ポール・ウォーカーは映画の中で生き続ける ── 涙なしには見られない感動のフィナーレ(前編)

この記事は、アメリカの俳優であるポール・ウォーカーの生涯や突然の死について紹介しています。ポールは『ワイルド・スピード』シリーズの主要キャストとして知られており、日本車やカーコレクションが大好きだったことや、自然愛に溢れた人物であったことが伝えられています。

また、ポールはハイチ地震の際には自ら被災地に向かい、救助活動を行うなど、人道的な活動にも熱心であったことが取り上げられています。記事では、ポールの死に至る事故の概要や、共演者たちが彼を偲んで訪れた事故現場など、その死に対する多くの人々の悲しみや追悼の様子が伝えられています。

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L.A.では深夜、若者たちが大金を賭けたストリート・カー・レースに熱狂していた。ドミニクは仲間たちから一目置かれる天才ドライバー。彼はレースを挑んでくる無謀な連中を相手に1度のレースで1万ドルを稼ぎ出す。そんなある夜、ブライアンという新顔がやって来る。彼もまたドミニクに負けない驚異のドライビングテクニックを披露、ギャラリーの注目を集める。しかし、誰も彼が警察官だとは想像もしなかった。ブライアンは実は、最近多発している高級品を積んだトラックがハイスピード状態のままジャックされるという事件を追って、潜入捜査を行っていたのだった。(「TSUTAYA」データベースより)

Paul Walker

ハリウッドが沈む…。ポール・ウォーカーを失った日

Paramount Network/YouTube

ポール・ウォーカー(Paul Walker)は、アメリカの俳優で、1973年9月12日にカリフォルニア州グレンデールで生まれました。彼は1980年代からテレビや映画に出演し、子役として活動を始めました。高校卒業後には一時演劇の世界から離れましたが、その後復帰し、映画での露出が増えました。

彼はティーン層を中心に注目を集め、「バーシティ・ブルース」や「シーズ・オール・ザット」などのラブ・コメディに出演しました。

しかし、彼のキャリアに最も大きな影響を与えたのは、2001年に公開されたアクション映画「ワイルド・スピード」シリーズでの役割でした。ポール・ウォーカーは、ブライアン・オコナー役で出演し、映画は大ヒットしました。その後も続編が制作され、彼はシリーズの主要キャストとして名声を高めました。

残念なことに、2013年11月30日、ポール・ウォーカーは友人と乗っていた車が事故に遭い、その場で亡くなりました。彼の突然の死は、ファンや映画業界に衝撃を与えました。その後の「ワイルド・スピード」シリーズでも、彼を追悼するシーンや彼の遺産に敬意を払う内容が盛り込まれました。

ポール・ウォーカーの愛する海と自然

ポール・ウォーカーは子供の頃から海洋生物学者に憧れ、スキューバダイビングやサーフィンを趣味として楽しんでいました。彼は海と自然をこよなく愛し、その情熱は彼のキャリアにも影響を与えました。

2006年に公開された「南極物語」は、彼にとって特別な作品となりました。この映画は、日本で大ヒットした1983年の映画「南極物語」をアメリカでリメークしたもので、ポール・ウォーカーが主演を務めました。彼は映画の中で南極で犬たちと過ごす冒険家の役を演じ、彼の愛犬も映画に出演しました。

彼の愛犬とともに自然と向き合う姿は、彼の人柄や価値観を表していると言えるでしょう。

全世界を魅了したワイルド・スピードとポール

2001年に公開された映画『ワイルド・スピード』(原題:The Fast and the Furious)で、ポール・ウォーカーはヴィン・ディーゼル演じるドミニク・トレット(ドム)とのコンビを組みました。

この映画は、違法なストリートレースを繰り広げるドライバーたちの物語で、カーアクションやドラマが織り交ざるエキサイティングなストーリーが観客を魅了しました。

ポール・ウォーカーは、元警察官でありながらドムと友情を結び、ストリートレーサーとして活動するブライアン・オコナー役を演じました。映画は大ヒットし、ポール・ウォーカーの名前は一躍スターダムに押し上げられました。

『ワイルド・スピード』シリーズはその後も続編が制作され、ドムとブライアンの友情や家族の絆を描く物語が観客に愛され続けました。ポール・ウォーカーは、彼の死までシリーズに出演し、ブライアン・オコナー役でファンの心に残る存在となりました。

Movieclips/YouTube

「ワイスピ」だけじゃない!ポール・ウォーカーのリアルカーライフ

ポール・ウォーカーは映画の役柄だけじゃなく、実生活でも車好きで知られており、高校時代のポール・ウォーカーは、地元のサンバレーで毎週水曜日に行われていたストリートレースを楽しんでおり、プロ並みのドライビングテクニックも持っていました。

彼が共同でオーナーを務めた「Always Evolving」というカーショップでは、高性能の車やカスタム車の販売、メンテナンス、アップグレードなどを行っていました。

Always Evolving/YouTube
もう一つの側面!それが日本車愛好家

また、彼はプライベートコレクションとして、数多くの高級車やクラシックカーを所有していました。特に日本車を愛していて、日産フェアレディZ、シルビア、トヨタスープラを持っていると語っていました。

「ワイルド・スピード SKY MISSION」で登場した白いスープラは、ポールのコレクションの1つだったようです。

数あるコレクションの中で特にお気に入りの車は、映画『ワイルド・スピード X2』(原題:2 Fast 2 Furious)で彼が演じたブライアンが乗っていた日産のスカイラインGT-R R34でした。

『ワイルド・スピード』シリーズの中でブライアンが日産車に乗る設定は、実際にポール・ウォーカーがスカイラインGT-Rが好きだと言ったことがきっかけだったというエピソードもあります。

憧れの高級車に囲まれて・・・ポール・ウォーカーの夢のカーコレクション

2013年に、ポール・ウォーカーと友人の元レーサー、ロジャー・ロダス氏のカーコレクションが公開されました。元々は米国の自動車ファンサイト『The Smoking Tire.com』が、彼らが所有していた車を撮影して2012年の秋に映像を公開したものです。

カーコレクションには、名車がズラリと並び、ポルシェ、フェラーリ、BMW、フォード、ロールスロイス、マセラティ、メルセデスベンツなど、様々な高級車がありました。

また、ポール・ウォーカーが『ワイルド・スピード』で日本車を操る姿が絵になっていたように、カーコレクションには日産のスカイラインGT-Rやシルビア、フェアレディZ、トヨタのスープラなどの姿もありました。

『The Smoking Tire.com』は、この映像に新たに「ポール・ウォーカーとロジャー・ロダスの二人よ、安らかにお眠りください」というメッセージを添えました。

この映像は、米国の自動車ファンサイト、『The Smoking Tire.com』が2012年秋に公開したもの。ポール・ウォーカーと友人の元レーサー、ロジャー・ロダス氏(今回の自動車事故で死去)の二人が所有していたカーコレクションを取材し、その映像を公開した。

TheSmokingTire/YouTube

ROWW – ポール・ウォーカーが遺した支援の輪

また、彼は環境保護にも取り組んでおり、2009年に自ら設立した「Reach Out WorldWide(ROWW)」という慈善団体を通じて、災害救援や環境保護活動に積極的に関与していました。

2010年に発生したハイチ地震の際には、ポール・ウォーカー自身が被災地に向かい、救助活動を行いました。その後、ROWWもハイチに支援物資を送り、現地で支援活動を行いました。また、同年に発生したチリ地震の際にも、ROWWは支援活動を行いました。

ポール・ウォーカーは、自身の人気を利用して慈善活動に取り組み、多くの人々にその必要性を伝えることで社会貢献を目指していました。彼の死後も、ROWWは彼の精神を継承し、世界中の人々に対する支援活動を続けています。

ポール・ウォーカーの父、ポール・ウォーカー3世さんは、息子のことを毎日懐かしく思っていると語りました。「たくさん話したのが懐かしい。彼は優しい子だった」と、ポールの優しさを語りました。

実は、ポールは人から注目を集める立場であることを好まなかったそうで、「この仕事が本当に好きじゃないんだ。でも、稼いだお金で沢山の良いことが出来るから」と、ポールが設立したチャリティー団体「Reach Out Worldwide」に関して話していたそうです。

また、ポール・ウォーカー3世さんは、息子が放っていた愛について、「自分がこんなに素晴らしい息子に恵まれるとは」と誇りを持って語っています。

ポール・ウォーカーは、海洋生物学者としての夢を叶えることはありませんでしたが、彼の人生は自然との深いつながりがあり、彼が愛した海や自然の保護に貢献し続けていることは確かです。

reachoutworldwide/YouTube

2013年11月30日 ポール・ウォーカーが交通事故死

2013年11月30日、『ワイルド・スピード』シリーズの俳優、ポール・ウォーカーはカリフォルニア州のサンタクラリタで衝突事故に遭い、40歳で亡くなりました。

euronews/YouTube
突然の訃報に衝撃が走る

その日、彼自身のFacebookとTwitter上でもこの訃報が伝えられた。

Facebookの公式ページでは「真に悲しいお知らせをしなければいけません。ポール・ウォーカーが自身の団体リーチ・アウト・ワールドワイド(Reach Out Worldwide)のチャリティーイベントに参加中に、悲劇的な自動車事故で亡くなりました」と投稿されました。

ファンからは驚きの声が相次ぎ、Twitterのリツイート数はあっという間に29万件を超えました。

最期の日に向かった場所とは?

ポール・ウォーカーは、2013年11月30日に、自身の慈善団体「Reach Out Worldwide」のチャリティーイベントに参加するため、ハリウッドから北へ約40km離れたサンタクラリタ市のバレンシア地区に向かいました。

イベントが終わった後、ポールは自身が経営するカーショップ『Always Evolving』に向かいました。

Associated Press/YouTube
赤色の2005年製ポルシェ・カレラG

共同経営社の一人ロジャー・ロタスは、募金活動の会場で展示された赤色の2005年製ポルシェ・カレラGTをガレージに駐車していた。

その後、車をガレージに駐車し終えたところに、ポールがロジャーに歩み寄った。「おい、ドライブに行こうぜ(”Hey, let’s go for a drive.)」と声をかけ、ポルシェ・カレラGTに飛び乗った。そのドライブ中に事故は起きた。

カーショップの共同経営者の一人であるロジャー・ロダスは、チャリティーイベントの会場で展示していた赤色の2005年製ポルシェ・カレラGTをガレージに駐車していました。

ロジャーが車をガレージに駐車し終えたところに、ポールがロジャーに歩み寄り「おい、ドライブに行こうぜ(”Hey, let’s go for a drive.)」と声をかけ、ポルシェ・カレラGTに乗り込んだと。そして、そのドライブ中に事故が起きてしまった。

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事故現場は静かな道路だった

事故現場はカーショップから約274メートル離れた場所、カリフォルニア州サンタクラリタのバレンシア地区にあるロード・アンド・トラック(Road and Track)という企業が所有するビルの近くの道路で、制限時速45マイル(約72キロ)の、比較的な静かな道路だった。

法定速度の2倍!!カレラGTが炎上した現場で何が起こったのか?

午後3時30分頃、ドライバーが何らかの理由で車の制御を失い、歩道に突っ込み、木と街灯に衝突しました。ロサンゼルス郡警察によると、カレラGTは事故時に約150km/hで走っていたとのことで、これは法定速度の72km/hの2倍です。

「まるで戦場」ポール・ウォーカーの死亡現場に衝撃

衝突の影響で車は180度回転し、助手席側が木にぶつかり、炎上しました。また、衝突で飛んだ車の破片が周りの建物を壊しました。地元新聞の記者は、事故現場を見てまるで戦場のようだったと語っています。

目撃者によると、車は半分ほどに潰れ、中に人がいるとは思えなかったそうです。事故当時、ポールの親友とロジャーの8歳の息子も現場にいて、2人を救おうとしましたが、激しい炎に阻まれたといいます。

保安官が通報を受け現場に到着したときには、車はすでに炎に包まれていました。消火活動が行われ、2人は救出されましたが、すでに亡くなっていました。

ポール・ウォーカーの死因が判明!衝撃の真実とは

ロサンゼルス郡検視局が死因を明らかにし、死亡証明書が発行されました。検視局の発表によると、ロジャーは衝突の外傷でほぼ即死でしたが、ポールは外傷と火傷が原因で、衝突直後はまだ生きていました。

ポールの友人が燃え始めたポルシェから彼を救出しようとしたが、成功しなかったことが気になります。もし消防隊員が救助活動を続けていたら、ポールは助かる可能性があったかもしれません。

しかし、TMZ.COMが入手した死亡証明書によれば、「ロジャーは車が炎上する前に即死し、ポールは即死ではなかったが、外傷を受けた後、炎上による火傷で亡くなるまでの時間は非常に短く、ほぼ即死状態だった」とのことです。

【危険運転が招いた悲劇】ポール・ウォーカー事故の最終報告書

米ロサンゼルス郡の保安官事務所は事故原因は安全を無視した高速運転とする最終報告書を発表した。

この調査では、ポルシェの米国法人であるポルシェカーズノースアメリカが、カレラGTに関するデータを提供し、全面的に協力しました。調査結果によれば、事故の原因は車両の問題ではなく、ドライバーの危険な運転が原因とされました。

ポルシェカーズノースアメリカは2014年3月26日に声明を発表し、「ポルシェ車での死傷事故は悲しい出来事」としつつ、「今回の事故では、車にメカニカルな不具合はなかったことが証明された。私たちはカレラGTを支持する」とコメントしました。

またこの調査には、ポルシェの米国法人、ポルシェカーズノースアメリカが、カレラGTに関する様々なデータを提供して、全面的に協力。当局は事故の原因について、車両側に問題はなく、ドライバーの危険な運転行為によるもの、と結論づけた。

「ボーイズが帰ってくるぜ」最後のツイート

ポール・ウォーカーの最後のツイートは、「ワイルド・スピード7」についてで、「ボーイズが帰ってくるぜ」「覚悟はいいかい?」だった。

ハリウッドが沈む…。ポール・ウォーカーの突然の死

共演者たちはショックを受け、撮影に戻れる状態ではなかった。「誰も映画のことを考えられない」と情報筋は語っていました。

次の撮影シーンはジョージア州アトランタで予定されており、ポールが重要な役割を果たすはずでした。しかし、出演者とスタッフは動揺しており、撮影現場に行っていませんでした。

撮影の休止を求める声もあるようです。ユニバーサル・スタジオは映画の今後についてコメントしていませんが、未撮影の部分にはポールのシーンが多く、脚本を大幅に変更する必要がありました。

共演者のドウェイン・ジョンソンはポールの死について、「みんなが悲しみにくれている。ウォーカー家族に力、愛、信仰を」とツイートしました。

ヴィン・ディーゼルは、「兄弟、君がいなくて寂しい。言葉が見つからない。天使が増えたんだね。安らかに眠って」とインスタグラムに投稿しました。

『ワイルド・スピード』シリーズの監督ジャスティン・リンは、「ポールは自己中心的な世界で、無私で誠実な人だった。愛してる、兄弟」と述べました。新作の監督ジェームズ・ワンも、「悲しみで胸が張り裂けそう。今は何も考えられない」とツイートしています。

若手スターたちが続々とポール・ウォーカーの突然の死を悼むツイートを発表しています。『Glee』のケビン・マクヘイルは「ポールの死は悲しすぎる。若すぎて信じられない」とつぶやきました。

『The Tomorrow People』のロビー・アメルは「悲しいニュース。素晴らしい作品をありがとう」とツイートし、『ARROW/アロー』のケイティ・キャシディは「悲しすぎる。彼は人々の心に残るでしょう」とコメントしました。

多くのセレブや関係者も、ポールの業績と優しい人柄を称えるツイートやコメントを発表しています。彼の急な死に、ハリウッドは大きな悲しみに沈んでいます。

ポールの恋人ジャスミンが悲しみに暮れる

ポールの恋人であるジャスミン・ピルチャード・ゴスネルも悲しみに暮れています。ポールは1998年に長女をもうけましたが、結婚はせず、元ガールフレンドと別れた後の2006年にジャスミンさんと交際を始めました。

ジャスミンは現在23歳で、ポールさんより17歳年下です。二人は7年前、ジャスミンが16歳のときから交際していました。彼女はポールの自宅を弔問し、遺族と一緒に3時間過ごした後、涙に暮れた様子で外に出てきたと報じられています。

ジャスミンのおじであるバートン・ブルーナーは、「ポールさんは本当にいい人で、ジャスミンは悲劇に打ちひしがれている」とコメントしています。

「さようなら、兄弟」- 共演者たちが思いを馳せた事故現場

ポール・ウォーカーの共演者たちは、彼の事故現場を訪れて彼を弔い、追悼の意を示しました。

Vlad Abovyan/YouTube
ヴィン・ディーゼルのポール・ウォーカーへの愛

12月2日の夜、ポールが亡くなった現場を訪れたヴィン・ディーゼルは、警察車両のスピーカーを借りてファンに感謝の言葉を述べた。

「今日は集まってくれてありがとう。もし俺の“兄弟”がここにいてくれたなら、そしてみんなの中にある彼への愛を見ることができたなら、もし彼が俺の愛を見られたなら……」

「みんながポールに示してくれた愛情に感謝したい。みんなの気持ちは、いつまでも自分と一緒だ。ありがとう、ほんとうにありがとう。天国にいる天使である彼(ポール)へ、感謝の気持ちを示してくれて」

ヴィン・ディーゼルのこの姿にファンからも感謝の声が聞かれた。

ポール・の死から1週間後、ヴィン・ディーゼルは何を語ったのか

死の衝撃から1週間後に、代表作「ワイルド・スピード」シリーズで共演し親友だったヴィン・ディーゼルは、訃報を受けてすぐにポールの遺族の元に駆けつけた様子を明かしてくれた。

「聞いて、すぐにカリフォルニアに戻り、飛行機を降りてそのまま彼のお母さんの家に向かった。彼らが僕の強さを必要としていると考えた。でも、家族の前で泣き崩れてしまった。僕の方こそ彼らの強さを必要としていたと気づいた」とヴィンは綴る。

「彼のお母さんが僕にハグしながら『気の毒に』と言ってくれた。僕は『そんな。あなたが息子を亡くしたのに』と言った。すると彼女は『そうよ。でも、あなたは相棒を亡くしたのだから』と言ってくれた」

ヴィン・ディーゼルは、ポールの死後に生まれた自分の娘にポールから取った「ポーリーン」という名前をつけた。ヴィンは今でも、自身のSNSでポールへのメッセージをたびたび綴っている。

タイリース・ギブソンが事故現場でポール・ウォーカーに花束を捧げる

俳優・歌手のタイリース・ギブソンが映画『ワイルド・スピードX2』などでの友人だったポール・ウォーカーさんの死亡事故現場を訪れ、涙を流したとTMZ.comなどが報じた。

タイリースは2003年に公開された2作目の『ワイルドスピードX2』からブライアンの旧友、ローマン役としてシリーズに参加した。ローマンはファミリーの中でもムードメーカーのような存在で、ブライアンとは非常に仲が良かった。

「心が痛い。現実に起きたことだなんて信じられない。彼の40歳の誕生日を祝ったばかりだったのに。こんなことを書いているなんて信じられない」とInstagramでつづっていたタイリースは、事故から24時間がたたないうちに1本の黄色の花を手に事故現場を訪れた。

タイリースはファンが添えたたくさんの花束の周りを歩き、感情をコントロールしようとするも涙が止まらなかった。花を添えると重い足取りで立ち去っている。

事故現場には多くのファンや報道陣が集まっていたが、タイリースが苦しげな表情でポールさんの死を悼む間、皆静かにしていた。

MkElite/YouTube

ポール・ウォーカーの家族、世界中からの愛と善意に感謝

ポール・ウォーカーの遺族は、世界中から寄せられた弔意に感謝を示すため、Facebookの彼の公式ページで以下のようにお礼の言葉を投稿した。

「ポールの家族は、多くのファンや友人が寄せてくださった愛と善意に感謝してます。彼らは、花や贈り物の代わりに、ポールの慈善団体『Reach Out Worldwide』(ROWW)に寄付していただけるよう願っています。寄付は同団体の公式サイトから行えます」

追悼式に何千人ものファンが参加

追悼式が12月8日に事故現場で行われた。これはポールさんとロジャーさんを偲んで、南カリフォルニアの車好きコミュニティ「SoCal Car Meets」がフェイスブックで告知したもの。

混雑が予想されていたものの、何千人ものファンが集まり、道は花束やろうそく、メッセージボードで埋め尽くされた。参加者は、用意された大きなトラックにメッセージを書き、追悼の意を示していた。

Grow420Guide/YouTube
Vlad Abovyan/YouTube

【ポール・ウォーカーの最期】家族や友人らが静かに見送る

12月12日にポールは火葬され、14日には父親や兄弟が参列し、親族や親しい友人ら40人ほどで静かな葬儀が行われた。事故死後の14日間は遺体確認に手間取るなどトラブルがあったが、検視が終わり遺体が家族に返された。

火葬された遺灰はハリウッドヒルズの霊園「Forest Lawn Memorial Park」に埋葬された。葬儀は短時間で終わったが、遺族は近く親しい人々を招いて追悼式を行った。

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娘ミドウとの大切な時間

生涯独身だったポールには、元恋人との間に15歳の娘ミドウがいた。ミドウは母親レベッカと一緒に住んでいたが、父親ともっと一緒にいたいと思い、事故前にポールと一緒に住み始めていた。

ポールは自動車事故で亡くなる約2週間前に、米UsWeeklyのインタビューで、最近一緒に住み始めた娘との関係について、「25歳の時に娘が生まれて本当に良かった。40歳になり、娘が15歳になった今、すごく楽しい。うまくいっていて、本当に最高だ」と話していた。

Entertainment Tonight/YouTUbe
娘との時間を優先し俳優業から休業を検討していたことが明らかに

ポールさんは娘との時間を大切にし、俳優業を辞めることも考えていたようだ。「娘と一緒に暮らし始めて幸せだったし、娘は永遠の恋人のような存在だった。

十分な時間が取れないと思っていたので、彼女と一緒に暮らせることを喜んでいた」と関係者がコメントしている。

ポールの父親も、「ポールは娘ともっと時間を過ごすために、映画出演から休業し、ハリウッドから距離を置こうとしていた。ポールは娘を誇りに思い、彼女が賢く美しいので、成長の過程にそばにいたかった」と語っていた。

「ワイルド・スピード」シリーズ、第7作の製作休止が発表

2013年7月に公開された『ワイルド・スピード EURO MISSION』は成功を収め、続編の第7作も2013年9月から撮影が始まっていた。しかし、俳優のポール・ウォーカーさんが亡くなったことで、『ワイルド・スピード』第7作の製作が一時休止されることが決まった。

配給元のユニバーサル・ピクチャーズは、「多くのファンの期待に応えるため、適切なタイミングで発表を行う予定だ。しかし、今は親友であるポール・ウォーカーを悼むための時間が必要だ」とコメントした。

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ポール・ウォーカーは映画の中で生き続ける ── 涙なしには見られない感動のフィナーレ(後編)

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