「除夜の鐘を鳴らして初詣」あらゆる宗教が合体する不思議の国“日本”

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「除夜の鐘を鳴らして初詣」あらゆる宗教が合体する不思議の国“日本”

Japanese religion

なんでもあり!?日本の宗教

machi/YouTube

 日本人の多くは雑多な信仰を持つ。子どもが生まれたときには神社(神道)にお参りするのに、お葬式はお寺(仏教)で行うという人が多数派だ。クリスマス(キリスト教)を祝ったかと思うと年末はお寺に除夜の鐘を衝きにいき、翌日の新年は神社に初もうでをする。そのくせ、自分のことを無宗教と思っている人が多い。逆に無宗教だからこそ、複数の神や仏を拝むことに違和感を覚えないのかもしれない。

神も仏も信仰する日本人の不思議 ~神仏習合~/Exciting Journey – The KANSAI Guide

神道(日本)+仏教(日本)ヒンドゥー教(インド)+中国(道教)=「七福神」

3. 宝戒寺(毘沙門天さん)

日本の「七福神」はインドと中国と日本の神々のチャンポンです(弁天と毘沙門天はヒンドゥー教の神、布袋は仏教の菩薩、福禄寿と寿老人は中国の道教の神、大黒はヒンドゥー教のシヴァ神と日本のオオクニヌシの合体、恵比寿だけが神道固有の神です)。

宗教がわかってない人はこの4原則を知らない何を信じ、礼拝し、服し、目指していくのか/東洋経済ONLINE.2020

お寺と神社合同のお祭り「赤田大仏祭り」

秋田魁新報/YouTube

 秋田県の無形民族文化財に指定されている「赤田大仏祭り」は、江戸時代、「赤田の閑居様」と地域の人々に慕われた是山(ぜさん)和尚が、長谷寺(ちょうこくじ)に、赤田の大仏と呼ばれる長谷十一面観音像を造ったのちに始まったといわれています。五穀豊穣、家内安全を祈願する200年以上続く、由利本荘市赤田の伝統行事です。

赤田大仏祭り/あきた元気ムラ!秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

毎年8月21日と22日に行われる赤田の大仏祭は、長谷寺と赤田神明社の合同祭で、神仏混合の全国的にも珍しい祭典です

周辺観光/【公式】本荘グランドホテル – ehoh.net

21日に、大仏の分身を入れた御神輿を長谷寺から神明社に移して一夜を明かし、22日に御神輿は長谷寺をめざし、神明社を出発します

赤田大仏祭り/あきた元気ムラ!秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

神社で神主とお坊さんが一緒にお参り「報賽式(ほうさいしき)」

machi/YouTube

 禅宗の僧たちが神社にお参りする珍しい伝統行事「承天寺報賽式(じょうてんじほうさいしき)」が11日、福岡市東区の筥崎宮であり、承天寺(福岡市博多区)の神保至雲住職らが列をなして拝殿内を歩き回る独特の作法で読経した。

僧侶が神社にお礼参り 筥崎宮で承天寺報賽式/西日本新聞.2018

770年ほど前から続く「報賽式(ほうさいしき)」は、禅宗の僧侶が筥崎宮にお参りするという非常にめずらしい伝統行事で、鎌倉時代の1241年、宋での修行を終え帰国の途についた承天寺の開祖「弁円(聖一国師)」が海上で嵐に遭遇した際、八幡神のご加護により、無事に帰国することができ、翌年にそのお礼参りを八幡神を祀る筥崎宮で行なったことが始まりとされています。

お寺の僧侶が神社を参拝 伝統行事「報賽式」で承天寺の僧侶が筥崎宮にお礼参り/新宮町の情報サイト.2016

 この日は、けさをまとった約20人の僧が筥崎宮の神職に導かれて参道を歩き、その姿に驚いた様子でスマートフォンのカメラを向ける参拝客も。福岡市西区の岡部雅子さん(76)は「神社にお坊さんがいてびっくり。めったに見られないものが見られて良かった」と話した。

僧侶が神社にお礼参り 筥崎宮で承天寺報賽式/西日本新聞.2018

<コロナ禍>疫病退散の願いを込め!時を超えて約550年ぶりに復活「北野御霊会」

SankeiNews/YouTube

京都市上京区の北野天満宮で4日、祭神の菅原道真を慰霊し、新型コロナウイルスなどの疫病退散や健康、安全を祈願する神仏習合の「北野御霊会」が、約550年ぶりに再興された。北野天満宮と比叡山延暦寺の関係者が参列する儀式で、1467年に始まった応仁の乱以降、途絶えていた。

コロナ退散願い北野御霊会、京都 550年ぶりに再興/山形新聞.2020

北野天満宮の東川楠彦権禰宜は「感染拡大で不安が広がるなか、寺社が心を1つにして疫病退散を願うことは非常に意義があると思います。古くからの儀式なので長く続けていきたいです」と話していました。

神道と仏教が一緒に新型コロナ終息を祈願 京都 北野天満宮/NHKオンライン.2021
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神道と仏教抜きに、日本の伝統精神を語ることはできない。本書はその本質に追るべく、神道に精通した旧皇族と仏教の極意を知る大阿闍梨が、垣根を越えて語らったもの。「戦いによらず統一王権を築いた天皇の独特さ」「日本人の生活のほうが欧米人より宗教的」「日本が幸せになることが、世界の幸せにつながる」など、“光り輝く”61のエピソードで、この国の見方が変わる! –このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。(「BOOK」データベースより)

Shinbutsu-shūgō

仏教と神道が合体「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」

kanchan Suzukan/YouTube

日本の宗教文化の特徴として神仏習合・神仏共存があります。仏教が伝えられて以来、日本古来の神々と仏教は他宗教に見られるような深刻な対立抗争もなく、融合・共存しあって独特の展開を見せてきました。

神も仏も ~日本における神仏習合・神仏共存の 世界を学び、日本人の宗教観を探る~/大正大学

神仏習合とは、日本に元来あった神様の信仰である神道と、外国からやってきた仏教の信仰がひとつになった宗教の考え方で、奈良時代に始まったものです。

神仏習合の意味(神仏習合とは)/エンパーク

 日本に仏像が入ってきたとき、最初にできた寺院では神道と仏教を一緒に祭っていました。仏像も「仏神像」と呼ばれていました。仏教を神道に取り込むという形で完全な神仏習合を実現していたのです。

聖徳太子 本当は何がすごいのか【第4回:神道が先か、仏教が先か】/日刊SPA!.2017

山岳信仰にさまざまな宗教が合体!!「修験道」

Hiroki Okano/YouTube

修験道は、今からおよそ1350年前 飛鳥の時代、役行者(えんのぎょうじゃ)により開かれた「実修実験の道」です。

修験道/櫻本坊

日本人は昔から山には神々が宿ると信じ、山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っています。

聖護院/修験道

修験道は、山を聖域と見、その聖域の奥深くまで分け入って修行することによって、神秘的な力を得、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰の宗教です。このようなことから、修験を「山伏(やまぶし)」と言うこともあります。修験との名称は、その字の如く、「修行して験力を顕す道」であるということから名づけられたものです。

役行者霊蹟札所会 * 修験道とは何か/役行者霊蹟札所会 公式サイト

修験道は、自然の中でも特に「山」を神聖視してきた日本人古来の山岳信仰に、インドの宗教である仏教や、中国の宗教である道教や儒教など、外来の宗教が結びつき、さらにそこに神道や陰陽道、民間信仰などまでが取り入れられ、次第に形成されてきました。

役行者霊蹟札所会 * 修験道とは何か/役行者霊蹟札所会 公式サイト
山の神々の信仰と仏教が融合!「神仏習合」

修験道は、日本固有の山岳信仰に仏教(密教)が結びついて成立したものですから、一般に、神仏の習合性が濃厚でした。その根底には、神と仏を対等にみて、両者を調和させようという思想があったのです。

ふるさと物語 89 『修験道の神仏習合性』修験道物語(2)/紫波町

修験道の聖地「六郷満山」

JAPAN GEOGRAPHIC/YouTube

 六郷満山は、国東半島の寺院群の総称です。両子寺を中心として、多くの修験者の修行の地でもあり、また、古くから山岳宗教として栄えました。

国東半島の六郷満山と修験道/神田 嘉延ー歴史文化の旅から学ぶシニア人生ー.2017

神仏習合の発祥の地である、八幡総本宮・宇佐神宮。境内には六郷満山の開祖・仁聞菩薩の弟子たちが務めていたといわれる弥勒寺跡があり、僧侶たちはここから国東半島の山々へ修行の場を広げていった。天台宗の開祖・最澄も、中国へ渡る前、そして帰国後に参拝したと伝えられる。

美しい日本の辺境を訪ねて “神仏習合のふる里” 六郷満山をめぐる vol.1/PAPERSKY.2021
六郷とは

六郷満山(ろくごうまんざん)の六郷とは、古代国東半島の来縄、田染、安岐、武蔵、国東、伊美という六つの郷を指したもの。また「満山」とは山岳仏教寺院が使う言葉で、寺院の集合を称しています。

六郷満山/昭和の町・豊後高田市公式観光サイト
国東半島

 国東半島は宇佐神宮・弥勒寺に伝わった天台宗の実践の場として、九州ではいち早く仏教が栄えた地域であり、宇佐・八幡神の影響を強く受けながら、厳しい地形での修行を好む山岳宗教との融合を経て、独特の六郷満山文化を花開かせました。

国東半島が誇る文化遺産「六郷満山」について/豊後高田市

 そのため、六郷満山では神仏習合の文化が色濃く、神社と寺院とが一体となって存在していたり、神社の規模が寺院と同等であったりします。また、寺院によっては後背の耶馬(岩峰)の中に多くの修行の場(岩屋・無明橋など)が設けられています。

国東半島が誇る文化遺産「六郷満山」について/豊後高田市

開祖・仁聞菩薩(にんもん ぼさつ)

国東半島・六郷満山は養老2年(718年)に、宇佐八幡神の化身(生まれ変わり)として仁聞菩薩(にんもんぼさつ)によって、神仏習合の原点となる山岳宗教を宇佐国東の地に開かれました。

僧侶と歩く六郷満山峯入行(一般参加型)について/豊の国千年ロマン観光圏

この八幡大神の生まれ変わりとされる仁聞菩薩が、奈良時代の718年に国東半島各地に28の寺院を開基したことにより、〝神を仏とし、仏を神とする〟神仏習合の独特な仏教文化「六郷満山文化」が開花した

心がしぼんだらいらっしゃい。国東宇佐の旅その1・宇佐神宮編/六郷満山展 開催記念(連載4回)【コラム】/ARTNE.2017
峯入(みねいり)

その仁門菩薩の教えに従い、現在でも多くの僧侶たちが「峯入」という修行で、仁門菩薩の教えを実践しており、2017年4月には、江戸時代まで実施されていた183ヶ所を巡る峯入が白装束をまとった僧侶により、約1カ月間実施されまし

僧侶と歩く六郷満山峯入行(一般参加型)について/豊の国千年ロマン観光圏

「峯入行」とは、六郷満山を開山した仁聞菩薩が修行を積んだ”聖地を巡る修行方法”のことです。山々の連なるその険しい道は150kmとも言われ、そんな中歩いて国東半島を約1周します。

開山1300年の大聖地 六郷満山の魅力に迫る/日本旅行の国内旅行・海外旅行

日本にいる神様たちは仏様が変身した姿「本地垂述説(ほんじすいじゃくせつ)」

 神仏習合で最も進んだものは、本地垂迹説である。

幕藩体制の動揺と天皇制ナショナリズムの起源⑬(堀込 純一)

日本の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現であるとする考えである。本地垂迹は、本来天台宗において『法華経』の「如来寿量品」(にょらいじゅりょうほん)における久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦(歴史を超越した永遠の釈迦)と 始成正覚(しじょうしょうがく)の釈迦(歴史的実在としての釈迦)を区別するために用いられた語であり、 現実世界の釈迦は、本地たる仏陀の垂迹とするものであるが、 本地垂迹説は、これを日本の神仏関係に応用したものである。

4 第四章 本地垂迹説の成立/平安時代の神仏習合とその歴史

 この本地垂迹説は、仏教がもとにあって神道があとに出てきたものという考え方をとります。そのようにして仏教と神道の習合をはかったのです。もともと日本にあった神仏習合の考え方とは正反対の考え方です。

聖徳太子 本当は何がすごいのか【第4回:神道が先か、仏教が先か】/日刊SPA!.2017

仏様が神道の神様を守るため「神宮寺」

Five Leaves Style/YouTube

(前略)古代以来の神仏習合によって、古くから地域で信仰されてきた神社の社域や神社に隣接した土地に、仏教の仏が神道の神を守ることを目的(口実)に「神宮寺」が建立された。

「タリバンよりも残酷」だった? 明治維新の「廃仏毀釈」はタリバンの「大仏破壊」とどう違うのか/現代ビジネス | 講談社.2021

現在も多くの参拝者でにぎわう鹿島神宮(茨城県)、諏訪大社(長野県)上賀茂神社・下鴨神社(京都府)、住吉大社(大阪府)、宇佐八幡宮(大分県)、そして皇祖神アマテラスを祀る伊勢神宮(三重県)にも神宮寺があった。

「タリバンよりも残酷」だった? 明治維新の「廃仏毀釈」はタリバンの「大仏破壊」とどう違うのか/現代ビジネス | 講談社.2021
神道と仏教が完全に合体

「本地垂迹説」が広がり、定着する事によって、神が仏に取り込まれる形で神仏は一体化していき、神宮寺化によって曖昧になっていた神と仏との間の境界線はついに見えなくなり、神仏は完全に習合するようになっていきました。

神仏習合/西野神社 社務日誌.2007
その中では争いもあったが……1000年もの間、神道と仏教は一緒だった

仏教が日本に定着する前は戦争もあった。戦争が終わってようやく日本に定着したのですが、日本人というのは、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と言ったように、争うことが大嫌いです。そこで、奈良時代の中頃から、日本の神様と海の向こうから伝わってきた仏様は、実は同じものだという信仰が始まった。後にこの信仰は平安時代に完成します。今は神と仏、神社とお寺は別だと思われていませんか?昔は一緒だったのです。実は、一緒の時代は1000年も続いています。いつ変わったのかというと、明治維新の時でした。

奈良学ナイトレッスン 第8期 教科書では教えてくれない奈良の歴史 〜第三夜 神と仏の合体一日本独自の信仰の世界〜(p.3)/日本独自の信仰の世界 – うましうるわし奈良

明治維新の頃に神道と仏教が分離させられる「神仏分離政策」

明治維新とは、諸外国の圧力をはね除けて日本人が独立の精神を固めようとした運動で、その一つがこれです。本来、仏は海の向こうから伝わってきたものであるから、日本の清らかな神様とは切り離すべきだということで、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」、「神仏分離令」というのが行われました。

奈良学ナイトレッスン 第8期 教科書では教えてくれない奈良の歴史 〜第三夜 神と仏の合体一日本独自の信仰の世界〜(p.3)/日本独自の信仰の世界 – うましうるわし奈良

お寺の破壊活動に発展「廃仏毀釈」

 これは、俗にいう明治維新の動乱の中で、明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって惹き起こされた、直接的には仏教施設への無差別な、また無分別(むふんべつ)な攻撃、破壊活動のことをいう。

日本史の一大汚点「廃仏毀釈」はいかにして行われたか?/ダイヤモンド・オンライン.2017

明治元年より9年ごろまで全国各地で寺院の破却が続いた。民衆が明治政府の対策を廃仏毀釈として受け取って、廃仏毀釈運動をし、堂塔、仏像、仏画、絵巻物、経典などを破却または焼却した。

明治政府の神仏分離と祇園祭(p.2)/独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation)

 ここで忘れてはいけないのは、庶民からの迫害を、なぜ寺院が受けたかということです。それはお寺が権力と結びつき、本来の宗教的立場から逸脱していたからです。日本のお寺の歴史をひもとくと、確かに伝来当時から権力者に庇護されてきた歴史があります。特別扱いを受けて来た寺院は何時の世でも、一般庶民からみると優遇され、権力者の隠れ蓑に見えていたのかもしれません。

青山梅窓院史 五・廃仏毀釈と梅窓院/長青山 梅窓院|東京南青山

なお「廃仏毀釈」の「廃仏」は文字どおり仏教・仏法を廃すること、「毀釈」の「毀」は壊す、あるいは悪口を意味し、「釈」は釈迦のこと、釈迦の教えのことで、「仏を廃して釈を毀る」と訓読する。

神仏習合と廃仏毀釈何を「判然」とさせたかったのか?/ちくま新書.2021
明治政府「ちょ・・・やりすぎ」

明治政府は、もとより仏教そのものの排斥を狙っていたわけではなかった。神社から仏教色を一掃して「神仏習合」の慣習を禁止し、神社を天皇と国民をつなぐ中継地にすることが、明治政府の意図だった。

天皇も「一生の心残り」と悔やんだ、明治政府のある蛮行の記録/現代ビジネス | 講談社.2017

民衆の廃仏毀釈の運動に対して、神仏分離が廃仏毀釈ではないと説明した。しかし、廃仏毀釈運動の結果は多くの貴重な古文書、文化財の喪失で終わった。

明治政府の神仏分離と祇園祭(p.2)/独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation)

しかし、このような当初の意図を超えて、寺請制度のもとで江戸幕府に仕える立場だった寺院に反感を持つ地方の神官や、国学者などが扇動し、過激な「廃仏毀釈」運動へと発展していった。

天皇も「一生の心残り」と悔やんだ、明治政府のある蛮行の記録/現代ビジネス | 講談社.2017

天皇と伊勢神宮を頂点とする神道「国家神道」

 国家神道が生まれたのは、まさにこのころ。現在神社で行われている神事の数々も、明治以前は僧侶の業務の一環とみなされることが多かったが、それもきっちりと分業され、一部の僧侶は神官へと転向。また、神社に設置された仏像や仏具なども破壊されることになる。

伊勢神宮が日本一権威のある神社になった理由/介護ポストセブン

後に軍事利用されてしまうことに……

明治政府はそれまで民間信仰であった神道を、天皇崇拝のイデオロギーとして伊勢神宮を頂点に序列化した。そうすることで、神道を“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想の装置として、祭政一致の国家主義、軍国主義に突き進んでいったのだ。

サミットで国家神道の中心「伊勢神宮」訪問はなぜだ? 安倍首相が改憲と戦前回帰を目論みゴリ押し/LITERA.2016

戦後GHQの統治時代に国家神道を解体命令「神道指令」

 当時、神道は「国家神道」として優遇され、宗教ではないとみなされていた。一方、日本の非軍事化・民主化を進めていたGHQ内では、天皇を頂点とした精神的な団結力が日本人を戦争に突き動かしたという考えから、日本人の精神的改革のため「神社を破壊すべきだ」という過激な意見もあった。

【戦後70年】神道の命運左右した「視察」 GHQに新嘗祭見せよ…占領政策から神社守った宮司の戦い/産経ニュース.2015

「神道指令」は略称で、本来は「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という題である。国家神道の解体を指示したと言われているが、実は神社神道という宗教組織と国家の分離というところに焦点を当てたものだった。それはアメリカ風の国家と教会の分離の理念によるものだ。

神聖天皇から象徴天皇へ―なお続く課題― – 島薗進/論座.2019
“君が代”だけじゃなかった!!?GHQにより封印された第2の国歌「海ゆかば」
実は日本人に「国家神道」の概念が存在していなかった

 この考え方は正しいどころか、GHQの誤解の産物でした。そもそも、「国家神道」の呼び名は日本ではほとんど用いられていませんでした。敗戦後「State Shinto」が翻訳されてから一般化したに過ぎません。

日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【憲法改正について】/日本財団 図書館

GHQは「国家神道」を、ヒトラーのドイツを支配したナチズムと同一視しようとしていました。実際はどうだったのでしょうか。例えば、神社に対して支出された国費は、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると減額されてしまいました。「神道指令」の中で、思想面から「国家神道」を支えたとして禁書とされた『国体の本義』にしても、政府は大量に頒布(はんぷ)し大々的に宣伝しましたが、国民はほとんど関心を示しませんでした。

日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【憲法改正について】/日本財団 図書館

そして今!無宗教……でも神様はいる……そんな気がする

神道と仏教の割合が多いとされる日本ですが、ロイターの記事によると、アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが2012年に発表した統計では、日本人の約6割が「無宗教」という結果が出ているそうです。

なぜ日本人は「無宗教」なのか?/テンミニッツTV.2017

 しかし、間違えてはいけないのは、日本人は決して神を信じていない「無神論」の民族ではないということです。神様はいる、もしくはいるかもしれないと思っているけれど、「これ」といえる宗派に属していないというのが多くの日本人のスタンスなのです。

なぜ日本人は「無宗教」なのか?/テンミニッツTV.2017
文化として残っている

仏教的に仏さんとは、ご祖先の事で、ブッダと考える人は少ないようです。 又結婚式や初詣など、季節を彩る人生儀礼は神社にて行うのですが、弔いだけは仏教に委ねる様です。これも、意識的にそうしているのではなく、歴史を紐解いた時、神道と仏教が神仏習合として根強く残っているのでしょう。

神社の歴史/宮地嶽神社
created by Rinker
明治百五十年でも語られない闇の部分、それが廃仏毀釈だ。神社と寺院を分離する政策が、なぜ史上稀な宗教攻撃、文化財破壊にエスカレートしたのか?日本各地に足を運び、埋もれた歴史を掘り起こす近代史ルポルタージュ。(「BOOK」データベースより)
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