【世界のスラム街】その高さは190メートル!超高層スラム街で生きる人々《ダビデの塔》

今回の記事では、ベネズエラの首都カラカスにある未完成の超高層ビル「セントロ・フィナンシエーロ・コンフィナンサス」(通称:ダビデの塔)について紹介しています。このビルは、経済的困窮にある住民たちが入居し、一種の垂直スラム街が形成されたという特殊な事情があります。

記事では、ダビデの塔の歴史や、住民たちが築いたコミュニティ生活、そして不法占拠の末に起こった退去作業についても詳しく取り上げています。また、このビルが受けた国際的な賞についても紹介されています。是非ご覧ください。

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経済危機下にあるベネスエラでは、反米・反グローバリズムの独自路線を歩んだチャベス政権を継承するマドゥロ政権と、親米派のグアイドー勢力が激しく対立している。激動するベネズエラをめぐるラテンアメリカの現状を、専門領域の異なる研究者が詳細に分析。(「Books」出版書誌データベースより)

Tower of David

超高層ビルの「セントロ・フィナンシエーロ・コンフィナンサス」

Vocativ/YouTube

ベネズエラの首都カラカスには、セントロ・フィナンシエーロ・コンフィナンサス(Centro Financiero Confinanzas)という、ベネズエラ国内で3番目の高さを誇る超高層建築物があります。

その大きさは地上45階、高さ190mで、開発主ディヴィッド・ブリレンブルクにちなんで「トーレ・デ・ダビ(Torre de David)」や「ディヴィッド・タワー」、「ダビデの塔」とも呼ばれています。

ダビデの塔には、経済的困窮にある住民たちが入居し、一種の垂直スラム街(ヴァーティカル・スラム)が形成されました。

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未完成のビルを住民が支配する

元々は1990年代に建設が始まり、オフィスビルやホテル、商業施設が入る複合施設として計画されていました。しかし、ベネズエラの経済危機により建設が中断され、未完成のまま放棄されました。その後、経済的に困窮した住民たちが入居し、ビル内には家庭が住み込み、コミュニティが形成されるとともに、自給自足の生活が営まれるようになりました。

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犯罪とドラッグの温床となったビル

経済的に困窮した住民たちが入居したことから、犯罪やドラッグの温床、泥棒の巣窟とも呼ばれ、治安上の問題が懸念されていました。

そのため、警察は、犯罪や誘拐事件の捜査や被害者の救出を目的として、頻繁にビル内での取り締まりや手入れを行っていました。

IDA/YouTube

住民たちが見つけた新たな生活の場

トーレ・デ・ダビ(ダビデの塔)は、元々未完成のまま放棄されたビルで、内部はコンクリート打ちっぱなしの工事現場のような状態でした。床が抜けていたり、バルコニーに囲いがなかったりと、危険な状態であったにもかかわらず、住民たちはここで暮らすようになりました。

実際に、トーレ・デ・ダビに住む人々の多くは、犯罪が多発する近隣のスラム街から避難するために移住してきた人が大半を占めています。彼らにとって、ビルの内部は周辺のスラム街よりも安全で快適だと感じられることもあります。このため、一部の住民はビル内でコミュニティを築き、自分たちで生活を立て直しています。

The Telegraph/YouTube
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ダビデの塔で実現するコミュニティ生活

28階までの階層には家族連れが住んでおり、配管設備が整えられていますが、10階以上に上るためのエレベーターは存在していないため、階段を使って移動しなければなりません。

ダビデの塔の住人たちは、困難な状況の中で自分たちの生活を営むために協力し合い、自治組織を作っています。彼らは共有の電気や水道システムを利用し、交代で床の清掃や、24時間のセキュリティパトロールを雇うために共益費を支払い、共用部の維持管理を行っています。

フロアの代表者や組合が存在し、共有部の清掃やルール制定、当番の決定なども行っています。

ビル内ではさまざまなビジネスが営まれており、美容室、歯医者、デイケアセンター、倉庫、衣料品店などが揃っています。住民たちは駐車場を通じて出入りし、バイクで立体駐車場の中を移動することができます。

また、計画を立てて文化活動やスポーツイベント、宗教行事を開催しています。

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「ダビデの塔」の歴史!建設から不法占拠までの経緯

1990年に新しい金融センターとして着工された「ダビデの塔」は、投資家のダビ・ブリレンブルグの名前にちなんで名付けられました。

しかし、1993年の金融危機と投資家ダビド・ブリレンブルグ氏の死により、建設が中断されました。1994年に金融危機が襲い、ダビデの塔は政府の管理下に置かれました。

慢性的な住宅難を背景に、2007年に人々がこのタワーに目をつけました。同年、ウゴ・チャベス大統領(当時)が許可したことから、貧困層が不法占拠し始めました。当時のチャベス政権は、これに対して見て見ぬふりをしていました。

ギャングやホームレスの人たちが住み着くようになり、武装した警備員が見守る一時しのぎの住宅として、他者を寄せ付けない現在の姿に変貌しました。こうした経緯から、「ダビデの塔」は、ベネズエラの経済危機や都市のスラム化が進行する現実を象徴する建築物として、国際的にも注目されました。

ダビデの塔を破壊せよ!ベネズエラ軍による強制退去

2014年7月22日、ベネズエラの首都カラカスで、高層スラム街として知られる45階建ての高層ビル「ダビドの塔」の不法居住者を退去させる作業が始まりました。

ある27歳の女性は、7年間このタワーで暮らしていたが、「タワーは私にとって良い場所だった。残念だが去らなければならない」と語りました。

当時、ダビドの塔には1150世帯以上が生活しており、そのうち約3000人が不法移住者、ギャングの温床ともなっていました。

7月22日に始まった撤去作業は、ベネズエラ軍などが行いました。身の回りの品を持った住民たちは、勧告に従ってビルを出て、カラカス郊外に政府が用意した低所得者向け施設に向かいました。この撤去作業は、ベネズエラ政府が都市のスラム化に対処しようとする試みの一環として行われました。

マドゥロ大統領は、2014年7月23日に「ダビドの塔」が社会から否定的に見られていると指摘し、対話と理解を通じてこの問題を解決したと述べました。

不法入居者の退去を勧告した際、マドゥロ大統領はダビドの塔を破壊し、新たな団地を建設するか、金融センターとするかなどの提案を行ったとされています。アイビータイムズによると、反政府系の新聞が中国への引き渡しの情報を報道しましたが、これに対してベネズエラの担当大臣は、退去は人道的な理由であり、中国の企業とは関係ないと否定しました。

CNN en Español/YouTube

「ダビデの塔」が舞台の作品

「The other side of the Tower」は、ベネズエラのカラカス出身の写真家Alejandro Cegarra氏による作品で、カラカスの「ダビデの塔」(Torre de David)を題材にしています。この作品は、人々が普段見ることのできない「ダビデの塔」の内部と、そこで暮らす住民たちの日常生活を捉えたものです。

この作品は、ドイツの精密機械エンジニアでありライカカメラの創設者であるオスカー・バルナック(Oskar Barnack)の名前を冠した写真コンテスト「Oskar Barnack Award 2014」でニューカマー賞を受賞しました。この賞は、若手写真家を対象にした賞であり、社会的・環境的課題に取り組む作品を評価することを目的としています。

Leica Camera/YouTube
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経済危機下にあるベネスエラでは、反米・反グローバリズムの独自路線を歩んだチャベス政権を継承するマドゥロ政権と、親米派のグアイドー勢力が激しく対立している。激動するベネズエラをめぐるラテンアメリカの現状を、専門領域の異なる研究者が詳細に分析。(「Books」出版書誌データベースより)

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