激動の繊維産業史(4)かつて主力産業だったのは遠い過去……今や衰「斜陽産業」と言われる業界へ。

激動の繊維産業史(4)かつて主力産業だったのは遠い過去……今や衰「斜陽産業」と言われる業界へ。

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激動の繊維産業史(3)貿易摩擦のはじまり!「日米繊維紛争」
“https://diggity.info/culture/spinning-3/”

Declining industry

繊維産業の衰退

AP Archive/YouTube

71年のニクソンショックによる円高が日本の製造業の輸出競争力を奪い、さらに73年には第1次オイルショックが日本経済を直撃した。繊維産業にとっては、日米繊維戦争と呼ばれた日米繊維貿易の不均衡を是正するための両国政府間交渉の決着が追い打ちをかけた。71年に日米繊維協定が結ばれ翌年に沖縄返還が実現した。これは「糸と縄のバーター」と呼ばれたが、これによって対米輸出を大幅に縮小することとなり、対米輸出依存型であった国内繊維産業は「冬の時代」を迎えることになった。

国内繊維産業の盛衰 – 先駆者たちの大地 IRマガジン/NET-IR.野村インベスター・リレーションズ株式会社

オイルショック

中日映画社/YouTube

1979 年にはイラン革命と OPEC による原油価格 の引き上げを背景とした第二次オイルショックが 発生し,エネルギー多消費型産業などに大きな影響を与えた。

島根県を中心とした産業発展の歴史(p.8)/中国電力
東南アジアからの繊維製品が流入

オイルショック後の消費の減少は,繊維産業の構造を大きく変化させた。1970年代初頭から,発展途上国に対して特恵関税が供与され,繊維製品の輸入が事実上自由化された。これにともない,低価格製品を中心として東南アジア諸国から大量の繊維製品が流入した。これらの繊維製品の輸入は,オイルショック以前は需要の急速な拡大により,国内的にはそれほど大きな影響は受けなかった。しかし,オイルショック後の総需要の減少は,国内産地の生産量を大幅に減少させた。

ファッション産業の展開に関する一考察(p.22)/初沢敏生.福島大学学術機関リポジトリ FUKURO_フクロウ_

プラザ合意「円高ドル安」

1985年9月22日、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)でドル高是正のための協調介入を行う取り決めがなされた。これが「プラザ合意」だ。その後、1年で為替相場は1ドル=約240円から1ドル=約160円と急激な円高ドル安に変動した。

産業春秋/「プラザ合意」再来懸念/日刊工業新聞.2018

これによって、日本の貿易黒字(輸出)にブレーキがかかった。

産業春秋/「プラザ合意」再来懸念/日刊工業新聞.2018

アメリカには、ドル安によって自国の貿易赤字を改善させたいというねらいがありました。

バブル経済って一体何だったの?/JACCS.2019
繊維品の輸入量が増加!ついに輸出を上回る

(前略)1985年のプラザ合意による円高誘導が輸出産業である繊維産業に新たな影響を及ぼした。石油ショック後にしばらくは貿易黒字が続いた繊維産業は、プラザ合意の翌年1986年には再び貿易赤字に転じ(マイナス34億900万ドル)、翌年1987年には繊維品全体の輸入が輸出を超過したのみならず、アパレルの輸入が急速に増加し、製品ベースの輸入だけで繊維品全体の輸出を上回る状態となった。

繊維産業からみる地域経済発展の可能性 ―岡山県の事例を中心に―(p.45)/永田 瞬.福岡県立大学人間社会学部紀要 2011, Vol. 20, No. 1, 43-60
空洞下が始まる

輸出を国是としてきた日本にとっては,将に画期的なことで,第1の歴史的転換点と呼ぶ所以である.この年を境に,東南アジアへの縫製拠点の移動,いわゆる空洞化の進展,国内生産の縮小が始まった.

我が国の繊維産業と海外展開(p.335)/米良 章生.J-Stage
株式市場からも消える企業も

繊維業界は戦前の日本経済を支えただけに、かつては大企業のみならず、その下請けに至るまで、多数の企業が上場していた。だが、1970年代半ばごろから、安価な海外製品の流入が本格化。1985年のプラザ合意後は構造不況に陥り、多くの会社が市場を去った。

東証「市場再編」で要注目?繊維業界「株式持ち合い」大公開/会社四季報オンライン.2021

異常な好景気「バブル」の中でなんとか持ち直す繊維産業

80stoa/YouTube

日経平均株価は1989年12月に史上最高値となる3万8915円を記録。都心には「億ション」が登場。資産の価値が実体からかけ離れて大きくなる様が、「バブル」と表現された。

1からわかる!景気【中】バブル景気・リーマンショックって何?/NHK NEWS WEB.2020

バブル時代は、給与額が異常なくらい多かったです。当時は一介のサリーマンでも平均月50万円ほどで、初任給も30万円を超えていました。また、部長クラスになると平均月給で90万円以上の収入があったそうです。

こんな時代があったなんて! 若者は信じられないバブル時代の仰天エピソード5選/マイナビ学生の窓口.2015

バブル時代はお金が有り余っていた時代でしたのでその分ボーナスも膨らんでいました。例えばボーナスが100万円は新人でも当たり前。さらにそれが年に3〜4回あるんですからびっくりです。さらに会社の経費は使い放題。今では大問題になりそうなファーストクラスの利用などを普通に会社の経費で使ってました。

「バブル時代」とは?なぜ起きた?原因や当時の生活などをわかりやすく解説/Rinto
プラザ合意の結果引き起こされた

(前略)プラザ合意後、政府や日銀の想定をはるかに超えるスピードで円高が進行し、日本は円高不況に直面します。このため、日銀は徹底した低金利政策をとりましたが、その結果、空前の「カネ余り」が起きました。

バブル経済って一体何だったの?/JACCS.2019

このカネが株と土地に向かい、バブル景気が訪れた。

産業春秋/「プラザ合意」再来懸念/日刊工業新聞.2018
繊維需要が大爆発!!

バブル景気に突入しますと住宅着工数の大幅な伸びで、オーダーカーテンの需要も大幅に伸び、綿や麻の天然繊維やレーヨンなどの再生繊維だけでは需要をこなす生産が間に合わず、価格の廉価なポリエステル等の合成繊維の開発・生産が活発になりました。

オーダーカーテンブログ20160128 ウォッシャブルカーテン/オーダーカーテン通販ショップポピー.2016
ブランド物や流行の衣類が飛ぶように売れる!

 日本もバブル景気の絶頂に向かっていく。繊維業界でそれを象徴したのがブランド商品の人気拡大だった。

繊維街道 私の道中記 松尾捺染 社長 松尾 治 氏 ③/NIKKEI STYLE.2018

「バブル期」と呼ばれていた80年代半ばには、DCブランドやイタリアン・ブランドなど、有名デザイナーやメーカーが打ち出す「流行」を消費者が追いかける時代風潮があった。

わが国繊維産業を取り巻く環境と中小繊維企業にみる国際化の取り組み/日本総研

(前略)バブル期の1990年には衣料品市場規模が15兆円になりました。

アパレル業界における経済産業省の動向/アパレルアイブログ.2018
プラザ合意の影響を跳ね返した!

    昭和60年代になると、高級綿製品の分野における高い技術力は世界に認められ、一流ブランドなどの素材もライセンスの下で生産されるようになりました。また、1年先の流行を予測しての企画提案型の素材(織物)作りも進められるようになりました。 しかし、昭和60年のプラザ合意や円高の進展等により、その悪影響(昭和62年に輸出量と輸入量が逆転)が繊維業界へ徐々に波及しつつありましたが、バブル景気のお陰で産地に大きな 打撃は与えませんでした。

遠州・繊維産業の歴史/一般社団法人 静岡県繊維協会.2016

「バブル崩壊」一気に衰退!!

国内の繊維製造品出荷額は、プラザ合意後の円高で減少したのち、バブル景気によって一時的に増加したが、
バブル崩壊後、1991 年をピークとして急激に減少した。

2030 年にあるべき繊維業界への提言 ~ 伝統から未来への設計図(New Design 2030)~(p.11)/日本繊維輸入組合

 バブル経済の崩壊を契機とした未曾有の大不況は、繊維業界にも劇的な構造変化の必要が求められました。

大和紡績を知る | 大和紡績グループの歴史/大和紡績グループ

コスト削減のため生産拠点を海外に移すケースが続出

 繊維産業を巡ってはバブル崩壊後、多くの企業が生産拠点を中国に移転。大量生産を通じ、商品単価を下げた商品づくりを進めた。

経産省 繊維産業、適量生産・適量供給へ/富士物流株式会社
国内の繊維産業は衰退へ

国内の繊維産業、アパレル市場はバブル経済崩壊の1990年代初頭に生産拠点を海外にシフトしたことで、脆弱化している。海外に生産拠点をシフトしたことで、輸入品が急増し、現在は輸入依存型のマーケットである。

国内繊維産業・アパレル市場に関する調査を実施(2020年)/市場調査とマーケティングの矢野経済研究所

日本の繊維産業は、バブル崩壊後中国を始めとする発展途上国の無秩序な繊維製品の輸入により大きな打撃を受けました。現在、国内繊維製品の実に80%が輸入製品であり、平均一人当たり年間24点もの輸入製品を購入している計算となります。

播州織の現在とこれから ~日本の繊維産業の進むべき方向~/藤井 良己.日本綿スフ織物工業連合会会長.兵繊技ニュース – 兵庫県立工業技術センター.2014

最近では、ユニクロに代表されるように、国内で流通する衣料品の多くは中国の工場で生産されたものだ。

斜陽産業からホームシアター市場へ転身した繊維工場/[独立起業]ジャパン・ビジネス・ニュース(JNEWS)

国内のアパレルマーケットは、ハイエンドマーケットと価格訴求型のマスボリュームマーケットの二極化が進んでいる。今後、ますます少子高齢化が進み、国内アパレル市場は中・長期的にさらに勝ち負けが明確になると考えられ、アパレルメーカーは国内のみの展開では生き残っていくことは困難になる。したがって、国内市場に活路を見出せないとすれば、海外にビジネスの場を求めていくと考えるのが自然である。

国内繊維産業・アパレル市場に関する調査を実施(2020年)/市場調査とマーケティングの矢野経済研究所

ついに壊滅的な事態に……国内の繊維産業の今

バブル崩壊以降、日本製繊維製品は大幅に減少を続け、とうとう2%になってしまいました。

「いち推しJQ商品」のエントリー受付開始/J ∞ QUALITY

経済産業省によると、90年に約15兆円だった衣料品市場規模は2010年に約10兆円まで縮小した。一方、国内生産と輸入を合わせた国内供給量は20億点から40億点に増加。衣料品の商品単価が3分の1に下がった計算だ。

衣料品の国産率わずか3% 工程分散、産地の疲弊進む/NIKKEI STYLE.2017

繊維産業に関わる事業者数も90年比で約4分の1に減少した。経営者の高齢化も進み、手を打たなければ今後さらなる廃業などが進む見通しだ。

衣料品の国産率わずか3% 工程分散、産地の疲弊進む/NIKKEI STYLE.2017
斜陽産業(しょようさんぎょう)

 今、繊維産業は世界の工場である中国に席巻されている。また、高級ブランドは欧州勢に追われ、繊維産業イコール空洞化産業、斜陽産業と言われている。

【特別講演】世界初、繊維産業のデジタル化を実現 –川田 達男氏 セーレン代表取締役社長/日経クロステック(xTECH).2006

斜陽産業という言葉のはじまりは定かではないが、高度成長が止まったあたりから使われはじめたのは確かである。一般的には売上高や生産高がピークアウトし、将来も回復が見込めない産業のことを指す。いわば「先のない」産業ということだ。

斜陽産業にチャンスあり | 情報誌「戦略経営者」/TKCグループ
積み上げた歴史が違う!高い技術力で世界に勝負し続けている
ANNnewsCH/YouTube

現在日本の各企業は、繊維分野であれ非繊維分野であれ、基本的に中国では作れないものに焦点を当てて、繊維事業を通じて蓄積した技術をベースに研究開発によって生み出したさまざまな独自の製品を展開することによって発展をはかっています。

ポストATC時代を先取る日本の繊維企業(p.1)/津村準二.経済人.公益社団法人 関西経済連合会

(前略)高度経済成長の終焉から続く長い衰退期のなかにありますが、その長い歴史によって培われた技術は建築、自動車、医療、ITなどに応用され、毎日の生活になくてはならないものとなっています。

【業界研究】繊維業界の現状・動向・課題について/Tap-biz

近年の傾向としては、国内衣料用繊維の需要低下にともない、化学繊維系メーカーを中心に世界的な需要や価格競争力のある高付加価値商品へとシフトしています。とくに、航空機の機体などに使われている炭素繊維や海水淡水化などに使われる水処理膜は、世界のなかでも日本メーカーが高いシェアを誇っています。

【業界研究】繊維業界の現状・動向・課題について/Tap-biz
TBS NEWS/YouTube
TBS NEWS/YouTube
コロナ禍「次の時代の繊維産業」

現在、⽇本の繊維産業は、⼤きな転換期を迎えている。新型コロナウイルスの感染拡⼤に 伴い、アパレル等の売上が⼤きく落ち込むとともに、「新たな⽇常」を踏まえた消費者ニーズの変化に⾒舞われている。また、感染拡⼤以前からの構造変化としては、国内アパレル市 場における輸⼊浸透率が98%まで上昇し、市場規模がバブル期の15兆円から10兆円に縮⼩している。

繊維産業のサステナビリティに関する検討会報告書 〜新しい時代への設計図〜(p.2)/経済産業省

繊維産業は未来の日本を映し出す

繊維産業といえば我が国で産業空洞化の進行が著しいと考えられる業種であり、とくに衣服の縫製分野では中国への生産移転が大規模に進行している。競争力のない産業を保護する必要はなく自然淘汰に任せるべきとの主張も聞かれる。しかしながら今日の我が国の置かれている状況はきわめて厳しい。

わが国繊維産業の現状と課題(p.1)/辻村 和佑 溝下 雅子.慶應義塾大学産業研究所

自動車や家電といった花形産業は国際的にも競争が激しく、アジアでは中国がそのライバルとしてのろしを上げている。我が国の製造業が今後生き残れるのか否か、一から見直しをはかるべき時期にきているといえるだろう。その意味で繊維産業は貴重な生き証人であり、この産業から学ぶことは我が国の未来を見据える上できわめて重要である。

わが国繊維産業の現状と課題(p.1)/辻村 和佑 溝下 雅子.慶應義塾大学産業研究所

繊維産業に起こったことは、それから3年の後に、日本経済全体にも波及しているのである。つまり、発展するにせよ衰退するにせよ、日本経済の行く末はまず繊維産業のうちに現れ、顕著にその特徴を見せ始めるのである。先に述べた外国製品との競争の激化、海外移転による空洞化、そして地域産業の衰退から産業全体の弱体化へと向かう道筋は、一人繊維専業のものではなく、日本の産業全体が経験しなければならなかった道程だと言えるが、それらはまず繊維産業に起こった事柄なのである。

コラム「未来を映す繊維産業~日本の産業の姿を先取りする先進性~/オフィスまいど
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日本力(ジャパナビリティ)を取り戻せ! 通商産業事務次官、内閣総理大臣秘書官として、日米繊維交渉、石油危機、日米貿易摩擦、プラザ合意など、高度成長期における日本の通商産業政策を担ってきた著者の人生哲学と、日本復権のための提言!(「Books」出版書誌データベースより)
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