアン・ケルナー(1756-1831)の目に留まリ、感動を受けたケルナーから手紙を受け取ります。

第九 – ベストピア ~にもかかわらず~ 小原靖夫の個人誌/小原靖夫.平成23年11月 第297号

そんな中で書き上げられた詩が「歓びに寄す」

ケルナーの招きに応じて、マンハイムからケルナーの住むザクセンに移り、そのザクセンの都市ライプチッヒ近郊のゴーリスという町に、シラーはまず4か月ほど滞在するのですが、後にベートーヴェンの『第九』に採用された詩『歓びに寄す』は、このゴーリス滞在時に書かれたものと考えられています。

2015年度リレー連載第9回「12月の話:ベートーヴェン『交響曲第九番』」/平山敬二.基礎教育

実は当初のタイトルは「歓びに寄す」ではなかった

シラーは当初、これに「自由に寄す」という題を付けようとしたのですが、当時の官憲のきびしさから「自由(Freiheit)」を「歓喜(Freude)」に改めたのだと言われています

第1回 第九とは?/浜松フロイデ合唱団
当時それは反体制の意味

この時代の“自由”というのは、一般民衆が王侯貴族体制から解放されるという、当時の国家体制にとっては危険な言葉であることをまずは理解する必要があります。実際に、フランス革命の前には、現フランス国歌である革命歌「ラ・マルセイエーズ」のメロディーに乗せて、シラーの「自由賛歌」が、ドイツの革命思想を持った学生たちに歌われていました。

ベートーヴェン『第九』に秘められた“危険な政治思想”/篠崎靖男.Business Journal.2018
「自由」→「歓喜」に変更して出版

 そのため、シラーがそんな歌詞をそのまま出版したら、ドイツでは危険思想として出版禁止となるのは当然として、シラーの身も危うくなったかもしれません。そんなこともあり、シラーは『歓喜に寄す』とタイトルを変え、詩を改訂し、出版したという“曰く付き”の作品なのです。

ベートーヴェン『第九』に秘められた“危険な政治思想”/篠崎靖男.Business Journal.2018

その詩に衝撃を受けたのが学生時代のベートーヴェン

ベートーヴェンがこのシラーの詩に出会ったのは、1792年ベートーヴェンがボン大学の聴講生として哲学や文学を学んでいたころだと言われています。

2015年度リレー連載第9回「12月の話:ベートーヴェン『交響曲第九番』」/平山敬二.基礎教育

 ベートーヴェンはシラーの詩「歓喜に寄す」に感動し、曲を付けることを20代に志しながら、50代になった1822年から1824年初めにかけて、ようやくこの曲を作曲しました。

No.149 ベートーヴェンと≪第九≫の周辺/神奈川県立図書館
一部を抜粋して交響曲に取り入れた

大げさな表現でひたすら「歓び」を連呼したこの詩は、発表当時から民衆の間で爆発的な人気を博し、多くの作曲家が歌をつけ、主に「集いの歌」、「飲み歌」として盛んに歌われました。しかしベートーヴェンは、この詩からシラーが託した普遍的な真理を読み取り、全108行の詩から30行だけを選び出して再構成し、自らの共感を交響曲という形にしたのです*。

ベートーヴェン:交響曲第9番 曲目解説/facciamo la musica! – Goo ブログ.2019
その他“ベートーヴェン”は“シラー”にたくさんの影響を受けた

 ベートーヴェンはこの詩だけでなく、シラーという人のたくましい文学活動に驚異の目を向けていたと思われる。シラーについて、ベートーヴェンに多くの知識をもたらしたのは、ボン大学の若い教師フィッシェルニッヒだったが、実は『歓喜に寄す』を知る数年前に、ベートーヴェンはボンでシラーの演劇「群盗」の上演に接している。

オーフロイデ! ベートーヴェン交響曲第九番〜歓喜の歌の発音とうたいかた〜 第九の精神 横溝亮一/ハンナ.2018
受け継がれたシラーの意思

おりしも、ヨーロッパはフランス革命の時代で、絶対君主制が崩壊し、新しい市民社会の到来を予告する動きがあちこちで胎動していた。宮廷の権力に抑えこまれ、その桎梏のもとで呻吟していた庶民たちが、次第に手をつないで立ち上がっていく。『歓喜に寄す』は、そうした新しい時代の黎明を告げる鐘の音と考えてよい。

オーフロイデ! ベートーヴェン交響曲第九番〜歓喜の歌の発音とうたいかた〜 第九の精神 横溝亮一/ハンナ.2018
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1918年6月1日、徳島県鳴門市の板東俘虜収容所―。ドイツ兵俘虜たちによって、ベートーベン交響曲「第九」がアジアで初めて全国演奏されました。主人公の転校生・愛子に、おばあちゃんが伝えたかったこととは…。語りつぎたい感動の物語。(「BOOK」データベースより)

Historical anthem

世界で「第九」は歴史的な瞬間に演奏されている

Pan-European Movement/YouTube

欧米では神聖視され、歴史的意義の深い日に、例えばベルリンの壁崩壊直後にベルリンで行われた演奏会や、ウィーン国立歌劇場が再建された際などに演奏されてきました。

No.149 ベートーヴェンと≪第九≫の周辺/神奈川県立図書館

ベルリンの壁崩壊!歴史的な名シーン

EuroArtsChannel/YouTube

28年の間、街を引き裂き二分していたベルリンの壁がなくなり冷戦が終結となった。1989年12月25日ベルリンの壁開放を記念してバ-ンスタイン指揮で演奏された第九は、歓喜を自由(フラハイト)に置き換え歌われた。

第16回 歓喜の歌(An die Freude)/浜松フロイデ合唱団

このコンサートは、冷戦終結を象徴するコンサートとして、東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連出身の音楽家による混成オーケストラで演奏された。

日本人指揮者として「第九」を通して平和に向き合う/ONTOMO

これには世界各国のオーケストラから有志が集まり、戦争で対立しあった国の人々が、同じステージで演奏するという感動的な場面を生んだ。バイエルン、ベルリン、ドレスデン…。ドイツの代表的なオーケストラのメンバーが、この日、次々とホールに集まってきた。歌手もアメリカから、イギリスから、そして東西の両ドイツからベルリンにやってきた。それは文字通り国を超え、民族を超えた大イヴェントとなった。

歴史的な瞬間に演奏されてきたのはベートーヴェンの『第9』だった ~ベートーヴェン:交響曲第9番考察 ①/伊熊.YAMAHA.2017

ベルリンのシャウシュピールハウスでおこなわれたこの歴史的なコンサートの模様は世界20ヶ国でテレビ中継され、今でもクラシック音楽史を飾る出来事として人々に記憶されています。

【ベルリンの壁崩壊】国境や歴史的な怨恨を越えて、ベートーヴェンの「第九」を演奏!/趣味時間
毎年のように続けられてきた

また、翌年のドイツ再統一の前夜には、東ドイツ出身の指揮者クルト・マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって演奏された。その後も記念年などにダニエル・バレンボイム(現在ベルリン国立歌劇場音楽監督)が度々指揮をしてきた。

日本人指揮者として「第九」を通して平和に向き合う/ONTOMO
ブランデンブルク門

現在ではドイツ統一と平和・友愛の象徴として広く認知されているそのブランデンブルク門の前で、2019年8月ベルリン・フィルの新首席指揮者キリル・ペトレンコが「第9」を演奏。30年前の歴史的な出来事に思いをはせ、平和へのメッセ―ジを新たにするものとなるでしょう。

ベートーヴェン「第9」~バーンスタイン/ 自由への讃歌/KING INTERNATIONAL

ヨーロッパでは「EUの歌」

André Rieu/YouTube

1972年にオーストリアの指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンによって編曲された「歓喜の歌」が、欧州評議会によって「欧州の歌」として発表され、1985年にミラノで開かれた欧州理事会(EU首脳会議)において「EUの歌」として承認された。

ベートーヴェン『第九』アジア初演100周年 – 音楽が繋ぐ日本とドイツの絆/NewsDigest.2018

(前略) EU の式典では必ず演奏され、ヨーロッパの象徴としての役割を果たしています。

「ベートーヴェン・イヤー」/末次 克史.ゴム報知新聞.2020

 シンボル曲として選ばれた『第九』は、日本人の母を持つオーストリアの政治家、クーデンホーフ・カレルギーが1960年代に提案し、歌われ、30年以上の歴史があるということから選ばれた。

『何故『第九』がEUのシンボル曲に選ばれたのか』/麗澤大学ドイツ語学科:山川ゼミナール:インデックス

欧州連合(28カ国)では多くの言語が使われている為、楽器だけで演奏されている。しかしドイツ語の詩が歌われることもある。ドイツ語の詩を様々な言語に翻訳して使おうとする試みもある。EUの歌は自由、平等、結束という統合されたヨーロッパの理想を表すもの。

第16回 歓喜の歌(An die Freude)/浜松フロイデ合唱団
gjkalaja/YouTube
EUYOvideo/YouTube
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「第九」をバレエで表現した、総勢350人によるスペクタクル・コンサートを巡るドキュメンタリー。モーリス・ベジャール振付による至上最高傑作ができあがるまでの工程を、関係者の人間ドラマとともに映し出す。(CDジャーナル データベースより)
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