【世界のスラム街】地図に載らない極貧スラム、汚染されたゴミの山で生きる人々《スモーキー・マウンテン Part 1》

フィリピンのマニラにあったスモーキー・マウンテンというゴミの山とその周辺のスラム街は、かつて世界中で貧困の象徴として注目を浴びました。この地域では毎日数千トンのごみが収集され、山積みにされ、乾期には自然発火が発生し、煙や有害な化学物質が発生して周辺地域の悪影響を与えています。

フィリピン政府は、このスモーキーマウンテンを国家の恥として、再開発政策を進め、スラム住民は適切な住居へと移住することが求められました。

しかし、政府の公共住宅建設は完全に問題を解決することができず、多くの住民が家賃を払えず、別のゴミ処分場周辺に移住して同じような生活を続けています。さらに、土壌が汚染されていることも明らかになっています。この記事では、フィリピンの貧困と環境問題について深く掘り下げ、その現状を知ることができます。

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東洋最大のスラム、マニラ市郊外のゴミ捨て場、スモーキー・マウンテン。劣悪な環境下で生きる人々を描くドキュメンタリー。家族のためゴミを拾う子供たちを6年間にわたってフィルムに収めた作品。「TSUTAYA」データベースより)

Smokey Mountain

ゴミの山を中心に広がったスラム「スモーキー・マウンテン」

Andrew Pearson/YouTube

スモーキー・マウンテンとは、フィリピンのマニラのトンドにかつて存在した、ゴミが積み上げられた山とその周辺のスラム街のことを指します。

地図に載らない村

しかし、この地域はフィリピン国内で発行されている地図には一切掲載されておらず、いわば「地図にない村」とされています。それだけこの地域がマニラの中でも特殊な存在であり、長年にわたって放置されてきた問題が根深いものであることを物語っていました。

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1980年代には「東洋一のスラム」と呼ばれた

スモーキーマウンテンが全盛期を迎えた1980年代には、「東洋一のスラム」と呼ばれ、貧困の象徴として世界中で注目を浴びました。日本でも大きく取り上げられ、多くの人々がスモーキーマウンテンの悲惨な状況について知るきっかけとなりました。

ゴミを焼却できないためゴミの山が形成

いったいなぜ、巨大なゴミ山を形成してしまったのかというと。

フィリピンは急速な都市化と経済成長が進む中で、ごみ処理インフラが整備されていないことが問題の根本的な原因です。

フィリピンでは、大気汚染防止のため、ごみの焼却処分を一定の排気ガスの基準を満たす場合以外は禁止されている。有害なガスを軽減するための高温処理施設を整えるには、莫大な費用が必要であり、財政的な制約や技術的な問題があります。

そのため、フィリピンを含め、東南アジアの一部の国では、焼却処分への転換を見合わせ、代わりにごみを埋め立てる方法が主流となっています。

東南アジア最大級の貧困エリア「マニラのトンド地区」

マニラのビジネス街から車で30分のところに、トンド区のスラム街が広がっている

小さな路地が迷路のように張り巡らされ、仕立屋や総菜屋、雑貨屋などが軒を連ねている。そこでは、生活に必要なものは大抵揃っている。海沿いの家々は、まるで水上住宅のように海へと突き出しており、一歩足を踏み入れると、ほとんどの人が定職を持たない日雇い労働者であり、貧しい生活を送り、無職の人も多い。

この地域は、住民が持ち込んだゴミが山積みになっていることで知られており、かつてはスモーキー・マウンテンというごみの山もこの地域に存在していました。

ごみの不適切な処理や不衛生な環境が、感染症の発生や拡大につながっており、コレラや赤痢、マラリア、皮膚疾患、結核、腸チフスなど、35種類以上の疾病がスラム地域で広がっている。

由来は文字通りの“煙”

直訳すれば「煙の出る山」と呼ばれるスモーキーマウンテン。その名前は、ごみの山が乾期に自然発火し、煙が発生することに由来しています。この地域では、毎日数千トンのごみが収集され、それらが山積みにされていて。数十メートルもの高さのごみの山は、不適切な処理と管理の結果、多くの環境問題を引き起こしました。乾期には自然発火が発生し、煙や有害な化学物質が発生して周辺地域の環境や健康に悪影響を与えています。

Trash Mountain Project/YouTube

ゴミ山の中で働く小さな子供たち

Basulahan(ごみ箱、ごみ溜め)と住民からは呼ばれる、フィリピンのマニラにあるスモーキー・マウンテン。1986年に開設され、30年以上にわたってオープンダンピング法を取っていました。

オープンダンピング法とは、ごみをただ捨てるだけの方法であり、十分なごみ処理や管理が行われていなかったため、周辺地域に多くの環境問題を引き起こしています。

周辺には、大量のハエが飛び交い、強烈な悪臭が漂っており、汚水の流出や危険な廃棄物の投棄も問題となっています。また、オープンダンピングのため、ごみが自然発火したこともあり、周辺地域に煙や有害な化学物質が放出。

長くは生きれない

そんな危険な場所で、小さな子供たちが徹夜でゴミを集めて1日200円の報酬で生計を立てているという現実があります。彼らは、家族の朝ごはんを買うために、危険な場所での労働を余儀なくされています。

ここの子供たちは、ごみ処理の現場でアスベストなどの有害物質を吸い込んでしまう危険があります。そのため、マスクなどの防護具を着用することが必要ですが、彼らにはそのような防護具ない。

このような環境下で長期的に暮らし続けることは、健康に悪影響を与える可能性があり、長くは生きれないかもしれないが、それでも今を生きるためにここに居続ける。

ゴミ拾を生業にする人々「スカペンジャー」

スモーキー・マウンテンには、約3,000世帯、21,000人を超える人々が生活しています。多くの住民は貧しい島々の農村からマニラに職を求めてやってきましたが、職を見つけることができず、スラムに住み着き、ゴミ拾いで生計を立てています。

彼らは、マニラからトラックで運ばれてくるゴミの中から、換金可能なガラスビン、アルミ、鉄などを拾い集め、それをお金に換えて生活費としています。このようなゴミ拾いをする人々は、スカベンジャー(Scavenger)と呼ばれます。

スカベンジャーは1日100~800ペソ(約2~16ドル、200~1600円程度)ほどの僅かな日銭で生計を立てています。この収入は、拾ったゴミを売却することで得られます。しかし、スカベンジャーが得る収入は極めて低く、生活水準を大きく下回る。

それでも、育ちや訓練を受けていない人々にとって、ゴミ山は手っ取り早く収入を得られる場所となっています。彼らが持つスキルや経験が限られているため、ゴミ拾いが最も手軽な方法であり、生計を立てるために必要なお金を稼ぐことができます。

スカベンジャーは、貧困層が生き延びるための手段の一つであり、多くのスラム街に存在しています。彼らが行うゴミ拾いは、環境問題や健康問題を引き起こすことがありますが、同時に貧困層の生活を支える重要な役割を果たしています。

幼稚園や礼拝堂も!

スモーキー・マウンテンには、不十分な生活環境にもかかわらず、幼稚園や礼拝堂などのコミュニティ施設がある場合があります。これらの施設は、貧困に苦しむ人々に対して、教育や宗教的な支援を提供するために設立されています。

幼稚園は、子供たちに教育を提供し、将来的に彼らが貧困から脱出するための道を開くことができます。また、礼拝堂は、宗教的な支援を提供し、人々が信仰心を持って生活することを支援することができます。

首都マニラの3分の1がスラムの住民

フィリピンのマニラ首都圏では、人口の約3分の1がスクオッターやスラム住民として生活しており、彼らの生活状況は極めて劣悪です。スクオッターやスラム住民は、不法に土地を占拠し、簡易的な住居を建てて生活しています。多くの場合、彼らは不安定な生活を送り、インフォーマル・セクターに属する仕事に従事することによって生計を立てています。

インフォーマル・セクターとは、正規の雇用やビジネスに属さない、非公式な経済活動のことを指します。スクオッターやスラム住民は、ストリートベンダー、ごみ収集人、洗車係、家政婦、手芸職人など、多様な仕事に従事しています。しかしながら、インフォーマル・セクターの仕事は、不安定で低賃金であることが多く、生活の質を維持することが難しい状況に置かれています。

「スモーキー・マウンテンに住む子供たちのため」スモーキー・ツアーズ

このような状況を改善すべく、2014年に「スモーキー・ツアーズ」というNGOが立ち上げられました。

このNGOは、スモーキー・マウンテンに住む子供たちのために、学校や医療サービス、栄養補助などのプログラムを提供しています。また、スカベンジャーたちには、再生可能エネルギーに関するトレーニングや、廃棄物をリサイクルするビジネスを立ち上げるための支援なども行っています。

Smokey Tours/YouTube
ツアーガイドは全員がスラムの住民

「スモーキー・ツアーズ」のツアーガイドは、全員がスラム住民であり、実際の生活に基づいた細やかな情報を旅行者に提供できることが強みです。ツアー参加者は、オランダ、タイ、中国、日本など、多種多様な国々から訪れる外国人がほとんどです。参加者は、2~3人の少人数の場合もありますし、20人以上の学生団体が訪れる日もあります。

「スモーキー・ツアーズ」は、観光事業を通じて得た収益を、簡易医療サービスや災害対策費用など、スラム住民に還元しています。この取り組みによって、スラム住民の生活環境が改善されることが期待されています。また、ツアー参加者がスラムの現状を知り、社会問題について考えるきっかけとなることも期待されています。

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インド、フィリピン、ペルー、グアテマラ、エジプト、ケニア、ウガンダ――そのスラムに潜む、希望、貧困、性、子どもと老人、疫病、安寧、犯罪、幸福…。 スラムは富以外のあらゆるものを内包して、まるで生命体のように際限なく成長していく。 世界中のスラム街を鮮烈に撮り下ろした衝撃の写真集。(「紀伊國屋書店」データベースより)

History of Smokey Mountain

市が指定したゴミの投棄場所「スモーキー・マウンテンの歴史」

Smokey Tours/YouTube

1954年、マニラ市がトンドのスモーキー・マウンテンをゴミの投棄場所として指定したことから、毎日平均620トン(トラックで約100台分)のごみが運ばれ込むようになった。それまでは平和な漁村だったこの場所に、高い山となるごみが出現したことで漁ができなくなり、人々はごみの山からお金になるものをひろい集めて暮らすようになった。また、都市からも農村からも、仕事のない人々が集まり自分たちで家を作り住み始め、この場所の治安も悪化してしまった。

独裁者マルコス大統領とスモーキーマウンテン

フェルディナンド・マルコスは1965年から1986年の21年間、フィリピンの大統領を務めていました。また、マルコスは1986年の軍民蜂起「2月革命」によって失脚し、亡命先のハワイで亡くなりました。

その頃に、スモーキー・マウテンは世界的に有名になった。「2月革命」が、この名もないゴミ山を、フィリピンの“悪しき名所”としてマスコミに登場させるきっかけを作ったからだ。

2月革命の群衆がマラカニアン宮殿に突入したとき、イメルダ夫人の居室からなんと2000足の靴を発見したというニュースが広まりました。それを受けて、マルコス一族の浪費の極致とゴミ山にたむろするゴミ拾いの住人の極貧を対比したテレビ画面が放映されました。この「クツ」と「スカベンジャー(ゴミを食う貧乏人)」のストーリーは、世界中に知れ渡り、海外で活躍するフィリピン人のアイドル歌手グループが、「スモーキー・マウンテン」と名づけた。

AP Archive/YouTube

音楽グループ「Smokey Mountain」が来日

スモーキー・マウンテンは、1980年代後半から1990年代前半には日本でも映画やテレビ番組で注目され、1991年には、スラム出身の子供たちが結成した音楽グループ「スモーキー・マウンテン」が紅白歌合戦に登場したことさえある。

フィリピン政府がスモーキー・マウンテンへのゴミの廃棄を禁止!

ラモス政権は1994年から、フィリピン政府がこのスモーキーマウンテンを国家の恥として、ココへのゴミの廃棄を禁止、この地域の再開発政策を積極的に進めた。

ゴミ処理場を別のエリアに移転

国家住宅公社(NHA)は、スモーキーマウンテンの廃止後、道路整備、住宅開発、および港湾整備事業を開始しました。また、臨海部の埋め立てが進み、新しいごみ焼却施設が付近に設置されました。スモーキーマウンテンの代替地は、ケソン市北部のパヤタスごみ投棄場に変更されました。

住民のために無償の仮設住宅を建設

その後、スモーキーマウンテンの再開発が進められ、スラム住民は適切な住居へと移住することが求められました。

1995年、ラモス大統領政権が「クリーン・アンド・グリーン」2000年都市開発計画の一環として、約3500世帯のスモーキーマウンテンの住民は、行政がトンド地区アロマに設置した無償のスモーキーマウンテン仮設住宅(Smokey Mountain Temporary Housing)に移住しました。

子どもたちが学校に通えないことを補うために、国から派遣された先生を迎えて学習センターなどを設立し、そこで学ぶことになっています。

アロマ仮設住宅には、スモーキーマウンテンの開発賛成派と反対派の住民が暮らしています。住民の一部は、車で数分の場所にあるパロラゴミ捨て場からゴミを拾い、それを生活資源としています。また、開発反対派の一部住民は、ビタス仮説住宅へ移り、繁華街や市場のゴミ捨て場をまわってゴミを拾って生活しています。

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スラムの住民のための本格的な住宅完成!これで解決かと思われた

2003年に行政の事業として、ゴミ集積場の一部のゴミを撤去し、スモーキーマウンテン本住宅(Smokey Mountain Permanent Housing)を完成、仮設住宅住民はこの本住宅に移住した。

鉄筋コンクリートの5階建てで水洗トイレとシャワーが完備され、外観はバラックとは比較にならないような住環境が感じられた。

この住宅は低所得者向けに建設され、家賃は相場よりもだいぶ低めに設定されているが、光熱費の支払いが要求され、月300ペソの支払いがある。

それは、スラムで生活してきた住民にとっては、決して「安い」とは言えないレベルである。

家賃の支払いができずゴミの集まる場所に移住

残念ながら、スモーキーマウンテンの閉鎖後、政府の公共住宅建設は完全に問題を解決することができず、多くの住民が家賃を払えず、別のゴミ処分場周辺に移住し、同じような生活を続けています。また、政府が収集所の大部分を放置したため、違法投棄が続いており、新しい掘っ立て小屋が次々と現れ、この地域一帯が再びスモーキーマウンテンとして知られるようになっています。

緑化に成功!?過去のスモーキー・マウンテン

現在のスモーキー・マウンテンは全て土で埋め立てられ、そこには木や草が生い茂っている。

TisoyLivePH Channel/YouTube
そこは汚染された土地…。なんと野菜を栽培してる住民の姿

一見すると綺麗に見えるが、土壌は汚染されている

そのような状況下でも、住民たちは自給自足を試みており、汚染された土壌の上で様々な野菜を栽培しています。ただし、土壌が汚染されていることを知りながらも、自分たちや家族の食料確保のために栽培を続けざるを得ないという状況があります。

ゴミが廃棄されなくなったこの場所にもスカべジャー

スモーキーマウンテンには今もなお、有価物を探して山に登るスカベンジャーが多数存在しています。しかしながら、スカベンジャーとしての生活は安定した職業ではありません。現在、トンドに暮らす人々のほとんどは一日に一食しか食事が取れないという厳しい現状があります。

スモーキー・マウンテンに球場を建設!日本との繋がり

マニラJCと東京JCの共同プロジェクト「FIELD OF DREAMS」は、スモーキー・マウンテンの廃棄物処理場跡地に野球場を建設することを目的としたものです。このプロジェクトは、フィリピンの若者たちに野球を通じて教育や社会統合の機会を提供することを目的としています。プロジェクトには、東京・中央区立築地小学校の児童たちが、現地の子供たちと交流するために、フィリピンに派遣されるなど、日本とフィリピンの交流にもつながっています。

JCI Manila/YouTube
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東洋最大のスラム、マニラ市郊外のゴミ捨て場、スモーキー・マウンテン。劣悪な環境下で生きる人々を描くドキュメンタリー。家族のためゴミを拾う子供たちを6年間にわたってフィルムに収めた作品。「TSUTAYA」データベースより)
【世界のスラム街】スモーキー・マウンテンから第2のスモーキー・マウンテンへ《スモーキー・マウンテン Part 2》

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