フィリピンのケソン市にあるパヤタス地区には、巨大なごみ処分場があります。このごみ処分場は、野積みされた廃棄物による環境汚染や、周辺住民の健康問題を引き起こしており、「第2のスモーキーマウンテン」と呼ばれることもあります。この地域の現状について詳しく掘り下げた記事です。
また、この地域には貧困層の子供たちが通う小さな学校があり、地域の人々によって運営されています。政府や企業が取り組む環境保護の取り組みや、過去に起きたスモーキーマウンテンの崩落事故なども紹介しています。気になる現状について知りたい方は必見の記事です。
【世界のスラム街】地図に載らない極貧スラム、汚染されたゴミの山で生きる人々《スモーキー・マウンテン Part 1》
Smokey Valley
ケソン市パヤタス地区「スモーキー・バレー」」
2002年の時点で、ケソン市(Quezon City)の人口は200万人を超えていました。そして、2010年にはさらに人口が増加し、200万人以上に達しました。ただし、現在の人口はもっと多く、2021年の推計では約300万人になっています。
マニラ首都圏のケソン市郊外にあるパヤタス地区には、巨大なごみ処分場があります。このごみ処分場は、フィリピンの大気汚染防止法に従い、焼却できないごみが分別されずに野積みされています。そのため、巨大なごみの山が形成され、環境汚染の問題を引き起こしています。
「第2のスモーキー・マウンテン」
パヤタス地区のゴミ山は「第2のスモーキーマウンテン」としても知られている。
これは、フィリピンのマニラ首都圏にある「スモーキーマウンテン」というごみ山が、かつて同様の問題を抱えていたことに由来しています。スモーキーマウンテンは、長年にわたって廃棄物が野積みされ、環境汚染を引き起こし、周辺住民の健康に深刻な影響を与えていました。
同様に、パヤタス地区のゴミ山も、野積みされた廃棄物による環境汚染や、周辺住民の健康問題を引き起こしているため、「第2のスモーキーマウンテン」と呼ばれることがあります。
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その名も「スモーキー・バレー」
ケソン市のパヤタスゴミ捨て場は、マニラ首都圏から約20キロメートル離れた郊外に位置しています。以前は存在していた、同じマニラ市内のトンド地区にあった国内最大のゴミ捨て場である「スモーキー・マウンテン」の名前に因んで、パヤタスゴミ捨て場は「スモーキー・バレー」と呼ばれることがあります。
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ここに入るには許可証が必要!警察に隔離されたエリア
スモーキー・バレー(パヤタスゴミ捨て場)は、環境汚染を引き起こすため、環境警察によって周辺地域から隔離されています。また、ケソン市当局から許可証がない場合、立ち入ることはできません。これは、ごみ捨て場の環境問題を解決するために、ケソン市当局が取り組んでいる一つの手段であり、環境保護のために必要な措置の一つです。しかし、問題の根本的に解決にはなっておりません
谷(バレー)にゴミが積もりあっという平地に変貌
スモーキーバレーはもともと谷であったため、「スモーキー・マウンテン」に対して「スモーキー・バレー」という通称で呼ばれていました。しかし、廃棄物の野積みによって谷がゴミで埋め尽くされたため、現在では平地になっています。
もはや谷ではなくなったゴミ捨て場は、スモーキー・バレーと言われなくなり。単純にパヤタス地区と言われる事が多い。
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スカベンジャー約9万人が住みつき巨大な貧民街を形成
パヤタス地区の居住区域に至る道では、1日あたり500台以上のトラックが行きかうことがあると言われています。道沿いには、道具屋、中間業者、運搬トラック関連工場などが延々と並んでいることもあります。パヤタス地区の男性たちは、ガレージコレクターや運転手、スカベンジャーなどの仕事に従事しています。
スモーキーバレー周辺には、約18,000戸/92,000人のスカベンジャーが暮らしており、彼らはゴミを拾って生活しています。多くの人々が不法占拠者であり、粗末な家屋に住んでおり、ほとんどが貧しい移民であることが多いです。
家庭状況に関しては、7割の世帯がトイレを持っている一方で、5割以下の世帯が水道を持っていないという状況があるようです。これは、地域の貧困層が抱える一般的な問題であり、水や衛生に関する基本的なサービスが不足していることを示しています。
ゴミを売買する「ジャンク・ショップだらけ!!
パヤタスゴミ捨て場は、マニラ市内のごみが集まる場所であるため、金属、プラスチックなどの有用な廃棄物が混ざっていることが多いです。このような有用な廃棄物をスカベンジャーが選別し、リサイクル業者に販売することで、彼らが収入を得ることができます。彼らが収集する廃品の中には、紙、プラスチック、空き缶、アルミニウム、ビニールなどが含まれています。
周辺地域にはジャンクショップが多く存在し、ここで収集した有用な廃棄物が販売されることもあります。しかし、このような収集活動で得られる収入は、1日あたり平均200ペソ(約600円)程度であると言われています。このような収入では生活が困難であるため、多くの住民は貧困に苦しんでいます。
ここは地域住民にとって貴重な財源
このゴミ捨て場は、市にとっても多くのメリットをもたらしています。例えば、メタンガスを利用して発電を行うことで、地域住民の電気料金が無料になっているということがあります。また、このゴミ山のおかげで相当数の雇用が生まれ、地域にとって財源となっているということもあります。
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ゴミ山の学校「パアララン・パンタオ」
パアララン・パンタオ(Paaralang Pantao)は、マニラ最大のゴミ集積場であるパヤタス地区に設立されたフリースクールの一つです。パアララン・パンタオ」はタガログ語で「思いやりの学校」という意味があります。
この学校は、地域の貧困層や公立学校に通えない子供たちのために、地域住民が力を合わせて設立した小さな学校で、スカベンジャーの子供たちなど、経済的に貧しい地域の子供たちが教育を受けることができる場所を提供する事が目的であり、地域の人々によって運営されています。
学校では基本的な読み書きや算数などの教育だけでなく、健康や環境保護に関する知識も教えられていて、貧困に苦しむ地域の子供たちにとって、貴重な教育の場であり、地域の人々にとっては、地域の発展に向けた取り組みの一環として、重要な役割を果たしています。
そのため、経済的に貧しい子供たちに教育を提供することが目的であり、地域の人々によって運営されています。パアララン・パンタオは、貧困に苦しむ地域の子供たちにとって、貴重な教育の場であり、地域の人々にとっては、地域の発展に向けた取り組みの一環として、重要な役割を果たしています。
「レティシア・B・レイエス」校長
レティシア・B・レイエスさんは、ルソン島生まれであり、1982年にパヤタス地区に移住しました。当時、この地区はまだ美しい自然に囲まれた土地であったと言われています。しかし、彼女がこの地区に住み始めてから半年後、パヤタスごみ処分場として谷にゴミが捨てられ始め、すぐに山となってしまいました。それ以来、この地区は「スモーキー・バレー(煙の谷)」として知られ、地域の住民にとって深刻な健康や環境問題を引き起こすこととなりました。
ある日、レティシア・B・レイエスさんは近隣の人たちから頼まれ、子供たちに勉強を教えることになりました。最初は5人の生徒でしたが、1か月後には40人を超える生徒たちが集まり、1989年に「パアララン・パンタオ」が作られました。
この学校は、地域の貧困層や公立学校に通えない子供たちのために設立され、行政の支援は受けていませんでした。レイエス校長と地域の人々が協力し、自力で学校を建てたと言われています。この学校では、授業料は無料であり、地域の子供たちがより豊かな教育を受けることができるようになっています。
様々な支援もあり学校の数も増加!今でも子供に夢と希望を与えている
現在、「パアララン・パンタオ」は、パヤタスのゴミ山の麓にある学校と、再定住地モンタルバンに1校ずつ、計2校あります。パヤタス校は、2006年末に新しい校舎に引っ越したため、以前の校舎はゴミ山に飲み込まれたとされています。現在、パヤタス校には193名、モンタルバン校には136名の生徒が登録しており、公立小学校レベルの勉強を教えられています。授業以外にも、歯磨きや図画工作、音楽、踊り、遠足など、様々な活動を通して、子どもたちに幅広い夢を抱ける機会を提供しています。
また、シンガポールの仲間の支援で給食サービスを、日本やスイスの人たちの支援で奨学金を提供しており、運営資金の大半は、「パヤタス・オープンメンバー」(岩崎一三さん主催)の支援によってまかなわれています。これらの支援によって、地域の貧困層や公立学校に通えない子供たちに、教育と食事を提供しているとされています。
History of Smokey Valley
「スモーキー・バレーの歴史」
パヤタス地区は、以前は美しい谷であったとされています。廃棄物が捨てられるようになったのは1973年頃で、当時は住人も少なかったとされています。1980年代後半には、政府によってケソン市各地で立ち退きにあっていた人々の再定住地として指定され、人口が増加。
強制閉鎖されたスモーキー・マウンテンからの移住者
1995年11月に、フィリピン政府はトンド地区の「スモーキーマウンテン」と強制閉鎖したことにより、ゴミ拾いを生活の糧としていた人たちは隣接するケソン市パヤタス・ゴミ捨て場に移住した。
「スモーキー・バレーで」深刻が事故が発生!多数の死者が出る大惨事に!!
2000年7月10日、降り続く雨の影響で、スモーキー・バレーの高さ30mゴミ山が幅100mに渡って崩落し、犠牲者は確認されただけでも218名、実際には1000名近くが亡くなったのではないかと言われる未曾有の大惨事となりました。また、一週間前から台風の影響もあり、多くの子どもたちが自宅待機をしていたため、彼らの多くが犠牲となりました。犠牲者を救うことが出来なかったことは、フィリピン社会に大きな衝撃を与えました。
ゴミの搬入が中止!これに困ったのがスカベンジャー
その5日後、政府はゴミの搬入に対して中止命令を行い。再びゴミの搬入が再開されるまでの4ヶ月間、スカベンジャーは生活の糧を失ってしまった。
「スモーキー・バレー」は復活するが最終的には閉鎖が決定
政府は、 今回の事故を受けて、2000年7月17日にスモーキー・バレーの閉鎖を決定。しかし閉鎖後も、ゴミの不法投棄は続いていた。
スモーキー・バレーのすぐ隣に新たなゴミの山が出現!!
2000年11月、ケソン市は、崩壊したゴミ山のすぐ横にある、現在もゴミ投棄が続いているパヤタスの第二のゴミ山で、市内から出るゴミの投棄を行うことを決定しました。
スカベンジャーがこのゴミ山に集まる
このことにより、パヤタスに残ったスカベンジャーはもちろん、移住したスカベンジャーも、この新しいゴミ山でゴミあさりを続けることができました。彼らはそれ以外に、生きていく術がなかった。
15歳以下の子供は立ち入り禁止
POG(Payatas Operation Group)という市の運営機関が、パヤタス居住者を対象に、50ペソ(1 ペソ=2 円)でIDを発行することを設けました。このIDを持つことで、24 時間制限なしでダンプサイトに入ることができまが。
しかし15 歳以下の子どもにはこのIDは発行されません。これは崩壊事故を受け子供の立ち入りを禁止するためだった。
子供のゴミ拾いを規制する規則ができたが、現実には、隠れてゴミを拾う子供や、路上や建物の前のゴミ箱などのゴミを拾う子供たちの姿が…。
スモーキー・バレーが再開されるとゴミ山が合体!巨大化する
2009年にはスモーキー・バレーへのゴミ投棄が再開、ゴミ山はさらに高く積み上げられた。現在では、ココのゴミ山とスモーキー・バレーが合体し、さらなる巨大なゴミ山が形成されている。
周辺住民は、いつかまた事故が起こるのではないかという不安と恐怖にさらされている。
半ば強制的!?スモーキー・バレーの住人への立ち退き問題
ゴミ山であるパヤタスのスモーキー・バレーも、敷地には限界があり、永遠にここにゴミを投棄することはできません。
よって使用期限が2007年と定められてたのだが、2010年時点でも閉鎖されませんでした。それは、代替地がないことが一番の要因でした。
そして2013年のスモーキー・バレーは「閉鎖」するどころか「拡張」する動きを見せていた。それにつれて、近隣する地区の住民はゴミに押し出されるように立ち退きを余儀なくた。
スモーキー・バレー閉鎖が決定!住民は反対運動を起こした
2017年、スモーキー・バレーが年内に封鎖されることが決定すると、町の人々大きな反対運動を起こした。それは、この場所がどれだけ危険であろうと、ごみ山の収入源が無いと暮らしてはいけないからでした。
新たにできるごみ山のある町には、バス代が払えないので行けない。つまりココのごみ山がないと生きてはいけなかったのです。
「威嚇に脅迫に暴力」反対運動に対しての妨害行為が発生
2012年7月22日、反対運動のリーダーであり、ボランティアスタッフなどの活動をしていたマリルー・ヴァリエが、自分の息子の目の前で、銃殺される事件がおきました。容疑者に対する逮捕状はでていたが、2017年8月13日時点ではまだ逮捕されておらず、容疑者と思われる人物からの脅迫メッセージが関係者の携帯に届いていた。
この事件は、政府と企業の意向をうけた一部の住民が、反対運動を暴力をつかい妨害行為を始めていた事が原因だった。
工事によって洪水が発生
台風や豪雨のような雨じゃなくても真っ黒な水の洪水が発生するようになり、ゴミの匂いが以前より各段にひどくなった。これは溝だったところに小さな土管を埋めたてる工事によって、排水が悪くなったためだ。
犯罪率が上昇
スカベンジャーはごみ山で稼いでいた生活費を、別のゴミ山に求めた。別の仕事を求めてここから出ていく人もいた。しかし、どれも安定した収入を得る事ができなかたっため、この地域周辺の犯罪率が急増してしまった。
フィリピン政府は閉鎖した場所で様々な対策をとった
ごみ山崩落で世界中から批判を浴びたフィリピン政府は,メタンガスを抑制するためフナの木を植えてたり、バイオガス発電所を建設し、その周辺の電力を無料で提供したりした。
ただし、このような取り組みだけでは、ごみ山の問題が解決されるわけではありません。
2つの「スモーキー」
フィリピンのゴミ山で「スモーキー」と呼ばれる代表的なゴミ山。
2019年時点で「スモーキーマウンテン」は、閉鎖されていてゴミはもう運び込まれていませんが、そのゴミの山の周辺に100家庭近い人々が暮らおり、海沿いの埋め立て地にある「スモーキー・バレー」に近い沿道には、劣悪な環境の中でまだまだ多くの人々が暮らしていた。
今後は、より持続可能なごみ処理の方法を模索していく必要があります。
【世界のスラム街】フィリピンのスラム地区の厳しい現実と住民たちの生活《スモーキー・マウンテン Part 3》