この記事では、日本のお笑い芸人である兼近大樹について紹介しています。兼近は幼少期から困窮した生活を送り、プロ野球選手になる夢を持っていましたが、家計を支えるためにバイトを掛け持ちし、定時制高校を中退しました。しかし、逮捕されるなど苦難も経験しました。
そんな中で、逮捕後に相部屋の男性から教わった漢字の読み方を覚え、本を熱心に読む中で、又吉直樹さんの本に影響されて芸人になる決意を固めました。その後、EXITとして活躍し、M-1グランプリで準優勝を果たし、若者を中心に話題となりました。
しかし、過去の逮捕歴が明るみに出るなど、兼近には葛藤もありました。記事では、兼近がどのような経験をしてきたのか、また、彼が芸人になるきっかけとなったエピソードなどを紹介しています。
Kanechi from EXIT
兼近大樹
兼近大樹(かねちか・だいき、1990年1月12日生まれ)は、日本のお笑い芸人であり、吉本興業所属。お笑いコンビ「EXIT」のメンバーであり、相方はりんたろー。兼近はツッコミ担当で、その独特のキャラクターと、緻密なツッコミで人気を博している。
主な活動
EXITは、YouTubeやテレビ番組での活躍が特に注目されている。2018年には、EXITのYouTubeチャンネルが開設され、その独自のコンテンツが若者を中心に話題となり、登録者数は急増。また、テレビ番組では、「アメトーーク!」、「しゃべくり007」、「ネタパレ」などのバラエティ番組に出演し、多くのファンを獲得している。
兼近大樹は、他のお笑い芸人と共演する際にも、独自のキャラクターで場を盛り上げ、共演者からも評価が高い。特に、兼近の「ムキムキボディ」は、彼のトレードマークとなっており、多くの芸人からリスペクトされている。
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受賞歴
EXITは、これまでに数々の賞を受賞。2018年には、M-1グランプリで準優勝を果たし、全国的な知名度を獲得。その後も、各種お笑い賞レースで高い評価を受け、その実力を認められている。
SNS活動
兼近大樹は、自身のTwitterを頻繁に更新し、ファンとのコミュニケーションを大切にしている。近年、彼を「かねち」と呼ぶファンが増えていることに言及し、彼自身もその愛称を気に入っている様子。ただし、Twitterのトレンド入りをするワードが4文字以上であることを踏まえ、兼近はファンに対して、今後は「かねちー」と呼んでほしいと要望している。この要望に対し、ファンからは賛同の声が上がり、彼の愛称がさらに広まるきっかけとなっている。
ねぇちょっと今更なこと言ってもいい?
— EXIT 兼近 (@kanechi_monster) April 8, 2020
そういうの大好きだ!
「かねち」って呼んでくれるパリピが増殖びーあんびしゃすじゃん?でもTwitterのトレンドが4文字以上からって事もあり言っておきます。
本日4月8日をもって正確には「かねちー」だとここに宣言致します。
チャラ閣パリピ大臣 兼近大樹
貧しい家庭での育ち
兼近大樹は、貧しい家庭で育ったという経験を持っており、そのことから「欲しいもの」に対する感覚が特殊だと語っている。彼は、「みんな、この世の人達って何々が欲しいとか。車が欲しい、良い家住みたい、ブランド物がどうのって言っているんですけど、僕その感覚が全く分からなくて」と告白。その理由について、「多分、何かを欲しいって言っても与えられなかった日々の方が多いから」と推測し、「自分が今、何を欲しいのかいまだに把握できていない」と話している。
また、EXITのりんたろーと漫才のネタ作りをする際にも、兼近の貧乏エピソードが影響を与えたことがあるという。りんたろーは、チャラエピソードをネタにしようとした際に、「貧乏エピソードになっちゃうみたいなネタ」を書こうと考え、兼近にエピソードを送ってもらったことがある。
兼近から送られてきた話は、「小さい頃、誕生日ケーキが買えなかった時、星を眺めていた兄が手で輪っかを作って星を囲み『ほら、ケーキだよ』と言ってくれたんだ」というものだった。りんたろーは、その話を聞いてネタを書きながら涙が流れ、「全然、笑えないや」と感じ、そのネタをボツにしたという。
「怪我じゃない!成長痛」
EXITのりんたろーが、過去に一番仲が悪かったと思うエピソードについて語った。そのエピソードは、多忙で体調不良が続いた兼近を心配して「病院に行け」と言ったにも関わらず、遊びに行ってしまったことが原因だという。しかし、そんなときでもりんたろーは怒鳴ることはなく、兼近の過去を踏まえて納得しているという。
兼近は、幼少期に貧乏で病院に行く習慣がなく、どんなケガをしても「成長痛」と言われて病院に連れて行ってもらえなかったと話している。さらに、「明らかに腕が折れているのに、成長痛とか」と言い、兼近は「一番ヤバかったのは、切り傷で成長痛って言われて。さすがに俺もわかるぞ」とコメントし、スタジオの笑いを誘った。
このエピソードからも、兼近大樹の幼少期の苦労や家庭環境が彼の現在の行動や性格に影響を与えていることがわかる。また、りんたろーとの信頼関係が築かれていることも伺え、EXITの二人の絆の深さが感じられる。
壮絶!?兼近大樹の物語
1991年、北海道札幌市に4人きょうだいの3番目として生まれた兼近大樹は、幼い頃から生活は貧しく困窮していたという。
幼少期は両親が共働きで、ご飯も満足に食べられないような家庭だったと兼近が語っている。特に夏休みは学校が休みのため給食が食べられず、彼にとって「きつかった」と言っていました。
兼近は、妹と一緒に知らない人の家にピンポンを押して、走って逃げるという遊びをしていたと明かしている。そして妹に転ぶ演技をさせて捕まり、妹が注意されている間に謝りに戻って、その人の家でご飯を食べるという行為を繰り返していたという。
ご飯はティッシュにマヨネーズ
さらに、極貧の生活でティッシュにマヨネーズを付けて食べていたという兼近は、「1枚丸々じゃないですよ。ティッシュってこう、ペリペリ~って1枚のやつが2枚になるじゃないですか」と話し、「ちゃんと分けて、その片方を食べてました」と補足している。
3歳の誕生日は薄いケーキが出てたみたいです🦄🍬
— EXIT 兼近 (@kanechi_monster) May 10, 2020
今後共よろたのふぉーえばー🦕🍭
ファンの野郎どもがやってる#兼近語録 ってやつ照れション垂れ流し案件だからやめて。笑#兼近大樹誕生日 pic.twitter.com/GxLPr9KvlK
父親の自己破産と両親の離婚
兼近大樹の父親は建設業をしていたが、自己破産し、兼近が中学3年生の時に両親は離婚。その結果、兼近と2歳下の妹は母・照美さんに引き取られ、貧困家庭で育つこととなった。照美さんは昼間は工場で働き、夜はスナックで働くという過酷な生活を送っていた。
「もやしフェスティバル」兼近家の明るい食卓風景
兼近は、当時住んでいた家について、「小学校の時に社会科見学で見た屯田兵の家とほとんど同じ。ダメージ入れてチャラついていた」と説明している。しかし、照美さんの明るさによって、「楽しく貧乏をかじらせてもらっていた。ハッピーチャラ貧乏だった」と笑顔で回想している。
貧乏な家庭であっても、母親の明るさに影響されて幸せに過ごしていた兼近家の食卓風景は、特に印象的だ。例え食事が大量に茹でた「もやし」だけだったとしても、家族はいろんな調味料を使って食べる「もやしフェスティバル」を開催。家族全員が明るくノリノリで食事を楽しんでいたという。
また、兼近は幼少期にお母さんがスナックで働いていたことを明かし、「小学校のとき、よく行ってたんですよ」と告白。スナックでの経験を通して、「おじさんたちにいろいろ教え込まれて、『乾杯するときは、グラスを下げるんだよ』とか」と学んだことも振り返っている。
お年玉で母にプレゼント
兼近大樹は少年時代に、母親のために自分がもらったお年玉で包丁を買おうとしたエピソードを明かしている。当時、母親が「包丁が切れない」と言っていたことを思い出し、「自分のために使うわけにはいかない」と考え、一人で包丁を買いに行ったという。
しかし、当然ながら5歳児には包丁を売ってもらえず、店員から「何に使うの?」としつこく聞かれたという。最終的に、どうしても母親にプレゼントを持って行きたくて、警察と一緒に持って行ったという。
母を助けるために!中学の頃に新聞配達を始める
兼近大樹は中学生の頃、家が貧乏だったため家計を支えたいと考え、学校や役所に許可をもらって新聞配達のアルバイトをしていた。兼近は朝、学校に行く前に新聞配達をし、友達に働いていることがバレないようにこっそりと働いていたという。
新聞の量が多く、北海道の家と家の距離が離れているため、大雪の中でも自転車で配達しなければならなかった。しかし、転んでしまうと新しい新聞を受け取りに行かなければならず、そのため学校に遅刻する可能性があった。そこで兼近は、転ばない走り方を編み出すことで遅刻を防いでいたという。
「妹の学費を稼ぐため」野球の夢を諦め断り定時制高校へ
兼近大樹は、幼少期にプロ野球選手になることを夢見ていて、中学時代に野球部で活躍し、甲子園を狙える強豪校からオファーを受けるほどのレベルでした。
それでも兼近は自身の家庭の貧困状況からその道は現実的に無理だと思っていました。
兼近は小学校の卒業文集に、「プロ野球選手になりたいですが、無理な可能性があって、でも、とりあえず凡人にはなりたくないです」と書いたと語っている。
家計を考慮した結果、オファーを断り定時制高校に進学。妹の学費を稼ぐために、昼間はとび職、夜は居酒屋で働きました。
兼近は幼い頃からできることが少なく、諦めることが多かったという。しかし、兼近は何とかして有名になりたいという思いを持ち続けていました。そのため、彼は手段を問わず、自分の夢や目標に向かって努力を続けたのです。
多彩なバイト経験
兼近大樹は、中学卒業後に様々なバイトを掛け持ちしていた。業種は飲食店業がほとんどで、ファミレス、コンビニ、焼肉屋、たい焼き屋、たこ焼き屋などの経験がある。また、テレアポ、カラオケ、パン工場、鮭の缶詰工場、車のネジを作る工場などでも働いていた。さらに、ベビーシッターの仕事も経験しており、彼がやっていないバイトが思いつかないほどである。
兼近は、多くのバイトを経験することで自分に合った仕事を見つけることができると考えていた。興味を持って始めたバイトが合わないと感じたら、次のバイトを探すようにしていた兼近の考え方は、自分の人生の選択肢を自分で判断し、どの仕事が楽しいかを見つけたかったというものである。
また、兼近は一時期、週に一度バーテンダーの仕事をしていた。兼近によれば、バーは様々な人が集まり、駆け引きがある場であり、人を見る目を養うことができる場だと思っている。性格的にバーの世界観を楽しめなかったものの、その経験によって人を見る目が養われたと感じている。そして、バイトを選ぶ際に出会いやお給料を求める人にはバーテンダーの仕事が向いていると語った。
定時制高校中退後、家計を支えた10代の苦悩と覚悟
兼近は定時制高校を中退し、家計を支えるために10代から働き始めました。
兼近は「遊んでるのも楽しくなくなったし、勉強もしたくないから、高校に行かないで働く」と母親に言っていましたが、母親は「言わないけど、絶対、家のために…」兼近が家のために働く決断をしたことを感じてました。
兼近は当時のことを振り返り、「なんとかしなきゃ」という思いがあったと語っており、ほとんどの全額を家に入れていました。
また、兼近はビルの足場を組む仕事をしており、特に冬は非常に寒くて足が壊死するのではないかと思うほどでした。それでも、当時から勢いがあり、ケガをしても良いというスタンスで働いていたと言います。兼近がこのような仕事をしていたのは、周りの友達が高校に通っている16~18歳の頃でした。
貧困と孤独が生んだ歪んだ価値観
その頃から、兼近は、不良グループとつるんで夜の街で遊んでいました。周囲には同じような家庭環境で育った人たちが多く、その中で彼は「一緒にいた友達は両親がいない。それが当たり前。片親も当たり前」と感じるようになりました。
そのため、ちゃんと学校に通い、親からお小遣いをもらって何かを買うような人たちが異常に映っていたと兼近は語っています。「なんだこいつら、自分で何かをやったことがあるのか。その習い事は親のお金でやっているんだろ」と、兼近は当時のことを振り返り歪んだ考えを抱くようになったと明かしています。
【1度目の逮捕】兼近が犯罪に手を染めるまでの経緯と歪んだ考え
この歪んだ考によって兼近は逮捕される事になります。
18歳のときに、知人から夜の店のボーイのアルバイトを勧められ、軽い気持ちで受けたことが、闇の世界への入り口となりました。特にやりたい仕事もなかった兼近は、その世界にどっぷりハマってしまいました。
その仕事の中で、何気なく行っていたことが、実は女性への犯罪斡旋として法律に触れるものでした。その結果、「女性に犯罪行為をあっせんした容疑」で逮捕され、20日間の拘留の上、5万円の罰金刑を受けることになりました。
逮捕容疑は、札幌市の高校3年生の女子生徒(当時19歳)が携帯電話の出会い系サイトを通じて知り合った男性と市内で“いかがわしい行為”などを行い、現金1万5000円を受け取らせたことでした。
兼近は、「法に触れるということは分かってた上で、僕が未成年のころは『それの何がいけないんだ』でしたね」と、当時の歪んだ考えを振り返っています。
【2度目の逮捕】1000万円の窃盗事件疑惑も不起訴処分で釈放
さらに2012年8月に兼近は、札幌で発生した1,000万円の窃盗事件への関与を疑われ、再び逮捕されました。これは、最初の逮捕から約9ヶ月後のことです。
兼近さんの母親、照美さんは、逮捕が自分の目の前で起こったことを語り、番組の取材に応じて「思い出してもあれなんだけど、玄関で…この子逃げないから手錠はかけないでくれって(言った)。あのときの出来事が一番つらい」と涙を流しながら話しました。
この事件に関しては、10日間の勾留の末に不起訴処分となり、兼近さんは釈放されました。
兼近が違和感を感じ、闇の世界から抜け出すまでの葛藤
兼近は不良グループと行動を共にしていましたが、自分の中の正義と一致しないことがあり、徐々に違和感が溜まっていったと述べています。
例えは「ポイ捨てが絶対に許せなくて、それで揉め事になることもあった」と話しています。また、お酒も好きではなく、タバコも吸わず、先輩から勧められても喫煙を拒否して喧嘩になることもありました。兼近は「変な正義感というか、自分ルールみたいなものが昔からあった」と振り返っています。
兼近は、漫画『クローズ』に出てくる「正義のあるワル」と「正義のないワル」の例を挙げ、「自分は正義のあるワルが好きだったはずなのに、そうあろうとしてもなれない」と話しています。悪い環境や法律に触れる行為をしていることで、徐々に自分が望んでいた姿とは違うことに気付き始めていたのです。
逮捕されたことで、兼近は自分が抱いていた違和感やズレが確信に変わり、「抜け出さなくてはいけない」と思う決定打になりました。「いろんな人に迷惑をかけてしまいました。
警察の人といろいろ話すうちに、今いる場所は僕のいるべき世界じゃないのかもしれないと思い始めました」と語っています。
留置所で読んだ芸人・又吉直樹のエッセイから芽生えた希望
兼近の人生における決定的な転機は、2度目の逮捕で10日間拘留されていた時に友人から差し入れされた又吉直樹の著書『第2図書係補佐』でした。この本は芸人・又吉直樹が自らの人生のさまざまなシーンを綴りながら、彼がこれまで読んできた本を紹介する自叙伝のようなエッセイ集です。
兼近は、勾留中に相部屋の男性から漢字の読み方を教わりながら、熱心に本を読みました。兼近は「それまでは活字を読むのも馬鹿らしいと思っていました」と振り返ります。しかし、「又吉さんの本を読んだら、めちゃくちゃおもしろかった」と語ります。
兼近は、本を読むことで自分と同じような考え方や感覚を持つ人がいることを知り、孤独感がなくなっていったと言っていました。。その共感は次第に「憧れ」へと変わり、「自分もその世界に行って、誰かの力になったり、誰かを変えられる人間になりたい」と芸人という職業に強く惹かれるようになっていきました。
また、「誰かのために何かをすることが、自分が生きている意味になるんじゃないか」と考えるようになりました。
現在もほとんどテレビを見ないと公言している兼近さんですが、本を通して芸人の生き様に触れ、自分の人生の方向性が変わったのでした。
兼近と又吉直樹の人生を繋いだ本の力
又吉直樹は後に兼近さんが彼の本に影響されて芸人になったという噂を聞いていたと語りました。そのことがとても気になっていたと言います。しかし、兼近と又吉さんの芸風が非常に異なるため、又吉は「本当に彼!?」と驚いた様子でした。兼近が又吉さんの本を読んで人生が変わるきっかけとなったことは、又吉にとっても興味深い話だったようです。
逮捕、警察官の言葉、そして故郷を飛び出した22歳
さらに、闇の世界からの脱出を後押ししたのは、また別件で拘留された後、嫌疑が晴れて釈放された際に関わった警察の人でした。
自分を逮捕した刑事から「芸人になりたいなら東京へ行ってみたらどうか、今までの友達とは縁を切れ」と言われた兼近は、決意を固めました。
そして、「売れるまで帰らないから」と母親に告げ、22歳で故郷を飛び出しました。
不良グループから芸人へ、決断が人生を変えた
このことについて、兼近さんの知人は、「あんなに世話をしてやったのに、何なんだ」と怒っている地元の人間は少なくないと証言していました。兼近の地元の人たちにとっては、仲間が外の世界へ行くことは「裏切り行為」であり、道理に反すると思っていたのです。
それでも兼近さんは、地元で自分が死んだという噂まで流し、自身の過去を抹殺して上京する道を選びました。これが彼の人生を変える決断となり、兼近は芸人として成功への道を歩み始めました。
鬼塚英吉に影響された「死んだ」という設定
兼近は、自分が「死んだ」という設定を作って上京したことについて、大ヒット漫画「湘南純愛組」「GTO」の主人公・鬼塚英吉に影響されたと語っていました。
兼近は「鬼塚が先生になる前の話『湘南純愛組!』から始まって、そこで鬼塚は失踪するんですよ。(鬼塚が)地元から消えるんですよ、気付いたら先生になってるってエピソードなんです」と説明しました。そんな鬼塚に憧れ、兼近さん自身も“死んだ”という設定を作って上京したことが、一部での“死亡説”に繋がったと語っていました。
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りんたろー。との出会いとEXIT結成
北海道から上京した兼近は、養成所の授業料を稼ぐために上京当日にアルバイトの面接を受けました。
そしてお弁当配達、コンビニ、そして居酒屋という3つの仕事を掛け持ちし、移動の電車で寝るくらいの忙しい生活を送りました。「荒い人が多い」という環境で働いていたようで、兼近が作った料理を別の店員が手づかみで皿に乗せて、「運べ!」と言ってくることがあったという話です。
厳しい状況の中でも働き続け、1カ月で約50万円のバイト代稼ぎ、それをNSC(吉本興業のタレント養成所)の学費に充てて入学しました。
上京から4カ月後、兼近大樹はお笑いの養成所「東京NSC」に入学し、現在の相方・りんたろー。と出会いました。
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兼近大樹とりんたろー。が歩んだ芸能界の道
芸歴5年目の2017年に二人はコンビ「EXIT」を組むことになりましたが、兼近は自身の逮捕歴が明るみに出た場合、りんたろー。に迷惑がかかることを懸念し、過去のことを打ち明けました。
兼近さんは解散も覚悟していたといいますが、りんたろー。からは「いいよ、過去にことは気にしねーよ」「その時は2人で考えよう」と、兼近さんの過去を受け入れました。これにより、二人は信頼関係を築き、お笑いコンビとして活動を続けていきます。
EXITを結成後、兼近大樹とりんたろー。はすぐに才能を発揮し、人気番組「アメトーーク!」や「ダウンタウンDX」などに出演しました。知名度が上がった現在も、札幌時代から守っているポリシーがあります。それは、自分がやりたいと思ったことだけをやるというスタイルです。
【2019年9月5日】『週刊文春』で兼近の過去が掲載
順風満帆に見えたEXITでしたが、2018年9月5日発売の『週刊文春』(文藝春秋)が、過去に兼近大樹が逮捕されていたという記事を掲載しました。同誌では、売春あっせん逮捕のほか、2つの“疑惑”について報じています。
兼近が窃盗で逮捕されていたこと、また上京の資金作りとして知人女性から100万円を“借りパク”していたことについてですが、兼近はこれらを否定しました。しかし売春あっせんについては「簡易裁判で、罰金刑10万円で出てきました」と、はっきり認めています。
この報道が出ると、未成年のときの過ちとは言え、世間の反応は一変し、厳しい意見が飛び交いました。兼近に対して、「優しそうに見えて犯罪者だったなんて消えて欲しい」「犯罪者がテレビに出ていいのか?」「相方を裏切るなんて兼近の印象最悪」といった意見が相次ぎました。さらには、決定していたレギュラー番組の出演が見送られ、イベントへの出演も取りやめになりました。
直撃取材を受けた兼近は事実関係を認め、「正直いつか絶対バレることなんで、吉本にはずっと話していて。絶対に誰か気付くんで、それが今、文春さんが知ってくれたということで正直嬉しかったです」とコメントしました。兼近は逮捕されて法律の大切さを知り、過去の関係を断ち切って上京したと語っています。
「いつかは絶対来ると思っていた」ーー。大ブレイク中の若手芸人・EXIT兼近が約20分にわたり記者の質問に答えました。《完全版》動画は「週刊文春デジタル」で9月5日午前5時公開。https://t.co/1gtqAEKvAl pic.twitter.com/hlJrfhQxXJ
— 文春くん公式 (@bunshunho2386) September 4, 2019
週刊文春報道に抗議する吉本興業
兼近大樹が所属する吉本興業は、公式ホームページで週刊文春の報道に抗議しました。吉本興業は、「兼近が未成年であり、弊社に所属して芸能活動を開始する前の2011年の時点における事実を、公益を図る目的なく報道するものであり、弊社所属タレントのプライバシー権・名誉権に対する重大な侵害にあたると考えざるを得ません。また、本件記事は、兼近が何らの刑事処分を受けていない事実についても、あたかも兼近が犯罪行為を行ったかのように伝えており、この点においても、弊社所属タレントへの著しい権利侵害となるものです」とコメント。同誌発行元の文芸春秋に対し、民事・刑事上の法的措置を検討すると発表しました。
週刊文春編集部は、公式ホームページを更新し、「『週刊文春』は今回、兼近さんの過去について、新たな情報を入手し、逮捕時に兼近さんは成人だったこと、その事実は、実名で報道されていることを確認しました。また、当時の関係者にも取材を行いました」と説明。そして、「3ページにわたる記事をお読みいただければわかるように、『週刊文春』記事は逮捕の過去によって現在の兼近さんを否定するものではありません。兼近さんという芸人がいかに生まれたのかを、ご本人の言葉によって伝える記事であることは、読者の皆様にご理解いただけるものと思います」と記事の意図を伝えました。
りんたろー。がツイッターで明かす、兼近大樹との絆。
兼近大樹の相方であるりんたろー。は、兼近の逮捕報道について、ツイッターで1600文字を超える文章を投稿しました。「記事の本人が言っている事に関して、僕はコンビを組む時に聞いていました」と述べ、過去は変えられないものの、過去を悔い改めて今を歩むことができると信じていることを伝えました。
また、「だから僕は彼と一緒に目標に向かって走ることを選びました」とコメントし、兼近と出会わなければ今の幸せな日々が訪れることはなかったと感謝の気持ちを述べました。
さらに「兼近がいなければなかった人生。あいつと漫才した時、どん底にいた僕にまだあんたの人生は終わっていない。もう一回頑張る権利があると手をさしのべられた気持ちでした。身勝手ではありますが、今度は僕がそばに居て今のあいつを肯定してやりたいんです」という思いを吐露しました。
先輩や後輩、関係者の皆様
— りんたろー from EXIT (@rinnxofficial) September 4, 2019
応援してくださったファンの皆様
僕達に関わってくれた全ての方々へ pic.twitter.com/0J0glHpzqm
兼近大樹が報道に対する思いをツイッターで語る
2019年9月5日、兼近は、自身の過去の逮捕に関する報道を受けて、ツイッターで現状の思いと謝罪の言葉を伝えました。今回の報道について「むしろ世に事実を伝えられたので多少の感謝もあります」と述べ、公にできなかったことへの葛藤も吐露しました。
— EXIT 兼近 (@kanechi_monster) September 5, 2019
「いつか絶対バラさなきゃいけない、言わなきゃいけないこと」
兼近大樹が、2019年10月4日に放送されたTBS系「爆報!THEフライデー」に出演し、デビュー前の売春防止法違反での逮捕について謝罪しました。
兼近は「本当に申し訳ない」と謝罪し、過去の事件が明るみになったことについて「ほっとしていた」と語りました。「いつか絶対バラさなきゃいけない、言わなきゃいけないことでもありますし。本名でやってる以上、覚悟してましたね」と思いを明かしました。また、「突撃されたとき、そのことだっていうのは分かって、チャンスだって思いました。その場で洗いざらい話して。もしかしたら続けられなくなるかもしれないとは感じましたけど」と語りました。
兼近大樹、過去の逮捕についてテレビで告白し、自伝的小説の執筆を発表。
放送後、兼近はツイッターを更新し、視聴者への感謝を記しました。また、「真実を全て話しましたが、もちろんテレビでは描けない部分も多々あります。兼近自身も知りたい方には何もかも曝け出したいと思っていますので中卒のチャラ男が初めての自伝的小説の執筆に取り組んでいます」と伝えました。
「お金には興味なし、寄付」批判に反論
兼近大樹が自伝的小説の執筆を発表したことに対し、「過去の犯罪を印税に変えるのか」といった批判の声が上がりましたが、兼近は反論しました。「金儲けするなんて言ってません!そのお金は然るべきところに寄付するでござる!お金には興味ありません!生活ができれば!笑い」と語りました。さらに、「どこにも言ってなかったのですが正直な話、文春出るより先に書くことは決まってました。。。過去の暴露本の予定でした!」と明かしました。
5日間のホテル生活で集中力アップ
2021年1月には集中するために5日間ほどホテルに缶詰になり執筆をしました。なおその様子はEXITの公式YouTubeチャンネルで公開しています。
EXIT Charannel/YouTube
兼近大樹の自伝的小説「むき出し」が発売!
そして2021年10月27日、兼近大樹は自身初となる自伝的小説「むき出し」を発売しました。この本では、彼の過去の出来事や経験について詳細に語られており、読者に彼の成長や苦労を理解してもらうことを目指しています。
兼近が芸人を目指すきっかけとなった又吉直樹は、兼近の自伝的小説「むき出し」に対して、帯にコメントを寄せています。又吉は、「優しい眼差しが 純粋な言葉が 誠実な覚悟が 重要な小説を生んだ。」との言葉を贈っており、兼近の人柄や成長に対する評価を示しています。
過去を乗り越え、笑いを届ける。兼近大樹の軌跡
兼近は、過去の問題を背負いながら、現在もお笑いコンビ・EXITとして活躍しています。テレビ番組やライブイベントでの出演をはじめ、さまざまなメディアで活躍しており、多くのファンから支持を受けています。兼近の経験や努力、成長を経て、現在も引き続き笑いを届ける姿は、多くの人に感動や勇気を与えていることでしょう。今後も兼近さんの活躍が期待されています。