パキスタンの都市化現象は加速度的に進行し、その中で顕在化する社会問題に迫ります。都市部の貧困層、教育格差、治安の悪化、衛生状態の悪化など、これらの課題は何百万人もの人々の生活を脅かしています。
さらに、ジェンダーに基づく不平等も深刻な課題となっています。識字率の低さや女子児童の就学率の低さが問題となり、教育の普及と女性の社会参加の機会を改善する必要があります。
また、都市部の治安や衛生状態も大きな関心事です。自家用車の防衛手段や水供給の課題、ゴミ処理の問題など、人々が日常的に直面する困難な現実が浮かび上がります。
しかし、一方で希望の光も輝いています。地域の教育支援活動や持続可能な取り組みによって、生活の質を向上させる努力が行われています。この記事では、パキスタンの都市化に伴う諸問題について探求し、解決策や前向きな動きを紹介します。未来への展望を開き、社会の変革に向けた一歩を踏み出しましょう。
Islamic Republic of Pakistan
パキスタン・イスラム共和国
パキスタンは、その文化と歴史の富みにより、世界から注目を浴びる国です。この国は、世界三大文明の一つ、インダス文明の発祥地であり、その中心地だったモヘンジョ・ダロの古代都市遺跡は、世界遺産にも登録されています。また、仏教遺跡ガンダーラ最大の都市タキシラも同様に世界遺産に指定されています。
北西部のフンザ地方は、その美しい自然環境から現代の桃源郷とも評され、世界中から観光客が訪れます。しかし、これらの素晴らしい歴史と文化、自然環境とは対照的に、現代のパキスタンは、社会経済の問題やテロ活動による緊張といった、数々の課題に直面しています。
2011年以降、特にテロ活動が激化し、国内の安定が脅かされています。この国の正式な国名は「パキスタン・イスラム共和国」で、国民のほとんどがイスラム教徒であることがその名前からもわかります。
パキスタン国旗の意味と歴史
パキスタン国旗の名称は「緑月旗」(ウルドゥ語:Sabz Hilali Parcham)で、そのデザインはイスラム教を象徴する緑色と、イスラム教徒以外の少数派の存在を示す白色が特徴です。また、中央には進歩を示す三日月と、光と知識を示す星がデザインされています。この三日月と星の組み合わせは、イスラム教国家の国旗でよく見られるモチーフであり、トルコの国旗などでも使用されています。
パキスタン国旗は、もともと1906年に制定された「全インドイスラム教連盟」の党旗に影響を受けています。そして、1947年の独立時に正式に制定されました。当初は地色が緑一色でしたが、新しい国家としての融合を願って白いパネルが追加されました。このデザインは、パキスタンに住むムスリム以外の人々への尊重を示しています。
なお、パキスタン国旗は縦長に掲揚してはならないという決まりがあります。これは、国旗の意味や象徴を正しく伝えるための規定で、国民の尊敬の念を保つために守られています。
「独立と分離」パキスタンの誕生
パキスタンという国名はヒンドゥスターニー語で「神聖な国」を意味します。これはパク(神聖な、清浄な)とスタン(国、地方)が結びついたもので、同時にこの地を構成する5地方、パンジャブ、アフガン、カシミール、シンド、バルチスタンの頭文字を組み合わせた造語でもあります。
1947年、パキスタンはインドと共にイギリス植民地支配から独立しました。この独立は、「2民族論」に基づいて行われました。これは、ヒンドゥーとムスリム(イスラム教徒)は別の民族であり、1つの国で一緒に暮らすことはできないという理念でした。当時ムスリムが多く住んでいた地域を領土として、「ムスリム国家」パキスタンが誕生しました。
新たに引かれた国境を越えて、ムスリムはインドからパキスタンへ、一方、ヒンドゥー教徒やシク教徒は逆方向に、それぞれ移住しました。この人々の移動は大規模なもので、その数は1000万人にも及びました。しかし、この過程は平和的なものではなく、宗派間の暴動などで100万人もの犠牲者を出す悲劇的な出来事となりました。
「パキスタン」から「バングラディッシュ」が独立
パキスタンの独立後も、国内には言語や民族の違いによる対立が存在していました。特に、国土がインドによって物理的に分断されていた西部(現在のパキスタン)と東部(現在のバングラデシュ)の間には、深刻な対立がありました。
東部は、人口の過半数を占めていたにも関わらず、経済や政治の中心地は西部にあり、そのため東部の人々は長年にわたり不平等と感じていました。また、東部と西部では言語が異なり、これが対立をさらに激化させました。
これらの問題が頂点に達した1971年、東部はパキスタンから分離し、新たな国家「バングラデシュ」として独立を宣言しました。これは、9ヶ月にわたる激しい内戦とインドの介入の結果、実現しました。この内戦では、数百万人が避難を余儀なくされ、大量の人命が失われました。
パキスタンの貧困問題
2億人を超える人口を持つパキスタンは、その大きな市場規模と、中東とアジアを結ぶ地政学的な位置から、経済発展への大きな潜在力を持っています。また、国内には豊富な天然資源があり、農業、製造業、サービス業など、様々な産業が存在します。
しかし、パキスタン経済にはいくつかの課題があります。まず、国内の格差問題です。山間部や農村部では経済基盤が脆弱で、多くの人々が貧困状態にあります。また、都市部と地方部、あるいは地域間の経済的な格差も大きく、これが社会的な緊張を生む原因の一つとなっています。
治安や政治状況の不安定さも、パキスタン経済の大きな課題の一つです。過激派の活動やテロ事件、軍と政府の関係、コラプションなど、これらの問題は経済活動に影響を与えています。
さらに、パキスタンは地震や洪水などの自然災害が頻繁に発生する地域に位置しています。これらの災害は、人々の生活や経済活動に大きな影響を与え、国の発展を妨げる要因となっています。
パキスタンの都市化とスラム問題
パキスタンでは、都市化が急速に進んでいます。2000年の推計では、全人口の37%にあたる約5,800万人が都市部に住んでおり、その数は毎年4.5%の割合で増加しています。これは農村人口の増加率の2倍以上で、経済的機会を求めて都市部に移住する人々が増えていることを示しています。
しかし、この急速な都市化は、都市のインフラや公共サービスが追いつかず、多くの問題を引き起こしています。都市人口の35-40%はスラム地域に居住しており、基本的な生活環境が整っていない悲惨な貧困状態にあるとされています。
都市部の貧困層以下の人口の推計は22.4%から50%と、データにばらつきがありますが、政策決定者の間では都市の貧困が増加しているという事実はコンセンサスとなりつつあります。
特に問題となっているのが、スラム地域の生活環境です。ここに住む人々の大半は、自分たちが住んでいる土地の所有権を持っていません。さらに、飲用水や適切な衛生設備、廃棄物処理といった基本的な公共サービスも提供されていません。
パキスタンの教育問題:就学率と識字率
パキスタンの教育問題は深刻で、国内には約2,300万人の子どもたちが学校に通っていません。これは全世界で2番目に多い数で、最も多いのはナイジェリアです。
特に女子児童や難民の児童、障害を持つ児童の就学率は低く、障害を持つ児童の就学率はわずか5%以下とも報告されています。
この背景には、さまざまな要素が絡んでいます。一つは、女性が18歳になる前に結婚し、就労や自宅から学校が遠いという理由で学校に行く機会を失うケースが多いことです。また、女性を家庭やコミュニティの外に出したくないという文化的な風土も影響しています。
パキスタンの成人識字率もまた問題となっています。国連教育科学文化機関(UNESCO)によれば、15歳以上の成人の識字率は56%にすぎず、そのうち女性の識字率は44%に留まっています。
学校教育へのアクセス障壁
パキスタンにおける就学の問題は、複雑な要素が絡み合っています。その一つが経済的な貧困です。家庭が経済的に困難な状況にあると、子どもたちは学校に通うための資金を確保することが難しくなります。また、家計を助けるために子どもたちが労働を強いられるケースもあります。
さらに、教育を重視しない社会慣習も大きな問題となっています。特に女性に対する教育の価値が低く見られる文化的な傾向は、女子の就学率を低下させています。このような状況は、女性の経済的自立や社会参加の機会を奪い、ジェンダーに基づく不平等を長期化させています。
また、障害を持つ児童にとっては、バリアフリーに対応していない学校施設が就学の大きな障壁となっています。教室へのアクセス性、教材の利用可能性、教師の対応能力など、多くの点で改善が求められています。
識字キャンペーンの形骸化と地域格差
パキスタンの教育問題は深刻で、特に識字率の低さが大きな課題となっています。1980年から識字キャンペーンが展開されているにも関わらず、その成果は見えにくい状況が続いています。各州の部局が担当している識字率向上や不就学児童の問題解決ですが、これらの部局は弱小で、効果的な施策が打てていないのが現状です。
さらに、現在でも親の約4割が非識字者というデータが示すように、教育へのアクセスが限定的であることが問題となっています。パキスタン憲法第25条では、5歳から16歳までの子供に対して政府が義務教育を施すことが定められています。しかし、実際には教育への認識が低く、十分な教育機会を得られない子供が多いという状況です。
「貧困、文化、地域格差の課題」パキスタンの教育問題
パキスタンでの教育問題には、貧困だけではなく、文化的な側面や地域的な格差も深く関わっています。一部の地域や社会では、「学校に行くことが無意味だ」とか、「女性は教育を受ける必要がない」といった意識が根深く存在しています。これらの考え方が、児童労働といった問題を生む一因となっていると考えられます。
さらに、地域による格差も大きな問題です。特に農村部では、女性の識字力が20%を切る地域もあり、地域自体に教育を受けられる環境や教師が不足しているという現状があります。遠方から通学する教師は、自宅と学校間の移動時間が長いため、実際に教える時間が限られてしまう。また、男性教師に対する親の警戒感から、女性児童の就学が難しくなるケースもあります。
テロの脅威と個人の安全確保
パキスタンの治安状況は、残念ながらこれまで数年間にわたり厳しいものが続いています。特にテロリズムの脅威は一貫して高く、公共の場所や人が集まる場所での爆破事件が発生しています。これは、市民だけでなく、観光客や外国人労働者にとっても大きなリスクとなっています。
旅行者や現地で生活する人々は、自身の安全を確保するために、人が多く集まる場所や治安の悪い地域を避けるようにすることが一般的に推奨されています。また、現地の治安情報を頻繁にチェックし、適切な行動を取ることも重要です。
警察の不正行為や暴力
パキスタンの警察は、信頼度が低く、深刻な問題を抱えていると広く認識されています。ヒューマン・ライツ・ウォッチのような国際人権団体も、警察の不正行為や暴力について報告しており、その影響はパキスタン社会全体に及んでいます。
イムラン・カーン首相は、2018年の政権掌握時に警察改革を掲げました。これは、多くのパキスタン人が警察の行動に対して不信感を抱いていたことを反映しています。しかし、この改革が実際に進展し、公正な警察行動が確保されるまでにはまだ時間がかかるでしょう。
Karachi
パキスタン最大の都市「カラチ」の貧困問題
カラチは、パキスタンの文化的、経済的中心地であり、多くの人々が仕事や教育の機会を求めてこの都市に流入しています。都市のサイズと人口の規模からすると、カラチはパキスタンで最も多様性に富んだ都市と言えるでしょう。
カラチのダイナミックな文化は、食文化、音楽、映画、劇場などの面で特に顕著で、この都市の多様性とエネルギーを反映しています。また、都市の歴史的建造物や美しい公園も、カラチの魅力の一部です。
しかし、それと同時にカラチは、パキスタン全体の経済格差や都市化の問題を象徴しています。都市部では極度の貧困やスラム地区が広がり、基本的な公共サービスやインフラストラクチャーへのアクセスが不十分な地域も存在します。
世界で最も住みにくい都市の一つ
カラチは、気候やインフの問題、治安の悪さ、そして衛生状態の悪化などにより、一部のランキングでは世界で最も住みにくい都市のひとつに挙げられています。暑さと湿気が厳しい気候やモンスーンによる道路の冠水や停電、交通、通信のトラブルなどは、カラチの住民にとって日常的な問題となっています。
加えて、衛生状態の悪化は、病気や感染症のリスクを高めることから、住みにくさを一層増しています。エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)が発表したランキングでは、紛争下にあるリビアの首都トリポリやベネズエラの首都カラカスと並んでカラチが挙げられているほどです。
防弾や爆撃を想定して自家用車を改造
パキスタン、特にカラチやラホールなどの大都市では治安問題が深刻で、テロや誘拐、殺人などの犯罪が頻繁に発生しています。パキスタン人権委員会によれば、一定期間内に殺害された人数が過去最多を記録し、市民警察協議会によると、誘拐被害者数も過去最多となっているとのことです。
治安の悪化に対抗するため、経済的な余裕がある人々は自衛策を講じています。カラシニコフ自動小銃(AK-47)の銃弾から身を守る防弾窓ガラスや爆弾攻撃にも耐えられる車台を自家用車に装着し、防衛手段を強化して、所有する車両を装甲車に改造する人もいます。
パキスタンのスラム「カッチ・アバディ (katchi abadis)」
カラチ市の人口約40%が「カッチ・アバディ(Katchi Abadis)」と呼ばれる未成熟あるいは未計画な居住地区に住んでいます。
カラチの土地の約80%が公有地であることを考えると、これらのカッチ・アバディは主に公有地上での不法占拠と考えられます。これは深刻な都市計画と不法占拠の問題を示しており、これらの地区の住民は基本的なサービスやインフラストラクチャーへのアクセスが限られている可能性が高いです
これはスラムやスクワッター地区と同じような状況を指していますが、ニュアンスとしては完全に同じとは言えません。
飲料水へのアクセスの制約と汚染が引き起こす深刻な衛生問題
パキスタンは、水供給と衛生設備における深刻な問題に直面していますが、特にカッチ・アバディでは、飲料水へのアクセスが限られ、家庭への水供給がないため、女性や子供が長い距離を歩いて水を求めるという日常的な現象が見られます。
パキスタン政府の調査によれば、家庭に飲料水が引かれていない国民は全体の約4分の3に上ります。さらに、国全体で水の7割が汚染されていると報告されています。
「オランギタウンシップ」カラチ最大のスラム地区
オランギ地区はカラチ市の北西部に位置し、パキスタン最大のスラム地区として知られています。この地区は台地状の丘陵地に広がっており、その大部分がカッチ・アバディ(未成熟な、計画的でない居住地)と呼ばれるスラム地区で占められており、オランギタウンシップとも呼ばれています。
オランギのカッチ・アバディは、1970年代にパキスタン北部からの移民や難民の流入により成長しました。その結果、人口は急激に増加し、現在では推定で200万から250万人が住んでいるとされており、インドの巨大スラム街「ダラヴィ」よりも人口は多いと推定されています。
違法土地分譲者「ダラル」が暗躍するスラムの生活条件
ダラルと呼ばれる違法土地分譲者の存在は、カッチ・アバディなどのスラム地域の深刻な問題の一つです。彼らは公共地や私有地を不法に取引し、土地を住宅地に転用します。多くの場合、彼らは地元の役人と手を組んでこのような行為を行い、公有地を不法に取得します。
これにより、法的に保護されていない人々が住む土地が生まれ、結果としてスラムの拡大につながります。また、これらの住宅地はしばしば基本的な公共サービスやインフラストラクチャーを欠いており、住民の生活条件は厳しいものとなります。
伝染病が蔓延する劣悪な環境
オランギ・タウンシップのようなスラム地区では、公共インフラストラクチャーの欠如が重大な問題となっています。ダラルと呼ばれる違法土地分譲者が提供する住宅地は、下水設備がほとんど整っていないため、衛生状態は非常に悪いです。家々から出る廃棄物や汚水が通りに溜まり、これが感染症の原因となります。
さらに、住民の多くが医療費を負担する余裕がないため、病気になったときの対応が困難となります。これらの問題は、住民が貧困状態から抜け出すことを難しくしています。
スラムの住人たちによる自助努力
一方で、このような困難な状況にもかかわらず、オランギ・タウンシップの住民たちは自らの手で問題を解決しようとしています。たとえば、オランギ自己援助技術(Orangi Pilot Project-Research and Training Institute, OPP-RTI)という地元の団体は、低所得者が自分たちで下水設備を整備することを支援しています。これにより、多くの家庭が自宅から通りまでの下水道を自分たちで建設し、衛生状態の改善に貢献しています。
ゴミ処分場のスラム「カチラクンディ」
カチラクンディは、パキスタンの大都市カラチのゴミ処分場であり、人口1600万人の都市から生じるゴミがこの広大な空き地に運ばれてきます。パキスタンでは、都市部のどこにも焼却炉がないため、平原にこのようなゴミ処分場が設置されています。
このようなゴミ処分場は、環境汚染や公衆衛生の悪化につながることがあります。また、ゴミの適切な処理がされないことで、悪臭や害虫の繁殖が起こり、周辺住民の生活に悪影響を与えることもあります。
廃棄物再利用とリサイクルの影に潜む健康リスク
カラチのカチラクンディ地区のような貧困層の住む地域では、生計を立てるために廃棄物の再利用やリサイクルが一般的な活動となっています。ここに住む人々は、ゴミ山から金属や他の有価物を見つけ出し、それを売ることで生活費を稼いでいます。しかし、このような生活環境は、健康や安全に対する深刻なリスクを抱えています。
特に子供たちは、ゴミを燃やすことでダイオキシンという有害物質が発生する環境で働かざるを得ない状況にあります。ダイオキシンは人体にとって有害で、長期的に曝露されると様々な健康問題を引き起こす可能性があります。
スラムでは子どもが重要な働き手
スラム地域で生活している親たちは、経済的な困難を抱えており、子どもたちを労働力として利用することが珍しくありません。親たちにとって、子どもたちが働いて家計を支えることは、生活のために必要なこととなっています。そのため、教育よりも子どもたちの労働が優先されることが多いのです。
劣悪な環境
カチラクンディのようなスラム地域では、基本的なインフラが不十分で、住民たちは適切な水道や井戸を利用できません。水を手に入れるために、商売人が運ぶ水を購入せざるを得ない状況にあります。しかしこの水は、衛生面で問題があることが多く、大量のハエなどがプール周辺に集まっていることが珍しくありません。
「アルーカイールアカデミー」スラム地区の未来を照らす教育の灯火
アル・カイールアカデミーは、カラチのスラム地区に暮らす子どもたちにとって、教育を受けるための重要な機会を提供しています。
“アル・カイール”という名称は、教育を通じて子供たちの福祉を向上させるという学校の使命を象徴しています。これは、スラム地区の子供たちが学び、自己向上の機会を持つことができる場所を提供するという、その根底にある目的を反映しています。
アカデミーの校長のムハマッド・ムザヒル校長と友人たちは、この地域の子どもたちが学ぶ機会を持つことの重要性を理解し、この学校を設立しました。
学校は初等中等教育を提供し、午前と午後の2部制になっています。これは、家庭の経済状況により働かなければならない子どもたちも、少なくとも半日は学校に通って教育を受けることができるようにするためです。
初めて学校を設立した時、ムザヒルたちは親たちに教育の価値を説明し、子どもたちが学校に通えるような環境を整えることから始めました。設立当初は、たった10人の生徒と1人の先生から始まったこの学校は、寄付によって運営されています。
ムザヒル校長の教育への志
ムザヒル校長は、教育という形でスラム地域の人々を支援する以前に、様々な物質的支援を行ってきました。その一つが、「テーリー」と呼ばれるリヤカーを作り、住民に供与する活動でした。これは、住民が生計を立てるための手段を提供するという観点から考えられた支援で、生活改善を目指したボランティア活動の一環でした。
しかし、物質的な支援だけでは住民の生活は根本的には改善しないと彼は気づきました。
ムザヒル校長の洞察は、本質的な社会変化についての深い理解を示しています。彼の見解によれば、物質的な支援だけでは、人々の生活状況は一時的に改善されるかもしれませんが、それは持続的な変化をもたらさない。したがって、彼は長期的な視点でアプローチを変更し、教育の力を利用することに決定しました。
教育は、人々に知識とスキルを提供し、新たな機会を開くことができます。さらに、教育は個々の自己向上の手段を提供し、自分たちの生活を自分たちで改善する能力を育てます。この視点から、彼は1987年に10人の子どもたちを対象に教育支援を開始しました。
子どもたちの興味と信頼を育む
ムザヒル校長は、子どもたちが学ぶことに対する興味を引き出す方法を見つけるために、試行錯誤を始めました。そして彼は、子どもたちが、住んでいる地域や生活に関心を持つことを利用して、彼らに教育の楽しさを伝えました。
学校では、自分の名前を書けるようにすること、遊ぶこと、おしゃべりをすることに焦点を当てました。これによって、子どもたちは自然に学ぶことに興味を持ち始め、教育が楽しいものであることを理解しました。
また、ムザヒルは子どもたちと一緒に生活し、彼らの日常の問題を共有しました。これによって、彼と子どもたちの間に信頼関係が築かれ、子どもたちも変化していきました。、その時の経験が今のムザヒル校長を支え続けているといいます。
“教育”の大切さを子ども達の親にも説いた
ムザヒル校長が始めたこの教育プロジェクトは、初期の段階では多くの困難に直面しました。資金調達の問題、地域の人々からの理解の欠如、さらには活動に反対する人々からの妨害など、挑戦は多岐にわたりました。
特に、親たち自身が読み書きのできない人が多く、教育の価値について理解していなかったため、その必要性を説くことは難しかった。彼らにとって、子どもは収入源であり、教育を受けさせるという考え方は見当たらなかったのです。加えて、農村部から子どもが2,000円で売られ、無給で働かされるという児童労働の現実もありました。
しかし、ムザヒル氏は教育の必要性を親たちに根気強く説き続け、時間をかけて彼らの理解を得ることに成功しました。その結果、学校で学ぶ子どもたちの数は徐々に増え、今では学校の運営は地元の人々からも認められるようになっています。
今ではたくさんの生徒が通っている!
2020年8月の時点で、アル・カイールアカデミーは10校を運営し、約4500人の生徒たちが学んでおり、約200名の教師が働いています。校舎の壁には、「この国の未来を変えるのは教育しかない。教育なくして未来はない」という言葉が描かれています。これは創始者であるムザヒル先生の信念であり、どの国にも当てはまる普遍的な真実を表しています。
アル・カイールアカデミーでは、宗教に偏らない実用的な科目を教え、子どもたちが自分の未来を自分で切り開く力を育てることを目指しています。その結果、多くの生徒たちが大学受験を目指すようになりました。教室を覗くと、教育のレベルが高いことが分かります。例えば、小学生くらいの子どもたちが日本の中学生レベルの内容を学んでいることもあります。
アカデミー持続可能な運営のための新たな道
アルカイールアカデミーは初期の運営資金を個人の寄付に頼っていましたが、寄付は毎年同じ量が集まるとは限らないという問題があり、アカデミーの運営は非常に不安定でした。
「パキスタンでの古着販売のため」アル・カイール事業グループの誕生
そのため、寄付以外の方法で運営資金を生み出す新たな方策として、NPO法人日本ファイバーリサイクル連帯協議会(JFSA)と共同で、衣類や毛布、バッグなどの販売事業を立ち上げるアル・カイール事業グループ(AKBG)を設立しました。
AKBGは1993年に、不登校児とともにリサイクルショップを運営していたスタッフがパキスタンの人々と出会ったことから始まりました。AKBGは、日本から送られてくる衣類や雑貨を現地で販売し、その売上を学校の運営や教材、給食の費用などに充てています。驚くべきことに、約10キロの衣類から得られる売上で、1人の子供が1ヶ月間学ぶことができます。
JFSAとアルカイールアカデミーは、繊維製品を活用して、自立した活動を行うことを目指しています。JFSAは、自身のウェブサイトや、協力する生協などの団体の広報を通じて、古着や毛布などの回収を呼びかけています。また、活動の報告や教育、そして古着の選別体験などを通じて、寄付された古着がどのように活用されているかを伝えています。このような活動を通じて、多くの人々が、古着がアルカイールアカデミーの運営に重要な役割を果たしていることを理解し、支援を続けています。
「地球市民交流基金 EARTHIAN」職業訓練支援を開始
この地域では高学年(10歳くらい)になると子どもたちは家族の稼ぎ手となるため、学校を辞めざるを得ない子が後を絶ちませんでした。、女の子は社会的風習により1人で外出するのもままならなくなり10代前半で結婚することも多く、学校をやめていく生徒が大勢いました。
そのような背景から、アカデミーの校長先生の要望に応え、2001年よりアルカイールアカデミー職業訓練所「EARTHIAN」を開設し支援を開始しました。EARTHIAN(アーシアン)は、地球市民という意味です。
ムザヒルは一般教育だけではなく、子どもたちに技術を身に付ける職業訓練の場を提供し、少しでも収入を得られるような道を開くことで、親達の理解を促し、中途退学を減らしたいと考えたのです。
EARTHIANでは電気科(男子生徒)と縫製科(女子生徒)の授業が行われています。職業訓練所はムザヒル氏を代表とする現地委員会「アル・カイール福祉協議会」により運営されています。
一般教育に加え職業訓練があることで親を納得させることができ、学校をやめる子が減りました。学校に通い続けることで子どもらしい時間を長く持ち、将来の選択肢を増やすことにつながります。諸々の事情により現在は女子生徒の縫製科のみが運営されています。
女性のために卒業後の仕事場を創設「縫製工房」
アル・カイールアカデミーは、卒業した女性のための縫製工房を設立しました。工房にはミシン10台、ロックミシン2台、アイロン2台、裁断台2台が設置され、現在のスタッフは7名で、全員が女性です。これらの女性スタッフは、アカデミーの卒業生やその親です。ただし、ミシンのメンテナンス(管理)と裁断作業は男性が担当しています。
縫製技術のリーダーは縫製工場で働いた経験のある女性で、製品の品質チェックや針などの道具管理は、元縫製科の先生の娘さんが担当しています。
パキスタンは男性主導の社会で、女性の自立はまだ十分に進んでいないとされています。この縫製工房の設立は、アル・カイールアカデミーの卒業生やその家族が事業を主導し、自立する機会を提供することを目指しています。
「カチラクンディ分校」ゴミ処分場の中の学校
2002年にムザヒル校長がカチラクンディを訪れたとき、ゴミ焼却場で暮らす子供たちの様子に心を動かされ、すぐに学校を建設しました。ゴミを積んだトラックが頻繁に往来し、そのゴミが大規模な野焼きのように焼かれる中、簡素な分校が立っています。その風景は強烈な印象を与えました。
この学校の立地は最悪といえます。しかし、これが子供たちの生活の場であり、仕事の場でもあるゴミ捨て場の中に学校を設けなければ、子供たちは学校に通うことはできません。アル・カイールアカデミーは授業料を無料にして運営していますが、子供たちが家計を支える重要な労働力となっているスラム地域では、たとえ無料でも学校に通うことは容易ではありません。
一生懸命勉強をする子ども達の姿
カチラクンディの子どもたちは最初、鉛筆や消しゴムの使い方すら知らなかったと言います。授業中にはハエを払いつつ、床にノートを置き、一生懸命に先生の話を聞いていました。いくつかの子どもたちは、「勉強が好きで、将来は先生になりたい」と言って目を輝かせていました。
壁に塗られたグリーンのペンキだけが黒板である教室で、子どもたちは真剣に黒板を見つめていました。その姿から、教育の原点を見たような気がしました。こんな環境であっても教育を受けることが、子どもたちの未来にとって希望の光となっていることを強く感じました。
この地域の親たちは大半が学校に通っておらず、識字率も低いため、子どもたちが足し算や引き算を学ぶだけで、集めた金属を売る際にお金をだまされることがなくなったといいます。
カチラクンディ分校には、地域住民のための小さな診療所も設けられています。しかし、病気の予防には、飲料水の管理も重要であると感じています。これは、生活の基本的な要素である清潔な水が、健康と教育の両方に重大な影響を及ぼすからです。