子グマから兵士へ ── 感動的な「ヴォイテク伍長」の成長物語

この記事では、第二次世界大戦中にポーランド軍に所属し、人間同様の役割を果たしたクマのヴォイテク(Wojtek)について紹介します。

ヴォイテクは、ポーランド軍の兵士たちと一緒に、弾薬箱を運んだり、敵兵の攻撃を防いだりするなど、戦争中に活躍しました。彼はポーランド兵たちに愛され、尊敬され、そして一緒に戦争中の苦難を乗り越えました。

戦後もヴォイテクは、ポーランド人たちに愛され続け、今も彼の勇気と忠誠心は多くの人々を感動させています。

この記事を通じて、ヴォイテクがどのようにしてポーランド軍の一員となり、彼の勇気や忠誠心がどのように称えられるようになったのか、そして彼の物語がどのように人々に伝えられているのかを探っていきます。

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昔むかし、あるところに一頭のクマがいました。クマは兵士になって戦場に行きました…。おとぎ話か童話のように思われるかもしれませんが、実は、そんなことが本当にあったのです。世界でいちばん有名なクマ、ヴォイテクの物語です。ALAバチェルダー賞(米国児童文学翻訳賞)受賞。(「BOOK」データベースより)

Wojtek

伝説の兵士「ヴォイテク伍長」

The Story Behind/YouTube

第二次世界大戦中、ポーランド軍には信じられないほどの特別な「兵士」がいました。その名前はヴォイテクで、彼はシリアン・ブラウンベアの子熊でした。

「ヴォイテク」という名前は、ポーランド語で「戦士」を意味する「wojownik」から派生しています。

ある日、ポーランド軍は1匹の小熊と出会った

ある日、ポーランド軍の若いふたりの兵士がパレスチナの山岳地帯でイラン人の少年と出会いました。少年は袋を抱えており、その中に子クマがいました。兵士たちは、この子クマに興味を持ち、少年と取引をすることにしました。彼らは食べ物やチョコレート、スイスナイフなどを提供し、見返りに子クマをもらいました。

そして、兵士たちは、子クマをヴォイテクと名付けて飼うことにしました。

兵士たちの癒しのマスコット

ヴォイテクはポーランド軍の部隊マスコットとして、兵士たちの間で愛され、彼らの精神的な支えとなりました。過酷な戦場にあって、兵士たちは孤独や不安に苦しむことがありますが、ヴォイテクの存在は彼らに希望や勇気を与え、彼らが自分たちの人間性を失わずに戦えるようになりました。

また、ヴォイテクは兵士たちにとっては心のよりどころであり、戦争で体験するような非人間的な出来事に直面することがあっても、彼らが自分たちの感情を保ち、共感することができるようになりました。このように、ヴォイテクは戦争において、兵士たちが人間性を保ち、心の支えを見つけることができるようになるために、非常に重要な存在となったのです。

好きなものは「ウォッカ」「タバコ」

幼いヴォイテクは最初のうちは食べ物をうまく食べることができず、兵士たちは様々な方法を試して彼を育てました。その中には、薄めたコンデンスミルクをウォッカ瓶に入れて与える方法もありました。この時にウォッカ瓶に残っていたアルコールが、ミルクに混ざったため、ヴォイテクは後にお酒(特にビール)を好むようになったという説があります。

また、ヴォイテクはタバコも大好きだったと言われています。兵士たちが吸っていたタバコの葉っぱを与えると、ヴォイテクは大いに喜び、しばしばタバコの葉っぱを食べることがありました。

ヴォイテクがお酒やタバコを好む理由は定かではありませんが、兵士たちが彼に与えたものによって、彼の食習慣が形成された可能性があります。

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「この先は“動物”は一緒に連れていけない」

ヴォイテクがいた部隊はエジプトに滞在していたのですが、モンテ・カッシーノの戦いに参加するためにエジプトから航路でイタリアに向かうことになりました。しかし、船で動物を輸送することは禁止されており、ヴォイテクを連れて行くことはできませんでした。

「“動物”ではありません!ヴォイテク伍長です!」

そこで、ポーランド軍の兵士たちは、乗船名簿にヴォイテクを「ヴォイテク伍長」という肩書きで記載し、まるで人間であるかのように振る舞いながら船に乗り込ませました。兵士たちは、ヴォイテクが戦争に参加することはないとはっきりと知っていたにもかかわらず、彼を連れて行きたいという強い意志を持っていました。彼らは、ヴォイテクが自分たちにとって非常に大切な存在であると信じていたのです。

流石にバレる(笑)

しかし残念ながらこの作戦はヴォイテク伍長が受け付けに現れない事が理由で、あっさりとバレてしまいます。

ついに熊が正式にポーランド兵士に!!

カイロの最高司令部に相談した結果、ポーランドの第2軍団司令官であるアンデルス将軍によってヴォイテクは正式に部隊に採用されることになりました。彼は認識番号を与えられ、本物の兵士として扱われることになりました。

ヴォイテクが正式に部隊に採用されたことは、彼が兵士たちの間でますます尊重されるようになったことを示しています。彼は、自分自身を支えるために必要なタバコを買うために、お金を支給されることになりました。彼が本物の兵士として扱われることで、兵士たちは彼に対してますます深い愛情を抱くようになりました。

そして一緒にモンテ・カッシーノの戦いに向かう

第22弾薬補給中隊の一員として、ヴォイテクはアレクサンドリア港から船に乗り、ローマ解放のためのモンテ・カッシーノの戦いへと向かいました。彼は成獣に成長し、体重が113キログラム、体長が1.8メートルになっていました。

ヴォイテクは正式に「兵士」として従軍し、他の兵士たちと同じようにテントで眠り、特別製の木枠に入ってトラックで移動することができました。

砲弾を運ぶように訓練

兵士たちはヴォイテクに迫撃砲を運ぶための訓練をさせました。

ヴォイテクが迫撃砲を運ぶために訓練されたことは、彼が兵士たちと共に戦争に参加するために必要だった重要なステップでした。彼は、兵士たちと同じように行動し、危険な任務を共に遂行していきます。

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モンテ・カッシーノの戦いがはじまる

第二次世界大戦中のイタリア戦線では、1943年9月のイタリアの降伏後、連合国軍は南部イタリアに上陸し、北上してローマを占領しました。しかし、その後、連合国軍はアペニン山脈を越えて北部イタリアに進撃する際に激しい戦闘が繰り広げられました。その中でも、モンテカッシーノの戦いは激戦地の1つでした。

Harcerskie Kroniki Filmowe/YouTube
歴史に残る激戦地

連合軍は修道院があるモンテ・カッシーノ丘を占領するために、1944年1月17日に攻撃を開始しました。しかし、修道院周辺にはナチス・ドイツが要塞化した陣地があり、激しい戦闘が続きました。

連合軍は、アメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、オーストラリア軍、インド軍、ニュージーランド軍から構成され、ドイツ軍も様々な国からの兵士で構成されていました。戦いは5か月間にわたり続き、両軍合わせて約7万5000人が死亡しました。最終的に、連合軍は修道院を破壊することでドイツ軍の防衛線を突破し、ローマを目指す戦線の進撃を開始することができました。しかし、この戦いでの犠牲者は多大であり、戦争の悲惨さを象徴する戦いとなりました。

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「ヴォイテク伍長」が所属するポーランド軍が参戦

第4回攻撃に際して、ヴワディスワフ・アンデルス大将の決断により、1943年から1944年にかけてイタリアに投入されていた第2ポーランド軍団が、連合軍に加わりました。このポーランド軍団は、ナチス・ドイツによって占領されたポーランドから逃れてきた亡命ポーランド人から成り立っており、国を失った軍隊でした。しかし、彼らは非常に高い戦闘力を持っており、モンテ・カッシーノの戦いにおいて、決定的な役割を果たしました。また、このポーランド軍団には、ヴォイテクと呼ばれるシンボル的な熊がいたことで知られています。

なんと戦闘の中で弾薬を運ぶヴォイテクの姿が!

モンテ・カッシーノの戦い中、ヴォイテクが所属していた第22中隊は、弾薬の補給に追われていました。ヴォイテクは、足場が不安定な山道でも弾薬箱を一度も落とすことなく、軽々と運んでいたとされています。また、彼は弾薬箱を求めるために右足を出す仕草を覚え、人間の兵士一人では持てないほど重い弾薬箱も運ぶことができたとされています

見事勝利!部隊のシンボルマークがヴォイテクに!

第2ポーランド軍団を含む連合軍は、モンテ・カッシーノの戦いにおいて、ドイツ軍の要塞化された陣地を突破するための攻撃を行いました。この攻撃は、ポーランド軍兵士たちの勇気と決意によって成功し、連合軍は勝利を収めました。この勝利によって、ドイツ軍防御線が破られ、連合軍によるローマ解放への道が開かれました。

また、第22中隊のマークは、ヴォイテクが弾薬箱を運んだことから、砲弾を運ぶクマの絵に変更されました。このマークは、ヴォイテクがポーランド軍の象徴的存在となったことを示していた。

戦争が終わった後は動物園で天寿を全うした

第二次世界大戦が終わり、第22中隊の兵士たちはスコットランドに移り、ヴォイテクも彼らとともに移動しました。しばらくは、地元住民からも人気者となり、多くの人々が彼を見に訪れました。しかし、軍隊が常に彼を引き連れているわけにはいかず、彼はどこかに預ける必要がありました。

そこで、彼を引き取ることになったのが、エディンバラ動物園でした。彼は、ポーランドが自由になるまでエディンバラ動物園で過ごすことになりました。ヴォイテクは、21年間にわたってエディンバラ動物園で暮らし、最後は老衰で亡くなりました。

ポーランドの伝説!!『ヴォイテク』

彼の功績や勇気は、今でもポーランド国内で語り継がれ、彼はポーランドの英雄として讃えられています。今日でもポーランド軍のエンブレムの1つとして使用されています。

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