サンタクロースはクリスマスの象徴的存在であり、多くの子供たちが彼が来るのを待ちわびています。しかし、サンタクロースのルーツは、実は古代ローマ時代に生きたキリスト教の司教である聖ニコラウスにあることをご存知でしょうか?この記事では、聖ニコラウスの生涯や伝承、そして彼がトナカイを引いていたのかどうかなど、興味深い話題を詳しく紹介しています。
また、子供たちが楽しみにしている聖ニコラウス祭や、金色の本という伝承についても解説しています。聖ニコラウスとサンタクロースの関係性や、クリスマスとの違いについても触れているので、クリスマスシーズンに読んでみると、より一層楽しめることでしょう。
Saint Nicholas
聖ニコラウス
サンタクロースはクリスマスの象徴的な存在であり、子供たちにとって特別な存在です。多くの家庭では、クリスマスの前に子供たちがサンタクロースに手紙を書いたり、彼が来るのを待ちわびたりしています。
あの“サンタクロース”のモデル!
サンタクロースのモデルとなったと言われる人物、それこそが聖ニコラウス(Saint Nicholas)です。ニコラウスは実在の人物で、古代ローマ時代の4世紀に生きたキリスト教の司教でした。
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サンタの故郷は北欧じゃなくて中東だった!?
星ニコラウスは西暦271年(または280年)にトルコ南部の海沿いの町パタラ(現デムレ)で生まれました。
デムレは古代のリュキア地方に属しており、かつての名前は「ミュラ」(Myra)でした。ミュラは、リュキア地方の中心都市の一つであり、港湾都市として栄えました。ローマ帝国がリュキア地方を支配するようになると、ミュラはリュキア属州の首府となり、ローマの支配下でも繁栄しました。
「ミュラのニコラウス」
聖ニコラウスは、後にミュラで大主教を務めたことから、「ミュラのニコラウス」と呼ばれるようになりました。彼は、リュキア地方の中心都市であったミュラで長年にわたって活動し、多くの人々から敬愛されました。
聖ニコラウスは、ミュラで生涯をかけて行った慈善活動や奇跡的な出来事によって、多くの人々から聖人として崇拝されるようになりました。そして、西暦345年にミュラでその生涯を閉じました。彼の死後、彼を讃える祭りが行われるようになり、聖ニコラウスはキリスト教界で広く知られる聖人の一人となりました。その後、彼がモデルとなったサンタクロースの伝説も広まり、世界中でクリスマスの象徴的な存在として愛されるようになりました。
つまり、サンタクロースのルーツが聖ニコラウスなので、サンタの故郷はフィンランド(北欧)ではなく、トルコ(中東)ということになります。
According to many legends, the life of St. Nicholas was awash with heroic acts, miraculous saves and the kind of fiery temper we’re accustomed to admiring in our action heroes. https://t.co/m9Enyy36jh
— KQED Arts & Culture (@KQEDarts) December 13, 2020
【聖ニコラウスの伝説】「三人の娘と靴下」
聖ニコラウスの伝説には、慈善行為に関する逸話が多くあります。その中でもよく知られているのが、「三人の娘と靴下」の逸話です。
修道院にはいる前に財産を処分しなければいけなかった
修道院に入る前、聖ニコラウスは両親を亡くし、財産を処分する必要がありました。
彼が財産を処分しようとしている時に、近くの町で没落した貴族の家族の話を聞きました。
妹の結婚の持参金のために身売りをしようとしている姉妹
その家族には、姉妹3人がいました。そ最年長の姉妹は、妹たちが結婚するための持参金を用意するために身を売ってでもお金を稼ごうとしている、という話でした。
聖ニコラウスの時代は貧富の差が激しく、貧しい家庭の娘たちはしばしば結婚するための持参金を用意することができず、身を売って生計を立てるしかなかった時代がありました。また、女性が持参金を持っていない場合、結婚することができないという習慣があったため、貧しい女性たちは結婚することが非常に難しかったと言われています。
寝静まった頃に金貨を小さな袋に入れて投げ入れる
そこで、聖ニコラウスは彼女たちを助けるために行動に移しました。聖ニコラウスは、その家族が寝静まった後に家の窓から金貨を入れた三つの小さな袋を投げ入れました。
暖炉の横に干していた靴下に入った
そして、その袋は暖炉の横で干していた靴下に入りました。翌朝、姉妹たちは靴下を見ると、中に金貨が入っていることに気付き、驚きました。それはまさに、彼女たちが必要としていた持参金だったからです。
聖ニコラウスは、その後もこの家族に金貨を投げ入れ続け、姉妹たちは無事に正式な結婚を行うことができました。
大変喜んだ父親は「いったい誰が金貨を投げ入れてくれたのだろう?」と思い見張っていました。そこで3度目に金貨を投げ入れているニコラウスを見つけました。
父親は足下にひれ伏して涙を流して感謝したと言われています。
父親は、ニコラウスが自分たちを助けてくれたことに感謝し、ニコラウスに対する敬意を示すために彼の足元にひれ伏し、涙を流したとされています。
この一件について、ニコラウスは誰にも口外しないように言っていましたが、噂は広がり語り継がれていきました。
この逸話は、聖ニコラウスが慈善的な行為を続け、多くの人々の信仰と尊敬を得るきっかけとなったものの一つとされています。
金貨は当時のレートで約10〜12万
金貨の価値は時代や地域によって異なりますが、聖ニコラウスが投げ入れた金貨が現在の価値で10-12万円に相当するとされることがあります。ただし、この金額はあくまでも推定であり、正確な価値は分かりません。
クリスマスイブの夜に靴下のカルチャーはここから
この逸話が、クリスマスイブにプレゼントを受け取るために靴下を飾る習慣として広まったとされています。今日では、クリスマスの象徴として、家庭の中でさまざまな飾り付けがされるようになっています。
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【聖ニコラウスの伝説】……ちょっと怖い話
出かけた3人の子供が、夜遅くなり宿を見つけられず、肉屋の店先で泊まることができるか尋ねました。肉屋は子供たちを宿に泊めると言い、彼らを店の奥へ案内しました。
しかし、子供たちは知らなかったのですが、その肉屋は邪悪な心を持っており、子どもたちを誘拐し、売ることで利益を得ていたのです。子どもたちが寝静まった夜、肉屋は彼らを殺し、樽に漬け込んで塩漬けにしてしまいました。それから7年が過ぎ、その肉屋は続けて子どもたちを誘拐しては売りさばいていました。
ある日、善良な聖ニコラがその街を訪れ、肉屋の店に立ち寄りました。彼は聖なる力を持つ人物であり、街を訪れるたびに貧しい人々に施しを行っていました。聖ニコラは肉屋に、塩漬け壺の中にあるプチサレを食べさせてほしいと頼みました。
肉屋は疑いもせず、聖ニコラにプチサレを提供しました。しかし、聖ニコラは塩漬け壺を開けると、樽の中から3人の子供の姿が現れました。彼は神聖な力を使って、子供たちを蘇らせました。
肉屋はその場で震え上がり、自分の悪行が露見したことに恐怖しました。聖ニコラは肉屋を厳しく罰し、彼が犯した罪の償いをするよう命じました。肉屋は懺悔し、以降、誘拐や子供たちを売ることをやめました。そして、聖ニコラはその街の子供たちを守り続け、慈しみを与えました。
この話は、善の力が悪を打ち破ることを示しており、悪行がいつかは明るみに出て報いを受けることを教えています。また、聖ニコラの慈悲深さや子供たちへの愛情が伝わる物語としても知られています。
「子供たちの守護聖人」
聖ニコラスはにまつわる、数々の伝説や奇跡は今に伝わっています。
特に、子どもたちや貧しい人、弱い立場にある人々のために尽力し、慈悲深い心を持っていたことから、「子どもの守護の聖人」とされています。
様々な立場の人から守護聖人として祀られている
それどころか、聖ニコラウスは、多くの職業や立場の人々の守護聖人として信仰されています。彼の慈悲深さや、助けを求める人々に手を差し伸べる姿勢が、多くの人々から尊敬され、様々な分野で守護聖人とされています。以下に、聖ニコラウスが守護聖人とされる職業や立場の例を挙げます。
- 船乗り 前述の通り、聖ニコラウスは嵐から船乗りたちを救った奇跡によって、船乗りや漁師たちの守護聖人とされています。
- パン職人 聖ニコラウスは、食糧を与えることで飢えた人々を救ったことから、パン職人の守護聖人ともされています。
- 仕立て屋、機織り工 彼が貧しい家庭に衣料品を提供し、生活の質を向上させたことから、仕立て屋や機織り工の守護聖人とされています。
- 肉屋 肉屋の守護聖人としての信仰もあります。これは、聖ニコラウスが子どもたちを救った宿屋の事件が肉屋と混同されたことに起因すると考えられます。
- 公証人、弁護士 聖ニコラウスは正義を愛し、不当な扱いを受けた人々を助けることが多かったため、公証人や弁護士の守護聖人ともされています。
- 学生 聖ニコラウスは知識を重んじ、教育に力を入れていたことから、学生たちの守護聖人とされています。
- 乙女 彼が貧しい娘たちに結婚資金を提供し、幸せな結婚を実現させたことから、乙女の守護聖人ともされています。
#AshmoleanAdvent Day 19: This painting by Italian artist Bicci di Lorenzo shows St. Nicholas banishing storm clouds to reveal a star-sprinkled sky. This scene is one of many that depicted the life and miracles of St. Nicholas from an altarpiece that stood in Florence, Italy pic.twitter.com/Da5AZMmYsA
— Ashmolean Museum (@AshmoleanMuseum) December 19, 2020
As well as children. St Nicholas is the patron saint of sailors, fishermen, merchants, broadcasters, the falsely accused, repentant thieves, brewers, pharmacists, archers, pawnbrokers, unmarried people and prostitutes. pic.twitter.com/7dckQC18Og
— Quite Interesting (@qikipedia) December 18, 2020
【12月6日】聖ニコラウスの日
聖ニコラウスの伝説は、ヨーロッパの各国で異なる形で広まり、特に3人の娘への贈り物の話は、子どもへの贈り物をする習慣と結びついています。この習慣は、聖ニコラウスの祝日である12月6日に起源を持ちます。
ドイツ、オランダ、スイスをはじめとするドイツ語圏の国々では、クリスマス・イブではなく、12月6日に子どもたちにプレゼントが贈られます。この日は、聖ニコラウスが子どもたちの家を訪れ、靴や靴下にお菓子や小さなプレゼントを入れていくとされています。
オランダでは、12月5日の夜に「シンクタラー(Sinterklaas)」と呼ばれる聖ニコラウスが訪れ、子どもたちにプレゼントを贈ります。アメリカ合衆国やイギリスなどの英語圏の国々では、聖ニコラウスの伝説がサンタクロースとして進化し、クリスマス・イブにプレゼントが贈られるようになりました。
これらの習慣は、国や地域によって異なる形で続いており、聖ニコラウスの慈悲深い心や子どもたちを愛する姿勢が、現代のクリスマスの習慣にも影響を与えていることがわかります。
今日12月6日は聖ニコラウスの日です。フランスではサン・ニコラと呼ばれ、サンタクロースの起源とも言われています。ロレーヌ地方の守護聖人で、フランス北東部ナンシーでは12月に入るとサン・ニコラ祭が祝われ、花火や行進、良い子にはお菓子が配られます????✨#クリスマス
— フランス大使館 (@ambafrancejp_jp) December 6, 2018
Photo : @EuropeanPan pic.twitter.com/qy7cAnLnk9
もちろんクリスマスの日は別にある!
「多くの家庭では聖ニコラウスの日と、クリスマスを両方祝う」ことが一般的で、子どもたちは12月6日の聖ニコラウス祭と12月25日のクリスマスの両方でプレゼントをもらう機会があります。
悪いことをした子供には罰が!?
聖ニコラウスは、しばしば司祭杖と金色の本を持ち歩いている姿で描かれます。司祭杖は、彼が司教であったことを象徴しており、権威と信仰のシンボルとされています。また、金色の本は、子どもたちの一年間の行いが記されていると言われています。
聖ニコラウスは、子どもたちの善行や悪行を見守り、その行いに応じて贈り物を与えるとされています。善行を積んだ子どもたちには、お菓子やプレゼントが贈られ、悪行を働いた子どもたちには、石炭や黒い石などの不快な贈り物が贈られると言われています。この伝承は、子どもたちに善行を積むよう励ます教育的な意味合いがあると考えられます。
怖すぎ!ブラックサンタ「クネヒト・ループレヒト」
クネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)は、聖ニコラウスと行動をともにする従者で、主にドイツやオーストリアの伝承に登場します。彼は、「黒いサンタクロース」とも呼ばれており、聖ニコラウスが善行をした子どもたちに贈り物をするのに対して、クネヒト・ループレヒトは悪行を働いた子どもたちを罰する役割を担っています。
クネヒト・ループレヒトは、黒い服を着て顔に煤を塗り、鞭や棒を持って子どもたちに恐ろしい姿で現れます。時には、黒い袋に悪い子供たちを誘拐し、袋に入れて連れ去るとされています。彼は聖ニコラウスの従者として、悪行を働いた子どもたちに警告を与える存在として、善行を積むよう子どもたちに励ます役割を果たしています。
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サンタクロースの語源に!
オランダの伝統的なセント・ニコラスのお祝いでシンタクラースがサンタクロースの語源と言われている。
オランダ人がアメリカに移住する際、シンタクラースの伝統が持ち込まれ、その後徐々に変化しました。シンタクラースがアメリカでサンタクロースとして伝わり、クリスマスの時期にプレゼントを配るキャラクターとして一般化しました。
他にも、さまざまな民間信仰や神話がミックスされてできたと考えられています。北欧神話に登場するオーディン神も、その一つの要素であり、彼は冬至の時期に空を駆け巡り、人々に贈り物を与えるとされていました。
また、日本にも似たような民間信仰が存在します。たとえば、大晦日の夜に赤い服を着たおじいさんが良い子にプレゼントを配るという信仰が、日本の一部地域で伝えられています。これは、年神様が年の夜に人々の家を訪れ、福をもたらすという信仰と関連していると考えられます。
今日は12月5日、シンタクラース(Sinterklaas)の日です。
— 駐日オランダ王国大使館・総領事館 (@OrandainJapan) December 5, 2016
皆様も今年はオランダ式にSinterklaas を楽しんでみては如何でしょうか?
https://t.co/WUpdHt3Q06 pic.twitter.com/OugQb5K2da
ソリを引いていたのはトナカイ……ではない?
サンタクロースがトナカイに引かれたソリでプレゼントを配るというイメージは、19世紀半ばにアメリカで一般化しました。1823年に発表されたクレメント・クラーク・ムーアの詩「聖夜の訪問(A Visit from St. Nicholas)」で、サンタクロースがトナカイに引かれたソリで家々を訪れる描写があり、それが広く知られるようになりました。
一方、もともとの聖ニコラウス(セント・ニコラス)は、4世紀のリュキア(現在のトルコ)の司教であり、子供たちに贈り物を与える伝説がありました。彼がロバに乗って子供たちの家を訪問していたという話も伝えられています。オランダのシンタクラース伝統では、聖ニコラウスが馬に乗ってやってくるとされており、伝統によって乗り物が異なることがあります。
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「聖ニコラウス」≠「サンタクロース」
聖ニコラウスは、4世紀のリュキア(現在のトルコ)の司教で、貧しい人々や子供たちに贈り物を与えるという伝説があります。彼の記念日である聖ニコラウス祭は、12月6日に祝われ、ヨーロッパのいくつかの地域で人々がお祭りを開催します。この祭りは、聖ニコラウスへの信仰に基づいていて、宗教的な意味を持ちます。
一方、サンタクロースは、聖ニコラウスの伝説をもとにしてはいるものの、アメリカで独自に発展したキャラクターです。彼は、クリスマスの時期にプレゼントを配るとされるが、宗教的な意味はほとんど持っていません。サンタクロースは、クリスマスの商業的な象徴として広く認識され、世界中で親しまれています。
クリスマスは、キリスト教徒がイエス・キリストの誕生を祝福する宗教的な行事であり、ベツレヘムでの神の到来を祝います。しかし、サンタクロースは、クリスマスの時期に関連する文化的な要素の一つであって、キリスト教の教義や信仰とは直接関係ありません。
サンタクロースと聖ニコラウスは、しばしば同じ人物とされることがありますが、実際には異なる起源を持つ人物とも言えます。