〜100年の時を超えて〜 この先も繋がり続ける日本とポーランドの絆《親日国家ポーランド⑤》

〜100年の時を超えて〜 この先も繋がり続ける日本とポーランドの絆《親日国家ポーランド⑤》

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「今度は我々が日本を救う」敵対関係になっても揺るがない絆《親日国家ポーランド④》
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日本の真実の歴史を記録・記憶している人たち。台湾、トルコ、ブータン、パラオ…名だたる国を抑えて“知日国”No.1に輝いたのは、中欧のあの国だった!亡国の民が信頼し、尊敬し、共鳴する、日本人が知らない日本の姿とは?真面目、責任感、誠実…親日国・ポーランドを通して見えてくる真実の日本。(「BOOK」データベースより)

Japan and Poland: Over 100 Years of Giving Back to Each Other

〜 100年の時を超えて 〜

ポーランド政府観光局 ZOPOT TOKIO/YouTube

第二次世界大戦後、国際関係の東西両極構造ができあがった結果、ポーランドと日本はそれぞれの同盟国であるソ連とアメリカ合衆国に従って、敵対陣営に属することになりました。この境界線をさらに深く刻み込んだのは、「冷戦」時代に東と西を分けた鉄のカーテンでした。それ故に、ポーランドとチェコスロヴァキアとソ連は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約に署名しなかったのです。

日本・ポーランド交流史/Instytut Polski w Tokio.2019

時代は冷戦!ポーランドと日本の公式な関係を復活へ!

1957年2月8日の「日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定」(日波復交協定)は5月18日に発効して、両国の戦争状態を終結させ、政治・経済・文化における公式の関係を復活させました。とはいえ、政治体制の相違から、相互協力は緩慢にしか発展しませんでした。1970年代に経済協力が増大し、その後も両国関係の主軸となりました。1980年代初頭にポーランド労働者が自由化を求めて一斉に声を挙げ、それが民主化プロセスを発動させ、最終的に戦後の世界秩序を変えるような影響を及ぼすと、日本では「連帯」運動とその指導者レフ・ワレサへの親愛感を引き起こしました。しかし、1981年12月にポーランドで戒厳令が施行されると、両国関係はまたしても制限されました。それが徐々に改善したのは1985年以降のことで、例えば安倍晋太郎外務大臣がポーランドを訪問したことはその証左です。1987年には国家評議会議長ヴォイチェフ・ヤルゼルスキが日本を訪問しました。

日本・ポーランド交流史/Instytut Polski w Tokio.2019

第二次世界大戦後、44年間の社会主義体制時代を経て、1989年にポーランドは民主国家となりました。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
著しく改善された国家レベルの交流

両国関係が著しく改善したのは、ポーランド史の新時代を開いた1989年6月選挙より後です。

日本・ポーランド交流史/Instytut Polski w Tokio.2019

首相では海部俊樹(1990)、小泉純一郎(2003)、安倍晋三(2013)、外務大臣では池田行彦(1997)、麻生太郎(2007)、河野太郎(2018)がポーランドを公式訪問したのが、その証左です。とりわけ重要な出来事は、2002年7月に天皇皇后両陛下がポーランドを訪問されたことです。その他、皇族では高円宮・妃殿下ご夫妻がポーランドをご訪問になり(1994)、妃殿下は2015年にも訪れておられます。日本を訪れたポーランド政界の代表には、大統領ではレフ・ワレサ(1994)、アレクサンデル・クファシニェフスキ(1998)、レフ・カチンスキ(2008)、ブロニスワフ・コモロフスキ(2015)、首相ではヤン・クシシュトフ・ビェレツキ(1991)、イェジ・ブゼク(1999)、マレク・ベルカ(2005)、外務大臣ではクシシュトフ・スクビシェフスキ(1994)、ブロニスワフ・ゲレメク(2000)、ステファン・メレル(2006)、ラドスワフ・シコルスキ(2008)、ヴィトルト・ヴァシュチコフスキ(2017)などがいます。

日本・ポーランド交流史/Instytut Polski w Tokio.2019
「ポーランドを第二の日本にする」ポーランド第二代大統領が就任演説!
Sejm RP/YouTube

 日本でも良く知られているレフ・ワレサ第二代大統領は、1990年の就任演説で、「このポーランドを『第二の日本』にする」と高らかに述べ、国民はそれを喝采をもって迎えた。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」

 ワレサ政権で、神業のごとき経済改革を断行したバルセロビッチ財務大臣は、1992年頃に日本の戦後復興の調査のために来日し、日本興業銀行(現みずほ銀行)などを訪れている。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」

 戦後、ポーランドはスターリンに支配される一方、 日本もマッカーサーに占領された。ところが、日本は 2つの原爆というハンディがあったにもかかわらず、 戦後 19年にして東京オリンピックを実現し、さらに 15年後に、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授は 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出版した。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」

 日本の戦後復興の成功の歴史は、共産体制の崩壊後にテイク・オフを目指すポーランドにとって、驚異の目で見る成功モデルに違いなかったのだ。その日本は、日露戦争、シベリア孤児救出、杉原千畝と、常にポーランドの側に立ち、何らの見返りも求めなかった。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」

ワルシャワ日本大使館に元孤児たちが招かれる

(前略)1995年10月には、8人の元孤児が、ワルシャワの日本国大使公邸に招かれました。全員80歳以上の高齢者です。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020

そのお婆さんは、『私は今日ここに這ってでも来たいと思いました。私は、生きている間に、もう一度日本へ行ってお世話になった日本の皆さん方に自分の言葉でお礼を言いたかった。しかし、その願いももう叶えられないと思っていました。ところが日本の大使館から御招待が来ました。日本の大使館は日本の小さな領土だと友だちから聞きました。今日私は日本の領土に足を踏み入れることが出来ました。そして日本の代表の方々にお礼を言うことが出来ました。私の長年の感謝の気持ちを伝えることが出来、もう思い残すことはありません。』とその場に泣き出されました。

兵藤長雄元ポーランド大使/特定非営利活動法人 未来構想戦略フォーラム

実は孤児の皆さんは、ポーランドに帰国後に「極東青年会」という団体を組織し、第二次世界大戦前のポーランドで日本の素晴らしさを紹介する活動を行なうと共に、日本に行くための資金を積み立ててもいらっしゃいました。しかし世界大戦の戦乱と、東西冷戦が彼らの夢を断ち切ってしまったのです。

ポーランド孤児を救え!~日本とポーランドの友好を育んだ物語を多くの人に伝えたい/PHPオンライン衆知|PHP研究所.2018

孤児たちは70年前以上の日本での出来事をよく覚えていて、別の一人は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、今まで肌身離さずに持っていた、と大使に見せた。

特別寄稿=日本ポーランド友好物語=語り継がれるシベリア孤児救済 サンパウロ市在住・酒本恵三/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020

「私は、このおかげで長生きできたのですよ」。そういって見せてくださったのは、大阪カトリック司教団から孤児たちに贈られた聖母マリア像のカードでした。長い年月を掛て紙はポロポロになっていましたが、裏面には日本語の祈祷文が、かろうじて消えずに残っていました。

ポーランド孤児を救え!~日本とポーランドの友好を育んだ物語を多くの人に伝えたい/PHPオンライン衆知|PHP研究所.2018

その日、元孤児たちは日本での嬉しかった思い出を生き生きと語り、聞く人たちはそこに、当時の日本人の優しい眼差しや姿をまざまざと見るような感懐にとらわれたといいます。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020

我々は何時までも恩を忘れない国民であるシベリア孤児救済の話は、ポーランド国民ではかなり広く紹介され、政府や関係者からたくさんの感謝状が届けられている。

特別寄稿=日本ポーランド友好物語=語り継がれるシベリア孤児救済 サンパウロ市在住・酒本恵三/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020

 その一つ、極東委員会の当時の副会長ヤコブケヴィッチ氏は、「ポーランド国民の感激、われらは日本の恩を忘れない」と題した礼状の中で次のように述べられています。

特別寄稿=日本ポーランド友好物語=語り継がれるシベリア孤児救済 サンパウロ市在住・酒本恵三/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020

「日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、我が不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表してくれた以上、我々ポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない」。

特別寄稿=日本ポーランド友好物語=語り継がれるシベリア孤児救済 サンパウロ市在住・酒本恵三/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020
日本であの大地震が起きる……。

以上でこのシベリア孤児の物語は終わるのかと思っていましたところ、阪神大震災が起き、今度はポーランド側の招きで阪神被災児がポーランドを訪れることになりました。

兵藤長雄元ポーランド大使/特定非営利活動法人 未来構想戦略フォーラム

「今度はわれわれが救う」阪神淡路大震災で被災した日本のために!

サンテレビ/YouTube

平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3の阪神・淡路大審査(兵庫県南部地震)が発生しました。この地震により1923年の関東大震災以来の甚大な被害をもたらせました。

995年 阪神・淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震) 現地調査写真レポート/写真と文:山村武彦/防災システム研究所 公式
ホームページ
いち早く救助活動を開始!

1995 年、日本で阪神淡路大震災が起こります。ポーランドはいち早く救援活動に入ってくれました。

学 校 だ よ り/第二中学校のホームページ.令和3年
日本の子どもたちを今度はわれわれが救おう!!

大阪で療養したシベリア孤児たちは神戸から出航し、ロンドンを経由して祖国ポーランドへと帰りました。

神戸:子どもたちの旅立ちの地/シベリアからの子どもたち.2020

震災で親やきょうだいを亡くした子どもたちを,今度はわれわれポーランド人が救おうという運動が起こりました。

封印された感動の日本近現代史/大阪ロータリークラブ.2022
ポーランド人物理学者「フィリペック」

東京のポーランド大使館に4年間勤務していた物理学者のフィリペックさんもシベリア孤児の美談を知った一人でした。博士は大使館勤務中に阪神大震災の惨上を見て、この時こそ日本への恩返しの好機と判断しました。そして彼は早速、企業、芸術家等を訪れ協力を依頼しました。日本でも何人かの音楽家や企業、個人がこれに呼応しました。そして2回にかけて30人ずつの阪神大震災の被災児が、今度はポーランドへ招待されました。

兵藤長雄元ポーランド大使/特定非営利活動法人 未来構想戦略フォーラム

1995年のポーランド招待に小学校5年生で参加し、現在は常磐大学 総合政策学部で助教をつとめる岡﨑拓さんは次のように語ります。「ポーランドの人々から孤児を救ってくれた日本へのお礼を言われ、子ども心に驚きました。どこに行っても温かく歓迎してくれて、うれしかったですね」。この経験により岡﨑さんはポーランド経済の研究者となり、大学で教鞭をとっています。

75年前の恩返し――ポーランドに招かれた 阪神・淡路大震災の被災児童60人/日本赤十字社.2020
感謝の薔薇

第2回目の被災児がポーランドヘ来られたのは1996年の夏でした。3週間招待されていろいろなところを案内されました。

兵藤長雄元ポーランド大使/特定非営利活動法人 未来構想戦略フォーラム

震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。歩行もままならない高齢者ばかりであるが、「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子供たちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおして、やってこられた。

多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話/MAG2NEWS.2022

 ポーランドにはバラの花を贈る風習があります。恋人や夫婦では愛情を、親子では感謝の気持ちを込めて贈ります

日本ポーランド文化交流協会メールマガジン第03号(2018年5月)/一般社団法人 日本・ポーランド文化交流協会

4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、震災孤児1人1人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。75年前の我々の父祖が「地球の反対側」から来たシベリア孤児たちを慈しんだ大和心に、恩を決して忘れないポーランド魂がお返しをしたのである。

多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話/MAG2NEWS.2022
子どもたちが宿泊した施設はシベリア孤児記念小学校になった!

この時日本の被災児の皆さんを収容した施設がのちに、「ポーランド シベリア孤児記念小学校」になります。

学 校 だ よ り/第二中学校のホームページ.令和3年
“東日本大震災”でもポーランドは日本の子供たちを招いた

その後も、2011年の東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供たちを2週間ポーランドに招き、震災に負けず前に進む勇気を与えてくれました。

ポーランド出張・赴任に行く前に知っておきたい友愛の歴史やビジネスマナー/アイザック外国語スクール.2022

ポーランドから少年少女舞踊合唱団が来日!元孤児たちメッセージが届けられる

平成11年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日した。合唱団はヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきた。

多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話/MAG2NEWS.2016

20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。親切にしてくれたことを忘れません。……(合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。日本のみなさん、ありがとう。

多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話/MAG2NEWS.2016

サドスキさんはさらに「一番大事にしている物を皇室に渡して」と救出当時の写真を託した。「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもらったことが忘れられない」と話したという。

多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話/MAG2NEWS.2016

天皇皇后両陛下がポーランドをご訪問!元孤児たちと面会!

平成14年(2002年)7月、天皇皇后両陛下がポーランドをご訪問になりました。

やさしい心を広げよう/赤穂市教育情報ネットワーク

両陛下はワルシャワで無名戦士の墓に献花されたほか、ワジェンキ公園のショパン像の下でコンサートをお聴きになられた。

ポーランド孤児を救った日本人/世界の民謡・童謡 WORLDFOLKSONG.COM
元孤児たちは日本への感謝を伝えた

このとき、すでに90歳前後になっていた元孤児たちのうち3人の方が、首都ワルシャワの日本大使公邸で両陛下との面会を果たしています。

やさしい心を広げよう/赤穂市教育情報ネットワーク

この時のお話は、当時の兵藤長雄大使が書籍『善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心』に残しています。

日本とポーランドにはこんなに熱い絆があった! 歴史に学ぶ日本人の美徳/人間力・仕事力を高めるWEB chichi – 致知出版社.2021

かすかな記憶に残る貞明皇后様の手の感触・ぬくもりを今も忘れておらず、80余年の時を経て再度日本の皇后様に面会できた喜びと、当時の日本で受けた恩へ感謝の念で、アントニナ・リーロさんは美智子皇后の手をずっと握って離そうとしなかったという。

ポーランド孤児を救った日本人/世界の民謡・童謡 WORLDFOLKSONG.COM

孤児たちは帰国後も「日本への感謝の念を忘れない」が合言葉だったようで、「日本から受けた親切を宝物として生きてきました」「日本はまるで天国のようなところでした」などと溢れる涙で語ったそうです。

日本とポーランドにはこんなに熱い絆があった! 歴史に学ぶ日本人の美徳/人間力・仕事力を高めるWEB chichi – 致知出版社.2021

日本で治療を受けていたころ、施設を訪れたある女性に抱き上げられ、元気になるようにとやさしく励ましてもらったのだといいます。その女性こそ、大正天皇の皇后である貞明(ていめい)皇后でした。それから80年もの間、抱き続けて感謝の気持ちを、今ようやく対面がかなった皇后陛下に伝えたかったのでしょう。

やさしい心を広げよう/赤穂市教育情報ネットワーク

歴史に埋もれていた物語が復活!ポーランドと福田会との交流がスタート!

 孤児の話は日本では歴史に埋もれてしまったが、ポーランド国内では語り継がれていた。2010年、当時の同国駐日大使がジョギング中に「福田会」の看板を見かけると、「孤児たちが世話になった施設では」と同会に連絡。施設側にその歴史を知る人はいなかったが、大使から詳しい話を聞いたことがきっかけで、あらためて交流が始まった。

ポーランドと100年の絆 渋谷の社会福祉法人が古都クラクフでウクライナ難民支援 大正期に孤児受け入れ/東京新聞 TOKYO Web.2022

 1920~22年に日赤が救出したポーランド人孤児は、当時1~16歳の計765人。全員が亡くなっているが、その子孫が今も日本を訪れるという。

ポーランドと100年の絆 渋谷の社会福祉法人が古都クラクフでウクライナ難民支援 大正期に孤児受け入れ/東京新聞 TOKYO Web.2022

「絆の架け橋」東日本大震災では再び日本のために動く

ANNnewsCH/YouTube

東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震でした。

特集 東日本大震災/内閣府

この地震に伴って発生した高い津波は、東北地方の太平洋沿岸部をはじめとする各地を襲うとともに、福島第一原子力発電所における事故等を引き起こした。東日本大震災による被害は、死者1万5,900人、行方不明者2,525人(令和3年(2021年)6月10日時点)等に上っている。特に被害の大きかった岩手県、宮城県及び福島県の東北3県をはじめ、全国における避難者数は、発災直後約47万人に上り、多くの被災者が避難所生活を強いられたほか、福島県では、原子力発電所における事故の影響を受け、福島第一及び第二原子力発電所の周辺住民等に対し避難指示等が発令された。なお、令和2年3月までに、帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示が解除された。

第1項 東日本大震災の被害状況及び主な警察活動/警察庁Webサイト
再びポーランドに子供たちを招く「“絆の架け橋”プロジェクト」

2011年3月11日に発生した東北大震災。ポーランド伝統空手道協会の主催により、被災した岩手県および宮城県の中高生30名が、2011年7月24日から2週間、ポーランドで夏休みを過ごす「絆の架け橋」プロジェクトに参加した。

ポーランド孤児を救った日本人/世界の民謡・童謡 WORLDFOLKSONG.COM

ポーランド滞在中、子供たちは、〔道場・スタラヴィェシ〕欧州武道センターに宿泊し、スポーツとリクレーションの授業、文化ワークショップ、ポーランド語の授業、ポーランドの子どもたちとの交流、近郊への小旅行(徒歩、自転車、カヤック)など、終日を、教育的な配慮の下ですごしました。子供たちは、クラクフ(〔マンガ〕センターでは、アンジェイ・ワイダ監督と面談しました)、ヴィェリチカ、ワルシャワ(大統領宮殿では、ポーランド共和国大統領夫人に歓迎されました)を訪れました。

「絆の架け橋――夏休み in ポーランド」/Instytut Polski w Tokio.2020

1920 年代に日本赤十字社によってポーランドのシベリア孤児数百名が救済されたこと、 1995 年の阪神淡路大震災で被災した日本の子供たちがポーランドに滞在したことに続く、 「絆の架け橋」プロジェクトは、ポーランド・日本間の人的・社会的関係を構築・強化する、 新しい無償の提案でした。これは、多くのさまざまな方法で、2011 年 3 月の震災の被災者 との連帯を証し立ててきたポーランド社会が実行した、一連の活動の一つとして歴史に刻ま れています。

「絆の架け橋――夏休み in ポーランド」/Instytut Polski w Tokio.2020
仙台の学校に届いたポーランドからの手紙

大震災発生直後から、世界中の眼が日本に釘づけとなりました。日本列島が悲しみに包まれる中、不幸中の幸いだったのは、避難所で助け合う被災者たちの姿、組織的かつプロフェッショナルな救援活動など、冷静さ、真面目さ、我慢強さ、秩序を重んじる心、公共心などについて、日本人があらためて世界各国から賞賛されたことかもしれません。また、千羽鶴を折ったり『ふるさと』を歌ったり、世界各地で日本文化を体験してもらう機会にもなったようです。

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン

募金活動やチャリティーイベント、追悼行事が次々と催され、世界中から物心両面でのサポートが続く中、ポーランドでも日本語を学ぶ若者たちが動き出していました。しかも、それが後に〝日ポ史上初″となる交流事業へと繋がっていったのです。

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン
仙台白百合学園中学との交流

2011年の秋、仙台白百合学園中学・高等学校(宮城県仙台市泉区)にボロボロの段ボール箱が届きました。その送り主は、同学園にとっては見知らぬポーランド共和国の南部に位置する古都クラクフ市の日本語学校でした。箱を開けてみると、手紙がびっしり入っていました。1通1通の手紙には、「皆さんお元気でしょうか?」「日本のことを心から心配しています」といった手書きの日本語文と名前や年齢などが記され、テディベアの携帯ストラップも同封されていました。

ポーランドと深まる友情 震災後、仙台白百合学園高生ら/ネクストとうほくアクション.2013

 テレビに映る津波の映像に衝撃を受けて「日本語を学ぶ自分たちにできること」を考え、被災者宛てに手紙を書くことにした。送り先として被災地のカトリック学校を探し、仙台白百合学園にたどり着いたという。

ポーランドと深まる友情 震災後、仙台白百合学園高生ら/ネクストとうほくアクション.2013

手紙が入った段ボール箱は、シベリア鉄道、ナホ トカ、新潟を経て、5 ヶ月かかってまだ混乱していた仙台へ届きまし た。200 通もの手紙に生徒・教職員が返事を書き交流が始まりました。

日本大震災救援・復興活動ニュースレター カトリック仙台司教区・カリタスベース(p.3)/カトリック仙台司教区ようこそへ

以前より韓国・フィリピンとの国際交流事業は行われており,生徒の国際教育に対する関心は強いといえるが,震災が縁となり実現したこの交流は,特に私達に地球の裏側から国境を越えた強い絆を実感させるものとなった。ポーランドからの生徒の滞在期間は学園中が盛りあがった。

つながっているということを伝える(p.98) /JICA – 国際協力機構
日本とポーランド史上初の高校短期留学プログラム

ポーランドからの女子高校生8人は、仙台白百合学園で同世代と共に授業に参加し、課外活動を楽しみ、宮城県中部の東松島市矢本にある仮設住宅を慰問し、帰国前には東京に数日滞在し、東京スカイツリーや浅草、アキバこと秋葉原周辺、新宿を観光するなど、計3週間の日本滞在を経験しました。これは、日本とポーランドの間で史上初となる高校短期留学プログラムとされます。

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン

シベリア孤児記念学校が設立!!

Warszawska Szkoła Języka Japońskiego/YouTube

2018年11月、ポーランドのツェレスティヌフ郡、スタラ・ヴィエシに 『シベリア孤児記念小学校』という小学校が誕生しました。 

シベリア孤児記念小学校/シベリアからの子どもたち.2020

2018年11月20日、ワルシャワ近郊に、ポーランド人孤児救援にちなんだ「シベリア孤児記念小学校」が誕生した。驚くべきことに、その校旗には、桜の花と「日の丸」が描かれている。

【正論】日本とポーランド知られざる絆/JAPAN Forward.2019

シベリア孤児記念小学校という校名に対しては、反対する人も多かったそうです。「シベリア孤児」という自分たちにとってつらい思いのある言葉を学校名にすることに対する反対でした。しかし、「歴史を忘れてはいけない。この学校を日本とポーランドの交流の拠点となる学校にしたい」という願いを校長先生が語り歩きます。それを地域の方も受け止め、たくさんの小学生が通う学校になっているそうです。

学 校 だ よ り/第二中学校のホームページ.令和3年

2019年には国交樹立100周年を迎えた!

Nippon TV News 24 Japan/YouTube

2019年、日本とポーランドは国交樹立100周年を迎えました。

2019年は日本・ポーランド国交樹立100周年。今年は記念イベントが目白押し!/Culture.pl.2019

これを機に、両国で様々な催しが行われ、両国の友好関係を改めて確認し合うと共に、今後の更なる交流拡大に向けて色々な試みが企画されています。

国交樹立100周年に寄せて/Article – Culture.pl

    7月1日,川田大使夫妻主催により,大使公邸にて日本・ポーランド国交樹立百周年記念レセプションが開催されました。レセプションには,ポーランドを御訪問中の秋篠宮皇嗣同妃両殿下が御臨席になった他,モラヴィエツキ首相の名代としてグリンスキ副首相兼文化・国家遺産大臣,セヴェリンスキ上院副議長(上院ポーランド・日本友好議連会長),アルチシェフスカ=ミエレフチク下院同友好議連会長,シュチェルスキ大統領府国務次官,日本研究者,在留邦人,日本企業関係者,ポーランド及び邦人の叙勲者等多数が出席しました。

日本・ポーランド国交樹立百周年記念レセプションの開催/在ポーランド日本国大使館.2019

また、2019年、ポーランド下院議会は、国外在住ポーランド人児童救済委員会の功績について、
また日本国民、特に貞明皇后の支援と誠意についても同様に評価し、ポーランド極東児童救済委員会設立100周年を記念しました。

マンガ館主催『日本の夢』コンクール入賞作品映像/シベリアからの子どもたち

2020年 シベリア孤児が日本に到着して100年目!

福井テレビチャンネル/YouTube

2020 年 7 月 22 日は、日本赤十字社に救済されたシベリアのポーランド人児童第一団の 日本到着から 100 年目にあたります。

日本赤十字社に救済された 在シベリアポーランド児童の日本到着 100 周年/駐日ポーランド共和国大使館、ポーランド広報文
化センター.2020
ワルシャワの日本大使館の孤児の子孫たちが招かれる

10月7日、首都ワルシャワにある日本大使公邸でパーティーが開かれました。政府の高官や地元のマスコミなど約200人が集まりましたが、その多くは「ポーランド孤児」と呼ばれる、100年前に戦争や迫害などで親を亡くした子ども達の子孫です。

「100年前の物語」が新たな絆を  ポーランド孤児の子孫がウクライナ支援【福井】/FNNプライムオンライン.2022

16歳の時、祖父から幼少期の話を聞いた―。大学教員のスワボミル・サマルダキエビチさん(53)は「きのうのことのように覚えている」と語る。

日本への感謝、色あせず=シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/nippon.com.2022

 祖父が初めて口にしたシベリアでの貧しい暮らし。生きるために物乞いや盗みをしたこと。母と妹と別れ、弟と2人で船で敦賀港(福井県)に着き、福祉団体「福田会」(東京都)の施設で約3カ月間過ごしたこと。

日本への感謝、色あせず シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/JIJI.COM.2022

 「また今度、続きを話そう」。そう約束して別れた1週間後、祖父は他界した。「青天のへきれきだった」とサマルダキエビチさん。「今にして思えば、死期を悟り、自分がたどった道のりを次の世代に伝えたかったのかもしれない」。

日本への感謝、色あせず シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/JIJI.COM.2022
絆は時を超え……。新たな人道支援へと繋がっていく!

約100年前、日本で撮影されたポーランド孤児たちの写真が残っている。
撮影場所は東京にある社会福祉法人「福田会」。子供たちに宿舎を提供するなど、救済事業の中心的な役割を果たした組織だ。

100年前、日本が救済…「ポーランド孤児」の子孫ら集まりウクライナ支援誓う【福井発】/FNNプライムオンライン.2022

孤児たちが笑顔で写っているこの坂は今も残っていて、救済の歴史を今に伝えるシンボルになっている。

100年前、日本が救済…「ポーランド孤児」の子孫ら集まりウクライナ支援誓う【福井発】/FNNプライムオンライン.2022

今回のパーティを企画した「福田会」の太田理事長は、今の時代だからこそ、人道支援の大切さを伝え続ける必要があると言います。

「100年前の物語」が新たな絆を  ポーランド孤児の子孫がウクライナ支援【福井】/FNNプライムオンライン.2022

福田会 太田孝昭理事長: 「命の岐路がそこにはあった。少なくとも765人が生の方へ向かった。素晴らしいことだと思う。何か残して、線にしてつなげていければいいなと、我々も少しの役割を果たしたい」

「100年前の物語」が新たな絆を  ポーランド孤児の子孫がウクライナ支援【福井】/FNNプライムオンライン.2022

今年2月に起きたロシアによるウクライナ侵攻を受けて、福田会は日本各地から寄付を募りました。ウクライナからの避難民に使ってほしいとポーランドへと送金。衛生用品や食料品として利用され、多くの避難民の命を救う手助けとなりました。

「100年前の物語」が新たな絆を  ポーランド孤児の子孫がウクライナ支援【福井】/FNNプライムオンライン.2022
「……同じ境遇にいるウクライナの子供たちを助ける」

パーティーに集まったポーランド孤児の子孫たちもウクライナに対する支援を行った。

100年前、日本が救済…「ポーランド孤児」の子孫ら集まりウクライナ支援誓う【福井発】/FNNプライムオンライン.2022

会社員ルーカス・グラボウスキさん(25)は4年前、日本でのインターンシップが決まった。家族に報告すると、曽祖父が8歳の頃、日本にいたことがあると教えられた。

日本への感謝、色あせず=シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/nippon.com.2022

第2次大戦中に亡くなり、顔も見たことがない曽祖父。だが、共に日本に救済されたいとこが残した手記には、シベリアからたどり着いた敦賀で服や菓子をもらい、遠足で海岸に連れて行ってもらったと記されていた。グラボウスキさんが敦賀を訪れると、町を挙げて歓迎された。「曽祖父らが経験した日本人の温かさが心に染みた」と振り返る。

日本への感謝、色あせず=シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/nippon.com.2022

ロシアによる侵攻では、多くのウクライナの子供が親を失ったり、肉親と離れ離れになったりした。「孤児たちが100年前に日本から受けた恩を未来に伝え、同じ境遇にいるウクライナの子供たちを助ける」。グラボウスキさんはそれが孤児の子孫の責任だと感じている。

日本への感謝、色あせず=シベリア孤児救済100年―「ウクライナの子供助ける番」・ポーランド/nippon.com.2022
絆の物語はさらに続いていく…。

100年前、敦賀に降り立ったポーランド孤児。その物語は後世へと伝えられ、今、新たな人道支援へと繋がっています。

「100年前の物語」が新たな絆を  ポーランド孤児の子孫がウクライナ支援【福井】/FNNプライムオンライン.2022
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日本の真実の歴史を記録・記憶している人たち。台湾、トルコ、ブータン、パラオ…名だたる国を抑えて“知日国”No.1に輝いたのは、中欧のあの国だった!亡国の民が信頼し、尊敬し、共鳴する、日本人が知らない日本の姿とは?真面目、責任感、誠実…親日国・ポーランドを通して見えてくる真実の日本。(「BOOK」データベースより)
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