ポール・ウォーカーは映画『ワイルド・スピード』シリーズを通じて、世界中の映画ファンの心に深く刻まれた存在です。
ポールの突然の逝去は、ファンにとって計り知れない喪失でしたが、その魂はスクリーン上で生き続けています。
Paul Walker
ハリウッドが沈む…。ポール・ウォーカーを失った日
ポール・ウォーカー(Paul Walker)は、アメリカの俳優で、1973年9月12日にカリフォルニア州グレンデールで生まれました。
1980年代からテレビや映画に出演し、子役として活動を始めました。高校卒業後には一時演劇の世界から離れましたが、その後復帰し、映画での露出が増えていきました。
ティーン層を中心に人気を集め、「バーシティ・ブルース」や「シーズ・オール・ザット」などのラブ・コメディに出演しました。
そして、ある映画に出演したことで、一気にスターダムに駆け上がりました。それが、2001年に公開されたアクション映画『ワイルド・スピード((原題:The Fast and the Furious))』でした。
ライアン・オコナー役で出演したこの映画は空前の大ヒットを記録。その後も続編が制作され、ポールはシリーズの主要キャストとして名声を高めました。
しかし、残念なことに、2013年11月30日、ポールは友人と乗っていた車が事故に遭い、その場で亡くなりました。
その突然の死は、ファンや映画業界に衝撃を与えました。その後の「ワイルド・スピード」シリーズでも、追悼するシーンやポールの遺産に敬意を払う内容が盛り込まれました。
全世界を魅了した『ワイルド・スピード』
『ワイルド・スピード』シリーズは、違法なストリートレースを繰り広げるドライバーたちの物語で、カーアクションやドラマが織り交ざるエキサイティングなストーリーが観客を魅了しました。
見所はなんといっても徹底的にカスタマイズされた高性能な車両と、迫力満点のカースタントです。
これらの要素は、映画を単なるアクション映画ではなく、ストリートカー文化を象徴する作品としての地位を不動のものにしました。
さらに、家族との絆、忠誠心、そして友情といったテーマも、シリーズを通して強く表現され、幅広い観客層を惹きつけてきました。
ポール演じるのブライアン・オコナーは、このシリーズを象徴するキャラクターの一人として、特に記憶に残っています。
映画だけじゃない!ポールのリアルカーライフ
ポールは映画の役柄だけじゃなく、プライベートでも大の車好きで、高校時代から、地元のサンバレーで毎週水曜日に行われていたストリートレースに参加、プロ並みのドライビングテクニックを持っていました。
この経験は、後の『ワイルド・スピード』シリーズでの役作りにも役立ったと言われています。
さらに、ポールは友人のロジャー・ロタス(Roger Rodas)氏と共同で『オールウェイズ・エヴォルビング(Always Evolving)』というカーショップのオーナーも務めていました。
このショップでは、高性能の車やカスタム車の販売、メンテナンス、アップグレードなどを行っており、まさに『ワイルド・スピード』シリーズの世界観を現実に反映しているような場所でした。
もう一つの側面!それが日本車愛好家
プライベートコレクションとしても、数多くの高級車やクラシックカーを所有していました。特に日本車を愛していており、日産フェアレディZ、シルビア、トヨタスープラを持っていると自慢げに語っていました。
『ワイルド・スピード SKY MISSION』にはポールのコレクションの1つ、白いスープラも登場しています。
そんな数あるコレクションの中で特にお気に入りの車は、映画『ワイルド・スピード X2』で自身が演じたブライアンが乗っていた日産のスカイライン『GT-R R34』でした。
『ワイルド・スピード』シリーズの中でブライアンが日産車に乗る設定は、実際にポールが『GT-R』が好きだと言ったことがきっかけだったというエピソードもあるほどです。
憧れの高級車に囲まれて・・・ポール・ウォーカーの夢のカーコレクション
2013年には、ポール・ウォーカーと友人の元レーサー、ロジャー・ロダス氏のプライベートコレクションが公開されました。
元々は米国の自動車ファンサイト『The Smoking Tire.com』が、彼らが所有していた車を撮影して2012年の秋に映像を公開したものです。
このコレクションには、ポルシェ、フェラーリ、BMW、フォード、ロールスロイス、マセラティ、メルセデスベンツなど、様々な高級車がズラリと並んであいます。
また、ポール・ウォーカーが『ワイルド・スピード』で日本車を操る姿が絵になっていたように、コレクションには日産のスカイラインGT-Rやシルビア、フェアレディZ、トヨタのスープラなどの姿もあります。。
『The Smoking Tire.com』は、この映像に新たに「ポール・ウォーカーとロジャー・ロダスの二人よ、安らかにお眠りください」というメッセージを添えました。
この映像は、米国の自動車ファンサイト、『The Smoking Tire.com』が2012年秋に公開したものです。
ポール・ウォーカーと友人の元レーサー、ロジャー・ロダス氏(今回の自動車事故で死去)の二人が所有していたカーコレクションを取材し、その映像を公開しました。
自然と海を愛するポール
ポール・ウォーカーは子供の頃から海洋生物学者に憧れ、スキューバダイビングやサーフィンをするなど、海と自然をこよなく愛し、その情熱は自身のキャリアにも影響を与えました。
中でも、2006年に公開された『南極物語』は、ポールにとっても特別な作品となりました。
この映画は、日本で大ヒットした1983年の映画『南極物語』をアメリカでリメークしたもので、ポール・ウォーカーが主演を務めました。
映画の中でポールは、南極で犬たちと過ごす冒険家の役を演じ、本物の愛犬も映画に出演しました。愛犬とともに自然と向き合う姿は、優しい人柄や価値観を表すものでした。
「リーチ・アウト・ワールドワイド」ポール・ウォーカーが遺した支援の輪
環境保護活動にも積極的に取り組んでおり、2010年にはチャリティー団体「リーチ・アウト・ワールドワイド(Reach Out WorldWide・ROWW)」を設立。
この団体を通じて、災害救援や環境保護活動に積極的に関与していました。
2010年に発生したハイチ地震の際には、ポール自身が被災地に向かい、救助活動を行いました。その後、ROWWもハイチに支援物資を送り、現地で支援活動を行いました。
また、同年に発生したチリ地震の際にも、ROWWは支援活動を行いました。
実は、ポールは人から注目を集める立場を好ましく思っておらず、「この仕事が本当に好きじゃないんだ。でも、稼いだお金で沢山の良いことが出来るから」と語っています。
ポールは自身の人気を利用して慈善活動に取り組むことで、多くの人々にその必要性を伝えることで社会貢献を目指していたのです。
ポールの死後も、ROWWはその精神を継承し、世界中の人々に対する支援活動を続けています。
ポールの父親は、「たくさん話したのが懐かしい。彼は優しい子だった……自分がこんなに素晴らしい息子に恵まれるとは」と誇りを持って語っています。
ポールは、海洋生物学者としての夢を叶えることはありませんでしたが、その人生には自然との深いつながりがあり、今もなお自信が愛した海や自然の保護に貢献し続けています。
2013年11月30日 ポール・ウォーカーが交通事故
2013年11月30日は、映画界にとって悲劇的な日となりました。
ポール・ウォーカーは、カリフォルニア州サンタクラリタで発生した衝突事故に遭遇し、40歳という若さでこの世を去りました。
この突然の別れに、映画界はもちろんのこと、世界中のファンが大きなショックと悲しみに包まれました。
ポールは、そのカリスマ的な存在感と愛くるしい笑顔、スクリーン上で見せる情熱的な演技で幅広い層の観客から愛されていました。
突然の訃報に衝撃が走る
2013年11月30日、ポール・ウォーカーの訃報がポール自身のFacebookとTwitter上で伝えられた際、世界中のファンは衝撃と悲しみに包まれました。Facebookの公式ページでは、次のようなメッセージが投稿されました
「真に悲しいお知らせをしなければいけません。ポール・ウォーカーが自身の団体リーチ・アウト・ワールドワイド(Reach Out Worldwide)のチャリティーイベントに参加中に、悲劇的な自動車事故で亡くなりました」
この投稿は、ポール・ウォーカーのファンや世界中の人々にとって、彼の突然の逝去を知る衝撃的な瞬間となりました。
Twitter上でも同様のメッセージが共有され、そのリツイート数は驚異的な速さで29万件を超えました。この数は、ポールが世界中に持っていた影響力と、多くの人々に愛されていたことを物語っていました。
It’s with a heavy heart that we must confirm Paul Walker passed away today in a tragic car accident…MORE: http://t.co/9hDuJMH99M – #TeamPW
— Paul Walker (@RealPaulWalker) December 1, 2013
最期の日に向かった場所
ポールはこの日、自身のチャリティー団体「リーチ・アウト・ワールドワイド」のチャリティーイベントに参加するため、ハリウッドから北へ約40km離れたサンタクラリタ市のバレンシア地区に向かいました。
このイベントは、フィリピンで発生した台風の被害者を支援するためのものでした。
そのイベントが終わった、今度は自身が経営するカーショップ『オールウェイズ・エヴォルビング』に向かいました。
赤色の2005年製ポルシェ・カレラG
『オールウェイズ・エヴォルビング』の共同経営社の一人、ロジャー・ロタス氏は、募金活動の会場で展示された赤色の2005年製ポルシェ・カレラGTをガレージに駐車していました。
ロジャー氏が車をガレージに駐車し終えたところに、ポールがロジャーに歩み寄って声をかけました。
「おい、ドライブに行こうぜ(”Hey, let’s go for a drive.)」
そう言うとポールは、ポルシェ・カレラGTの助手席に乗り込み、一緒にドライブに出かけました。しかし、このドライブが二人にとって最後のドライブとなってしまいました。
事故現場は静かな道路だった
2013年11月30日午後3時30分頃、ポール・ウォーカーとロジャー・ロタス氏はカリフォルニア州サンタクラリタのバレンシア地区を通過中に、何らかの理由でポルシェ・カレラGTの制御を失いました。
その結果、車は歩道に突っ込み、木と街灯に衝突しました。この事故現場は、彼らのカーショップ「オールウェイズ・エヴォルビング」から約274メートルの距離にありました。
事故が起きた道路は比較的静かな場所で、運転に危険が少ないと思われるエリアでした。
法定速度の2倍!!カレラGTが炎上した現場で何が起こったのか?
しかし、ロサンゼルス郡警察のその後の調査によると、カレラGTは事故時に法定速度の72km/hの約2倍に当たる、約150km/hの速度で走っていたことがわかりました。
「まるで戦場」ポール・ウォーカーの死亡現場に衝撃
衝突の影響で車は180度回転し、助手席側が木に衝突し、その後炎上しました。事故によって飛散した車の破片が周囲の建物に被害を与え、地元新聞の記者は事故現場を「戦場のようだ」と表現しました。
目撃者の証言によると、車はぐしゃぐしゃに潰れており、中に人がいたとは考えにくい状態でした。
事故が起きた瞬間、すぐにポールの親友とロジャーの8歳の息子も現場に駆けつけ、2人を救出しようと試みましたが、激しい炎に阻まれてしまいました。
保安官が通報を受けて現場に到着した時には、すでに車は完全に炎に包まれていました。
消火活動が行われた後、2人は救出されましたが、すでに亡くなっていました。
ポール・ウォーカーの死因が判明!衝撃の真実とは
その後、ロサンゼルス郡検視局がポール・ウォーカーとロジャー・ロタス氏の死因を明らかにし、死亡証明書を発行しました。
検視局の発表によると、ロジャー・ロタス氏は衝突による外傷でほぼ即死状態でした。一方、ポール・ウォーカーは外傷と火傷が原因で亡くなりましたが、衝突直後はまだ生きていたとされています。
この発表は、もしもっと早く救助活動を行っていれば、ポールの命が救われる可能性があったかもしれないという憶測を呼び起こしました。
しかし、ニュースサイト「TMZ.COM」が入手した死亡証明書によると、「ロジャー・ロタス氏は車が炎上する前に即死し、ポール・ウォーカーは即死ではなかったが、外傷を受けた後、炎上による火傷で亡くなるまでの時間は非常に短く、ほぼ即死状態だった」と記されています。
これは、ポールの友人たちが救出を始めた時には、もう手遅れだったという自己の悲惨な現実を突きつけるものでした。
【危険運転が招いた悲劇】ポール・ウォーカー事故の最終報告書
米ロサンゼルス郡の保安官事務所は、最終報告書を発表し、事故の原因を速度超過と結論づけました。
この調査結果はでは、ポルシェの米国法人であるポルシェカーズノースアメリカが、カレラGTに関するデータを提供し、全面的に協力しました。
その結果、事故の原因は車両の問題ではなく、ドライバー側の危険運転と発覚したのです。
ポルシェカーズノースアメリカは2014年3月26日に声明を発表し、「ポルシェ車での死傷事故は悲しい出来事」としつつ、「今回の事故では、車にメカニカルな不具合はなかったことが証明された。私たちはカレラGTを支持する」とコメントしました。
この事故は、運転中の速度管理の重要性と、特に高性能車を運転する際の安全意識の必要性を強調するものでした。
「ボーイズが帰ってくるぜ」最後のツイート
ポール・ウォーカーの最後のツイートは、撮影中の第7作目『ワイルド・スピード EURO MISSION』に関するもので、「ボーイズが帰ってくるぜ」「覚悟はいいかい?」でした。
この最後のツイートは、彼が生前に抱いていた映画に対する熱意と、ポールのキャラクターの持つ生き生きとした魅力をファンに思い出させるものでした。
The boys are back. Will you be ready? – #TeamPW #FastFridays (Photo Credit: http://t.co/kkce2shzvM) pic.twitter.com/RDnrDBGs2n
— Paul Walker (@RealPaulWalker) November 30, 2013
ハリウッドが沈む…。ポール・ウォーカーの突然の死
ポール・ウォーカーの突然の死は、共演者や『ワイルド・スピード』シリーズの関係者にとって大きなショックを与え、誰もが悲しみに打ちひしがれました。
共演者たちは誰も映画のことを考えられな状態で、撮影に戻ることができないほど動揺していました。
共演者のドウェイン・ジョンソン氏はポールの死について、「みんなが悲しみにくれている。ウォーカー家族に力、愛、信仰を」とツイートしました。
ヴィン・ディーゼル氏は、「兄弟、君がいなくて寂しい。言葉が見つからない。天使が増えたんだね。安らかに眠って」とインスタグラムに投稿しました。
シリーズの監督を務めてきたジャスティン・リン氏は、「ポールは自己中心的な世界で、無私で誠実な人だった。愛してる、兄弟」と述べました。
新作を指揮している監督ジェームズ・ワン氏も、「悲しみで胸が張り裂けそう。今は何も考えられない」とツイートしています。
さらに、ハリウッドの若手スターたちも続々とポール・ウォーカーの突然の死を悼むツイートを発表しています。『Glee』のケビン・マクヘイル氏は「ポールの死は悲しすぎる。若すぎて信じられない」とつぶやきました。
『The Tomorrow People』のロビー・アメル氏は「悲しいニュース。素晴らしい作品をありがとう」とツイート、『ARROW/アロー』のケイティ・キャシディさんは「悲しすぎる。彼は人々の心に残るでしょう」とコメントしました。
多くのセレブや各界の関係者も、ポールの業績と優しい人柄を称えるツイートやコメントを発表しています。
ポールの急すぎる死に、ハリウッドは大きな悲しみに沈んだのです。
恋人が悲しみに暮れる
ポールの恋人であるジャスミン・ピルチャード・ゴスネルさんも悲しみに暮れていました。
ポールは1998年に長女をもうけましたが、結婚はせず、元ガールフレンドと別れた後の2006年にジャスミン・ピルチャード・ゴスネルさんと交際を始めました。
ジャスミンは現在23歳で、ポールさんより17歳年下です。
二人は7年前、ジャスミンが16歳のときから交際していました。彼女はポールの自宅を弔問し、遺族と一緒に3時間過ごした後、涙に暮れた様子で外に出てきたと報じられています。
ジャスミンさんあのおじであるバートン・ブルーナーは、「ポールさんは本当にいい人で、ジャスミンは悲劇に打ちひしがれている」とコメントしています。
「さようなら、兄弟」- 共演者たちが思いを馳せた事故現場
ポールの共演者たちは、事故現場を訪れて彼を弔い、追悼の意を示しました。
ヴィン・ディーゼルのポール・ウォーカー愛
12月2日の夜、ポールが亡くなった現場を訪れたヴィン・ディーゼル氏は、警察車両のスピーカーを借りてファンに次のように感謝の言葉を述べました。
「今日は集まってくれてありがとう。もし俺の“兄弟”がここにいてくれたなら、そしてみんなの中にある彼への愛を見ることができたなら、もし彼が俺の愛を見られたなら……」
「みんながポールに示してくれた愛情に感謝したい。みんなの気持ちは、いつまでも自分と一緒だ。ありがとう、ほんとうにありがとう。天国にいる天使である彼(ポール)へ、感謝の気持ちを示してくれて」
ヴィン・ディーゼルのこの姿にファンからも感謝の声が聞かれました。
ポール・の死から1週間後、ヴィン・ディーゼルは何を語ったのか
死の衝撃から1週間後に、代表作「ワイルド・スピード」シリーズで共演し親友だったヴィン・ディーゼルは、訃報を受けてすぐにポールの遺族の元に駆けつけた様子を明かしてくれた。
「聞いて、すぐにカリフォルニアに戻り、飛行機を降りてそのまま彼のお母さんの家に向かった。彼らが僕の強さを必要としていると考えた。でも、家族の前で泣き崩れてしまった。僕の方こそ彼らの強さを必要としていたと気づいた」とヴィンは綴る。
「彼のお母さんが僕にハグしながら『気の毒に』と言ってくれた。僕は『そんな。あなたが息子を亡くしたのに』と言った。すると彼女は『そうよ。でも、あなたは相棒を亡くしたのだから』と言ってくれた」
ヴィン・ディーゼルは、ポールの死後に生まれた自分の娘にポールから取った「ポーリーン」という名前をつけた。ヴィンは今でも、自身のSNSでポールへのメッセージをたびたび投稿しています。
タイリース・ギブソンが事故現場でポール・ウォーカーに花束を捧げる
俳優・歌手のタイリース・ギブソン氏がポールの死亡事故現場を訪れ、涙を流しました。
タイリース氏は2003年に公開された2作目の『ワイルドスピードX2』からブライアンの旧友、ローマン役としてシリーズに参加しました。
ローマンはファミリーの中でもムードメーカーのような存在で、ポール演じるブライアンとは非常に仲のいい間柄でした。
「心が痛い。現実に起きたことだなんて信じられない。彼の40歳の誕生日を祝ったばかりだったのに。こんなことを書いているなんて信じられない」とInstagramに投稿していたタイリース氏は、事故から24時間がたたないうちに1本の黄色の花を手に事故現場を訪れました。
タイリース氏はファンが添えたたくさんの花束の周りを歩き、感情をコントロールしようとするも涙が止まらず、花を添えると重い足取りで立ち去りました。
事故現場には多くのファンや報道陣が集まっていましたが、タイリース氏が苦しげな表情でポールさんの死を悼む間、現場は静まり返っていました。
ポール・ウォーカーの家族、世界中からの愛と善意に感謝
世界中から次々と寄せられる弔意に、ポールの遺族は感謝を示すため、Facebookの彼の公式ページで以下のようにお礼の言葉を投稿しました。
「ポールの家族は、多くのファンや友人が寄せてくださった愛と善意に感謝してます。彼らは、花や贈り物の代わりに、ポールの慈善団体『リーチ・アウト・ワールドワイド』に寄付していただけるよう願っています。寄付は同団体の公式サイトから行えます」
このメッセージは、ファンや友人たちが示した愛と善意への感謝と、ポールが生前に情熱を注いでいた慈善活動への支援を求めるものでした。
追悼式に何千人ものファンが参加
2013年12月8日、ポール・ウォーカーとロジャー・ロタス氏を偲んで、追悼式が事故現場で行われました。
この追悼式は、南カリフォルニアの車好きコミュニティ「SoCal Car Meets」によってFacebookで告知されたものです。
混雑が予想されていたものの、何千人ものファンが集まり、道は花束やろうそく、メッセージボードで埋め尽くされた。参加者は、用意された大きなトラックにメッセージを書き、追悼の意を示しました。
【ポール・ウォーカーの最期】家族や友人らが静かに見送る
ポール・ウォーカーは2013年12月12日に火葬され、12月14日には彼の父親、兄弟、親族、そして親しい友人たち約40人が参列して静かな葬儀が行われました。
事故死後、遺体確認に手間取るなどのトラブルがありましたが、最終的に検視が終わり遺体は家族に返されました。
火葬された彼の遺灰は、ハリウッドヒルズにある霊園「フォレストローンメモリアルパーク(Forest Lawn Memorial Park)」に埋葬されました。
葬儀自体は短時間で終了しましたが、遺族はその後近く親しい人々を招いて別途追悼式を行いました。
実の娘との大切な時間
ポール・ウォーカーは生涯独身でしたが、元恋人レベッカさんとの間にメドウ・レイン・ウォーカーさんという娘がいました。
メドウさんは当初、母親レベッカと一緒に住んでいましたが、父ポールともっと時間を過ごしたいという思いから、事故が起きる前にポールと一緒に住み始めていました。
ポールは自動車事故で亡くなる約2週間前、米UsWeeklyのインタビューで、最近一緒に住み始めた娘メドウとの関係について話し次のように話していました。
「25歳の時に娘が生まれて本当に良かった。40歳になり、娘が15歳になった今、すごく楽しい。うまくいっていて、本当に最高だ」
このコメントは、娘のメドウさんとの関係をどれだけ大切に思っていたかを示しています。
娘との時間を優先し俳優業から休業を検討していたことが明らかに
さらにポールは娘との時間を大切にするため、俳優を引退することすら考えていたようでした。
この事についてポールを知る関係者「娘と一緒に暮らし始めて幸せだったし、娘は永遠の恋人のような存在だった。十分な時間が取れないと思っていたので、彼女と一緒に暮らせることを喜んでいた」とが明らかにしています。
ポールの父親も、「ポールは娘ともっと時間を過ごすために、映画出演から休業し、ハリウッドから距離を置こうとしていた。ポールは娘を誇りに思い、彼女が賢く美しいので、成長の過程にそばにいたかった」と語りました。
このよゆに、ポールの突然の死は、ポール自身にとってもメドウさんにとっても、非常に悲しい出来事であり、ポールの家族、友人、そしてファンにとって計り知れないものになりました。
「ワイルド・スピード」シリーズの製作休止が発表
2013年7月に公開された『ワイルド・スピード EURO MISSION』は成功を収め、続編の第7作も2013年9月から撮影が始まっていました。
このような状況の中、しばらく撮影は休止したほうがいいとの声も上がっていました。
配給元のユニバーサル・スタジオは、映画の今後についてしばらくコメントを控えていましたが、現実的に未撮影の部分にはポールのシーンが多く、撮影を再開するにしろ脚本を大幅に変更する必要がありました。
その後、正式にユニバーサル・ピクチャーズがこの件について次のようにコメントしました。
「多くのファンの期待に応えるため、適切なタイミングで発表を行う予定だ。しかし、今は親友であるポール・ウォーカーを悼むための時間が必要だ」
このコメントは、『ワイルド・スピード』シリーズの制作一時休止を事実上発表したものでした。
読者の皆様へ
ポール・ウォーカーの突然の逝去は、家族、友人、共演者、そして世界中のファンに計り知れない悲しみをもたらしました。
魅力的な演技力と、慈善活動への献身と娘への無償の愛情を通じて、ポール・ウォーカーは自らの人柄を世界中に示し多くの人々の心を捉え、深い尊敬を集めていました。
しかし、ポールの素晴らしい人生の突然の終わり方は、私たちに人生のはかなさと、愛する人との時間の大切さを痛感させるものになりました。
【ポール・ウォーカー】スクリーン上の永遠…忘れられない『ワイルド・スピード』フィナーレ(後編)