日米が争った“第二次世界大戦”その花は変わらずに咲き続けていた……時を超えて繋がる絆「ポトマックの桜」
Potomac Sakura Story
ポトマックの桜物語
「世界的な桜の名所」と聞いて、ワシントンの桜並木を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
シドモア桜とハナミズキ/横浜市港北区
日米友好の証
この桜は、今から107年前の1912年に日本から贈られたもので、今や「日米友好の象徴」と言われています。日米が敵として戦った太平洋戦争中でさえ、あの桜並木だけは切り倒されなかったというのですから、感慨深いですね。
日米友好の象徴「ワシントンの桜」、もう一つの物語/柳原 三佳.JBpress.2019
Elizas Cidmore
エリザ・シドモア
日米友好の桜
明治時代、ワシントン・ポトマック河畔へ日本から3000本の桜が贈られ、「日米友好の桜」として大変喜ばれました。その実現に尽力したアメリカ人女性が、エリザ・シドモアです。
シドモア桜とハナミズキ/横浜市港北区
日本を愛した
1856年、米国ウィスコンシン州マディソン市生まれ。兄のジョージが在日副領事であったことから1884年に来日し、桜と日本の文化に深く感動しました。
第25回 シドモア桜の会.お知らせ/NPO法人 高峰譲吉博士研究会
旅行家、文筆家、写真家でもあったシドモアさんは、1891年(明治24年)に「日本での人力車旅情」を出版し、日本人や桜の名所を紹介するなどの活動をしています。
シドモア桜とは?/シドモア桜100周年 里帰りを喜ぶ市民の会
Eliza Scidmore, renowned #photographer documented everyday life in #Japan during the late 1800’s and early 1900’s. Her photos show how much having fun hasn’t changed!
— Japan Embassy Canada (@JapaninCanada) February 6, 2020
Which photos do you think are the most relate-able to today? #ThrowbackThursday https://t.co/QoqZOV3bCH pic.twitter.com/hap3S9XhD1
Eliza Scidmore was the magazine’s first official female writer, photographer, and board member https://t.co/iOijpwpvMM pic.twitter.com/DqCAG5rCqS
— National Geographic (@NatGeo) January 13, 2018
「桜はこの世界で一番美しい!!」
さらにシドモアは、桜を「この世で最も美しいもの」と呼び、ワシントンD.C.に写真を持ち帰ると、ポトマック河畔に桜の木を植えるよう当時のグロバー・クリーブランド政権に嘆願した。
100年前の日本を愛し、世界に伝えた女性記者/ナショナルジオグラフィック.2017
Here’s Grover Cleveland pic.twitter.com/2pIJE7ys0W
— Jake Tapper (@jaketapper) January 16, 2018
“果実が実らないさくらんぼの木”はちょっと……
(前略)ワシントンへ戻る度に日本で目にした美しい桜の話を周囲の人々に語っていた。しかし、サクランボの実らない木に興味を示すものはいなかった。
100年前、米国に桜をもたらした3人の米国人/ナショナルジオグラフィック.2016
ワシントンの市当局に桜植樹の計画を何度も持ちかけましたが、なかなか興味を持ってくれません。シドモアはあきらめず、植樹のための募金など地道な活動を続けます。
ワシントンから横浜へ里帰りした「シドモア桜」/裏ピルツ新聞.2017
シドモアは1885年に初めて日本を訪れてから30年近く、その間6度交代した政権に対し、ポトマック河畔のタイダルベイスンに桜の木を植えるよう陳情し続けた。
100年前の日本を愛し、世界に伝えた女性記者/ナショナルジオグラフィック.2017
Today for #NationalLibraryWeek we are investigating @NatGeoLibrary‘s display of the personal papers of Eliza Scidmore, National Geographic’s first female writer, photographer, and board member, who campaigned to bring the cherry blossoms to D.C! pic.twitter.com/GB5Mk0s65U
— Nat Geo Books (@NatGeoBooks) April 10, 2018
DavidFairchild
デビット・フェアチャイルド(植物学者)
日本で桜を見た
米農務省のデビッド・フェアチャイルドは、米国の農業に利益をもたらしてくれそうな新しい植物を探して世界を飛び回っていた。そして、1902年に訪れた日本の地で、桜に出会ったのである。
100年前、米国に桜をもたらした3人の米国人/ナショナルジオグラフィック.2016
“果実が実らないさくらんぼの木”はちょっと……
(前略)外国の作物に対して強い拒否感を示すことが多いアメリカ人気質に加え、「さくらんぼがとれない木は受けないかも」と思っていた(後略)
ワシントンから横浜へ里帰りした「シドモア桜」/裏ピルツ新聞.2017
とりあえず自宅の庭に植えてみた
外国の作物に抵抗感を示す米国人が多いことをよく分かっていたフェアチャイルドは、まず125本の桜の木を取り寄せて、メリーランド州チェビーチェイスにある自宅の前庭に植えることにした。米国からの注文が入ったことに大喜びした横浜植木の社長は、1本わずか10セントという破格値で発送したという。
100年前の写真でよみがえる美しい桜 横浜から米国へ/Nikkei Style.2017
You’ve already heard our story of #TheFoodExplorer David Fairchild (you can thank him for your #avocadotoast)!
— Sidedoor Podcast (@SidedoorPod) May 3, 2018
Now dig into the Smithsonian collection w/ @SmithsonianArch for a BTS peek at the history of America’s first “food spy” https://t.co/PHupiF4Ot9 #twitterstorians pic.twitter.com/vg0xIgIQbl
#OnThisDay in 1912, the first #cherryblossom trees were planted in Washington, a gift of friendship to the U.S. from Japan. #Didyouknow that 6 years prior, plant explorer & @USDA official Dr. David Fairchild planted the flowering trees on his own property in Chevy Chase, MD? pic.twitter.com/7nLvpJseQi
— USAID/Food for Peace (@USAIDFFP) March 27, 2018
Food explorer David Fairchild brought not only the cherry blossoms to the U.S., but also the delightful Japanese custom of enjoying their annual bloom.https://t.co/8WPBLziFmY
— National Geographic Magazine (@NatGeoMag) April 11, 2018
「シドモア」との出会い“お花見会”
博士は、親交の深い昆虫学者チャールス・マーラット博士とともに友人たちを招いて観桜会を開催したが、友人の招待客の中にシドモア女史がいた。
日米友好の証「ポトマック桜」―100年の時を経て(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)/石田尊昭.INPS International Press Syndicate – JAPAN.
一緒に大統領夫人に桜をプレゼンすることに
女史と両博士はその場で意気投合。両博士の賛同と協力を得たシドモア女史は早速、大統領夫人に桜植樹を提案しに行った。
日米友好の証「ポトマック桜」―100年の時を経て(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)/石田尊昭.INPS International Press Syndicate – JAPAN.
Helen Taft
ヘレン・ダフト 大統領夫人
いいね!
そして1909年3月、誰よりもその魅力のとりこになったのが、大統領夫人になったばかりのヘレン・タフトだった。ワシントンDCの街の美化政策として桜を植えてはどうかと夫のタフト大統領に持ちかけたところ、日本との友好関係を結ぶよい機会になると感じた大統領もこれに賛成した。
100年前、米国に桜をもたらした3人の米国人/ナショナルジオグラフィック.2016
「日本の桜」植樹計画が始動!
1909年(明治42年)6月頃、タフト大統領夫人をはじめとする米国の婦人グループは、ワシントンを流れるポトマック川のほとりに公園を整備するにあたり、日本から桜を買い入れて植樹する計画を立てました。
明治末期、当時の東京市からワシントンとニューヨークに桜が寄贈されたそうですが、その経緯を示す記録はありますか。/レファレンス協同データベース
高峰 譲吉 博士
前から桜の植樹のため動いていた
ニューヨーク在住の日本人科学者高峰譲吉博士は、ポトマック公園に桜を植樹したいという米国人の熱意を知り、直ちにファーストレディーを訪ねて東京市から2000本の桜苗木の寄贈を約束した。
栗林公園の花水木-植樹の秘話/越智 繁彬.Takamatsu South Rotary Club
高峰博士は、かねがね移民排斥など米国内の反日感情の高まりを懸念しており、日米友好のシンボルとしてニューヨークのハドソン河畔に桜を植えることについて長年同市の当局者の説得を試みていた。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
112 yıl önce bugün Japon kimyager Jokichi Takamine ve asistanı Keizo Uenaka adrenalin hormonunu keşfettiler pic.twitter.com/DyrlV3uS
— Habertürk TV (@HaberturkTV) December 27, 2012
水野 幸吉(ニューヨーク総領事)
「東京市長」名義で“桜の苗”を
それを受けたニューヨーク駐在総領事水野幸吉は、同年6月2日、外務大臣小村寿太郎に「華盛頓ヘ桜樹寄贈ノ件」として、ワシントンに日本の桜を植える計画があるので、東京市長の名でワシントン市へ桜の寄贈をしてはどうかと打診します。
東京市がワシントンへ桜を贈ったことと、ワシントンからハナミズキを返礼にもらった話について知りたい。/レファレンス協同データベース
ニューヨークにいる日本人の皆で負担するから
報告の中ではもし東京市長において寄贈の予算を工面できなければ、名義は市長とするがニューヨークの日本人社会で費用負担しようと高峰博士が呼びかけ、賛同を得ているとも記している。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
桜の苗を依頼
そして同年7月2日東京市長尾崎行雄宛てに、石井菊次郎外務次官から『華盛頓ヘ桜樹寄贈ノ件』としてワシントンの桜植樹の経緯について説明したうえで、東京市長名で桜の寄贈の依頼を行いました。
東京市がワシントンへ桜を贈ったことと、ワシントンからハナミズキを返礼にもらった話について知りたい。/レファレンス協同データベース
高平 小五郎(駐米大使)
実は同じ時期に桜の植樹を考えていた…
高平大使は、水野総領事がシドモア女史から桜の話を聞いたのとほぼ同じ頃に、直接、タフト夫人に会った。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
大使は、大統領夫人が桜植樹に関心があれば種苗の日本からの寄贈について「周旋」に尽力しましょうかと持ちかけた。タフト夫人はまずは米国内で探してみましょうと答えたので、大使は押しつけになってもいけないと思い、引きさがったと記している。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
Kogoro Takahira, Japanese minister to the US, is the guest of honor at this evening’s garden party. #1904worldsfair pic.twitter.com/EQ9UguYz2q
— 1904 World’s Fair (@1904worldsfair) June 2, 2014
ニューヨークの水野総領事から話を聞いて……
水野総領事は高平小五郎駐米大使にもこの経緯を報告するとともに東京の小村寿太郎外務大臣に東京市長から寄贈することを6月2日に進言する。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
この案件は大使の自分がやったほうが……。
高平大使は、水野総領事がシドモア女史からの話に基づき、外務大臣に東京市長からの寄贈を進言したと聞き、納得しない。管轄外のニューヨークの総領事がワシントンのことに口を出すことは不適当だし、一私人であるシドモア女史からの話だけで公の寄贈にかかわる話を本国につなぐのはおかしい、まず駐米大使である自分がノックス国務長官に確認すべきであるので東京にいましばらく動くのは待ってもらいたいと進言する。
外交官と桜/藤崎 一郎.一般社団法人霞関会
その後、色々あった結果
幸い、タフト大統領の寄贈受諾の意向を国務大臣ノックスから伝えられた高平大志は、すぐに公式文書を発送し、その翌日古村大臣に電報で、実施して差し支えなしと訂正を伝え、内輪揉めの1件は落着した
明治の群像・断片/石田三雄(21)
国同士の案件に変わった
実は水野総領事の迅速な動きと同時に、高平小五郎駐米大使の筋を通した確実な処理があって、この話は一民間人の範疇から国と国とのルートに乗ることになったという側面もあった。
尾崎行雄/NPO法人 高峰譲吉博士研究会
尾崎 行雄(東京市長)
「……桜の植樹?それはいい話だ!」
高峰博士の手紙と外交ルートから、アメリカ大統領夫人の桜植樹計画を知った尾崎東京市長は、日本から桜を贈ることは、日露戦争の終結のため1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への謝意を表し、日本とアメリカの友情に願ってもないチャンスだと考えさっそく準備にかかりました。
-米国ワシントンD.C.の桜物語ー
まず1909年(明治42年)8月に東京市会で桜の寄贈を決定。
-米国ワシントンD.C.の桜物語ー
18 Aug 1909: #Tokyo #Mayor Yukio #Ozaki gives 2,000 cherry trees to U.S. #President William Howard #Taft, who decides to plant them near the Potomac River in Washington, D.C. in West #Potomac #Park surrounding the #Tidal Basin. #history #Otd pic.twitter.com/NlOVaptbBz
— Today In History (@URDailyHistory) August 18, 2019
“桜の苗2000本”をアメリカへ!
すぐに植木業者と契約を結び、苗木2000本(高さ3m直径6cm)が日本郵船の「加賀丸」に積み込まれ11月24日に横浜を出航しました。アメリカではタフト大統領夫妻が東京市の申し出を快く受け入れ桜の到着を待ちました。
-米国ワシントンD.C.の桜物語ー
無事到着した……でも
1910年、日本から最初に贈られた桜2000本は、到着すると害虫が発生したり病気にかかっていたため米農務省が焼却を命じた。当時のフィランダー・ノックス(Philander Knox)米国務長官は日本に宛てた書簡の中で「辛い決断だった」と述べている。
寄贈100年、米ワシントンの桜こそ日本の「ソフトパワー」/AFPBB News.2012
今度こそ!
尾崎は、1910年ベルギーで開かれた万国議会議に出席の帰途、アメリカに立ち寄りワシントンを訪れ、東京市は再度、健康な木を送ると約束する。
東京市長・尾崎行雄/尾崎行雄記念財団ホームページ
完璧な桜苗の育成に取り組んだ
(前略)東京市は直ちに病害虫に強い苗木の生産を農商務省に委嘱しました。ポイントとなる山桜の台木は、高い園芸技術を持つ兵庫県川辺郡稲野村東野(現伊丹市東野)に生産を依頼、その台木を静岡県庵原郡興津町(現静岡市)の農商務省農事試験場園芸部に運び、東京・荒川堤の五色桜から採取した穂木を接ぎ木して育てました。
米国ワシントンの桜は伊丹産/伊丹市観光物産協会
今度は、桜の芽から選び、それを注意深く消毒、特別に選ばれた苗床に移し、育てさせた。
東京市長・尾崎行雄/尾崎行雄記念財団ホームページ
3000本の桜苗を発送
農事試験場で手厚い栽培を行い、病害虫のない桜苗木3,000本を明治45年(1912)再びワシントンへ送付します。同年2月14日に日本郵船阿波丸は横浜を出港(後)
東京市がワシントンへ桜を贈ったことと、ワシントンからハナミズキを返礼にもらった話について知りたい。/レファレンス協同データベース
(前略)12種類の桜の苗木は再び横浜港を出発し、アメリカ西海岸のシアトルに到着、そこから冷蔵貨車で大陸を横断してワシントンへと届けられました。
桜が満開のワシントン !! 103年前、日本から贈られた桜に秘められた物語/柴山ロミオ.tenki.jp.2015
In 1912, Tokyo Mayor Yukio Ozaki made a gift of more than 3,000 cherry blossom trees to the US. Today, these cherry blossoms in Washington are symbols of enduring friendship between US and Japan and attracts 1.5 million visitors a year. https://t.co/1RuDf7HUT2 #USIndiaTravel pic.twitter.com/lN2TtdnNsM
— US Consulate Chennai (@USAndChennai) April 20, 2019
ついに完璧な桜の苗がワシントンに到着!
(前略)同年3月13日に日米両国待望の桜樹はワシントンに到着しました。丹精込めて栽培した桜樹を無事に届けることができました。
東京市がワシントンへ桜を贈ったことと、ワシントンからハナミズキを返礼にもらった話について知りたい。/レファレンス協同データベース
苗木の状態はほぼ完ぺきで病気、害虫は全くなく、検疫官を驚かせたと言われています。
米国ワシントンの桜は伊丹産/伊丹市観光物産協会
Cherry blossom season has arrived! #DYK that the first cherry blossom trees in the U.S. were planted along the Potomac River in Washington DC on March 27, 1912? They were a gift from Japan. https://t.co/XzbI2Y0wX7 pic.twitter.com/06NorYsLE8
— U.S. Embassy Seoul (@USEmbassySeoul) March 28, 2018
#instantané Cadeau du Japon aux Etats-Unis en 1912, des milliers de cerisiers en fleurs à Washington 📷 Andrew Caballero-Reynolds #AFP #CherryBlossom pic.twitter.com/8xmKlYSY8D
— AFP USA (@AFPusa) April 3, 2019
Cherry tree planting ceremony
植樹式
1912年3月27日に簡単な植樹式が開催され、当時のヘレン・タフト大統領夫人と珍田駐米日本大使夫人が、最初の2本をタイダルベイスンに植えました。
ワシントンで開花する日本からの贈り物/在日米国大使館・領事館
First Lady Helen Herron Taft began the tradition of First Ladies being involved in the annual Cherry Blossom Festival #FedFact pic.twitter.com/indMK01OCo
— The Partnership (@RPublicService) March 31, 2017
#OTD 1912, First Lady Helen Taft and Iwa Chinda, wife of the Japanese ambassador, planted the first #CherryBlossom trees at the Tidal Basin. In today’s article, learn how first ladies have helped make the @CherryBlossFest a cherished springtime tradition. https://t.co/Nj29EL1V5N pic.twitter.com/5eF1nAgLAd
— White House History (@WhiteHouseHstry) March 27, 2019
そこにはシドモアの姿も……
1912年、大統領夫人のヘレン・タフトが3000本の桜の最初の1本を植樹したとき、シドモアも立ち会った。
100年前の日本を愛し、世界に伝えた女性記者/ナショナルジオグラフィック.2017
Today in Science History: In 1912, First Lady Helen Taft and Viscountess Chinda, wife of the Japanese ambassador, planted the first two Yoshina cherry trees from Japan on the Tidal Basin in Washington, DC, in celebration of the gift of 3,000 cherry trees from Japan to the US. pic.twitter.com/VicTprg0Vx
— Maryland Science Ctr (@MDScienceCenter) March 27, 2018
Tuesday was the 100th anniversary of the planting of the cherry blossom trees in Washington, DC: http://t.co/YMCy9Vpl pic.twitter.com/VKki3OrZ
— USAGov (@USAGov) March 29, 2012
After Story
その後のシドモアは……。
シドモアは日本で眠っている
シドモアさんはその後スイスに移住し、1928年に亡くなりましたが、彼女の生前の希望もあり、遺骨は横浜の外国人墓地に埋葬されました。下写真のような鬱蒼と樹木が茂る外国人墓地の一角にシドモアさんの墓があり、そこの墓碑に「日本の桜を愛した女性、ここに眠る」と記されています。
アメリカから里帰りした シドモア桜/感動樹木のホームページ
1856-1928 アメリカ人女性文筆家。時の米国大統領タフトの夫人にワシントンD.Cに日本の桜を植えるを提案して1912年 ポトマック河畔に実現した。スイスで没したが、日本政府がその死を悼み、ここに葬られた (@ E.R.シドモアの墓 in 横浜市中区, 神奈川県) https://t.co/NRTzPVg5si pic.twitter.com/auPCXgfkFg
— Jagar.Mogar (@JagarMogar) December 25, 2019
【地劇ミュージカルをのぞき見!その③】
— マグカル・ドット・ネット🌳 (@MAGCUL) March 4, 2019
横浜外国人墓地。
ここに、日本の桜をこよなく愛したアメリカ人女性、エリザ・シドモアが眠っています。明治時代に来日した彼女は、人力車で日本各地を回りました。
ぜひ、劇場で!https://t.co/sehI1yfR8z#横浜 #ミュージカル pic.twitter.com/gxIR3sJYLW
「シドモア桜」
平成3年(1991)にはワシントンから里帰りした桜の苗木5本が、横浜外国人墓地にあるシドモア墓の傍らに植えられました。
シドモア桜とは? | シドモア桜100周年/里帰りを喜ぶ市民の会
その桜たちは「シドモア桜」と呼ばれ、現在も多くの人に親しまれています
今から100年以上前に、日本からワシントンへ渡った桜。その歴史的なDNAを受け継いでいるのが「シドモア桜」なのです
シドモア桜とハナミズキ/横浜市港北区
【中区桜情報3/26】元町公園の桜がほら、見ごろだよ。元町・中華街駅近くのシドモア桜も満開♪ pic.twitter.com/BxhBfODXJn
— 横浜市中区区政情報 (@na_yokohama) March 26, 2018
It was an honor to unveil the garden w/ its new Scidmore cherry sapling, a symbol of longstanding 🇺🇸🇯🇵 friendship, at the Japanese Language & Area Training Center in #Yokohama. #横浜 の国務省日本語研修センターで、日米友好の象徴であるシドモア桜の苗木がある庭を披露でき光栄でした。 pic.twitter.com/8ejJ7dnYNQ
— ジョセフ・M・ヤング 駐日米国臨時代理大使 (@USAmbJapan) March 19, 2019