この記事では引き続きフィリピンのスラム街の実態に迫ります。スモーキー・マウンテンに住む人々の生活や、政府による閉鎖後の移住先であるアロマ地区、そしてそれでもスラム化してしまった現状などを詳しく解説しています。
また、スラム地域での生活によって引き起こされる問題や、子どもたちが抱える教育格差の問題など、深刻な課題についても触れています。さらに、炭焼きによる健康被害や、子どもたちが炭焼きに従事する問題にも言及しています。フィリピンにおける貧困という現実を知り、その問題について考えるきっかけとなる記事です。
《スモーキー・マウンテン②》スモーキー・マウンテンから第2のスモーキー・マウンテンへ【世界のスラム街】
Happyland
スモーキー・マウンテンの消滅で生まれた新たなスラム「ハッピーランド」
かつてスモーキー・マウンテンに住む人々は、ゴミの回収や分別作業などで生計を立てていましたが、不衛生な環境や健康被害のリスクが高い状況に置かれていました。
1995年にフィリピン政府がスモーキー・マウンテンの閉鎖を決定し、住民たちは周辺地域に移住することになりました。
スモーキー・マウンテンは完全に消滅はしていなかった
厳密には、フィリピンのスモーキー・マウンテンは完全に消滅したわけではありませんでした。
- 取り壊されずに残ったスモーキー・マウンテンの一部「タン・バカン地区」
- 移住者の仮設住宅群がスラム化した「アロマ地区」
- タンドゥアイ市場の近くのスラム「ハッピーランド BRGY105地区」
合わせて30,000人以上が依然ゴミ拾いなどの仕事で生計を立てています。
「スモーキー・マウンテンは消滅」政府はスラムの存在を覆い隠した
フィリピン政府は、スモーキー・マウンテンの閉鎖を決定し、マニラ市内に存在した巨大なゴミ山を取り壊すことで、ゴミ問題の解決をアピールすることを狙いとしていました。そのため、政府は積極的に宣伝活動を行い、スモーキー・マウンテンが消滅したことを国内外にアピールし、一部の人々の間では“スラム”がなくなったという印象が広がりました。
しかし、スモーキー・マウンテンが消滅した後も、周辺地域には多くのスラム地区が残り、住民たちは引き続き困難な環境で生活を続けています。政府が宣伝したようなゴミ問題の解決や住民の生活改善は、完全には実現されていません。
「スモーキー・マウンテン」を追われアロマ地区の仮説住宅に移住
フィリピンのマニラ市に存在したスモーキー・マウンテンは、かつて市内にあった巨大なゴミ山であり、その周辺には多くのスラム地区がありました。1995年にスモーキー・マウンテンが閉鎖された後、住民たちは周辺地域に移住することになり、その一つがアロマ地区でした。
アロマ地区には、政府によって30棟以上の巨大な仮設住宅が建てら、スモーキー・マウンテン周辺のスラム地区から移住してきた人々が収容されました。
仮設住宅は次第に荒廃してスラム化
政府が建設した仮設住宅は、当初は一時的なものとして建てられたものでしたが、住民たちの生活改善が進まず、建物のメンテナンスも行き届かなかったため次第に荒廃。
住民たちは、建物の修繕や改築を自己資金で行うことができず、政府の支援が不十分であったため、荒廃したままスラム化していった。
政府はスモーキー・マウンテン周辺に仮設住宅を建設して住民たちを収容しましたが、その後の生活改善の取り組みが不十分であったことから、住民たちは未だに困難な環境で生活を余儀なくされています。
マニラ最悪の危険なスラム!「ハッピーランド BRGY105地区」
フィリピンのマニラ市内に存在するスラム地区の中でも、特に状況が悪いとされるのが、トンドの「ハッピーランド BRGY105地区」です。
仮設住宅に入れない人たちが形成したスラム
この地域には、仮設住宅に入れない人たちが、作った小屋が海沿いにまで延々と続いている。
人口は、2006年には約3500人だったとされていますが、その後急速に増加し、現在では1万2000人以上になっていると報告されています。
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犯罪の温床
ハッピーランド周辺は貧困エリアのトンドにあって、最も貧しく危険な場所とされている。
東京ドームの5つ分の面積にも匹敵するスラムの中は、ゴミや汚物に囲まれ、下水処理も施されていないため、飢え・売春・暴力など負の連鎖が犯罪の温床となっている。
世界津水準は「スモーキー・マウンテン」と同等
マニラ首都圏で収集した生活ごみが、次々到着するダンプカーから投げ落とされていく。生活水準は、スモーキー・マウンテンとほぼ同じで、ハッピー・ランドの人々も、ゴミからの資源の再利用で生計を立てている
全然ハッピーじゃない!街の由来は「ゴミランド」
「ハッピーランド」のハッピーは英語の「HAPPY( 幸福)」ではなく、タガログ語で「ハピラン」は「ゴミ」という意味を持つため、直訳すると「ゴミランド」となります。散乱しているゴミがあまりにも多いためこの名称がつけられたと思われる。
ハッピーランドのファストフードは残飯から作られた「パグパグ」
こうした生活環境の中で、住民たちは自立や生計を立てるために、様々な方法を模索しています。パグパグという料理も、その一つであり、捨てられたファーストフード店の残り物から再利用された食材を使って作られるものです。
パグパグは、安価であり、多くの住民が1日1ドル未満の収入しか得られない状況下で生計を立てるための貴重な食糧となっています。
しかし、見た目は普通でも、再利用された食材には菌や細菌が繁殖している可能性があり、それが食中毒や病気、栄養バランスの偏りといった問題が指摘されている。
In Philippine slums, waste meat feeds those short of meals and hope https://t.co/4H8Oft2FGJ #Philippines #pagpag
— SCMP News (@SCMPNews) July 27, 2019
Pagpag: a dish eaten by some slum dwellers in #Manila‘s Tondo. It’s leftover chicken scavenged from restaurants. pic.twitter.com/o7aZOk6aPJ
— Jeremy Koh (@JeremyKohCNA) June 27, 2016
パグパグの由来
「パグパグ」という言葉は、「振り落とす」という意味を持つタガログ語の言葉です。
スラム地区における再利用や回収などの活動の一環として、食材の洗浄や準備をする際に、汚れを払うという意味で使われていることが報告されています。そのため、「パグパグ(振り落とす)」という言葉が広く定着したのだと思われます。
「ごみ食品」の危険性
トンド地区のスラム街に住む一部の住民たちは、リサイクル品の分別作業を行いながら、食べ物になりそうな残り物を見つけることで生活を支えています。彼らが揚げたり煮たりすることで食べる残り物は、一見普通に見えるかもしれませんが、このような行為は食中毒や病気を引き起こすリスクが高くなります。
食品の安全性が確保されていない食材を使用することで、細菌やウイルス、寄生虫などの病原体が体内に侵入する可能性があります。また、不衛生な環境で調理された食品は、食品中毒を引き起こすリスクが高まっています。
Erap City from Kasiglahan Village
カシグラハン・ビレッジ「エラップ・シティ」
カシグラハンは、マニラ首都圏の車で約1時間、リサール州のモンタルバンにある都市です。カシグラハンには、多くの工場や企業が進出しており、製造業や工業に従事する人々が多数働いています。また、農業や漁業も盛んな地域であり、地元の農産物や魚介類などが市場に出回っています。
スモーキー・バレーの住んでいた人達の移転先「エラップ・シティ」
カシグラハンにはスラム街も存在しており、そこは「エラップ・シティ(カシグラハン・ビレッジ)と呼ばれています。
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ゴミ山が崩壊!その結果「スモーキー・バレー」を追われた
スモーキー・バレーの事故後、政府は、パヤタスから約10キロ離れたモンタルバン町カシグラハンに住居を用意し、そこに411の家族が移住をした地域です。
元々は都市整備などで立ち退きを余儀なくされた人たちの街
マニラ首都圏を横断するパシッグ川の整備のためにに、川沿いに居住してい人々は、パヤタスから車で1時間ほどのカシグラハン地区に移住させられました。
その後、スモーキー・バレーのゴミ山の事故後で被災した人たちのために、政府が仮設住宅を用意して移住させた。
都市部から離れたココは仕事がない
カシグラハンは、見た目には整然としているため、貧困が感じられないかもしれませんが、実際には多くの人々が貧困に苦しんでいます。都市部から離れているため、収入の手段が限られており、生活が厳しい状況にある人々も少なくありません。
例えば、農業や漁業に従事する人々は、天候や漁獲量によって収入が大きく左右されます。また、工場や企業で働く人々も、低い賃金で長時間労働を強いられることがあります。
生活のためにゴミ山に戻る人たちの姿
そのため、再びゴミ山に戻っていく人たちも少なくない。
移転先なのに超危険地帯!?自然災害に脆いエリア
カシグラハンは、保水能力を失った山々に隣接していることから、豪雨が降ると水が急激に流れ込み、洪水被害に遭いやすい地域です。さらに、地域内の下水道が十分に整備されていないことも原因の一つとなっています。
2009年に発生したオンドイ台風の際、カシグラハンでは水が足りず、汚水が流れ込んだ川で家財道具の汚れを落としたり、食器を洗ったり、お風呂代わりに体を洗ったりする人が多くいました。その結果、下痢になったり感染症にかかったりしてしまった人もいました。カシグラハンの子たちは、毎年のように雨期で近くの川が氾濫し、避難するという体験をしています。
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Ulingan
炭焼き村「ウリガン」
ウリンガン(Ulingan)地区は、フィリピンの首都マニラにあるスラム街の一つで、人々は日々の糧を得るため、近くの廃棄物処分場や建設現場で拾ってきた木材から木炭製造に励んでいます。
由来は文字通りの“炭”
ウリンガン地区の名前は、炭を意味するタガログ語「ウリン」に由来している。
ゴミや汚物に囲まれた危険な環境!さらに仕事の木炭製造自体が非常に危険!!
この地区は、大量のゴミや汚物に囲まれた危険な環境にあり、住民たちは極貧生活を送っています。木炭製造は非常に危険な作業であり、適切な労働環境や保護装備がないため、多くの人が重傷を負ったり、死亡したりしています。
炭製造の手伝いで真っ黒になった子供たち
炭焼きは重労働で、子どもたちは大人と同じように働かされることが多く、炭にまみれた状態で過酷な労働に従事しています。そのため、炭焼き労働は子ども労働の一形態として問題視されており、人権問題として取り上げられることがあります。
“No act of kindness no matter how small is ever wasted.” Thank you JFM Partners! [Ulingan, Tondo] pic.twitter.com/6VxYwVuL
— TheRockofMySalvation (@TromsMedia) September 22, 2012
Ever heard about the charcoal children from Ulingan, Tondo? #HungerProject http://t.co/QuyNz30OVl pic.twitter.com/Dtcmg4Q342
— Rappler (@rapplerdotcom) May 4, 2014
フィリピンの人たちにとって生きるために絶対必要!それが“炭”
フィリピンでは、電気やガスが普及していない地域が多く存在し、住民たちは炭を使って調理や暖房などの必要なエネルギーを得ています。炭を簡単に作るためには、穴を掘り、木材を積み重ね、湿った土で覆う方法が一般的です。数日かけてゆっくり燃やすことで熱分解が進み、木炭が完成します。
効率的な炭の作り方では、乾燥した木材を使用することが望ましいですが、多くの炭焼きは生木や廃棄物処分場で見つけた材料も利用しています。木炭を使いやすくするために、キャッサバなどのデンプンを結合剤として混ぜ、ドーナツ状や棒状に成形されます。この固形状の木炭は、ストーブやたき火で使用されることが一般的です。
命を削りながら働く…。
炭の原料はほとんどが家の廃材であり、この廃材には塗料やゴムなどの有害物質が含まれているため、燃焼によって村は有毒な煙に包まれている。そのため、この村に住め他の地域の人より早く死ぬと言われている。
炭作りと貧困の連鎖
子どもたちは家計を助けるための炭作りに駆り出され、学校に通えないため教育格差が広がり、将来の収入や生活水準が低下し貧困に陥る、そしてまた…。
エネルギー不足による貧困の連鎖が大きな問題となっている。