サンタクロースの起源に隠された驚き!聖ニコラウス伝説の進化が明らかに!

サンタクロースはクリスマスの象徴的存在であり、多くの子供たちが彼が来るのを待ちわびています。しかし、サンタクロースにもモデルがいることをご存知でしょうか?

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サンタクロースはなぜサンタクロースになったのか。その少年時代が解き明かす、悲しくも心温まるサンタクロース誕生秘話。ラップランドの寒村。事故で両親と妹を失った幼いニコラスは、村人たちが1年交代で世話をすることになる。毎年クリスマスは、ニコラスが新しい家族の元へ移る日。彼はイブの晩、世話になった家の子供たちに手作りの玩具を置いておくのが習慣となった…。(「Oricon」データベースより)

Saint Nicholas

聖ニコラウス

National Geographic/YouTube

サンタクロース、クリスマスの象徴的な存在であり、子供たちにとって特別な存在です。

多くの家庭では、クリスマスの前に子供たちがサンタクロースに手紙を書いたり、サンタクロースがプレゼントを持ってやって来るのを待ちわびています。

あの“サンタクロース”のモデル!

そんなサンタクロースのモデルとなったと言われる人物、それが「聖ニコラウス(Saint Nicholas)」です。聖ニコラウスは実在の人物で、古代ローマ時代の4世紀に生きたキリスト教の司教でした。

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中東トルコで誕生

聖ニコラウスは、西暦271年(または280年)に中東、トルコ南部の海沿いの町パタラ(現デムレ)で生まれました。

この地は古代のリュキア地方に属しており、かつては「ミュラ」(Myra)と呼ばれていました。

ミュラは、リュキア地方の中心都市の一つで、港湾都市として栄えました。ローマ帝国がリュキア地方を支配するようになると、ミュラはリュキア属州の首府となり、ローマの支配下でも繁栄しました。

「ミュラのニコラウス」

ニコラウスは、後にミュラで大主教として務め、長年にわたって多くの人々から敬愛されました。

その生涯をかけ、ミュラで行った慈善活動や奇跡的な出来事によって、多くの人々から聖人として崇拝されるようになりました。そして、西暦345年にミュラでその生涯を閉じました。

このような背景の中、「ミュラのニコラウス」とも呼ばれています。また、1087年にイタリアのバーリに聖遺物(不朽体)が移管されたために「バーリのニコラウス」とも呼ばれています。

死後に聖人としてキリスト教界に広がる

死後、ニコラウスを讃える祭りが行われるようになり、ニコラウスはキリスト教界で広く知られる聖人の一人となりました。

その後、聖ニコラウスがモデルとなったサンタクロースの伝説も広まり、世界中でクリスマスの象徴的な存在として愛されるようになりました。

『三人の娘と靴下』

聖ニコラウスの伝説の中には、多くの慈善活動に関する物語があります。その中でもよく知られているのが、『三人の娘と靴下』です。

修道院に入るために財産を処分するニコラウス

両親を亡くし、修道院に入る決意をした若き聖ニコラウスは、自身の財産を処分する必要に迫られました。

修道士としての生活は、「貞潔」、「清貧」、「従順」という三つの誓願(せいがん)を神様に対して守ることを求められます。この誓願に従い、ニコラウスは自分が持っている全ての財産を放棄することを選んだのです。

そんなある日、聖ニコラウスは近くの町で苦境に立たされている没落した貴族の家族の話を耳にしました。

妹の結婚の持参金のために身売りを考える姉

それは、3姉妹の中の最年長の姉が、妹たちが結婚するための持参金を用意するために、自分の身を売ってでもお金を稼ごうとしている、という話でした。

聖ニコラウスの時代は貧富の差が激しく、貧しい家庭の娘たちは結婚のための持参金を用意することが困難でした。

さらに、持参金がなければ結婚することができないという習慣があったため、貧しい女性たちにとって結婚は非常に難いものになっていました。

寝静まった頃に、金貨を袋に入れて窓から投げ込む

これを聞いた聖ニコラウスは、彼女たちを助けるべく行動に移しました。聖ニコラウスは、その家族が寝静まった後に家の窓から金貨を入れた三つの小さな袋を投げ入れました。

暖炉の横に干していた靴下に入った

そして、その袋は暖炉の横で干していた靴下に入りました。

翌朝、姉妹たちは靴下を見ると、中に金貨が入っていることに気付き驚きました。それはまさに、彼女たちが必要としていた持参金だったからです。

聖ニコラウスは、その後もこの家族の家に金貨を投げ入れ、こうして姉妹たちは無事に正式な結婚を行うことができました。

このことに大変喜んだ父親は、「いったい誰が金貨を投げ入れてくれたのだろう?」と思い夜な夜な見張っていました。そこで3度目に金貨を投げ入れているニコラウスを発見しました。

この時、その父親は聖ニコラウスが自分たちを助けてくれたことに感謝を伝えるため、聖ニコラウスの足元にひれ伏し、涙を流したとされています。

この一件について、聖ニコラウスは誰にも口外しないように言っていましたが、噂は広がり語り継がれていきました。

この伝説は、聖ニコラウスが慈善的な行為を続け、多くの人々の信仰と尊敬を得るきっかけとなったものの一つとされています。

金貨は当時のレートで約10〜12万

金貨の価値は時代や地域によって異なりますが、聖ニコラウスが投げ入れた金貨が現在の価値で10-12万円に相当すると予測されています。ただし、この金額はあくまでも推定であり、正確な価値は分かりません。

クリスマスイブの夜に靴下のカルチャーはここから

この伝説が、クリスマスイブに、サンタクロースからプレゼントを受け取るために靴下を飾る習慣として広まったとされています。

さらに今日では、クリスマスの象徴として家庭の中でさまざまな飾り付けがされるようになっています。

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【聖ニコラウスの伝説】……ちょっと怖い話

聖ニコラウスの伝説の中には、恐ろしい物語も伝えられています。

ある日、3人の小さな子供が落穂ひろいでかけましたが、森で迷子になってしまいました。

そのまま夜が更けてしまい、困った子供たちは、ある肉屋店主に店の前で泊まってもいいか尋ねました。肉屋は子供たちを店の中に泊めてあげると声をかけ、店の奥へと案内しました。

しかし、子供たちは知りませんでした。その肉屋は邪悪な心を持っており、子供たちを誘拐して、その肉を売ることで金を稼いでいたのです。

子供たちが寝静まった夜、肉屋は3人子供たちを殺し、樽に中にいれ塩漬けにしてしまいました。

聖ニコラウスの不思議な力

それから7年が過ぎ、その肉屋は相変わらず子供たちを誘拐しては塩漬けにして売りさばいていました。

この頃の聖ニコラウスは、街を訪れるたびに貧しい人々に施しを行っており、その肉屋のある街にも訪れました。

肉屋の店に立ち寄ったニコラウスは、肉屋にの店主に塩漬け壺の中にあるプチサレ(塩漬けの豚肉)を食べさせてほしいと頼みました。

肉屋は疑いもせず、聖ニコラウスにプチサレを提供しました。しかし、聖ニコラウスは塩漬け壺を開けると、樽の中から3人の子供の無惨な姿が現れました。

そこで、なんと聖ニコラウスは神聖な力を使い、子供たちを蘇らせたのです。

この瞬間、肉屋は自分のこれまでしてきた悪行がバレてしまったことに恐怖し、その場で震え上がりました。

聖ニコラウスはその肉屋を厳しく罰し、これまで犯した罪の償いをするよう命じました。

この肉屋は懺悔し、以降、誘拐や子供たちを売ることをやめました。

子供たちを守り続ける

聖ニコラウスはその後もこの街の子供たちを守り続け、慈しみを与えました。

この話は、善の力が悪を打ち破ることを示しており、悪行がいつかは明るみに出て報いを受けることを教えています。また、聖ニコラの慈悲深さや子供たちへの愛情が伝わる物語としても知られています。

「子供たちの守護聖人」

このように、聖ニコラスにまつわる、数々の伝説や奇跡は現代に伝わっています。

特に、子供たちや貧しい人、弱い立場にある人々のために尽力し、慈悲深い心を持っていたことから、「子供の守護の聖人」とされています。

様々な立場の人から守護聖人として祀られている

聖ニコラスの慈悲深さや、助けを求める人々に手を差し伸べる姿は、多くの人々から尊敬され、様々な分野で守護聖人とされています。

以下に、聖ニコラウスが守護聖人とされる職業や立場の例を挙げます。

  1. 船乗り:聖ニコラウスは嵐から船乗りたちを救った奇跡によって、船乗りや漁師たちの守護聖人とされています。
  2. パン職人聖ニコラウスは、食糧を与えることで飢えた人々を救ったことから、パン職人の守護聖人ともされています。
  3. 仕立て屋:機織り工 彼が貧しい家庭に衣料品を提供し、生活の質を向上させたことから、仕立て屋や機織り工の守護聖人とされています。
  4. 肉屋:肉屋の守護聖人としての信仰もあります。これは、聖ニコラウスが子供たちを救った宿屋の事件が肉屋と混同されたことに起因すると考えられます。
  5. 公証人/弁護士:聖ニコラウスは正義を愛し、不当な扱いを受けた人々を助けることが多かったため、公証人や弁護士の守護聖人ともされています。
  6. 学生:聖ニコラウスは知識を重んじ、教育に力を入れていたことから、学生たちの守護聖人とされています。
  7. 乙女:彼が貧しい娘たちに結婚資金を提供し、幸せな結婚を実現させたことから、乙女の守護聖人ともされています。

【12月6日】聖ニコラウスの日

聖ニコラウスの伝説は、ヨーロッパの各国に広まる中で、形を変えていきました。

特に、3人の娘への贈り物の伝説の影響が見られ、聖ニコラウスの祝日である12月6日に子供への贈り物をする習慣が生まれました。

日本ではクリスマス本番の12月24日、25日にプレゼントが贈られますが、ドイツ、オランダ、スイスをはじめとするドイツ語圏の国々では、12月6日に子供たちにプレゼントが贈られます。

この日は、サンタクロースではなく、聖ニコラウスが子供たちの家を訪れ、靴や靴下にお菓子や小さなプレゼントを入れていくとされています。

オランダでは、12月5日の夜に「シンクタラー(Sinterklaas)」と呼ばれる聖ニコラウスが訪れ、子供たちにプレゼントを贈ります。

聖ニコラウスの習慣がサンタクロースへ

元々はこちらが主流でしたが、アメリカ合衆国やイギリスなどの英語圏の国々で、聖ニコラウスの伝説がサンタクロースとして進化し、クリスマス・イブにプレゼントが贈られるようになりました。これが日本にも伝わってきたのです。

これらの習慣は、聖ニコラウスの慈悲深い心や子供たちを愛する姿勢が、現代のクリスマスの習慣にも影響を与えていることがわかります。

もちろんクリスマスの日は別にある!

また、聖ニコラウスの日を祝う多くの家庭では、一般的にクリスマスも祝っており、子供たちは12月6日の聖ニコラウス祭と12月25日のクリスマスの両方でプレゼントをもらうことができます。

蛟みずち/YouTube

悪いことをした子供には罰が!?

聖ニコラウスは、よく司祭杖と金色の本を持ち歩いている姿で描かれます。

司祭杖は、聖ニコラウスが司教であったことを象徴しており、権威と信仰のシンボルとされています。また、金色の本は、子供たちの一年間の行いが記されていると伝えられています。

子供達を見極める聖ニコラウス

聖ニコラウスは、子供たちの善行や悪行を見守り、その行いに応じて贈り物を与えるとされています。

善行を積んだ子供たちには、お菓子やプレゼントが贈られ、悪行を働いた子供たちには、石炭や黒い石などの不快な贈り物が贈られると伝えられています。

この伝承は、子供たちに善行を積むよう励ます教育的な意味合いがあると考えられます。

怖すぎ!ブラックサンタ「クネヒト・ループレヒト」

クネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)は、聖ニコラウスと行動をともにする従者で、主にドイツやオーストリアの伝承に登場します。

クネヒト・ループレヒトは、「黒いサンタクロース」とも呼ばれており、聖ニコラウスが善行をした子供たちに贈り物をするのに対して、クネヒト・ループレヒトは悪行を働いた子供たちを罰する役割を担っています。

クネヒト・ループレヒトは、黒い服を着て顔に煤を塗り、鞭や棒を持って子供たちに恐ろしい姿で現れます。

時には、黒い袋に悪い子供たちを誘拐し、袋に入れて連れ去るとされ、聖ニコラウスの従者として、悪行を働いた子供たちに警告を与える存在として、善行を積むよう子供たちに励ます役割を果たしています。

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サンタクロースの語源と聖ニコラウス

サンタクロースの語源は、オランダの伝統的な聖ニコラスのお祝い「シンタクラース(オランダ語: Sinterklaas)」から来ています。

「シンタクラース」

シンタクラースとは、聖ニコラウス(Sint Nicolaas)をオランダ語で短縮したものです。

シンタクラースの祝いは、主に12月5日の夜、聖ニコラウスの日の前夜に行われ、この日はシンタクラース(聖ニコラウス)が子供たちにプレゼントを配るという風習があります。

子供たちは靴を窓辺や暖炉のそばに置き、シンタクラースが訪れるのを待ちます。翌朝には、子供たちは靴の中にお菓子や小さな贈り物が入っているのを見つけると大喜びして感謝を伝えます。

また、シンタクラースは、家族や友人が集まり、贈り物を交換し、特別な食べ物を楽しむこともあります。

シンクラース → サンタクロース

オランダ人がアメリカに移住する際、シンタクラースの伝統も同時に持ち込まれ、その後から徐々に変化しました。

そして、シンタクラースはサンタクロースになり、クリスマスの時期にプレゼントを配るキャラクターとして一般化しました。

世界各国の神話が混ざり合う

また、他にも様々な民間信仰や神話がミックスされてできたと考えられています。

北欧神話に登場するオーディン神も、その一つの要素です。オーディンは冬至の時期に空を駆け巡り、人々に贈り物を与えるとされていました。

また、日本にも似たような民間信仰が存在します。

例えば、大晦日の夜に赤い服を着たおじいさんが良い子にプレゼントを配るという信仰が、日本の一部地域で伝えられています。

これは、年神様が年の夜に人々の家を訪れ、福をもたらすという信仰と関連していると考えられます。

元々はロバに乗っていた!?各国の伝説

19世紀半ばには、サンタクロースがトナカイに引かれたソリでプレゼントを配るというイメージがアメリカで一般化しました。

1823年に発表されたクレメント・クラーク・ムーアの詩「聖夜の訪問(A Visit from St. Nicholas)」で、サンタクロースがトナカイに引かれたソリで家々を訪れる描写があり、それが広く知られるようになったのです。

一方、もともとの聖ニコラウス(セント・ニコラス)は、4世紀のリュキア(現在のトルコ)の司教であり、子供たちに贈り物を与える伝説がありました。

の聖ニコラウスがロバに乗って子供たちの家を訪問していたという話も伝えられています。

オランダのシンタクラースでは、聖ニコラウスが馬に乗ってやってくるとされており、各国の伝統によって乗り物が異なっています。

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「聖ニコラウス」と「サンタクロース」は今では別物

聖ニコラウス(Saint Nicholas)とサンタクロース(Santa Claus)は、世界中でクリスマスに関連するキャラクターとして知られていますが、異なる起源と役割を持っており、実際には異なる存在と見なされています。

貧しい人や子供に贈りもを与えるとして知られる聖ニコラウスは、各国で異なる名前で讃えられ、伝統的なクリスマスのお祝いに関連はしていますが、宗教的な意味が強く残っています。

一方、サンタクロースは、聖ニコラウスの伝説をもとにしてはいるものの、アメリカで独自に発展したキャラクターで、プレゼントこそ配りますが、宗教的な意味はほとんど持っていません。

両者は異なる文化的背景と役割を持つ存在であり、クリスマスのお祝いにおいてはそれぞれ独自の役割を果たしています。

キリスト教から見たサンタクロースとクリスマスの関連性のなさ

また、クリスマスは、キリスト教徒がイエス・キリストの誕生を祝福する宗教的な行事であり、ベツレヘムでの神の到来を祝います。

しかし、サンタクロースは、クリスマスの時期に関連する文化的な要素の一つであって、キリスト教の教義や信仰とは直接関係ありません。

サンタクロースと聖ニコラウスは、しばしば同じ人物とされることがありますが、実際には異なる起源を持つ人物とも言えます。

サンタクロースの本当の故郷は中東

しかし、紛れもなくサンタクロースの起源は聖ニコラウスであるため、サンタクロースの本当の故郷は、一般的によく知られている「フィンランド(北欧)」はではなく、聖ニコラウスが生まれた「トルコ(中東)」ということになります。

読者の皆様へ

それでも聖ニコラウスとサンタクロースは、クリスマスの魔法と喜びを私たちにもたらす存在であり、その物語は世界中で愛されています。

ぜひ、クリスマスには、聖ニコラウスとサンタクロースの両方の物語を楽しんで、家族や友人と共に特別な瞬間を過ごし、善意と思いやりを広めてみてください。

クリスマスの魔法は私たちの心に常にあり、この季節を通じて私たちに微笑みを届けてくれることでしょう。

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サンタクロースはなぜサンタクロースになったのか。その少年時代が解き明かす、悲しくも心温まるサンタクロース誕生秘話。ラップランドの寒村。事故で両親と妹を失った幼いニコラスは、村人たちが1年交代で世話をすることになる。毎年クリスマスは、ニコラスが新しい家族の元へ移る日。彼はイブの晩、世話になった家の子供たちに手作りの玩具を置いておくのが習慣となった…。(「Oricon」データベースより)

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