「今度は我々が日本を救う」敵対関係になっても揺るがない絆《親日国家ポーランド④》

「今度は我々が日本を救う」敵対関係になっても揺るがない絆《親日国家ポーランド④》

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無事に帰国したシベリア孤児たちに再び戦火が……。孤児たちは武器を取りナチスに立ち向かった《親日国家ポーランド③》
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Japan–Poland relations

両国の絆は諜報の世界でも!

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日本とポーランドのつながりは1919年の国交樹立後、共通の敵・ソ連をにらみ、情報分野での軍事交流で緊密になっていった。とりわけ、23年にポーランド陸軍将校を招請して以来、日本も陸軍将校を留学させるなどして、「暗号技術」の習得に努めてきた。

【日本-ポーランド国交樹立100年 蘇る美しき絆】大戦中も変わらぬ両国の協力関係 暗号技術の伝授、「ヤルタ会談」では密約情報も/zakzak.2019

 そもそも、暗号技術という最高軍事機密を他国に伝授するなど、よほどの信頼関係がないとできない。日本とポーランドの絆の深さが理解できるのではないか。日本陸軍には相当数の親ポーランド派がおり、ポーランドの駐在武官は日本で厚遇を受けていたという。

【日本-ポーランド国交樹立100年 蘇る美しき絆】大戦中も変わらぬ両国の協力関係 暗号技術の伝授、「ヤルタ会談」では密約情報も/zakzak.2019

 ポーランド建国の英雄、ユゼフ・ピウスツキが35年に死去した際、日本からは陸軍大臣と海軍大臣、参謀総長が弔問に訪れた。ピウスツキの墓には、何と靖国神社の土が撒かれたという。

【日本-ポーランド国交樹立100年 蘇る美しき絆】大戦中も変わらぬ両国の協力関係 暗号技術の伝授、「ヤルタ会談」では密約情報も/zakzak.2019

「連合国 vs 枢軸国」当時の日本とポーランドは敵対関係!?

第二次世界大戦でポーランドはドイツを敵とする連合国側、日本はドイツと同盟を結ぶ枢軸国側で、敵対関係にありました。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
ナチス・ドイツからポーランド人の諜報員を匿った

しかしポーランドの人々に日本に対する悪感情はなく、それは日本も同じで、スウェーデンのストックホルム駐在武官であった陸軍の小野寺信(おのでらまこと)は、ポーランドの情報士官ミハール・リビコフスキーをドイツの手から守るため、日本のパスポートを与えて、武官室にかくまっていました。1944年には、ドイツの圧力に屈したスウェーデンの命令で、リビコフスキーはやむなくロンドンの亡命ポーランド政府のもとに退去します。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
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著者発掘の一次資料による歴史解明!陸軍中野学校とは何だったのか?中野学校出身者はそこで何を学び、戦地でどのような役割を果たしたのか。満洲国、731部隊、南京虐殺から太平洋戦争までを、諜報・宣伝の観点から見直し、近代戦におけるインテリジェンスのもつ意味を明らかにする。(「BOOK」データベースより)

Makoto Onodera

諜報機関MI5が警戒した唯一の日本人「小野寺信」

イギリスの情報機関、MI5が徹底監視の対象として“個人ファイル”を作った唯一の日本人武官がいた。第二次世界大戦時にストックホルム駐在武官を務め、ポーランドやバルト三国、ドイツの情報士官たちと「情(なさけ)のつながり」を結んで深奥部に迫る秘密情報を数々手に入れ、連合軍側から「枢軸国側諜報網の機関長」と恐れられた男――小野寺信である。

「諜報の神様」と呼ばれた男 岡部伸(著/文)/PHP研究所.2015
ソ連の情報を収集

小野寺は陸士卒業後、ロシア革命を妨害するためのシベリア出兵に従軍した際、ロシア人家庭に泊まり込んでロシア語を習得しました。参謀本部第二部(情報課)のロシア班に配属、ソ連情報を収集するため、バルト三国の駐ラトビア日本大使館の駐在武官として派遣されました。

「重大情報」を入手した日本人スパイ・小野寺信…待ち受けていた“皮肉な結末”/Web Voice

小野寺は当時、北欧のストックホルムで難民となったポーランド、エストニア、フィンランド、ハンガリーなど小国の情報士官(インテリジェンスオフィサー)たちを、自分の協力者にすることに成功していました。

「日米開戦は断固すべからず」諜報の神様と呼ばれた小野寺信/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

機密費で彼らに生活資金、生活物資を援助し、家族ぐるみで時間をかけて親密になり、良好な関係を築き上げていったのです。その結果、大戦の後半には、小野寺は連合国側から「枢軸国側諜報網の機関長」と恐れられる存在になっていました。

「日米開戦は断固すべからず」諜報の神様と呼ばれた小野寺信/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

ポーランド亡命政府・情報将校「リビコフスキー」との繋がり

ソ連がバルト三国を併合したため、小野寺はスウェーデンの日本大使館に移ります。 小野寺の元には、ソ連からの独立を求めるポーランドやバルト三国の情報将校たちが集まり、「小野寺機関」が活動を開始しました。その中心人物は、自称「亡命ロシア人のイワノフ」。

「重大情報」を入手した日本人スパイ・小野寺信…待ち受けていた“皮肉な結末”/Web Voice

その男の正体はポーランド亡命政府(在ロンドン)の情報将校リビコフスキーでした。彼は配下に数十人の工作員を抱え、小野寺から得た枢軸国側の情報をロンドンに提供する一方、見返りとして連合国側の情報を小野寺に伝えていたのです。

「重大情報」を入手した日本人スパイ・小野寺信…待ち受けていた“皮肉な結末”/Web Voice
小野寺はリビコフスキーを守り続けた

小野寺が赴任して約半年後の41年7月。ベルリンの中心地ティア・ガルテンでリビコフスキの部下がドイツの秘密国家警察(ゲシュタポ)に摘発され、リビコフスキが満州の偽造パスポートでストックホルム日本陸軍武官室職員として諜報活動を行っていることが発覚した。ナチス親衛隊(SS)の第四代指導者、ハインリヒ・ヒムラーが「世界で最も危険な密偵」と忌み嫌い、リビコフスキ逮捕に躍起になった。

ポーランドから最後の返礼「ヤルタ密約」:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)/nippon.com.2019

ベルリンに出張した小野寺に面会して、リビコフスキからの預かり物(指令書や活動資金)を受け取った直後に逮捕された部下は、ポーランド地下組織のリーダーで、ベルリン満州公使館で雇われていた。その前は、リトアニアのカウナス日本領事館で杉原千畝領事代理に協力していた。

ポーランドから最後の返礼「ヤルタ密約」:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)/nippon.com.2019

「敵」はナチスだけではなかった。日独伊三国同盟締結後、ドイツ一辺倒になったベルリン日本大使館で、満州国参事官としてポーランドとの諜報協力を主導していた陸軍中野学校の初代校長、秋草俊も露骨にリビコフスキを嫌悪していた。ドイツは、ベルリンの大島浩大使を通じて再三、リビコフスキの身柄引き渡しを求めた。

ポーランドから最後の返礼「ヤルタ密約」:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)/nippon.com.2019

しかし、小野寺は頑として受け付けなかった。ゲシュタポに四六時中命を狙われるリビコフスキを武官室で保護し続け、さらなる身の安全のため、ストックホルム公使館の神田襄太郎代理公使に依頼して日本パスポートを発給した。偽名ピーター・イワノフに漢字を当てて「岩延平太」名義とすると、リビコフスキは「日本人になれた」と深謝した。

ポーランドから最後の返礼「ヤルタ密約」:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(5)/nippon.com.2019
ナチス・ドイツの圧力によってリビコフスキーはロンドンに亡命

1944年には、ドイツの圧力に屈したスウェーデンの命令で、リビコフスキーはやむなくロンドンの亡命ポーランド政府のもとに退去します。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
「ロンドンからも引き続き日本のために情報を送る」

国外退去を命じられたリビコフスキは、小野寺に「(退去先の)ロンドンからも引き続き日本のために情報を送る」と約束しました。

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

トップシークレット「ヤルタ会談の詳細」の情報が届けられる!!

翌1945年2月半ば、小野寺のもとに亡命ポーランド政府から極秘に書簡が届きました。その内容は驚くべきもので、2月初旬にクリミア半島のヤルタで行われた米英ソ巨頭会談の詳細です。「対日密約が結ばれ、ドイツ降伏の3ヵ月後にソ連が対日戦に参戦すること、その見返りとして日本領南樺太(カラフト)と千島列島がソ連に引き渡されることが決まった」というものでした。連合軍に加えて、日ソ中立条約を破ってソ連が参戦してくれば、日本の敗北は決定的であり、ポーランドと同様に祖国の地を奪われる危険が迫っていたのです。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
日本敗北に関連する極めて重要な情報

すなわち、ドイツ降伏から3ヵ月後に、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦を行なうというものでした。

諜報の武官・小野寺信と「ムーミン」の訳者、妻・百合子/WEB歴史街道

連合軍に加えて、日ソ中立条約を破ってソ連が参戦してくれば、日本の敗北は決定的であり、ポーランドと同様に祖国の地を奪われる危険が迫っていたのです。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020
「今度は我々が日本を救う」

連合軍のトップシークレットであるはずの極秘情報を、なぜポーランド政府は小野寺に知らせたのか。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020

日本にとって敗戦を決定づける近代史上最大級の情報は、ポーランドからすれば、長年の日本の厚意――日露戦争でのポーランド人捕虜への寛容な扱い、シベリアでのポーランド人孤児救出、杉原千畝の「命のビザ」、そして小野寺のリビコフスキ庇護への“返礼”であり、「今度は我々が日本を救う」との思いの表れでした。

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022
ポーランド亡命政府・参謀本部情報部長「スタニスロー・ガノ」

この情報を小野寺に報せたのは、ポーランド亡命政府の参謀本部情報部長スタニスロー・ガノでした。 ガノは部下のミハール・リビコフスキーを目の敵にしたナチスのゲシュタポから、小野寺が身をもって庇ってくれたことに感謝していたのです。

諜報の武官・小野寺信と「ムーミン」の訳者、妻・百合子/WEB歴史街道
この情報は生かされることはなかった

「ソ連の裏切り」という恐るべき情報を、小野寺は機密電報で日本の参謀本部に打電しました。ところが参謀本部内にいた親ソ連派によって、この情報は握りつぶされます。その結果、長崎に原爆が落とされた8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破って、満洲・南樺太に侵攻、日本人居留民に対し殺戮、暴行、強制連行など暴虐の限りを尽くし、ポツダム宣言受諾後の8月15日以降に千島列島、北方4島を占領したのです。

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

しかしポーランドの人々が敵味方の立場を超え、友情と信頼を重んじて極秘情報を知らせてくれた事実を、日本人は知っておくべきでしょう。

100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語/和樂web.2020

終戦後「スタニスロー・ガノ」は小野寺メッセージを贈る

終戦後、日本に引き揚げる小野寺に、ガノは次のようなメッセージを贈りました。

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

「あなたは真のポーランドの友人です。長い間の協力と信頼に感謝し、もしも帰国して新生日本の体制があなたと合わなければ、どうか家族とともに全員で、ポーランド亡命政府に身を寄せてください。ポーランドは経済的保障のみならず身体保護を喜んで行いたい」

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

祖国をソ連に奪われ、共産化への道を辿ったポーランドの人々は、世界の誰よりもスターリニズムの恐怖を皮膚感覚で知っていました。ソ連が攻めて来たら、ただではすまないことを熟知していたからこそガノは、小野寺にソ連参戦のヤルタ密約を伝え、戦後の身を案じたのでしょう。

まさにジェームズボンド! 日本陸軍武官室に勤務していた「岩延平太」/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

リビコフスキーは小野寺と再会!親交を深めた

一方、小野寺に命を救われたリビコフスキーは、米国籍を取得しカナダのモントリオールへ移住後も、小野寺への謝意を生涯忘れませんでした。1987(昭和62)年に小野寺が死去するまで、2人は2度再会し100通近い手紙のやり取りをしています。

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン

小野寺の死から4年後、リビコフスキーもこの世を去りました。以下は、妻ソフィーが小野寺家に送った手紙の内容です。

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン

「ミハール(リビコフスキー)は最愛なる大親友マコトのところへ逝きました。きっと2人はもっと良い世界で、戦略について引き続き議論しているでしょう。ただし戦争についてではなく、人類愛について」

世界は日本が好き/コフレ|祥伝社WEBマガジン
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イギリスの情報機関、MI5が徹底監視の対象として“個人ファイル”を作った唯一の日本人武官がいた。第二次世界大戦時にストックホルム駐在武官を務め、ポーランドやバルト三国、ドイツの情報士官たちと「情(なさけ)のつながり」を結んで深奥部に迫る秘密情報を数々手に入れ、連合軍側から「枢軸国側諜報網の機関長」と恐れられた男――小野寺信である。小野寺は、独ソ開戦や、アジアでの英軍の動き、さらに原爆開発情報など、様々な重要機密を探り当てていた。さらに、ヤルタ会談の直後には、ソ連がその3カ月後に対日参戦をするという情報まで掴んでいたのである。なぜ彼は、欧州の地で価値ある情報を入手できたのか。それは、小野寺が多くの人々と誠実な人間関係を結んだからこそだった。さらに、彼が心底からの愛国者であったことが、他国の愛国者からも信頼される要因となったのである。日本人として誇るべき一人の情報士官の生き方に迫る、感動の書。(「Books」出版書誌データベースより)

Chiune Sugihara

『命のビザ』を発給した外交官「杉原千畝」

TakashimayaTV/YouTube

日本外交の中で、杉原千畝氏ほど海外で知られている外交官は少ない。外務省訓令に違反して、ユダヤ人難民にビザを発給し続けた。

名誉回復に44年間かかった「日本のシンドラー」杉原千畝/nippon.com.2015

諜報員の顔も持ち合わせる

だが、杉原千畝が人道主義だけに拠ってあれほど大量のビザを発給したわけではない。彼はドイツとソ連(当時)という大国の狭間にあった小国リトアニアに駐在していた日本の外交官であり、より本質的には優れたインテリジェンス・オフィサーであった。

「ヒューマニズムだけではなかった『情報士官(インテリジェンス・オフィサー)』 としてのユダヤ難民救済-杉原千畝」/外交ジャーナリスト・作家 手嶋龍一オフィシャルサイト.2009

同盟国ドイツは、ドイツ保安警察(SIPO)が1941年7月に作成した報告書で「日本の『東』部門――対ソ諜報の長は、ストックホルム陸軍武官の小野寺で、補助役がケーニヒスベルク(現・カリーニングラード)領事の杉原千畝と、ヘルシンキ陸軍武官の小野打寛」と分析しています。

「日米開戦は断固すべからず」諜報の神様と呼ばれた小野寺信/WANI BOOKS NewsCrunch.2022

ソ連の情勢を探るため

 杉原千畝がリトアニアのカウナスに領事館を開設するため赴任したのは1939年8月28日。当時リトアニアに日本人はおらず、隣国ラトビアの公使館が兼轄していた。邦人保護の領事業務が必要ない場所になぜ領事館が作られたのか。それは主にソ連の情勢を探るためだった。

命のビザ80年:杉原千畝研究/4 諜報活動、拠点だった領事館/毎日新聞.2022

杉原が戦後、カウナスでの活動についてロシア語で書いた10ページの報告書がワルシャワのポーランド軍事博物館に保管されている。それによると、領事館設置は陸軍参謀本部が主導したもので、集めた情報を「外務省ではなく参謀本部に報告することが自分の主な任務だと分かってきた」とある。領事館はまさに諜報(ちょうほう)活動の拠点だった。 

命のビザ80年:杉原千畝研究/4 諜報活動、拠点だった領事館/毎日新聞.2022
ユダヤ系難民がポーランドから押し寄せていた

当時のリトアニアにはポーランドから避難してきたユダヤ系難民が大勢いたが、ソ連によるリトアニア併合が濃厚となり、難民らは国外への脱出を切望していた。

「策略」あってこその人道支援、諜報活動でも成果/東洋経済ONLINE.2022

リトアニア(カウナス)着任から4日後「ナチス・ドイツがポーランドに侵攻」

杉原がカウナスに着任した4日後、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。2週間後にはスターリンの赤軍が密約に従ってポーランドに侵攻し、この国は真っ二つに切り裂かれてしまう。だが、ポーランド政府は降伏せずに、パリ、次いでロンドンに亡命政府を樹立して、頑強に独ソ両国に抗い続けた。

「命のビザ」のため、母国日本との“闘い”-杉原千畝の実像に迫る(3)/nippon.com.2019

杉原がカウナスに到着して1ヶ月後、ポーランドは独ソに分割占領された。ポーランドは300~400万という欧州最大のユダヤ人人口を抱えていた。

6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本/MAG2NEWS.2016

リトアニアにはポーランド軍の情報将校などが潜んでいて、ロンドンのポーランド亡命政府のための諜報活動をしていた。彼らと親交を結ぶことが、杉原の諜報網構築の糸口であった。

6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本/MAG2NEWS.2016
ポーランドは国際連盟の情報を日本に提供

次第に情報のネットワークを整えつつあった杉原のもとに、ポーランド亡命政権の諜報機関につながるインテリジェンス・オフィサー(情報将校)たちが接触を求めてきた。ポーランドはかつて帝政ロシアを破った日本に親近感を抱き、その後も親日国であり続けた。1933年に日本が国際連盟を脱退した後、孤立化する日本に国際連盟での貴重な情報を提供し続けた。

「命のビザ」のため、母国日本との“闘い”-杉原千畝の実像に迫る(3)/nippon.com.2019

ポーランド諜報員のためにパスポートを発行!自由に安全に行動が出来た!!

一方、ポーランドの諜報員たちは、日本や満州国のパスポートを得て自由に行動し、さらにドイツやバルト・北欧諸国の日本公館に通訳などの名目で雇ってもらうことで、安全を確保できた。さらにポーランドの諜報機関や抵抗組織は、リトアニア経由でベルリン、モスクワ、東京を往復していた日本の外交クーリエを利用して、ポーランド国内やロンドン亡命政府との連絡をとることができたのである。

知られざる親日国。なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか/MAG2NEWS.2017

建前上は敵対関係にある日本とポーランドが、陰ながらここまでの広範かつ密接な協力が築けたのは、日露戦争前夜からの長い信頼関係があったからであろう。

知られざる親日国。なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか/MAG2NEWS.2017

『命のビザ』を発行する中でも情報を入手

彼は「命のビザ」をユダヤ難民に発給し、彼らの人脈からも貴重な情報を手に入れていた。

「命のビザ」のため、母国日本との“闘い”-杉原千畝の実像に迫る(3)/nippon.com.2019

カウナスのインテリジェンス・オフィサー、杉原にとって、ユダヤ人へのビザの発給は情報収集と表裏の関係にあった。だが、情報の世界に携わった者は一切を語らない。杉原が築き上げたユダヤ・コネクションがいかなるものだったか、杉原は生涯沈黙を守り続けて1986年夏に逝った。しかし、当時、中立国スェーデンのストックホルムに在勤していた小野寺信武官の妻、百合子が、戦後の書いた『バルト海のほとりにて』にその一端が描かれている。杉原が築いたユダヤ・コネクションが後に重大なインテリジェンスをもたらしたことが窺える。ソ連の対日参戦を約束した「ヤルタ密約」がそれだった。だが、皮肉なことに、その最重要情報は電信上のミスか、それとも参謀本部が意図的に握りつぶしたのか、政府の中枢には遂に届かなかった

「ヒューマニズムだけではなかった『情報士官(インテリジェンス・オフィサー)』 としてのユダヤ難民救済-杉原千畝」/外交ジャーナリスト・作家 手嶋龍一オフィシャルサイト.2009

また、あまり知られていませんが、杉原は、カウナス(リトアニア)のみならず、次の赴任地のプラハ(チェコスロバキア)でも、ユダヤ人にビザを発給しました。

六千人の命を救え!外交官・杉原千畝/dブック

難民は敦賀港に到着

リトアニアの首都カウナスで、杉原千畝が発行したビザを持ったユダヤ人は、シベリア鉄道でロシアを横断して、ウラジオストクへ。ここから船で敦賀に上陸し、その後横浜や神戸へ移動、最終的にはアメリカなど他国へと渡って行ったのです。

素敵な日本人へ~命をつないだJTBの役割~/JTBグループサイト

敦賀の人々は到着したユダヤ人たちを、花を手に笑顔で出迎え、銭湯を無料で開放したり、リンゴを無償で配布するなど、言葉も文化も違う異国での暮らしを心身ともに支えました。

素敵な日本人へ~命をつないだJTBの役割~/JTBグループサイト
シベリア孤児や命のビザと深く繋がりがある「人道の港」

国際港として発展した敦賀港は、1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であり、当時のまちのひとたちが彼らを温かく迎え入れた「人道の港」としての歴史があります。

人道の港 敦賀ムゼウムについて/敦賀ムゼウム

2008年にはポーランド政府から復興勲章を授与!

 ポーランド大使館では、戦時中にリトアニア領事で あった杉原千畝の写真を展示することがある。「東洋 のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝が「命のビザ」で 救ったユダヤ人たちは、国籍はポーランドだったのだ。 その子孫は、現在 25万人に上る。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」

 2008年 、ポーランド政府は、杉原千畝に対してポーランド復興勲章を授与した(また近年、外交官だった根井三郎の同様の功績も顕彰されるに至った)。

ポ ー ラ ン ド(p.31)/我が国随一の交流ソサイエティ「ディレクトフォース」
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これまで杉原千畝の物語に欠けていたこと、それは第二次大戦中のリトアニアの状況だ。杉原はなぜ何千通ものヴィザを発給したのか。リトアニア人歴史家が自国の史料から周辺国の関係と難民の状況を読み解き、知られざる「命のヴィザ」の全貌を明らかにする。(「Books」出版書誌データベースより)

Kiichiro Higuch

もう一つの命のビザ!「樋口季一郎」

「東洋のシンドラー」とも呼ばれた杉原の行動からさかのぼること2年前の1938年(昭和13)以降、旧満州国ハルビン市で、数千人以上のユダヤ人難民の命を救った日本の軍人がいた。兵庫県の淡路島出身で、私立尋常中学鳳鳴義塾(現・同県立篠山鳳鳴高校)から軍門へと進んだ陸軍中将・樋口季一郎だ。

”もう一人の杉原千畝” ユダヤ難民救う 樋口季一郎とは(上)/丹波新聞.2018

オトポール事件

 樋口季一郎中将(1888〜1970年)のオトポール事件のことで、彼の名はユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」にも載っている。

【正論】杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか 新潟県立大学教授・袴田茂樹/産経ニュース.2017

ポーランドからソ連の暗号解読技術を入手

 樋口季一郎はポーランドの駐在武官の第一号だった。

日本を語るワインの会 Vol.218[2021年9月号]/月刊誌アップルタウン.2021

当時、ソ連とドイツに挟まれたポーランドは、インテリジェンス活動に大変な力を入れており、ポーランド陸軍はソ連・ドイツ両国の暗号解読に大きな成果を挙げていました。実は樋口のポーランド在任と時を同じくして、樋口と陸軍士官学校の同期である百武(ひゃくたけ)晴吉がポーランドで暗号研究に取り組んでいます。これにより日本陸軍の暗号技術はきわめて高度なものとなりました。

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男/PHPオンライン衆知|PHP研究所

大東亜戦争中、ミッドウェー海戦の大敗でも明らかなように、日本海軍の暗号は連合軍にほぼ完全に解読されており、海軍の作戦計画はすべてアメリカ側に筒抜けでした。これこそ日本の敗戦の最大要因といってよいでしょう。一方、日本陸軍の暗号は最後まで解読されず、逆に陸軍はソ連の軍事暗号をかなりの程度解読できていたのです。

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男/PHPオンライン衆知|PHP研究所

樋口が広げたポーランドでの人脈が、このような優秀な陸軍の暗号システムを築くことになる百武の活動を支え、また日本とポーランドが暗号解読を含む機密情報をやりとりできる関係――国家間で最も探い信頼関係――を結ぶ大切な素地となったのでした。

樋口季一郎~ユダヤ人救出、キスカ撤退、占守の戦い…「3つの奇跡」を起こした男/PHPオンライン衆知|PHP研究所
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第二次世界大戦直前、ナチスの迫害から逃れたユダヤ難民を酷寒の満州で救済。ポツダム宣言受託後はソ連の北海道侵攻を阻止。二つの奇跡を起こした偉大なる人道主義者、陸軍中将・樋口季一郎。その史実に再びスポットライトが当たる。直筆原稿を再検証、ここに新たな史実が加わる。(「紀伊國屋書店」データベースより)

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〜100年の時を超えて〜 この先も繋がり続ける日本とポーランドの絆《親日国家ポーランド⑤》
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